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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ぐんま切支丹風土記 vol. 1

前橋聖マッテア教会

  <本日の主な訪問地>

 群馬に3泊、旅行で行くって・・・?

群馬に向って

群馬のキリシタンの足跡2012年GWは「ザ・近場の旅」という感じ。
GW後半にあたる今日からの3泊4日は群馬を中心とした関東周辺の史跡をめぐります☆

仕事ならともかく、旅行で群馬に3泊するってあまり聞かない話ですが、群馬にはキリシタンの足跡がたくさん残っているので、時間があったらじっくり回ってみたかったのです。

道路地図に付箋を貼りまくって、愛車のフィット君に乗り込み、いざ出発。お天気はぐずぐずの雨模様だけど、心は快晴。(/*⌒-⌒)o レッツゴー♪

鉢形城跡

鉢形城跡

関越道を埼玉で下りて、まず向ったのが鉢形城跡。1590年に前田利家らが攻めて落とした城です。

昨今の歴史ブームのおかげで、結構マイナーな城(私にとっては)でも整備されていることが増えているのですが、鉢形城もその一つ。

明日から何か戦国っぽいイベントがあるらしく幟が林立しています。歴史に関心を持つってことがブームで終わらず、ずっと続いていってほしいな☆

鉢形城跡
鉢形城跡解説板
鉢形城跡
城跡内案内
鉢形城跡
城内マップ
鉢形城跡
鉢形城について

鉢形城跡

曲輪跡


国指定史跡で日本百名城の一つなだけあって、広大な敷地に広がる遺構はなかなか見ごたえがあります♪

前田利家らがこの城を攻めたのは秀吉の北条攻めのとき。

小田原へ向う道すがら、この城も攻め落としたのです。前田利家の下にいた高山右近も参加していたことでしょう。落城まで3ヶ月もかかったということですから、その堅牢さがうかがえます。

鉢形城跡
虎口
鉢形城跡
馬出
鉢形城跡
石積


寄居駅

寄居駅


城マニアなら半日過ごせそうな鉢形城跡を後に、続いて向ったのが寄居駅。え、なんで駅に行ったのか?って。それは「寄居」の文字が撮りたかったから♪

本名はわからないけれどキリシタン殉教者フランシスコ・デ・サン・ボナベンツラの生まれた地が、ここ寄居であったことが記録されているのです。

長崎の大村で殉教した聖人がこのあまり大きくもない町の出身だなんて、歴史は本当にダイナミックで不思議なものですね。埼玉県人には是非知ってもらいたい事実です☆

寄居駅
寄居駅
寄居駅
寄居の町
寄居駅
寄居のスーパー

 そして秩父へ ヽ( ̄▽ ̄)

秩父札所四番 金昌寺

秩父札所四番 金昌寺


埼玉つながりでもう少し奥地へ。秩父へと向かいます☆

秩父から出牛峠を越えて渡瀬に至る辺りにはキリシタンと関係があると言われる場所がいくつかあるのです。

真偽のほどは不明ですが、そういう噂があるというんだから見てから判断してみようと思いまして。というわけで、秩父札所四番になっている金昌寺に到着!

秩父札所四番 金昌寺

金昌寺


この寺にある慈母観音がマリア観音とよばれているという話があるので来てみたのですが、参道にも庭にも仏像仏像ぶつぞう・・・(*゜ロ゜)ノ

私も日本人なのでちょっとやそっとの仏像では驚かないのですが、ここは仏像で埋め尽くされた寺といった感じで、どひゃー。。です。

フロイスだったら「悪魔の像がいっぱい」とか書いちゃうかも。キリスト教では偶像崇拝は禁止されてますから。イスラム教やユダヤ教もそうですけどね。

金昌寺
あっちにも
金昌寺
こっちにも
金昌寺
偶像・・・いえ仏像が
金昌寺
いっぱい!!

