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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 韓国巡礼 part 4

 

  本日の主な訪問地


  楊花津宣教師墓地
  切頭山殉教聖地
   博物館
   野外展示
  





                  ラストは切頭山


             2日目に行くつもりだったのに行けなかったので
             本日、もう帰るのですが
             切頭山(チョルトゥサン)に向かいます!

             ここまでの3日間で
             巡礼とは主のみこころの通りに行くものだと感じたので
             無理せず、導きどおりに向かいたいと思います☆
 

            たくさん悟って、ちゃんと帰国したいなぁ(しないと困るし;;)

プロテスタントの教会


地下鉄を合井駅で降りて、漢江方向に歩くと、逆方向から人の波が押し寄せてくるのに会いました。

彼らが出てきていたのはこちら(←)の教会。出てくる人の多さに驚きましたが、一方ではこの教会に入って行く人たちもいます。

中に入ってみると聖堂では午後の礼拝のための準備で聖歌隊が素晴らしい歌声を披露していました。

楊花津宣教師墓地が目当てでやって来たのですが、ここのメインは墓地ではなく教会のようで(当然か?)、出て行く人たちは午前礼拝を守った人たち、入っていくのは午後礼拝の準備の人たちのようです。老若男女取り揃えてまことに盛んな人出です。韓国の日曜日はこんな感じなんだとびっくり&はれるや♪



教会

教会内

楊花津宣教師墓地

楊花津宣教師墓地


教会の人たちもの姿もちらほら見える楊花津宣教師墓地は、プロテスタントの宣教師さんたちが眠る墓地。

カトリックの殉教者とは違うけれど、人々の救いのために生涯を捧げたという点では、大きな功績がある人たちだといえるでしょう。

墓地内マップにはアッペンゼラーやアンダーウッドなど、見覚えのある名前も見えますが、時間がないのでお墓を探し歩くことはやめておくことに。でもマップを見ていたら日本人の名前もありました。

「増田嘉伊智」――。ああ、この人は確かクリスチャンで韓国政府から文化勲章を贈られた人・・・。

増田嘉伊智夫妻と朝鮮


増田嘉伊智(ますだ・かいち)は山口県出身の日本人で、台湾放浪中に行き倒れになり、そこで朝鮮人青年に助けられたことがきっかけとなり、1905年朝鮮に渡りました。ソウルのYMCAで英語教師として働き、1921年鎌倉保育園の京城支部長になってからは、捨て子と迷子の保護に力を注ぎ、その事業に生涯をかけるようになりました。

折りしも植民地収奪と第一次大戦後の経済不況の最中にあたり、ソウルの街には捨て子が急増していました。孤児院でも食糧が底をついて閉園を覚悟するたびに、無記名の寄付が寄せられて何とかその場をしのいで、第二次世界大戦の終戦までに千人以上の園児を育て上げました。

嘉伊智と苦労を共にしたタキ子夫人は1950年に83歳で、嘉伊智は1962年に95歳で、2人ともソウルで逝去しました。その墓には「孤児の慈父増田嘉伊智之墓」と刻まれているといいます。

日帝時代、三一運動、光復節、歴史認識・・・日韓の間に解けずに残っているわだかまりを、今回様々に見てきたけれど、その一方でこうした人々の献身的な働きがあったんだということを、主が見せてくださったような気がします。

この中に将来へのヒントもまた示されているのではないでしょうか。



墓地内マップ

葬られている人々

墓地

墓地


 そして切頭山へ!


