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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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会津キリシタン紀行 part2

飯盛山のさざえ堂

  <この後の主な訪問地>


史跡めぐり再開☆

小館山稲荷

小館山稲荷


お腹も満たされたところで史跡めぐり再開☆ まずは小館山稲荷へ。

ここには昔伊達政宗のお母さんが住んでいました。しかしこのお母さん、正宗よりもその弟の方を愛して、正宗を殺そうと企てます。

正宗を呼び出した母は、ここで正宗毒殺を試みました。助かったとはいえ、人間不信になったかもしれませんね・・・。

母といえば無償の愛が思い浮かびますが、ゆがんだ愛は恐ろしいです。

融通寺通り周辺だけど・・・

野原獄屋があった辺りは?


さてここを訪れた理由はもう一つあります。小館山稲荷のある本町というのが、昔融通寺があった所で、融通寺通りはその前の道。

会津藩の領内各地から捕らえられてきたキリシタンたちが入れられた野原獄屋と呼ばれた牢屋はこの辺りにあったはずなのです。

しかしそれらしい解説板も碑もない、、、のは当然ですかね。マイナーだし、負の部分だし。

M姉さんと通りがかりの人に尋ねてみましたが、怪訝そうに「知らないねえ」と言われてしまいました。そりゃそうですわな;;

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小館山稲荷
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解説板
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社殿
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石灯籠

石塚観音

石塚観音


続いて訪れたのが、JR西若松駅の近くにある石塚観音。蒲生氏郷の息子、蒲生秀行の正室が信仰し保護したお寺です。

秀行の正室 国姫は徳川家康の三女。この結婚は奥州にまで徳川家のにらみを利かせるために調えられたものでした。

この時代、政略結婚は普通のことでしたが、会津ならではの特殊な事情、キリシタンを押さえ込む役割も担っていたので、国姫はこの観音寺を保護して見せたのでした。

秀行は父が存命の頃、キリシタンになる決意をしていましたが、ついに洗礼を受けずに死んでしまいました。  

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石塚観音参道
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案内板
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社殿
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手水鉢

この暗い雰囲気は何!?

蒲生秀行の墓

弘真院

国姫ゆかりの観音の次は、蒲生秀行の眠るお墓へ。
秀行の菩提寺 弘真院は、現在お寺はなく、秀行のお墓だけ。

草地の中にお堂と屋根に守られて建っています。
しの降る雨の中に建つその姿は、なんとも寂しげ・・・

蒲生秀行のお墓

蒲生秀行の墓


傘もささずにお堂に駆け寄って、中を覗いてみたら、亡霊のように蒼白いお墓が無言でたたずんでいました。

ぞっとしてしまって、声も出ません。
この暗くて重苦しい雰囲気は一体何なんでしょう?

うめきにも似た圧力が、ひしひしと押し寄せてくる感じです。

気のせいだ。雨の中で暗いお堂を覗き込んだら、誰でもそう思うんだよ、きっと・・・。そう思いたかったのですが、できませんでした。

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秀行公廟
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解説板
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屋根に守られている
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石灯籠

蒲生氏郷が建てたお寺

恵倫寺

恵倫寺


寒気を振り払いながら、次なる目的地、恵倫寺へ。ここは蒲生氏郷が父のために建てたお寺。

氏郷は自分がキリシタンでも父はそうでないからと思って、お寺で菩提を弔うようにしたんでしょうね。

自分の立場だけでなく、いろんな人の気持ちまで冷静に考えることのできる人だったということがわかります。

キリシタンの中にはお寺や神社は偶像だ、悪魔だと言って破壊したりした人もいたので・・・。

こういうことは、現代にも通じることかと思います。

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恵倫寺入口
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解説板
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山門には迫力ある
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阿吽の像!

キリシタン地蔵?

宝積寺


恵倫寺のすぐ近所にあるのが宝積寺。このお寺の参道入口にあるお地蔵さんを見たくて寄ってみました。

このお地蔵さんの持っている錫杖に注目!! 輪っかの中に十字が刻まれています。

これをキリシタンと関係ありとして、このお地蔵さんをキリシタン地蔵と呼ぶ人もいます。

M姉さんは「私には十字架に見える!」と言ってましたが、どうなんでしょう!?

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お地蔵さんは
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キリシタン地蔵さん?
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十字架なの?
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頭を補修した像

黒川河原刑場跡の候補地②

黒川河原だったのかな?

黒川河原の刑場跡か?


