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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 哀歌~切なくも揺るぎない歌声 Ⅰ

  <本日の主な訪問地>

 愛知県を巡礼します

一宮城跡


自分の出身地に殉教地があるなんて、つい最近まで知りませんでした。

岩手(+ちょっと宮城)、静岡に続き、キリシタン殉教地めぐりの第三弾となる今回の舞台は愛知県。私が18まで暮らした故郷でもあります。

旅のお供は「カトリック・ハンドブック2009」。今年の特集は「キリシタン史跡めぐり中部編」なので、私の目的にぴったりです☆
知っているつもりが何も知らなかったふるさとの姿を求めて・・・まずは一宮へ!


一宮城跡

一宮城跡について

カトリック・ハンドブック2009

中部編

八剣社


JR尾張一宮駅は名古屋駅から快速で10分ほど。意外に近くてびっくりというか。

駅前の一宮城跡をチラッと見て小道に進むと、ビルに追いやられた感じの神社が見えてきました。これが八剣社。

ここが最初の目的地です。スムーズに見つかって感謝。今日一日、こんな感じでいけるといいんですが♪

クロタセウ?


ここにある石にカタカナで「クロタセウ」「センテンセ」と刻まれていて、それがポルトガル語の「磔刑火焙り」「判決」を意味するんだと主張している人がいるんですが・・・まず字自体が読めません。

何かが書かれているということは判別できるのですが。。これがキリシタンの殉教を糾弾するものだというのは、ちょっと論理的に飛躍してるような。どうなんでしょうねぇ。


八剣社

八剣社の石

センテンセ?

クロタセウ?

八剣社

八剣社境内

八剣社の社

開祖空円上人

常光寺


「はっきりしたことわかんないんじゃ仕方ないけど、なんだかなー」

夫の批判もごもっとも。次に期待しようということで、常光寺に向かいました。
八剣社からは徒歩20分ほど。広い道路に沿ってひたすらまっすぐに進みますってーと・・・

ありました、「臨済宗 常光寺」。お寺の本堂と倉庫を合わせて2で割ったような建物がメインのようで、その横にある小さなお堂に安置されているのが、ハンドブック2009に書かれたお地蔵さん。

たくさんの人になでられたりしたのか、つるんと摩滅して鈍く光っているような感じのお地蔵さんです。このお地蔵さんは元々キリシタンが火焙りになった所に建てられたもので、その後ここに移されたのだとか。つまり殺されたキリシタンの供養のために建てられたということで。

しかし説明板も何もないので、そのことを知る人は、これを拝んでいる人の中にもいないかもしれません。夫は再び「うーん・・・」という顔に。ちょっとすっきりしないなと、私も思います。


常光寺

常光寺地蔵堂

常光寺の地蔵尊

キリシタン供養?

 キリシタン殉教地

キリシタン殉教地


はっきりしなくてすっきりしないキリシタン関連の史跡をはしごして、次なる目的地へ。キリシタンが火焙りになった殉教地です。

やっとはっきりしたキリシタン史跡に来られてすっきり・・・するかと思いきや、今度は妙に苦しい感じです。胸に何かつっかえたような・・・。

ここ一本松塚は1631(寛永8)年に4人のキリシタンが火刑に処せられた場所。その供養のために建てられたのが先ほどの常光寺地蔵尊で、常光寺が移されたので顕彰碑と共に十字架の刻まれた「水かけ地蔵尊」の石が置かれたようです。