切頭山殉教聖地


そしてついに切頭山へ! 夢にまで見た(?)切頭山です。ここでたくさんお祈りしちゃうんだもん。さあ、レッツゴー☆

切頭山の入口は先ほどの楊花津宣教師墓地のすぐ近く。こちらの方へもクリスチャンらしき人たちが上って行きます。

若い女性が立ち止まって解説碑を読んでいるのを見ると、胸を打たれます。民族の歴史とその遺したものを知ろうとすることは、大切なことだと思うから。

けだし、本当の自負心というのは、そういったところから芽生えてくるんじゃないでしょうか。経済力とか、単に「自分たちは優れている」とか言っちゃう優越感ではないところから・・・。

日本が反省しなきゃいけないのは、軍国主義に傾いたこともそうだけど、でもその前に、誇るべきものを間違ってしまったことなのかもしれないな、と思ったりして。



韓国には103名の聖人

入口

石碑

解説碑

刑具石


切頭山記念館の前には2つの大きな石が。これは朝鮮時代に人を締殺するために使われた刑具で、実際に使われていた物です。

これによってキリスト教徒が殺されたかは不明ですが、これと同様のもので処刑されたことは記録に残っていて明らかです。

朝鮮時代末期に殉教したキリスト教徒は1万数千人とされ、斬首では手間がかかるということで、このように楽に殺せる刑具を用いたのだとか。



刑具石

刑具石解説

刑具石

刑具石解説

再現された獄


記念館の中に入ってがっかりだったのが、展示換えのため、9月まで入館ができないということ。1階の展示室だけは見ることができますが・・・。

受付にいた2人の方(この2人は信徒でご夫婦だと後で判明)は、私たちをかわいそうに思ってか、一生懸命説明してくれました。

唯一見られる展示室にあるのは再現された獄舎と刑具類。「牢の中に入ってみても、刑具で体を縛って体験してみてもいいんですよ」と、サービスみたいな感じ(?)で勧められて、牢の中に足を踏み入れてみましたが、暗い牢の奥に中にあるのは、首を大型の枷で固定されて身動きできなくなった信徒の人形。怖気(おぞけ)立つ思いで出てきました。

女性の方が私に、どんな拷問がなされたのかを一つ一つ教えてくれるのですが、キリシタン時代の迫害のことをそのまま聞いているようでした。

日本でのキリシタン迫害は約400年前ですが、韓国では同じようなことが、約150年前の近代になってから行われたのです。よくぞ近代にこんな原始的な責苦をしたものだと・・・。



牢内

牢内から

固定具

拷問用具

拷問用具

拷問用具

拷問用具

拷問用具

展示室


私が女性から説明(私の語学力では十分説明を聞き取れず、ゼスチャーゲームのような様相を呈することに;;)を受けている間、夫は男性から韓国のキリスト教についてのレクチャーをしてもらっていました。

男性2人の方は、話が通じるということもあり、相当内容ある対話ができたようで、金大建の史跡めぐりの話までして盛り上がっていました(いいなぁ)。

さてここで抜かしちゃいけないのは、大院君(デウォングン。興宣大院君とも)という人物。この人によって、韓国キリスト教史上最も多くの殉教者を出した丙寅(ピョンイン)迫害が起こり、「切頭山(チョルトゥサン)」が誕生することになったのです。

大院君と丙寅迫害


大院君が権力の座に就いたのは1864年。12歳の幼い高宗が王位に上り、彼の実父である大院君(元々「大院君」とは、傍系の王族が王位を継いだ場合に、その実父に与えられた爵位)が摂政として政治の実権を握ることとなりました。

時代は鎖国から開国へと、通商を求めて列強の圧力がかかってくる時代にあたりました。大院君は英仏露日米いずれの国とも国交を結ばすに、うまく同盟を築くことで互いの国が牽制しあって朝鮮に介入できないようにしようと画策していましたが、風雲急を告げる世に、そんな都合のいい話が通るはずがありません。

ロシア人の朝鮮侵入をくい止めるためにフランスと同盟を結ぼうとし、そのためにフランス人宣教師を利用しようとしますが、すでに入国した宣教師たちが伝統社会を乱しているという理由で逮捕されているのですから、かえって非難を浴びるばかりで思い通りにはなりませんでした。

それどころか、金大建神父を不当に逮捕していることに対する抗議が、フランス艦隊を率いる提督から通達され、これに憤慨した大院君は金大建神父をセナムトで処刑。大院君は鎖国政策を決定づけると共に、国内の天主教徒に対して苛烈な迫害を加えるようになりました。

特に1866年から大院君が下野するまでの6年間は丙寅迫害とよばれる大迫害が韓国全土で繰り広げられ、数千人の殉教者が生まれることとなったのです。



拷問の様子

拷問の様子

拷問用具

拷問用具

拷問用具

拷問の様子

拷問の様子

拷問の様子

これは?