慈母観音

慈母観音


偶像に見守られつつ石段を上り、お目当ての慈母観音を発見。確かに洋風なところも見受けられますが、形態だけではマリア観音とは判断できなさそう。

そもそも「マリア観音」なるものは、子供と一体となった観音像をキリシタンが信仰を持って隠れて拝んでいた事実があるときにのみ「マリア観音」となるもので、様式などで判断できるものではないのです。

つまりキリシタンが拝んでなければ、どんなにそれらしく見えても観音像なわけで。

子供がくっついているから聖母子像だと言う人もいますが、昔は乳幼児の死亡率が高かったので、死んだ子供が慈母に抱かれているという教えは多くの人の慰めとなっていました。だから別名子育て観音。

秩父にキリシタンがいたかどうかがポイントですね。

慈母観音
解説板
慈母観音
慈母観音
金昌寺
お堂

妙音寺

妙音寺 観音堂


次に訪れたのが妙音寺。四萬部寺ともよばれているようです。こちらも秩父の札所巡りのお寺で、大型バスの停まれる駐車場完備の立派な寺院。

境内はそれほど広くないですが、霊場巡りの一番札所だからまずは皆さんここに来るんでしょうね。

さてこの寺の観音堂にもマリア観音があるという噂だったので来てみたのですが、観音堂の中にそれらしき像はありませんでした(内部は撮影不可で写真は撮れませんでした)。

何か空振りって感じです・・・ (≧д≦)アメノナカキタノニィ

妙音寺
妙音寺
妙音寺
妙音寺解説
妙音寺
観音堂の地獄図
妙音寺
極楽図

泉福寺

泉福寺


秩父寺巡り(いつの間にか寺巡りになってる;;)のラストは泉福寺。札所じゃないのか民家っぽいお寺です。

泉福寺わきの小川にはかつて「踏絵の橋」とよばれる石橋があり、踏絵が埋められているという言い伝えあったと、本(北沢文武著「山里の殉教者」)に書かれていたので来てみたのですが・・・。

これかなぁという小川はあるのですが、キリシタンと関係があるかどうか全くもって不明。実際、石橋の下からは何も出てこなかったそうです。

しかしキリシタン捜索がここで行われていたことは確かなのではないかと思いました。一歩前進というべきか... (○ ̄ ~  ̄○;)ウーム

泉福寺
泉福寺
泉福寺
泉福寺脇
泉福寺
泉福寺脇
泉福寺
泉福寺近くの小川

出牛峠

出牛峠


寄居を出てから空振り続きな感じですが、その極みになってしまったのが出牛峠;; 大変見えにくいのですが、次の信号のところに「出牛」と書かれています。

キリシタンがデウス(キリシタンは神様を「でうす」とよんでいた)を拝んでいたことから「デウス→でうし→出牛」となったという説があるのですが、よく考えてみると音が似ているだけで、特に根拠がありません・・・。

来て良かったのかなあ、との後悔が頭をもたげてきました。付き合わせてしまった夫に申し訳ないし。しの降る雨が私の気持ちのようです (TдT)アゥ...

出牛峠
出牛の交差点
出牛峠
出牛交差点への道
出牛峠
出牛峠周辺
出牛峠
出牛峠周辺

 渡瀬へ参ります!

神流川水辺公園

神流川水辺公園

ぐずっていても仕方ないので出牛峠を越え、国道13号を北上して渡瀬へ参ります! 到着したのは神流川水辺公園。この神流川をはさんで西側が埼玉県で、東側が群馬県。この公園でキリシタン殉教者を記念したミサが毎年行われています。

神流川水辺公園

神流川


この周辺にある渡瀬(わたらせ)、鬼石(おにし)、譲原(ゆずりはら)の村々にはかつてキリシタンが住んでいました☆

降り続く雨のせいで神流川は水かさを増し、ごうごうと音を立てて流れていますが、屋根のある所には若者たちが集まって歓声を上げてます(若いのぅ。。)

群馬側に渡る橋に恐る恐る足を踏み出してみると・・・掃部が淵(かもんがふち)らしき場所を発見!

この辺りのキリシタンのリーダーだった掃部の屋敷があったとされる場所です(たぶん)。やっとキリシタンに関係あるものを見つけられました♪

神流川水辺公園
神流川水辺公園
神流川水辺公園
渡戸の渡し
神流川水辺公園
周辺地図
神流川水辺公園
掃部が淵

渡瀬鬼石キリシタン之碑

渡瀬鬼石キリシタン之碑


「カトリック教会編纂の本によると、渡瀬鬼石キリシタン之碑はこの辺りなんだけど」と渡瀬小学校の裏手に入って行くと・・・、あ、ありました!

