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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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会津キリシタン紀行 part3

キリシタン殉教地・バテレン塚

  <本日の主な訪問地>


いざ猪苗代へ!

猪苗代城跡のコスモス

まずは猪苗代城跡☆               

                              
今日は夫と2人、レンタカーで回ります。
とりあえず昨日消化不良で終わってしまった猪苗代へ。
そこから南会津地方をぐるりとめぐって戻って来る予定です。

すべてのことを主に委ねて。。。出発 ρ(⌒-⌒。)ノ イッテミヨー♪

猪苗代城跡

猪苗代城跡


まずは猪苗代城跡へ。猪苗代城は別名亀ケ城。現在は亀ケ城公園となっています。

ここは蒲生氏郷に従ったキリシタン 岡越前が城代を務めていた城。本丸に登れば岡越前が眺めていた風景に出会えるはず!

誰もいない駐車場に車を停めて、公園の地図をチェックしていると、「野口英世」の文字が。

解説板によると野口英世は猪苗代生まれで、小さい頃この城跡で遊んでいたのだとか。猪苗代城はキリシタンとクリスチャンの両方に縁があったんですね。

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今も残る石垣
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解説板
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城内の配置図
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野口英世ゆかりの地

亀ケ城本丸跡

猪苗代城跡・本丸

近年造られたらしい長い階段を上って行くと、ほどなくして頂上に到着。
この辺りが亀ケ城の本丸でした。

キリシタン城代 岡越後はここで政務を執っていたんですね。
岡越後は慶長14(1609)年から元和8(1622)年の14年間、猪苗代城代でした。

本丸からの風景

本丸からの風景


岡越後は若くして蒲生氏郷に仕えた勇猛な武将で、伊達政宗とも直接対戦したことがあったとか。

氏郷亡き後正宗は、越後を3万石出すからとスカウトしたのですが、越後は「旧主の好み、忘れがたし」と蒲生秀行に仕えることを選びました。

その後秀行の命で、命を奪われることになるとは・・・。越後の後、猪苗代城代になったのは越後の甥。彼は一旦はキリシタンになったものの棄教した人でした。この時、城代の座を争ったのが井上政重(諸説あり)。

越後と同じく氏郷の家臣で、洗礼を受けるも棄教。城代になれなかったので江戸に行き家光に仕えて、キリシタン迫害の中心たる切支丹奉行となりました。

そう考えると、このほとんど何も残っていない城跡は、歴史の分岐点だったということができます。

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木々と鐘楼
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緑で覆われた城跡
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雁木の跡
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野口英世像

天司のケヤキはいずこに・・・!?

「しおや蔵」さんの史跡

しおや蔵さん


よし次は天司のケヤキだっ!

カトリック会津若松教会でもらったパンフを見ていたら、昨日これだと思っていた木はどうも違っていたようで・・・Σ(゜m゜=)!!

しかし現地に来てパンフの地図を見て探してもまったくそれらしいものはなし;;

人に尋ねてみましたが、その人もよくわからず、お蕎麦屋さんの女将さんを呼んでくれて、それでやっと場所がわかりました。感謝です!! 

女将さんからは「興味があるなら」と猪苗代に関する本を2冊もいただいてしまいました。お蕎麦屋さんなんだから食事くらいしていけばよかったのですが、時間がなくなってきていたので・・・。

あのぅ、みなさんが訪れる際には「しおや蔵」さんでお蕎麦食べてみてくださいね。敷地には史跡もあります☆ よろしくお願いします<(_ _)>

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しおや蔵さんの蔵と
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お稲荷さん
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お蕎麦もよろしく!

天司のケヤキ

天司のケヤキ

そしてやっと見つけました。天司のケヤキ!!
天司は天子とも、ケヤキは大ケヤキともいいますが、どちらも同じ☆

ここにキリシタンの教会があったと伝えられています。
当時ここは猪苗代城の敷地内に位置していましたから、岡越後らが訪れていたことでしょう。

天司のケヤキの向かいの店

天子のケヤキの向かいの店


ちなみに会津若松でもらったパンフの地図については、猪苗代住民の方々は「いい加減過ぎる」と怒っていらっしゃいました;;

実際に訪れた人が書き直すのがいいかもしれませんね◎

しかし道沿いでなく駐車場のような空き地の奥にあるので、とても見つけにくいのは確かです^^;

「キリシタンのあしあと」の方に地図も載せますが、「しおや蔵」さんのある通りで、この店舗(←)の道を挟んだ向かい側の、駐車場みたいな空き地の奥です。

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この通り沿いの
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JAの敷地内の
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倉庫の裏に
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天司のケヤキはあります