いろんな博物館で見たこのような(←)姿。説明文を読んでみてもイマイチわからなくて、何なんだろうと思ってましたが、夫が聞いてくれてようやく氷解。

迫害時代に宣教師はこのような装束で村々を巡回したそうです。これは朝鮮で「喪に服していること」を表す伝統衣装で、死んだ人同様に扱ってくださいという意思表示。

だからこの格好をしている人には誰も話しかけず、顔を覗き込むこともないので、外国人だとばれることがないそうです。顔もほとんど隠れるし、目でばれそうな場合にはメガネをかけたのだとか。疑問が解けてすっきりです☆



喪に服した様子

人形による展示

人形による展示

人形による展示

金大建神父の真筆


殉教者ゆかりの品で唯一本物を見ることができたのは、金大建神父の手紙。

現在までに明らかになっている金大建神父の手紙は全部で25通で、これはそのうちの1通。パリ外国宣教会から寄贈されたものです。

パリ外国宣教会は今から約150年前、アジア各地に宣教に赴いた団体ですが、その同じ修道会の宣教師たちが日本で「信徒復活」を目撃して感激していた時に、韓国や中国に赴いた宣教師たちはその国の信徒たちと殉教していっていたのですから、言葉を失います。

今まで日本の歴史にしか目を向けてこなかったから、同じ頃隣国でこのようなことが起こっていたとはまったく知りませんでした。

彼らの苦闘の果てに、現在の韓国でのキリスト教盛況があるのですから、頭の下がる思いがしますが、同時に悩ましい気持ちもまた立ち上ってきます。

私は一人の人間だから、「人生」という単位で物事を見てしまうきらいがあって、「人生」という時間的括りで見ると、彼らは辛い思いだけして、栄光は受けずに世を去っているわけなのです。

我らがキリストの場合もそうだったのだから、これに「うん」と言えないと、ほんとのクリスチャンとは言えないのかもしれませんね。みんなどう考えてるんだろう・・・? 



金大建神父手紙解説

金大建神父の手紙

ここでも出会いが


受付のご夫婦と4人で話すこととなり、さまざまな話題で盛り上がりました☆

男性「日本には長崎があるね」
女性「私、遠藤周作の本を読んだわ」など

その中で巡礼の話になり、ルルドの話になり・・・ルルドで手に入れたというメダイを頂いちゃいました (゜o゜;

「大切なものだから・・・」と遠慮しよう頂かないようにしようとしたのですが、受け取らない方が失礼かと思うほどに下さろうとしてくださったので、有り難くいただくことに。「そうしてあげたい」と強く思ってくださったんですね。ありがとうございます。

その上、「あげたい本があるんだけど、家にあって取りに行く時間がないから送ってあげる。住所を教えてくれないか?」と言ってくださって、図々しいかもと思いながらも、資料になる本は欲しかったので、その方のメアドを教えてもらって、住所を書いてメールしますと言いました。

後日・・・


(以下は現在この旅行記を書いている時点のことです・・・)
帰国後その方にメールして、住所も添付したところ、一週間後に本が届きました!

