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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 みちのくキリシタン物語 vol.5


   いろんな場所に行かせてもらいましたが
   東北旅行も今日が最終日。名残惜しいですね。
   絶対行きたい所は押さえて、未練なく締めくくりたいと思います。
   主よ、最後まで共にしてくださいっ (*^▽^*)ノ



梅津政景屋敷跡

梅津政景屋敷跡


朝一番に向ったのは梅津政景(まさかげ)の屋敷跡。現在は秋田市民市場となっていて、朝でも結構賑わっていますね。

梅津政景は佐竹義宣の重臣で院内銀山奉行などを務め、「梅津政景日記」を書いた人物。キリシタン処刑にも立ち会い、その時のことを詳しく記しています。つまり迫害側の実行役です。

今日は他にもこの人に関係した所を回ろうと思っていますので、まずはご挨拶をといった感じですかね。


秋田楢山教会

日本基督教団 秋田楢山教会


続いて秋田楢山教会へ。1888年に創立された歴史ある教会です。

秋田へのプロテスタント宣教は1883年、ディサイプル派の宣教師によって始められました。

しかしディサイプル派の浸礼主義に違和感を感じる信徒たちも多く、そういう人たちが分かれて集まって、こちらの教会が形成されました。伝統ある教会という感じがしますね☆


五丁目橋

五丁目橋


次は大町五丁目交差点の東にある五丁目橋へ。この橋のたもとは、江戸時代死刑囚の首を晒す場所だったとのこと。

なので処刑されたキリシタンの首も晒されたんだろうなと思い、来てみました。説明板などはなく、近年になって建てられた観音像だけが、それとなく歴史を物語っています。

暗い歴史というのは葬り去られやすいんでしょうけど、どんなもんでしょう...(━_━)ゝ


織部型灯籠

秋葉神社


五丁目橋から近かったので織部型灯籠がある秋葉神社にも寄ってみました。

このような形の灯籠を「キリシタン灯籠」と呼ぶ人たちがいるので、勉強のため見るだけは見ておこうと思いまして。


織部型灯籠

織部型灯籠


お堂の右前に、難なく織部型の灯籠を発見。

ステンドグラス調の色ガラスがはめ込まれた覆屋に守られています。

火袋が失われて、竿部分だけですが、陽刻された人物像が、聖母子像のような構図であることに気づきました。ちょっと珍しいですね。これを見てキリシタンと結びつけるのは、西洋画を見慣れた人なら有り得ることだなと思いました。私は「キリシタン灯籠」なるものはない、と考えているので、キリシタンが拝んだとは思いませんけれど☆


應供寺

應供寺


続いて梅津政景の墓があるという應供寺(おうぐじ)へ。菅江真澄ゆかりのお寺のようですね。

そのことは門前の標柱に書かれているのですが、梅津政景については触れられていません。まあ、この人目当てに来る人なんていないだろうと考えても無理はありませんけど・・・。

でも在るなら在る、無いなら無いとわかれば良いんですけど、どちらかわからないとショボーンって感じです。境内の古そうな石造物だけ写真に収めてまいりました (´□`;)

應供寺
菅江真澄の道
應供寺
應供寺
應供寺
應供寺
應供寺
應供寺


 では殉教地へと!


草生津川

面影橋


では秋田で必ず行きたいと思っていた殉教地へ。草生津川の河原が刑場跡で目的地なのですが、まずは面影橋に。

江戸時代、この橋のたもとに蕎麦屋があり処刑される罪人が最期の食事をしたのだとか。最後の情けというやつだったんでしょうね。

キリシタンが蕎麦を食べたかどうかはわかりませんが、ここを通って行ったことは確かです。ここを通り過ぎる人は(恐らく)何も知らぬまま、ざーっと通って行きますけど。私には、手を縛られた人々が引っ張られて行く様が見えるように思えます。


全良寺

全良寺


刑場跡に行く前に全良寺へ。草生津河原にあった供養碑や無縁墓が参道に移されているということなので。

確かにそれらしき石造物が並んでいますね。中でもビッグな石仏は、彫りは稚拙なのに、妖気が漂ってくるような「圧」を感じます。

「本堂入口の左にマリア観音がある」と本に書いている人(牧師さん)もいましたが、たぶん普通の観音菩薩像ではないですかね。牧師がそういうこと言っちゃうと信じる人もいるから、気をつけてほしいものだと思います。

全良寺
石仏
全良寺
六地蔵
全良寺
石造物
全良寺
観音菩薩像

草生津河原刑罰場跡

草生津河原刑罰場跡


そして遂にやって来ました、草生津河原刑罰場跡。

久保田城下で最も多くのキリシタンが処刑された場所です。

現在は油田掘削場とホームセンターになっています。

草生津(くそうず)の語源は、「臭い水」つまり石油のことで、ここでは昔から石油が湧き出していて、現在も八橋油田として稼働中のようです。私は日本に油田があることも、秋田が石油産出県であることも知りませんでしたが。

