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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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会津キリシタン紀行 part1

野口英世が洗礼を受けた教会

  <本日の主な訪問地>


福島に行ってみよう♪

鶴ヶ城麟閣にて♪秋の三連休
今年は福島に行こうと思い立ちました。

キリシタンというと長崎が思い浮かびますが
福島もまた切支丹王国だったといっても
過言ではないのです。

キリシタン大名の蒲生氏郷が入封して以来
多くの人が入信し、なんと会津若松10ケ村、
猪苗代27ケ村、蔵入地16ケ村がことごとく
キリシタンとなったと記録されています。

そんな土地なら是非行ってみたい!ということで
夜行バス「ドリーム福島号」に乗って出発します (○⌒∇⌒○)☆彡

郡山から会津若松へ

郡山駅

郡山駅


福島県って、来たことがあるようなないような・・・スキーか何かで来たことはあると思うのですが、旅行するのは初めて。

要領がわからず宿を郡山にしてみましたが、ここから会津若松まで結構距離ありそうです^^;

荷物をホテルのフロントに預けて電車でGO!
会津若松の駅で待ち合わせがあるのです (^ー^* )♪

今日は初対面のご夫婦と一緒にまわることになりました(詳しくは後述)
いいご縁になるといいなぁ☆
高巌寺

高巌寺


会津若松駅でご夫妻と合流!
奥さんはクリスチャンですが、旦那さんはノン・クリスチャン。でも優しそうなご主人で良かったぁ♪

早速旦那さんの運転で会津若松の街へ繰り出します。なんでも会津若松に単身赴任していたことがあるのだとか。それで案内を買って出てくれたんですね^^

最初に向ったのは高巌寺。この辺りに蒲生氏郷の孫、蒲生忠郷のお墓があるのです。

高巌寺の石碑

南無阿弥陀仏・・・


由緒正しそうな高巌寺。
入ってすぐの所にあるこれ(←)が忠郷のお墓?
 
何か違うような気がします・・・(後で調べてみたらやはり違いました;;)

蒲生氏郷は高山右近の影響でキリシタンになった大名ですが、その子 蒲生秀行の代になってからは仏教徒に。

蒲生秀行が30才、忠郷は26才。2人とも若死にしてしまったのは、心労が多かったせいでしょうか。

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高巌寺の松
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本堂
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南無阿弥陀仏
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側面

大町札の辻

大町札の辻


続いて向ったのが大町札の辻。蒲生氏郷が会津若松の町割りをした時に、町方の中心とした所です。会津五街道はここを起点としていました。

キリシタン禁制の高札もここに掲げられていました。氏郷亡き後も大勢残っていた会津藩のキリシタンたちは、どんな思いでそれを見上げていたんでしょう。

でも蒲生氏郷の業績を称える説明板があって、ちょっとうれしいです。ちゃんとキリシタンだったって書いてあるし。

氏郷は会津に5年弱しかいなかったけれど、忘れないでいてくれてるんですね◎

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大町札の辻
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クランクになっている
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説明板
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道路の元標

蒲生氏郷の遺髪墓

興徳寺

興徳寺


再び車中の人となってわずか3分。蒲生氏郷のお墓がある興徳寺に着きました。

会津若松で回りたい所をメールで送っていたのですが、ご夫妻はそれを前夜遅くまでチェックしておいてくれたようで、もう今回の旅はスイスイです (≧∇≦)/

たくさん行きたい所がある上、東西南北に散らばっているので、ご夫妻がいなかったら効率よく回ることは不可能でした。あぁ感謝!

神様が人を通して助けてくれているのを感じます♪

蒲生氏郷の遺髪墓参道

蒲生氏郷の墓


境内に入ると奥に見えてくる氏郷のお墓。会津若松市の登録文化財になっているようで、説明板も新しくて丁寧。ぱっと見はお墓というより、五輪塔。

会津で見たかったもの、一つ制覇です☆ 

ここには大徳寺から分骨された遺骨(遺髪とも)が納められているということですが、もし遺髪があるなら氏郷が毒を盛られたかわかると思うのですが、調べた人いないんでしょうか?

