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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 九州のキリシタン・ロードをゆくⅠ

  <本日の主な訪問地>

 キリシタン史跡の宝庫、九州!

まずは小倉、そして大分方面へ

日本のキリスト教の歴史にハマって早3年半。
多くのキリシタン史跡が点在する九州は、私にとって憧憬の地ですが、遠方のためなかなか訪れることができないのが難点。しかし今年の夏は連休が長いので、やっと九州をぐるりとめぐる旅を計画できるようになりました♪

まずは小倉へとイン。そして大分方面へと抜けようと思っています。
よか旅となることを願いつつ、出発進行っ☆

小倉城のお堀


新幹線を小倉で下車し、レンタカーをゲット。小倉城跡へと向かいます。

街は落ち着いたたたずまいで、おしゃれな感じ。城下町として栄えてきた様子がうかがえます。

小倉は細川ガラシャ夫人の夫、細川忠興ゆかりの地。またキリシタンの殉教があった所でもあります。

小倉城


リバーウォークという商業施設を抜けると、どどんと聳え立つ小倉城が目の前に現れます。

颯爽とした若侍のような印象。

隣にある商業ビルとも妙にマッチしています。とりあえず中に入ってみましょう (^_^)ノ

大手門跡


大手門跡を通ってお城のある本丸へと進みます。

攻城という観点で見ると、攻めにくく守りやすい構造であることがわかります。小倉城は防御の優等生といえそうです。

安定した藩政がもたらす安心感が、城下の繁栄の基盤となったんでしょうね。

とらっちゃ


昭和になってから再建された天守は「唐造り」という珍しい建築。内部は資料館になっています。

玄関脇にはゆるキャラのとらっちゃ。展示内容は、可もなく不可もないといった感じでしょうか(辛口?)。

江戸時代の城下町の様子をジオラマにしたものがあって、その中に「ガラシャ夫人のミサ」という場面があるのですが、ガラシャ夫人が小倉にいたかのような誤解を招きそうだと思いました。

ガラシャ夫人は小倉に来たことはなく、大坂で亡くなっています。小倉細川藩の初代城主となった細川忠興が、家を守るために死を選んだガラシャ夫人を悼んで、神父さんにミサを執り行ってもらったことがあるので全くのウソではありませんが、追悼ミサは小倉ではなく中津で行われたと記憶してるんですが、・・・違うかな?? 

あと忠興は後にキリシタン迫害側に回ってキリシタン家臣の処刑を命じています。小倉で外国文化が花咲いていたように見せてるとしたら、間違いでしょうね(やっぱ辛口?)。


小倉城天守

ジオラマの説明

城下町

ガラシャ夫人のミサ

展示


展示物の中で一番お金がかかってそうだなと思ったのが、藩主と家臣とが会議している様子が人形で表現されてて、ちょっと動く展示(意味わかるかな?)。

島原の乱に参戦するかどうかを話し合っているシーンでした。そう、小倉藩は島原の乱でもキリシタン一揆軍を攻めてたのです。だから親キリシタンとは言えないわけで。

ちなみに島原の乱ではかの宮本武蔵も小倉軍の一人として従軍して、足を負傷しています。

現代人の特権!?

展望ゾーン


現代人の特権だなと思うのが、天守からの眺望を楽しむとき。

江戸時代とかに生まれてたら、私のような平民は絶対に登らせてもらえなかったでしょう。

昔はこんな眺望、お殿様しか見ることができなかったんですねー。


眺望

屋根を食べてる!?

眺望

足元の神社

リバーウォーク


小倉城の二の丸跡に建てられたリバーウォークは、小倉のイケてる商業施設。この辺りにキリシタン殉教者となった加賀山隼人の家がありました。

加賀山隼人は元々高山右近の家臣で、右近がキリシタンをやめずに改易されたため、蒲生氏郷に仕え、氏郷の病死後、細川忠興に召抱えられました。

初陣は、右近と共に戦った山崎の合戦。ガラシャ夫人の父、明智光秀討伐の戦いだったのですから、戦国の世は無常で無情です。

二の丸跡


お城を後にして二の丸跡へ向い、キリシタン武士の姿を想像してみます。小倉城のような颯爽とした雰囲気だったのかな。

加賀山隼人は大阪は高槻の出身。10歳の時にルイス・フロイス神父から洗礼を受けました。イエズス会の同宿として安土のセミナリヨで学んだこともあります。

細川家に仕えて数々の戦功を挙げ、忠興に従って九州入りしたのは37歳の頃。6千石の禄高を受け、豊前国の一つの地域の奉行に任じられました。

隼人は宣教師を助けて領民への布教に努め、城下町に教会や集会所を作りました。この頃小倉にいたのはセスペデス神父で、細川忠興はセスペデス神父に好感を持っていたので、キリシタンに寛容でした。しかし1611年、セスペデス神父が死去すると、忠興は迫害へと転じました。幕府の権威も確立され、これ以上キリスト教を黙認していられなくなったことも大きな要因です。

