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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ぐんま切支丹風土記 vol. 3

富弘美術館

  <本日の主な訪問地>

 いざ足尾へ☆

草木湖

草木湖

3日目の今日は足尾銅山まで足を延ばす予定♪ 休憩に寄ったのは草木湖。栃木県との県境付近にある人造湖です。新緑のこの時期は、正にゴールデンウィーク☆ 絵になる風景が広がっています。

草木湖案内板
草木湖案内板
草木湖の八重桜
草木湖の八重桜
草木湖の新緑
草木湖の新緑
周辺マップ
周辺マップ


足尾銅山観光

足尾銅山


足尾に来てみたはいいけれど、銅山の観光ってどうするんだろうと思い観光マップを参照すると、「足尾銅山観光」なる施設がありました。

足尾銅山として開発された山々は周辺にいくつも散らばっていますが、観光できる所として整えられているのはここだけのようなので、見てみることに。

トロッコに乗って銅山跡に入坑。後は歩いて巡っていくという形式で、所々に当時の様子を復元した人形が現れ、音声が流れます。

銅山観光のトロッコ駅
銅山観光のトロッコ駅
銅山観光のトロッコ
銅山観光のトロッコ
昔の採掘風景
昔の採掘風景
昔の採掘風景
昔の採掘風景

足尾銅山観光

備前楯山はどこだい?


「足尾銅山観光」を見終えた感想は、すごくバッドではないけれど、感動するということもなく、正直言うと物足りない感じ。

でもこの足尾の町には迫害を逃れてやって来たキリシタンがいたことがわかっていて、その様子を知りたくて来たので目的達成ですかね。

彼らがいた山は1610年から開発された備前楯山と考えられ、銅山観光からは北西の位置にあたります。あの山かなこの山かなと、周りの山に思いを馳せたりして・・・(* ̄0 ̄*)ドコダロー?

足尾町の案内板
足尾町の案内板
銅山観光と備前楯山
銅山観光と備前楯山
備前楯山?
備前楯山?
それともこっち?
それともこっち?

 足尾代官所跡など

足尾代官所跡

足尾代官所跡 備前楯山には行けなさそうなので、少しでもキリシタンに関係がありそうな所として足尾代官所跡にも来てみました。

現在の日光市役所足尾総合支所が建っている場所がその跡地。時代が変わってもお役所は位置が変わってないことが多いので見つけやすくて助かります。

家光の時代から代官所はあったようなので、足尾のキリシタン探索に向ったのはここからだったでしょうね。

足尾代官所跡
足尾代官所跡
足尾代官所跡
足尾代官所跡
近くには銭座跡も
近くには銭座跡も
鋳銭座跡
鋳銭座跡

渡瀬川を見下ろしながら

足尾代官所跡から 足尾を後にし、銅山街道とよばれた122号を群馬方面に引き返します。

眼下を流れる川は渡瀬川。この川が銅鉱山の排水で汚染されて渡瀬川遊水地が造られるようになったんですね。今はきれいな水が流れているようですが。

公害の問題とは別に考えてしまうのはキリシタンの足取り。江戸のキリシタン迫害を逃れるために信徒たちは北関東に来て渡瀬川に至り、その後川を北上する形で足尾にやって来たのではないでしょうか。

利根川水系と渡瀬川水系とにキリシタンの足跡が多く残されていることを思うと、川沿いに逃げた信徒たちの姿が浮かび上がってきます。家に帰ったらもう一度地図をよく見てみよっと。

 I Love 富弘美術館 (^▽^*)                         

富弘美術館

富弘美術館

栃木から群馬に入ってすぐのところにあるのが富弘美術館。口で筆をくわえて絵と詩を描く星野富弘さんの美術館です☆ 二つある大きな駐車場に続々と入ってくる車の群れ。私も是非来てみたかったけれど、そういう人がこんなに多いんですね♪

草木湖の畔にある
草木湖の畔にある
富弘美術館には
富弘美術館には
癒しを求めて
癒しを求めて
多くの人が訪れている
多くの人が訪れている

富弘美術館

土の中の豆


外にあるオブジェには聖書の言葉が、星野富広さんの文字で記されています。

「わたしは 
あなたのみおしえを
よろこんでいます
苦しみに会ったことは
わたしにとって
幸せでした」

この言葉を自分の信仰告白として言えるくらいになりたいです。「心を洗われる」という言葉では足りないほど、洗われました ...(*´∇`*)

