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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 秋の加賀百万石 二日目

  <主な訪問地>
  ★高岡城址
  ★前田利長墓所
  ★瑞龍寺(国宝)
  ★倶利伽羅峠
  ★長崎キリシタン殉教碑
  ★湯坐屋敷跡
  ★奥のトキエ
  ★卯辰山養生所跡
  ★織屋跡
  ★伝燈寺
  ★泉野桜木神社
  ★本行寺

 昨日来たけど、もう最終日ですから!

北陸に来て二日目ですけど、もう最終日。
今日はレンタカーで倶利伽羅峠を越え、金沢、そして能登半島の七尾へと向かいます。
ハードスケジュールにめげずに最後まで走りぬけますように。何より安全に!

では出発!
まずは高山右近ゆかりの高岡城址でございます(。・ω・。)v

高岡のマスコットキャラクター


富山県高岡市のマスコットキャラクターは、「利長くん」! 高岡城を築いた前田利長をキャラクター化したみたいです^^;

観光スポットでは必ず利長くんがお出迎え。なかなかの働き者とお見受けしました。観光マップにはさまざまなポーズで案内する利長くんが・・・。

最初は「あはは」という程度だったのに、段々ストラップが欲しくなってくるから不思議です。

高岡城址


高岡城自体はもうなく、城址となっていますが公園として市民に親しまれています。走っていく中学たち。青春だなぁ。

高岡城はキリシタンだということで所領を取り上げられた高山右近が縄張り(今でいう設計)をした城。

一度見てみたかったお城を、石川県でホテルが取れなかったことで見ることができました。感謝なのです。

高岡市立博物館


元お城の敷地内には博物館や市民ホール、動物園まであります。朝早かったため高岡市立博物館は開いていませんでした。

この建物が造られるまで使われていたであろう博物館の旧建物の前には、築城の際に使われていた石が置かれています。

十字が彫ってあるので「キリシタンと関係ありか!?」と騒がれた時期もありましたが、現在では石に書いたしるしだったと解されています。


高山右近像


入口に建っているのは高山右近像とその顕彰碑。この像はとても若々しい姿です。

キリシタンであるがゆえに大名の位を捨てた右近は盟友前田利家の招きで加賀に来て、築城の才を買われてこの城の縄張りを任されました。

右近がとても有能だったことは、この城が今では石垣しか残っていないのに日本百名城に選ばれていることからも推察できます。


 せっかくだから利長くんにも会いに行こう!

前夜お祈りしながら「せっかく高岡まで来たので前田利長に関する史跡も回ってみた方がいいでしょうか?」とイエス様に聞いていた私。はっきりと「こうだ」と声が聞こえたわけではありませんが、何か行った方がいいような感じを受けたので、行くだけ行ってみることにしました。

というわけで、車で5分ほどの距離にある利家の墓所と鎮魂のために造られた瑞龍寺に向かいます。朝の高岡市内は日曜とは思えないほどすいていて、道が広くすがすがしいです。昔からこんな感じの気持ちのいい土地だったのかな。この辺りを右近が颯爽と歩いていたかもしれませんね。

利長の墓所


堂々とした石が建てられています。11メートル以上もあって、武将の墓所として建てられたものとしては最大級だとか。

利長はキリシタンになることを切望して、周囲の反対にあって断念した人。

お家と加賀藩存続のためにやむをえなかったのでしょう。この桁外れな墓石の大きさには、必要以上の仏教徒アピールが感じられて、哀しいです。

石灯籠も大きいです!


写真で見ると普通に見えるこの石灯籠。小さいほうが2メートルくらいです。つまり大きいほうの石灯籠は、単に大きいというより、巨大!

強烈にたちこめる「熱心な仏教徒です」というアピール。この墓所と利長の菩提寺である瑞龍寺は、八丁道という870メートルもある石畳の参道でつながっています。

どちらも三代目藩主利常の建立なので、子孫がそう繕って、幕府の嫌疑を避けたということですね。政治的には賢いことだったのでしょう。


 国宝って国宝なだけはあるなと思った瑞龍寺


仏殿


国宝といわれてもピンとこなくて、「そりゃ行けばそれなりにいいんだろうけど、時間ないしなー」と思っていましたが、門を一歩入って認識が変わりました。やっぱり国宝って国宝なだけはあるんだなあと(当然!)。

国の宝なんだから当然なのですが、何か権威付けてるだけのような感じで信用してませんでした(こういうのも傲慢ですよね。反省)
結論として、「来てよかった!」です。認識を改めねばなりませぬ。