このお寺には豊臣秀吉も泊まったことがあるはずですが、そのことは書いてないですなぁ。秋篠宮紀子様の先祖のお墓があるとの看板は出てますが。。。

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本堂
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氏郷の墓への参道
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五輪塔の墓
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説明板

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時世の句
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歌碑の説明
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氏郷顕彰碑
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氏郷の姿

会津若松には歴史ある教会もいっぱい

蒲生氏郷まつり

蒲生氏郷まつり


何気なく外を眺めていると、道路沿いに「蒲生氏郷まつり」の旗が!

秋の連休のイベントなんでしょうか? 
あまり盛り上がっているようには見えませんが、氏郷なのはうれしい限りです♪

会津若松(福島の人はカンタンに「若松」と呼ぶ)には、歴史ある教会もいっぱいあります。その一つ聖公会の教会へ向うこととしましょう ヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ

日本聖公会の若松諸聖徒教会

ツタに覆われた木の向こうに


民家の建ち並ぶ道沿いに現れたツタに覆われた木。その向こうにあるのが日本聖公会の若松諸聖徒教会です。

歴史ある雰囲気だけでなく、森の中のような雰囲気も醸し出していて、童話に出てくるような感じの若松諸聖徒教会。いい感じです♪

中には入れなさそうなので、外から写真だけ撮りました。隣は幼稚園。ここに通う園児たちは毎日楽しいだろうな^^

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若松諸聖徒教会
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中には入れない
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隣は幼稚園
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木製の掲示板

あの、殉教地とか大丈夫ですか・・・?

融通寺

融通寺


奥様「えっ もういいの?」
私 「はい。ちょっと見れたからいいんですー」

もっとゆっくり回ると思っていたらしく(普通はそうですね・・・)、ご夫妻が「じっくり見てもいいよ」と心配してくれました^^;

しかし私たちが見たいのはキリシタンに関係する史跡だったりするので、そうでない所は自然に時短してしまう訳で。。。

――というか、今頃言うのも何なんですけど、こんなふうに一緒に回ってもらっていいんでしょうかね? 
あの、この後殉教地とか行きたいんですけど、ご主人大丈夫でしょうか・・・?

西軍の墓地

西軍墓地入口


そんなことを考えているうちに到着したのは、融通寺の向かいにある西軍墓地。戊辰戦争で亡くなった西軍の人たちのお墓です。

「若松に住んでたけど、ここは来たことないなあ」
ちょっぴり驚いたようなご主人。

しかし奥様(以後M姉さんと呼ばせてもらいます^^)はいたって明るい様子で「そうなんだー。じゃあ来られてよかったね♪」

ナイス・フォローというべきか。
お茶目なM姉さんなのです (b^ー゜)!!

西軍墓地の様子

西軍墓地


次第にバレ始めたようですが、そう、私たち変わってるんです(たぶん、きっと、かなり;;)

ここに来たのも、昔キリシタンが入れられた牢屋が「融通寺通り芝原」にあったと知ったから。

昔の融通寺は今の本町にあったようですが、もしかして何か痕跡や手がかりになるような由緒書きでもないかなと思って来てみたのでした。

痕跡も手がかりもナッシング。でも会津には戊辰戦争の記憶が色濃く刻まれているんだなということがわかりました。

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西軍墓地の説明
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詳しい説明板
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西軍墓地
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融通寺の鐘

野口英世ゆかりの場所へ

野口英世青春広場

野口英世青春広場


ご夫妻と出会って小一時間。自己紹介もそこそこに、お墓やらお寺やらディープな所を回りすぎてしまったので、ここらでちょっと観光地っぽい所に足を延ばします。

女性が好きそうなレトロな町並みの中にある野口英世青春広場。広場の奥に英世の像が建っています。

野口英世は若松で洗礼を受けたクリスチャン。若い頃この辺りに住んでいたので、ゆかりの場所もたくさんあります☆

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野口英世像
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会津藩中屋敷の石垣
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その説明板
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英世ゆかりの地マッフ

