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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 韓国巡礼 part 1






         韓国に巡礼へ!


         韓流スターやKPOPのファンでもなく
         エステやショッピングも目当てとしない私たちが
         この夏韓国へ行こうと決めたのは、巡礼のため☆

         韓国は人口の3分の1がクリスチャンといわれる
         今どき珍しい国で、しかも殉教者の国でもあるのです。
         韓国の情報サイトで「殉教地」と検索したら多数のヒットが!

   
        どのくらい回れるかわかりませんが、命運を天に委ねて飛び立ちます♪ 

羽田空港


羽田から海外に行くのは、実は初めて。
こんなにキレイになっていることも知りませんでした。

外国人だけでなく日本人でもテンションが上がってしまうような仕掛けがいっぱいで、お財布の紐がゆるみそうな♪

有り難いのは、やはりアクセス。ウチから1時間ほどで国際線に乗れちゃうって、すごいですヽ(*゜O゜)ノ カンシャダー



空港内

ショッピングエリア

空港

韓国キリスト教史


さて韓国に向うにあたり、まずはキリスト教の伝来と四大迫害について押さえておかなければなりませぬ。

韓国にキリスト教が伝えられたのは1784年。北京に行った李承薫(イ・スンフン)がカトリックの洗礼を受け、自国に戻って友人らに伝えるようになってからです。

順調に信徒は増えていきましたが、先祖崇拝や葬式などのいわゆる典礼問題と、外国との軋轢とによって、迫害が起こるようになっていきました。

四大迫害


最初の大きな迫害は、1791年の辛亥(シンヘ)迫害。2人のクリスチャンが斬首され、代表的な信徒が流配中に亡くなりましたが、この迫害は李承薫らの棄教により終わりました。

2つめの大きな迫害は1801年に起こった辛酉(シンユ)迫害です。これは朝鮮王朝の王族たちの権力闘争に起因するものでしたが、キリスト教徒が巻き込まれていき、2人が殉教しました。

3番目に起きたのが1839年の己亥(キヘ)迫害。辛酉迫害以降、深い山の中に逃れて陶器を焼きながら生計維持し、子どもたちに教理を教えて信仰心を維持するカトリック信者の共同体「教友村」が形成されていましたが、それらを巡回していた宣教師たちが逮捕され、殉教しました。

最後の大きな迫害は丙寅(ピョンイン)迫害とよばれ、1866~1873年の長きにわたり、全国規模で行われました。全国各地で数千人規模の殉教がありましたが、記録が散逸しているため、正確な殉教者数はわかっていません。

近代になって殉教者を出すなんて日本くらいだと思っていましたが、日本の迫害が終わりに向う頃、韓国では最後の迫害が各地ですさまじい勢いで巻き起こっていたんですね。考えさせられます。



T‐money


機内でプリントしてきた資料を読むうちにソウルに到着。

空港から出て、まずはT‐moneyという、日本のスイカみたいな電子マネーをゲットします☆

こういう時、私の夫は韓国語ができるので助かります。私もちょっとは韓国語を勉強してきたけど、ゼスチャーなしには意思疎通できないので (;´д`)


仁川中華街


前の人にならってT‐moneyをピッとして、地下鉄を乗り継いで仁川駅へ。

仁川は空港で有名ですが、古くから港町として栄えてきた所で、中華街などもあります。

しかしここを訪れたのは殉教地があるから。仁川の港から宣教師が上陸したので、外国への見せしめとしてクリスチャンを処刑する場所として選ばれたのです。仁川はキリスト教が入って来た港でもあり、弾圧を受けた場所でもあるんですね。



仁川駅

中華街入口

中華街

記念塔への道

韓国基督教百周年記念塔


殉教地の前に、胸がすっきりするものを見ましょう。

基督教百周年記念塔です。

これは1885年4月5日、米国の宣教師、アペンゼラー牧師夫婦とアンダーウッド牧師が、済物浦(チェムルポ。港の昔の名前)に上陸したことを記念して建てたもの。プロテスタントの史跡です。

韓国でプロテスタントは基督教(キドッキョ)、カトリックは天主教(チョンジュキョ)とよばれて区別されているのです。同じキリスト教なのに変な感じもしますが、まあそういうもんなんでしょうね、ここでは。