キリシタン地蔵で少し和んだ(?)ところで、黒川河原刑場跡の候補地②に参ります。

史料によると黒川河原は別名、宗英寺河原と呼ばれていて、鶴ヶ城の東、天寧寺口を出て黒川(湯川)の畔に出た辺りが宗英寺河原となるんじゃないかと思いまして・・・。

古地図と現代地図を照合して、この辺りじゃないかなーと思った所に来てみたのですが、やはり何もないですねぇ;;

犬の散歩にもってこいな感じ、、、かな。

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黒川は
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コスモスが揺れ
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草はぼうぼう
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鴨が暮らしてる

天寧寺町土塁

天寧寺町土塁


河原から再び街へ。でも降り立ったのは、またまた緑と土の風景。

しかしここ、結構町中にあるんです。国指定の史跡、天寧寺町土塁といって、鶴ヶ城の城跡。

蒲生氏郷が鶴ヶ城を改築した際に造った防御のための土塁だそうです。解説板が出てないと、ただの土手に見えてしまいますけど^^;

氏郷が会津に理想を思い描いていたことが感じられます。もうちょっと長生きしてくれたら良かったのになあ。。。

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天寧寺町土塁
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解説板
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土手に見えるけど
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鶴ヶ城の遺構なのさ!

日本基督教団の会津若松教会

日本基督教団 会津若松教会


天寧寺町から近かったので寄ってみたのが、日本基督教団の会津若松教会。

同じ日本基督教団の教会が、栄町にもありますが、こちらはコンクリート造りでモダンな感じ。

一般の信徒さんたちは、こちらに通うことが多いのでしょうか?

会津若松は有名な観光地だけど、来てみると思ったより静かな街。でも教会は結構たくさんあったりして、今も信仰が息づいている感じがします (o^-^o) ノ

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会津若松教会
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教会入口
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近くにあった碑
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旧阿弥陀町

飯盛山にも行ってみる!

白虎隊のお墓

飯盛山 白虎隊のお墓


「せっかく来たんだから飯盛山も行かなきゃ!」

M姉さんのプッシュにより、予定にはなかった飯盛山にも行くことに。

会津若松に来たのに飯盛山に行かなかったら、後で後悔するかも。一度は行ってみるべきですよね。

小高い山の中腹にあるのが白虎隊のお墓。お線香の煙がわびしく漂っています。

十代の若者たちが19人も自刃したなんて、天からご覧になった神様はどう思われたでしょう。

ポンペイ遺跡の柱

なんでポンペイ!?


白虎隊の少年たちのお墓の向かい側にあるのが、この不釣合いなオブジェ。

後ろにはアルファベットで「SPQR」と刻まれています。SPQRって、ローマ帝国と関係ある言葉じゃなかったっけ!?

解説板によるとこのオブジェ、古代ローマのポンペイ遺跡にあったもので、白虎隊の話を聞いて感動したムッソリーニから贈られたものだとか。

なんだかびっくりです。何と言っていいのか。どう考えていいのか・・・。奇妙な感じ、です。

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碑の解説板
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刻まれた文字
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鶴ヶ城を見る隊士像
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若松の城下町

ぐるぐるのさざえ堂

さざえ堂


お墓のある所から少し下ると見えてくるのが、城下を見下ろす白虎隊士の像。

戊辰戦争のおり藩主 松平容保の命で出陣した白虎隊士たちは、力及ばず退却してくる途中、戸ノ口堰洞門を通ってここに至りました。

少年たちが城下を見下ろすと、火に包まれた町と鶴ヶ城が見えたので、最早これまで、藩主と運命をともにしようと自ら命を絶ったのでした。

藩主の方は戊辰戦争後も生き延びて、明治13年からは東照宮宮司の職まで受け、明治26(1893)年まで生きたのですから、皮肉なものです。

少年たちのことを考えながら、再び降り始めた雨の中を麓に向って下りて行くと、ぐるぐる巻きの建物を発見。さざえ堂です。

入口から入ってぐるぐる回って順路を進むと、出口まで出て来られるのだとか。混雑してたので入場はパスしましたが、外から眺めるだけで十分美しさを堪能できました☆

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さざえ堂
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入口
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戸ノ口堰洞
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解説板

まだ時間あります (゜ロ゜)/

大塚山墓園

大塚山刑場跡


飯盛山を下りて来て時計を見ると、まだ1時半。
「すごい、時間ぴったりだよ!こんなに回ったのに」

M姉さんの言うとおりです。こんなにいろんな場所に行った上に飯盛山もプラスしたのに、最初に立てた予定に時間がぴったり。感謝なのです!!

しかし次なる目的地はまたもや刑場跡。さすがに旦那さんに申し訳ないような・・・と思っているうちに到着してしまいました^^; 大塚山刑場跡です。

現在は大塚山墓園となっているのを地図で見て知っていましたが、想像以上の規模で、右も左も全部お墓。お墓ランドといった趣です w( ̄▽ ̄;)w

古墳もあります

大塚山には古墳も


古くは4世紀末、古墳が造営された山なので、昔から死と関係のある場所として使われていたのでしょうか。

江戸時代は刑場となり、その後競馬場だった時代を経て現在のようになりました。山の斜面に造られたお墓を見ると、それぞれの寺院に属した形で建てられているのがわかります。

市の開発に伴い、寺院の墓地を集中させる必要性が出てきて、各寺院の墓地だけがここに集められるようになったのではないでしょうか。

古墳があったことは書いてありますが、刑場だったとは書いてないですね。そういう場所もそういうことがあったということも、全部歴史だと思うんですけど。

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古墳の地図
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古墳の解説板
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山の様子
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広い墓園

キリシタンが住み、教会があった場所!

