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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 そうだ、京都に行こう!④

ガラシャの墓がある高桐院    <この後の主な訪問地>

 京都に移動してさあ出発!

高槻では友達がいたから多少浮かれていても大丈夫だったけれど、ここからは一人ぼっちなので自分がしっかりせねばなりませぬ。幸い一日目で阪急と地下鉄の乗り換えはマスター済み。おまけにスルッとKANSAIがあるから、鬼に金棒。こっちのもんです(どっちのもん?)

日が暮れないうちに、さあ出発!

聖アグネス教会


京都に来て最初に訪れたのが聖アグネス教会。地下鉄丸太町から徒歩5分ほどのところにあります。

土曜日に近くを通りかかって、いいなーと思いましたが時間がなくて寄れなかったのでリベンジしてみたのでございます。

しかし・・・土曜日は扉が開いていたのに今日は開いてなくて中に入れませんでした。だから写真も外観だけです。クラシカルでいい感じですよね。
聖アグネス教会

護王神社


続いて目に入ってきたのが護王神社。ここはいのししがメインキャラ(?)になっている神社のようで、狛犬のところにいるのがいのししです。

ちょうど何かのイベントかお祭をしているみたいで、境内が賑わっていました。京都は信心深い人が多そうですからね。
護王神社

水戸藩邸跡


「うむー ここにも説明板が立ってるー」と小道に入って説明を読むと、ここは元水戸藩邸だとのこと。

すごい。御所のすぐ近くに藩邸があったなんて、やっぱり水戸藩って力があったのねーと思ったところで、ちょっと待った!!

またもや京都スパイラルに陥っているではないですか。京都は歴史の多い町だから、一つ一つ見てたらきりがないのです。目指すところに集中しなきゃ。
水戸藩邸跡

 早速交番かいっ!

「あかんあかん、京都に惑わされては」
心の中でつぶやきながら道を曲がること2、3回。そしたら現在地がわからなくなりましたo(;△;)o
それでも進んで行くと、視界に交番が。とりあえずドアを開けてみました(早速交番かいっ!)

「あのー、一条戻橋ってどこですか?」
二人のお巡りさんが同時にかわいそうなものを見るような目になって、「結構遠いよ」
えー、地図だとすぐそこだって書いてあるのにー?(小さい地図見てた)

交番の前の道をひたすら真っ直ぐ歩きなさいと言われて出てきました。よし今度は迷わないぞ。
交番で道を尋ねる時はいつも突飛な場所を聞いているような気がします。刑場とか墓地とか。
怪しくは思われてないと思うけど(たぶん)

一条戻橋


あったー、一条戻橋。橋の下には親水公園みたいになった小川が流れています。最近整備されたのか、橋も小川もとてもきれい。

ここでは様々な歴史がありました。もちろん京都全体で様々なことが起こったのだろうけれど。

秀吉が千利休に怒って利休の木像を十字架に架けて晒したのがここ。それでも謝罪せずに切腹した利休の首を晒したのもここ。

長崎に向かう26聖人の24人が耳たぶをそがれたのもここでした。
一条戻橋

晴明神社


昔の一条戻橋は晴明神社内に移築されているということなので、2分ほど北上したところにある晴明神社へ。鳥居のマークがかっこいいです。

移築された戻橋を見つけ説明板を読んでみて、がっかり。大正11年から平成7年まで使われていた橋だって。最近のじゃん;;

千利休や26聖人を見つめていた橋ではないということですね。歴史の証人に会えるかと思っていたのでちょっと残念でしたが、思わぬ収穫が。
晴明神社

千利休の屋敷跡碑


ここが千利休の屋敷跡だったと書いてあるではないですか! 

