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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 そうだ、京都に行こう!①

 <本日の主な訪問地>
秋になるとなると必ず行きたくなるのが京都。それはあのCMのせい。JR東海の「そうだ、京都に行こう」というCMって、ずるいです。もう旅情に誘われて、いても立ってもいられないような気持ちになります。

というわけで、今回のデスティネーションは京都。錦秋の京を満喫してみたいと思います。大阪に住んでいる友達とも会えるのでうれしいのですが、それ以外は一人旅。往復とも夜行バスというのも初めてです。ちょっと心配ですけど、心配事は主にゆだねて・・・。それでは行って参ります~♪

 着いたのはいいけど、道が全くわかりません・・・

午前7時。大阪駅に無事到着したのはいいけれど、「ここってどこ?」
JR大阪駅と梅田駅との関係を把握しきれてなかったので、バスを降りてキョロキョロ。自分で考えてもわからないので、人について行って「阪急」の文字を探します。おおー、あった!

運よく阪急梅田駅にたどり着き、早速「スルッとKANSAI 3dayチケット」を購入。期間限定で関西圏で発売されているきっぷで、これがあるとJR以外の私鉄やバスが乗り放題になるのです。今回はこれにすごくお世話になりました。無事ゲットできて感謝!

一旦十三にあるホテルに荷物を置き、身軽になって京都にGO! 友達が大阪にいることと、この時期の京都では安いホテルが見つけられなかったので泊まるのは大阪の十三にしたのでした。京都まではおよそ45分です。

ちょっとタイム(×_×)


阪急の電車で四条河原駅に着くまでは順調だったけれど、地上に上って京阪の四条駅までの道が全くわからず、再び立ち往生;;

今度は人についていくたびに失敗します。心を落ち着けるためにカフェに入りました。
はあー 脳に栄養がしみていくー。

冴えた頭になって地図を見てみると、見落としに気づきました。どうやら反対方向に歩いていたようです。やっぱり歩くより先に地図みなきゃね(当然だ)

鴨川にかかる橋


今度はちゃんと四条駅方向に向かい、四条大橋を渡ります。おお、ここが祇園かぁー。京阪に乗り換えて三条駅へ。

長い間日本の中心地であった京都には、文化や伝統だけでなく、多くの歴史が刻まれています。ここにも悲しい歴史がありました。

鴨川のほとり、二条から六条にかけての辺りで日本初の修道女会、ベアタス会の女性達が殉教しました。

佐久間象山遭難の地碑


さすが歴史の街です。少し歩いたらこんな碑が。佐久間象山と大村益次郎が難にあった場所だそうです。小さな川が橋の下に流れています。
      


碑の説明板

下を流れる小川

池田屋騒動の地


佐久間象山の碑からほんのわずかで、またもや歴史の地が。ここは池田屋騒動の起こった地だそうです。現在は居酒屋さんです。



解説板

石碑の横側

石碑の正面

カトリック河原町教会


そしてやっと着きました、カトリック河原町教会。ここは京都司教区の司教座がおかれた教会、カテドラルです。

やはりどこかの教会に行って神様イエス様にご挨拶しないことには落ち着かないので、訪ねてみました。都の聖母と呼ばれる聖母子像も見たいですし。

聖堂内に人が慌しく出入りしているので、「さすがカテドラルだけあって、朝から人がたくさん来てるんだなー」と思っていましたが、雰囲気が違います。

どうも結婚式のために来ているブライダル会社の人っぽいです。仏教を葬式仏教と揶揄する人がいますけど、キリスト教もこのままでは結婚式宗教になっちゃいます。

教会は結婚式の舞台装置じゃないですから、本来の意味で光ってほしいものです。

聖フランシスコ・ザビエル聖堂


聖堂の名前は聖フランシスコ・ザビエル聖堂です。日本中至るところでザビエルの名を冠した場所に出会いますが、京都には実際ザビエルが訪れているので、聖堂の名前としてふさわしいです。

