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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 みちのくキリシタン物語 vol.1


          今年の夏は念願の青森・秋田へ★
          これで東北の殉教地を、各県ごと1ヵ所以上は行けたことになるはずです。
          それから前々から気になっていた伝説の地にも・・・!
          青森にキリストの墓があるって話、小学生の時から気になっていたんですよね。
          確認して、確かなものを見出したいです。では出発♪



秋田へ

ANA機で


さすがに東北でも青森・秋田となれば、電車やバスよりは飛行機が便利だということで、羽田からANA機に乗って秋田の大館空港へ。

お盆休みのシーズンでうまく席が取れず、期せずして大館行きとなったのですが、これも意味のあることなのかもしれまないなと考えたりして (*゜.゜)

カトリック大館教会

カトリック大館教会


今回の旅の同行者は、仙台在住のM子ちゃん。何度か一緒に史跡めぐりをしている友人です♪

空港で車を借りて、M子ちゃんと合流し、まずはカトリック大館教会へ。聖堂でお祈りできるかなーと思ったのですが、閉まっていました。

でも庭で祈って、一応神様への挨拶はできた感じです。これから5日間、どうか共にしてくださいますようにヽ( ´ ▽ ` )ノ


大館城跡

大館城跡


それでは次は大館城跡へ。城跡は桂城(かつらじょう)公園となっています。ここは後にキリシタンとなる女性、岩瀬御台が一時期身を寄せていた城です。

今回の旅行ではこの岩瀬御台ゆかりの地をいくつか訪れる予定なので、少しご紹介しておきますと・・・☆

岩瀬御台は芦名家の出で、父が家臣によって殺されたため、須賀川の二階堂盛義の養女になっていたのですが、二階堂盛義が伊達政宗によって殺害され、一族の大館城主岩城貞隆を頼ってこの城に来たのです。

その後、久保田(秋田)藩主の佐竹義宣の側室になり秋田へと移っていきました。そしてそこでキリスト教に出会って受洗するんですね。数奇な運命を辿るこの女性については、旅行の4日目辺りにまたお話しすることにしましょうか (o゜◇゜)ノネッ

大館城跡
大館城跡
大館城跡碑
大館城跡内の碑
大館城跡
大館城跡より

日本聖公会 大館聖パウロ教会

日本聖公会 大館聖パウロ教会


続いて大館聖パウロ教会へ。日本聖公会の教会らしく、木目を生かした建築ですね。

あまり大きな教会ではありませんが、創立は1906年。100年以上の歴史ある教会です☆

聖公会の教会は、「いつでも入ってお祈りください」とオープンになっている所もあるのですが、ここはダメみたいですね。幼稚園が敷地内にあるからでしょうか。

大館聖パウロ教会
大館聖パウロ教会
大館聖パウロ教会
大館聖パウロ教会

小林多喜二生誕の地

小林多喜二生誕の地・・・


車で少し西に向って、JR下川沿駅へ。駅前に「小林多喜二生誕の地」の碑があるということで♪

行ってみると、駅の近くにこんな(←)打ち捨てられたような感じに、傾いた標柱が建てられてますけど・・・、これじゃないですよねぇ?

小林多喜二生誕の地

小林多喜二生誕の地碑


おお、駅にはちゃんとした碑が!
碑と説明板が背中合わせになっていて、両方を同時に写真に収められないという、バッドな配置ですけども。。

小林多喜二は「蟹工船」などのプロレタリア文学で知られる作家ですが、お母さんのセキさんがクリスチャン。

小林多喜二は特高に逮捕され拷問を受けて死亡するのですが、小林多喜二と母セキとの波乱に満ちた生涯を、作家の三浦綾子が「母」という小説に描いています。

私はこの小説を読んだことがないのですが、M子ちゃんは読んだというので、内容を聞いてみたら、セキさんが「息子を失うことでイエス様を失った母マリアの気持ちがわかった」と語るシーンがあるのだとか。何と深い捉え方をしたものだろうと、作家の想像力に敬服しつつ、こんな重いテーマの本は、なかなか手が出せないなぁと感じたりもして・・・ (´□`;)オモスギテ