西勝寺に寄り、磐椅神社へ

西勝寺

西勝寺


「しおや蔵」の女将さんが「西勝寺に行って聞いてみるといいよ、和尚さんが詳しいから」と教えてくれたので、少し北上してお寺に行ってみました。

しかし本堂が工事中のためか人影がなく、来意を告げてご住職に話を伺うのも気が引けて、境内を見学だけしてきました。

後で調べてみたら、このお寺、以前は新町でなく鶴峯にあり、迫害時にはキリシタン詮議の場として使われていたようです。知らずに訪れたのですが、見学だけでもできてよかったです。

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西勝寺
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修復工事中
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壊された石仏が
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やっぱり多い・・・

磐椅神社に続く道

磐椅神社への道


車で土津(ハニツ)神社の参道入口まで行き、車を停めて磐椅(イワハシ)神社に向います。

磐椅神社へは案内板も出ているので迷わず着けそう。あまりに細い道だったので私たちは歩きましたが、小型車なら神社の近くまで行くことができるようです。

途中は鬱蒼とした木々が生い茂っていて、神聖な雰囲気。川の流れも清冽です。

ただ少し、もの寂しいような気がしてくるのは、ここで起こったことを知っているからでしょうか。。。

磐椅神社

磐椅神社


15分ほどで磐椅神社に到着。社殿の前に大きな木が育ってしまってうまく写真が撮れなくなってます;; 

この木が幼木だった頃から神社があったということだから、随分前からあった神社だったことがわかります。

この神社、キリシタン史にも名前が出てきます。領民がことごとくキリシタンになったため、氏子がいなくなり経済的にやっていけないという訴えをお上に出したからです。そういう時代まであったんですね。

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磐椅神社
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磐椅神社解説板
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神社前の大木
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大鹿桜

猪苗代セミナリヨ跡?

猪苗代セミナリヨ跡は・・・?


この神社の西隣に猪苗代のセミナリヨがあったといわれているので、向って左手の辺りに遺構を探してみましたが、、、ないですねぇ。

ま、当然ですけど、少しくらい雰囲気が残っているかなと期待してたので、残念;;

でもこの辺りに熱心な信徒たちがいたことは確かなので、足を運べてよかったです♪

キリシタンの処刑地である猪苗代成就院は、この神社の一ノ鳥居の南方200mにあったということなので、南面の斜面を下って麓方向に歩いてみます。

セミナリヨの生徒たちを思う

空を見上げて


スキー場に行く大きな道路ができるまでは、磐椅神社へのメインの参詣路だったであろう、細い道を下って行くと、所々に古い敷石が残っています。

セミナリヨに通った少年たちが踏んだかもしれませんね。きっと、はやる気持ちで息を切らして上って行ったのでしょう。

こういう古めかしい場所にたたずむと、当時と今と目に映っているものはそんなに違いないだろうな・・・と時間の境目が消えていくような気がします。

甲高く鳴く鳥の声に誘われて空を見上げると、美しく澄んだ青が神様の瞳のように感じられました。彼らのことも、こんな慈しみ深い瞳で見守っていらしたんでしょうね。

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参道
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敷石
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小さく見えるのが私
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熊出没注意!!

六地蔵尊

キリシタンゆかりの六地蔵発見!


麓に近づくにつれて右手に墓地が現れてくるのですが、その中にこんなお地蔵さんを発見(←)。よく見ると錫杖に十字架がついています (゜0゜)!!

このお地蔵さんを建てたのは、金海上人という成就院のお坊さん。成就院で処刑された多くのキリシタンの霊を供養するために十字架を刻んで建立したのだとか。

探していたわけでもないのにすごいものに出会えました!! 感謝なのです☆

バテレン塚ふたたび

猪苗代の風景

成就院見つからず・・・


成就院のお坊さんの建てたお地蔵さんまであったのだから、参道を下りた所に「キリシタンの殉教地、成就院跡はコチラ」みたいな案内板がないかなと、ちょっと期待していたのですが、なっしんぐ。

のどかな風景が広がっています。のどかといっても、町の雰囲気もあって、田舎とは違うなあと思うのは、やはり城下町だった名残がどこかに残っているからでしょうか。

成就院もそれらしい所もないので、とりあえず駐車場まで戻ります。調子に乗って下って来てしまったけど、帰りは上りだよぉ・・・(;´Д`A ```

バテレン塚

バテレン塚

30分かけて駐車場に到着(私もやるねっ☆)
そこからそれほど遠くないので、再度バテレン塚に行くことに。
昨日来たばかりだけれど、昨日は夕方だったし、解説板の写真もブレちゃったので。