忠興は隼人に強く棄教を迫りましたが、隼人はこれを拒否。殉教への道を歩むこととなりました。


二の丸跡とお堀

リバーウォーク内

お堀

乃木希典居宅跡

教会へ向かいます♪

カトリック小倉教会


お城だけに留まっていられまいので、加賀山隼人の面影を求めて、殉教顕彰碑があるというカトリック小倉教会へ。

碑は大通りに面した所にあります。じっくり見たいところですが、まずは聖堂でお祈り。2人の信徒さんがロザリオをくくってお祈りを唱えていらっしゃいました。

今も信仰が息づいているんですね☆

加賀山隼人殉教之地碑


聖堂から出てくると、「加賀山隼人殉教之地」と刻まれた碑がありました。

殉教地は日明の丘なので、正確にはここではありませんが、広い意味で小倉で殉教したんだからという意味でしょうか。

日明の丘には碑などが何もないらしいので、せめてここに建てたのかもしれませんね。

殉教顕彰碑


レリーフで描かれているのは、刑場で改宗を勧める役人に隼人が自らの信仰を語るシーン。

横に刻まれているのは隼人の詠んだ歌です。



カトリック小倉教会

殉教顕彰碑

加賀山隼人について

教会案内

カトリック小倉教会

聖堂内

祭壇

殉教之地碑

つづいて殉教地へ

日明の丘


加賀山隼人の殉教地は日明(干上がり)の丘。隼人の斬首はここにあった小倉藩の刑場で行われました。

当時は海が近くまで迫っていて、小船で刑場に着きました。現在は愛宕公園とよばれる墓地公園。お盆なので家族でお参りに来ている人々がちらほら見えます。

隼人に関する碑や解説板は何もなく、敷地が広いせいか手入れも行き届いてない感じ。墓参の時期以外はあまり人も訪れないのではないでしょうか。刑場跡で墓地なのだから、明るい雰囲気を期待しちゃだめですけど。

それでもペトロ岐部と187殉教者福者の一人として挙げられた人物なのだから、歴史上の人物として覚えておこうという動きがあってもいいんじゃないかなと思ったりして。「キリスト教の殉教者」っていうんじゃ、公の場で顕彰するわけにもいかないんですかね。


子供用の遊具がある

墓地公園

駐車スペースも

あまりありません

 中津には何がある?

中津城石垣


小倉から大分方面へと針路を取り、中津に到着。細川忠興が最初に入城したのは中津城で、城下にあったお寺でガラシャ夫人の追悼ミサを行いました。

さて細川家が中津城に入る前に、この城を築いたのは黒田如水。私の愛するキリシタン大名です。

如水ゆかりの地なので、是非とも訪れてみたかったのです。来られて感謝っ♪


石垣のある小学校

中津城石垣

大手門跡にも学校

大手門について

カトリック中津教会


中津城を探してうろうろしていて、カトリック教会を発見。パステルカラーの積み木で作ったような外観です。

中津の城下町はそれほど大きくないけれど、カトリックもプロテスタントも揃っているようです。あ、教会のことですけど。

これもキリシタン大名の影響なのかな?

中津城に到着!

中津城


河口に黒壁を光らせて悠然と建つのが中津城。

規模はそれほど大きくありませんが、思わず「おー!!」と言ってしまうような美しさ。

「絵になる」とはこのことかと♪


中津城

中津城

石垣について

石垣

中津城天守


中津城は黒田如水が築いた城ですが、本丸跡に建つ模擬天守は近代になって造られたもの。元々中津城には天守は存在していませんでした。

ここを訪れたかったのは、如水の信仰的なエピソードをたどりたかったからです。

大友宗麟の息子、義統は朝鮮出兵で敵前逃亡して秀吉の怒りを受け、如水に身柄を預けられたのですが、同時に信仰的にもボロボロになっていました。

それを見た如水は中津城に義統を住まわせ、ここに宣教師を呼んで対話をさせることで、義統が信仰を取り戻すことを助けたのです。「キリシタンのよしみ」とでも言うべきこの厚情を、私はとてもステキなことだと思います。キリシタン大名の中でも如水は、他のキリシタンたちからも慕われていたことで特筆すべき人物じゃないかと思うのですが・・・これも「同信のよしみ」でしょうか (*゜ー゜)>テヘ