天子神社!!

天子神社

大塚山を下り、続いては天子神社に向かいます。
ここは今回是非とも来たかった場所。
すんなり見つかってうれしいです☆

子供の遊具とか見えてて、規模も大きくありませんが、ここはキリシタンの教会があった場所なのです。
今も「天子(てんし)」という名が残っているなんて♪

天子神社の文字が^^

天子神社の鳥居


境内の解説板には一応キリシタンについて書かれていますが、少し物足りない感じ。

若松に三つあったとされるキリシタン教会のうちの一つがここにあったわけで、それってかなり価値があることだと思うんですけど。

当時この辺りにはキリシタンが多く住んでいたので、切支丹町とも呼ばれていました。

預言者が故郷で敬われないというのと同じで、自分がいつも暮らしている場所だったりすると、偉大さに気づかないのかもしれませんね。。。

観光地化してほしいわけではないですが、もうちょっと意義をかみしめてほしいなぁ (´へ`;ムゥ

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天子神社入口
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鳥居と参道
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解説板
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現在のお堂

天子ノ宮を探しまわって・・・ (≧д≦)

天子ノ宮


次なる目的地もまた教会跡。天子ノ宮といわれている所です。
この二つと御三階が会津若松にあった3つの教会だったのかも、と私は思っているのですが、
この天子ノ宮を探し当てるのにものすごーく苦戦しました;;

「居合(イアワセ)」という地名だけわかっていたので、その周囲をぐるっと回り
歩行者はもちろん、家のピンポンを押してまで尋ねまくったのですが、誰も知っている人がいなくて
もうだめかと諦めかけたところで目に入ったのが、雨の中を犬を連れて散歩するおじいさん。

その存在がというよりは、派手な花柄の傘が目立っていたので声をかけたのですが、
にこにこしながら場所を教えてくれました。これぞ亀の甲より年の功!!
やはりその土地で長く生きている人は違います☆

天子ノ宮

天子ノ宮

さあご覧下さい、これが天子ノ宮です!!
と、ご紹介したいところですが、現在はただの丘です。

何十年前までは祠があってそう呼ばれていたそうですが、今は祠さえありません。「新しく家が建てた時に壊した」とおじいさんが言ってましたが、その新しい家というのもたぶん30年は経ってる感じ・・・。

別角度からの天子ノ宮

別角度からの天子ノ宮


インターネットとかでキリシタンに関する史跡を紹介しているのを信じて、その通りのものを探していましたが、そういう情報って、昔の本からのコピーだったりするんですね;;

HPに載っているのは昔の写真をスキャンしたものだということがわかりました。やっぱり自分で行って自分で確かめてみなきゃ。。。

とはいえ、貴重な情報を下さったおじいさんと、おじいさんに出会わせて下さった神様に感謝です!! 

見ることができて良かったです ♪(*´▽`*)ノ゛

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どこから
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どう見ても
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ただの丘ですが
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天子ノ宮なのです!

今から猪苗代 !?

これからどうする?



時計を見ると時刻は3時半。スケジュール通りです。
もっと時間が押すだろうと思っていたのですがこれならもう少し見て回れそうですが
喜多方方面に行くと、M姉さんの家から遠ざかってしまいます。

そこで猪苗代方面に行ってみたいですと提案してみました☆
今から向ったら着く頃には日が暮れているかもしれませんが、
猪苗代のバテレン塚という殉教地を是非M姉さんにも見せたいなと思ったのです。

あ、私も見たことないし、M姉さん夫婦の方が地元なんだからいつでも行けるのかもしれませんが^^
じゃあそうしようということになり、若松にサヨナラを。
旦那さんのナビで、今度は夫が運転して出発 ρ(^-^*)ノ

土津神社の前を通り過ぎて

猪苗代到着


旦那さんの完璧なナビで市街地の混雑を避けて、小一時間ほどで猪苗代に到着!

