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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 韓国巡礼 part 2






                  今日は堤岩里へ・・・


               今日は堤岩里に行く予定です。
               日帝時代、民族運動の弾圧のために
               クリスチャンの村人を教会に閉じ込めて
               火を放って焼き殺した場所に――。

               日本の罪を悔い改めたい気持ちと
               「私がやったわけでもないのに」という感情が
               自分の中で拮抗しているのを感じます。

               今日もすべてを主に委ねて・・・!

光煕門


地下鉄2号線に乗ってまずは「東大門運動場駅」へ。3番出口を出てすぐのところにあるのが光煕門(クワンヒムン)です。

光煕門は水口門(スクムン)とも呼ばれ、死体を城外へ出すための門でした。城内で拷問を受け亡くなった殉教者たちの遺体はここから外へと投げ出されたのです。

打ち捨てられた遺体は損傷が激しく、誰が誰だと見分けることができなかったとか。胸の痛む史跡地です。



光煕門周辺

光煕門

道路際にある

地下鉄出口

明洞大聖堂


再び2号線に乗って「乙支路入口駅」へ。

セブンイレブンで両替をして、道を進んでいくと明洞大聖堂の尖塔が見えてきます♪

ちょうど朝のお祈り会が終わったところのようで、信者さんたちが坂道を下りていらっしゃいます ∬´ー`∬



明洞大聖堂

明洞大聖堂

明洞大聖堂

聖堂内

ステンドグラス

金大建神父像

金大建神父

金大建神父略歴

地下聖堂


聖堂でお祈りして外へ。聖堂正面に向って左手に回っていくと、地下聖堂の入口があります。

ここには1839年乙亥迫害の時セナムトで殉教したエンベル神父ら5人の聖人と4人の殉教者が安置されています。

管理をしている信徒さんによると、聖域に入らない所からなら写真を撮ってもいいとのこと。光が足りず写真はボケてしまいましたが、目では見ることができました。聖人たちにこんなに間近に会えるとは思ってなかったのでびっくりです。寛容ですねぇ☆



聖人

地下聖堂入口

地下聖堂

聖母の前で祈る人たち

工事のフェンス


明洞大聖堂の周りは現在工事中で、あまり見栄えがよくありませんが、注目すべきはこの工事フェンス!

ソウル市内の左手はキリスト教史跡地ガイド、右手は韓国のカトリック宣教史となっています☆

勉強になることもさることながら、なかなか外部の人には見せてもらえない聖人の遺体まで写真でですが見ることができます (゜0゜*)オー



切頭山殉教聖地

ウェコゲ

明洞大聖堂の聖遺体

韓国のカトリック宣教史

ローマ教皇来訪

明洞大聖堂のパンフ

明洞大聖堂のパンフ

明洞大聖堂のパンフ


 ソウル市内の史跡地★


京畿監営跡


次は「西大門駅」からすぐの所にある京畿監営跡へ。現在の西大門赤十字病院一帯です。

「監営」とは監獄のこと。全国で逮捕されたキリスト教信者たちはここに移送され、棄教するよう拷問を受けました。

クリスチャンのことまでは書かれていませんが、ちゃんと碑が建てられています。



西大門赤十字病院

西大門赤十字病院

京畿監営跡

刑曹跡


続いて刑曹跡へ。現在、世宗文化センターがある場所のはずですが、ここには碑とかは建てられていないようです(見落としか?)。

刑曹というのも朝鮮時代にキリスト教徒を迫害した機関の一つ。役人たちは仕事として信徒を捕まえたりしたわけですが、彼らの罪はどうなるんでしょう。

考えちゃいます。



公園の外の碑

義塾があったようです

世宗文化センターの公園

朝ごはん


文化センター前の公園で遅めのブレックファースト。先ほど地下鉄駅構内で買い求めたキンパップ(のり巻)とお餅です。

安い上に美味しくて感激です♪

しかし公園でご飯を食べていられるのも、天気がちょうど良いから。気温35℃の予報におののいていましたが、涼しい風が吹いて、たぶん30℃くらいだと。感謝っ!!


 世宗大王を横目に見ながら


世宗大王像


栄養補給して元気が出たので、歩いて次の目的に向かうことにしました☆

世宗大王像を横目に長い横断歩道を渡るのですが、この中央分離帯にある公園にソウル1のパワースポットがあるそうな。

バスや車がびゅんびゅん通って行って、排気ガスがハンパない感じですが、それでもパワーもらえるんですかねぇ。。



李舜臣(イ・スンシン)像

周辺

右捕盗庁跡


交通量の多い道を渡って東亜日報社の前へ。この社屋がある所に昔、右捕盗庁という、これまたキリスト教徒を迫害した警察みたいな機関があったはずなのですが。

碑とかが何もないと不安になります。「東亜日報社屋」の解説板と、隣にある郵便局前の「郵便サービス発祥の地」碑はあるんですけど・・・。

「右捕盗庁跡」を探して来る人があまりいないからですかねぇ (^-^;



東亜日報社屋

東亜日報社屋

隣にある郵便局

郵便サービス発祥の地

義禁府跡


てくてく歩いて義禁府跡へ。こちらはチェイル銀行の前に碑が建てられています!

