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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 旅行記 > 哀歌~タイムカプセルは今も囁く

 哀歌~タイムカプセルは今も囁く

聖ザビエル天主堂の薔薇窓

  <本日の主な訪問地>

 今日は犬山へ♪

しっかり食べて出発

しっかり食べて出発


平均年齢82歳のガールズトークが炸裂した昨日(詳しくは「伊勢路を旅して⑥」に)に引き続き、今日は愛知県をめぐります。

故郷を回るというのは、何となく疲れるというのが本音です。親戚や墓参りが大変というより、思い出のある地に行っていろんなことを思い出したりするから、気持ちがアップダウンして疲れるというか。

だから今日一日、気分転換をして帰る予定☆  ホテルでしっかり朝食を摂って、では出発!!

博物館 明治村

博物館 明治村


博物館 明治村へは名古屋の真ん中、栄から直通バスで1時間。片道850円は良心的ですね。

名古屋人にとって明治村は小中高の遠足で出かける所という認識ですが、経営母体が変わってからどんどん行楽地っぽくなってきて、年間パスでリピートする人も多くいるみたい。

学ぶ場所というより遊び場という感じに移行してきてますが、私はいいかなと思います。工夫してたくさんの人に文化財を見てもらうのは、関心を持つきっかけになるから。第八高等学校の正門を横目に見ながら入園♪

呉服座

呉服座(くれはざ)

一日で広い園内を隈なく見て回るのは無理そう。なので、絶対に見たい所を重点的に攻める(?)作戦でしたが、あまりに印象的な建物があったので思わず入場。「呉服座」と書いて「くれはざ」と読む劇場です。

明治村のすごい所は、「再現したもの」ではなく「実際のもの」が移築されていること。
ガイドツアーで回りましたが、楽しかったです♪

劇場内
劇場内
ガイドさん
ガイドさん
客席
客席
花道
花道
舞台
舞台
舞台天井
舞台天井
楽屋
楽屋
奈落
奈落

 聖ザビエル天主堂☆

聖ザビエル天主堂

聖ザビエル天主堂

呉服座の背後にフレームインしてくるのが聖ザビエル天主堂。
これが見たくて来たと言っても過言じゃありません。
これは京都の河原町に1890(明治23)年に建てられた教会堂で、現在のカトリック河原町教会の前身。

こんなに大きくて立派な教会を、開国後間もない明治の世に建てたことに驚嘆です。
大きさにびっくりという体験は、実際のものを見ないとできないので、貴重ですよね☆
聖ザビエル天主堂
聖ザビエル天主堂
堂内
堂内
ステンドグラス
ステンドグラス
側面
側面
ステンドグラス
ステンドグラス
木の柱
木の柱
信徒席
信徒席
木彫り
木彫り
イベントのリハ
イベントのリハ
祭壇
祭壇
薔薇窓と十字架
薔薇窓と十字架
薔薇窓の解説
薔薇窓の解説
聖人像
聖人像
外から
外から
外から
外から
解説板
解説板
金沢監獄正門

金沢監獄正門


一番見たかったものをこんなに早く見てしまって、良かったのかどうか微妙ですが、まだまだ見たい教会建築があるので、先に進みましょう☆

でもちょっと余裕が出てきたので、監獄などを見学。まずは金沢監獄正門と前橋監獄雑居房です。

金沢は浦上(うらかみ)キリシタンの配流地の一つ。これでも悲惨だと感じるのに、こういう近代的な監獄制度が整う前の牢獄に入れられたキリシタンはどんなに大変な思いをしただろうと忍ばれてなりません。

金沢監獄正門
金沢監獄正門
解説板
解説板
前橋監獄雑居房
前橋監獄雑居房
解説板
解説板
前橋監獄雑居房入口
前橋監獄
雑居房入口
雑居房の鍵
雑居房の鍵
雑居房内
雑居房内
全景絵図
全景絵図
金沢監獄中央看守所

