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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 みちのくキリシタン物語 vol.4


         今日からは夫と2人。寂しいような、気楽なような☆
         秋田でも殉教地を中心にキリシタンゆかりの地を訪れ
         できれば涙を流すという秋田の聖母を見て来たいと思います。
         運が良くないと見られないものもあると思うので
         しっかりお祈りしてレッツゴーヽ( ´ ▽ ` )ノ



日本基督教団 横手教会

日本基督教団 横手教会


車で向ったのは横手。走っていたら「教会」の文字が見えたので、案内看板の通りに行って日本基督教団 横手教会へ。

1911年の創立だそうです。明治時代からだなんてすごいですね。横手への期待が高まりました♪

横手城跡

横手城跡


続いて本来の目的地の横手城跡へ。

星のマークがかっこいいんですけど☆

小野寺氏によって建てられましたが、佐竹氏の時代になってからは久保田城の支城に。現在は横手公園として、市が管理運営しています。

この城の三の丸にあった居館に本多正純父子いたはずなんですけどね。秋田は「遠い」ということで、本多正純父子の他、織田信雄や大友義統も蟄居を命じられて流されて来ています。後の2人は横手ではなくないけれど。

ちなみに織田信雄と大友義統はキリシタンで、本多正純は禁教令のきっかけとなった岡本大八事件の関係者です。歴史があるはずなんですが、イマイチ感じられないのは、私の想像力不足かなぁ。。( ̄(エ) ̄)

横手城跡
横手城跡
横手城跡
横手城跡
横手城跡 二ノ丸跡
二ノ丸跡
横手城跡 武者溜まり跡
武者溜まり跡


 岩瀬御台ゆかりの寺へ★


春光寺

春光寺


お城を後にして、岩瀬御台というキリシタン女性の位牌がある春光寺へ。

岩瀬御台は藩主 佐竹義宣の側室で、恐らくキリシタンになったが故に追放され、横手に閑居することとなったのです。

寺の前の標柱に、少しだけ岩瀬御台のことが書いてありますね。キリシタンだったとは書かれてませんけど。
春光寺の碑
春光寺の碑
春光寺の標柱
春光寺の標柱

天仙寺


岩瀬御台のお墓がある天仙寺にも来てみました。私はお墓と位牌って同じ寺にあるものだと思ってました。違う場合もあるんですねぇ。

門前に「岩瀬御台墓所」と、立派な碑が建てられています! 裏面を見たら須賀川市の二階堂史跡保存会の人たちが建立したと書かれています。

そっか、岩瀬御台は須賀川城主 二階堂盛義の養女でしたもんね。二階堂盛義が伊達政宗に殺されたため、一族の大館城主 岩城貞隆の元に身を寄せるようになり、1602年に佐竹義宣の側室として秋田に移って行ったのだから・・・この時代の女性は大変ですね。

変転する運命に翻弄されて、永遠なるものを求めるようになったのか、1620年頃に宣教師からキリスト教の教えを受けるようになり、佐竹義宣と不仲になって横手に送られました。亡くなったのは1639年なので、横手で十数年間穏やかに暮せたのでしょうか。


岩瀬御台の墓所


岩瀬御台の墓所は境内の端っこにあるものの、1991年に新築された総檜造の鞘堂の中に安置されています。

なかなか大切にされているように感じますね。一人の側室のために、こんな手厚いことがされることってあまりないような。

きれいな人だったのかなぁ (*゜.゜)
岩瀬御台墓所解説
岩瀬御台墓所解説
岩瀬御台墓所の碑
岩瀬御台墓所の碑
岩瀬御台の墓
岩瀬御台の墓
二階堂史跡保存会
二階堂史跡保存会


 横手城下を・・・('-'*)


横手城下 柳町牢跡周辺

横手城下 柳町牢跡周辺


では横手の城下町へ。キリシタンが入れられていた横手城下の柳町牢は、この辺りにあったはずですが・・・完全に飲み屋街ですね(;´д`)

他の地域の牢屋跡地もこんな感じだったので、頷けなくもないシチュエーションです。そういう所ばかり行ってるお蔭でわかったりする訳ですが。

横手城下武家屋敷

横手城下武家屋敷


もう一つの牢屋跡にもGO。当時キリシタンを入牢させるのに使われた外番匠町の仮牢は、愛宕山と呼ばれる所にありました。

横手城下の武家屋敷(←)は絵になる風景ですが、牢はこの近くにあったはずですね。

「横手町内番匠町に、切支丹屋敷というのがあり」と横手郷土史に書かれており、番匠町(ばんじょうまち)は現在南小学校がある所の北側、武家屋敷からは南側にあたる場所なので。「ここだ!」とピンポイントで指すことはできませんが、「この辺りかな」と思った所を写真に収めてきました☆

