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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 みちのくキリシタン物語 vol.3


   今日は3日目。青森は今日で締めくくって、夕方には秋田に向かいます。
   今日まで3日間、毎朝始発で実家を立って同行してくれたM子ちゃんも
   夕方にはお別れです。もちろん又会うから、しばしのお別れですが☆
   何はともあれ、今日も御心どおりにお願いします Uo・ェ・oU



弘前

小雨模様


今朝は小雨模様でスタート。雨に濡れているのは・・・りんご? 季節じゃないし、形もちょっと違うかな?

駅で待ち合わせして、まずは教会めぐりへと参りましょう♪ 昨日開いていなかった、日本基督教団 弘前教会が今日は入れるといいだけどな。。

日本基督教団 弘前教会

日本基督教団 弘前教会


本多庸一ゆかりの日本基督教団 弘前教会。中も見てみたかったけれど、今日もクローズのようです。時間が早すぎたのかな?

まあ仕方ないですよね。時間に限りがあるので、先に進みましょう。壁や扉をぴたぴた触って味わって、ネクスト!


カトリック弘前教会

カトリック弘前教会


カトリック弘前教会の方は今日もオープン。有難いです♪
やっぱり旅の空とて教会で祈らないと、どうも気持ちがすっきりしませんので。

昨日はよく見なかった聖画や聖像を近づいて見学。宗教的な芸術作品は、精神性が濃いですね。当然かもしれませんが、エゴでない精神性って、現代のものではあまり見かけません。

カトリック弘前教会
ステンドグラス
カトリック弘前教会
聖画
カトリック弘前教会
ステンドグラス
カトリック弘前教会
聖像

旧伊東家住宅

旧伊東家住宅


弘前城から徒歩で5分ほどの所には武家屋敷が今も残っています。こちらは旧伊東家住宅。周りにも黒塀が続いていて、いかめしい感じです。

江戸時代とかなら、私みたいな庶民はこんな町を歩くことすらできなかったんでしょうね。身分制度のない時代に生まれたことだって、ちゃんと感謝しなきゃと思ったり☆

弘前市伝統的建造物保存地区
伝統的建造物保存地区
弘前市伝統的建造物保存地区
伝統的建造物保存地区
弘前市伝統的建造物保存地区
伝統的建造物保存地区

まるめろ緑地

まるめろ緑地


この辺りにキリシタンが入れられた博労町牢があったはずなんだけどなーと、弘前市の伝統的建造物保存地区に指定された道をてくてく。

町名しかヒントがないので、ただ歩きながら想像しているしかなかったのですが、ふと見ると、まるめろ緑地なる公園が。

「ちょっとした休憩にいいんだろうな、今日は雨だから休めないけど」と思いつつ、何となく中へ。解説板を見てみたら・・・、牢屋の位置がばっちり書いてあるではありませんかっ!

まるめろ緑地
まるめろ緑地
まるめろ緑地
まるめろ緑地
まるめろ緑地
周辺地図!

博労町牢跡

博労町牢跡、発見!


すごいピンポイントで牢の位置が記されていたお蔭で、しっかり判明しました。牢屋跡が。かなりの僥倖です!!

見ると少し前まで会社の寮だったのが、現在は空き地になっているようですね。ここはキリシタンが入れられた牢の跡であり、殉教地です。

津軽藩でのキリシタンは、少人数の場合は牢内の御用場で行われ、大人数だったり火刑や磔刑の場合には駒越の渡し場にあった刑場で行ったので。刑場で処刑される場合でも、信徒は牢から引き出されて市中を引き回されてから、刑場に連行されたので、殉教への道の始点でもあります。

武家屋敷もいかめしいですが、牢屋敷はもっといかめしく、物々しかったんでしょうね。中で信徒たちは何をしていたんでしょう。転ばない限り、転んでもそれを信用されない限り牢からは出られないのだから、信仰を守るというなら、死ぬ外なかった時代です。毎日苦しかったでしょうし、毎日主に向って心の中で叫んでいたことでしょう。濡れた地面が彼らの顔のように見えてきます。