金沢監獄中央看守所


隣にあるのが金沢監獄。中央にある看守所から放射線状に廊下が伸び、両側に独房が設けられています。中に人形が置かれ当時の様子を再現しています。

さっきも書きましたが、これらの建物は全部実際に使われていた本物なので、「リアルさ」の問題でなく、「リアル」そのもの。

その空間に入り込むということに、頭がついていけなくて戸惑います。見学者の中にも言葉を失っている人が多いのはそのせいかと。

金沢監獄
金沢監獄
解説板
解説板
監獄内
監獄内
独居房
独居房
宮津裁判所法廷

宮津裁判所法廷


続いて宮津裁判所法廷。宮津は細川ガラシャゆかりの地ですね。行ってみたい場所の一つですが、裁判所は別。

窓の外から見えるなんて、随分とオープンな建て方かと思いますが、注目すべきは和洋折衷の建物であること。明治という時代がどんな時代だったか、建物の様式を見て窺い知ることができます。

宮津裁判所法廷解説板
宮津裁判所法廷解説板
法廷入口
法廷入口
裁判の様子
裁判の様子
新聞記事
新聞記事

 帝国ホテルがありました・・・!

帝国ホテル

帝国ホテル


監獄などの並ぶ5丁目(園内は全て○丁目○番地という表示になっている)を奥に進むと、見覚えのある建物が。帝国ホテルです。

あのぅ、、帝国ホテルって、現在のがずっと建ってるものだと思ってましたが、古いのは(正面玄関など一部ですが)ここに移築されてたんですね。

設計したのはアメリカの著名な建築家フランク・ロイド・ライト。眺めのいい所に建てられているので、正面玄関からの見晴らしも最高。都会の真ん中にあるより、ここにある方が良いのかも?

帝国ホテル解説
帝国ホテル解説
玄関からの眺め
玄関からの眺め
宿泊した有名人
宿泊した有名人
窓から
窓から
柱
調度品
調度品
ポーツマス条約締結のテーブルは・・・
ポーツマス条約締結
のテーブルは・・・
貸し出し中;;
貸し出し中;;

コロッケでひと休み


帝国ホテル前に広がる
芝生の公園でひと休み。

屋台でコロッケを買って頬張ると
さわやかな風に包まれました。

「こういうタイムカプセルみたいな所があるんだね」

360度ぐるりと見回すと
全国各地から集められた建物が
それぞれの存在感できりりと建っています。

古くなって管理が難しくなった建物を   
こういう形で保存して 
多くの人に見てもらえるようにしているのは
本当にいいことだと思います。

有難いことに古い教会堂も修復され
移築されているので
中で祈ることができます。

こういう場を作ってくださって感謝ですと
神さまに告げながら
心の中で祈りました♪

内閣文庫
内閣文庫
聖ザビエル天主堂
聖ザビエル天主堂
隅田川新大橋
隅田川新大橋
帝国ホテル玄関
帝国ホテル玄関

 長崎から遥々

大明寺聖パウロ教会

大明寺聖パウロ教会

長崎から遥々、しかも離島から運ばれてきた教会堂もありました。伊王島に建てられていた大明寺聖パウロ教会です。隠れキリシタン(潜伏キリシタン)として生き抜いてきた信徒たちが、開国後カトリック教会に復帰して、自分たちの手で建てた教会堂です。

歴史を考えると感慨深くてたまりません。ここに移築して現在まで保たれるようになったこと、本当に感謝です!!

