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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ぐんま切支丹風土記 vol. 2

沼田教会記念堂の十字架

  <本日の主な訪問地>

 今日も雨模様だけど☆

沼田市

雨降る中を


今日も生憎の雨模様。時折風も激しく吹いてきます。今年のゴールデンウィークはお天気に恵まれてないようで (>_<)

それでも今日はぐるっと群馬を一周(半周?)する予定。

利根郡川場村→沼田市→利根郡みなかみ町→吾妻郡高山村→渋川市伊香保町→安中市と回って帰って来るという強行軍を計画しているのです☆ 神さま、今日も一日お守りください♪

川場村

川場村


高崎インターから高速に乗り、ぐいっと北上。ここまで来れば新潟まであとひと息という所にあるのが川場村。本日最初の目的地です。

この今でも長閑な雰囲気の漂う農村には、昔キリシタン指導者東庵という人がいた地域で、キリシタンの信徒グループが存在し、宣教師も立ち寄っていました。

日本のどこにでもあるような静かな農村に、そんな歴史があるとは、ただ訪れただけでは感じることは難しいでしょう。

普通に来ても「いい所だな」と思うだろうけど、知って訪れるから感動がひとしおです。目を開いてくれた主に感謝 (*´∇`*)

川場村役場周辺

川場村

川場村役場の周辺は開発がされていて、文化施設や体育館などがいい感じに配置されています。
農村なのに若者の姿もたくさん見受けられて、ちょっと意外な感じも。何の産業があるのかわかりませんが、過疎ってないみたいで、子供たちの元気な様子を見るとうれしくなります☆

川場村

川場村の施設


しかし・・・、ここで本日のボケの一発目が判明。。

川場村にいた東庵は、キリシタン捕縛の手が伸びてきたときには既に雲隠れしていて捕まらなかったのですが、娘3人が捕まって江戸で入牢。

後に赦されて戻って来て、この村で死に、葬られたわけです。でもその期間がすごくて、長い者で29年間も入牢して戻って来ているんですから、すごい精神力というか信仰というか、同じ女性として見上げずにはいられません。

川場村

体育館に駆けて行く子供たち


だから私としては彼女たちが葬られた寺にも是非とも行ってみたいと考えていたのですが・・・、その寺の名前と住所をメモって来るのを忘れました;;

我ながら自分のあほっぷりに呆れます。悲しくなるというか... (T▽T)トホホ

体育館に向って元気に駆けて行く子供たちの背中に、未来への祈りを託して、川場村を後にしました。ああ、できればもう一度訪れたい。。

川場村の風景
川場村の風景
川場村の風景
川場村の風景
川場村役場周辺
川場村役場周辺
川場村役場周辺
川場村役場周辺

 沼田へ行くぞっ!

沼田へ

沼田へ


朝っぱらから落ち込むわけにもいかないので、気持ちを切り替えて沼田へGO!

越後に抜ける街道沿いに位置する沼田は古くからの城下町で、ここに住んでいるキリシタンの元に宣教師が訪れたという記録が残っています。

迫害期に西日本から東北に追放されたり、また足尾や佐渡などの鉱山に潜伏するために向った信徒たちの経由地として、隠れ住む場になったのではないかと考えられます。

正覚寺

沼田

小一時間ほどで沼田に到着し、最初に向ったのは正覚寺。本多忠勝の娘で、初代沼田城主真田信之に嫁した小松姫の墓所があるお寺です。沼田で一番行きたいのは沼田城跡にある生方記念館なのですが、開館まで間があるので、先に寄ってみました☆