愛宕山周辺地図
愛宕山周辺地図
横手城下武家屋敷
武家屋敷
外番匠町
この辺り?
南小学校
南小学校

桃雲寺

桃雲寺


愛宕山の麓にある桃雲寺に、マリア観音があると本に書いている人がいたので、桃雲寺にも来てみました。

が、私の目にはそれらしき石造物は映りませんでした。大体マリア観音は長崎の隠れキリシタンが、中国製の子安観音像にキリストを仮託して拝んだものなので、形態では判断できないのです。

キリシタンが隠れて信仰を持っていて、その人が大事に拝んでいてこそ、そこにマリア観音が誕生するというか。なので、隠れ信徒がいたという記録がない秋田では、ないと思うんですよねぇ。

桃雲寺
桃雲寺
石造物
石造物
桃雲寺
桃雲寺境内


 少し教会めぐりもして♪


カトリック横手教会

カトリック横手教会


牢跡は目ぼしい場所を見つけられずにストレスが溜まったので、教会めぐりに参りましょう☆

可愛らしい色と形のカトリック横手教会です。

中に入ってお祈りもできました。どうか導きたまえ、御心の場所へ。結構歴史ある教会のようですね。地元の人に愛されてきたんだろうなと思いました。

カトリック横手教会
カトリック横手教会
カトリック横手教会
カトリック横手教会
カトリック横手教会聖堂内
聖堂内
カトリック横手教会聖堂内
聖堂内

日本基督教団 秋南教会


続いて秋南教会へ。日本基督教団の教会で、建物は新しいですが信徒さんが多そうです。

あー、それにしても住所がわかるって便利。確実に見つかるから安心感があります。

殉教地や牢跡なども、ストレスフリーで簡単に行けるようになるといいんですが。探して行くから、見つかった時に嬉いというのもありますけど・・・。でもねぇ(〃 ̄ω ̄〃ゞ



 それでは殉教地へと向かいます!


八王子公園


それでは又探し探し行くこととします! 目指すは横手の殉教地、埋め塚です。

埋め塚は八王子公園内にあるということですが、とりあえず八王子公園には無事到着。家族連れが運動しに来ていますね。緑が多くて環境は抜群☆

横手殉教徒の碑

横手殉教徒之碑


キリシタン殉教者の碑は、すぐに見つけることができました。

階段で少し上って行った場所にあったので、探すまでもなく。

だけれど「横手殉教徒之碑」と書かれた面が裏側になっているのは、その文字が見えにくいように配慮したんですかね。正面からは十字が刻まれているのだけがわかるような格好になっています。別に配慮した訳じゃないのかもしれませんが、あれれ?と思いました。

横手殉教徒の碑
横手殉教徒の碑
横手殉教徒の碑
横手殉教徒の碑
横手殉教徒の碑
横手殉教徒の碑
八王子公園
八王子公園

埋め塚

埋め塚


埋め塚も見つかりました。感謝です。横手では1624年8月に13人のキリシタンが殉教しています。

場所は羽州街道と朝舞街道が交差する安田村牛首戸周辺の小山にあった刑場で、横手では1555年以来そこで罪人の処刑を行っていました。その跡が埋め塚だと言われています。


安田原交差点

安田原交差点


車から安田原交差点も撮影(←)。昔とは道の場所が多少変わっているだろうと思いますけど、埋め塚はここから少し脇にそれた小高い場所なので、昔刑場があった位置と一致しますね。

人通りの多い街道沿いが交わる所で、それも小高い場所を選んで刑場にしたのは、見せしめにするためでしょう。罪人の中でも、見せしめにしなければと思われた人たちがここで処刑されたのだと考えられます。


吉田の一本杉やーい

吉田の一本杉やーい


さて次の殉教地は探すのが至難であろうと予想される場所。「吉田の一本杉」のある所、ということしかわからなくて、見つかることが賭けみたいな?感じです。

横手市内で吉田という地名を検索して、それっぽいかなという道を通りながら、見回してみるしかありません。
吉田の一本杉やーい L(゜□゜o)


吉田の一本杉

吉田の一本杉!