キリシタン殉教地の碑

キリシタン殉教の地碑


今日はカトリックのミサがここで行われるということだったけれど、朝雨が降ったから中止になったよう。

もう一度訪れてみて感じるのは、ここが猪苗代のキリシタン史跡の核心なんじゃないかということ。

岡越後とその家族が眠っているのかはわかりませんが、何か言いようのないものが感じられます。

果たせぬ思いというか、私に何かを伝えたがっているような感じが・・・。こういう所にはもっとお祈りして来なきゃいけないなと思いました。

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バテレン塚
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解説板
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左手から
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木立の中にある

猪苗代成就院を探して

諏訪神社

諏訪神社の小川の畔・・・


バテレン塚も見たことだし、そろそろ猪苗代を発たねばなりませぬ。猪苗代に思ったより時間がかかってしまったので、予定も大幅にオーバーしています;;

しかし・・・どうしても行ってみたいのが、猪苗代成就院の跡。キリシタンの殉教地です。諦めきれずにもう一度町をぐるぐる。

ものの本によると「諏訪神社の小川の畔」とも「磐椅神社の一ノ鳥居の南方200m。公孫樹の大木のある古い屋敷の中に平屋建の家があり、それが成就院跡」とも書かれています。

とりあえず諏訪神社に来てみましたが、一体どこなんでしょう?

猪苗代成就院跡?

成就院跡?

本に書いてあったわずかな手がかりを元に、たぶんこれであろうという建物発見。
ここがたぶん成就院の跡です。
間違ってたらごめんなさいだけど、とりあえず暫定的に成就院ということにさせていただきたいと思います<(_ _)>

詳細な情報をお持ちの方がいらしたらご連絡下さいまし<(_ _)>!!

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諏訪神社解説板
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諏訪神社参道
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鳥居
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去る川の一部?

ご飯休憩しながら思うこと

秋の磐梯山

磐梯山方面に行ってみましたが・・・


何かすっきりしない気分で猪苗代を後にし、西へ走り始めました。午前中のうちに猪苗代をさっと見て回るつもりだったのに、もう2時です;;

先を急ぐつもりだったのに、カトリック会津若松教会でもらったパンフを開くと、磐梯山の方に雪の聖母修道院があるという。。。

「雪の聖母」という、そのロマンティックな響きに誘われて、外からちょっとだけ見てみたいと思って地図の通り行ってみましたが、見つからず・・・。ゴルフ場のレストランでご飯だけ食べて下りてきました (;´д`)トホホ

反省と抱負



遅めのランチをとりながら、遅めの反省会(もっと早く反省してれば・・・)
ここまで巡り巡ってみて悟ったことは、パンフやHPに書かれている情報は
かなりアバウトで、信用性に欠けるということ。

実際に行って写真を撮り、自分の目で見て確認している人はほとんどいなくて
いろんな本から写真をスキャンし、記事をコピペ(コピー&ペースト)して
書いているのが実情だということです。

だからJAの倉庫が「JR倉庫」になってたり
今とは全然様子が違う写真がアップされていたりするわけで・・・。
本気で探して行こうとする人には、かえってつまづきになってしまうことも。

でも文句をつけて終わってもいけないので反省を抱負に置き換えたいと思います☆

自分たちだけでも 現場主義で!
 
この目で見て、心で感じて、できるだけ正確に書いていきたいです。    
歴史や地域の専門家じゃないから勘違いすることもあるでしょうけど、、、
好きなことをしてるんだから、楽しく頑張ります p(*^-^*)q ♪

先を急ごうと思ったけれど・・・

内藤自卓の墓

泰雲寺に寄りまして。。。


食事を終えたらもう3時半。もう予定通りにはいけそうにないので、会津坂下と会津高田とを諦めて、一番行きたい会津田島方面に向かいます。

たった3日で福島のキリシタン史跡を回るというのは、どだい無理だったのだとようやく気づきました;; 

神様、いつかまた来させて下さいねと祈りつつ、車を走らせること小一時間、道の左手に「泰雲寺」の文字が!!

「ごめん! ここちょっとだけ寄ってもいい?」
私の「ちょっとだけ」にちょっとだけ困り顔の夫でしたが、仕方ないなあと車を寄せてくれました☆

ここには確か内藤自卓(ヨリタカ)の墓があったはず。ああ、これだ!と写真を撮りましたが、何か変・・・?