解説板

プロテスタント宣教師

宣教師像

韓国の国花ムグンファ゙

十字架


記念塔の周囲は公園になっていて、中央には大きな十字架が横たえられています。

正に「キリスト教の勝利」といった感じ。
韓国ではキリスト教が栄えており、有名大学などもミッション系が多いのだとか。

大統領になる人もクリスチャンだったりしますが、教会に通ってても勧士(信徒たちの面倒をみる人)以上でなければ、「勧士でもない人が大統領に?」と言われちゃうのだとか。驚くべきキリスト教社会です。


レリーフ


しかしどこの国でも何か新しいことをやろうとすると困難にぶつかるということは同じで、宣教師がやって来ても難しいことは多々あったようです。

宣教自体はよく進み、信徒は増えましたが、キリスト教の平等思想が社会運動、民族運動ともつながったことから、日本や中国に対抗する活動に身を投じる者が多く出たのです。


抗日運動と柳寛順


特に3.1運動などの抗日運動の主力となったのはプロテスタント系のクリスチャンでした。そのため日本軍によって拷問を受け殺された人々にも多くの信徒がいました。

16歳で獄中死した柳寛順(ユ・ガンスン)はその代表で、彼女は東洋のジャンヌ・ダルクといわれるほど勇敢で思想のはっきりした女性でした。抗日運動の末に亡くなった人たちを「殉教者」とよぶことはできませんが、「殉国者」として顕彰する動きは、今でも活発です。




碑文

像とレリーフ

裏面のレリーフ

裏面のレリーフ


 すぐ向こうはカトリックの殉教地


仁川の殉教地


それでは仁川の殉教地に行きましょう、というか、この記念塔のちょうど後ろ側がその推定地なので、移動する必要がありません。

というか、プロテスタントの「勝利の」記念塔の裏にカトリックの殉教地があるって・・・何と捉えたらいいんでしょ?

私は両方の史跡を回りたいので、双方の公式サイトなどで史跡を調べたのですが、お互いがお互いを無視しているとしか言えないくらい、できるだけ触れないようにしている感じです。

例えばこの仁川の殉教地は、百周年記念塔を目印にするしかないくらい間近にあるのに、カトリックのサイト内にある地図には載っていないのです、塔自体が。だからグーグルマップなどで双方の史跡を統合して印をつけないといけない感じで、、はっきり言って二度手間!

「基督教」とか「天主教」という呼び名の違いよりも先に、両者の間には深い溝があるような気がしました。うーん、気だけだといいんだけどなぁ・・・( ̄  ̄;)




仁川の殉教地

仁川の殉教地

仁川の殉教地

仁川の殉教地

仁川開港場


仁川に殉教地があるのも港町だったからで、昔から世界に開かれた街だったことがわかります。

今も中華街は賑わっていますが、昔は日本人街だったことも。日本と韓国、中国の歴史は互いに深く関わっていて、単独では語ることができませんね。

昔の海岸線


埋め立てが進んでいるので、昔の海岸線、つまり殉教地はここだったのではないかと言われているのが、仁川海岸聖堂の裏手の崖。この辺り(←)です。

ここで殉教したのはパクスンジプの母方の家と李承勲ペトロの子孫ら。丙寅迫害の折に、わかっているだけで9名が処刑されました。

直接的なきっかけになったのは、外国との軋轢です。時の権力者 大院君は、外圧による開国を拒んで諸外国と対立。宣教師や信徒を外国のスパイとみなして弾圧したのです。港町 済物浦で処刑したのは、外国に心奪われた者たちに対する制裁を、その他の者たちの見せしめとする意図がありました。



昔の海岸線

昔の海岸線

仁川海岸聖堂


バックから見たキリスト像を目指して、細い路地を上って行くと海岸聖堂に到着。中華街の真ん中にあります☆

敷地一杯に細長く建てられた聖堂はちょっと狭苦しい印象ですが、最上部に据えられたキリスト像だけは別格。のびのびと天高くそびえています。

ちょうど雲の加減で雲間からの光が像を照らし出しているようになって、感激♪

中華風の街並みの中にイエス様の姿を仰げるだけでもうれしくなります。

いいものを見ました!


屋上のキリスト像

海岸聖堂

海岸天主教

入口

向かいの壁


向かいの建物もキリスト教系(カトリック)のものらしく、壁に宗教画が描かれています。

マリア様に導かれて朝鮮の地にやって来たことを表しているのでしょうか? 