法堂




法堂内部


飾り付けるのでなく、極限まで削いで簡素にしたところに生まれた美しさで、思わず「日本人に生まれてよかった」とため息が出そうでした。

磨きぬかれた堂内の涼しげな空間。しかしこの床も高さが1メートル以上あって、窓からちょうど山々が見渡せるようになっているのです。

いわゆる借景です。整然としていてすっきりしているのに凝っている。静かだけど何か感性に訴えかけてくるものがあります。

境内を囲む渡り廊下


いい気分で写真を撮っていると、団体さんに説明をするお坊さんがマイクで話しているのが聞こえてきました。勉強になるかと聞いていたのですが・・・

お寺についての説明はよかったのですが、必要性もないのにキリスト教について講釈し始め、解説から逸脱しただけでなく、やがてキリスト教批判へと。

仏教は神仏混交といって神道と仲良くやっているが、キリスト教は不寛容で殺し合ってばかりしている。今も戦争が終わらないのはそのせいだ、と。

よくあるキリスト教批判を自分の意見として披瀝しているわけですが、説明に加えて話すということに問題があると思います。お説の通りに仏教がそれほど寛容ならば、こんな話をマイクで聞かせないでしょう。国宝指定まで受けているのだから、偏った解釈は控えるべきではないかと思います。

外国人も来てましたが同じ話をしているんでしょうか? 
瑞龍寺の建築が表している美は、普遍的で世界に誇れるほどのものなのに、その解説をする人の言葉で日本という範囲内での価値に下げてしまっているように感じました。

きっと私も自分の考えが正しいのだと思って、みだりに意見を言っていることがあると思うので、もっと注意して話すようにしないとなと思いました。 そんなことはありましたが、瑞龍寺は端然として美しかったです。人の言葉で恵みを奪われたら損なので、気持ちを切り替えて車に乗り込みます☆ 


 名前は有名な倶利伽羅峠

倶利伽羅峠―――。 名前は有名ですが、実際に行ったことがある人いますか? 今回行きたいと思ってネットで調べてみましたが、ヤフーでもグーグルでも情報が出てこないったら出てこない。行ったという人も検索できませんでした。私のやり方がダメだったのかな?

まあ山の中にある峠なんだから、そういうものかもしれません。行きましたよと旅行記に書くほどではないのかもしれないし。とりあえず向かいます。車のナビには倶利伽羅という名がついている倶利伽羅不動という目的地を入力して、しゅっぱーつ!(運転は夫)

道の駅 「倶利伽羅 源平の郷」


小一時間くらい行ったところで「倶利伽羅」という文字が出てきたのはいいですが、山をどう上って行けばいいのかわからなかったので、道の駅に寄って情報収集。

ちょうどイベントをやっていて子供達が太鼓をたたいていました。出店とかもあっていい感じですが、展示だけ見て立ち去りました。

今日は3時に七尾で和尚さんと待ち合わせしているので、あまりゆっくりしてはいられないのです。


倶利伽羅不動尊


急斜面とカーブの続く道を上って、カーナビ通りお不動さんのところまで行ってみると、結構人が来ていて賑わっていました。

まだ十月下旬になったばかりですが、こちらではこの時期に七五三をやるみたいです。日本三大不動のひとつということで、格式高いお寺のようです。

子供達が泣いているのを横目に峠らしき地形を探しますが・・・。うーん、何と言っていいか・・・峠って感じではありません。途中から道も新しくて。


倶利伽羅公園


「さっき気になった道あったから、そっちの方行ってみよう」と、来た道を少し戻り細い道に入って上ること10分、倶利伽羅公園に着きました。

ここに来て悟ったことは「倶利伽羅峠ココ→」みたいな看板はきっとどこにもないだろうということ。

旧北陸道で山越えしていく道を「倶利伽羅峠」と呼んだと解釈するのがよさそうです。公園の地図と、道の駅で見た写真を見比べて・・・

たぶんここです!倶利伽羅峠


たぶんで申し訳ないですが、旧北陸道の一部でちょうど山中を抜ける高い場所なので、少なくとも倶利伽羅峠の一部かと思われます。

なぜこんなに来たかったかというと、長崎の浦上村から各地に配流されたキリシタンが通ったとされる道だから。浦上キリシタンは真冬の倶利伽羅峠を氷をのこぎりで切りながら越えたそうです。