キリシタンの処刑は少人数の場合は、羅く丁牢内の御仕置場で斬首され、多人数の場合は牢から引き出されて、市中引き回しになった後、ここに連行されて行われました。

多人数の処刑は、1624年7月18日の32人と7月26日の50人、8月4日の14人。約100人で、日付からしてかなりのハイペースで大量処刑しています。処刑の方法は残首と火刑。どんな様子だったかを想像するとぞっとします。

草生津河原刑罰場跡
草生津河原刑罰場跡
草生津河原刑罰場跡
草生津河原刑罰場跡
草生津河原刑罰場跡
周辺マップ
草生津河原刑罰場跡
油田について


 土崎湊から藩主の墓所へ


土崎湊(秋田港)

土崎湊(秋田港)


草生津河原で急に体調が悪くなり、吐き気と頭痛が押し寄せてきていますが、じっとしていたからとて治りそうにないので、次の目的地へ。土崎湊です。

今の秋田港ですが、昔は土崎湊と言ったんですね。ここも殉教地だと言う人がいます。少なくともこの村にキリシタンは住んでいたようです。

今は大型船と釣り人がいるだけの港ですけど、昔はキリシタンの祈りの場だったかもしれません。


カトリック土崎教会

カトリック土崎教会


車で通っていたら教会を見つけました。カトリック土崎教会です。

偏頭痛でフラフラの私は車内に残り、夫だけお祈りに寄ってきました。キリシタンがいた場所に今も教会があるなんて、いいですね。教会の姿を見ているだけでも気持ちが晴れます♪


天徳寺

天徳寺


ここも押さえておかなければと向かっていたのが天徳寺。佐竹氏の菩提寺で、久保田藩歴代藩主の墓があります。

やっぱり藩主の墓があるお寺って違いますね。青森の革秀寺みたいにお堀まではないものの、何かちょっと似た雰囲気があります。風格といいますか。


天徳寺

久保田藩歴代藩主の墓


キリシタンを処刑したときの藩主は佐竹義宣なのでその墓だけでもしっかり見ようとしましたが、頭の中がグラグラして詳細に見て来ることができませんでした(涙。

ざっと見ただけで終わってしまいましたが、あの中にあったんだろうと思って、諦めて終了。というか・・・
早く良くなれ私 (×_×)!

佐竹氏の墓
天徳寺解説
天徳寺山門
天徳寺山門
天徳寺霊屋
天徳寺霊屋
天徳寺霊屋
天徳寺霊屋
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓
佐竹氏の墓


 牢跡と教会、お寺へ


高陽幸町

高陽幸町


さて住宅街に入り、高陽幸町へとやって参りました。ピンポイントで「ここだ!」と言うことはできないのですが、この町内に、羅く丁牢がありました。

つまりキリシタン受難の地であり、殉教地ですね。昔は花立町という名前だったようです。少人数の処刑はこの辺りにあった牢で行われたはずですが、あまりに普通の住宅街になっていて、「牢跡でした」とは大きな声では言えない感じです...(ーΩー )


日本基督教団 高陽教会

日本基督教団 高陽教会


しかしこちらは声を大にして言うことができます。日本基督教団 高陽教会! ここは、秋田で最初に建てられたプロテスタントの教会です。

秋田のプロテスタントの歴史は、1884年、米国ディサイプル派のスミス夫妻とガルスト夫妻が秋田で伝道したことに始まります。

1890年の創立となっているのは、最初に会堂が建設された年を示しているのでしょう。1968年にこの場所に教会堂を建てたときから、秋田高陽教会と呼ぶようになり、現在の教会堂は1981年の建築だそうです。

この歴史ある教会が、キリシタンたちが入れられた牢跡の近くに建てられるようになったのは偶然なんでしょうか? 教会の人たちは近くに殉教地があることを知っているんですかね (・・。)?


日本聖公会 秋田聖救主教会

日本聖公会 秋田聖救主教会


頭痛が軽くなってきたので調子に乗って、もう一つ教会を訪れてみました。

日本聖公会の秋田聖救主教会です。

聖公会は秋田で1901年から伝道してきたそうです。こちらもやはり伝統がありますね。秋田は伝統を守って行こうとする気質の強い土地柄なんでしょうか☆


声体寺

声体寺


続いて声体寺へ。「キリシタン灯籠」のあるお寺として、松田重雄著「切支丹燈篭の信仰」や「切支丹風土記」に掲載されているので、知る人ぞ知る重要スポットです。

どちらの本でも、「声体寺」を「青体寺」と、間違って書いちゃってるんですがね。


声体寺の灯籠

声体寺の灯籠


境内の墓所の片隅に、本で見た灯籠がありました。「キリシタン灯籠です」と案内板などが立てられておらず、若干放置された感じです。「見たい人は見てって」といった雰囲気で。