富弘美術館
私もそんな人に
富弘美術館
なりたいよ
富弘美術館
花のように素直で
富弘美術館
清い心に

 世良田東照宮へ

新田荘遺跡

長楽寺


富弘美術館のあるみどり市から太田市へ。太田市には徳川家ゆかりの史跡が点在していて、興味深いのです。

まず訪れたのは長楽寺。家康が天海を住職にして天台宗にした寺で、隣接した世良田東照宮と併せて新田荘遺跡とよばれています。

初めて知りましたが、境内の説明板によるとこの辺りが徳川家の先祖発祥の地だとか。それで徳川家の史跡が多くあるんでしょうか。

長楽寺について
長楽寺について
蓮池と渡月橋
蓮池と渡月橋
蓮池と渡月橋について
蓮池と渡月橋について
徳川家の発祥の地
徳川家の発祥の地

世良田東照宮

世良田東照宮


お隣の世良田東照宮は、家光が日光東照宮改修の時、奥社拝殿と宝塔を天海に命じてここに移したもの。ガイドブックには長楽寺の境内にあると書いてありますが、こっちの方が見栄えがしてメインに見えます。

この神社に残る史料によると家光は自分のことを「二代権現」、つまり家康の息子だと考えていたフシがあるとのこと。

生涯グランドファーザーコンプレックスが抜けなかったのだとしたら、キリシタン弾圧の政策もその影響を受けたと考えるべきでしょうね。

世良田東照宮
世良田東照宮
世良田東照宮について
世良田東照宮について
世良田東照宮境内
世良田東照宮境内
番所まであった
番所まであった

 縁切寺と徳川家先祖の屋敷跡

徳川義季公館跡

徳川義季公館跡


車に乗って10分ほどの所にある満徳寺に来てみたら、裏手に徳川義季公館跡を発見。どうやらここが徳川家の御先祖ゆかりの地らしいです。

家康といえば岡崎と思ってたので、ちょっとびっくり。それ以前のルーツは太田市にあったんですねぇ・・・ってほんとなのかな!?

徳川義季公館跡
徳川義季公館跡
徳川義季公館跡
徳川義季公館跡
説明はコチラに
説明はコチラに↑

縁切寺 満徳寺

縁切寺 満徳寺


徳川義季公館跡を背を向けた(バックに従えた?)感じで建つのが縁切寺として知られる満徳寺。

豊臣家に輿入れし、夏の陣で徳川方に逃れて来た千姫を入れたことから東慶寺と並ぶ縁切り寺となりました。

家康の孫である千姫がこの寺に来たのは、やはり御先祖の縁からのようで、歴代住職の墓域にはこの寺の開基と千姫、義季の名が刻まれた石があります。

満徳寺本堂
満徳寺本堂
満徳寺境内
満徳寺境内
満徳寺本堂内
満徳寺本堂内
発掘品
発掘品

歴代住職の墓域
歴代住職の墓域
開基と千姫、義季の名
千姫、義季の名
開基と義季の名
開基と義季の名
発掘時の様子
発掘時の様子

 伊勢崎市にある教会へ

日本基督教団 島村教会

日本基督教団 島村教会

少し足を延ばして伊勢崎市へ。田園風景の中に日本基督教団に属する島村教会が建っています。1887年の創建で、建てたのは地元の養蚕業者たち。古くていい感じの教会が、各地に点在しているのが群馬の魅力の一つだと思います♪

日本基督教団 島村教会
日本基督教団 島村教会
島村教会入口
島村教会入口
島村教会の十字架
島村教会の十字架
今週の説教
今週の説教

 キリシタン遺物を求めて


呑龍さん

呑龍さん !?