義禁府は捕盗庁より上位にあった司法機関で、捕盗庁の役人が逮捕した信徒を尋問し、事案の軽重を判断して、刑曹や義禁府に移送しました。

捕まえられた信徒たちはれ、刑曹や義禁府で再尋問を受けて確定判決を受けて処刑されたので、キリスト教徒の殉教を決めた機関だったということができます。今は静かに碑だけが建っているけれど・・・。



SCチェイル銀行

義禁府跡

義禁府跡碑

普信閣

典獄署跡


次は典獄署跡へ。この碑は偶然(お導き?)によって見つけました☆

あると思っていた所になくて、諦めて道を歩いていたら発見したのです。

感謝です。朝鮮時代の迫害機関跡の一つではあるけれど、だからこそ見て確認できて感謝です。



典獄署跡碑

典獄署跡碑

典獄署跡

典獄署跡


 韓国天主教創立の地へ!


三一橋


しばらく迫害関係の史跡が連続しましたが、次は韓国天主教創立の地へと向かいます♪

北京で洗礼を受けて帰国した李承薫が、新しく信徒となる人に洗礼を授けた場所です。

暗渠になっていたのを地上に復活した清渓川沿いに東へ歩くと、ちょうど良い散歩道になっていて気分が上がります。こちらは三一橋。この道はタプコル公園から伸びているから三一運動のとき活動家たちが万歳を叫びながら行進した道なのかも。柳寛順も通って行ったかもしれませんね。



清渓川沿い

三一橋

三一通り

ムクゲ

韓国天主教創立地跡


やってまいりました、韓国天主教創立地跡!!
1784年の冬、韓国で初めて洗礼式が行われた地です。

水標橋近くの李檗(イ・ビョク)の家で行われのですが、李檗の家は本当は川の南側、記念碑がある所から見て、川の反対側にあったのですが、適当な場所がなくてここに記念碑が建てられたそうです。

なんかうれしくてテンション上がりまくりです。歌っちゃおうかなヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ ランラララーン♪(あほですかっ?)



記念碑

記念碑

ほんとは道の向こう側

清渓川

記念碑周辺

水標橋

水標橋

水標橋

見上げた空には


まぶしい光が目に飛び込んできて見上げると、雲間から降り注ぐ太陽光が。主の慈しみが光のシャワーとなって地上に降ってきているようです。

地上に縛り付けられたこの身は、考えも地上から離れることができず、いつも生活のあれこれに煩わされて、主のことも思い出す時にしか考えないけれど・・・。

私が考えなくても、主は私を思って、見つめ続けていらっしゃるんだと気づきました。

もっと目を上げて、心を高く上げて、生活の中で主を見上げなければ☆


左捕盗庁跡


そしてまたしばらく歩いて左捕盗庁跡へ。現在消防署と団成社がある場所です。

左右の捕盗庁というのは、日本の南町奉行所と北町奉行所みたいなものだったようで、この2つの捕盗庁ではソウルはもちろん、全国で信徒を逮捕し、連行しました。

捕盗庁での取調べ中に捕盗庁の獄で亡くなった殉教者たちも多数に上り、韓国の聖人103名のうち、23名が捕盗庁で獄死しているのですから、「取調べ」と言っても現代のようなものではないことは明らか。壮絶です。

捕盗庁での殉教


また捕盗庁では獄に入れて取調べをするだけでなく、処刑も行われていました。ソウルには他にちゃんとした刑場があるのに、そこで行わずにここで処刑したのは、死因を曖昧にしようとする意図があったものと考えられます。

病死した、取調べ中に体調が悪くなり死亡したなど、故意ではなく過失で死亡したと捕盗庁の記録には書かれているのです。そんな記録を文字通り信じることは、常識的に考えても無理でしょう。


東学の人も「殉教」?


左捕盗庁跡碑の横には金さんという方が「殉教」したことを記念する碑が碑が並んで建てられています。

クリスチャンだったのかなーと見てみると、「東学」の人だったと書かれていました。

「東学」とは、当時キリスト教を「西学」とよんだことに対抗して、儒教など東洋的思想を中心に立ち上げられた宗教。反政府的であるとされ、キリスト教と同じような時期に弾圧されました。それで「殉教」したのがここだったということみたいです。

教えに殉じた死であることは否定しませんが、カトリックの定義には当てはまらないものであることを、一言添えておきたいと思います。



左捕盗庁跡

左捕盗庁跡碑

東学の人の碑


 堤岩里へ!