見事な枝垂れ桜
見事な枝垂れ桜
らんとうさん?
らんとうさん?
小松姫の墓
小松姫の墓
小松姫について
小松姫について

カトリック沼田教会

カトリック沼田教会


続いて訪れたのが同じ鍛冶町にあるカトリック沼田教会。ちょっぴり大人しい印象、、、っていうんでしょうか。家の教会のような素朴な感じです。

沼田にキリシタンがいたことは、一般の沼田市民でも知っていると聞いていたので、もう少し派手なのを期待していました。

でも昔のキリシタンが集まったのもきっと小さな家のような教会だったろうから、こういう雰囲気だったのかも。

教会の看板
教会の看板
教会入口
教会入口
ルルド
ルルド
十字架
十字架

日本基督教団沼田教会

日本基督教団沼田教会


教会つながりで日本基督教団の沼田教会へ。こちらは大きすぎて道の対岸からでは写真に収まりきらない感じです。

沼田城を囲む形で街が形成されているので、城の周りをぐるぐる回っていると史跡めぐりが自然にできるようになっています。城下町って感じですね。

そろそろ沼田城跡と生方記念館がオープンしている頃なのでそちらの方に向かいましょう☆

日本基督教団沼田教会
日本基督教団沼田教会
日本基督教団沼田教会
日本基督教団沼田教会
日本基督教団沼田教会
日本基督教団沼田教会
教会案内
教会案内

 沼田公園♪

沼田城本丸跡

沼田城本丸跡

沼田城跡は沼田公園となり、本丸跡には色とりどりの花が植えられています。城は取り壊されてないものの、堀などの遺構がそこここに残存。説明板もよく整備されているので、当時の様子をうかがい知ることができます♪

沼田城本丸跡
沼田城本丸跡
沼田城本丸跡碑
沼田城本丸跡碑
沼田城本丸堀跡
沼田城本丸堀跡
本丸堀跡について
本丸堀跡について

沼田城跡

休館日!!!!!


ここ沼田城跡に是非とも来たかった理由は、キリシタン遺物が展示されているという生方記念資料館が城跡公園の中にあるから☆

キリシタンが実際にいた所にあるキリシタン遺物というのは、本物である可能性が高く、信用できると思うのです♪

公園マップを頼りに資料館へ足取りも軽く向うと・・・

「きゅ、休館日!?」

生方記念資料館

生方記念資料館


「うそでしょ? なんで、ねぇ、なんでお休みなの!?」

休館日と書かれた札に問いかける私。門の前でぶつぶつ言いながら取り乱すこと5分。諦めきれずに周囲を回ってまた5分。乗り出して中を覗うこと5分・・・。

隙があったら侵入しようかと思うくらいでしたが、侵入経路が見つからず断念。残念無念とはこのことです:・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え~~~~~~~~ん!!!

でも頭の中に「また来よう」という優しい声が聞こえてきました。これはイエス様?でしょうか。思い過ごしかもしれないけど。

また来ます。また来られるようにしてくださいね、とお願いしました♪

休館日
休館日
三つの建物
三つの建物
旧土岐邸について
旧土岐邸について
旧生方家住宅解説
旧生方家住宅解説
旧土岐邸洋館
旧土岐邸洋館
旧生方家住宅
旧生方家住宅
旧生方家住宅など
三つとも全部
生方記念資料館はクローズ;;
クローズ;;

沼田教会記念堂

日本基督教団 沼田教会記念堂

しかし捨てる神あれば拾う神あり(使い方間違ってる?)で、徒歩3分ほどの所に沼田教会記念堂を発見☆ 公園のマップに載っているけど、公園の外に出た住宅街の真ん中にあります。町外れと言ってもいい場所に、隠されているような印象。。

沼田教会記念堂

日本基督教団 沼田教会記念堂


日本基督教団の沼田教会だった建物が建築遺産としてここに移築保存されているもので、数年前までは美術館として使われていたみたい。

現在は何にも使われていないようで、内部の見学もできなさそうです(もしかしたら休館日なのかもしれないけど)。

あまり目立つ所になくて訪れる人もあまりいなさそうですが、すごくステキだと思います。もっとたくさんの人に見てもらえるように工夫したらどうかと思うんですが・・・?

