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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 韓国巡礼 part 3


  本日の主な訪問地


 合徳聖堂
 ソルメ聖地
 カルメモ殉教聖地
 タラッコル聖地







         念願のソルメ♪


        今日はかねてから行きたいと思っていた
        ソルメ聖地に参ります!

        思えばあれは3年前の夏。
        キリシタンの遺骨に会いたくて訪れたマカオで
        金大建(キム・デゴン)神父の銅像を目にしたことが
        韓国のキリスト教の歴史に興味を持つきっかけとなったのです。

        今日がどんな日になるのか楽しみにしながら、いざ出発!!

合徳行きのバス


ソルメにはソウルの南部バスターミナルから合徳バスターミナルへ行き、そこからタクシーで参ります☆

なので地下鉄を乗り継いでまずは南部バスターミナルへ。スムーズにチケットをゲットできたことに感謝しつつ、食堂でジャージャー麺をエンジョイ♪

この雑然とした感じが楽しかったりして。


バスターミナル内

ジャージャー麺

海を渡って忠清南道へ


バスは入り江になっている所を橋で渡って、一気に忠清南道に突入。ソウルと地方都市とは想像以上にバス網が発達していて、短時間で到着します。

今朝祈っていて浮かんできた言葉は、「祈らなければ行う力がなく、何を行うべきか、御子の御心が思い浮かばない」というもの。

私のレベルで悟れることじゃないので、主がくださった霊感なんでしょうね。心に刻んで一日を過ごしていきたいですヾ(´▽`*)ゝ


合徳聖堂


合徳バスターミナルでタクシーの運転手さんに、ソルメに行く前に合徳聖堂に寄りたいと言って、寄ってもらいました☆

長い歴史を誇る大田教区において、一番最初に建てられた聖堂で、100年の歳月を経てなお、現役の聖堂として使われています。

歴史もさることながら、あまりに美しくて心まで照らされるようです。興奮すると走り出したくなる私は、思わず聖堂前の階段を駆け上ってしまいました O(≧▽≦)O



合徳聖堂

合徳聖堂

合徳聖堂
合徳聖堂

村を見下ろすキリスト像


ちょうどミサをしているようだったので、中には入っていきませんでしたが、聖堂前のキリスト像の横に立ってみて感激。

キリストは眼下の村を抱くように御手を広げているのでした☆

この教会からは司祭40人、修道女修道士約70人を輩出しているのだとか。すごいですねぇヽ(*゜O゜)ノ



キリスト像

聖堂の入口

庭の像

解説板


 ソルメ聖地へ!


ソルメ村


再びタクシーに乗ってソルメ聖地へ。
金大建神父の生まれたソルメ村は今も田舎なので、150年ほど昔なら当然もっと田舎だったはず。

こんな忠清南道の田舎の村で、朝鮮人初の神父が生まれただなんて、どんな御心があったのでしょう――?

御心は祈りなしにはわからないものだろうと思うので、祈りつつ行かねばですね☆


ソルメ聖地


到着しました、ソルメ聖地♪

私たちがタクシーを降りると、「やったー!」という感じで乗り込んでいく若者たちがいました。

ほとんどの人が自家用車で家族で訪れているようです。



ソルメ聖地

ソルメ聖地入口

入口の碑

聖地案内図

野外礼拝堂


敷地は広大で清らか。とてもよく整備されていて、ゆっくり見たら半日くらいは過ごせそうな雰囲気。

入口から進んでいくと左手に見えてくるのが、野外礼拝堂。周りには「ここはローマか!?」と見まがうばかりの彫像がずらり。

やっぱ韓国ってキリスト教国だわ、と思ってしまいました (*゜ロ゜)ノ


彫像

彫像

聖金大建像

お祈りの家

記念館


記念館も大きくてびっくり。人が小さく見えます。円形の建物の左半分が聖堂で、右が金大建神父の資料館となっています。

中に入ると、4代で10名の殉教者を出した金大建神父の血脈に始まり、10年に渡る大旅行、迫害の様子から神父の殉教までをたどることができ、直筆の手紙や聖遺物も目にすることができます。

出口に設けられた映像資料室では、神父の人生をまとめた映像を見られますが、韓国語版しかありません;; 堪能するには韓国語能力が必要ですが、ビジュアルだけでも流れは理解できるかと☆



金大建神父の血脈

展示

金大建神父の遺品

金大建神父の遺品

聖遺物(複製?)

