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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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会津キリシタン紀行 part5

カトリック郡山教会の庭の像

  <この後の主な訪問地>


二本松へ!

大隣寺

大隣寺


美しい秋晴れの下、高速を使って一気に北上し、二本松に到着 (。・ω・。)ノ

仙台の友だちとは二本松城で待ち合わせなのですが、少し早く着いたので、大隣寺に寄ってみました☆

ここは牢死したキリシタンが葬られた寺で、元キリシタン梅原大膳の墓があるので寄ったのですが、山全体がお寺になっているような大寺院。

二本松藩主を務めた丹羽家の菩提寺であり、二本松少年隊の墓もあります。石段の脇には少年隊の副隊長が戦死した地だという碑が。

戊辰戦争の後、藩主が謹慎させられたのもここなので、お墓がある寺というより、歴史的な場所と考えた方が良さそうです。

大隣寺本堂

大隣寺本堂

ちゃんと見て回るべきなんでしょうが、ダッシュで駆け抜けて終了^^;
来るまで知らなかったので、ちょっと見ればいいと思っていたのですが、二本松観光の肝になるような所だったみたいです。

無知とは怖いもので、知らぬ間に知恵のない行動を誘発してしまうものなのですね;;

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境内地図
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少年隊の石碑
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石段
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少年隊の墓

二本松城で待ち合わせ

二本松城

二本松城


二本松城の駐車場で待ち合わせという話だったのですが、行ってみると今日は菊祭りだとかで、結構な人出 (;゜⊿゜)ノ゙

駐車場も第一から第三まであるので、無事会えるのかにわかに心配になってきました・・・。

しかし、さすがはクリスチャン同士!お祈りの力でちゃんと会えました♪(ケータイで連絡し合いました^^;)

二本松城の別名は霞ケ城。きっときれいなお城だったのでしょうが、今はなく霞ケ城公園内に復元された建物が建っています。菊祭りで混雑してそうだったので、外から見て終了。

一般的な観光地をことごとく省略しているような気もしますが。。。

カトリック二本松教会

カトリック二本松教会


仙台から来たのは4人で、このうちの2人とは去年キリシタンの史跡や殉教地をめぐったので顔馴染み(詳しくは「美し国宮城一日目~」)ですが、残る2人は初対面。

「このお2人さん、殉教地とか行って大丈夫なんだろうか!?」と、一抹の不安がよぎりますが、すべてを主に委ねて参りましょう!!

挨拶もそこそこ、2台の車に分乗した私たちが最初に向ったのは、カトリック二本松教会。まずは教会でお祈りなのです☆

カトリック二本松教会は小さいながらも温かみがある教会で、清楚な印象。恵みを受けられるように祈ります。

カトリック二本松教会

カトリック二本松教会の庭

花の植えられた庭には、キリシタンの殉教碑が建てられていました。
黒御影石で造られた碑は、かなり立派なもの。信仰の先輩たちに対する熱い思いが感じられました。

歴史ある地の教会は、やはり何かが違うなと、気が引き締まる思いに。

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教会
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教会の庭
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キリシタン殉教碑
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殉教碑の裏面

そして殉教地へ

台運寺

台運寺


教会の殉教碑のおかげで、初対面の2人も二本松にどんな歴史があったのかわかったようで、ぐっと気持ちが近くなりました(と思うのは私だけ・・・!?)

続いて向ったのは、台運寺。キリシタンが入れられた牢は、このお寺の辺りにあったという記録を頼りに来てみましたが、、、解説板とか何もありません。

まあ、牢屋跡とか喜んで書いてくれる所はないでしょうから仕方ないですね;;

しかしここの辺りにあった牢から引き出されて、市中引き回しの上処刑地に向ったのは確か。苦しみを受けながら主を思い祈った地が、この近くにあったのです。

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山門
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本堂
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石碑
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台運寺門前

供中河原にかかる大橋

供中河原へ


日焼けが気になるほどの青空を見上げながら、再び車中の人となり、次なる目的地へ。

今度は少し車に乗っている時間が長いので、やっと落ち着いてお互いの自己紹介などもできます(遅い^^;)