子供や妊婦までいたのに、どうやって通っていったんでしょう。過酷という言葉では足りないような気がします。

 今日は車で金沢めぐり

昨日は電車で行ってバスと足で回ったけれど、今日は車があるので、車で行かないと行きにくいところに行きたいと思います。具体的には浦上キリシタンが暮らしたという卯辰山とその周辺。できればキリシタンが礼拝を守っていたという伝燈寺の洞窟と、加賀藩唯一の殉教地とされる泉野桜木神社に行きたいけど・・・

実は家で下調べしているとき、金沢の卯辰山をバスで回れないかバス会社のHPで時刻表をさんざん調べたけど、行きたい所に全部行くのは全然無理だったので、レンタカーを借りたのです。タクシーだと高くつくし。でも高岡に泊まることになったので、ちょうど途中にある倶利伽羅峠にも行けたのでした。

誰かに今日の旅程を導いてもらっているような気がします。金沢を回れる時間は限られているけど、行くべき所に行って、見るべきものを見られますように☆ らら~♪

長崎キリシタン殉教碑


金沢市の西に位置する卯辰山。そこには明治時代長崎の浦上から配流されたキリシタンの史跡があります。

史跡といっても、碑の他はほとんど何も残っていないんですけど、訪ねてみたくて。

この殉教碑は卯辰山から金沢の市街地を見渡せる望湖台の近くにあります。

望湖台からの眺め


紅葉目当ての行楽客が多くて、卯辰山を周回する道は結構車通りが激しいです。この展望台にも家族連れが何組か。子供には少し退屈なようです。

景色ひとつ見ても、意味を感じられないとちょっとつまらないですよね。紅葉にも少し早いからカメラを持っている大人も所在なさげです。

金沢に流されて来た浦上キリシタンたちは、町の方を眺めて何を思ったのでしょうか。


キリシタンたちが暮らした湯坐屋敷跡


能登半島の七尾から雪の中歩かされて金沢に到着した浦上キリシタン400名余りが詰め込まれた屋敷の跡です。

今では石置き場になっていて、建物が建っていた様子を想像するのも難しいくらいです。

キリシタンたちを収容するのは、あまり目立つ場所でない方がいいということで、山中の元湯治場にしたそうです。今でも本当に目立たない場所です。

奥のトキエ


金沢に送られた浦上キリシタンのうち、もっとも信仰が堅固で改宗しそうにない信徒達を収容して過酷な拷問を行いました。

一年のうちに数回うっすらと積もる程度の雪しか見たことがなかった長崎の人々にとって、北陸の冬の厳しさは初めて体験するものでした。

薄い衣一枚で屋外に放置する「寒ざらし」という責苦を信徒は祈って耐え抜きました。今では緑に覆われ、ただの谷になってしまっています。

花菖蒲園(織屋跡)


続いて向かったのは花菖蒲園。ここにも浦上キリシタンが住まわされていました。

以前ここに織物工場があり、それが空き家となっていたのを利用してキリシタンの住居にしました。住まいというより実際には牢屋でしたが。

金沢に配流されたキリシタンのうち、ここにはおもに戸主の人々が収容されました。

卯辰山養生所跡


カトリック金沢教会でいただいたパンフレットと木越邦子さんの本のおかげで、卯辰山のキリシタン関係の史跡は順調に見つかりました。

山中に散在しているのにも関わらず、行きたい所に全部行けるなんて奇跡に近いと思います!

しかしここは難易度中くらいでした。だって民家の塀の前におかれた説明板が、立派な松の木で隠れているんですもの。人様の家なので文句は言えませんけどね。

浦上キリシタン埋葬地


「うーん、ここはどうやったら行けるんだろう?」
地図を見ながらそう思ってましたが、パンフレットに書かれた通りに山を越えていくと、到着できました。

木の間の三角になった部分から、浦上キリシタンの遺骨が発見されました。配流先で命を落とした人を葬ったのだと考えられています。

埋葬地のすぐ下にはバイパスが通っていて、車がびゅんびゅん走っていくので、そこでは路肩に車を停めて写真を撮ることができないのですが、一本内側の道を進むことによって上の写真は撮れました。どこで曲がればいいのかを細かく教えてくれる金沢教会のパンフレットなしには、ここには至れませんでした。

さすが地元情報! ただ見るだけでなく写真も撮りたかったので、その点では感謝なのですが、通る道がなんと農道。本当は農耕に利用する車しか通っちゃダメかも・・・? しかも対向車を一切受け付けないような極細の道。農繁期に行ったら大迷惑になりそうなので、行こうと思われる方は注意してくださいね☆ъ(*゜ー^)>

 あんまり時間ないけどもうちょっと金沢

Gパン和尚(後述)との約束が3時なのに時刻は12時半。そろそろ金沢を出発しないといけないけど、もう少しだけ金沢市内のキリシタンに関係する場所に行きたいと思います。

お昼ご飯を食べて向かえばちょうどいい時間になると理性では考えるものの、めったに来られない所だし・・・。
ご飯のことはひとまず忘れて、とりあえず本能のままに史跡に向かいます(普通逆?)
キリシタンゆかりの寺である伝燈寺にGO!