 追手門広場へ行ってみよう (* ̄ー ̄)v


ミニチュア

ミニチュア建造物♪


弘前市の中心部には追手門広場という、いろんな観光施設が集められた所があります。

私たちも一応観光客(多少ディープな関心に突き動かされた珍客ですが)なんだから、観光っぽい所にも足を踏み入れてみようということでゴー。

東奥義塾の外人教師館も移築されてあるというので、それが見たいというのがメインなんですがね。ついでに可愛らしいミニチュア建造物にもキャッキャ言い、ねぷたの展示された観光館にも寄ってみようかと思います o(゜▽゜ヽ)

ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
弘前 聖公会の教会!
聖公会の教会!
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
日本基督教団弘前教会!
弘前教会!
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物
ミニチュア建造物

旧東奥義塾外人教師館

旧東奥義塾外人教師館


こちらが旧東奥義塾外人教師館。昔の洋館というだけでも見ていて楽しいですが、歴史的意義を思うと感動が☆

東奥義塾は、明治5年に県内で最初に開校した私学校。青森でのプロテスタント宣教は、1873年東奥義塾に英語教師として招かれたウォルフが、教室で聖書を教えたのが最初だと言われています。

東奥義塾は慶応義塾を模範とした私学で、当時はミッションスクールではなかったんですがね。一度経営破綻して、1922年に再生した時からキリスト教主義の学校となり、再スタートしました。不思議な感じもしますが、そういった紆余曲折があったんですね。

旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館

観光館 ねぷたの山車

観光館


弘前の観光をアピールする施設も、なかなかの見ごたえ♪

ねぷた祭には行けないけれど、山車展示館ではねぷたの山車などは見られ、観光館では民俗工芸品を見学できます。

女性なら追手門広場だけで夢中になって半日くらい過ごせそうですね。私たちは雨宿りを兼ねてさささーと見て通り過ぎていきますが (^。^;)

ねぷたの山車
ねぷたの山車
山車
山車
山車
山車
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品
民俗工芸品


 いざ史跡めぐりへ!


駒越の渡し場跡

駒越の渡し場跡


では本格的に史跡めぐりへ!ということで、まずはキリシタン殉教地の駒越の渡し場跡へ。

私にとっては、青森で一番来たかった場所と言ってもいいかもしれません。碑も解説板も何もないけど。

1638年、73人のキリシタンが処刑されたのは、恐らくここ。1637年に鎮圧された天草・島原の乱以降、全国でのキリシタン摘発は苛烈さを増し、津軽藩にもその流れが押し寄せたのでしょう。

初代藩主の津軽為信は息子にキリシタンになるよう申し付け、二代藩主の信枚(のぶひら)はキリシタンになったこともあったというのに・・・。藩内でキリシタン処刑が最も多く行われたのは三代藩主の信義の時でした。


革秀寺

革秀寺


続いて津軽為信の霊屋がある革秀寺へ。寺の周りは堀で囲まれ、寺院というより城のよう。

堀を覆い尽くした蓮がうっすらと色づきながら咲いている様子はきれいですけど。

残念ながら津軽為信の霊屋は、頑丈な柵の向こうでよく見られません。後ろからちらっと見えるのみで。

寺や霊屋を見ただけですが、津軽為信という人は用心深いというか、襲われることを極度に恐れていたような印象を受けます。あの世に関しても、いい世界に行けるようすごく神経を遣っていたのかもしれません。一説には自分が裏切った南部家の怨霊にひどく怯えていたのだとか。祟られるようなことをしなければ良かったろうにと、個人的には思ってしまいますが。

革秀寺
革秀寺
津軽為信霊屋
津軽為信霊屋
津軽為信霊屋
津軽為信霊屋
革秀寺
革秀寺

革秀寺


しかしまあ、その祟りを恐れる気持ちが、息子たちをキリシタンにしようというアイデアにつながったのですから、息子から教理を聞いて改心していたら、もっと違う心持になれたかもしれません。

1596年、津軽為信は今日から津軽へと帰るとき、教理に詳しい一人のキリシタンを連れて帰ったので、ある程度は聞いて学んだはずなんですけどね。聞きはしたけど、その通りに生きるのは嫌だったんでしょうね。「側室を持つなとか、オレ無理だし」と思っていたのかもしれません (*・ε・*)