聖堂の鐘
聖堂の鐘
大明寺聖パウロ教会解説
大明寺聖パウロ教会解説
聖堂内
聖堂内
祭壇
祭壇
祭壇前の柵
祭壇前の柵
天井
天井
信徒席
信徒席
外から
外から
SLなどもあり

SLなどもあり


公園内には建物以外にもSLなどが野外に置かれていて、歩く途中にも目を楽しませてくれます。

大明寺聖パウロ教会を出て、しばらくしてから気づきましたが、中学生の頃、この教会を見て感動したことを思い出しました(出てから気づくなんて間抜けですが;;)。

その時にあの立派な聖ザビエル天主堂も見たはずなのに、それよりも素朴な大明寺聖パウロ教会が印象に残っているのが不思議です。人が心に刻むものの不思議さと、時を経てその価値を知る不思議さが、‘‘ダブルで覆いかぶさってくる弥生かな‘‘(一句詠んでみました)、という感じ ( ̄∇ ̄)ノ

聖ザビエル天主堂遠望
聖ザビエル天主堂遠望
移設された鉄橋
移設された鉄橋
下には池
下には池
SLの後部
SLの後部

 移民の歴史を思う

ハワイ移民集会所

ハワイ移民集会所


明治村には数は少ないけれど海外から移築された建物もあります。海外に移民した日系人ゆかりの建物です。

こちらは1889(明治22)年に建てられたハワイ移民集会所。最初は教会堂として用いられたのだと説明板に書かれています。

移民の人たちにとって心の拠り所となり続けた建物だったんですね。歴史的価値が認められ、国の登録有形文化財に指定されています。

ハワイ移民集会所
ハワイ移民集会所
ハワイ移民集会所解説板
ハワイ移民集会所解説板
室内
室内
登録有形文化財
登録有形文化財
ハワイ移民の展示
ハワイ移民の展示
展示解説文
展示解説文
本棚
本棚
ハワイの物
ハワイの物
ブラジル移民住宅

ブラジル移民住宅


道をはさんだ向い側にあるのがブラジル移民住宅。
気候を反映した造りが、そこでの生活や暮らしぶりをイメージさせてくれます。

この建物は長野県出身の人が建てたものですが、当時ブラジルに移民した人たちの中には、長崎や福岡(今村)の隠れキリシタンの家系の人たちも多く含まれていました。

その後、彼らの救霊のために渡伯したのが中村長八神父。現在列福運動がなされているのだとか。日本とブラジルの関係も深いけれど、その間にある救いの歴史まで考えると、更に深く深いですね。

ブラジル移民住宅
ブラジル移民住宅
ブラジル移民住宅解説板
ブラジル移民住宅解説板
屋外に階段
屋外に階段
生活用品
生活用品
展示解説
展示解説
道具類
道具類
解説板
解説板
移民船模型
移民船模型
入鹿池

入鹿池


移民住宅の並ぶ地区は明治村の東側で、入り江のように岸に食い込む入鹿池(いるかいけ)が一望できます。

入鹿池は人工のため池で、全国でも1、2を争う規模。犬山周辺に灌漑用水を提供しています。

「いるかいけ」というインパクトある名も、愛知県人には「池といえば入鹿池でしょ」というくらいポピュラーなものですが、是非言っておきたいのは造られた時期。

1632(寛永9)年の着工だなんて、随分と昔でびっくりじゃないですか。入鹿六人衆という男性6人が開発計画を藩に提出して許可を得、進めたそうな。やるなーという感じです☆


 日本人が海外で信仰を持っていたとは

シアトル日系福音教会

シアトル日系福音教会

道なりに進んで行くと、池に突き出た断崖にシアトル日系福音教会が。一見すると郊外の建売住宅みたい。日系移民の住宅が礼拝を守る教会となり、人々の精神的に支えたという解説を読んで納得。このアットホームさは彼らが大切にしたものの残影なのでしょう。

礼拝の場
礼拝の場
オルガン
オルガン
移民のための教会として
移民のための教会として
解説展示
解説展示
移築前の姿
移築前の姿
建物ゆかりの日系人
建物ゆかりの日系人
登録有形文化財
登録有形文化財
聖歌のナンバー
聖歌のナンバー
説教台
説教台
解説板
解説板
室内
室内
戦時中の日系人収容所
戦時中の日系人収容所
台場鼻潮流信号機