今回のドライバーが初対面の女性なのは、去年運転してくれたNくん(今回も同行)が免停だからだとか。。。ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ

そうこうするうちに着きました、供中河原。ここが殉教地です。

供中河原刑罰場跡

供中河原刑罰場跡

今は大きな橋のたもとの草地となっているこの場所が、供中(ぐちゅう)河原刑罰場の跡です。
跡地には一般罪人処刑者のための供養碑が建てられています。

1632(寛永8)年、ここでキリシタン14名が殉教しました。辺りに誰もいなかったので、みんなで賛美歌を歌いました。こういうことができるので、一緒に行けるといいですね。

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供養碑
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供養碑
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解説板
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現在の様子

伊達政宗ゆかりの地にも

粟ノ須古戦場への道

粟ノ須古戦場へ


二本松のキリシタンゆかりの地はめぐり終えたのですが、もう一ヶ所、二本松のことを調べていて見つけた場所にも行ってみたいと思います。

それは粟ノ須古戦場という、あまり有名ではない史跡。しかし伊達政宗に関心を持つ人なら、是非訪れてみたいと思う地ではないでしょうか。

詳しくは解説が刻まれた碑をご参照いただきたいのですが、正宗が、人質になっている父もろとも、畠山義継を銃撃しようとした場所なのです。

粟ノ須古戦場

粟ノ須古戦場


伊達政宗は最近でも人気の武将ですが、その生涯を見ると、悲惨なことが多いです。

会津若松では母に毒殺されかけ、ここでは父を殺しかけた訳で、戦国の世でもこれほどの家族は少ないのではないでしょうか。

この正宗をキリシタンとの関係で見てみると、特筆すべきは慶長遣欧使節をローマ法王に送ったこと。

江戸で逮捕された宣教師ソテロの身を助けてもらい受け、支倉常長とともにメキシコ経由でローマに送りました。

粟ノ須古戦場の解説碑

粟ノ須古戦場の解説碑


その書簡の中には「余もキリシタンになってもよい」と書かれていましたが、それは貿易の利を考えてのことで、信仰を求めてのことではありませんでした。

しかし神様の方は違っていたかもしれません。戦国の雄たるこの人物さえも、一人の人間として憐れみ、自分のために死んでくれた方がいることを知らせようとしたのではないかと・・・。

ここまで考えるのは、深読みし過ぎでしょうけど、その悲しみの中から救われて欲しかったなと思います。

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粟ノ須古戦場
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解説板
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供養碑
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供養碑

行くぞ!本宮

本宮へ

本宮へ


伊達政宗の人生で忘れえぬ記憶になったであろう粟ノ須古戦場ですが、今は畑の中の一本道沿いにある、小さな史跡。

時の流れは無情です。人の思いも記憶さえも、どんどん押し流していって、何も残さない。

空だけ見てても飽きないほどのいい天気は、だからこそ今日という日を、素晴らしく生きなさいというメッセージなのでしょうか。

次なる目的地は本宮city。処刑地だったのではといわれる地とキリシタンが葬られたお寺があります。

東禅寺

東禅寺


男性ばかりの男カーと、女性だけの女性カーに分かれて乗っていたので、ちょっとはぐれて私たちだけ到着したのが、東禅寺。

ここは二本松藩のキリシタン、バレンチノ中牧主水夫妻の処刑地ではないかといわれる場所の一つです。

バレンチノ中牧主水はローマ法王への奉答文にも署名をするなど二本松の代表的な信徒で、先に訪れた供中河原の刑罰場で処刑されたというのが一般的です。

しかし1927(昭和2)年東禅寺にある畑から立派な十字架が出てきたことから、ここが中牧主水夫妻の処刑地だったのではないかという人もいます。

いずれにせよ、ここにキリシタンがいたということだけは確かなようです。

東禅寺の川岸

東禅寺の川岸に立って

「東禅寺」というから、最初お寺の名前かと思いましたが、後で地名だと判明。二本松は江戸と仙台を結ぶ位置にあり、会津にも接していることからキリシタンにとって重要な拠点の一つでした。