お寺のお墓だけが集められた区画を、「まさか、この並びじゃないよなぁ・・・」と思いながら進んでいった、正にその並びの中に...(⌒▽⌒;)

案内板もないので、やって来ても見つけられずに帰る人もいるんじゃないでしょうか? 今日は外(はず)してばっかりだと落ち込みそうだったので、到達できて感謝。あぁ、主よ (人-)

渡瀬鬼石キリシタン之碑
渡瀬鬼石キリシタン之碑
渡瀬鬼石キリシタン之碑
聖書の言葉
渡瀬鬼石キリシタン之碑
3教会で建立
渡瀬鬼石キリシタン之碑
解説碑

 怒涛の寺巡り・・・!

キリシタンと関係のある寺

戒蔵寺


キリシタンの記念碑を見て元気になったところで、ここからは怒涛の寺巡りに! キリシタンであることが発覚して江戸送りになった信徒たちが牢死して荼毘に付され、遺骨となって戻って来て葬られた寺々です。

秩父といい今日は寺づいてるなあと思いつつ・・・そんなことは置いといて(ぽいっ)、信仰を棄てなかった信徒たちの気持ちに触れてみたいです。

まずは戒蔵寺。境内には石碑があるけどキリシタンについてのものではないようです。

キリシタンと関係のある寺
戒蔵寺
キリシタンと関係のある寺
戒蔵寺の鐘楼
キリシタンと関係のある寺
戒蔵寺の句碑
キリシタンと関係のある寺
戒蔵寺の石碑

キリシタンと関係のある寺

龍宝寺


続いて龍宝寺。周防の国(山口県)出身のキリシタン、原久左衛門の檀那寺です。信仰を守るために関東に逃れて来たのでしょうか。

1656(明暦2)年、一家全員がキリシタンであることが発覚し、家族共々江戸にある小伝馬町の牢に送られました。翌年久左衛門は死亡し、この寺に葬られました。

キリシタンが牢死すると、檀那寺に遺骨の引き取りに来るように連絡がいきます。その間に遺体は荼毘に付され、寺の住職かその使いの者が江戸に行くと、荼毘料と引き換えに遺骨をもらい受けることができるというシステムになっていました。

キリシタンと関係のある寺
龍宝寺山門
キリシタンと関係のある寺
龍宝寺
キリシタンと関係のある寺
龍宝寺門前
キリシタンと関係のある寺
龍宝寺門前

キリシタンと関係のある寺

永源寺


群馬県に渡って永源寺へ。随分と立派なお寺です。昔は末寺が18ヶ寺もあったのだとか。渡瀬・鬼石のキリシタンの中心的存在だった掃部の遺骨は、この寺に引き取られたので、ここのどこかに葬られているはずです。

この掃部という人は、渡瀬村土着の農民だったようで、どういう経緯でキリシタンとなったかは不明。「掃部が淵」は、この人の屋敷がその崖の上にあったことから名づけられたものです。

信徒たちが出入して祈りの場としていたのではないでしょうか。ちょっとだけ想像できる気がします。

キリシタンと関係のある寺
永源寺
キリシタンと関係のある寺
永源寺
キリシタンと関係のある寺
永源寺墓地
キリシタンと関係のある寺
永源寺墓地

キリシタンと関係のある寺

福持寺


艶やかな山門が印象的な福持寺は、宇那蓋八左衛門、金子茂左衛門、和田六右衛門が葬られた寺。

八左衛門は鬼石村土着の農民で、茂左衛門は群馬県の沼田から逃れて来た人、六右衛門は現在の和歌山県の出身でした。

こうしてみてみると、土着のキリシタン+各地からのキリシタンという構図が浮かび上がります。迫害から逃れて来た者たちを手引きして受け入れるようなネットワークがあったのかもしれません。

キリシタンと関係のある寺
福持寺
キリシタンと関係のある寺
福持寺山門
キリシタンと関係のある寺
福持寺入口
キリシタンと関係のある寺
福持寺鐘楼

キリシタンと関係のある寺

金剛寺


もともとは行基が開山したという金剛寺は、キリシタンだった萩原利右衛門の檀那寺。1656(明暦2)年、キリシタンだと発覚して、息子と一緒に江戸に送られ入牢しましたが、2人とも棄教して帰村。病死してこの寺に葬られました。

檀那というのは、寺を支える信徒のことを指しますが、江戸時代には寺請制度というものがあり、全ての国民がお寺に属して檀那となり、また寺側によって身分を保障してもらわなければなりませんでした。