打ち捨てられた十字架が痛々しくも、美しいです。

沼田教会記念堂
沼田教会記念堂
沼田教会記念堂入口
沼田教会記念堂入口
沼田教会記念堂解説
沼田教会記念堂解説
沼田教会記念堂
沼田教会記念堂

 利根郡みなかみ町へ☆

上毛高原駅

上毛高原駅


ここにキリシタンがいたんだなーと沼田の城下町辺りをぐるっと回って次なる目的地へと針路を取ります☆

やって来たのは新幹線が停まる上毛高原駅。利根郡みなかみ町の史跡は地元の観光マップにも載っているので、行き方を駅の観光案内所で聞いてみようかと。

少々待ったけれど親切なおばさまが丁寧に教えてくれました♪ この辺りの行きたい場所は楽勝かも (*^o^)(^O^)イェィ

国道沿にある小川城址

小川城址


まずは駅のすぐ近くにある小川城址へ。道沿いにたくさん幟が立っているので復元した建物みたいなのを期待してしまいましたが、本当に「城址」です。

つまり何もないというか、堀か土塁の一部が残っているだけで、後は緑に覆われた山といった感じ。

しかしかつてこの城の館にはキリシタン画の板戸があり、城なき今はそれが近くのお寺に伝わっているのだとか。

「キリシタン画」というのが何をどう描いたものなのかは不明ですが、南蛮の絵が、ここにあったということですよねぇ。。不思議です。

小川城址の碑
小川城址の碑
小川城本丸跡
小川城本丸跡
小川城遺構
小川城遺構
小川城跡
小川城跡

キリシタン画が伝わるという寿命院

寿命院


小川城にあったキリシタン画が伝わる寺というのが、駅の西側にある寿命院。

キリシタン画は公開していないのか、どこにも何も書かれてなく、お寺の玄関をピンポンする勇気もなく撤退して参りました。

突然訪れて見せてほしいとも言いずらく・・・。本当に見たい時は前もって連絡しなきゃですけど、今回はそこまでではないので、「この寺かぁ」というだけで満足です☆

寿命院参道
寿命院参道
寿命院
寿命院
寿命院の庭
寿命院の庭
庭の灯籠
庭の灯籠

 須川宿は観光客でいっぱい

三国街道須川宿

三国街道須川宿

同じ利根郡みなかみ町でも少し離れた場所にあるのが須川宿。ここにある教会が目当てで向ってみたのですが、近づけば近づくほど人が多くなる・・・? 私たちが知らなかっただけで、結構な観光地のようです ( ̄o ̄)ホォー

三国街道須川宿の碑
三国街道須川宿の碑
観光施設がいっぱい
観光施設がいっぱい
須川宿の建物
須川宿の建物
三国街道について
三国街道について

街道沿いの花々
街道沿いの花々
お店
お店
須川宿について
須川宿について
須川宿資料館
須川宿資料館

須川ハリストス正教会

須川ハリストス正教会

来て見たかったのはココ↑ 須川ハリストス正教会です♪ 街道から横に入る小道の突き当たりにあります。あまりに目立たない場所にあるので、私は一度スルーしてしまいました;;

ニコライ師も訪れた須川ハリストス正教会

ニコライ師も訪れた


かなり小振りでどのくらい人が入れるんだろうという感じですが、内部には山下りんのイコン10枚があるのだとか。見られないのが残念です。

一応説明板はあるものの、それ以外に教会をアピールするものはなく、何と言うか、、、ただ「ある」だけ。

きっと現在も信徒さんが集まって礼拝を守ったりするんだろうから、観光地として開放する必要まではないと思うんですが、教会ってただ「ある」だけでいいんですかね?