「呑龍さん」という名が全国区なのかどうかは知りませんが、「呑龍さんの本堂裏の太古庵にバテレン遺跡出土のキリシタンが墓ある」との情報を得たので、ネットで調べてみました。

すると「呑龍さん」とは太田市金山町にある大光院のことで、地元ではこの名で通っているということがわかり、とりあえず「呑龍さん」参りに。

境内をくまなく見て回ってみましたが、本堂の裏に建物はなく、「太古庵」なるものが何であるのか全く不明。途方に暮れることとなりました;;

群馬名所百選第1位@@
群馬名所百選第1位@@
大光院の鐘楼
大光院の鐘楼
お参りの人もいっぱい
お参りの人もいっぱい
白い象もいる@@;
白い象もいる@@;

にゃー

呑龍さん しかし!せっかくここまで来て駐車場代も払ったんだしと思ったら、どうしても見届けたくなり(女の人はお金を払うと情熱が倍増する)、近辺で聞き込み開始。

すると太古庵は別名内田資料館とよばれていたこと、もう資料館はやめちゃって新しく家が建てられたことが判明。確かにそこには内田さん家がありました;;

・・・っていうか、そもそも邑楽町指定の有形文化財がなんで個人に流出しちゃってるのさ。町指定以前に流出したとしても、資料館やめるときに返してもらえなかったのかな、多少お金が必要だったとしても。

内田さんもどこかに寄贈して皆に見てもらえるようにしてはどないですか。バテレン遺跡の出土品は群馬の歴史を語る遺産じゃないっすか。

 キリシタン遺物を求めて part2


カトリック太田教会

カトリック太田教会

やりきれない思いでぷりぷりしながら、カトリック太田教会へ。こういう時は教会で祈って心を落ち着けねば。怒っているうちに本質を見失うこととなってはいけませぬ (ー。ー)フゥ
それにここにもバテレン遺跡出土の石造物があるということで・・・。

カトリック太田教会
カトリック太田教会
聖堂内部
聖堂内部
聖堂内は静かで
聖堂内は静かで
落ち着いた雰囲気
落ち着いた雰囲気


カトリック太田教会

キリシタン遺物?


お目当てのキリシタン遺物は聖堂内左手の死者の間(スペース)にありました。司祭像と名づけられたこの石造物、説明書きにはバテレン塚の出土品でキリシタンが信仰の拠り所にしていたように書かれてますが・・・。

この像って、線路脇にあって振動で倒れそうになってたものじゃないでしょうか? バテレン遺跡からはちょっと離れているのに、その出土品とするのはなぜ?

確かにアンドレアクルス(いわゆる×印)が付いていてキリシタンとの関連は考えられなくもないですが、司祭の像とする根拠は、想像力に頼っているような・・・。

司祭像の説明
司祭像の説明
これを司祭像と
これを司祭像と
言っていいのか・・・?
言っていいのか・・・?
アンドレアクルスはあるけれど
アンドレアクルスはあるけれど

カトリック太田教会

各国語の印刷物


この教会の信徒さんたちが有志でキリシタンの足跡探しをなさっていることや、劣化し崩壊の危機にあったこの石造物を保存することとなったことは、一定の評価ができると思います。

しかし自分たちの思い入れでキリシタン遺物だとしてしまうのは考えものです。

キリスト教史研究の第一人者でカトリック教徒の高木一雄さんに見ていただいて、形状でそのように判断してはいけないと、「釘を刺された(キリシタン足跡探しの会の方の弁)」のは、良かったと思います。

そんなこんなで、石造物がキリシタン遺物と言えるかは不明で、私個人としては「うーむ;;」って感じですが、来られたことには感謝です。

ただ、机に並べられた各国語の印刷物を見ながら、太田教会の未来は明るいんじゃないかと思いました☆

祭壇と信徒席
祭壇と信徒席
左手にある死者の間
左手にある死者の間
国際的な雰囲気
国際的な雰囲気
庭の聖母
庭の聖母

 ザビエルが行きたがっていた所


足利学校

足利学校


再び車上の人となり、またまた栃木へ向かいます。目指すは日本最初の学校、足利学校。ザビエルが行きたがっていた所でもあります。

足利は太田市から比較的行きやすい場所にあるので、立ち寄りながら高崎に帰ることができるのです☆

車をパーキングに入れて歩道橋に登ると、足利学校が見えてきました。お堀に囲まれてたんですね。

足利学校
足利学校
昔からの入口
昔からの入口
閉園間近でも
閉園間近でも
引きもきらない入場客
引きもきらない入場客

足利学校の南庭園

足利学校

閉園まで1時間を切っているのに、入場者は引きもきらず、中にも大勢の観光客が。人気なんですねー。有名だから一度来てみたかったって、私も思うくらいだから、皆そうなのかな。庭園を眺めながら、ザビエルが来ていたらどうだったろうと考えます。。