え、利休ってここに住んでてすぐそこでそういうことがあったんだ。

距離の近さを足で実感すると、秀吉のやったことのむごさがわかります。家人の住んでるすぐそばに木像に踏ませた首を晒すなんて。
千利休の屋敷跡

晴明井


晴明神社の境内には晴明井とよばれる湧き水があります。
この水を利休は好んでお茶に用いたとのこと。

最期の一服もここから水を汲んできて立てたそうです。

利休七哲の一人であった高山右近も、この水で立てたお茶を喫したことでしょう。目立たぬところにも人の足跡は残されているものですね。
晴明井

 南蛮寺を追い求めて

京の都に何ヶ所があったという南蛮寺とダイウス町。一日目にも一ヶ所ずつ行ったけど、今日も南蛮寺の跡地としてわかっている場所に行きたいと思います。

上京教会跡


堀川の元誓願寺通りを東に5分ほど行ったところにあるのが、上京教会跡。

慶長年間に造られたので、慶長天主堂ともよばれています。

ここを建てたのはイエズス会です(妙満寺跡にあったのはフランシスコ会の教会)

1600年に下京の教会(南蛮寺)を巣分けしてつくった教会で、毎年100名を超える受洗者がいたといいます。

1612年禁教令を受けて閉鎖。のちに破壊されました。

現在はとある施設の敷地内にあり、金網越しにしか碑を見ることができません。説明板を読むのも一苦労です。

私有地にあるとはいえ、この扱いはなんとかならないものでしょうか。
上京天主堂跡

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慶長天主堂跡
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解説板
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解説板①
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解説板②

同志社大学


教会跡から今出川通りに出ててくてく歩くこと15分。地下鉄今出川駅に着きました。駅の背後に見えるのが同志社大学です。

御所のすぐそばなんですね。初めて来ました♪
神社仏閣のイメージがある京都のど真ん中にミッション系の学校があるなんて素晴らしいですね。

おのぼりさんぽくカメラを構えてしまいました。
同志社大学

南蛮寺の礎石


今日は学祭だということで、部外者もウェルカムな感じ。助かりました☆ 

図書館の前にあるのが、南蛮寺の礎石だった石。結構大きいです。

ここに南蛮寺があったというわけではなく、一日目に訪れた南蛮寺(姥柳町)の跡地から発掘された礎石がここに展示されているのです。

南蛮寺(教会)は都に2、3ヶ所あったといわれています。小さいものを含めるともっとあったかもしれませんね。
南蛮寺の礎石

同志社大学礼拝堂


図書館の斜向かいに建っているのが同志社大学の礼拝堂。この建物は重要文化財に指定されています。

中は公開されていないのですが、何かのイベントの時には入ることができるそうです。

この日も学祭ということでオルガンコンサートが企画されていました。「1時からなので是非」と声をかけられましたが、時間がなくて断念しました。
同志社大学礼拝堂

 御所ってこんなに広いのっ?!

都の中心、御所。文字通り都の真ん中に場所を占めているだけでなく、政治と文化の中心地でもあった京都御所。1000年もの間都だったので歴史も古く、気が遠くなるほど多くの事件をつむぎだしてきた場所です。いうなれば日本史の製造工場。

訪れた時がちょうど秋の一般公開の時期だったので、入ってみることにしました。いつでも行ける場所じゃないし、見るべきものがあってこの時期に来させてもらったのかもしれませんし。

御所広っ!!

御所の広さにびっくり!

入ってみて最初の印象は、「広っ!!」
写真の右端に人がいるのわかりますか? 
人の小ささでこの広大さがわかってもらえると思います。
御所をなめてたわけではありませんが、この広大さには唖然という感じ。さすが千年の都です。

御所の秋


歩き回って足が痛くなっていたので、砂利道はパスして緑の中を歩きます。

一見穏やかな表情を見せる御所の庭ですが、立て札になった説明板を読むたびに、「え、ここでそんなことがあったの?」とびっくり。

今ある建物以外にも、様々な建物やお屋敷が御所の中にはあったんですね。
紅葉がきれい

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暗殺があった猿が辻
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解説板
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皇女和宮の生家跡
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解説板

御所の紅葉

淡い色がすてきです♪

紅葉の見ごろはもう少し先みたいですが、やはり京都の秋はいいものです。
御所の紅葉は控えめでやさしい感じ。
季節の風情を感じる時に、日本に生まれてよかったと思ったりしますよね☆

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とても広い道
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銀杏の巨木
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藤原道長の邸宅跡
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解説板

「この世おば 我が世とぞ思ふ・・・」と詠んだ道長の邸宅跡に、今では何も残っていないのを見ると、なんとも虚しい気がします。それを見て昔の人は諸行無常と感じたのでしょうが、この世のものは全て過ぎ去ると考えるだけでは、虚しいと思って生きていくしかなくなるのではないでしょうか。