そぞろ歩いて行く観光客に、少しは何かを残せるように考えてみてもいいんじゃないかと思いました。

小道の奥に教会
小道の奥に教会
須川ハリストス正教会について
須川ハリストス正教会
須川ハリストス正教会
須川ハリストス正教会
教会入口
教会入口

てんてこ舞いのラーメン屋さんで


やっと出てきたラーメン店主一人で切り盛りするラーメン店に20人もの客が入ってしまい、客は待ちくたびれ、店主はてんてこ舞い。そんな状況も知らずに入店し、小一時間も待たされることとなりました;;

しかし休憩も必要だと主が言ってくれてるような気が。一人ハンドルを握る夫よ、おつかれさまっす☆

私の頭は教会から離れません。教会って、一体何なんでしょう?

そぞろ歩く観光客もちろん人を救う場で、礼拝を守る場なんですが、
今いる人たちだけで静かに信仰を守っていくだけでいいのかなと。

多様な価値を互いに認め合おうという時代的な流れの中で、自分が信じてるものを人に押し付けてはいけないとよく言われるけれど、クリスチャンがキリストを証しなくてどうするんでしょ。

せっかく観光客が近くまで来て、説明板を読んでくれてるんだから、もうちょっとキリスト教に興味を持てるように、教会に通いたくなったり、聖書読んでみたくなるようにアピールしてみちゃだめですかね?

そぞろ歩く観光客の姿が私には、何かを探しているように見えます。自分の心を喜ばせたくて、あちこち行って、何かないかなと思っている人たちに心の中に泉が湧き出る話を伝えてみたいです☆


 名久田の教会♪

野猿!

野猿・・・!


晴れ間の見えているうちに山越えをして伊香保に抜けようと道を急いでいると、緑の中に動く影が・・・猿です!

よく見ると一匹じゃなくて三匹、、、もっといるのかもしれません。山の中にはいるんですねぇ。威嚇するみたいに睨まれちゃったので、早々と退散しました。野生の動物には勝てそうにないし;;

昔の人は峠越えする時、山賊やら野生の動物やら大変だったでしょうね。そういう中を行き来した先人たちを思います。

日本基督教団名久田教会

日本基督教団名久田教会

伊香保に抜ける前に立ち寄ったのが日本基督教団の名久田教会。1887年創立で、県内の教会中で最も古い洋風建築だそうです。正面から撮るとゴミ捨て場がフレームインしてしまうのが、とても残念・・・(ёзё)プゥ

ゴミ捨て場を入れないように撮ると・・・


ゴミ捨て場を入れないように撮ると木ばっかり目立っちゃうし;; まあこの木も歴史の目撃者なんだろうから、目立っていいですけどね☆

群馬県におけるプロテスタント宣教は、洋行から戻って来た新島襄が故郷安中で説教をした1874年に始まります。

1878年に安中教会が建てられた後、県下の甘楽、高崎、前橋、原市、名久田、緑野、沼田に教会が建てられました。つまりこの教会は草創期の教会一つ。

あまり人口の多くないこの村に早い時期に福音が入ったのは、故郷伝道に燃える人がいたからでしょうか?

名久田教会

名久田教会


明治期から昭和にかけてのキリスト教、特にプロテスタントの歴史では、群馬県は名立たるキリスト教伝道者を生んだ特別な地ということができます。

特に新島襄と内村鑑三(2人とも生誕地は東京ですが)は、宗教界のみならず近代教育や日本の国際化という点でも大きな足跡を残しました。

この名久田教会にも熱い信仰者たちがいて、福音に命をかけていたと思うんですが・・・あ、今もいるのかもしれませんね。そうあってほしいです☆ 何はともあれ、いい感じの教会です♪

名久田教会
名久田教会
名久田教会について
名久田教会について
名久田教会
名久田教会
漆喰のこて絵?
漆喰のこて絵?

 温泉目当てじゃないけど、伊香保に行きます!