台場鼻潮流信号機


日本がアメリカに戦争をふっかけて、日系人が収容所に入れられることとなったという解説板を読んで、日米友好なんて最近のことなんだなと思いました。

近代国家となった日本は多くの国と戦争をしたから、海外にいた人たちは一方ならぬ苦労をしたんですね。政府はそういうことも考えて戦争を起こしたんでしょうか。

林の中に建つ変わったフォルムの信号機や洋風の車寄などを見ても、全く盛り上がる気になれず、曇天の下を陰鬱な気持ちでてくてく。

台場鼻潮流信号機
台場鼻潮流信号機
台場鼻潮流信号機解説
台場鼻潮流信号機解説
宗教大学車寄
宗教大学車寄
外灯
外灯

 居留地の洋館

神戸山手西洋人住居

神戸山手西洋人住居


今度は来日した外国人が暮らした住宅をめぐります。村内マップによるとこの辺りは明治村3丁目。正門から近いエリアです。

神戸にあったこの建物は、洋風な中に少し和風を取り入れたユニークな造り。正面から見ると洋館そのものですが、横から見ると和室みたいな部屋が見えます。

母屋と別棟が空中でつながるなんて発想もすごいですが、別棟の窓と障子は純和風でキメるというのがモダンというか、外国人っぽい?

窓と障子が純和風
窓と障子が純和風
正面は洋館
正面は洋館
解説板
解説板
神戸山手西洋人住居
神戸山手西洋人住居
長崎居留地二十五番館

長崎居留地二十五番館


長崎の居留地、二十五番地にあった洋館も移築されています。

開国後の長崎居留地といえば、フューレ神父が大浦天主堂を建て、プチジャン神父が信徒発見をし、ド・ロ神父が旧羅典神学校を建てて・・・という時代。

そういう時代にご近所にこの建物があったんだなーと思うと、坂道の住宅街を行き来する神父さんたちの姿が目に浮かぶようで、時間と空間が飛び越えられるような錯覚に陥っちゃいます... (*゜ー゜)>

居留地の住宅
居留地の住宅
室内
室内
暖炉
暖炉
調度品
調度品
解説展示
解説展示
解説板
解説板
登録有形文化財
登録有形文化財
廊下
廊下

 偉人たちの○○

北里研究所本館・医学館

北里研究所本館・医学館


北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)が医学界の巨人だということは知っていましたが、どれほど偉大なのかはよくわからないというか、、、今まで関心がありませんでした。

でも館内にある常設展示を、歩みを止めずにさささーっと見て、関心くらいは持つようになりました。建物を見ただけじゃ感じられない価値性や歴史的背景を、展示などで周知していくことは大切なことですよね。

教会堂とかの建築物についても、様式とか素材とかだけでない説明をもっと加えてほしいなと思ったりして◎


展示

展示

展示

展示
森鴎外・夏目漱石住宅

森鴎外・夏目漱石住宅


森鴎外と夏目漱石。2人とも好きな作家で、結構著書も読んでるつもりですけど、知りませんでした。2人が同じ家に住んでいたなんて・・・ (゜ロ゜)

時期こそ違うものの、同じ家って、その家どんだけ人気あるんですかっ !?

明治村1丁目に当たるこのゾーンは、村のメインエリアのようで、人が一杯。音楽座のミュージカル「アイラブ坊ちゃん」に出てくる漱石の家はこの家がモデルだったのね、と関係ないところで感心してみたりして。。

森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅解説板
森鴎外・夏目漱石住宅解説板
森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅
縁側に猫
縁側に猫

室内に漱石
鴎外の影が薄い?
鴎外の影が薄い?
森鴎外・夏目漱石住宅
森鴎外・夏目漱石住宅

西郷従道邸


続いて西郷従道邸。この辺りは明治から昭和にかけての偉人たちにスポットを当てたエリアなんですね。

1丁目から5丁目までこういう感じで構成されてたんだとやっと理解できました。

さて西郷従道(さいごう・つぐみち。正しくは「じゅうどう」だったとも)は西郷隆盛の弟さん。しかし兄が起こした西南戦争には加わらず、政府側に留まりました。西南戦争後は政府の中枢で重職を歴任し、元帥海軍大将・従一位・侯爵などの爵位を獲得。

無念の死を味わった兄とは正反対の人生を送った従道ですが、「西郷隆盛像」として使われ、私たちがよく見る画像は、従道の顔をモデルにしているのだとか。運命の皮肉みたいなもの、感じません?