聖遺物

迫害の様子

迫害の様子

復元された生家


映像を流して見せてくれた受付の方にお礼を行って館外に出て、復元された生家へ。

当時の家屋を再現したものなので真新しさはありますが、のどかで清廉な雰囲気が伝わってきます。こういう家で生まれ育ち、聖書を学んで主を仰いだんですね (*゜。゜)



復元された生家

庭の碑

復元された生家

神父の絵

内部

内部

井戸

家の軒先

金大建神父像


復元された生家横から伸びる松林の小道を抜けると、金大建神父像が。

この像と同じものをマカオで見たことから、今回の旅は始まったのだから感無量です♪

「導かれてここまで来ましたよー」と、心の中で話しかけてみました。

金大建神父の生涯


金大建神父は1821年8月21日、忠清道ソルメ(現在の忠清南道唐津郡中江面松山里)にて、敬虔なカトリック教徒である金済俊と高ウルスラの息子として生まれました。この家とキリスト教との関係は、金大建の曽祖父である金震厚から始まりました。彼は韓国にカトリックが伝わって間もなく入信し、1791年に逮捕され、1814年牢内で殉教しました。

金震厚の3番目の息子 金宗漢は、ソルメを出て安東に暮しましたが、1815年逮捕され、翌年斬首。2番目の息子 金澤鉉もソルメを逃れコルベマシルに住むようになりましたが、この時7歳だった金大建も一緒にコルベマシルに行き、そこで漢文などを学びました。

金大建の父 金済俊はモバン神父が入国するとすぐにソウルに行って彼に会い、洗礼を受けました。モバン新婦はその後地方の巡回に出ますが、最初にコルベマシル近くのウンニ巡回教会に行き、金大建少年に洗礼を授け、本人の希望を聞いて神学生として選びました。

金大建はソウルに上って、神学生として選ばれた他の2人の少年たちと共にラテン語を学び始めました。迫害のため、国内で彼らの教育をすることは難しいと考えたモバン神父は、彼らをマカオに送ることにしました。3人の少年は同行の神父らと共に満州を経て、マカオに到着し、そこで教育を受けました。

マカオで内乱のため、しばらくマニラに避難し勉強を続け、韓国への入国を試みましたが、東南海と中国東北部を何度も行き来することとなりました。中国から北朝鮮方面に出ようとしたときには、約2ヶ月で5百キロの道を歩きました。陸地と海で経験した大旅行は、病弱であった彼の体質を鍛錬すると共に、気力と大胆さをより優るものへと変化させました。

ついに司祭に!


1845年、金大建は神学過程を終え助祭となり、翌年司祭に叙階されました。ついに金大建は韓国で最初の神父になったのです。上海の教会堂で初ミサを捧げて、帰国に向けて船出し、40日後に江景近くの黄山浦に上陸しました。金大建はすぐにソウルに上京して、ソウルとその近辺の村々を回って秘蹟を授けました。この時龍仁地方で10年ぶりに母と会い、復活祭を過ごしました。

しかし迫害の火の手は燃え広がり、金大建を追ってきました。宣教師を迎え入れるための経路を開拓しようと西海方面に出た際に思いがけず逮捕され、ソウルの捕盗庁に監禁されました。獄中では激しい拷問が行われ、金大建は宣教師に別れの手紙を書きます。

1864年9月15日、金大建は外国人と交渉したという罪で軍門梟首の判決が下り、この日かその次の日に処刑されました。殉教の地はソウルの漢江沿いセナムトで、神父の遺体は40日後に信徒が役人の目を盗んで運び出し、60キロ歩いてミリネに埋葬されました。

1984年、韓国教会創設2百周年を契機に訪韓した教皇ヨハネ・パウロ2世によって、金大建は他の殉教者102名と共に列聖され、聖人の位に上げられました。

また金大建は韓国教会すべての聖職者の守護聖人で、現在神父の遺骸はカトリック大学神学院の聖堂に安置され、未来へと育ちゆく神学生たちを今も静かに見守っています。



金大建像

金大建

碑文

記念碑

松林

ソルメ聖地

十字架上のイエス

庭の像


 人に助けられながら★


ソルメの出会い


ソルメを満喫して帰ろうと思いましたが、折りよくやって来るタクシーなどある訳もなく・・・(×_×)

タクシー会社の電話番号を教えてもらおうと駐車場の案内所に行くと、女性が対応してくれて、「ちょうど昼休みで家に帰ろうとしていたからバスターミナルまで車で送ってあげる」と!