日本聖公会 弘前昇天教会

日本聖公会 弘前昇天教会


お次は教会へ。ミニチュア建造物で見た、日本聖公会の弘前昇天教会です。風格あるたたずまいが素敵です。

青森で聖公会が宣教を始めたのは1896年。こちらの聖堂が建設されたのは1921年のことなんだとか。

設計者は、国内にいくつも有名な教会堂を残しているガーディナー。特に明治村にある聖ヨハネ教会はよく知られていますね。行ってみると、一階が子供の遊び場になっていて、荒れ気味ですけど・・・。あ、ここはよく管理されていて信仰的な雰囲気が漂ってるからいいですよね♪

弘前昇天教会
弘前昇天教会
弘前昇天教会
弘前昇天教会
弘前昇天教会
弘前昇天教会
弘前昇天教会
弘前昇天教会


 弘前学院と東奥義塾へ (ΦωΦ)ノ


弘前学院礼拝堂

弘前学院礼拝堂


さて弘前学院へとやって参りました。国の重要文化財に指定されている外人宣教師館を見たくて♪

弘前学院は青森初のミッションスクールで、1876年から活動していた弘前教会の日曜学校を制度化し、教会堂の一部を校舎にしたのが始まりです。

今は中心部を離れた住宅街にありますが、立派な礼拝堂があっていい感じです。


弘前学院外人宣教師館

弘前学院外人宣教師館


こちらが外人宣教師館。

「宣教師」は国外から来た「外人」なので、言葉がかぶってる気がしますが、そんなツッコミはさておき、適度に修復されていて良いですね☆

弘前学院外人宣教師館
弘前学院外人宣教師館
弘前学院外人宣教師館
弘前学院外人宣教師館
弘前学院外人宣教師館
弘前学院外人宣教師館
弘前学院
弘前学院

まるめろ

りんご?


では東奥義塾にも行ってみようと住所をナビに入れて進んで行くと、どんどん郊外へ・・・というか、田舎に。生徒さんたちはどうやって通うのか心配になるほどです。

ふと見ると、朝見たりんごみたいな実がまたなっていました。今度はまだ青いままで。よく見たらこの辺りはこの果物の畑ばかり。収穫の季節には美しいでしょうね♪


東奥義塾高等学校

東奥義塾高等学校


東奥義塾の前身は藩校の稽古館。現在はキリスト教主義を標榜する学校で、青森県人によると有名な進学校なんだとか。

青森のキリスト教史をざっと語るなら、こんな感じです(↓)。

稽古館に学び藩命により横浜に留学し、1872年に宣教師バラから洗礼を受けた本多庸一が、帰郷してこの東奥義塾の塾長に就任。

1874年に英語教師として来日したジョン・イングとタッグを組んで、伝道を始め弘前教会を設立し、伝道された塾生が県内各地に散らばって伝道することで、1881年までに黒石、青森、藤崎に教会が建てられました。

ちなみに、このジョン・イングが青森にりんごや西洋野菜を紹介した人物で、農村で栽培技術の指導もしました。青森の田園風景に、キリスト教の息吹を感じてもいいかもしれませんね d(^-^)

東奥義塾高等学校
東奥義塾高等学校
東奥義塾高等学校
あ、バスがあるんだ


 ラストはどこへ?


碇ヶ関へ

碇ヶ関へ


これで今日の旅程は終了。行きたい所には全て行けたのですが、時間が余ってしまいました。

「どうしようか、お茶でもする?」と話していたら、M子ちゃんが「碇ヶ関はどうですか?」と。

「えっ、行きたい。でも遠いんじゃない?」「近いですよ」

土地勘のない私は遠いから行けないと思い込んでいましたが、高速を使えば弘前からでも近いのだとか。さすが地元民! ということで、本日のラストは碇ヶ関に決定。南に向かいます (⌒o⌒)ゴー


道の駅 碇ヶ関

道の駅 碇ヶ関


小一時間ほどで道の駅 碇ヶ関へ到着。ここに関所を復元した建物があるということで。ついでに休憩も取りましょうね。朝からノンストップで、ろくにご飯も食べてませんので。