本は2冊入っていて、1冊は旅行に行く前私が一番参考にした「天主教殉教聖地切頭山」という、記念館のカタログのような本で、感謝すべきかな、日本語版です!! 日本でも手に入らなかったのに・・・(w_-; うれしくて涙が出ます。

もう一冊はハードカバーの豪華な分厚い本で、一見すると百科事典。中身は韓国中の殉教地、キリスト教史跡が全て載った「巡礼案内」でした。写真と図版、詳細な地図が添えられていて、正にパーフェクト。

住所はもちろん緯度経度まで。行き方の説明もあるので、これから先巡礼で困ることはもうないかと。言うまでもなく、そこで殉教した人物やその事績についても詳細に書かれています。

たぶん、相当高価なものだと思います。有り難くも申し訳ないですが、でも感謝していただいて生かしていくのが一番ですね♪ あのご夫婦の上に限りない祝福があるよう祈りつつ――。




ルルドの奇蹟メダイ

大主教の衣服

大主教の車

大主教の遺品


 切頭山の野外展示


金大建神父像


「飛行機の時間、何時?あとどのくらいで出れば大丈夫かな?」

私たちが今日帰ると聞いたお2人は驚いて、「それじゃあ早く野外展示と聖堂を見なきゃ」と旦那さんが案内に出てくれました。

切頭山は野外展示も見どころ満載。聖堂にも聖人の遺骸が安置されているので見逃せないのです。

聖堂に向う途中にある金大建神父像。マカオから何度も見てきてラストにも会えるとは☆

何回となく見てきましたが、この像、各地で安置されている金大建神父の遺骨を集めてきて、医学的に推計して、可能な限り神父の面影を再現した図を基にした、実に科学的な像なのです。

本当に、「会う」という言い方がふさわしかったのかも・・・♪


聖堂


巡礼聖堂の地下聖骸室には、28名の聖人の遺骸が安置されています。

写真を撮ることはできないので言葉で説明しますと、聖骸室には遺体が見えるように置かれているのではありません。

実際に目にすることができるのは、聖人の名前が書かれたプレートのみ。防腐処理をされた聖遺骸は紙に包まれ桐箱に入れられ、更に銅板の箱に入れられて、はんだで密封され、その箱が壁の中に埋め込まれているのです。壁の表面にずらりと並ぶ銅板のプレートの奥に、聖人たちの息吹を感じるという、そういう形になっています。

私たちが訪れた時には10人以上の人がいましたが、誰も言葉を発せず静寂を守っていました。「ここは聖なる場所である。あなたの靴を脱ぎなさい」――。聖書のそんな言葉が思い浮かびました。



聖堂入口

巡礼聖堂

入口のキリスト像

切頭山殉教聖地

モニュメント


外に出るとモニュメントが。記念像やモニュメントはたくさん置かれているので、一つ一つ説明していては時間切れになりそうでしたが、ここでは敢えて時間を取って説明してくれました。

これは聖人たちを表すモニュメントだが、一つだけ十字架がついていないものがある。それは名前が知られていない殉教者を表すものなのだ、と。

いつどこで誰が処刑され、遺体はこれです・・・と判明するのはごくわずか。多くの無名の殉教者たちが、血で証をしながら逝ったはずです。人が知るのはほんの一握りのことだけなんでしょうね。



殉教した家族の像

マリア像

十字架の道行きの像

十字架の道行き

斥和碑


まずは斥和碑(チョクファビ)へ。野外展示で見たかったものの一つです。

これは大院君が全国に建てた碑で、「外国は我が国を侵略する野蛮人で、外国人と交渉することは国を売る行為だ」という内容が彫られたもの。

ここにあるのは複製品ですが、恐らく本物に近い出来だと思います。「外国の宗教を信じるなんて!」と、キリスト教徒を非難する態度が表れています。

これを見たクリスチャンたちは、誤解と偏見を解きたくても解けなくて祈るしかなかったのでしょうね。辛い気持ちを抱きながら・・・。日本における「高札」と、信徒にとっては実質的に同じような役割を果たしていたのではないかと思われます。