藩士の中にもキリシタンがいましたが、なかなか信仰を貫くのは難しかったようです。
東禅寺で見つかった十字架も、迫害にあったキリシタンが埋めたものかもしれません。

金礼寺

金礼寺


男カーと合流したところで記念撮影をして(もっといい場所を選べばよかったかも;;)、次なる目的地、金礼寺へ。

ここは牢死したキリシタンが葬られたお寺。1643(寛永20)年以降に捕らえられたキリシタンは江戸送りになり、伝馬町の牢や切支丹屋敷で詮議を受けました。

詮議とはいうものの、拷問と説諭の繰り返しで、そこを出るには転ぶか死ぬかしか方法はありませんでした。

金礼寺の銀杏

金礼寺の枝垂れ銀杏

江戸で牢死したキリシタンはどんな姿で故郷に戻ってきたのでしょう?
遺体を運ぶのは難しかったでしょうから、遺骨か、それとも遺髪か・・・。
葬られたといっても、棄教せずに死亡したならお墓は建ててもらってないでしょうね。

境内にそびえる、樹齢400年という銀杏の巨木。
この木だけが見ていたんだろうと思い、カメラを向けてみました。

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金礼寺
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本堂
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銀杏の解説
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広大な墓地

三春にも行ってみよう♪

三春城跡

三春城跡


どの目的地にも思ったより早く到達できたので、時間的にはちょっと余裕ができました♪

なので、時間があまったら行こうと言っていた三春にも行っちゃおうということに (*^o^)(^O^)!!

三春城は今はなく、三春城跡に。でも石垣などが残っていて、ピクニックにはもってこいなロケーションになっています。

ちなみに三春城の別名は舞鶴城。昔はその名にふさわしい城が建っていたんでしょうね。

小さい子供を連れた若い家族がちらほら。城はなくても、雰囲気がいいからか、訪れる人が多いようです☆

本丸跡

三春城の本丸跡

いくつか城を訪れてみて共通していると思うのは、本丸跡ほど何もない所がないということ。
一番に壊してしまうからでしょうか。しかしここに、キリシタン城代蒲生郷成がいました。

「蒲生」という苗字ですが、郷成は蒲生氏郷の親戚ではありません。

三春城の遺構

わずかに残る遺構


蒲生氏郷という人は、小さい頃から人質として出され、織田信長の娘と結婚して波乱の人生を送ったにも関わらず、生涯大らかな気質を持ち続けたようです。

手柄のあった家臣に、すぐに「蒲生」の名をあげてしまうので、重臣から諌められることもあったとか^^;

下克上の過酷な世界に生きていながら、人を信じる心を豊かに持っていたというのは、すごいことではないでしょうか。私は氏郷のそういうところに惹かれます ∟□∨Ε...φ( ̄▽ ̄*)ポッ

三春城跡は今は公園に

本丸跡のベンチ


さて郷成が洗礼を受けたのは、1595(文禄4)年。京都でルイス・フロイスから受洗しました。そして彼が眠る墓があるのが長禄寺。真っ暗になってから到着した、あのお寺です;;

三春城にいたキリシタンとしてもう一人忘れてならないのは、1628(寛永5)年に三春城主となった松下長綱。

長綱は1642(寛永19)年に自分と家族全員がキリシタンだと発覚して、妻の実家に預けられ、後年死去していますが、三春のキリシタンが増えたのは、長綱の時だったといわれています。

会津藩や棚倉藩、白河藩の公的な記録にも、「三春藩にはキリシタンが多い」と記されています。輝かしい時代があったんですね。

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解説板
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散策路あり
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お城の周囲
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本丸は秋色

三春町役場周辺

三春町役場


城を後にして下りてくると、三春町役場の前に出ます。どうやらこのストリートが三春の目抜き通りのよう。

三春は桜で有名だから、春には人であふれるんでしょうね♪ でも人の少ない秋もいいですよ。静かな分、昔に思いを馳せられます。

江戸時代、ここには御会所、永倉、代官所など藩庁関係の建物がありました。キリシタン捕縛の役人も、ここから出発したかもしれません。

お仕事だったのだから仕方なかったんでしょうけど、何の罪もない人を捕らえて江戸送りにして、よく眠れたでしょうか。彼らが死んで戻ってきた時はどんな気持ちで受け取ったんでしょう。