しかし・・・すごーく当てずっぽうだったにも関わらず、「これじゃない!?」と思う場所を発見! またまた僥倖です。

後で写真を載せている人の本で確認できましたが、ここで合っているようです。こちらが吉田の一本杉。キリシタン4人が処刑されたとされる場所です。

4人はここではなく埋め塚で処刑されたとする人も、4人ではなく13人だとする人もいて、原資料に当たれない私にはどちらが正しいのかわかりません。でもわからないので、可能性がある所にはとりあえず来ている訳なのです。来てみた感じとしては、「あり得るなー」という感じです。感覚で言ってちゃいけないのかもしれないけど「(´へ`;

吉田の一本杉
吉田の一本杉
吉田の一本杉
吉田の一本杉
吉田の一本杉
吉田の一本杉
吉田の一本杉
吉田の一本杉


 院内銀山へと向かいましょう☆


院内銀山異人館

院内銀山異人館


では次は院内銀山へと向かいましょう。秋田のキリシタンと言えば、ここは外せない場所なので。

まずはJR駅の近くにある院内銀山異人館で下準備の勉強を。館内は撮影自由で、映像を見る時間がないと言ったら、それが収められたDVDをくれました。至れり尽くせりですね☆
院内銀山資料
院内銀山資料
院内銀山資料
院内銀山資料
院内銀山資料
院内銀山資料
院内銀山地図
院内銀山地図

院内関所跡

院内関所跡


院内銀山異人館から近かったので、院内銀山へ行く前に院内関所跡へ。キリシタンを取り締まっていた所です。

久保田(秋田)藩のキリスト教の歴史は、院内銀山から始まったと言っても過言ではありません。

1600年頃に藩主 佐竹義宣に召抱えられたペトロ人見という人物がキリシタンで、1608年に初代院内奉行となったのです。そして銀山で積極的に宣教し、200人以上に洗礼を与えたのだとか。その後、熱心さの余り追放されてしまいましたが、ジョバンニ三太夫という人がキリシタンたちの指導者となって活躍しました。

今では山の中の田舎町ですが、当時は金掘り人で溢れかえり、山小屋千軒、下町千軒と言われていたそうなので、随分と賑わっていて、キリシタンの信仰も浸透していたんですね。何か不思議です (゜0゜*)

院内関所跡
院内関所跡
院内関所跡
院内関所跡


 思ったよりも怖い院内銀山 Σ(;´□`;)


院内銀山入口

院内銀山入口


では期待に胸を高鳴らせて院内銀山跡へ! ・・・だけど入口からして緑が鬱蒼と茂っていて、中に入って行っていいのか迷うほどです。

ええい、ままよと踏み入ってみると、蜘蛛の巣が髪にも腕にも引っかかってきました。一体いつから人が出入りしてないんだろう Σ(;´□`;)アゥ

院内銀山地図
院内銀山地図
院内銀山跡
院内銀山跡
院内銀山跡
院内銀山跡
院内銀山跡
院内銀山跡

異人館跡

異人館跡


明治になってから院内銀山に来た外国人技師が暮していた異人館の跡がこちら。草に覆われまくっていますが、何かの跡としてはまだ形がある方です。

1600年初頭から随分と長い間鉱山として繁栄していたようですね。ここにいた人たちの霊魂か何かみたいに蝶が舞っています。

異人館跡
異人館跡
異人館跡
異人館跡
院内銀山跡
院内銀山跡
院内銀山跡
院内銀山跡

共葬墓地


しばらく歩いて行くとの墓地が出現。

ツタもすごいし、覆いかぶさるような木々もすごいし、何と言っていいか・・・目茶目茶怖いです!

この共葬墓地は開坑以来ずっと使われている墓地だというので、どこかに昔のキリシタンも眠っていることでしょう。クリスチャン夫婦の墓碑もあるのだとか。それを思ったら若干勇気が出て、中に踏み込んで行けましたが、蚊やら棘やらでエライ目に遭いました。墓碑も見つからず (;´д`)トホホ

共葬墓地
共葬墓地
共葬墓地
共葬墓地
共葬墓地
共葬墓地
共葬墓地
共葬墓地

雄勝町寺沢

のどかな田園を


あー、大変な所に行ったと、充実感ではないけれど、何かを成し遂げた感を持って次なる目的地へ。

しかし・・・実は今、旅行記を書きながら気づいたのですが、大切なものを見逃してました。院内銀山にあるキリシタン殉教慰霊碑です。正楽寺というお寺の跡にあるそうで、正楽寺跡は上掲の地図にも載っていますので、行ける方は行ってみてくださいまし。――というか、私が行きたかったです(涙)。痛恨のミスでした。。


寺沢のキリシタン殉教慰霊碑

案内板発見!