斥和碑

斥和碑解説

聖人像

野外展示解説

ソン・マリアの墓碑


朝鮮の王族の中にも殉教者がいます。ソン・マリアとシン・マリアという2人の女性です。

このソン・マリアと夫である恩彦君の墓碑もまた、私がとっても見たかったもの。葬られたお寺から移されて、こちらに本物が展示されています。

側面に記された年代が、実際の年代とは漢字をわざと違えているところが、罪人とされたことを示しているのだとか。

日本でもキリシタンで処刑された人とかは、ちゃんと名前を墓碑に刻んでもらえず、一文字わざと間違えて刻んだりしているけれど、こういう妙なところで似たことが行われているのを見ると、なんだか嫌なシンクロだなと思ったり...(○ ̄ ~  ̄○;)



ソン・マリア墓碑

ソン・マリア墓碑

ソン・マリア墓碑

ソン・マリア墓碑

南尚教の清徳碑


こちらは南尚教を称える清徳碑。慶尚北道の事務所の庭に建てられているのが発見され、こちらに移されて現在に至っています。

南尚教は洗礼名アウグスティノを授けられたクリスチャンで、聖人南鐘三の父親です。南鐘三は父親の影響を受けて洗礼を受けたと考えられています。

南鐘三は進士に及第し、国王に仕えるエリート官僚となりましたが、大院君にフランスと結んでロシアの南侵をくい止めましょうと進言し、それがうまくいかなくなって処刑されました。

息子の防衛策事件に連座する形で、南尚教は逮捕され棄教を勧められますが、これを拒否。公州監獄で殉教しました。



南尚教の清徳碑

南鐘三の像と顕彰碑

聖遺骸を運んだ人の墓

聖遺骸を運んだ人の墓

ヨハネ・パウロ2世の像


時間ギリギリで最後に見たのが、1984年に訪韓した教皇ヨハネ・パウロ2世の像。

韓国の殉教者に深い関心を寄せ、歴代教皇で初めて海外(ソウル)で列聖式を行ったヨハネ・パウロ2世が、韓国に来て最初に訪れたのがここ切頭山だったのだとか。

教皇が韓国に足をとどめた1984年5月3日~7日の5日間は、歴史的な意義に満ちたものだったんでしょうね。今回の旅行では教皇が行かれた場所に何ヶ所も寄らせてもらえ、感謝です☆


空港へ


金浦空港へは地下鉄で20~30分。近くて便利です♪

いろんな所にちょこちょこ行って、出会った人と対話して、目一杯時間を使ったので、お土産も買えず、自分用の買い物もできずじまい...(T▽T)アハ

職場や「おかえり」と言ってくれる人にはどう対応しようかなーという感じですが、夏休み明けはお土産があふれる時期なので、黙ってにこにこしてれば大丈夫かな☆


カルメモで買った巡礼ガイド


飛行機に乗るまでの間、カルメモで買った巡礼ガイド(韓国語)のページをめくっていました。

気合を入れて読めば、少しはわかるんじゃないかと思って。

「チョロクバウィ」(←)のところでうっと涙があふれ出ました。キリスト教徒の子供2人が、川に流され処刑された所だと書かれています。

あきまへん、こんなことしたら。私もだめです。もっと学んで、また来なきゃ。彼らの思いを少しでもすくいとって、何かを残せるように、心を尽くして生きていかなくちゃ。巡礼の旅は続きます――。



巡礼ガイド

チンサン

韓国の聖人

韓国の聖人


世界にまで手を広げるか迷ったけれど・・・


韓国の殉教地にまで行ってみるかどうか
最初少し悩みました。

そんなにフィールドを広げて大丈夫なんだろうか、
日本国内だって全部行ったわけじゃないし、と。

しかし歴史自体がつながっていて
人の思いがいろんなところでリンクしているから
「日本だけ」とすることは無理なのです。

高校とかでは「日本史」とか「世界史」とかいって勉強したけど
「日本史」は「世界史」であり
「世界史」は「日本史」でもあるのだと気づきました。

だから日本のキリシタンに興味を持つうちに
海外に飛び出しちゃいました。
これから先どうなるかは、
この心に感動を与えてくださる方に委ねて・・・!

ここまで読んでくださって、ありがとうございます♪(#^ー゜)v







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