水原駅


さて、今日のメインともいうべき堤岩里(チェアムニ)に向おうと思います。

堤岩里には、水原駅から出ているバスに乗って発岩(パラン)へ、そこからタクシーで行きます。

堤岩里に行くのバスもあるにはあるのですが、本数が少なく、バス停で下りてからも記念館までちょっと距離があるので、タクシー利用が現実的なのです。


堤岩里三一運動殉国記念館


堤岩里三一運動殉国記念館は、記念塔や犠牲者の墓地、堤岩里教会を一体として整備した公園になっていて、受付で来意を告げるとまず映像を見ることになりました。

映像は15分くらいのものですが、胸が苦しくなるしかない内容で、こんなのを見たら反日感情が育たないはずがないなと。

日本の罪を悔い改めようと思って来てみていても、見ているうちに、責められ過ぎて苦しくなってきて、逆に反発心が起こってくるような・・・。

石でも飲み込んだような・・・


そりゃ侵略した日本が悪いし、教会に信徒を閉じ込めて焼き殺すなんてあり得ないけれど、事件の前に日本の官憲2人を襲って惨殺していて、それがきっかけになったのだから、その点はどう捉えているんだろうかと疑問が浮かんできます。

日本語版で見たからひどい誤解はしていないと思うのだけれど、日本人が人の国を侵略して悪いことをしていたのだから、その手先である官憲(巡査)を殺したのは当然だと捉えているように感じました。

石でも飲み込んだような、重苦しい気持ちになって、もやもやした頭の中にふと血気が起こってくると、ナショナリズムに振り切れてしまいそうな、そんな感じ。でもそのせいで、民族の溝が埋まらないんでしょうね。自分の心を通して、「難しいんだな」と痛感しました。



案内マップ

周辺の観光案内

殉国記念塔

教会跡地


クリスチャンが閉じ込められて火を放たれた教会の跡地は、現在緑の芝生に。

犠牲者たちを象徴するモニュメントが建てられています。

明日が光復節(8月15日は日本では終戦記念日だけれど、韓国では日帝時代が終わった日だとして「光復節」とよび祝う)だからか、どこかのテレビ局が取材に来ていました。


記念館入口


記念館の受付の女性は結構日本語ができて、恐らく日本に留学してたことがあるんじゃないかと(聞かなかったけれど)。

「日本からもいらっしゃいますが、キリスト教関係者だけですね」と言っていました。少し前に山形の独立学園の生徒たちも来たのだとか。

互いに良心を持って学ぼうとする人たちがいるんだと知って、どこか心が和らぎました。知ることが未来への種になっていくのかもしれません。頑なな心に凝り固まってはいけないなと反省して、展示室を見て回りました。



展示室

展示

展示室

展示品

現在の教会


記念館からスロープを上がっていった、展示室の2階が教会になっていて、現在はここが堤岩教会とよばれています。

堤岩教会はプロテスタントの教会で、教会建設の資金は日本からの寄付でまかなわれました。というか、贖罪の意味をこめてキリスト教系の団体で寄付を募り、建てさせてもらったと言うべきかと。

蝉の鳴き声に囲まれて、しばし瞑目してお祈り。1919年の4月15日に思いを馳せます――。

三一独立運動と堤岩里事件


事の発端は1919年3月1日。堤岩里の住民たちは教会前の庭で万歳を叫び、夜間通行を調査していた日本の官憲2人を打殺しました。次第にエスカレートする万歳示威運動を制圧するため、水原と発安駐在の日本部隊は報復措置に出ます。

1919年4月15日、発安駐在所の佐坂所長と韓国人趙煕彰は憲兵一個小隊30人を連れてやって来て、15歳以上の男子は皆教会に集まるようにと伝達しました。よばれた住民21名が集合すると、彼らを藁葺家の堤岩教会に閉じ込め、石油を撒いて火をつけました。

憲兵らは燃えている教会に向けて発砲し続け、教会の前に走り来て泣いている女性2人をも銃で撃って殺しました。この23名は全員、堤岩教会に通うクリスチャンでした。

その後佐坂らは、全村33戸の堤岩里村を、人里離れてた1戸を除いて、全部焼き払いました。また堤岩里から500m離れた古州里へ行き、天道教の2家族を6名を銃殺しました。三一独立運動で主導的な役割を果たしたのはクリスチャンでしたが、天道教徒もそれに次ぐ勢いで活動していたからです。