はっきりしない所ではどこか不満だったのに、はっきりした場所では息苦しいなんて、巡礼とは精神的にとてもハードなものですね。


一本松塚

一本松塚の碑

水かけ地蔵尊

顕彰碑

一本松塚の碑

水かけ地蔵尊

顕彰碑

顕彰碑の文

なぐさめ塚



大通りに出て名鉄バスに乗り、なぐさめ塚へ。キリシタン供養のためのなぐさめ塚は、マンションの植え込みの中にあります。これを建てたのはキリシタン研究家の森徳一郎氏。

尾張、美濃地方で殉教したキリシタン信徒約3千人(森氏の推定)に聖人号を(森氏が)送り供養するものです。「水かけ・・・」となるのは火焙りが多かったせいでしょうか。


なぐさめ塚

なぐさめ塚の碑

マンション前の植え込みに

灯籠みたいなもの

聖人号を送る

刻まれた十字

水かけ十字

後ろの石など

浅野公園


なぐさめ塚のお向かいに当たる位置にあるのが浅野公園。

尾張浅野氏発祥の地だそうです。住宅街の中にある公園といえば児童公園みたいな感じなのが多いですが、こちらは堀をめぐらした純日本庭園。

昔は居館があったんだろうなと、想像が膨らみます。堀(水路?)には鴨が、植栽には花々が咲き誇り風情があります。


浅野公園

浅野公園説明板

浅野長政公宅跡

浅野公園

 岩倉駅へ

駅前広場


再び名鉄バスに乗り、15分ほど揺られて岩倉駅へ。そこから名鉄線で扶桑駅に着きました。

愛知県の北部は名鉄グループのシェアが高いんですね。出身だといっても住んでいたのは高校までだから、自分が行き来する所以外は全く知らずにいたわけで、今各地に足を伸ばすと驚くことが多いです。

井の中の蛙だったんだなあと、自らの半生を振り返るような(半生ってほど立派なものじゃないけど)不思議な感じです。キリシタンを探しているようでいて、ほんとは自分を探してる?みたいな。

恵信庵



扶桑駅からてくてくと15分くらい歩いた所にあるのが恵心庵。ここは「切支丹史蹟地」であると、左手の門にも刻まれています。扶桑町にあるキリシタン殉教地の一つで、敷地から刀傷のある人骨が出土したと説明板に書かれています。キリシタンが殺された殉教地が、こんなに明るい陽光の下にあるなんて・・・、頭がクラクラしてきます。


恵心庵

恵心庵説明板

右手の門

左手の門

参道の石

恵心庵

恵心庵本堂

境内の石

 かつてキリシタンのグループがいた町

万願寺供養碑


駅に戻って、名鉄線で犬山口駅へ。そこから万願寺跡に向かいます。

結構距離はあるけどバスがない(探せばあるかもしれないけど)ので、汗かきながら延々と真っ直ぐに・・・。巡礼は観光地めぐりと違って、体力がいりますね。

目印である万願寺交差点から斜めに折れ曲がった小道の脇にあるのがキリシタン供養碑。供養碑は神社スタイルの敷地内(つまり神社か?)にあり、赤い鳥居前の箱には「五郎丸」とペンキで書かれています。


小さな神社

キリシタン供養碑

神社の祠

五郎丸の文字

五郎丸


かつてここにあった五郎丸村では1600年代後半に124名のキリシタンが検挙され、そのうちの100名が殉教しています。

当時村の人口がわずか205名だったことを考えると、これは驚異的な数字で、村の石高や納める年貢にまで大打撃を与えたことは間違いありません。

というか、村人の半分が殉教してしまうような村が、かつて愛知県にあったなんて、誰が知るでしょう。クリスチャンの私が知らなかったのは無知のせいですが、愛知県に住む大部分の人も知らないのではないかと。衝撃です、私にとっては。言葉もありません。


万願寺交差点

万願寺の文字

犬山五郎丸店

コメダ珈琲店 犬山五郎丸店


「・・・あー、疲れた。そういえばもうお昼過ぎてるし。
あ、コメダだ!コメダ知ってる?モーニングは?

私が全国区だと思ってたコメダは愛知県ローカルだったらしく、
静岡県出身の夫は、私のテンションの上がりように目を丸くするのみ。

しかも「犬山五郎丸店」とは!!
夫を引っ張るようにして無理やり入店。だって癒しが必要なんだもん。今の私には。
幼少の頃にお気に入りだったミックスジュースにモーニングをつけて、夫はアイスココア。
偏頭痛が始まりつつあるので頭痛薬を2錠。
少し休んで頭を冷やしたら落ち着いてきました。どうやら私は容量オーバーしてしまったようです。

殉教の歴史と現実とのギャップをどう捉えていいのかわからなくなってしまって。。知らなかったというショックとのほほんと暮らしてきたことへの罪悪感。

私のこれからが変わっていくことをかすかに感じながら・・・。

そう、この店が面している万願寺交差点の「万願寺」はキリシタンの伝道所(小規模な教会)だったともいわれています。
今は交差点に名前が残るのみですが、名前だけでも残してもらったような気がしたりして。

 名古屋に戻って

千本松原


名鉄線で名古屋に戻って地下鉄で東別院駅へ。少しペースを落とします。名古屋には行きたい所がたくさんあるけど、私の精神が追いつきません;;