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三春町役場
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藩講所跡
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解説碑

三春小学校

三春小学校


ついでに向ったのが三春小学校。今日は休日だから覗いても変には思われないでしょう^^

ここはかつて藩主の御殿があった場所。きれいな学校に生まれ変わって、広々した校庭を透き通った風が吹き抜けていきます。

のびのびした学校生活が送れそうですね。山にはかすかに三春城の遺構(たぶん)が望めます。歴史を勉強してキリシタンのことを知る子供が増えるといいなとお祈りしてきました♪

明るく誇らしいことばかりじゃないけど、自分が生まれた郷土の歴史なのだから、しっかり学んでみるべきだと思うのです。そう、私も☆

三春小学校の門のオブジェ

三春小学校入口の飾り


小学校入口のアーチには飾りのようなオブジェが。よく見ると上を向いて歌っている女の子の像!! とってもキュートでかわいいです♪

そして時刻は15時半を回り、そろそろ仙台の友だちとはお別れしなければなりません;;

ほんの数時間しか一緒にいなかったけれど、名残惜しいったらありません。また会おうねと何度も言い交わし、ありがとうを連発して別れました。

ほんとにありがとうね~!!

郡山に戻り・・・

カトリック郡山教会

カトリック郡山教会


17時半発の新宿行きの高速バスに乗る予定なので、てきぱきとガソリンを入れてレンタカーを返却しなければならないのですが・・・

もう一ヶ所だけお願いと言って、寄ってもらいました、カトリック郡山教会。最初行った時真っ暗だったので、明るいうちにいって写真だけでも撮りたかったのです^^;

ちょっと時間は迫っているけど、やはり見ておきたかったから、感謝です♪

郡山の駅近くは結構渋滞するので、それでは駅へ向いましょう!!

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教会の塔
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聖堂
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礼拝の案内
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教会

日本基督教団の郡山教会

日本基督教団 郡山教会


・・・駅に向うつもりだったのですが、思わずナビに入力してしまった教会の住所^^;

日本基督教団の郡山教会に到着です。
車の停めにくい場所だったので、私だけが車から降りて見に行ったのですが、なんと!

「礼拝堂は開いています。自由に入り祈る時を」とドアに書かれています!!

こういうことって、プロテスタントの教会では珍しいことだと思います。防犯上の問題もあって、その教会の信者さん以外は入れないのが普通ですから。

郡山教会礼拝堂

日本基督教団の郡山教会の礼拝堂!!

「こんにちはー。お邪魔します」
挨拶しながら入って行きましたが、中には誰もおられないよう。
すっきりとしたデザインで光あふれる礼拝堂は、正に憩いの水際。

福島訪問の最後の最後に、こんなに主を感じる場所に導いてもらって感謝です!!
車に残ってもらった夫の分もお祈りしておきました☆

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郡山教会
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入口
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礼拝堂
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礼拝堂

カリヨンの音を聞きながら

                       駅前のカリヨン
最後少しどたばたしましたが
無事レンタカーを返し終えました◎
駅に向っていたら、カリヨンの音が♪

下校時間を報せるメロディーを思い出します。
「ああ、帰るんだな」としみじみ。
薄暮の空が一日の終わりを告げています。

今回の旅は
見て回れた史跡なども良かったけれど
一緒に行った人たちとの思い出が
恵み深く胸に刻まれるようになりました。

郡山駅

自然や万物からの感動も大きいけれど
やはり人からくる感動が一番大きいんだなと
悟ることができました☆

出会いと恵みでもって導いて
感動と悟りを与えて下さる神様こそ
わが牧者なのだと感じます。



又どこかに連れて行って下さいね!(To 神様)

ここまで読んで下さった皆様もありがとうございます。
お礼に熱い投げキッスを、、、(ノ ̄〓 ̄)ノ ぶちゅ~ 

・・・これに懲りずに又読んでくださいまし。ありがとうございました!!


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