現在の堤岩教会

堤岩教会

記念館パンフ

堤岩教会週報

犠牲者のお墓


記念館横から坂道を上った所に犠牲者のお墓があります。

お墓の前に立ってみたら、自然に涙が出てきました。

やはり悔い改めなければならないと思いました。

何が原因で、誰が悪いんだとかそういうことの前に、自分が悪かったと認め、悔い改めていくことが必要なのだと思います。互いに相手が悪いと言ったら喧嘩ばかりが起こり、自分が悪いと言ったら平和が起こる――。自分の中から平和を創り出しながら生きていかなければ。



犠牲者のお墓

犠牲者のお墓

犠牲者のお墓の碑

記念館のロビーにて


記念館の受付に戻って、受付の方にタクシーを呼んでもらえるかお願いしてみました。

快く引き受けてくれた上に、タクシーが来たら、一緒に坂下まで下りて行って、いくらぐらいかかるか確認してくれました。

有り難いことです。誰も喧嘩なんてしたくないのに、両国が対立してきてしまったことは、私たちの凝り固まった思考回路に付け込んで、闇に引っ張る力が介入したからかもしれません。頭と心を解きほぐして、未来に顔を向けたい・・・です☆



万歳運動の絵

絵の解説


 ソウルに戻ってセナムトへ


龍山駅


水原駅からKORAILに乗り、龍山駅に降り立ちました。最後は殉教地、セナムトへ!

韓国で最初にキリスト教聖職者となった金大建らが殉教した場所です。

龍山駅は新しく大きな駅ですが、駅の周りはまだ開発中。曲がりくねった小道を通って、跨線橋を渡って行かなければなりません。

夕方になっても衰えない日差しが、体に結構こたえます。。( ̄▽ ̄;)


セナムト聖地


しかし向う途中の跨線橋から見た光景が、ベストビューでした!

へたれの私はタクシーも考えましたが、これが最良の選択だったようです。

お城の天守閣のような聖堂の頂上にはまぶしく輝く十字架が。不思議とキリシタン時代の教会にも似ています。どんな理由でこのような建物になったかは知らないけれど・・・。



セナムト聖地

聖堂

電車からも見える

聖人像

記念館入口


セナムト記念館は聖堂の建物とは別に建てられていて、階下に下って行く造りになっています。

受付の方に写真を撮っていいかを聞くと、殉教者の聖遺物の置かれた小聖堂以外はOKだということでした。

なので聖遺物と小聖堂は下のパンフレットの写真でご覧くださいまし。訪れた時も女性が熱心に祈っていらっしゃいました。


セナムトのパンフレット

説明

殉教した聖人たち

殉教した聖人たち

聖遺物

セナムト記念館のパンフ

館内

小聖堂

ここで殉教した聖人たち


展示室に入ると、真ん中に半円状の祭壇があります。

ここで殉教した聖人たちの面影が彫られたレリーフの前に立つと、厳粛な気持ちになります。

レリーフの背面には、ガラスケースが設けられていて、その聖人ゆかりの品が納められています。



展示品

展示品

展示品

迫害について

キリスト教史

キリスト教史

遺体を運んだ様子

刑具(複製)

セナムトの聖堂


キリスト教徒の処刑が行われた当時、セナムトは漢江の岸辺で寂しい荒地であったと考えられています。

ここで行われた処刑は見せしめのためのものだったので、処刑方法は軍門烏首(ぐんもんきゅうしゅ)。首を斬り、頭部を吊るして晒すというものでした。

首の斬り方も処刑される者の身分によって異なり、低い身分の者は首を下げて、高い者は首を上に向けて斬ったのだとか。身分の高い生まれであった金大建は、天を見上げるように首を上に向けて斬首されたのですが、その際静かな微笑をたたえていたので、その死の様子は「微笑致命(ミソチミョン)」とよばれています。



セナムト聖地

聖堂前のキリスト像

斥和碑の複製

解説板


巡礼について・・・


セナムトの後、切頭山に行く計画でしたが、
時間切れになってしまったので断念;;

しかし巡礼についての考えが変わりました。
主が導いてくださる通りに行くのが巡礼なのだと。

自分の考えた通りに回るだけなら
まるで自分の脳の中をウロチョロするようなもの。
そこには確認こそあれ、発見はないのだと思います。

計画は立てるけれども、その時々の導きに応じて
自分の考えを捨てて、主に委ねて行ってこそ
巡礼らしい巡礼になるのではないかと思いました。
なので今回のタイトルは「韓国巡礼」に決定☆

明日も主と共に歩めますように ( v゜▽゜)oキラーン♪






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