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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 みちのくキリシタン物語 vol.2


     今日は少し人数が増えて、5人で回ります☆
     行き先は津軽。太宰治で有名な地域ですが、そこからもう少し足を伸ばして
     鯵ヶ沢や十三湊まで訪れてみようと目論んでいます。
     道中も恵み深い対話をしながら主と共に行けますように♪(p・ェ・)pq(・ェ・q)♪



岩木山

岩木山


昨日は弘前に泊まり、今日は新青森で3人と待ち合わせして北へゴー♪

まだ季節ではないけれど、りんごの実がなり始めていていい感じです。青森といえばりんごですが、宣教師が持ってきて栽培するようになったものです。

りんごの恵みも神様からなんですね。遠く青く見える岩木山が、見守ってくれてるように感じます。。(*´▽`*)ノ


わさお渋滞

わさお渋滞


鯵ヶ沢に入るや否や渋滞になって、事故でもあったのかと思ったら、原因はブサカワで有名になったわさおの店でした。わさお渋滞ですね。

この国の人は物見高いなと思ったりして。私たちも何かに惹かれて出かけているんですから、人のこと言えませんけど。でも一般の人とはちょっと違うんですよ (⌒^⌒)b


鯵ヶ沢町奉行所跡

鯵ヶ沢町奉行所跡


渋滞も何のその、トイレ休憩もなく一気に北上し、訪れたのは鯵ヶ沢町奉行所跡。解説板が建てられています。

1614年、大坂で捕まって転ばないために流されてきたキリシタン71人とその家族200余人が上陸したのが鯵ヶ沢湊。湊で彼らの身柄を引き取って、次の目的地に向わせるまでの間留められたのは、この奉行所だったと考えられます。

奉行所跡の碑や説明板は下の井戸の所にあるけれど、実際は一段高くなった、現在学校がある辺りが奉行所の建物があった所でしょうね。

井戸ももちろん敷地内だったろうから、ここから汲まれた水をキリシタンたちは飲んだのでしょう。彼らの足跡に、ようやく出会えたような感じがします☆

鯵ヶ沢町奉行所跡
鯵ヶ沢町奉行所跡
鯵ヶ沢町奉行所跡
鯵ヶ沢町奉行所跡
下の井戸
下の井戸
下の井戸
下の井戸

鯵ヶ沢湊

鯵ヶ沢湊


奉行所跡の向かいにある鯵ヶ沢警察署の辺りは、昔は海岸線でだった所。キリシタンが上陸した所です。

ミヤコや活気ある大坂で暮していた人たちが、見ず知らずの寒い土地に流されるのはどんな気持ちだったんでしょう。

身分も武士や町人が大半だったので、農業をして生きていくのが困難で、そこへ冷害にまで見舞われ、餓死者を出しています。


鯵ヶ沢湊

カモメたち


今日は天気が不安定で、空を厚い雲が覆っています。彼らの流配地はここではなくて、ここから小舟に分乗させられて、十三湊へ。そこから更に辺境の地へと送られました。

十三湊から「一日半の所」で「荒れた原野」だったと記録されています。信徒たちの頭の上も、こんなふうにカモメが悲しく鳴いていたかもしれませんね。



 もっと北へ p( ̄ー ̄\)Go!


鯵ヶ沢湊から

延々と続く


盆踊り唄「十三(とさ)の砂山」の舞台、市浦村十三(じゅうさん)は、津軽半島の西北部に位置し、東側にはシジミで有名な十三湖が広がります。

この十三湖が昔、十三湊と呼ばれていた所で、キリシタンが入港した湊でした。

十三湊へと向う沿道に延々と続く松林は防風林で、かつて大砂丘地帯だったこの地を新田開発しようと藩主が植えさせたもの。キリシタンはまだこの防風林が出来上がる前に入植させられたので、風の吹き荒ぶ砂地を開墾するのにどんなに苦労したことでしょう。今日も風が強く冷たいので、少し実感できるような気がします。ほんの少しですけど・・・。

鯵ヶ沢湊から
「十三の砂山」
鯵ヶ沢湊から
鯵ヶ沢湊から
鯵ヶ沢湊から道中
道中
鯵ヶ沢湊から道中
道中

十三湊

十三湊


十三はかつて港湾施設を持った中世の湊町で、鎌倉時代には十大貿易港として、江戸時代には、三厩、深浦、鰺ヶ沢とともに津軽四浦の1つとして知られていました。

今ではその面影は全く見受けられませんけどね。ここから屏風山の砂山や、七里長浜と呼ばれた大砂丘地帯に、更にキリシタンは流されていったんですね。

その時代五所川原以北の岩木川流域は不毛の地とされ、一面が萱野原だったというけれど、今でも防風林のない所はそんな感じです。しかも冬は猛吹雪が吹き荒れるとのこと。今は夏の盛りだけれど、今日は少し曇っていて上着が必要なくらい。