有り難く好意を受けることにして、対話しながらバスターミナルへ向かいました。私たちが殉教地などを巡っていると聞いて、韓国在住でちょっと来たならまだしも、日本から探して来るなんて「すごい」と言ってくれていました。

その国を代表する聖人ゆかりの地でも、海外から注目して訪れる人は少ないみたいです。日本人観光客は年間数十万人来ているけれど、グルメや韓流スターのお店にはものすごい情熱で探して行っても、史跡は「そのついでに訪れる」程度だから、こういう所までは足を運ばないのでしょう。

買い物だけでなく、韓国人の精神性や歴史的に成してきたことにもっと関心を持ってもいいような。。
そういうリスペクトが両国の関係を変えていくんじゃないかと、思ったりして。



金大建神父の本

金大建神父の本

周辺のキリスト教史跡地

教区のキリスト教史跡地図

新礼院へのバス


合徳のバスターミナルに到着して新礼院バスターミナルまでのチケットをゲット☆

当初の計画ではタクシーで礼山駅に向おうかと考えていましたが、「それでは何万ウォンかかるかわからないからバスがいいよ」と、車で送ってくれた女性に言われ、計画変更。

今日は素直に「巡礼」するのです♪
導いてくださる方に委ねて・・・。


忠清道の人は温和かも


バスの発車まで1時間弱あったので、ターミナルないの食堂でランチ。お昼にお昼ご飯を食べられるなんて、幸せ♪

食堂のおじさんは気さくで親切な感じ。夫が言うには忠清道の訛があるから、言葉は少し聞き取りにくいらしいですが(私にはわからん;;)。

忠清道は田舎だけど、その分人は温和でいいかも o(* ̄o ̄)o


新礼院駅


地元感たっぷりのバスに乗って新礼院バスターミナルへ、そこから少し歩いて電車の駅に着きました☆

バスターミナルから電車駅まで少し歩くのですが、それがわからなくて右往左往していたら、ここでも人に助けられました。感謝です♪

駅は最近出来たものなのか、新しいです。韓国は車社会でバス網が発達しているけれど、最近は鉄道インフラの方にも力を入れているよう。旅行者には有り難い流れです(^O^)



レシートみたいなチケット


農村

ムグンファ号


 カルメモ殉教聖地


広川駅からタクシーで


新礼院から広川へ、各駅停車のムグンファ号でのんびり向かい、駅からはバスもない(本数が少ない)のでタクシーでカルメモ聖地へ。

時間的に、今日はここが最後の訪問地になりそうです。

見えてきたのは西海の海。宣教師が渡ってきて、金大建が戻って来た海です。降り注ぐ陽光がキラキラと海面に躍っています♪


カルメモ殉教聖地聖堂


快適なドライブで到着したカルメモ聖地は、海辺にたたずむ聖女のよう。

静かに清らかな眼差しを海へと向けています。

左の建物は聖堂。右手には芝生の庭があります。


聖堂

聖堂

芝生の庭と石碑

カルメモ聖地

殉教地


この碑が建てられている所が、宣教師たちが首を斬られた場所、殉教地です。

ここで5名の神父(のちに全員聖人となった)と、500人余りの信徒が処刑されました。

話しかけてきてくれたシスターによると、セナムトなどは「大体この辺だっただろう」という推定地だけれど、カルメモは実際に殉教の様子を見た人が「ここだ」と明確に特定した場所なのだとか。こういう殉教地は全国でも珍しいとのことでした。

海を望む、こんな風光明媚な場所で処刑したんですね。遠藤周作の「沈黙」の一節を思い出します。「人間がこんなに悲しいのに 主よ、海があまりに碧いのです」――。

「沈黙」は司祭でありながら踏絵に足をかけてしまう人のことを描いたものなので、状況はまったくと言っていいほど違いますが、人の悲しみと海の碧さがコントラストを成して、この地上世界に起こる矛盾と痛みを同じく想起させるというか・・・。

殉教のことを「命の奉献」というけれど、その輝かしい言葉に隠された苦しみはいかほどだったのか。受け取られた天のみが知るものではないかと思います。



カルメモ聖地

殉教地

キリスト像

聖母子像

カルメモの出会い


カルメモ聖地の話をしてくれたシスターと話すうちに、「ところであなた方、どうやって来たんですか?」と聞かれました。

「あまり考えずに来るだけ来ました。タクシーでも拾おうかと・・・」などと、お気楽スマイルで話す私たちに、シスターの方がびっくりしたようで、「えーっ!?」

「タクシーなんてないわよ。あ、ちょっと待ってて、水原から来ている人がいるから乗せていってもらうといいわ。あの人まだ帰ってないといいけど・・・」と、巡礼に来ていた母娘を探しに行ってくれ、私たちのことを話してくれました。