目指すは栄国寺。昔「千本松原」という、藩の処刑場があった所です。栄国寺の手前にある公園に、「おためし場腑分けの跡」という解説板が建てられていました。

「おためし」とは刀の切れ方を試すために遺骸を斬ってみること。刑場で処刑された遺骸は「おためし」用にと、藩士らに配られたのだとか。

江戸時代ともなると人を斬ったこともない侍が増えてきて、平和の世なんだからいいじゃないかと私などは思うけれど、「それじゃあ箔がつかん」とばかり、死体でもいいからと斬る練習をしたそうで。

また刀という物も、人を斬ったことがある刀の方が目に見えない力が宿ると考えられ、今でもそういう物の方が高値で取引されるのだとか。人の心理というのは、恐ろしいものです。

栄国寺



そうこう言いながら到着。栄国寺です。幼稚園が併設されててどこか遊園地みたいな雰囲気。でも刑場跡、です。犯罪人だけでなく、ここで多くのキリシタンも殺されました。カトリック教会が建てた顕彰碑やキリシタン遺物の集められた博物館があるそうなので、早速入ってみましょう。


栄国寺説明板

切支丹遺跡博物館

栄国寺本堂

栄国寺の仏像

切支丹塚へ


カラフルな遊具が心くすぐる幼稚園を尻目に参道を進んで行くと、左手に「切支丹塚」の案内板が。左に伸びる小道の先にキリシタンの墓や供養碑、顕彰碑があります。

カトリックのクリスチャンで小説家として知られる遠藤周作もここを訪れたことがあるそうです。

顕彰碑によると、1661(寛文元)年に愛知県北部からキリシタンが大量に検挙され(これを「濃尾崩れ」という)、彼らのうちの指導者200余人を処刑したのが1664(寛文4)年。

その後1667(寛文7)年には約2千人が斬首されるという大殉教があったのだとか。たった7年の間に2200人以上のキリシタンが処刑されただなんて・・・。

もう容量オーバーとか言ってる訳にはいきません。容量超えてますけど、何とかしなくちゃみたいな気持ちがわきます。


切支丹塚案内

切支丹塚への道

供養碑

遠藤周作も来訪

キリシタンのお墓

石灯籠

地蔵尊

石仏

顕彰碑

顕彰碑アップ

十字が刻まれている

切支丹遺跡博物館は・・・


顕彰碑を読んで無言で立ち尽くす夫(夫もクリスチャンだから衝撃が大きいようで)に声をかけ、境内の奥へ。見なきゃいけない物があるのです。

それは山門の前にも石碑が建てられていた「切支丹遺跡博物館」。博物館といってもお宅の中に設けられているらしく、玄関で呼び鈴を押して入れてもらう仕組みになっています。

しかし・・・呼べど叫べど、扉や窓を叩いて(かるーくですけど)みても、人が出てくる気配がなく、中に入ることはできませんでした。。本日初の挫折で、しかも一番行きたかった所だから、ちょっと泣きそうです。残念無念。。


切支丹遺跡博物館へ

案内板

入口

石灯籠

鬼瓦

庭の椿

手水鉢

庭の花

 名古屋に配流された浦上キリシタン

西本願寺名古屋別院


門前で膝を抱えて泣いていようかとも思いましたが、何かを見届けなければならないという使命感が心に芽生えてきて立ち上がりました(えらいよ、私)。

目指すは大須。知ってますか?大須。名古屋の浅草みたいな所で、もちろん私も行ったことがある町です。

しかし、ここがキリシタンゆかりの地だとは、寡聞にして知らず、町の雰囲気だけ味わって回遊してただけでした。反省も込め、新しい目で見てみたいと思います。

地下鉄駅から少し離れた所にある西本願寺別院。ここが明治時代にキリシタンが入れられた牢の跡地です。明治になってから検挙されたキリシタンは、江戸時代のキリシタンとちょっと違うので、彼らの住んでいた村の名前から、「浦上(うらかみ)キリシタン」と呼ぶことにしましょう。


西本願寺名古屋別院

右手の建物

葛飾北斎の説明

医学講習場跡

浦上キリシタンゆかりの地


さて、「浦上」は長崎の郊外の村の名で、その地に住むキリシタンは、江戸幕府の目を盗み、代々隠れて信仰を守ってきた隠れキリシタン(潜伏キリシタン)でした。

彼らは、開国後フランス人宣教師が来日して長崎に教会を建てると、そこにやって来て信仰を告白し、教会に復帰したのです。これを「信徒発見」といい、世界宗教史上の奇跡といわれています。