院内銀山のキリシタン慰霊碑を見逃してしまったのは、雄勝町寺沢にあるキリシタン慰霊碑と混同してしまったから。

そしてその寺沢のキリシタン殉教慰霊碑があるのが、こちらの山です。ここも見つかるかなーと思っていたので、案内板を見つけてひと安心♪


寺沢のキリシタン殉教慰霊碑

寺沢のキリシタン殉教慰霊碑


結構自然に還りつつある公園で、蚊の大群にも襲われましたが、来ることができて感謝です。

こちらが寺沢のキリシタン殉教慰霊碑です。あまり人の訪れそうにない小山の中にあるのに立派ですね。

この村でキリシタンが処刑されたのではありませんが、この村にいた信徒たちが久保田城下で殉教しているので、そのために建てられた慰霊碑です。近年になって横にマリア像が建てられたと書いてあるのを、何かで見た記憶があるのですが、それがこの(↓)祠にはめられた形の石造物なんですかね? 

殉教慰霊碑の案内板には、一緒に北向観音もコチラと書いてあったので、北向観音なのかな?とも思ってしまうのですが。どなたか知っている方がいたら教えてください☆

北向観音の鳥居
北向観音の鳥居
キリシタン殉教慰霊碑
キリシタン殉教慰霊碑
キリシタン殉教慰霊碑
キリシタン殉教慰霊碑
マリア像?
マリア像?


 涙を流す秋田の聖母


カトリック修道院 聖体奉仕会

カトリック修道院 聖体奉仕会


では秋田市に戻って郊外の湯沢台へ。そこにある修道院に「涙を流す聖母像」があり、一目見てみたいと前々から思っていたのです。

青森のキリストの墓はキリスト教と全く関係がありませんでしたが、こちらはれっきとしたカトリックの修道院。聖体奉仕会という比較的小さな規模の女子修道会が運営しているものです。

田園地帯を進んでいくと、広々とした修道院の敷地を発見。絵本の1ページのような牧歌的な光景です♪


涙を流す秋田の聖母

聖母像のある聖堂


聖母像はこの日本家屋風の聖堂の中。

主祭壇の左手の脇廊に安置されています。

思っていたよりも小さなその木造の聖母像は、日本の彫刻家が作ったもの。

素材は桂の木です。東洋的な顔立ちで、特別視しなければ特別に見えないかもしれません。1975年1月4日から1981年9月15日まで、101回にわたりこの木像から涙が流れたことは延べ2000人の人が目撃しています。また流れ出た液体を秋田大学のチームが採取して検査したみたところ、それが人の体液であることが証明されました。

いつしか「奇跡」として知られるようになり、今では世界中から巡礼者が訪れるのだとか。それで隣には巡礼者用の宿泊施設が建設されています。日本ではあまり知られていないか、知られていても「ミステリースポット」としてだったりしますけどね。

館内は撮影不可だったので、秋田の聖母をご覧になりたい方はカトリック修道院 聖体奉仕会の公式HP(http://www.geocities.jp/seitaihoshikai/)をご参照を。涙を流している聖母像の写真も載せられています☆


マリア庭園

マリア庭園


聖母像が目的で来ましたが、修道院内にあるマリア庭園も素晴らしいものです。お祈りしながら歩くにはもってこい。

花に彩られた十字架の道行きを辿れば、イエス様の生涯を振り返ることができます。

主を花婿として迎え、祈りと人々への奉仕のために生きる女性たちの思いが、このような「奇跡」を起こしたのではないかと感じました。

巡礼者用の施設
巡礼者用の施設
マリア庭園
マリア庭園
マリア庭園
マリア庭園
マリア庭園
マリア庭園


 時間があるので秋田市内も ∬´ー`∬


千秋公園の蓮

千秋公園の蓮


今日回りたいと思っていた所には行けたので、残りの時間でお城に行くことに。

久保田城(秋田城)跡のお堀には蓮がいっぱい。朝しか咲かないと思ってましたが、夕方も咲くんですね。

ふわっとした花びらが優雅です (o^-^o)

大手門の堀
大手門の堀
秋田県立美術館
秋田県立美術館

カトリック秋田教会

カトリック秋田教会


お城の前を通り過ぎて、先に教会へ。カトリック秋田教会です。中に入ってお祈りできましたが、人がいたので写真を撮るのは差し控えました。

古い・・・と言うと語弊があるかもしれませんが、こういう昔からある教会でお祈りすると落ち着きますね♪


秋田キリシタン殉教碑

秋田キリシタン殉教碑


ここで見落としてはいけないのが、秋田キリシタン殉教碑。久保田城下で処刑された信徒を覚えてのものです。

1616年から1624年にかけて、久保田藩では数多くのキリシタンを処刑しました。一度に50人を火焙りにするなど、壮絶な光景が繰り広げられたことを、この碑一つで終わらせることができるでしょうか。