「すみません、大丈夫ですか・・・?」
知っている限りの言葉で私が聞くと、頼まれた女性は幾分戸惑った表情を浮かべながらも、「あ、ああ、大丈夫ですよ」と。たぶんシスターが頼んでくれなかったら、初対面の人間を乗せて行ってくれるなんてあり得なかったと思われます;;

「この人タラッコル聖地に寄って水原に帰るんだって、それでいい?」とシスター。もちろん私たちには何の異存もありません。車でしか行けない聖地にまで寄れるなんて、これ以上の話はないと言ってもいいほど。でもほんとに、こんな見ず知らずの外国人を・・・あのぅ、いいんでしょうか?

シスターの勢いに押されて、その女性も「ま、いいか」と思ってくれたようで、「暑いですけど、どうぞ」と車のドアを開けてくれました。乗り込むと、助手席には事情を知らぬ小学生くらいの女の子が・・・。

「あ、アンニョンハセヨー(私)」「・・・(女の子)」
ああ、人生とは、巡礼とは不思議な出会いに満ちたものです!




カルメモのパンフ

行き方

殉教者

殉教者


 出会いを信じて水原まで


出会いと対話


人の出会いの不思議さを思いつつ、主の手に委ねる恵みを感じつつ、車内でその女性とも対話するようになりました。

どんな聖地を回ってきたかという話をしているなかで、女性に「それでは聖堂に通っていますか?」と質問されました。

「聖堂に通う」という表現が独特だったので、これはカトリック信者かと聞いているんだなと思い、「私たちはクリスチャンではあるけれど、天主教(カトリック)ではなくて、基督教(プロテスタント)です」と言うと、その女性の目が大きく見開かれました。

女性「基督教徒なのに天主教の聖地に?」
夫「同じ主を信じて、神様に仕えて生きているのだから、彼らのことを尊敬し知りたいと思うし、殉教地にも行ってみたいと思うんです」
女性「そうなんですか・・・。韓国では天主教と基督教は結構仲が悪くてひどいんですよ」

女性の顔は曇って、釈然としない感じ。うーん、こりゃ車降りた方がいいのかなーという雰囲気満々ですが、もう山の中で降りることもできません;; ああ、主よ、どうすればいいんでしょう。この出会いと、流れに乗っちゃった感じのドライブは御心なんでしょうか (ノ_-;)ハァ...


タラッコル聖地


タラッコル聖地は殉教者のお墓があるところで、こんな山の中にあるのに広く開発されていて、キリスト教の浸透ぶりが推し量られます。

いや、この場合、「天主教の」というべきですかね。カトリックとプロテスタントの間が、これほどに溝があるものだとは知りませんでした。



タラッコル聖地

駐車場も広い

お墓への道

聖堂


お墓は更に山の中に徒歩で登って行かなければ見られないので、今回は断念。

女性は会いたいシスターがいるということで階下に下りていき、私たちと娘さんとでちょっとだけ待っていました。

韓国語がもっとできたら盛り上がるんでしょうけど、小学4年生の恥ずかしがり屋さんとの会話は成立しませんでした (-ω-;)



タラッコル聖地のパンフ

行き方

殉教者の墓

聖遺物

聖堂内


聖堂でお祈りして目を開けると、祭壇の前面に貴い感じのものがはめられています。

夫が見に行って、殉教者の聖遺物だと教えてくれました。

すごいです、こんなに間近に! これを見るためだけにも、ここに来た甲斐があったというものです。感謝です。私たちがこのようなものを見たいと知っているのは主だけ。だから主が導いてくれたんでしょう、すべてを。

もう迷ったり心配したりせずに、御心だと信じて、腹をくくって進んで行きます☆



祭壇

焼失を免れたキリスト像

聖遺物

聖遺物

壁のキリスト像


廊下に出ると、守るように手を広げたキリスト像。この方に見守られて今日という一日を過ごしているんだなと思いました。

車に乗ると後ろに子供用の本が置かれていました。本の題名を見てみてびっくり。「おたあジュリア」と書いてあります。

おたあジュリアは、秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮から日本に連行された女性。幼い少女だったので、かわいく思った小西行長(キリシタン大名)の妻が養育し、後にキリシタンになりました。この頃まだ朝鮮にはキリスト教が伝えられていなかったので、朝鮮人で最初に洗礼を受けたのが、このおたあジュリアだとされています。