真夏にこんな言葉を言うことは思わなかったけれど、「寒い」です。 1615年、津軽では東風が吹き荒れ未曾有の大飢饉になってしまい、一粒の米も実らなかったため、人々は木の葉や草の根をかじっていました。

記録には、「八月十日頃から十四日まで大雪であった」と、信じられないようなことが書かれています。旧暦なので今とはひと月ほど違うはずですが、それにしても異常です。

七里長浜
七里長浜
十三湊
十三湊
十三湊
十三湊

七里長浜

茨の実


実は今日が、ちょうど同じ日付です。当時の人々のことを肌で感じられるように、この日に来るようにさせてもらったのでしょうか。寒い天気まで備えて。

それでも・・・と、茨の棘に気をつけながら丘を上り、天に向って讃美してみました。ここで起こった悲しい歴史をご覧になっていた神様の心を慰めたくて。


七里長浜

晴れた!


すると、灰色の雲が飛び去っていき、晴れ間が見え始めました。

続けて歌うと日差しが差してきて、暖かくなり上着を脱ぐように。

歌い終わる頃にはまぶしい陽光が降り注いで、波がキラキラと輝いていました☆


十三湊

感謝♪


天の心がこのように解かれたということでしょうか。喜んでくださっているとか?

自然現象を意味あることとして解釈するなんてナンセンスだと言われてしまうかもしれませんが、私は神様を信じているのでいつもします。感謝し、天と対話するために良いことではないかと思うのでo(*'▽'*)o

十三湊
十三湊
七里長浜
七里長浜
七里長浜
七里長浜


 太宰治の津軽へ!


斜陽館

斜陽館


鯵ヶ沢と十三湖を満喫したので、津軽の他の観光地へもちょっと立ち寄りましょうかね♪

五所川原市の金木町にある斜陽館。太宰治生家です。さすがにここは観光名所といった感じで人も多いですね。

やっぱりお盆休みなんだなと感じます♪

斜陽館
斜陽館
太宰治の文章
太宰治の文章
太宰治の文章
太宰治の文章

雲祥寺

雲祥寺


斜陽館の近くにある雲祥寺も太宰治ゆかりの寺。それで訪れる人も多いようですが、私の目的は別にあります (ΦωΦ)フフ

でもまずは、一般的な観光客を装って(装う必要はないけどw)、有料エリアの見学を。太宰治が幼い頃に見てトラウマになったという地獄絵を堪能。

暗い堂内で見ると鬼気迫るものがありますが、最近の映画などを見ている現代人には、「そこまで?」みたいな感じも。もちろん地獄はもっと恐ろしいはずなので、行きたくないですけど!

雲祥寺
雲祥寺
雲祥寺
雲祥寺
雲祥寺
雲祥寺
雲祥寺
雲祥寺

十字入り地蔵尊


さて雲祥寺の境内、地蔵堂に安置されているこのお地蔵さんたちが私の見たかったもの。

十字のよだれかけをした、この地域特有の地蔵尊で、化粧も施されているので、化粧地蔵と呼ばれています。

化粧地蔵は五所川原市の金木町周辺では頻繁に見られるものなのですが、キリシタンが流されて来た地域とあまり離れてない所なので、キリスト教と関連があるんじゃないかと言う人がいます。それで興味を持って来てみたわけです。

白粉に口紅をつけて、眉まで描いたお地蔵さんというのは・・・、なかなかインパクトがあるもので、同行者は思わず「こわー!」と声を上げておりましたが、明るい所で見ればどこかユーモラスだったりもします。

白地に赤い十字をつけた地蔵尊が並んでいる様子は、サッカーのイングランド代表にも見えなくもない(?)ですね。いずれにしても一度見たかったので、目で見て確認出来て良かったです (o ̄∇ ̄o)/

雲祥寺
地蔵堂
十字入り地蔵尊
十字入り地蔵尊
十字入り地蔵尊
十字入り地蔵尊
雲祥寺
境内

カトリック五所川原教会

カトリック五所川原教会


せっかく五所川原市まで行くので、教会がどのくらいあるんだろうと思って調べてみましたが、ついでに立ち寄れそうな所にはカトリック五所川原教会くらいしかありませんでした。

小さいけれど、落ち着いていて感じのいい教会ですね。だけれど、キリスト教はこの辺りでは苦戦してるのかなという印象を受けました。



 弘前市へと戻りつつ・・・★


日本キリスト教団 藤崎教会

日本基督教団 藤崎教会


弘前市へと戻りつつ、とっても訪れてみたかった日本基督教団 藤崎教会へ☆

青森での伝道の始まりは東奥義塾からとされますが、横浜で伝道された津軽藩士 本多庸一が郷里に戻り、東奥義塾の教師となったことで快進撃が始まりました。

1875年に学生中心に22人が受洗して、彼らが県内に散って福音を入れて行ったのです。そしてこの日本基督教団 藤崎教会が創立されたのが1886年。県内では4番目にできたプロテスタント教会なので、随分早い段階だったと言うことができます。