壁画

中華街


 ソウルの殉教地へ


地下鉄


仁川地下鉄(地上鉄の区間もあるけど)に乗ってソウルへ。時間はないけど、あともう一つくらい殉教地に行ってみようと思います。

ソウル駅のコインロッカー(ここでもT‐moneyが使える!)に荷物を入れて、街にゴー☆

地下鉄の乗換えがまだちょっと慣れないけどもっ o( ̄へ ̄o)ganba!

西小門殉教聖地


やって来たのは地下鉄「忠正路」から徒歩5分の西小門殉教聖地。

王宮の西小門の外は昔処刑場となっていて、そこでクリスチャンも殺されたのです。

この記念碑(かなり大きい)の右横には、西小門殉教聖地専用の案内所があり、「アンニョンハセヨー」と言いながら覗いてみたら、ちゃんと人がいてパンフレットをくれました。日本語用のパンフまで備えてくれてるとは!すごいですねぇヽ(*゜O゜)ノ



西小門殉教聖地

解説碑

記念碑

殉教聖人

西小門公園の噴水


この聖地があるのは、何と西小門公園の中。こういう公の場所に聖地を作れちゃうってところが、キリスト教の盛んな国という感じです。

日本だったら、、どうでしょうね?
キリスト教の聖地を一般の公園内に、しかも殉教地だということをしっかり証して作ることを許可してもらえるでしょうか・・・?



日本語パンフ

日本語パンフ

日本語パンフ

日本語パンフ

行き方

聖地記念碑

殉教者像

「地獄の声」


これ(←)はキリスト教関係の史跡ではないけれど、次の目的地であるカトリック教会へ行く途中に見つけた彫像で、タイトルは「地獄の声」

救われなかった霊が地獄で苦しみを受けている姿のようで、立ち止まって見上げてしまいました(かなり大きな像なので)。

地獄は行ったことがないけれど、行ってしまったら終わりだと思うから、この世でその怖さを感じて行かないように生きていかないと・・・。


キャプション

周辺地図

西小門殉教者記念館


今日最後の訪問地はやはり教会。カトリックの中林洞聖堂です。

先ほどの西小門殉教者聖地を管理している教会で、教会内に殉教者の記念館があります。

「聖堂入口」の交差点からは高い尖塔が見え、それを目指して坂道を上って行くとレンガ造の記念館が現れます。中に入ってみましょう♪



交差点から


西小門殉教者記念館

記念館入口

記念館の聖堂


記念館は韓国のキリスト教史(カトリックのみ)を俯瞰できる内容となっていて、殉教者の聖遺物のほか、遺された本などが展示されています。

一つ階を上がると聖堂があって、静かに祈ることができます。ソウル駅から徒歩圏にあるのに、こんなにゆったりと祈れる場が設けられているなんて素晴らしいですね☆


西小門殉教者記念館

西小門殉教者記念館

もう一つの聖堂


記念館を出た左手に、もう一つ大きな聖堂があって、こちらがメインの聖堂です。

建物が国の登録文化財なのだとか。

いろんな意味で歴史を感じさせてくれます。


聖堂内

尖塔

外観

外観

記念碑


聖堂の前の緑道を下りていくと、途中にあるのが記念レリーフ。野外ミサなども行われるんでしょうか。

小道の脇には十字架の道行きが備えられていて、主のことを思いながら聖堂に上って行けるようになっています。

緑が多くて癒されます ヽ(*⌒∇⌒*)ノ



レリーフ

聖人像

十字架の道行き

十字架の道行き


一日目を終えて・・・


一日目を無事終えて、(´▽`) ホッ
感謝でございます。

私の夫がなぜ韓国語ができるかというと
そこには若干長いお話があります。

夫は元々学生時代、もっとマイナーな言語を勉強していました。
それでその国に留学することが決まり、予防接種まで受けたのに
その国でクーデターが起こり、政情が不安定になってしまったので
留学を諦めるしかなくなってしまったのです。

しかし外国語大に行き留学するのが夢で
夫の両親もそれを支援すると言ってくれていたので
その頃メジャーになりつつあった韓国に
留学することに決めたのでした。

だから韓国に行った時にはあまり韓国語ができなくて
ちょっと苦労したそうです。
それが悔しくて猛勉強したおかげで
大学の専攻よりもよくできるようになったのだから
怪我の功名だった訳で。

今では「すべて導きだったねー」
と笑っていられますが♪

明日からも守られますようにヽ(^^)(^^)ノ




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