聖母子像の都の聖母は、入口に入らずに右手にある道を地下に下りていくと小聖堂に置かれています。


聖堂内

ザビエルのステンドグラス

都の聖母の解説①

解説②

駅伝の歴史が始まった地


三条大橋を渡り、京阪線に乗ろうとしたところで、またまた碑を発見。駅伝の歴史がここから始まったそうです。

ふむふむ最初の駅伝のスタートはここだったんですね。それだけ中心地だったということでしょう。

ここまで来て悟ったことは、いちいち碑に立ち止まっていたらきりがないということ。京都のオキテですな。
                                                

 六条河原周辺を歩きます

京阪で三条駅から七条駅へ。地上に上がって鴨川沿いを上流に向かって歩きます。ここは六条河原。多くの罪人が処刑された刑場があった所です。

六条河原


刑場として使われていたのは、鴨川の右岸です。こちらから見るとちょうど橋の反対側にあたります。

三条から七条のどこであったかは諸説ありますが、処刑された者の中に小西行長がいます。小西行長はキリシタン大名の一人でした。

一緒に連れられて来た石田三成らは切腹をしましたが、行長はキリシタンなので自殺にあたる切腹はせず斬首されることを選びました。

元和キリシタン殉教碑


六条河原の河畔で処刑されたのは罪人や敗戦の将だけではありませんでした。ここではキリシタンも火あぶりになりました。

1619年に52名のキリシタンが殉教した地には、元和キリシタン殉教碑が建てられています。一般の罪人が処刑された右岸ではなく、左岸がその地だったと考えられています。

方広寺にあった大仏の正面から伸びる正面通が鴨川に突き当たったあたりを中心にして、27本の十字架が南北に建てられていました。
                                                   

 罪と罰

鴨川沿いに平行して伸びる川端通と直角に交わる正面通。この道を進むと豊臣家の罪と罰が見えてきます。それは同時に日本民族の罪でもあると思います。

耳塚(鼻塚)



正面通を豊国神社方面に歩いていくと、5分ほどで右手に小高い塚が見えてきます。ここが耳塚(鼻塚)です。朝鮮侵攻した秀吉の軍勢が、現地の人々の耳や鼻をそいで持ち帰ったものを埋めた所です。供養塔が建てられていますが、供養されたように感じません。

日本民族が犯してきた罪を考えさせられる場所だと思います


耳塚

五輪塔になっている

解説板

豊国神社


正面通の突き当りが豊臣秀吉を祀った豊国神社です。昔はここに大仏が建てられており、その真正面に十字架は建てられていたと記録にあります。

人間を神として祀ること自体、許されていいとは思えません。人間はあくまで人間でしかなく、人を救うことはおろか、自分を救うことすらできません。


参道

社殿

解説板

千成ひょうたん

方広寺の鐘


豊国神社の隣にあるのが方広寺で、同じ敷地内に神社と境内が隣り合って建てられているような感じです。ここにあるのが有名な鐘→

「国家安泰」と刻んだことを「家康」をバラバラにしたといちゃもんをつけて、豊臣家攻撃の理由にしたというエピソードで有名な鐘です。

秀吉も千利休にいしゃもんをつけて切腹させましたが、その豊臣家もいちゃもんをつけられて滅亡へと進んでいくとは、正に因果応報です。


方広寺

鐘楼

こんな小さな文字!!

天井画

 ついでに見ていたらきりがないから!

「大人になってから昔修学旅行に行った場所に行ってみるのもアリだなー」と最近考えていたので、「清水寺コチラ」とか書いてあると、ついでに見に行こうかなと思ってしまうのですが、京都では御法度です。もうきりがないですから^^;

「三十三間堂⇒」という標識が出てきましたが、見なかったことにして進みます。目指すは京都国立博物館。ここの庭にあるというキリシタン墓碑が目当てです。今日はお昼までしか時間がないのでさっさと歩いて見て回ろうと思います。

京都国立博物館


敷地に至ったものの博物館は現在工事中で、ぐるっとまわって入口に到着。

見たいのは庭だけなので入場料はいらないかもという淡い期待を抱いていたのですが、特別展示の料金が必要とのこと。1300円だなんて;;

それでも中に入らず庭だけ見てくればいいのに、貧乏性なので入ってみることにしましたが、スルッと見てくるつもりが結構はまりました。面白くて☆

キリシタン墓碑


こちらが庭に野ざらしで展示されているキリシタン墓碑。複製と書いてないので本物だと思いますけど、どうなんだろう? 野外展示で大丈夫・・・?

かまぼこ型の典型的なキリシタン墓碑の形ですが、手前の墓碑がくぼんでいるのは手水鉢として使われていたから。

ご禁制の時代が過ぎ去って、貴重な品と思われる日が来るとは当時の人は全く思っていなかったのでしょうね。


野外展示の石棺

方広寺の鉄輪

石灯籠

考える人の後姿

 魔鏡も見たよ、フランシスコの家

博物館を出た道にたくさんバスが通っていたので、京都駅行きのバスに乗り込みました。京都ではバスが便利みたいですね。便がたくさんあるのですぐ来ます。難点は少し混みあうこと。観光客が年中ひっきりなしに訪れているので、観光名所であればあるほど混むようです。