伝燈寺


カーナビに住所を入れたらすんなり場所は見つかったのですが、このお寺への最後の道がもう、強烈な、私道! 田んぼの畦にはまりかけました。

運転に四苦八苦して着いた伝燈寺はひっそりとしていて、お寺というより家。実際普通に人が暮らしているようです。

お寺の看板と表札が仲良く並んでいたりして、言うなれば本堂と家のコラボ。人の家の庭に勝手に入りこんでしまったような居心地の悪さを感じます。

十字架の形の洞窟


このお寺はキリシタンだった津田玄蕃の父の位牌や五輪塔があり、裏山に十字架の形の洞窟があって、地元で信仰の対象となっているとのこと。

境内(お庭)を見ても五輪塔は見つからず、裏に回るとものすごい雑草の中に洞窟の入口らしき穴が見えましたが、とても入っていく勇気が出ませんでした。

一足踏み込むと小さな虫が一斉に飛び立つ上に、少し覗いただけでも怖いというか、何か独特の雰囲気が漂っています。少しお祈りして立ち去りました。

泉野桜木神社


キリシタンに対して寛容であった加賀藩領内唯一の殉教地の跡地とされるのがここ、泉野桜木神社。

せっかく近くまで来たので、ここにも寄ってみることにしました。境内には刑場の頃の様子を示すものは何もありません。でも祈ります。

彼らの霊が安らかであるようにと、この罪が許されますようにと。そのために来たかったのです。

 待っててね、Gパン和尚 (;゜(エ)゜) アセアセ

能登半島は七尾にある本行寺のGパン和尚(本名は小崎学円和尚)は、若者の悩み相談に乗るなど地元で慕われている方です。私がこのお寺のことを最初に知ったのは、とあるテレビ番組で本行寺にキリシタンの遺物を紹介していたからでした。ネットで調べたところ、Gパン和尚のHPにヒットしたというわけです。

しかしこのお寺、普段はキリシタン遺物を公開しておらず、年に一度だけ一般公開しているということで、「たぶん一生見られないだろうなぁ・・・」と思っていたのでした。ところが調べものをしながら石川県の旅行情報を見ていたら、何と「能登秘宝めぐり」なるイベントで本行寺のキリシタン遺物も公開されているとの情報が!

「ねえねえ、石川県ってさ、すごくキリシタンの史跡とか多くてさ、一度行ってみたいと思ってたんだけど、いつか行くならさ、今週末はどう? 来週までなら秘仏が見られるの!!」
そんな私の唐突のお願いに首を縦に振ってくれた夫よ、ありがとー。

というわけで、今回の旅行のメインディッシュは本行寺なのです、実は♪
お寺の方には予め電話をして予約をして行くのですが、団体さんが大勢みえていて「この時間なら」と指定されたのが3時。だから遅れるわけにはいかないのです。

しかし金沢で本能のままに行きたいところに行ってしまったので、遅刻確実なのです。だってもう2時だもの。夫はお昼ご飯用のパンをかじりながらいつになく車をかっ飛ばしてくれてるけど・・・。
待っててね、Gパン和尚~!

本行寺入口


幸い道に迷うこともなく、本行寺入口からの階段を髪を振り乱して駆け上って、3時半に本堂に到着。
「こんにちはー! 遅れてすみませーん」

現れたのは女性。あれ、Gパンは?
その方は和尚さんの奥様らしく、和尚さんは急な葬儀で出かけなくてはならなくなったとのこと。

そして手書きのお手紙を下さいました。ここにはこういうものがあるので、見て行ってくださいと。うう、感謝です。私の名前も話したことも覚えてくれてたんだー。

本行寺


前田家に伝わるキリシタン秘仏やキリシタン小紋、高山右近が高岡城の縄張りをしたという菊亭などなど、それはもうお宝ばかりです。

中でも一見仏様のように見えるのに、手を左右にに開くと仏像の中に十字架が現れる、前田家秘仏(キリシタン秘仏)は感動ものでした。なんと美しい!