道の駅 碇ヶ関は、広い敷地に様々な観光施設が併設されたハイスペックな道の駅。ここにお出かけ、というのもアリな感じです☆

道の駅 碇ヶ関

ラーメン


今日初めて、車内以外で食べる食事はラーメン。魚介のダシが利いていて、ちょっとしょっぱい味付けです。青森だなぁと感じました。

そこに実際に行って味わったりできるおかげで、五感から様々なことを感じ取ることができますね。生きてるお蔭だなと、感謝しました。場違いかもしれませんが♪


碇ヶ関関所の高麗門

碇ヶ関関所の高麗門


食事をして落ち着いたところで、関所関係の建造物を見学。

駐車場に建てられたこちらは、碇ヶ関関所にあった高麗門を復元したもの。

随分と大きくて威圧的です。威圧するために作ったんでしょうから当然ですけども。私みたいな小心者はくぐって入って行けないかも。入って行ったら殺されそうな気がするのは、キリシタン目線だからかなぁ。。ヽ(TдT)ノ

高麗門解説
高麗門解説
高麗門解説
高麗門解説
周辺地図
周辺地図

面番所

面番所


こちらが関所内で取調べをする面番所。表に刺股(さすまた)とかあって怖い感じです。

津軽為信が碇ヶ関に関所を設けたのは1586年。以後江戸時代を超えて1871年までありました。

津軽三関の一つで重要視されていたので、当然高札が掲げられ、キリシタンを見逃すまいと厳しい目を向けていたことでしょう。

1621年イエズス会のマルチノ式見神父は、特別聖年の全免償を告げ知らせるために津軽のキリシタンを訪問したのですが、その際国境のここを通ったようで、「碇ヶ関番所では取締りが厳しかった」と書いています。

また碇ヶ関関所には本陣が控えられており、藩主が江戸参府する際に宿泊しています。なのでキリシタンに関わった歴代藩主たちが、皆通って行ったということですね。

碇ヶ関関所
解説板
碇ヶ関関所
碇ヶ関関所再現
碇ヶ関関所
碇ヶ関関所展示品
碇ヶ関関所
碇ヶ関関所展示品

碇ヶ関関所跡

ほんとの関所跡


しかし!実際に関所があたのは、道の駅ではなく、JRの駅の方に行った辺りだということを知り、そちらにも足を伸ばしてみました。

道の駅ほど立派に整えられてはいませんね。建物もないし。空き地に小さな碑があるのみです。

摘発されて江戸送りになった信徒たちも碇ヶ関の関所を通って行ったはずですが、この辺りにあった番所の牢に入れられて夜を明かしたんでしょうか。藩主などとは違い罪人たちの資料はあまり残っていなくて、詳しいことはわかりませんね。寂しいことですが...(´ヘ`;)

碇ヶ関関所跡
碇ヶ関関所跡
碇ヶ関関所跡
碇ヶ関関所跡碑
碇ヶ関関所跡
碇ヶ関関所跡

碇ヶ関関所にて

JRで秋田へ


道の駅で買ったお菓子を見ると「まるめろ姫の甘酸っぱい恋」と書かれてました。そっか、あのりんごみたいな果物は「まるめろ」だったのね。疑問氷解♪
秋田新幹線

秋田へ

車窓


M子ちゃんと駅で別れ、私たちは秋田へ。しばらくすると、車内が黄金の夕陽で満たされました。広大なんですね、みちのくって。もっと山がちかと思ってました。

ここで人が生きて死んで、歴史をつむいできたわけだけど、私は何を残していくんだろう。――電車に揺られながら、そんなことをずっと考えていました。






             何で殉教地なんかに行きたいんですか?


         「何で殉教地なんかに行きたいんですか?他にいい所たくさんあるのに」
         と、よく言われます。訝しがるような表情で。
         女性が処刑場を探して行こうとしているのが、変に見えるようです。

         その人たちが納得してくれるような答えをなかなかできないのですが、
         「行かないでいることができなくてね」と、いつも答えています。
         自分の中に湧き上がってくる感覚、衝動なので説明し尽くせなくて。
         実際自分でもその衝動の正体をわかっているかどうか・・・。

         ただ自分の中に「確かめたい衝動」があるのを感じます。
         その場に行ってみて、自分が何を感じるのかを確かめてみたいのです。
         人って自分の中でも旅をしているような、妙な存在ですね★








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