西郷従道邸
西郷従道邸
西郷従道邸解説板
西郷従道邸解説板
西郷従道邸
西郷従道邸
西郷従道邸
西郷従道邸

学習院長官舎


偉人シリーズのラストは学習院長官舎。なんで偉人シリーズなのかというと、この官舎の創建時の学習院長が乃木希典(のぎ・まれすけ)だから。

乃木希典というと、明治天皇の崩御に際して妻と共に殉死したことが強烈に印象に残っていて、壮烈な人生だったんだろうなと、遠い人のように思ってました。

でも使っていた部屋などを見ると、「その時代に生きた一人の人間だったんだな」と、最初に親近感、続いて哀しみが感じられてきます。その哀しみは、今ここにいる私にもずっと付きまとっているわけで・・・。時と共に消え去るさだめの儚(はかな)さが胸にしみてきます。

学習院長官舎解説板
学習院長官舎解説板
学習院長官舎
学習院長官舎

美人コンテスト事件
美人コンテスト事件
美人コンテスト事件
美人コンテスト事件
美人コンテスト事件
明治天皇はおともだち・・・?
明治天皇はおともだち・・・?
学習院長官舎
学習院長官舎
学習院長官舎
学習院長官舎

 聖ヨハネ教会堂を仰ぎ見て

聖ヨハネ教会堂

聖ヨハネ教会堂を仰ぎ見て


造った人もそこに住んでいた人もこの世を去って、残るようになった建物を見ていたら、いつの間にか仏教思想っぽい無常観に頭を占拠されていました。

自分自身も時を経てここに来たから尚更なんでしょうね。

移りゆく世で私は何をしようとしているんだろう、どうせ少し経ったらいなくなっちゃうのに・・・と、ぼんやりとした虚しさに蝕まれそう。こういう時は教会に行くのが一番!と思ったら、見えてきました、聖ヨハネ教会堂。こちらを明治村のしめくくりにいたしましょう。

聖ヨハネ教会堂が
聖ヨハネ教会堂が
坂の上に・・・♪
坂の上に・・・♪
いろんな賞を獲っているようで
いろんな賞を獲っているようで
それが碑として置かれています
それが碑として置かれています

聖ヨハネ教会堂

聖ヨハネ教会堂

聖ヨハネ教会堂は明治時代に京都に建てられた日本聖公会の教会堂。現在の日本聖公会の京都主教座聖堂も赤レンガ造りだけど、その前の姿がこうだったんですね。聖公会はプロテスタントの一派ですが、建築などはカトリック風(私の解釈ですが)。古さといいデザインといい、正に私好みです♪
こういう教会が残されていたとは。。早く見たい(教会に向ってダッシュ)。

聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂解説板
聖ヨハネ教会堂解説板
聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂
聖ヨハネ教会堂入口
聖ヨハネ教会堂入口
一階は、んんんっ!?

一階は、んんんっ!?


ひと息ついて気持ちを落ち着かせ(興奮してたので)、中へ。

んんんっ!?
子供たちの歓声と叫び声、駆け回る足音が・・・!!

聖堂の一階は子供が自由に遊びまわれるスペースとして開放されていました。

これはただ単にそうしているのではなく、昔聖堂の一階が幼稚園や日曜学校として使われていたことに基づく処置だそうですが・・・。

・・・・・・・・(転び泣き、けんかして叫ぶ)。
・・・・・・・・果たしてこれでいいんですか !?