つまりキリシタンであっても、表面的には檀那寺を持つ仏教徒となっていなければ生活していけなかった訳です。キリシタンに檀那寺があるなんて、おかしな話ですよね。

キリシタンと関係のある寺
金剛寺山門
キリシタンと関係のある寺
金剛寺本堂
キリシタンと関係のある寺
金剛寺の灯籠
キリシタンと関係のある寺
金剛寺の石垣

キリシタンと関係のある寺

正覚寺跡


続きまして正覚寺。棄教せずに江戸で牢死した木村利兵衛が葬られたお寺なのですが、廃寺になり、その跡地は畑になっています。ここで問題となるのが、廃寺となった場合、その寺のお墓はどうなるのか、ということ。

お寺の引越しの場合でも、移転先には墓石を持っていくだけで、遺骨を掘り起こして持っていくことは、まずしないそうです。すごく身分が高いとか、そのお寺にとっての恩人だと特別扱いしてもらえるようですが。

だから利兵衛さんがこの跡地に眠っている可能性は大です。ただし何百年も前ですから、遺骨などは分解されてなくなっているでしょうけど・・・。

キリシタンと関係のある寺
正覚寺跡
キリシタンと関係のある寺
正覚寺跡
キリシタンと関係のある寺
正覚寺跡
キリシタンと関係のある寺
金剛寺の下にあった

満福寺

キリシタンと関係のある寺

さて、怒涛の寺巡りのラストは、古色然とした山門が聳える満福寺。この寺のある譲原村にもキリシタンがいたことがわかっています。また、「らんとうさん」とよばれるキリシタン墓がある(?)のだとか。国の重要文化財に指定された泰西王侯図も伝わっているそうな。

キリシタンと関係のある寺

満福寺境内


満福寺の境内にあるのは、石が置かれた庭のような所だけで、「らんとうさん」は見つけられませんでした。うーん、墓地は別の場所にあるのかな?

そもそもキリシタン墓があるのは満福寺じゃないのかも? 大体どうしてこの寺に泰西王侯図みたいなヨーロッパ風のものがあるんでしょ?

クエスチョンマークだらけで見学終了・・・。やっぱ下調べはもっとちゃんとすべきですな ε-(ーдー)ハァ...

キリシタンと関係のある寺
満福寺山門
キリシタンと関係のある寺
満福寺本堂
キリシタンと関係のある寺
達磨図について
キリシタンと関係のある寺
泰西王侯図について

 北上 ( ̄▽ ̄)ノ

雉岡城

雉岡城


怒涛の寺巡りを終えて北上。雉岡城に参りました☆ この城も1590年に前田利家らが攻めた城。つまり高山右近も戦ったであろう場所です。

小田原攻めというのは関東に広がる北条氏の力を削いで、豊臣家の下に置くための戦だったんですね。

本丸・二の丸は本庄市立児玉中学校、三の丸は埼玉県立児玉高等学校となり、堀や土塁の遺構が残る城山公園内には塙保己一記念館が建てられています。

雉岡城
雉岡城について
雉岡城
雉岡城地図
雉岡城
雉岡城の遺構
雉岡城
塙保己一記念館

カトリック本庄教会

カトリック本庄教会


続いて向ったのがカトリック本庄教会。入口では右手を上げるイエス様にご対面♪ 今日初めて訪れる教会なのでしみじみとした気持ちになります。

こじんまりとした教会ですが、今日参考にさせてもらった「関東 渡瀬・鬼石のキリシタンたち」という本はこの教会から出されたもの。

お世話になりましたです <(_ _)><(_ _)> (←夫と私)

カトリック本庄教会
カトリック本庄教会
カトリック本庄教会
カトリック本庄教会入口
カトリック本庄教会
聖堂内
カトリック本庄教会
聖堂内

夕闇迫る前橋で

カトリック前橋教会

前橋


時刻は早17時を回り、少しずつ夕闇が迫ってきました。今日から3泊する宿は前橋と高崎の中間にあるので、前橋インターで高速を下りました。

バイパスの陸橋から市内を見下ろすと、教会がいっぱい!? ・・・いえいえ結婚式場です (-_-;)マッタクモウ...