野口英世青春館

野口英世青春館


野口英世が5才の時左手の手術を受けた会陽医院跡が、喫茶店(1階)と野口英世青春館という資料館(2階)となって残っています。

青年になった英世は会陽医院で書生として過ごし、勉学に励む一方、山内ヨネという女性に一目ぼれをします。

なるほど確かに青春してたんですね。青春館とはよく名づけたものです (*δ,δ)σ

入るほどではないと思ったので、資料館はスルー。こういうところが観光客っぽくないのかっ^^;

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英世青春館
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2階の窓
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周辺地図
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レトロな建物

歴史ある教会たち

若松栄町教会

若松栄町教会

野口英世つながりでやって来たのが、日本基督教団の若松栄町教会。
ここで英世は洗礼を受けてクリスチャンになったのです。

歴史ある教会の風格と清々しさが漂っています。
さあさ、早速中に入ってみましょう ヾ(@⌒▽⌒@)ノ

若松栄町教会の内部

若松栄町教会内部


シンプルで温かな雰囲気の教会内部。素朴で心のきれいな信徒さんたちが集まってるんでしょうね。

聖堂の後ろの方に小部屋には、この教会の歴史を証する資料が展示されています。

コピーではありますが、英世の名(野口清作)が残る信徒名簿も!

野口英世といえば偉人伝の常連さんですが、一人の信徒としてここに通ってたんですねー。

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説明板
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教会入口
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ステンドグラス
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信徒名簿

ここにも英世は通っていた!?

カトリック会津若松教会

カトリック会津若松教会


続いて訪れたのが、先ほどの教会の近くにあるカトリック会津若松教会。

こちらも歴史を感じさせる建物です。

それでは中に入ってみましょう ρ(^-^*)ノ


カトリック会津若松教会

カトリック会津若松教会は畳の教会!!

ドアを開けると目に入ってくるのが鮮やかなステンドグラス。
その光が模様を描き出しているのは、畳です☆

おお、畳の教会!!
津和野以来です♪
この雰囲気大好き (..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ハレルヤーー!!

教会で一番古い建物

ここで一番古い建物


脇の小部屋でお花を準備していた信徒さんに挨拶をすると、この教会のことをいろいろ教えてくださいました。

礼拝堂よりも隣の建物が一番古い建物であること。そして野口英世は最初、英語を学ぶためにこの教会に通っていたという事実!!

なんでも英世に言い寄られた女性が困って神父さんに相談し、神父さんが英世に注意をしたところ、英世は別の教会に行って洗礼を受けたのだとか。何ともまぁ・・・。

面白いお話を聞かせてもらった上に、猪苗代のキリシタン史跡に関するパンフをくださいました。感謝いたします ヽ(^-^ )♪

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カトリック会津若松教会
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聖堂内
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信徒席は畳
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ステンドグラス

やっと鶴ヶ城

鶴ヶ城

鶴ヶ城は工事中・・・


午前も残り少なくなったところで、やっと普通の観光客が一番に訪れそうな所に到着。鶴ヶ城です。

しかし曇った空にそびえていたのは、修復工事中の鶴ヶ城・・・。赤い瓦屋根がとても立派らしいのですが、想像するしかありません;;

M姉さんが「仕方ないから、こっちでも写真撮って^^」と、指さしたのは「お城ボくん」(左の写真をポインタすると現れます)

M姉さん、キュート過ぎます・・・( ̄∇ ̄;)ハハハ

鶴ヶ城遺構

鶴ヶ城築城当時の遺構


鶴ヶ城の外側は覆われていましたが、中は見学することができてよかったです^^
築城当時の遺構や銀の鯱を間近に見ることができました。

外の石垣や武者走りとかも残っていて、(にわか)城ファンにはたまらないものがあります。

展示物を見ながらM姉さんが気づいたのは、旦那さんの家の家紋が蒲生家と同じだということ。縁続きだったりするかも? これもまた歴史ロマンですね♪

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武者走り
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武者走りの解説板
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銀の鯱
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石垣

麟閣

麟閣


鶴ヶ城は蒲生氏郷のことを知りたいと思ったら欠かせないお城なので、それだけでも来た甲斐があったと言えますが、ここに来たかったもう一つの理由は、麟閣という茶室があるから。

この茶室は千利休の子である千少庵が建てたもの。

氏郷は利休の切腹後、息子の少庵を会津に匿って千家が滅ぶのを防いだのです。それで利休七哲の一番に挙げられるようになった訳ですが、実に男気があるじゃないですかっ!!