成長したジュリアは駿府に行き、城の奥女中となったのですが、とても美しかったので、家康に気に入られ側室になるよう言われました。しかし神に仕えたいからとこれを拒否。一転、キリシタンであることが問われて島流しになったのです。

私「この本、読んだの?」
女の子「今日もらったから、まだ読んでない」
私「読んでみてね」
女の子は「わかった」という感じで頷いていました。
韓国語を勉強した甲斐もありました、主よ♪




素焼きの聖像

タラッコルの庭

墓所への道

周りは山


 お店に寄ろうと言われて・・・


出会いと対話 part2


水原へ向う道で、今度は日韓の歴史認識の話になり、再び居心地の悪い雰囲気に。しかも今日は8月15日。光復節なんですから、そんな話題になっちゃった時点でアウトと言うしかありません;;

しかし夫が「同じクリスチャン同士がこの光復節に出会って殉教地を一緒にめぐり、対話するようになったことに、きっと意味があると思います」と言うと、女性が徐々に自分のことを話してくれるようになりました。

祖父の時代からのクリスチャンで、東洋のローマとも言われた平壌から逃れてこちらに来たこと、幼い頃にお世話になったシスターがずっと祈ってくれてたおかげで、大きくなってから洗礼を受けるようなったこと等々。

長崎のキリシタンと信徒復活、韓国の教会は一般信徒によって自発的に創立された誇りある歴史を持っていることなど、私たちの話題は尽きることがなく、やがて「もっと話したいな」と思うほどに。でももう水原インターを降りたので、そろそろお別れかと思っていたら・・・。

「お店に寄りましょう」?


「近くに友人が絵を書いているお店があるので、ちょっと寄りましょう。贈りたい物があるので」と言われました。ここまで3時間近くも車に乗せてもらって、その上何かもらっては申し訳ないと思い、辞退しようと思いましたが、心の中で祈ってみると、「一緒に行きなさい」という霊感が。

何がどうなるかはわからないけれど、御心の通りにしてくださいと願って、女性の言うとおりについて行きました。すると到着したのはおしゃれな陶器のお店で、ドアの鍵を開けた女性は手早く絵付けの大皿とティーカップのセットを緩衝材に包むと、「これお土産」と下さいました。

後でHPで見てみたら、そのお店は陶器の絵付け教室を兼ねたギャラリーで、何人かいるデザイナーのうち、女性はその代表となる人でした。そして自分が描いて焼いたその一点物のセット(↑の写真)を、今日初めて出会った私たちにプレゼントしてくれたのでした。

何とまあ、何と言っていいのか、お礼を言う言葉が不足して、恐縮してしまいます。韓国の人の情の深さをしみじみと感じました。ああ、しみじみ。主よ、でもこれは、韓国人の情深さを通して、主が私たちにくださったんですね。この母娘、そして家族皆さんに祝福がありますように!!




お店のパンフ

女性の作品

デザイナーさんたち

お店の名前

水原の夕景


「カムサハムニダ」を連発して車を降り、手を振って颯爽と去っていく母娘を見送って駅へ。ホームからはたくさんの十字架が見えました。

天主教や基督教、基督教にも監理教とよばれるメソジストや長老派があり、正教会系の教会、英国国教会系の教会など、韓国ではキリスト教のいろんな宗派が百花繚乱、いずれの教派も栄えています。

これらの勢力が宥和し一つとなったら、これほどすごいことはないのではないかと。でもそのためには、教派を超えた強力なエキュメニュカルな取り組みか、教派を超えた新しいものが必要なのかもしれません。

東洋の新しきキリスト教国 韓国が、この夕景を超えて、新しい夜明けを迎えられますように――!



今日のような日があるなんて・・・


人生の中に、今日のような不思議な日があるなんて
想像しなかったとは言わないけれど
やっぱり不思議な導きのあった日だったと思います。

思うに、信仰者というのは
この見えない不思議な縁を信じるか否か
意味があるとするか否かにかかっているのかと。

そうだとすれば
本当に信仰者であって良かったと思います。
出会いと対話、その縁を結んでくださった導きに
感謝しないではいられないから。

明日は帰国日だけれど、短い時間だからと思わずに
最後まで委ねていきたいと思います☆

ハレルヤ!と心の中で叫んで、おやすみなさい☆(⌒∇⌒)ノGOODNIGHT☆



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