次なる目的地に向かうため道長の邸宅のすぐそばの門を通って外に出ます。すると私と同じ廬山寺を目指すおばさま達に合流することになりました。おばさま達のお目当ては紫式部。藤原道長の屋敷とこれだけ近いところに住んでいたんですね、紫式部って。なるほどー。

 紫式部邸跡に建つ廬山寺

廬山寺


紫式部が居住し、源氏物語などを執筆した邸宅の跡地に建つ廬山寺(ろざんじ)。

紫式部ゆかりのお寺ということで、日本画家や書家の方、文筆業の方など多くの人が訪れているようです。

お寺の受付に用意されているお茶で一服。広大な御所の砂利道で痛めつけられた足の裏をさすります。お願いだから、今日一日もってね、私の足よ。
廬山寺

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廬山寺の解説板
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紫式部の歌碑
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廬山寺の庭
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有馬晴信の妻ジュスタの墓


美しいお庭を見て、受付でお茶をいただくこと三杯(飲みすぎじゃ)、本堂裏の墓地に進みます。

私がこのお寺を訪れた理由はここにあるお墓。キリシタン大名有馬晴信の妻、ジュスタの墓がこちらにあるからなのです。

墓碑銘をつぶさに読みながら、一人で墓地を歩き回る小さなおばちゃん(私)を、カラスが不思議そうに眺めています。

「見つかりますように、見つかりますように・・・あ、あった!」

ジュスタは後陽成天皇の正室の妹で、小西行長のはからいで有馬晴信と結婚し、キリシタンとしての生涯を全うした女性。

激動の時代でも、信仰を守り通した女性がここにもいたのだなと、感銘を受けました。
ジュスタの墓

 ご飯を食べて大徳寺へ!

難波宮を疾走し、友達と高槻を歩き回り、京都に来てからも相当な距離を歩いていたにも関わらず、恵みで力が湧いてきて、「次はどこへ行こう~?」と考えながら河原町通りを歩いていたら、突然「ここで食べなさい!」と天からの声が。

「え、ここで?」
横を見ると洋食屋さんがありましたが、どうせなら他の店を見てみようと近くの店をのぞいてみましたが、どこもお昼休み中。結局声が聞こえた場所のお店に戻ってきて入りました。

遅めのご飯 ハンバーグランチ


よくよく考えてみたら朝6時にホテルの部屋でパンをかじった以外、何も食べていません。

ここらで栄養補給しないとかえってパフォーマンスが悪くなって、いけません。

天の声がどこから聞こえてきたのか、本当に天の声だったのかもわかりませんが、従って正解です。

しっかり食べてお手洗いで歯を磨き、すっきりして再び町に出ました。さて次はどこに行こう~?
ハンバーグランチ☆

大徳寺


お店の前の道に出て歩き始めると、今度は「このバスに乗りなさい」との声が。目を上げると前方のバス停でバスが停まりドアが開きました。

「ええー、どこ行き?」
戸惑っているうちにバスが発車してしまったために乗れませんでしたが、調べると大徳寺行き。

大徳寺は行きたい候補の一つです。5分待って同じ方向行きのバスに乗車しました。これも導きか? 導きなのかは行ってみたらわかるでしょう。
大徳寺の地図
                                

金毛閣


大徳寺に入ってすぐのところにある金毛閣。ここ来てみたかったんですよねー。

この三門の上に金毛閣を寄進したのが千利休で、大徳寺では利休に感謝して利休の像を門の上に安置したのですが、これに秀吉が激怒。

「利休よ、お前は下を通る俺を足で踏むのか」と因縁をつけて切腹を命じました。そんな事件の元となった場所なので見たかったのです。
見てみたかった!金毛閣

大徳寺も広い


大徳寺と聞くと、一つのお寺を想像しますが、この大徳寺の中にはなんと22ものお寺があります(数え方が違うと24にもなるらしい)

境内に入って行くと、路地があって「○○院⇒」みたいにいろんなお寺に行けるわけです。さながらお寺のテーマパーク。

しかし常時入れるのは龍源院・瑞峯院・大仙院・高桐院だけです。特別拝観となっているところもあるので、他にも入れるところがあったりしますけどね。
大徳寺内も広い!