高山右近を匿った小西行長といい、キリシタン武将たちの信義の厚さが偲ばれます。

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解説板
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麟閣入口
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庭を眺めてお抹茶を♪
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庭園

薄皮饅頭片手に・・・

レオ氏郷南蛮館

レオ氏郷南蛮館


鶴ヶ城を後にして、再び若松の城下町へ。小腹がすいた私たちにM姉さんが籠一杯のお菓子盛り合わせをくれました ヽ(*'0'*)ツ

福島といえば、ままどおるとエキソンパイしか知りませんでしたが、柏屋の薄皮饅頭が美味しくてびっくり☆ これだけのためでも福島に行く価値があるかも!?

そんなこんなで、レオ氏郷南蛮館は写真だけ撮ってスルー。中に入った人が、金ぴかの部屋とどこから出てきたかわからないマリア観音とかしかないと書いていたので・・・。

見性寺

見性寺


続いて向ったのが見性寺。処刑されたキリシタンが葬られたお寺です。

葬られたといっても、遺骨を無縁仏の墓塔の下に埋めただけでしょうけど、受け入れてくれただけでも有難いというべきかもしれません。

こういう正にマイナーとしか表現できない場所にスムーズに来られたのは、ひとえに旦那さんのおかげ。

旦那さんが運転を買ってでてくれなかったら、行きたい所の半分しか行けなかったでしょう;;

見性寺石仏

墓碑だったであろう石仏


無縁仏の墓塔を写真に収めようと境内を歩くと、目につくのが頭や顔が壊された石仏。

何かの本にも、会津のお寺のお地蔵さんとかは顔が削り取られていたり、頭がなかったりするものが多いと書いてあったけれど、「まさかー」と思ってました。

キリスト教は偶像崇拝を禁止しているから、キリシタンが壊したんだという人もいそう・・・。

まだいくつかしかお寺に行ってないから、ほんとにそういう石仏が多いのかわかりませんけど、何かひっかかりを感じました。

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本堂
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無縁仏の墓塔
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小さなお堂
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石仏

キリシタンが使ってたかも!?

阿弥陀寺

阿弥陀寺


そろそろ殉教地に向かいたいのですが、その前にもう一ヶ所、気になってる所に寄ります。

それは鶴ヶ城唯一の遺構、御三階。もとは本丸にあったのを明治初年に移築し、戊辰戦争でこの寺のお堂が焼失してからは本堂として使われていた建物です。

この阿弥陀寺には戊辰戦争で亡くなった会津藩士や新撰組の人も葬られています。日本が新しい体制になるとき、会津では多くの血が流されたんですね。

御三階

内部は四階建ての御三階

こちらが噂の御三階。
三階建に見えますが、中には隠し階があって、実は四階建。
その階の灯りは一切外にはもれません。

重要な密議に使用されたのではといわれていますが・・・。
もしかしたら城内のキリシタン武士たちがミサに使っていたのかも!?
私の勝手な推測ですが☆

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御三階
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御三階の正面
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解説板
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屋根の御紋

ここからは殉教地

旧湯川

旧湯川


M姉さんの旦那さんは歴史好きな方のようで、私たちのマニアックな観光にも興味深げに付き合ってくださっています^^

ならばこの後も大丈夫でしょう!!

ここからは殉教地巡りですが、歴史という意味では重要な場所ですし。ほら、男の人って、人が多い所が苦手だったりするじゃないですか!?