足利学校

展示の中にキリスト教関連のものも


ザビエルはここをアカデミックな大学のような所で真理を求める優秀な学生が集まっていると聞いて来たがっていたわけですが、実際はお寺。

仏教の教えを伝え、お坊さんを養成することが目的の場でした。だからもし来たとしても、失望して帰っただろうなと思います。

館内の展示の中にはザビエルやフロイスが足利学校に言及していることを解説しているものもありました☆

ちょっとうれしくなって読みましたが、いかに海外にもその名が知られていたか、みたいな説明に終始していて、がっかり。考えてみたら、当然ですよね。

「世界に知られた足利学校」の展示
「世界に知られた足利学校」の展示
ザビエルが手紙に書いた
ザビエルが手紙に書いた
当時の世界地図
当時の世界地図
フロイスの「日本史」にも出ている
フロイスの「日本史」にも出ている

ばんな寺

ばんな寺 足利は足利というだけあって、足利氏のお膝元。足利氏の屋敷跡にお寺が建てられ、観光地となっていました。ついでだから寄ってみましょう。なかなかここまで来られないだろうから。

それにしてもこの寺の名前、「ばんな寺」というらしいですが、見たこともない漢字で読めません;;

重文とかに指定されたものがいくつもあるようで、すごいです (ノ゜⊿゜)ノ

ばんな寺
ばんな寺
山門
山門
鐘楼
鐘楼
本堂
本堂

 最後は教会へ♪


カトリック足利教会

カトリック足利教会

せっかく足利まで来たのだから、この町のクリスチャンたちのことも知りたくてカトリック足利教会へ。夕暮れの教会は少し寂しげなたたずまいで、入っていこうか迷いましたが、教会に入って祈り始めたら急に涙があふれてきました。

ザビエルが来たがってた所に教会が建ち、今も祈る人がいることが、その思いの結実であるように思えて――。自分もまた歴史の一部、現在という時のリレー走者であることを感じました。

カトリック足利教会
カトリック足利教会
教会入口
教会入口
聖堂内
聖堂内
教会案内
教会案内

日本基督教団 足利教会

日本基督教団 足利教会

ついでと言ってはなんですが、プロテスタントの教会も見てみたかったので、日本基督教団の足利教会を訪ねてみました♪ ただ外から見るために立ち寄っただけですが、植栽や花壇の手入れが行き届いていて、真心を込める人たちがいるんだなと、うれしくなりました☆

日本基督教団足利教会
教会を発つと
足利からの帰路
夕闇が下りて来て
高崎への帰路
一日の終わりを
夕暮れのドライブ
告げているようでした

カトリック高崎教会

カトリック高崎教会


↑みたいな感じでキレイに終われば良かったのですが、欲張ってカトリック高崎教会にも寄ってみたら、左のような怖い写真になってしまいました。

市の真ん中辺りに位置してますが、繁華街ではなく官公庁とかがある所なので、最低限の電灯以外はついておらず、歩いている人もなく、ほぼ月明かりだけしかないので、こんな形に・・・。

昼間来たらきっとステキなんだろうなーあはは(苦し紛れのフォロー)。いつかキレイな写真と差し替えたいと思います <(_ _)>ペコリン

最終夜


足利学校のお堀で鴨を見たせいか・・・
2泊3日と3泊4日、2つ合わせて5泊6日。
今年のGWは出かけ三昧でしたがとうとう今日が最終夜。振りかえりつつ総括したいと思います。

反省点は欲張り過ぎたこと。
いろんな所に行くことばかり考えてゆっくり味わったりすることが足りなかったかと・・・。


無意識に鴨南蛮を選んでました・・・
良かったなと思うことは千葉、茨城、埼玉、群馬、栃木と、一つ一つの県で涙で祈って来くることができたこと。震災以降、私の中では日本のために祈ることがテーマとなっているのです。

足りないトコ、至らないトコだらけのへっぽこ夫婦(夫には悪いか?)の旅ですが、祈りつつゆく巡礼となっていれば、いいな。
明日も無事であるよう願いつつ・・・

(*´○`*)あ(*´ー`*)い(*´△`*)う(*´0`*)え(*´◇`*)ノ~おやすみ



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