しかし開国したとはいえ、日本はまだ禁教下で、幕府の後を継いだ明治政府もキリスト教禁令を継続したため、信徒たちは逮捕され、各藩預けとなるのです。

広小路牢跡


その際名古屋藩に送られて来た浦上キリシタンが入れられたのが、西掛所、堀川の収容所、広小路牢だったわけで、その跡地が西本願寺名古屋別院、中区栄1丁目20番地(↑の写真の辺り)、栄の広小路沿い(←の写真)に該当します。

名古屋藩は大きな藩だったためか、375名もの人が4度に分けて配流されてきて、これらの牢で説諭という名の拷問を受け、棄教を迫られました。

明治6年に長崎に帰ることを許されるまでの3年半の間に、命を落とした者は72名。劣悪な環境と絶食に近い食事、度重なる拷問での衰弱死、病死で、斬首や火焙りににはなっていませんが、彼らもまた殉教者といっていいと思います。近年になってからもそんなことがあったなんて、それも栄のど真ん中で・・・。絶句です。


 キリシタン史跡を探しつ

名古屋市立大学


再び地下鉄に乗って桜山駅へ。名古屋市立大学へ向かいます。

住宅街の中にあるキャンパスは住民に開放されているのか(?)、子供連れの家族やベビーカーを押す人の姿も。

しかしここも高田処刑場という、藩の刑罰場の跡です。ここでもキリシタンが処刑されたと本か何かで読んだ覚えがあるのですが・・・。

私の勘違いでしょうかね? いや、勘違いでここまで来るはずないし。うーん。。何も書かれていないので確信が持てません;; 家に帰って調べ直します<(_ _)>


剣ケ森

八高生像

八高古墳

構内の森

興正寺西山


気を取り直して地下鉄にライドオン。名古屋はやっぱり地下の街なのです。地下街と地下鉄は名古屋人の動脈。これなしには生きられないというか。

そうこうしながら栄よりももっと馴染みのある八事駅に到着。ここからは地図も案内板も要りません。学区内でしたから。でも馴染みの地だからこそ、「知らなかった」というショックは倍増することに。

ここ、興正寺西山にある八事福祉会館は、浦上キリシタンの遺骨の最終目撃地。遺骨が最終的に移された場所に建てられたものなので、まだ少しはこの下に眠っているかもしれません。信徒の骨が。クリスチャンは遺骨に魂が宿るとは考えませんが、遺骨だけでも見つけて故郷に帰してあげたかったなと、名古屋人を代表してお詫びと哀悼の祈りを捧げます。


興正寺

興正寺参道

興正寺のお堂

興正寺西山

カトリック南山教会


少し距離はあるけど、歩いて向おうと思ったのがカトリック南山教会。私がキリスト教に出会った場所といっていいかと思います。

随分と雰囲気が変わって、洗練された感じ。久しぶりに訪れたからだし、その頃私は小さかったから、きっと何でも大きく見えたんでしょうね。友だちの紹介で、クリスマスか何かの行事の時に来てみるようになって、後では自分一人で通うように。

神父さんの部屋で聖書を開いて、「黙示録」というアヤしげな言葉を見つけて、「こんなのを読んじゃっていいのかな?」とドキドキした覚えがあります。自分だけが天の秘密を垣間見てしまったような、子供じみた空想に心躍らせながら、祈りに来てましたね。一体何を祈ってたんだっけ・・・。

自分でも忘れちゃっているような、小さな子供の祈りを、イエス様は覚えてくれているのかな。今日一日いろんな所を回って衝撃を受けて、でも最後にここに来たのは、そのことを悟るためだったような気がします。ずっと注がれてきた主の視線に応えて、これからを歩んでいくようにと ――。

みそカツだけが知っている


私の中に流れている血について
あまり考えたことがありませんでした。

血筋的にも名家の出ではないし
自分自身でもありふれてるとしか
自分のことを思えないから。

でもどうやら殉教者の祈った国に生まれ
殉教者のいた場所に生きて
彼らと同じ信仰に至ったようです。

不思議な縁で結ばれていたことに気づいて、今とっても悔しいような、そんな気持ち。
神を愛し人を愛したキリシタンたちが殺されたことが悔しいし
そのことも知らずに生活していた自分にも・・・。

この悔しさが何かを変えるのだと信じて
名古屋名物みそカツに箸を伸ばします。

だって食べなきゃ生きていけないんだもの。
そして食べた分だけ、強くなってやります。
この体がある分、できることがあるはずだから。

みそカツのように
私の中で血と肉になった思い出を持って
これから少しずつ殉教地を
めぐってみたいと思います。


どうか見守ってください。今までみたいに・・・ねっ ヾ(´▽`*)


                                                 (明日に続く・・・)

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