旧湯川が見えてきたので車を停めてもらい車外へ。ここに架かっているのが柳橋。昔は涙橋と呼ばれていた橋です。

ここが涙橋と呼ばれていたのは、刑場に向う人たちが、家族と別れた場所だから。

涙橋

涙橋


その中には多くのキリシタンがいました。柳橋のたもとの大きな解説板には、キリシタンの殉教について詳しく書いてあります。

夫と私が解説板の写真を撮ろうとしていると、ベンチで休んでいた女性が立ち上がって、解説板にかかっていた柳の葉をよけてくれました。

それだけでも感激するのに、解説の文字が所々読めなくなっているのに気づいて、「直すように役所に言っておきますね」と。。。

何とまあ親切な・・・。福島ホスピタリティに感動です♪⌒ヽ(*゜O゜)ノ スゴイッ!!

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柳橋
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大きな解説板
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解説
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旧湯川

キリシタン塚

キリシタン塚

キリシタン塚

涙橋を渡り国道252号線を少し北上すると、案内板が現れます。
こちらが薬師堂河原刑場跡に建つキリシタン塚。

寛永12(1635)年、キリシタン横沢丹波の一族数人と、横沢家に匿われていた外国人宣教師が処刑された場所です。
周囲には民家があるものの、何か物寂しい雰囲気が漂っています。

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手前には祭壇
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解説板
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由来を記した碑
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薬師河原橋

薬師堂河原

薬師堂河原


解説板には書かれていませんが、寛永8(1631)年にも42人のキリシタンがここで殉教しています。

会津藩では加藤明成が父の跡をついで第二代藩主になってから、一段と厳しいキリシタン狩りが行われるようになり、400~500人のキリシタンが野島牢に入れられました。

拷問を受けても棄教しなかった42人が、牢から出され市中引き回しの上処刑されたのです。そのうち26人が火刑、子供16人が斬首でした。

黒川刑罰場跡の候補地①

黒川河原刑罰場跡


つづいて薬師堂河原に刑罰場が移される前の黒川刑罰場跡とみられる場所に向います。

黒川刑罰場は会津に加藤氏が入封する前まで使用されていた会津藩仕置場。

当時の史料から、私が推測しただけなので、確かとはいえませんが・・・。

黒川刑罰場跡の候補地としては、あともう一ヶ所が考えられるので、後ほど向ってみたいと思います。

ここらでブレイク☆

ディープな史跡を巡ったところで、そろそろお腹もすいてきました。
ここらで少しブレイクし、ちょっと気持ちもほぐしてみましょう☆

M姉さんと観光案内所で美味しい和食のお店をきいてみたところ
すすめられたのが、十割そばの店「きよ彦花」さん。
シックな外観ですが店内は季節の花が飾ってあったり、とってもセンスが良くてすてき♪
お餅入りの力そば かき揚げそば
 
 こういうお店で食事したりなんかして街を歩いたりするのもいいよなぁと
 久しぶりに女性らしい気持ちにもなったりして。。。
 とはいえ、表に出たらまた殉教地とキリシタンにスイッチが入って駆け巡ることになりそうですけど^^

 会津の良さを知りました☆☆☆(私的には星三つ!!)
 

午前の部はここまで

                

さて食事をしながら話をしていたら、         
M姉さんは最初、みんなでツアーみたいに行くのだと思っていたのだとか。

私は去年一緒に史跡を巡った仙台在住の友だちに会津塗の器☆
「今年は福島に行きたいんだけど、一緒に行かない?」
とメールしたのですが、その友だちが自分の教会で
「会津キリシタン紀行に行きませんか~?」
と広告したそうで。

それでM姉さんはみんなで行くなら楽しいだろうと思って
「行きたいです」と返信したそうです。
まさか行くのが自分だけになるとは思いもしないで・・・。

仙台在住の友だちには最終日にだけ会えるので
それも楽しみですが、今回このような形で
初対面の方々と縁を結んでくださった神様に感謝です♪

導いてくれる主と、ご夫婦のおかげで、午前中だけで随分たくさんの場所に行けました。
内容ぎっしりなので、午後の部はpart2に分けて書きたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます!!
宜しければ最後までお付き合いくださいまし (* ̄∇ ̄*)ノノ

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