内藤自卓の墓

こっちが正面

よく見たら、表はこっちでした^^;
他のお墓とは、正面が逆になっています。内藤家は代々会津藩の家老職を務めた家柄。
この寺に内藤家の墓域があるのに、この人のお墓だけが別になっているのです。

奥さんがキリシタンだったので、灯籠が花クルスになっているという人もいます。
クルスかどうかわかりませんが、美しい灯籠だと思います♪

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泰雲寺
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内藤自卓の墓
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源自卓と刻まれている
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花クルス?

意外と遠いのね、会津田島って;;

常楽院

常楽院


泰雲寺を出て南へ。大内宿や塔のへつりに向う車の列には驚きました。東京近郊の観光地のように混雑しています w(*゜o゜*)w

1時間半ほどで会津田島に着き、そこから今度は西に向います。会津田島にも見たい所がありますが、とりあえず一番行きたい福米沢へ☆

空いてる道をかっ飛ばし、15分ほどで福米沢に着きました。

まずは常楽院へ参ります。このお寺にマリア観音と呼ばれる観音様がいらっしゃるのでした^^

マリア観音

マリア観音

こちらが常楽院にあるマリア観音。
本堂の左手に独立した小さなお堂があり、その中にあります^^

「マリア観音」と呼ばれていても、中国で近年量産された物であることが多いので、注意が必要ですが、この辺りはキリシタン集落だったので、信用していいかと思います。
頭の部分に十字架が見えますが、以前は頭巾で隠されていたそうです。

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小さなお堂
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解説板
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頭に十字架
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首のないお地蔵さん

今日のメインディッシュ!? 福米沢教会♪

カトリック福米沢教会

カトリック福米沢教会


常楽院とは小学校を挟んだ二つ西隣にあるのが、カトリック福米沢教会。今日一番来たかった所です。

この教会は高札撤去後、奥会津で最初の布教所となった教会で、現在はカトリック田島教会の巡回教会となっています。

福米沢はキリシタン時代に多くのキリシタンが住んでいた地域の一つですが、長い禁教時代を経て信仰の火は消えてしまったかにみえました。

しかし高札撤去のわずか10年後の明治1883年、湯田家8名と君島氏がヴィグルー師によって受洗。その後も求道者が相次ぎました。

当初は近隣住民から疎まれ、湯田家の子供たちもいじめを受けましたが、福米沢にある畑から十字架が発見され、キリシタンの集落だったことが明らかになりました。

1934年村の有志が教会建設のために土地を提供し、若松から神父が来て建設地を選んで地を掘ると、そこから礼拝の時のパン皿と聖水を入れる杯が出てきたのです。

長崎とは違い、信仰が保たれたわけではないので「信徒発見」とはいえませんが、数百年前の信仰者たちの祈りがもたらした「キリシタンの復活」であることは確かです。

現在の聖堂は1981年に建てられた新しいものですが、その歴史を思うと感慨深いものがあります。

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小道の奥にある
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小さな教会
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今は巡回教会
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記念碑

あとは軽く田島を回って・・・

田島陣屋跡

田島陣屋跡


日が暮れる前に福米沢に行って来ることができたので、まずは今日のミッション終了といった感じ。

あとはかるーく会津田島を回って郡山に戻ろうと、のんびりした気持ちで南会津町役場へ。

この役場が田島陣屋跡。石碑の隣に解説板も建てられています。

政府系の土地は時代を経ても同じような使い方をされていることが多いんですね。

ちょっと学習 〆(゜_゜*)フムフム

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南会津町役場
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解説板

鴫山城まつり!?

鴫山城まつり!


カトリック田島教会を見つけられず、南山城跡を目指して走っていると、町内にペタペタ貼られたポスターに気づきました。

「えっ 今日お祭なの!?」

鴫山城とは南山城の別名。つまり私たちが行こうとしている場所がお祭会場だということで、そりゃあ混んでるだろうと予想しましたが、、、

誰もいません。駐車場には「コチラ⇒」みたいな案内板が置かれていますが、停めてる車は1台。しかもイベントの主催者のよう・・・。

南山城跡

南山城跡


ま、いいか。静かに見られた方がいいもんね、と車を下りて見回すものの、城らしきものはありません。。。

うむむ、どうやら南山城は元々山城である上に城跡の修復とかもほとんどされてない様子。

しかし山登りから散策まで、体力に合わせて山歩きができるコースがいくつか作られていて、、、要するにアップダウンのある公園になってるんですね^^;

山歩きするほどの体力も時間もないので、入口と山全体だけ写真に収めて行くことに。

城代がキリシタンだった

南山城跡というか、南山!?