徳富蘆花記念文学館

徳富蘆花記念文学館


温泉に入るわけでもないのに伊香保に来たのは、ここを訪れるため。徳富蘆花記念文学館です☆ 敷地内には蘆花終焉の場所となった建物が移築されています。

生前何度も伊香保に療養に訪れ、温泉ホテル千明仁泉亭内に専用の離れを持つまでとなっていた蘆花は、この離れで亡くなりました。

不仲で音信不通だった兄徳富蘇峰とも最後にここで面会し、和解しました。二人ともクリスチャンだったのに死の直前まで和解できなかったなんて、わだかまりを解くことは本当に容易ではないのだと感じます。

徳富蘆花胸像
徳富蘆花胸像
蘆花の離れ
蘆花の離れ
離れの灯籠
離れの灯籠
蘆花終焉の間
蘆花終焉の間

伊香保関所跡

伊香保関所跡


蘆花記念館のすぐそばにあるのが伊香保関所跡。温泉だけでなく見て回れる観光名所も作ろうとしてる感じですが、人気はイマイチみたい;;

しかし歴史好きには楽しめる渋いスポットだと思います。建物も再現されていて、ここで取調べがされてたんだなと、往時を想像することができます。

宣教師たちは江戸から沼田、さらに越前に抜けるのにどんなルートを使ったのでしょう。関所跡を見ながら、街道を通るのは難しかったろうなと思いました。

伊香保関所跡
伊香保関所跡
伊香保関所跡
伊香保関所跡
通行手形
通行手形
陣笠と火縄銃
陣笠と火縄銃

伊香保

伊香保温泉の石段


旅番組等で有名な伊香保温泉の石段は温泉客で大賑わい。「こんなに人が来てたんだー」という感じです。

伊香保のランドマークとなっているこの石段は、近年になってできたもの。それでもこれだけ有名になっているのですから、ランドマーク的なものを作ることは重要なんだなと思いました。

ちなみに伊香保温泉を訪れたクリスチャンで有名な人としては、原敬もいます。もちろん有名観光地なのでその他にもたくさんの人が訪れているでしょうけどね。

千明仁泉亭
千明仁泉亭
伊香保の石段
伊香保の石段
伊香保の石段
伊香保の石段
伊香保を詠んだ歌
伊香保を詠んだ歌

 最後は安中へ☆

日本基督教団 安中教会

日本基督教団 安中教会


伊香保をほどほどで切り上げて、本日最後の目的地である安中へ☆

安中は日本キリスト教史に輝く新島襄のお膝元。まずは彼の名が冠された礼拝堂がある日本基督教団安中教会にやって参りました♪

時刻が夕方の5時を回っているためか、門は閉められ、礼拝堂は柵越しにしか見られません;; でもまあ来られただけでも良しとしましょう d(^-^)

日本基督教団 安中教会
日本基督教団安中教会
新島襄記念礼拝堂
新島襄記念礼拝堂
安中教会の碑
安中教会の碑
国の登録有形文化財
国の登録有形文化財

便覧舎跡

便覧舎跡


日が暮れかかっている上に雨まで降り始めたので、急ぎ足で回ります。

次に訪れたのは便覧舎跡。安中教会の創立にも尽力した湯浅治郎が開いた私設図書館の跡です。

建物は残っていますが中に入ることはできず、碑を見ることしかできませんが、ここで自由に外国の書物に接せられたことで多くの若者が世界に目を開きました。

便覧舎跡
便覧舎跡
便覧舎の入口
便覧舎跡の入口
便覧舎跡の碑
便覧舎跡の碑
便覧舎跡
便覧舎跡

新島襄旧邸

新島襄の旧邸

安中の目抜き通りから入り組んだ路地を何度も曲がりつ進んだ先にあるのが新島襄の旧邸。新島の両親が江戸から移り住んだ家で、新島もアメリカから帰国してからしばらく住んでいました。内部は資料館になっていて、彼の生涯と事績について学ぶことができます。歴史を感じます☆