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大徳寺の解説板
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三玄院の解説板
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三玄院の門
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石田三成が眠る寺

瑞峯院


キリシタン大名大友宗麟の菩提寺、瑞峯院。工事中のため拝観できないなんて超ショック;;

ここが一番楽しみだったのにー。

キリシタンだった大友宗麟にちなんで造られたという石で十字架を表した枯山水の庭、宗麟夫妻のお墓(公開しているか不明)など、はぁぁ見たかったなぁ。

またの機会ってことですね☆
大友宗麟の菩提寺

工事中のところが多いかも


千利休が秀吉のために作った庭がある黄梅院も、正にその庭の周囲が工事中で作業場状態。しかし元々非公開なのに特別公開中だったので、入れただけでも幸運です。

加藤清正が朝鮮から持ち帰った石灯籠や、400年前から残っている庫裏などが見られたのでいいですけど、全体的に工事中のところが多いような。

黄梅院には蒲生氏郷の墓があるということで見たかったのですが、非公開でした。でもお寺には行けたから感謝です。
工事してたり拝観謝絶だったり・・・

大仙院


国宝の本堂と国の特別史跡の枯山水のお庭がある大仙院。

団体客を案内する和尚さんが滑らかな口調で駄洒落を飛ばしながら禅の話をしていました。最近はこういうのが流行りなのかなー。

年を経て全体的に色が薄くなった襖絵が、往時の華やかさを物語っています。
大仙院

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お寺に向う道
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小道を進む
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紅葉も◎

やってきました!高桐院


細川ガラシャのお墓がある高桐院にやって来ました! わー ここには一生のうちに行けたらいいなと思っていたのです♪

後で知りましたが、このお寺、JR東海のCMに出ていたお寺でした。正確には、「そうだ京都、行こう。」というコピーだそうです。

「らららららら、らららら~ん♪」例のCMの曲を歌っていると、いつの間にか古畑任三郎のテーマになってしまうのは、私だけ?

ま、そんなことはさておき、カメラを構えます。いいです、紅葉の真っ盛りでないこの時期も。グラデーションが楽しめて☆

受付に行くと「閉館が4時半なんですがいいですか?」と聞かれて、「え、今何時ですか?」「4時です」
ええー、ゆっくりしてちゃダメじゃん@@;
高桐院♪

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説明板
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紅葉
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鳴らすのもの?

細川夫妻の墓

細川忠興とガラシャの墓

カメラを構えたくなる景色ばかり(写真撮影可♪)で困りましたが、庭に下りて探し回り、細川夫妻のお墓を発見。石灯籠が墓碑になっています。
この石灯籠、千利休のお気に入りだということを聞き、秀吉がしきりに欲しがったもの。
美を理解しない秀吉に渡したくない利休は、縁を壊して「きずものですから」と贈呈を拒んだそうです。

横から見るとわかります

横から見るとわかります


横から見ると欠けているのがわかります。

利休が亡くなる時に細川忠興に遺贈したのです。忠興もまた利休七哲の一人だったので、利休の美の世界を理解する者にあげたかったのでしょう。

出雲阿国のお墓もあると聞いていたのですが、そちらは見つけられませんでした(非公開かも?)

しかしガラシャのお墓に来られただけで感激です。導いてもらったなと思います。ああ、感謝☆

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細川夫妻墓の解説板
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庭の灯籠
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寺院内の門
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建物と紅葉

龍光院


一般公開されてないお寺だけど、もしかしたら外から少しは見られるかもと思って、寄ってみたのが龍光院。

開いていない上に工事中でした。ここにはキリシタン、黒田如水のお墓があります。如水より黒田官兵衛の名前の方が有名かもしれませんね。

考えてみると大徳寺にはキリシタンだった人のお墓が多いですね。キリシタンに好意的だった人々のお墓もありますし。いい所に来られたなと思います。
黒田如水の菩提寺
                               

 バス超混んでるし!