小林多喜二生誕の地
小林多喜二生誕の地
小林多喜二生誕の地
小林多喜二生誕の地


 ハリストス教会やーい o(* ̄○ ̄)ゝ


北鹿ハリストス正教会

北鹿ハリストス正教会


さて、山下りんのイコンがある北鹿(ほくろく)ハリストス正教会も近いということで、寄ってみることに。

しかし場所が変わってしまったのか、私のリサーチが間違っていたのか、随分と苦心して回りまわって、ようやく到着。おかげで有り難味が増しましたケド (o^-^o)

ここが秋田県だということを忘れてしまいそうなくらいの、瀟洒で静穏な雰囲気。まるでヨーロッパの片田舎にある教会のようです。山下りんのイコンは予め連絡して予約しないと見られないようですが、外観を見るだけでも来てみて良かったと思えました♪

北鹿ハリストス正教会
北鹿ハリストス正教会
北鹿ハリストス正教会
北鹿ハリストス正教会
北鹿ハリストス正教会

羽州街道

羽州街道を


それでは秋田から青森へと向って行きましょう。元々、青森空港へひとっ飛びして、青森から秋田へと回ろうと思っていたのですが、飛行機のチケットが思うように取れなかったのです。

それで大館空港インの秋田空港アウトで旅程を組むようになったのですが、見てみると昔から興味を持っていた「青森のキリストの墓」が割と近くにあるではありませんかっ。

これは一度行って確認だけでもしてくるべしという、天からのお達しではないかと思い(そうじゃないかもしれないけど)、向かってみることにしました☆ まさかキリストの墓が青森にあるなんて、本気では信じてませんけどね。一応クリスチャンですので (;^_^A


縄文祭

縄文祭!?


「キリストの墓」に行く途中に、これまた昔から名前だけは聞いたことのある「大湯の環状列石(ストーンサークル)」もあったので立ち寄ってみました。

青森まではなかなか来られないので、来たついでに見られるものは見ておこうと思いまして☆

「縄文祭」があるみたいですね。お盆休みにしては人が少なくて穴場だと思うのは、都会人の発想でしょうか。建物が新しくて立派です (*゜ー゜)>

展示ホール
展示ホール
展示品
展示物
展示物
展示物
展示物
展示物

ジオラマ

大湯環状列石

大湯環状列石


展示ホールを出てストーンサークル方を見ると、鹿が!!

ササーッと私たちの前を横切って行きました。

環状列石も見ごたえありますが、野生の動物を見たことで、もっと縄文時代を彷彿とさせられました。人も動物も今とは違う距離感で、たぶんすごく近しく一緒に暮していたんでしょうね☆

大湯環状列石
大湯環状列石
大湯環状列石
大湯環状列石
大湯環状列石
大湯環状列石
大湯環状列石
大湯環状列石


 キリストの里へ (* ̄0 ̄*)ノ


キリストの里へ

「キリストの里」へ


それでは本日のメインイベント、「歴史のロマンとキリストの里」として売り出している新郷村へと向かいましょう。

後で知りましたが、「キリストの里」へと向うこの道は「キリスト街道」と命名されており、周りの森はエデンの園なのだとか。おまけにこの中に7つのピラミッドがあるというから驚きます。ファラオもびっくりでしょうね (・ε・)


十字架の付いた観光案内所

十字架の付いた観光案内所


道の駅しんごうは、グリーンパークも併設されて、山の中にしては充実しています。これもキリスト効果のようです。

ミステリースポットとして、時折テレビでも取り上げられているので、全国的にも知られていて、「一度くらい行ってみようか」と訪れる人が多いのでしょう。

「キリストの里」のイメージ戦略で、観光案内所ばかりか、公衆トイレにまで十字架が取り付けられているのには閉口します。毎年6月第一日曜にはキリスト祭も催されるみたいです。こういった商業利用を、もっとクリスチャンは怒った方がいいと思うんですけどね。アホらしいと思って放っているんでしょうか。。 ( ̄(エ) ̄”)ピクピク


キリスト街道!?
キリスト街道!?
キリスト祭!?
キリスト祭!?
キリストの墓!?
キリストの墓!?