新島襄旧邸
新島襄旧邸
内部の資料館
内部の資料館
新島襄旧邸について
新島襄旧邸について
新島の事績を記した碑
新島の事績を記した碑

新島襄が帰国第一声の講演を行った

龍昌寺


そぼ降る雨の中、どうしても訪れたくて龍昌寺に。ここは新島襄が帰国第一声の講演を行ったお寺。

キリスト教の講演を、何も仏教のお寺でしなくても・・・と思うのですが、お寺の解説板にもそのことが書かれています。

ちょっと驚きというか、安中ってそういう寛容な土地柄なんでしょうか? エキュメニュカルだなーと感じたりして (゜0゜*)!!

龍昌寺
龍昌寺
龍昌寺の看板
龍昌寺の看板
龍昌寺の解説板
龍昌寺の解説板
新島に函館を教えた人のお墓
新島に函館を教えた人のお墓

安中城跡

安中城跡


せっかく安中に来たので安中城跡も見てみました。現在は小学校になっています。正門前の石碑と巨木が長い歴史を物語っていますね。

新島襄もその後に続いた優秀で熱心な青年たちもこの木立を見上げたのでしょうか。

近くには奉行宅も残っていて、こちらの方が観光名所となっているようです。城跡よりも奉行宅が観光地化されているのがちょっと不思議。。

安中城跡
安中城跡
安中城跡の碑
安中城跡の碑
奉行宅跡
奉行宅跡
奉行宅跡について
奉行宅跡について

新島襄のお祖父さんのお墓があるお寺

妙光院


近くにあったので妙光院にも来てみました。ここは新島襄のお祖父さんのお墓があるお寺。新島襄はもともと新島七五三(しめた)という、変わった名前で、この名前をつけたのがお祖父さんなのでした。

七五三(しめた)とは注連縄(しめなわ)から連想した名前で、後にキリスト教を代表する人物に、こんな神道的な名前をつけちゃうとは・・・。雨足が激しくなってきたため、墓地を歩き回ることができず、お墓は見つけられませんでした;;

妙光院参道
妙光院参道
妙光院
妙光院
妙光院墓地
妙光院墓地
妙光院墓地
妙光院墓地

新島学園

新島学園

安中で最後に訪れたのは新島学園。新島襄旧邸で求めた本に載っていたので来てみました☆ 校門や校舎も立派ですが、聖堂とおぼしき建物が一番立派で、目を引きます。建物が立派だからいいというつもりはありませんが、信仰に対する自負心が表れていると思います。

 高崎に戻って・・・

高崎キリストチャペル

高崎キリストチャペル


高崎に戻りホテルの駐車場に車を置いて、徒歩で夕食へ。

道沿いだったので、ずっと目に留まっていた高崎キリストチャペルも覗いてみました。何系かははっきり書かれてませんが、フレンドリーな感じの教会のようです☆

群馬県に暮らしていたら内村鑑三や新島襄のことは知っているでしょうけど、そのもっと前のキリシタンの時代にも高崎に信徒がいたことは知っているでしょうか。

知ることが力になることもあると思うので、是非知ってほしいなと思ったりして (*゜v゜*)

ボリュームで勝負な食堂で


定食を頼むとご飯とラーメンがついてくるというボリュームで勝負しているとしか思えない食堂で、一日を振り返りつつ感謝のひと時を♪

近いのに関心を持たなかったせいでその価値や意義を知らなかったなと、しみじみ思ってしまう、群馬県。自分の無知のせいで貴重さがわからず、無視したりしてることって、本当に多いんだろうなと。。


でも無知というのは知ることでしか挽回できないから、こうやって知っていくことが私の行くべき道なのだと―― 信じます。

何かを知ろうとすることやもっと悟ろうとすること自体が、自分を鍛錬していくことにつながっているような、そんな気がします☆


明日も悟りと恵みのある日となりますように (´▽`)ノノ




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