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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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会津キリシタン紀行 part4

日本聖公会 郡山教会

  <本日の主な訪問地>


とりあえず郡山を!

おはようございます ヾ(@⌒ー⌒@)ノ                郡山駅前

夕べ仙台の友人と連絡を取り、午後二本松で待ち合わせすることにしました。なので午前中は夫と2人、レンタカーで回ります。

せっかく郡山に泊まったのだから、郡山にある教会くらいは行きたいし、城下にキリシタン武士たちが住んでいたという白河も時間が許す限り見ておきたいな♪

今日も安全運転で行こうねー
(夫よ、今日も運転がんばってくらはい!)

郡山代官所跡

郡山代官所跡


レンタカー屋さんに行く前に、昨日暗くてよく見えなかった郡山代官所跡、現在のうすい百貨店の東側に寄ってみます。

暗くても明るくても、あまり関係ないような気もしないではないですが^^;

荷物を納入するトラックの運転手さんたちの、「あんたら何しとるん?」的な視線を浴びながら、バシバシ写真を撮るお気楽夫婦(私たち)。

だってここからキリシタン捕縛の役人たちが出て行ったに違いないんですもの。特に二本松藩の取り締まりは厳しかったし。素通りできないのでございます。

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うすい百貨店
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東側
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東側地面


金透小学校

金透小学校


続いて徒歩で向ったのが、金透小学校。このちょっと変わった名前をつけたのは、木戸孝允。

木戸孝允といえば明治維新の立役者で、幕藩体制打倒後の日本の政治を動かした人物。

偉人として知られていますが、キリシタンに対して厳しい政策をとるよう進言し、陣頭指揮まで執ったので、尊敬する気にはなれません。

もちろん人を善悪に分けることはできないし、功績もあるんでしょうけど、開国後やっと復活してきたキリシタンたちに、どうしてあんなに過酷なことができたのか、、、

朝からあんまり興奮してもいけないので、次に行きますかね^^;

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工事中でした
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歴史ある学校
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階段のレリーフ
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石の造形

意外と教会たくさんあります (・0・。)!

郡山細沼教会

日本基督教団 郡山細沼教会


郡山の地図を見ながら気づいたのは、このそれほど大きくもない街に、意外とたくさんの教会があるということ。

会津が東北キリシタンのふるさとだということは理解しましたが、まさか郡山までキリスト教が栄えていようとは・・・!

しかも歴史ある建造物として保護されているなど、史跡としての価値を持つものも多いです。

この日本基督教団の郡山細沼教会は、国の登録文化財。1929(昭和4)年に建てられたものです。こんな塔を備えた教会が、昭和の初期にあったなんて、、、

こんな言い方、失礼かもしれませんが、
郡山、見直しました☆

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正面
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別角度から

日本聖公会 郡山教会

日本聖公会の郡山教会

続いて訪れたのが、日本聖公会の郡山教会。
正しくは郡山聖ペテロ聖パウロ教会。

聖公会の教会だけあって、イギリス風ですね♪
こちらも歴史を感じさせる教会です。

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教会
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聖堂
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案内板

では白河へ!

日本聖公会の白河教会

日本聖公会 白河教会


郡山を後にして高速を南下します。目指すは白河! 白河には多くのキリシタン武士たちが暮らしていたのです。

白河で最初に降り立ったのは、日本聖公会の白河教会前。郡山に比べるとちょっと小振りですが、親しみの湧くたたずまいです。

中には入れなさそうですが、写真だけ撮って外からお祈りを。この教会のある会津町は、キリシタン武士たちの住まいがあった辺りなのです。

この教会に通う人たちは知ってるんでしょうか。知ってたら恵み深いでしょうね。キリシタンが祈った地に自分たちの教会があるなんて^^

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白河教会
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正面
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案内板

会津町!!

会津町!


うれしくなって思わず撮ってしまった、「会津町」の住所表示 ('-'*)

白河城主丹羽長重に仕官するキリシタン武士らは、白峰城の西、会津口にある会津町に住んで、宣教師に隠れ家を提供していました。

イエズス会のジョアン・バプチスタ・ポルロ神父が奥羽地区長として白河を巡回したときに隠れ家としたのも、会津町にあった本多靭負の家でした。

信徒らが、どうやって宣教師を招き、巡回していただこうかと互いに相談したりしていたんでしょうね。キリシタン武士たち、熱いですっ!

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現在の
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会津町
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お堀の向こうに
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お城があります

白峰城を散策

                                                       

白峰城

白峰城

会津町からお堀を渡って白峰城へ。
広い芝生の公園の向こうに見えてくるのが修復された白峰城。
ちょっとプラモデルっぽいかなぁ。。。

毎週出版される本でパーツを集めて作る精巧なミニチュアみたいな感じ。
きれいだからいいですけどね☆

白峰城の石垣

白峰城の石垣


一番有り難味があるのが、石垣。
きっとこれは昔の人も目にしたことでしょう。

キリシタン武士たちは、登城する度に思ったでしょうね。ここが神様の国になるようにと。

いや、すでにキリスト教禁令が出ている時代だったから、宣教師を匿っていることがばれないようにとひたすら祈っていたのかも。

現在白河集古苑となっている所が、勘定所と町役場が置かれていた場所。会津町とは至近距離といっていいほど。

いつも気になっていたでしょうね・・・。

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白峰城案内
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白峰城地図
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広場の向こうにお城が
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白河集古苑