道の駅しんごう

道の駅しんごう

お昼を食べながら


道の駅でお昼を食べながら、悪気のない従業員さんたち(たぶん村人)と接していると、こっちも毒気を抜かれますが、それにしてもねぇ。。ヤギもいて長閑ですけど。
道の駅しんごう

道の駅しんごう

青森で最初に酪農が導入された所


この辺りは、青森県で最初に酪農が導入された所だそうで、アイスクリームなどが激ウマだそうです。どうせ村おこしするなら、そっちでやれば良かったのに。

たぶん変な人が来て、「ここがキリストの墓だ!」と言い出さなければ、その路線で進んでいけたでしょうにね。その人もダメだけど、乗っかっちゃった方も悪くないとは言えないので、きれいな風景を見ながら複雑です(=;ェ;=)


キリストの墓まで

キリストの墓まで220m


ではいよいよ「キリストの墓」へと向かいますが、その前にちょっと概要を説明しておきましょうか☆

「ゴルゴダの丘で磔刑に処されたとされるキリストは、実は密かに日本に渡り、この村に住み106歳の天寿を全うしていた」と言って、茨城県の神社の宮司 竹内巨麿がこの村を訪れ、「キリストの墓」が「発見」されたのは昭和10年のこと。

それ以前にこの村に「キリスト」の伝説などは一切なく、竹内巨麿が根拠として挙げる竹内文書なるものも信憑性のないもので、この話が出たときにはジャーナリストや学者たちが「これは神を冒涜するものだ」と猛烈に抗議したほどでした。

しかし時は、日本が軍国主義に傾き、「日本国こそが世界の中心だ」という言説が飛び交っている時代だったので、イエス・キリストなど聖書の中の人物が日本から出たのだというヘンテコな話が、受け入れられやすい状況が日本全体の中にありました。


キリストの里公園案内図

キリストの里公園案内図


また、世のインテリたちが面白く思って当地を訪れたことも、名を広めることに寄与してしまいました。

そういう人々が見に来て、中には本気にして本を出版する人物まで現れたので、何も知らない農村の人々はびっくりしつつも、自分たちの村にそんなすごい歴史があったのかと、喜ぶ気持ちにもなったことは事実でした。

そして「それならば」と、ついには村おこしに利用されることとなり、観光資源として役立つならばいいじゃないかと、「キリスト祭」が企画され、「キリスト街道」が整備され、「キリストの墓」の周りに「キリストの里公園」が作られたのです。

キリストの墓案内
キリストの墓案内
キリストの墓説明板
キリストの墓説明板
キリストの墓へ
キリストの墓へ

キリストの墓

キリストの墓


こちらが竹内巨麿が「発見」したいう、「キリストの墓」です。

大きな十字架は元々はなく、雰囲気作りのために建てられたものです。

奥がキリストの墓で手前のが弟のイスキリのものだそうです。聖書を読んだことがある人なら、「キリストにイスキリなんて弟いないよな」と間違いに気づくはずですが、ちょっとインテリだったりすると、「イエスの弟だからイスキリなのか」と惑わされていまうのかも。

だけれど最も大きな問題は、「イエス・キリストがゴルゴダで十字架に架かって死んでいない」とすることです。それではキリスト教の根幹が覆ってしまいます。竹内文書によると、「十字架には、イエスの代わりに弟のイスキリが架けられた」のだとか。あり得ません。

それじゃあイエス・キリストは救い主でも何でもなくなってしまいます。ではイスキリが救い主なのか?って、イスキリなんて人、聖書に全く出てきませんしっっ(≧ヘ≦)!!