これを見ただけで、来た甲斐があったと思いました。

全寿の塔(ゼウスの塔)


本堂裏手の墓域にはキリシタンだった海津夫人(津田玄蕃の妻)の墓があり、海津夫人は全寿院とも呼ばれていたので全寿院塔と呼ばれています。

この塔には、デザインに見えるようにしながらも十字印がしっかり刻まれていて、別名ゼウスの塔とも言われ、隠れキリシタンの信仰のよりどころともなりました。

右近の井戸と修道所跡


裏庭を更に下りた所にあるのが、右近の井戸と修道所の跡。高山右近は金沢に来るにあたり、教会を二つ建てることを条件にしたといいます。

そのうちの一つがここだと言われています。切支丹禁令が徹底されるようになり、ここを去らなければならなくなった右近が上った嘆きの階段も残されています。

右近は長崎を経てマニラに追放、加賀藩にいたキリシタン夫人たちはこのお寺に蟄居を命じられました。

本行寺の紅葉


奥様に案内してもらっている間にも和尚さんは3回も電話をかけてきてくださって、いろいろと気を遣ってくださいました。和尚さんと奥様の温かさにもいたく感じ入りました。

和尚さんは5時半になら戻って来ることができるとおっしゃってましたが、私達は5時の電車に乗らないと家にまで帰れないので4時過ぎにおいとましました。

 あと一つ小さなお願い、七尾の海が見たいの!

七尾から一つ離れたJR和倉温泉駅でレンタカーを返し、5時に和倉温泉発の電車に乗らないと、我が家への終電に間に合わないので、4時過ぎに本行寺を出た私たち。
でも私にはあと一つ小さな願いがあったのです。

「ねえねえ、和倉温泉向かいながらさ、ちょっとだけ七尾の海の方向に行ってみて。港からさ、七尾の海が見たいんだよねー( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ」
「えー もうギリギリだよ!?」
驚きながらも夫は海に車を向けてくれました。すまないねー、小さなお願いをいっぱいしちゃって(^^;

七尾の海


七尾の漁港に寄ってもらい、車を下りて暮れかけた海をカメラに収めました。

長崎を船で立った浦上キリシタンが上陸したのは七尾の港だったと記録されています。この港だったかは定かじゃないですが、同じ海だったと思うので。

ここから彼らは金沢や富山まで歩いたのです。配流された浦上キリシタンのうちで最も遠くに行かされたのがこのグループでした。

和倉温泉駅


駅前のレンタカー屋さんに車を無事返却し、ちゃんと時間に間に合って駅に到着しました。はー やっと息がつけます。

たった1泊2日の旅だったけど、高山右近やキリシタンたちが歩んだ道を見て回れたし、明治になってからの浦上キリシタンの史跡も巡ることができたので、大満足。いえ、大感謝です。

浦上キリシタンの人たちは、自分達がいる場所が昔のキリシタンゆかりの地だとは知らなかっただろうけれど、同じ神様の導きがあったのでしょうね。

大阪行きのサンダーバードに乗り、金沢で下り駅ビルで駅弁を買い込んで、はくたかで越後湯沢へ。笹寿司も焼き秋刀魚寿司も最高に美味しかったです! 
真っ暗な車窓を見つめながら今回の旅を振り返り、キリシタンたちの心に思いを馳せます。

目に見える世界では彼らは弱く、虐げられ、追放されていた身だったけれど、目に見えない世界からすれば、強く、勝ち続け、栄光を手にした人たちだったのではないかと。

領地を没収されて大名から一介の武士になった高山右近が指揮した高岡城は、石垣しか残っていないのに百名城に選ばれており、修築した金沢城には多くの観光客がつめかけ、掘った堀には今も市民生活に欠かせないものとなっています。造った人は追い出しても、今も皆が恩恵を受けているのです。

卯辰山で信仰を守る浦上キリシタンの姿を見た外国人が、英字新聞にその悲惨さを投稿したことから、政府の調査隊が派遣されるようになり、それが高札撤去への流れを生みました。また彼らの信仰生活に敬服した武士が、石川県で明治になってから第一の受洗者となりました。

一人一人の信仰とその行いが、何かを動かし何かを残し、歴史を作る力となっていることを感じずにはいられません。だから私も、小さくても確かな信仰を持って、生きていきたいと思います。そんなことを感じるために、石川に来させてもらったのかもしれません。旅程だけでなく、心まで守ってくれた方に感謝!

最後まで読んでくださって、ありがとうございました~o(*^▽^*)o~♪


インフォメーション
とやま観光ナビ
高岡市観光情報サイト
北陸・道の駅のサイト
七尾学(七尾の本行寺 小崎学円和尚のサイト)
のとスタイル
おもてなし半島能登


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