2階は聖堂

2階は聖堂


2階に上がって静かにお祈り・・・したかったけど無理。それでも集中して祈ります(根性っ)。

木材がふんだんに使われた聖堂内はとてもシックな雰囲気。高い尖塔がそびえているから、内部もゴシック風の高い天井かと思いきや、意外にも地味というか。

でもそこが良いです。胎内のような、主の掌の中のような、温かみがあります (o ̄ー ̄o)

一階の騒音さえなければ(幼稚園や日曜学校は子供を無軌道に放置してたわけじゃないですし!)、どんなにかいいかと。はうぅ、残念。建物も傷むの早いと思います;;

聖堂内
聖堂内
聖堂内
聖堂内
ステンドグラス
ステンドグラス
木製のオルガン
木製のオルガン
ステンドグラス
ステンドグラス
ステンドグラス
ステンドグラス
聖堂内
聖堂内
ステンドグラス
ステンドグラス
信徒席
信徒席
木製のオルガン
木製のオルガン
信徒席
信徒席
ステンドグラス
ステンドグラス
信徒席
信徒席
木彫
木彫
ステンドグラス
ステンドグラス
間仕切り
間仕切り

 五郎丸を通過中!

犬山駅行きのバス

犬山駅行きのバス


明治村からの帰り道は犬山駅行きのバスをチョイス。行きと違って地域住民との乗り合せが楽しいです。

居眠りする夫が寄りかかってくるのをエルボーで撃退しながら、車窓から外を眺めていると・・・。見たことがある風景。おお、これは五郎丸!!!!!

3年前に訪れた殉教者ゆかりの地、五郎丸を通って行くではありませんかっ! さっきまで押し返してた夫に声をかけるも無反応。一人感動をかみしめます。

コメダ犬山五郎丸店

コメダ犬山五郎丸店


いやーん(全然いやじゃない)、3年前に入ったコメダまで♪ ということは、ここは万願寺交差点かっ!

万願寺は昔「満願寺」とよばれたキリシタンの伝道所(小さな教会)があった所で、村民205名のうち100名が殉教を選んだ五郎丸村の信仰的な中心地。

偶然乗ったバスが五郎丸経由だなんて(後で調べたら犬山駅行きのバスでも経由しないものが半分以上)、これは神の導きですか? いえ、これはもはや愛です!(勝手な解釈...)

五郎丸村を通過中
五郎丸村を通過中
五郎丸村を通過中
五郎丸村を通過中
犬山駅行きのバス
犬山駅行きのバス
犬山駅行きのバス
犬山駅行きのバス
犬山駅

犬山駅


犬山駅に到着。今日はお祭みたいで祭囃子が聞こえてきます。

通りがかりに見てみると、地域古来のお祭ではなく、観光イベント的に行われている催しのよう。

犬山には犬山城と如庵(織田有楽斉の茶室)という2つの国宝があるから、戦国的な感じで町おこしをしようってことでしょうか。駅前の幟(のぼり)もそれらしい感じを醸しています。

木戸跡


犬山城へは観光マップのおすすめルートでなく、ちょっと町外れの方向に歩いて、地図で気になった所に寄ってみました。

私「このカギ状の道、木戸のあった所っぽいよね」
夫「そうみたい。そう書いてある(眠げ)」

夫の指さす先には「木戸跡」の立て札が(眠そうな割には目ざといね)。地形から城下町の様子を推察(当て推量)できるようになったことにちょっと天狗になりそうでしたが、よくよく考えてみると全て主のお導き。無知な私を育ててくれて感謝なのです (´▽`*)

木戸跡
木戸跡
木戸跡
木戸跡
城下町
城下町
城下町
城下町

高札場跡

高札場跡

進んで行くと観光ルートの道に突当って合流。そこが札の辻跡です。札の辻とは江戸時代に高札場(幕府や藩のお触れを掲げて庶民に示した所)があった場所。ここにキリシタン禁制の高札も掲げられていました。信徒たちが目を伏せて歩いていった様が浮かぶような・・・。今は城下町の風情を楽しむ人であふれる観光地ですけどね。