たぶんこのお寺の方々は、この灯籠を「キリシタン灯籠」だと思っていないか、「キリシタン灯籠」だと騒ぐ向きに辟易しているのではないでしょうか。

そんな印象を受けました。こういった様子を見てくることも、確認という意味では必要なのかもしれないので、訪れてみて良かったです。


宗入寺墓地

宗入寺墓地


少し町中を外れて宗入寺へ。キリシタン捕縛に辣腕をふるった梅津憲忠(政景の兄)ら梅津家歴代の墓があるということで。

私のリサーチでは、「梅津憲忠は元々は萬雄寺に葬られたが、1892年に寺が移転した際に梅津氏歴代の墓所は取り残され、現在は子孫の手によって宗入寺の一角に梅津氏歴代の墓石が集められ、墓誌と共に祀られている」と出たので、宗入寺に来て梅津家の墓を探せばいいのだと思っていたのです。

しかし墓地を散々歩き回り探したのですが、見つかりませんでした。情報が間違っていたのか、私が何か見落としたのか、お寺が更に移転するか何かしてどうにかなっちゃったのか・・・不明です。少し無念です。まあ迫害側の人の墓なので諦めもつきますけど。

それにしてもこの兄弟、キリシタンにとっては不倶戴天の敵です。敵を愛しなさいと言ったので、断罪するだけじゃダメですが、何と言うか、何か確かめたかったんですね。それで追ってみた訳です。致し方ないので、次!って感じですけど...“o(><)o”



 角館に行ってみよう (* ̄0 ̄*)ノ


角館町武家屋敷

角館町武家屋敷


秋田で行きたい所は行き尽くして、予め立てたスケジュールは終わったのですが、まだ時間は午後を少し回っただけ。

「行きたい所ないの~?多少遠くても大丈夫だよ」と夫が言うので、角館をリクエストしてみました♪

遠いかと思いきや、それほどでもなく、一時間半ほどで角館に到着。武家屋敷の町並みがステキです!


角館町武家屋敷

角館町武家屋敷


角館は人気の観光地ですが、それだけでなくキリシタンがいた地でもあります。

ここにキリシタンが暮していたと思うと、うれしいですね。同じ場所を歩けていることが。

谷真介がまとめた「キリシタン伝説百話」には角館の話が4つも収録されています。伝説なので、史実とイマイチ一致しなくて不確かではありますが、そのような伝説が残るくらい、キリシタンが多くいた地域だったとは言うことができるかと思います。

角館町武家屋敷解説
角館町武家屋敷解説
角館町武家屋敷
角館町武家屋敷
角館町武家屋敷
巨木
角館町武家屋敷
角館町武家屋敷

角館城跡

角館城跡


せっかく角館に来たのだからと角館城跡にも寄ってみました。今は古城山という公園です。

角館城には1603年に佐竹義宣の弟が入りましたが、1615年の一国一城令で破壊されました。それっきりなので、こんな感じになっているんですね。

観光地にはなれない感じだけれど、地元の人にとっては体力作りの場になるかもしれませんね。緑が豊かでアップダウンもあるので☆

角館城跡
古城山案内図
角館城跡
角館城跡
角館城跡
角館城跡

刈和野田中


そろそろ帰ろうかと空港へと向っていると、「刈和野」の文字が目に入ってきました。刈和野は昔キリシタンが住んでいた村。

1600年代半ばになってもキリシタンだと訴人されて、江戸送りになったりしています。その人は転んで村に帰ってきたそうですけど。世が世なら神様を賛美して生きていけたでしょうに、帰ってきても辛かったでしょうね。


もろこし


角館で買ったもろこしというお菓子を食べながら、ほんとにいろんな所に行かせてもらったなと感謝。体調も良くなってきました。

考えてみれば、道中通って行った所も全て、キリシタンが通って行った所、踏んで行った地です。だから来させてもらったこと自体が恵みだったのだなと感じました。もっと多くの人に、彼らの愛と祈りについて証していける器になりたいです (*゜v゜*)






       今回はちょっと・・・となりました


      殉教地を回り始めて6年目。当初のショックは収まり
      大抵は平常心で回れるようになったのですが、
      今回はちょっとウッとなりました。えずくというか、吐き気がして。

      そういう段階は乗り越えたと思っていましたが、
      そうでもなかったようです。自分の考えとは違って。
      悲惨な歴史に目を向けるというのは、力が要ることですね。

      ただし悲惨と言っても、本当に悲惨なのは
      知らずにいて、やられ続けることだと思うので
      もっと力を受けながら回って行こうと考えるに至りました。
      これが新たなステージに上がることにつながるのかな★








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