キリストの墓の横には、イスラエルから友好のしるしのプレートが贈られて設置されてますけど、イスラエルに興味を持ってくれてありがとうと言いたいならば、そう言えばいいことで、こういうお墨付き与えてるかに見えることをされるとかえって迷惑ですから。
キリストの墓
キリストの墓
イスキリの墓
イスキリの墓
イスラエルから
イスラエルから
イスラエルから
イスラエルから

キリストの里伝承館

キリストの里伝承館


では資料が展示されているというキリストの里伝承館へ参りましょう。

教会でもないのに十字架付けてるところが、腹立たしいです。

大体、ロマンだ神秘だと言って、キリストの名を商売に利用していることを、由々しき事だと思わないクリスチャンがいるでしょうか。

キリストの里伝承館
キリストの里伝承館
キリストの里伝承館歌碑
歌碑
キリストの里伝承館のトマト
ミニトマト
キリストの里伝承館
キリストの里伝承館

キリストの里伝承館内

館内


館内には新郷村の民俗資料と、キリスト伝承のあらましをパネルにしたもの、竹内文書の「キリストの遺言」などがあります。

竹内巨麿が「ヘブライ語で解釈できる!」と言ったご当地の民謡ナニャドヤラの映像も見ることができます。

この民謡に関しては、民俗学者の柳田國男が現地調査に訪れて、「昔からよくある、女が男を交合に誘う、自由恋愛の歌であり、歌詞も日本語である」と、調査内容と結論を発表しているんですが、そういったことは説明されていませんでした。

写真手前(↑)に写っているのは「不思議儀」で、世界七不思議などのポイントを示したもの。新郷村もその一つだと言いたいようです。パネルでは、新郷村が昔、戸来(へらい)村で、それがヘブライに似ていることや、幼児の額に魔除けの十字を書く風習があることなどが、イスラエルと関係があると示唆しています。

ただし、館内のアナウンスでは「昭和10年まではこの村にキリストの話は一切ありませんでした」と正直に言っていて、降って湧いたような「湧説」ですが、ロマンを感じてもらい、新郷村について知ってもらう機会にしてもらえれば、などとと謙虚なことを言っていました。たぶんそう言わないと、キリスト教界から叱られるからでしょうね ε- (´ー`*)フッ

展示品
展示品
展示品
展示品
年表
年表
年表
年表
古文書?
古文書?
映像
映像
展示
展示
展示
展示

夕陽

夕陽


展示パネルを読み、館内アナウンスを聞いてみると、どうやら「キリストの墓」は、昔の有力者の墓で、この地域の人たちもそれを承知しているようです。

けれど、ロマンを感じてやって来る人がいるんだから、その人たちの好奇心を満たすために観光施設を運営し、それで儲けてもいいじゃないかな。見に来る人だって喜ぶ訳だし。――と、村人たちは考えているんじゃないかと思います。私の感じた結論としては。

それににしても、何で日本に「キリストの墓」があることになってしまったかですが、それは日本人がキリスト教に対して無知だったからではないかと思います。

例えばヨーロッパで、「ここがキリストの墓だ」と他の宗教の指導者が主張したとしたら、誰が信じるでしょうか? 他の宗教の指導者の家に、そんな古文書が伝わっていることは有り得ないと一顧だにされないでしょう。その上「ゴルゴダで十字架に架かったのは弟のイスキリでね」だなんて、そんな聖書に矛盾する内容、一蹴されるに違いありません。

しかし日本には、それがロマンやミステリーのレベルででも、信憑性が感じられてしまう余地があるということです。つまりキリスト教と聖書に関する無知が、「キリストの墓」を、観光地としてではありますが、誕生させてしまったということです。それこそ由々しき事態であると、痛感してしまった一日でした(;´д`)






       さあ、確認してみよう!


    最近は何でもインターネットで検索できて、情報を得ることができます。
    手軽だし、瞬時にある程度のことを調べられるので、私もよく利用します。

    だけれど先日知り合いが、ある店をネットで調べて予算を組んでいたんだけれど
    行ってみたら価格改定されていて、予算オーバーになってしまったと話していました。
    たった一本電話して確認すればわかったことなのに、と。

    ネットで検索すれば出てくるから、それが本当だろうと考えやすいし
    それで何でも知っているような気になってしまうのが、ネット時代です。

    だから今回は足を運んで、確かめてみたいと思います。
    確認すれば、より確かなものを信じられるはず。
    五感を目覚めさせて、御心のある旅をできますように!







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