フランシスコの家


京都駅から地下鉄で四条駅へ行き阪急に乗り換えて大宮駅へ。そこから徒歩10分もかからないところにフランシスコの家はあります。

「こんにちはー。見学させてもらえますか~?」と入って行くと、信仰深そうな年配の方が応対してくれました。ここは現在も礼拝を守っている場所⇒

和室に掛け軸なんだけど教会というところが素晴らしいです。掛け軸のイエス様は「愛」という文字で描かれた墨絵。言われるまで気づきませんでした。

魔鏡


展示物の中で、私が初めて見たのは魔鏡。普段は普通の鏡にしか見えないのに、光を一定の角度で当てるとキリスト像が浮かび上がるというものです。

実演して見せてくれるのですが、すごいです。驚嘆しました。こうやって信仰を守ったと思うと、当時の人々の並々ならぬ思いが感じられます。


マリア観音

高札

宗門人別帳

香盃

見学は無料ですが、施設の維持管理のために、受付で売っている冊子やカードを買うようにしましょうね。これだけの資料を管理して見せてくださっているのですから (o ̄∀ ̄)ノ”

26聖人発祥の地碑


フランシスコの家を出て徒歩1分のところにあるのが妙満寺跡。「26聖人発祥の地」と書いてあります。

16世紀末ここにはフランシスコ会の教会が建てられ、隣接した形で聖アンナ病院も建てられていました。

応仁の乱後の疲弊した京都の町で、宣教師と信徒達は献身的に人々を助け宣教しました。

そこで26聖人の発祥の地とされているのでしょう。

ダイウス町


教会や修道院、病院が建てられ、多くのキリシタンが住んでいたことから、四条堀川の南西地域一帯は、ダイウス町と呼ばれていました。

ダイウスとはゼウス、つまり神様のことです。神様町と呼ばれるほどに、キリスト教が栄えていたんですね。ちょっと感動です。

26聖人出発の地


四条通堀川に建つ四条病院の入口付近にレリーフがはめこまれています。ここにも「26聖人発祥の地」と書いてありますが、正確には出発の地です。

切支丹禁令が発せられ、全国各地で捕らえられたキリシタン26名が、京都に集められて耳たぶを切られ、市中引き回しの上長崎まで歩かされました。

ここはその出発点にあたる場所です。長崎に着いた一行は西坂で十字架に架けられ殉教しました。その一人がペトロ・バプティスタ神父でした。

彼はこの辺りに教会と病院を建てたフランシスコ会士でした。
         

解説板

四条病院

四条通堀川

現在の様子

 本能寺は今

地図を見たら近かったので、歩いて向かったのは本能寺跡。信長が明智光秀に討たれた本能寺は、現在の本能寺とは別の場所にあって、そこに碑が残っているらしいのです。

本能寺跡


なんかすごくかっこいいです、本能寺跡の碑。碑だけでなくこの周辺全部が整備されて高校や福祉施設になっています。

高校と老人福祉施設の間には小道があって、市民ギャラリーなんかもあったりして、かなりスタイリッシュです。

ここで信長が討たれたんだという生々しい感じは全くなく、全体的におしゃれにまとめられた感じ。これでいいのか・・・な? 文句は言いませんけど。


高校の壁に文字が!

小路とギャラリー

解説板

裏手にある碑

南蛮寺跡(姥柳町)


本能寺から徒歩7分ほどのところにあるのが南蛮寺跡。ビルの入口近くにあるため、自転車や車に隠されたような場所に説明板があります。

何の防備もない本能寺に信長が泊まっていたのは、南蛮寺に通じる地下道があったからだと、加藤廣が小説で書いていますが、どうだったんでしょう。

それにしてもこの扱い、本能寺と比べてかわいそうだと思います。なんとかならないのかなぁ・・・


解説板

解説

南蛮寺跡

追いやられている

蛸薬師通



本能寺跡や南蛮寺跡のある蛸薬師通は、時々古い建物やお店にも出会えてとても雰囲気のいい道です。
散歩にもってこいというか。
古い町並みに新しいカフェなども混ざっているのがステキです。
お昼ご飯を南蛮寺跡の向かいのお店で食べました。

今日はこれから用事があるので、史跡めぐりはここでおしまいです。
でもたった半日でこんなに回れるのは史跡の宝庫だからですね。
一日自由時間の最終日が楽しみです。

読んでくださってありがとうございます~☆


インフォメーション
京都国立博物館
フランシスコの家公式サイト
京都市内キリシタン遺跡案内
カトリック河原町教会公式HP
カトリック京都司教区公式HP
阪急電鉄HP
京阪電鉄HP
京都市観光協会HP


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