「バスって便利~♪ 京都ではバスだなっ」
そう思って大徳寺前のバス停から乗り、西ノ京円町まで行こうとのんびり車窓を眺めていたら、次のバス停にものすごい列が。バス停には「金閣寺」の文字が。

わー、メジャーな観光名所は混んでるんだーw( ̄Д ̄;)w!!
バスはあっという間に超混みになり、座っている人の上にも人が倒れ掛かってくる始末。あかん、西ノ京円町なんてマイナーな場所では降りられそうにない。京都駅まで行ったら時間のロスだ。

地図を見て北野白梅町で降りることにしました。ここは嵐電の駅があるで地元の人とか降りそうだなと思ったのです。一つ前のバス停を出たところから、移動を開始し地元民にくっついて降車成功。
京都のバスは観光名所をうまく避ける知恵が要りそうです。はー 混んでたせいで何か疲れたぁ。

椿寺


ただ降りただけでなく、ここにもちゃんと行きたいところがあるのです。じゃん、それが地蔵院。別名椿寺。

もしかしたら開いてるかなーと、かすかな期待を抱いて急ぎ足で行ってみたのですが、開いてませんでした。4時までだそうです。

キリシタン墓碑があるというので、ひと目見てみたいなと思っていたのですが、仕方ありません。よし、次は奥渓家(おくたにけ)だー。
入れなかった椿寺

椿寺が難なく見つかったことに気をよくして、油断したのがいけなかったらしく、気づいた時には反対方向にかなり進んでしまっていました。迷子病、再発です;; 現状復帰するのに時間がかかり、秋の日のつるべ落としという言葉通り真っ暗に。人通りもほとんどない道をこわごわ進みます。

奥渓家


天神道と呼ばれる北野天満宮に続く小道にあるという奥渓家。天神道がなかなか見つからず、探しに探してついに発見!⇒

でもまわりが真っ暗で、ほとんど見えません;;
こんな写真しか撮れませんでした。周囲の暗さと人気のなさは尋常ではありません。

着物姿の小さなおばあさんが前をゆっくり歩いている(申し訳ないけどコワヒ;;)以外、誰とも会わず、アナザーワールドに紛れ込んだかのようです。
ほとんど見えなかった奥渓家

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奥渓家の解説板
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フラッシュを焚いて
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撮ってみたけれど
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まわりは真っ暗;;

ダ、ダイウス・・・町?


西大路丸太町「円町」から東に2本目の細い通りだから、ここがたぶん西ノ京ダイウス町です。
暗くて写真もすごいことになってますが・・・。

昔キリシタンが多く住んでいた地域で、小さな教会もあったといわれています。

その関係でしょうか、この辺りではよくキリシタン墓碑が発見されています。椿寺にあるのもそのうちの一つかと思われます。
光がびよんと伸びてしまいました;;

 真っ暗でもいいんだもん Y(>_<、)Y

すっかり夜が更けた京の町。
昼間の賑わいとはうって変わり、静かな夜を室内で皆楽しんでいるようです。
しかし私は、もう少し史跡を求めてさまよいたいと思います。

探しているもののほとんどが碑とかなので、真っ暗でもいいんだもん!
(見えた方がもっといいけど;;)

というわけで、写真もいいのが撮れないかもしれませんが、よろしかったら私のラストスパートにお付き合いください <(_ _)>

夜の二条城


西の京円町からバスで二条城に向かい、二条城の南を走る押小路通を東に進み、二条城の南にあるという東町奉行所の跡を探します。

ライトアップされているとはいえ暗い城の周り歩くのはどうかなと思ったのですが、道沿いにある公衆トイレには意外と人が出入りしています。

よく見ると皆さんランナーのようで、長い直線を颯爽と走っていきます。というか歩いているのは私だけ。でもさびしくなくて、いいかも♪
二条城の櫓

そんなことを考えながら、歩くこと15分。え、二条城の東端まで来ちゃったんですけど? ないです、東町奉行所の碑。仕方ないなぁ、と二条城の正門を写真に収めて、地下鉄駅に向かい何気なく駅の地図を見ると、東町奉行所跡の文字が! 道の反対側を探してしまったようです。くうう、、、

