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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 そうだ、京都に行こう!③

玉造教会のステンドグラス    <本日の主な訪問地>

           ⇒ 京都へ

 細川ガラシャの面影を求めて

明智光秀の娘として生まれ、細川忠興の妻となるも、本能寺の変の後家族を全て殺され、自らは山中に幽閉された薄幸の美女 細川ガラシャ。蟄居を解かれて戻ってきた彼女がしたことは、すでに禁教となっていたキリスト教に帰依し、キリシタンになることだった――

略歴を書くだけでもドラマになってしまいそうな人生を歩んだ彼女の面影を求めて、大阪城の近くにあるカトリック玉造教会を訪ねます。ここは細川家の屋敷があった所で、ガラシャが敵の人質とならないために死を甘受した地です。

カトリック玉造教会


地下鉄「森の宮」駅から徒歩10分。ここは大阪の司教座聖堂で、聖堂は聖マリア大聖堂といいます。隣には学校などがあります。

プールもあるようですが、「サンタマリア・スイミングスクール」という名前には、クスッと笑ってしまいました。

マリア様が泳いでいそうじゃないですか?
登校する子供たちが心なしか賢そうに見えます。きっといい学校なんでしょうね。
カトリック玉造教会

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ファサード
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細川ガラシャ像
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高山右近像
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ファチマの聖母

玉造教会の聖堂内


聖堂内は和洋折衷。特に絵画が日本画風です。
「ここNHKの番組で見たところだー」と、少しはしゃぎたくなる気持ちを抑えつつお祈りを。

今回は京都でも大阪でも司教座の置かれた教会に来られて感謝です。イエス様にちゃんとご挨拶できたような感じがしてうれしいです。

ついつい長居してしまいそうですが、そうはいきません。今日は友達と高槻市駅で8時半に待ち合わせをしているのです。
聖堂の内部

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十字架上のイエス
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堂内のステンドグラス
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聖書物語
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入口のステンドグラス

名残惜しいけど来られただけでも感謝だなと思いつつ外に出て、さてどちらから駅に帰ろう?
せっかくだから行きとは違う道を通って地下鉄駅に行こうっと。まだ時間に余裕あることだし。何か発見があるかもしれないもんね。

 偶然見つけたガラシャゆかりの史跡

細川家で使われていた井戸


信号を渡って進んで行くと、前方に碑のようなものと説明板が。

史跡を訪ねていると、碑を発見するたびにシャキーンと目が光ってしまうんですよね。天の導きかもしれないので寄っていきます。

「越中井?」

何のことだろうと説明板を読んでみると、越中とは細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)のことだとか。

おお!ガラシャ夫人の旦那さんじゃん、その人!

碑の手前にある井戸は細川家で使われていた井戸で、ガラシャ夫人も使っていたと考えられるそうです。

す、すごい。ノーチェックだったのに、こんなに貴重な史跡に出会えるなんて! 何て感謝なスタートなんだろう。
越中井

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越中井
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井戸
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石碑
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解説板

 不審なおばちゃん難波宮を走る!!

少し寄り道したけど、ちょうどいいくらいに高槻駅に着くかなーと思いながら、歩くこと10分。あれ、ここどこ? 見たことがあるようなないような場所に出てきたけど、まあ大丈夫だろうと歩くことさらに10分。今度は全く見覚えのない場所に出てきてしまいました。え、難波宮って何?

どうやらとんでもない所にやってきてしまったらしいと気づき、地図を開いたところ、難波宮の辺二つ分を反対方向に進んでしまったらしいです。えー 引き返してたら時間なくなっちゃう;;
仕方ないので難波宮を斜めに突っ切ろうと思って上って行くと、向こう岸がものすごく遠いです。

「しょうがない、走るか」
日なたで憩う土鳩もびっくりな猛ダッシュで巨大な宮跡を走り抜けます。はあはあゼイゼイ・・・。
久しぶりに全力疾走したので息が切れて口が回らず、「ぢがでづえぎ、どごでずが?」

横にいたサラリーマンに聞くと、ぎょっとした顔してました。
トレンチコートにマスク。左右に斜め掛けした大きなバッグを両手で押さえながらドタドタと走る、髪を振り乱した汗だくなおばちゃん・・・。確かに不審です。でも時間ないんだもん;;

「この道ずっと行った所にあるけど、結構ありますよ。がんばってください」
何で励ますんだろうと思いながら、再び走り出してみて納得。駅がちっとも見えません。信号待ちで友達に「ごめん!遅れるからできるだけ遅く来て><」とメールを打ち、また爆走。

不思議なことに何も言わないのに皆が道をあけてくれます。モーセが紅海を割って渡った時ってこんな感じだったのかな?(絶対ちがう)
結局高槻駅に着いたのは9時過ぎでした:・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え~~~~~~~~ん!!!

 高槻観光にGO!