「教会みたいな建物建てちゃって・・・」と文句たらたら走っていると、うぬ?本物の教会らしき建物が! 夫は「どうせ結婚式場だよー」と言っておりますが・・・

カトリック前橋教会

カトリック前橋教会

自分よりでっかいマンション囲まれちゃってますが、正真正銘の教会です!!
おー市内のど真ん中にこんなにステキな教会があるなんて♪
建物は国の登録有形文化財に指定されているようです。早速入ってみましょう O(≧▽≦)O

カトリック前橋教会
カトリック前橋教会
カトリック前橋教会
聖堂内
カトリック前橋教会
教会の歴史
カトリック前橋教会
建物は有形文化財

前橋ハリストス正教会

前橋ハリストス正教会


車に戻り道路マップを見てみると、この近辺にいくつも教会があるようです (*゜。゜)ホー

せっかくだから行ってみよう見てみようということで、車をゆっくり流していくと、ハリストス教会の十字架が☆

進んでみると、住宅地の間にすっと馴染んだ感じで教会が現れました。小さいけれど伝統がありそうな教会です♪

前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会
前橋ハリストス正教会

日本基督教団 前橋教会

日本基督教団 前橋教会


ハリストス教会から道をはさんだすぐ近くにある、この個性的なデザインの建物は・・・と見てみると、日本基督教団の前橋教会でした。

こんなに隣り合った場所に教会があって、競合というか、パイの奪い合いにはならないんでしょうか・・・!?

まあ同じクリスチャンだから仲良くすればいいんでしょうけど、あまりに近くにあるから心配になっちゃいます...(⌒▽⌒;)

日本基督教団 前橋教会
前橋教会
日本基督教団 前橋教会
前橋教会
日本基督教団 前橋教会
前橋教会
日本基督教団 前橋教会
前橋教会

聖公会前橋聖マッテア教会

前橋聖マッテア教会

さらに!同じ町内の同じ3丁目にも聖公会の教会がありました☆ 前橋聖マッテア教会です。ここもまた建物からしてすごくいい感じで、長い歴史がありそう。もう驚きというより唖然です。前橋は教会の街だったんですね♪

前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会
前橋聖マッテア教会

 もう少しだけ前橋

前橋城跡

前橋城跡


もう暗くなる直前ですが、もう少しだけ前橋探索を。今は県庁となっている前橋城跡へ。敷地内に前橋城跡の碑があるみたいです☆ ここ前橋城は酒井氏の居城。1653年に老中、1666年に大老に就任した酒井忠清がいた城です。

酒井忠清は家光の代から仕え、家綱の世に権勢を振るった人物。「左様せい様」ともよばれた家綱の下で様々な政治的判断を専横的に下していました。

前橋城跡

前橋城跡の碑


年代を調べると忠清が老中であった時代に、老中より再三キリシタン取締り命令が出されており、大老時代にキアラ神父が排耶書(キリスト教を否定する書物)を書かされています。

老中は忠清の他にもいましたが、就任と同時に老中首座となったので、この人がキリシタン政策の決定権を持っていたことは確実です。

キリシタン山屋敷に宣教師が囚われ、信徒の拷問が続けられていた時代、政治の要にいた人物としてキリシタンの迫害に大きく関わったと考えられます。

前橋城跡
前橋城跡の碑
前橋城跡
碑の解説
前橋城跡
碑と県庁
前橋城跡
前橋城跡の遺構

龍海院

龍海院


酒井忠清の墓があるというので、少し離れた所にある龍海院にも来てみました。もう写真が撮れるギリギリの明るさ。ほの暗い中に浮かび上がっている山門の像がマジで怖いのは、日頃の行いが悪いから!?

もう遅いので境内には入れませんでしたが、墓地には歴代藩主のお墓があるようです。一日の締めくくりとしてはちょっと寂しいですが、まあ、仕方ないですかね。

龍海院
龍海院
龍海院
有栖川宮御祈願所
龍海院
龍海院解説
龍海院
歴代藩主の墓所


そんなこんなで一日を終えて


   そんなこんなで一日を終え      ホテルの近くの中華料理店へ☆

   正直、今日は何か外(はず)してたなと
   感じるのだけど明日は大丈夫かな・・・

   計画の段階から祈ってないと
   行かなくてもいい所に行き
   しなくてもいい苦労をし
   消化不良の一日になるのねと
   若干反省。。(若干かいっ)

   
   それでもご飯は美味しいのだから
   生きているというのは素晴らしいと
   疲れてぼーとした頭で考えます。

   何が素晴らしいって
   生きていて、明日があるということは
   挽回のチャンスがあるということだから
   とっても大きな希望なのでございます。

  いい反省ができたら、明日をもうちょっといい明日にきっとできるだろうと信じつつ・・・
  今日のところは

  ( ̄0  ̄お( ̄〇 ̄や( ̄ε ̄す( ̄¬ ̄みなさい

                                    明日がんばろっと♪


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