解説板



ここで見たかったのは、藤崎町出身の牧師、藤田匡(ただす)の漢詩屏風。実物は見られず、展示ルームに置かれていた小さな写真だけしかありませんでしたが、中に入って見学できただけでも感謝です♪

藤田匡はこれを12歳で書いた俊才でしたが、14歳で失明。本多庸一と出会うことで苦しみを癒されて25歳でクリスチャンとなり、その後の人生を伝道に捧げました。

目は見えずとも精力的に活動し、近隣で多くの命の実を刈り取ったということで、教会員からも敬愛されていたようです。藤崎教会の信徒さんたちは、藤田匡を招聘するため熱心な運動を起こし、藤田匡は3回にわたり藤崎教会に赴任しています。

もちろん苦労は相当あったと思いますが、こういう人が「地の塩、世の光」なんでしょうね。私も・・・ねぇ ∈( ̄o ̄)∋ナリタイデスヨー


森のイスキア

森のイスキア


皆と別れる最後に訪れたのは、弘前市郊外にある森のイスキア

佐藤初女(はつめ)さんというクリスチャンの女性が主宰する場で、手作りの料理を通して人の心を癒す活動がされています。

M子ちゃんから佐藤初女さんの本を薦められてから、ファンになっていたので、ちょっとお会いした気持ちもあったのですが、今回は外観だけで満足することに。前で記念撮影だけして参りました♪



 弘前を散策 o(゜ー゜o)。。。。


日本基督教団 弘前教会

日本基督教団 弘前教会


今日行こうと思っていた所には全部行けましたが、まだ明るいので弘前の代表的な教会二つだけ行っておくことに☆

お城からも近い、日本基督教団の弘前教会です。創設は1875年。開国後、青森で一番最初に建てられた教会ですね。

初代牧師は本多庸一。この礼拝堂は1906年にクリスチャン棟梁として知られる桜庭駒五郎が設計したものがそのまま残っているということなので、建物も100年以上の歴史を持っているんですね。

日本基督教団 弘前教会
弘前教会
日本基督教団 弘前教会
日本基督教団 弘前教会
日本基督教団 弘前教会
弘前教会の碑

周辺地図

カトリック弘前教会

カトリック弘前教会


続いて、割と近くにあるカトリック弘前教会へ。

カトリックではキリシタン時代に宣べ伝えているので、開国後に再び宣教を開始したことを「再宣教」と言うのですが、青森で「再宣教」が始まったのが1875年。

それが本格化して教会が創設されたのが1878年のことです。こちらの建物は1910年からあるものだそうで、日本基督教団 弘前教会に負けず劣らずの歴史的建築物ですね。どちらも弘前市のど真ん中に、歴史と由緒ある教会を建てていて素晴らしいです (*゜O゜)ノ


カトリック弘前教会

祭壇


こちらは中にも入れたので、聖堂でお祈り。

一日を守ってもらったことも、いろんなものを見せてもらったことも、感謝が尽きません。

中央のゴシック様式の祭壇も素敵ですね。神々しさの中に静謐さをたたえていて、それでいて慕わしげな気持ちにもさせられます。やはり日本人は石よりも木に親しみを感じるのかも☆

カトリック弘前教会
カトリック弘前教会
カトリック弘前教会
カトリック弘前教会
カトリック弘前教会
カトリック弘前教会
カトリック弘前教会
信徒席

津軽為信像

津軽為信像


お城の方に歩いて行くと、弘前文化センターの前に津軽為信像が。

元はと言えば、この人が息子たちにキリシタンになれと言ったから、青森に福音が入ったんですね。自分は側室が多くて、キリシタンにはなれないと言ったのだから、尊敬はしませんけど ( ̄∧ ̄)


弘前城跡

弘前城跡


せっかくなので弘前城跡にも入ってみました。すぐに暗くなってしまったので、あまりよく見ることはできなかったけれど、来てみて良かったです☆

広くて緑が多くて、雰囲気がいいですね。それにやはり弘前に来たのだから、シンボル的な所には行っておくのがいいのかと。

私が自分の狭い興味範囲に縛られやすいから、こういう良い所もあるんだよと教えてもらったような気がします。反省して、一日を終えたいと思います。ああ、今日も一日守られて感謝ヾ(@⌒▽⌒@)

弘前城跡
弘前城跡
弘前城跡
弘前城跡
弘前城跡
弘前城跡
弘前城跡
弘前城跡






          「みちのくキリシタン物語」


         私がキリシタン関係で最初に手に取った本は、
         只野淳著の「みちのくキリシタン物語」。
         以来ひたすらキリシタンを追い続けているのだから
         原点と言ってもいいのかもしれません。

         「みちのくキリシタン物語」は岩手と宮城に詳しいのですが
         「道の奥=みちのく」ならば、やはり青森じゃないかと思います。
         それで今回のタイトルを「みちのくキリシタン物語」に。

         「みちのく」に惹かれて始まった旅が
         一つの区切りを迎えればいいなと思っています (*゜v゜*)







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