札の辻
札の辻
高札場跡
高札場跡
札の辻の解説板
札の辻の解説板
現在の様子
現在の様子
ちっちゃく見えてきた犬山城

ちっちゃく見えてきた犬山城


札の辻を過ぎるとちっちゃく見えてくる犬山城。あそこまで歩くのかと思うと、少々げんなり。。

もう夕方の4時を過ぎている(閉門は確か5時)のに向っていく人々の波は途切れず、人気ぶりがうかがえます。

みんな行くんだし、みんな登るんだからと自分を励まして、犬山城へ登る決心を(登る気なかったんかいっ)。登り口は神社のようです。日本では山と神社は切っても切れない関係なのかな。

犬山城下絵図
犬山城下絵図
現況写真
現況写真
敬道館跡
敬道館跡
麓の神社
麓の神社

 犬山城をちょいと見て

閉門間近だけど


閉門間近だけどあまり急がず(モチベーションが上がらん)、よいしょよいしょと登ります。

犬山城は国宝でありながら、つい最近(平成16年)まで個人の所有だったお城。現在は財団法人のものですが、それでも歴代城主を務めた成瀬家の方が財団法人を運営しているのですから興味深いところです。

キリシタンの立場からすると(お前はキリシタンかっ)、成瀬家はキリシタン宗に対して比較的優しかったから好意がわきます。

犬山城石垣
犬山城石垣
石垣と城
石垣と城
犬山城解説板
犬山城解説板
犬山城天守
犬山城天守

国宝 犬山城

国宝 犬山城

閉まりかかる門を通って入城。間もなく見えてくる天守へは最後の一組として入りました。
一階二階三階と上り、四階が最上階。階段が妙に狭い(足を乗せる所が短い)のは、昔の人の体型によるというよりは、攻められにくくしたのかな。

眼下を流れる木曽川

眼下を流れる木曽川

滔々と眼下を流れる木曽川。考えてみたら、当時天守に庶民が入るなんてことは絶対に許されなかったわけで、城主と同じ眺めを見られることは現代人の特権(?)ですね。五郎丸はどこだろう?
キリシタンたちもこの川や山を見ながら暮らしてたはずだけど。。

城内
城内
天守の高欄より
天守の高欄より
石垣の内部
石垣の内部
奉られてる木
奉られてる木

犬山城夕景


さっき成瀬家がキリシタンに対して優しかったと書きましたが、優しかったのは初代成瀬正成と2代正虎です。

1610年に名古屋城が落成し、初代尾張藩主徳川義直が名古屋に移った際に、その養育者で付家老だった成瀬正成は犬山3万5千石の城主に。まだ禁教令前だったこともあり、領内のキリシタンに対して寛大でした。

1625年、成瀬正虎が家督を継いで城の主に。幕府から何度もキリシタン処罰の指令を受けたにも関わらず、あまり厳しく詮索しないように指示を出していました。この頃日本各地では各地で火焙り斬罪が行われ殉教者が続出していたのに、尾張ではまだ殉教者が一人も出ていません(尾張での初めての殉教は1629年)。

1661年犬山城下五郎丸で神父と無数のキリシタンが検挙されると、正虎は隠居先で剃髪。2年後に永眠しました。成瀬家が現代まで栄えている理由がわかるよう、な?


 如庵が見たい!

中腹にある神社



山の中腹にある神社で写真を撮りながら、犬山のキリシタンについて思いをめぐらせます。犬山城主 成瀬家は大名クラスの石高を持ちながら、あくまで尾張藩の付家老だったので、幕府からの厳命にもワンクッション置けたのではないでしょうか。

キリシタンの村とキリシタンに寛容だった城主――。尾張のキリシタンについて、もっと調べてみなくっちゃ。

城内の桜
城内の桜
地衣類と城
地衣類と城
門が閉まる
門が閉まる
神社の梅
神社の梅
有楽苑

有楽苑


犬山城を後にした時点で4時40分でしたが、せっかくだから如庵にトライしてみようかと思い立ちました(如庵がある有楽苑の閉園は5時)。

キリシタン大名だった織田有楽斉の茶室だし、国宝だし、ダメもとで向ってみようかと。急ぎ足でぜーはーぜーはー、最後は名鉄犬山ホテルの駐車場を突っ切って、有楽苑へ。お、門開いてる!