平謝りするしかない私に、「私もさっき来たよー」と笑顔の友達。ごめんよー、てかありがとー;;
彼女は生まれも育ちも高槻で、私がに行きたいんだと話したら案内をかって出てくれたのです(それなのに遅刻するなんて超ありえない・・・)

高槻は高山右近が治めていた地域だったので、キリシタンの史跡が多いのです。
わーい、楽しみ~♪

カトリック高槻教会

カトリック高槻教会

まずはカトリック高槻教会へ。
ご挨拶という意味もありますが、やはり教会が一番情報収集できるのです。
顕彰碑とか建てられていることも多いですし。
「高槻って、クリスチャン多いよ。熱心な人も多いし」と友達が言っていたのを裏付けるように、絶え間なく人が来て祈っていきます。

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ファサード
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高山右近像
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台座の解説文
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顕彰碑

高槻教会の内部


月曜の朝、教会で祈ってから仕事に行く人が何人もいるなんて、日本では珍しい光景だと思います (*゜。゜)ホーーッ!!

聖堂の中にはやはり日本画っぽい絵が飾られています(ぽいじゃなくて日本画?)

キリシタンの歴史があった所では、どこか日本風の雰囲気を残したほうがふさわしい気がします。彼らの霊魂も癒されるような。

多くの人が祈りに訪れているせいか、静かだけれど温かい印象を受けました。灯りはついていないけど、明るいというか。
聖堂内部

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ドーム天井
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高槻教会の絵
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26聖人のレリーフ
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花模様の装飾

野見神社


教会を出て5分くらい歩いたところにあるのが、野見神社。右近が壊しちゃったという逸話が残る神社です。

その後右近の後に藩主になった永井家によって再興されたそうで、この神社内に永井家の人を祀った永井神社と永井先公遺愛碑が建てられています。

それにしても、神社を再興したからってその人を祀っちゃうことはないと思うんですけど。碑もかなり大きくて、人を中心にしてる感があります。
野見神社

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七五三を祝うペコ
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野見神社
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隣接する永井神社
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永井氏の顕彰碑

高山右近天主教会堂跡


「高山右近天主教会堂址」の碑があるのは高槻商工会議所。

実際に教会があった場所は現在野見神社がある場所ですが、神社だから碑を建ててくれないのでしょう。

まあここと神社は道を挟んだ向かいなので、この辺りにあったと拡大解釈すればいいのかもしれません。

実はここからはキリシタンの木棺と遺骨が発掘されています。高山右近の時代のキリシタンの集団墓地だったと考えられています。

それにしても、ここで右近やこの地域のキリシタンが祈っていたんですね。感動です。

高槻で生まれ育った友達の先祖も、礼拝を守って賛美していたかもしれません。いや、きっとそうだと思います。

碑一つしかなくても、祈りが今につながっているのを感じるから恵み深いです。
天主教会堂跡の石碑

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天主堂跡の解説板
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石の解説板
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高槻城の石垣に
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使われていた石たち

 高槻城跡公園の周辺を歩きながら

古地図を見たところ、この辺り全部が城内に含まれているので、この一帯は全て右近の歩いた地、大切にした場所だったのでしょう。大きな木を見るたびに、「何を見てきたの?」と尋ねてみたくなります。この木や石は見てきたんでしょうね、歴史を。何も語ることはできないけれど。

城跡公園(しろあとこうえん)

高槻城の城跡


高槻城は今はもうなく、城跡公園になっています。なかなかセンスのいい日本庭園で、気取った感じがしないので親しみやすくてGoodです☆
右近はキリシタン達が見て楽しめるようにと、城内に池を設けて鯉を放ったといわれているので、その様子はこんな感じだったかもしれません。

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高槻城と現代地図
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高槻城跡の解説
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高槻城想像図
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高槻城の遺構

城跡公園の右近像


城跡公園にある高山右近の像は、若々しい感じ。公の公園にあるにも関わらず、ちゃんと十字架を持っています。

キリシタン大名としての右近を市民が愛しているということでしょう。

当時は領民の72%がキリシタンだったと説明板に書かれていました。この地は切支丹王国といっても過言ではないくらいだったんですね。
十字架を持つ高山右近像

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高山右近像
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高山右近について
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解説板①
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解説板②

しろあと歴史館(左)と歴史民俗資料館(右)  見たかったけど、どちらも月曜休館でした(≡д≡)
しろあと歴史館 歴史民俗資料館

高槻城跡の碑

高槻城跡の石碑

高校の敷地の隅に設けられた高槻城跡の碑。この辺りが本丸だったそうです。
今では若人の巣になっています。ここからどんな人が飛び立っていくのでしょう。
平和な時代になって城が必要でなくなり、今では人を育てる地になったなんて、もしかしたら右近の願い通りなのかもしれません。

高槻教会の壁にあった右近のレリーフ

高槻の図書館にも♪



もう少し高槻について知りたかったので、高槻市総合センターにある図書館に連れて行ってもらい、いい資料が見つかったので、コピーして持ち帰りました。

詳しいことは地元でないとわからないことが多いですね。今後も地域の図書室を利用したいなと思いました。


忙しい時間を割いて案内してくれた友達は午後から夜まで用事があるので、お礼を言ってここで別れます。ほんとにほんとにありがと~♪ (ていうか、この後自分一人で大丈夫か・・・?)

京都に移動して、ヘトヘトになるまで歩き回って夜行バスに乗る物語は④で。
少し話が長くなっちゃったので、分割いたします。
ここまで読んでくださってありがとうございます~⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃


インフォメーション
カトリック大阪大司教区HP
日本基督教団大阪教区HP
高槻市公式HP
高槻市観光サイト
OSAKA-INFO
高槻市インターネット歴史館
高槻市立しろあと歴史館HP
古墳のある町並みから


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