いえ終わらせないために碑が建てられているんですよね。忘れ去られることによって終わりにされてしまわないように、私も記録することで記憶を残していこうと思います。殉教地には明日訪れるので、詳細はまたその時に。何かすごくもどかしい思いを感じ始めるようになりました。

カトリック秋田教会
カトリック秋田教会
秋田キリシタン殉教碑
秋田キリシタン殉教碑
秋田キリシタン殉教碑
キリシタン殉教碑案内
カトリック秋田教会
マリア像

久保田城跡


では迫害者、キリシタンの処刑を命令した人たちの住んでいた城へ。「久保田城跡」と書いた碑だけでもすごく大きくて立派です。黒い御影石って確か高いですよね。

現代に住んでいると藩主の権威というのがいまいちわかりませんが、居住者から税を取り立てることができ、戦時には兵役につかせることができ、その権力を世襲することができたのですから、相当な権威で力です。誰も歯向かえなかったんですね。たとえ命を奪われようとも。


佐竹義堯像


本丸跡には最後の藩主 佐竹義堯(よしたか)の像が建てられています。歴代藩主の中で一人だけ像が城内に建立されているのだから、何か偉いことをしたんでしょうね。

西の丸には、「西の丸様」と呼ばれた岩瀬御台が暮していたはずなので、どこだろうと思っていろいろ見てみたのですが、皆目わかりませんでした。

岩瀬御台はここにいるときキリシタンになったのだから、城内のどこかで信仰生活をしていたんですね。侍女の一人がキリシタンだったので、もしかしたらこの侍女を通してキリスト教に出会い、宣教師から指導を受けるようになったのかもしれません。

ただこの侍女の女性は、1624年に殉教しています。斬首されて。岩瀬御台も1620年に久保田を追放されていますし、一つも目こぼしなく、キリシタン摘発を厳しく行ったことがわかります。幕府に徹底的に追従した裏には外様大名の悲哀があったのではないでしょうか。

久保田城跡解説
久保田城跡解説
久保田城表門
久保田城表門
久保田城表門
久保田城表門
御物頭御番所
御物頭御番所
御物頭御番所
御物頭御番所
久保田城跡本丸跡
久保田城跡本丸跡
久保田城跡本丸跡
久保田城跡本丸跡
久保田城跡地図
久保田城跡地図

織部灯籠


久保田城跡には一つのミステリーが。藩主がこんなにキリシタンを迫害したのに、城内に「キリシタン灯籠」があるのです。

――なんてことはない訳で、一部の人が「キリシタンが拝んだキリシタン灯籠だ」と主張する織部型の灯籠は、やはりキリシタンとは直接関係がないということがわかります。

この織部灯籠は城内の茶室「宣庵」の庭にあるので興味のある方はどうぞ。佐竹義宣は千利休の直門であり、古田織部とも親交があったため、織部灯籠を設置したと考えられます。「キリシタン灯籠説」を採る人は、古田織部もキリシタンだったと言いますがそれも間違っています。南蛮趣味を取り入れた独創的なデザインだと考えるのが妥当だろうと思います☆

久保田城跡
久保田城跡
久保田城跡
久保田城跡
平野政吉美術館
平野政吉美術館

茶室「宣庵」

秋田市内

秋田市内


ホテルの部屋に着いて外を見てもまだこの明るさ。夏は日が長くて有り難いですね。

秋田市は平野で、周囲を山に囲まれて守られたような地形なんだと知りました。この土地を愛する人の気持ちが少しわかるような気がしたりして・・・♪






       これって私だけ?


     今回秋田に来るまで、秋田=久保田だということを知りませんでした。
     秋田城が久保田城で、秋田藩が久保田藩だと、世の人は皆知っているんでしょうか?

     院内銀山は、名前すら知りませんでした。世界有数の銀山だったというのに。
     横手ですか? どこにあるか知らなくて、正直言うと秋田県だと思ってませんでした。
     大体、秋田と岩手、山形のイメージは全部一緒くたでした・・・(;~▼~;)

     こんな恐ろしく無知な私を、よくぞ「知る」という世界に導いてくださったものよと
     神様に感謝申し上げたいと思います。ほんと、我が牧者です。
   
     せっかく「知る」機会をもらったので、御心どおりに知っていきたいです。
     ひねくれたり、曲がったりせずに、悟っていくことができますように!












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