「すみませーん、まだ入れますか?」
「はい大丈夫ですよ。ゆっくり見てください。ちょっとくらい遅れてもいいですから」
なんとお優しいっ! 寛大な犬山は健在です☆

国宝 如庵

国宝 如庵

見逃してはいけないので、まずは国宝茶室 如庵へ。ほんとにワビサビの世界で、私のような無粋な者には打ち捨てられた田舎家にしか見えません;; 外からは撮ってもいいけど室内はダメと書かれているので、写真はありませんが、室内は外観よりももっと質素な感じ。歴史的な価値はわからなくもないですけどね。

国宝茶室 如庵
国宝茶室 如庵
国宝茶室 如庵
国宝茶室 如庵
国宝茶室 如庵
国宝茶室 如庵
この先立入禁止の印
この先立入禁止の印
旧正伝院書院

旧正伝院書院


如庵とつながってる新しめの建物が、織田有楽斉の隠居所として造られた旧正伝院書院。こちらは重要文化財です。

新しめといっても、造られたのは1618(元和4)年。元和といえば元和の大殉教ですが、その4年前の建造ということになりますね。

キリシタン大名の隠居所はこんなに豪華に造られた(外見はやや簡素ですが、襖絵は長谷川等伯や狩野山雪の作)のに、同時代のキリシタンはどんどん殺されていたなんて、随分な差ではないでしょうか。

旧正伝院書院
旧正伝院書院
旧正伝院書院
旧正伝院書院
室内
室内
庭の灯籠
庭の灯籠

元庵

元庵

有楽斉が大阪の天満に構えた茶室を、古図に基づいて復元したのが元庵。こちらは「新しめ」ではなく、実際に「新しい」建物です。

不必要なものをそぎ落とした感はありますが、結構大きな建物で、如庵とは全く違った雰囲気です。有楽斉は高山右近の茶の湯のセンスを「きれい茶」と言って評価しなかったくらいだから、簡素なものはあまり好きじゃなかったのかも。

元庵
元庵
元庵について
元庵について
室内
室内
元庵
元庵

木曽川

木曽川

受付の女性にお礼を言って退園し、木曽川の岸辺に立つと、西空に夕陽が輝いていました。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず――」
昔古文で暗記させられた名文を思い出しましたが、後が続きません;;

でもいいです、後は自分で考えるから。
「――だけど人は生きていく。移りゆく世で、儚い体で。その人にとってはその一瞬が、人生のかけがいのない時間なんだから」

犬山城
犬山城
手前に十字架
手前に十字架
木曽川夕景
木曽川夕景
木曽川夕景
木曽川夕景

巡礼の旅はつづく・・・


鍋焼きパスタ・ナポリタン♪キリシタンの迫害と殉教の歴史は
目に見えるものと
見えないものとの攻防の歴史。

見ることのできないものの
価値が見えないと
生き残ることができませんでした。

同じ尾張人であった彼らが
たった一つの命までかけて
最後まで見続けたものは何だったのか
私は探さずにはいられません。

明治村、犬山城、如庵という
三つのタイムカプセルに耳を傾けたら
小さな囁きが聞こえてきました。

「目に見えなくても
そこにあるものがあるんだよ。
手に取ることができなくても、確かなものがあるんだよ」――。
目に見えない、確かなものを探しながら、巡礼の旅はつづきます・・・☆

ここまで読んでくださって...o(*^▽^*)oアリガトナノデス♪



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