そろそろ本領発揮といきましょうか

キリシタンを葬った専念寺

専念寺


白峰城は秋のイベントをやっているようで、少しずつ人が増えてきたので、混雑してくる前に退散します。

さてそろそろ本領発揮といきましょうか。
本領とは、そう! マイナーな史跡めぐり。

キリシタンに関わる歴史の地を踏みしめたいと思います。まず向ったのは横町にある専念寺。

牢死したキリシタンを葬ったとされるお寺です。解説板にはそういう経緯は書いてなく、中根家ゆかりの寺だという由緒書だけが建てられています。

今は静かな小さなお寺といった感じです。

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本堂
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墓域
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中根家由緒書
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中根家の墓

高札場跡

高札場跡


続いて訪れたのが、白河藩の高札場跡。このクランクになっている所に大きな門があり、その脇に高札は建てられていたと考えられます。

史料を見ると、白河城(小峰城)下だけでなく、この周囲の須賀川村、塩田村、小作田村、大谷地村、中宿村、鶴生村などからキリシタンが発覚しています。

潜伏していたキリシタンが発覚し、捕らえられた場合は、江戸送りになりましたが、白河から江戸はおよそ48里。200キロ近くの道程を歩いたことになります。

手枷をつけられて引かれていくキリシタンたちの姿を思い描きながら、しばし瞑目しました。

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今も人通りが
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絶えないようで
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買い物客が
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歩いていきます

牢屋の跡地

上ノ台館跡


連休の人出を見込んで歩行者天国になっていたりするので、初心者が白河の町をドライブするのは、なかなか骨が折れます。

高札場跡の次に向ったのは、キリシタンが入れられていた牢屋の跡地。

「城下本町の永蔵寺と心行寺の間の上ノ台にあった」ということがわかっているので、とりあえず上ノ台という地名を目指します。

到着したのは上ノ台館跡という場所。永蔵寺もそばにあるので、この辺りだったことは確かです。

昔の面影は残っていませんが、仕方ないですね。周りは全部住宅地になっていますから。

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上ノ台館跡
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解説板
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上ノ台
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永蔵寺

白河の教会めぐり☆

カトリック白河教会

カトリック白河教会


迫害を受けた地だからこそ栄えていて欲しいのが、教会。

白河にある教会を調べてみたら、町の規模からすると、やはり教会は多いということがわかりました。

人口からしてそれほど大きな教会ではないでしょうが、それでも「生きている」教会を見るのはうれしいことです☆

こちらはカトリック白河教会。自然に親しみが湧く感じで、地域の人が生活の一部として通っているような気がします。

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教会全体
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入口
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キリスト像

白河ハリストス教会

白河ハリストス教会

次に訪れたのが白河ハリストス教会。
この白亜の聖堂は、県の重要文化財に指定されています。
竣工は1915(大正4)年の竣工。随分早い時期に建てられたんですねヽ(*'0'*)

ハリストス教会は、キリシタンがいた所に建てられている気がするのですが、宣教師さんたちがそういう所を重点的に回ったのでしょうか。

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教会全体
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中にはイコンが
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十字架
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解説板

歴史の負の部分にも目を向けて

キリシタンが葬られた常宣寺

常宣寺


教会めぐりの後は、お寺をもう一ヶ所訪れて、そして白河最後の訪問地に向います。

やはり歴史の負の部分にも目を向けねばなりませぬ。川にぐるりと囲まれたような位置にある常宣寺は、牢死したキリシタンの埋葬地。

江戸送りになり、宗門改役の交代時に白河藩の牢に戻されてきたキリシタンが、牢内で亡くなって葬られたお寺なのです。

一家そろってキリシタンだった寺田嘉兵衛は、江戸の切支丹屋敷と白河藩の牢と、両方合わせて30年間牢に入れられていましたが、棄教せずに牢内で亡くなりました。

その時代のキリシタンにとっては、死ぬことが自由になることだったかもしれません。

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常宣寺
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歴史ある寺
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無縁仏の墓塔
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珍しい形の灯籠

鶴芝1丁目

鶴芝


白河最後の訪問地となるのが、「鶴芝」
何もないので住所表示を撮ってしまいましたが、ここがキリシタンたちの殉教地です。

1632(寛永8)年、牢内にいて転ばなかったキリシタン13名がここで逆さ磔になって殉教しました。

一行は上ノ台の牢から出され市中引き回しの上、ここにあった馬捨場近くで吊るし殺されたので、「ツルシバ(吊るし場)」という地名が残っているのです。

キリシタンは汚らわしいものとされたので、一般罪人の処刑する皮籠刑罰場は使わずに、街道筋にある牛馬の死体捨場で処刑が行われました。

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鶴芝の辺り
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街道沿いの鶴芝
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戊辰戦争の
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激戦地でもあった

高台から望む

鶴芝の風景

そばにある神社の石段を上ると、眼下には穏やかな風景が広がっています。
こんなに長閑で、どこにでもあるような風景の中で、残酷な処刑が行われたとは、想像できません。

地獄というのは、こんな風に、身近な所でぽっかりと口を開けているのかもしれないなと思いました。

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神社
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馬頭観音の碑
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変わった形の灯籠
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境内は遊び場

午前中はここまで   


宿泊した郡山と白河。この2つで午前の部はおしまいです。ハリストス教会の十字架
時間があったらもっと回ってみたい場所もありますが、
それは次回のお楽しみに☆(いつになることやら・・・)

午後は仙台から南下してくる友人と合流して
二本松と三春に行く予定です。
うまく会えて、恵み深く回れるといいのですが
何せ時間がないのがネックです;;

それでも今回行くべき所、見るべきものには
必ず導いてもらえると信じます!!
感謝して、、、「会津キリシタン紀行part5」に o(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪

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