外から撮ると、南山城跡というより南山という山の写真になってしまいましたが、昔はここにお城があったのです!(心の目で見よう!!)

このお城の城代となっていたのは、キリシタン城代 小倉作衛門孫作。小倉という苗字ですが、蒲生氏郷の従兄弟で、氏郷の妹を妻に迎えているので、かなり近しい親戚です。

この人がキリシタンになったのも氏郷の勧め。オルガンティーノ神父から洗礼を受けたといわれています。

オルガンティーノ神父からということは、大坂か京都か、関西方面に氏郷に伺候して行った時だったのでしょう。ここにもキリシタンがいたんですね^^

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南山城跡登り口
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南山城跡
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城跡の地図
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散策マップ

最後の悪あがき・・・;;

長禄寺

長禄寺


昨日もそうだったんだから、当然考慮に入れるべきだったのが、「秋の日のつるべ落とし」

まだ明るいと思って須賀川を目指したのですが、途中でとっぷり日が暮れてしまいました。

フロイスから受洗したキリシタン城代 蒲生郷成が葬られたはずの長禄寺に着きはしたものの、真っ暗で何も見えません;;

恐る恐る境内に入って行きましたが、葉っぱのこすれる音にも飛び上がったりで、肝試し状態。

墓ばっかり探している天然夫婦(私たち)ですが、さすがに墓地にはたどり着けませんでした
ε=ε=ε= 。・゜(゜ノT-T)ノ

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門までは
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入れたけれど
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鐘だけ撮って退散
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須賀川の地図

夜のカトリック郡山教会

悪あがき②


長禄寺が悪あがき①だとすれば、こちらが悪あがき②・・・。

暗くてカメラのフラッシュで光った部分しか見えませんが、カトリック郡山教会です。

郡山でレンタカーを返すまで、少し時間があったので、ナビに住所を入れて寄ってみました^^;

うーん、やっぱり明るい時間帯に再訪しましょう。夜撮った写真で紹介したのでは、ここに通っている信徒さんたちに悪い気がしますので。。。

郡山代官所跡ですが・・・

悪あがき③


一日頑張ってくれた車を返却したところで、今日最後の悪あがき。

郡山代官所(=陣屋)跡です!・・・と言われても、「はて?」という感じですね;;

現在うすい百貨店の建っている所の東側に、二本松藩の郡山代官所があったのでございます。

やっぱり明日明るいうちに撮りなおします!!

でもちょっとキレイでした☆
百貨店や歩道のイルミネーションが (*'-'*)♪

駅ビルのフードコートで♪


フードコートって結構好き^^ 気楽でいいのです☆

明太石焼ビビンバ

ねぎ塩豚カルビビビンバ


一日を振り返りながら

                                    百貨店の壁
                                    
郡山駅のビルにあったフードコートで夕飯を食べながら    
一日を振り返ります。。。

今日は土地勘がなくて効率的に回れなかったこともあるけれど
それにもまして福島県はキリシタン史跡があまりに多く
簡単には回れないということがわかりました。
2泊3日なんて、完全になめてました;;

「会津は東北キリシタンのふるさと」と言う人もいます。

蒲生氏郷のキリシタン全盛期が過ぎ去っても
東北各地に宣教師を巡回させる手引きをし、足台となって
多くの血で代価を払いながら、信仰の火を燃やし続けたのが会津の人たちだったから。

夜の郡山
そして会津と米沢の関係にも着目せねばなりません。

地理的にも近いこの2つの地域は、1598年に会津にやってきた上杉景勝が、わずか3年で1601年に米沢に転封されたことで、運命の糸で結ばれるようになりました。

たとえば米沢の殉教者キリシタン武将 ルイス甘糟右衛門の妻は会津若松の信者で、その家族はいつも宣教師に宿を貸していました。

2008年に列福された者たちの殉教地で、一番人数が多いのが米沢で、その代表として挙げられるのがルイス甘糟右衛門です。

米沢の殉教者らのバックには会津の熱い信仰の血が流れていたのだと考えるのは、うがった考えでしょうか。

いつか米沢にも行ってみたい、です!! (神様にお願いしよう!)

さて明日は仙台の友だちと合流します♪
夕方にはバスで帰りますがどんな一日になるのか楽しみです☆

事故がないようお祈りして、さあ、寝ましょ!
すべてのことを感謝して!! お(ノ ̄0 ̄)ノや(o ̄・ ̄)oす(。_ _)。みzzz..

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