土津神社の前に出ましたが、神社に行く前にまずはバテレン塚に参りましょう。森の中にあるので、暗くなったら行けません(+こわい;;)

神社の前の道を少し進んで右手の小さな駐車場に車を停めると、「キリシタン殉教の地」と書かれた案内板が見えてきます。そこから森に入って行くとあるようです。

「キリシタン殉教の地」碑

キリシタン殉教の地に建つ碑


薄暗い森の中の小道を進むこと3分。見えてきたのは、「キリシタン殉教の地」碑と解説板。その周りに苔むした石が積まれています。

長くバテレン塚と地元で呼ばれてきたこの石塚。バテレンとはPadreのことで神父という意味なので、ここで殉教した人が神父でないなら、正確にはキリシタンというべきなのでしょう。

それで今では「キリシタン殉教の地」として顕彰するようになったんでしょうね。じっとお祈りするM姉さん。やっぱり一緒に来られてよかったな。

キリシタンの墓

キリシタンの墓?


三つ並んでいる石の塚が処刑されたキリシタンの墓といわれているものです。

一説には、蒲生氏郷の家臣で、猪苗代城の城代であったキリシタン武将 岡越後とその妻子の墓だとも。

氏郷亡き後、岡越後が迫害されたのは確かですが、処刑までされたのかは不明です。

しかし岡越後がいなくなって以降、棄教を否むキリシタンがことごとく処刑されたのは事実で、ここに彼らの遺体を埋めたのかもしれません。

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顕彰碑
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三つの塚は
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キリシタンのお墓?
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暗くて写真ボケました;;

秋の日はつるべ落としの如く・・・ 

土津神社

土津神社はかなり大きな神社

森から出てくると急に空が暗くなったように感じました。
秋の日のつるべ落とし、とはよく言ったもので、その通りの展開。

つまり先を急がねばなりませぬ。
せっかくここまで来たのだから、とりあえず土津(ハニツ)神社はクリアしましょう☆

保科正之公のお墓

保科正之公のお墓


土津神社の参道は、進めば進むほど足元が悪くなってきて、一番奥にある保科正之公のお墓の前に至っては、ちょっとした泥川。

あいにくの天気の上に時間も時間なので、人もほとんど見かけることがなく、一人だったら心細くなりそうな感じ。

M姉さんだけが「こういうの、私好きなんだ。トトロみたいで♪」とおっしゃっています。。。
まあそう言われてみると、そんな気もしてくるから不思議です^^

保科正之は、キリシタンを迫害しまくった徳川家光の弟。しかし正之は領内のキリシタンをできるだけ見て見ぬ振りをしていたのだとか。

どんな時代で、どんな地位や立場でも、良心的に生きる人はいるんだということですね。

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亀石と碑
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参道と鳥居
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案内地図
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保科正之公墓の解説

天子ノケヤキ!?

天子のケヤキを探して・・・


ここで今日を終えていたらよかったのですが、猪苗代城のそばに天子神社という教会跡があったということを思い出し、近くにあるなら見てみたいと欲を出してしまったのが間違いの始まり。

そこには天子ノケヤキと呼ばれる巨木があるという情報を元に、ケヤキケヤキと探し回ることに・・・。

雨も本降りになってきて、気温は下がるし、真っ暗になるし、農道に入り込んで車も人もドロドロに。どつぼにはまるとはこのことです (>_<;)

「これかなあ」と撮ったのがコチラ(←)ですが、後で違っていたと判明;;

最後の最後になって車を泥んこにしてしまってすみません (;´□`;)ぁぅぅ・・・

無事郡山に。。。



再び車中の人になり一路東へ。旦那さんの天才的なナビで無事郡山に到着できました☆
心からの感謝をこめてご夫妻に挨拶をして、名残惜しい気持ちで手を振りました。

ネオンでギラつく郡山のアーケード街は、若松や猪苗代からすると「下界」という感じ。
それだけ一日神様の中で過ごせたということですから、ありがたいことですけど^^

さてと、今日の夕飯はラーメン。
できるだけ油ぎったのを食べてエネルギーをチャージ!!

アーケード街のラーメン屋さん「麺屋 くさび」にて
ラーメンで 油分をチャージ!

赤丸豚骨醤油

白丸味噌豚骨


長い一日を終えて



夜行バスで一睡もできずに着いて、怒涛のごとく過ごした一日。
私たちにとっても長い一日だったけれど、
こんな強行スケジュールを共にしてくれたご夫妻はどんなに疲れただろうと思うと・・・。

しかしご夫妻の力なくしては、行くべき所には行けなかったのは事実。
聖書の預言では、メシヤは雲に乗ってくると書いてあるけれど
今日は人の雲に乗せてもらって、いろんな所に行かせてもらったのかも☆

それならば私もまた雲になってみたいです。        天子ノケヤキだと思っていた木・・・
私に乗って、主がこの世界を見て回って下さるような、そんな雲に。
まあ、その前にはもう少し清い人間にならねばなりませんけど (・・。)ゞ

目をつぶると見えてくる天子ノケヤキ・・・
(後で間違いだったと判明しましたが;;)
明日もいい日になりますように!!

ここまで読んでくださって・・・
(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)うございました♪

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