東町奉行所跡


押小路通の南側の歩道を西に向かって歩くこと10分。見つけましたよ、東町奉行所跡。さっき見た公衆トイレのちょうど反対岸の位置にあります。

ここには昔都の牢獄と呼ばれる牢があってキリシタンが入れられたりしていたのです。説明版には奉行所のことしか書かれていませんが。

苦しみを受けた信徒達を思い、また罪深い道を来た日本という国のためにも祈ります。もし裁きを受ける日が来るなら、少しでも軽くなるようにと。

それにしても今回に限って歩きやすい靴でなくバレエシューズで来てしまった(夜行バスで楽かと思ったのです;;)ことに、深く後悔。もう足は限界です。

しかし歩きます、とりあえず地下鉄二条城前駅まで行かなくてはどうすることもできないので。はあ、お腹もすいたー。
東町奉行所跡

小川通


重い足を引きずって駅に着き、ふと地図を見てフリーズ。3分間考えました。行くべきか、行かざるべきか・・・。見つめているのは小川通の文字。

怪我の功名というべきか、道に迷ったおかげで私は、「○○通○○上る」などの京都独特の住所表示を理解できるようになったのです。

そして小川牢屋敷の住所は「京都市中京区小川通御池上る」で、小川通と御池がわかれば場所がわかる訳で、地図には両方書いてあるのです。

う~ん、疲れたしどうしよう。試みにあう私。どうせ見つからないだろうと思っていた場所なんです、小川牢屋敷って。住所しかわからないから。

だから行こうとまで思ってなかったというか、何というか・・・。でもやっぱり行きます!行くんだもん!

決心して一歩を踏み出しました。15分もあれば行けそうだし、こんなに近くにあるんだし、何より目に留まったのも意味があると思うから。
小川通り

小川牢屋敷跡


小川牢屋敷のあった所には、碑もさえもおかれていません。牢屋跡と書くと土地利用に妨げになるからでしょうか? 

26聖人のうちの24名が捕えられ、収容されたのはこの牢です。1619年の京都の大殉教の前には、63名の信者が収容されていました。

そのうちの52名が正面通河原で殉教し、2才の幼児ミゲルとペドロほか8名が牢内で殉教したと伝えられています。
小川牢屋敷の跡 

地下鉄構内の展示


来た道を引き返してようやく二条城前駅に着き、構内を進んで行くと、地下鉄工事の途中で発掘された物が展示されていました。

博物館級の発掘品がこんな身近に眠っているということがすごいです。京都の底力を感じました。

ちょっと得した気分になって、本数の減った電車を待ちます。烏丸御池で乗り換えて京都駅に行こうかな。乗る前にバス乗場を確認しておかなきゃ。
地下鉄掘るのも大変です・・・ 

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発掘の経緯
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調査地
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発掘された物
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井戸の遺構

なぜか東寺⇒


地下鉄烏丸線の終点で近鉄京都線に乗り換えれば、東寺駅に行けることがわかり予定変更。もうひと踏ん張りして東寺に向かうことにしました。

思うように足が進まず、もうずるずるです。何とか東寺に着きました、中には入れずライトアップされた塔を仰ぎ見るのみ。でもいいんです、東寺は。

東寺は昔、京七口の一つ東寺口のあった所で、京の南西の出入口、大坂道の始発点でした。私が来たかったのはその東寺口なのです。
ライトアップされた東寺

東寺口


東寺口を通って26聖人の中の24人(あと2人は途中で加わる)は大坂に向かっていきました。

別れを惜しんでついてきたコスメ庄林に、ペドロ・バプチスタは形見の品として、首に懸けていた血にまみれた十字架を渡したと伝えられています。

今は交通量の多い道路になっていて、無機質な騒音が響いています。それが当時の無慈悲な扱いとどこか通じるような気がして寒気を覚えました。
東寺口

感謝でバスに飛び乗って ☆彡


近鉄、地下鉄、阪急と乗り継ぎ、高槻のコインロッカーに入れてあった荷物をピックアップして京都に戻るとすでに10時過ぎ。夜行バスの集合時間まで30分しかありませんでした。東寺の後にも将軍塚に行くかどうか迷ったのですが、行かなくて正解でした(行ってたら間に合わなかった;;)

バス乗場近くのファーストフードに入り5分で注文、10分で食べて退出。洗面所で歯を磨いてバス乗場に行ったらちょうどバスが来ました。夜11時出発なので余裕があると思い込んでいたけど、結局ギリギリ。無事乗車できて、まずは感謝のお祈りです。本当に今回もよく守っていただきました☆

最後まで読んでくださってありがとうございますo(*'▽'*)/☆゜'・:*☆


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