本丸跡

古地図

中津神社

三斎池

長福寺跡


中津城のすぐ目の前にあるのが、裁判所。
ここが細川ガラシャ夫人の追悼ミサが行われた長福寺儒学堂の跡です。

当時を物語るものが何もないだけでなく、そういう歴史的事実があったことをきれいさっぱり拭い去った感があります。

如水はこの中津城下に教会も建てたはずで、もしかしたらそれはここだったのかなーと思って、周囲をうろついてみましたが、わかりませんでした。拘置所とかもあるので、あまりうろついちゃいけないのかもしれません。あー、でもどこに何があったか、もうちょっとちゃんとわかるといいだろうになぁ。。

教会があったので見ていると・・・

日本基督教団 中津教会


偶然前を通りかかった日本基督教団中津教会で、教会の前に置かれた石造物を見ていると、信徒さんに話しかけられました。

私が「キリシタンに関係ある物かしら?」と見ていた石造物は宣教師さんの息子さんの墓碑だったようで(それを一生懸命見てるから変な観光客だなと思ったんでしょうね ^^;)

でも近くにキリシタン灯籠があると言って場所を教えてくれました。中津には3つくらいキリシタン灯籠と呼ばれている物があるとは知っていたのですが、リサーチ不足で場所を知らなかったのです。偶然通りかかって、偶然人が話しかけてくれて、偶然教えてくれるなんて・・・奇跡とまでは言わないまでも、何か導きを感じます♪ 勝手な思い込みかもしれないけど、感謝してゴー!

織部灯籠


こちらが件の織部灯籠。教会の方が「キリシタン灯籠」だと言っていたのは、両者が同じ物だという認識なのかと。

解説板にもそのように書かれています。

私は「織部灯籠」というものはあっても、「キリシタン灯籠」なるものはないという考えなのですが、見られるのならできるだけ見ておこうというスタンスなので、この度も見に来てみました。

見てみて考えが変わるということはありませんが、やはり見させてもらって良かったなと思いました☆
何でも決めつけてシャットアウトするより、たくさん事例を見つつ判断していった方がいいと思うから。
導いてくださってありがとうございますと、心の中でお礼を言って井戸端を後にしました。


織部灯籠

説明板

 国東半島を一周☆

時刻は15時・・・

時刻はすでに15時を回っていますが、ここから国東半島をぐるっと一周したいと思います。
え、無謀ですって? ホホヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホ(笑ってごまかす)

驚いたのは、陸地から海へと向うカニの群れ。道路で玉砕した体が痛々しいです;;
これって国東では当たり前の光景なんでしょうか・・・?

ペトロ・カスイ・岐部神父記念公園


2時間弱で到着したのは、ペトロ岐部神父を記念した公園。今回の九州旅行で、是非是非是非来てみたかった所です!

初めてエルサレムを踏んだ日本人とされるペトロ岐部の生まれ故郷に造られたこの公園は、ペトロ岐部の生家跡とかそういうのではありませんが、彼の精神性というか、人物像に結びつく何かを感じられる場所ではないかと思うのです。

ペトロ岐部像


公園内には小さな教会といくつかの像。

青々とした芝がとても気持ちいい場所です。

胸を張り、遠くを見つめるペトロ岐部像。

この像を見られたただけでも、来た甲斐がありました☆

実際のペトロ岐部は、13歳の時にこの地を去って、戻って来ることはなかったのに、なんでここに来てみると彼の何かが感じられるように思うんでしょうね。不思議です。

隣にある国見ふるさと展示館にペトロ岐部の資料があるということですが、17時までなので既にクローズ。残念といえば残念ですが、それよりも来られたことへの感謝が大きいです♪


ペトロ岐部記念公園

ペトロ岐部について

路程

ペトロ岐部像

井上政重とペトロ岐部

教会

聖母像

丘の上の十字架

裏山は岐部城跡

岐部一族のお墓


記念公園の裏山は岐部城跡。麓にある登城口には岐部氏のお墓(供養塔?)が並んでいます。

キリシタン時代、城主の妻が臨終に際して洗礼を求め、ロマノ岐部が授けたという記録があります。

ロマノ岐部はペトロ岐部のお父さん。この辺りのキリシタンの柱的存在で、洗礼を施すことを許されていました。ペトロ岐部の記念公園がここに作られたのも、そういった縁があったからかもしれません。

並んでいるお墓は室町時代のものだから、ロマノ岐部と関係があるとは思えませんが、ロマノ岐部やペトロ岐部が伝説上の人物ではなく、現実に存在したのだということを証ししてくれるので有難いです。
こういう周辺の史跡が残っていることが、より一層歴史を実感させることに役立っていると思います☆


木陰に眠る

岐部一族

国見ふるさと展示館

旧有永邸の説明板

 殉教地日出へ

国東半島の海岸線


国東半島の海岸線をしばらく行って、途中からは山越えルートで日出(ひじ)へ向かいます。

ちょっぴり薄暗くなってきて、満足に見ることができるのか心配ですが、日出の殉教地は是非訪れてみたいっ!

くねくね曲がるワインディング・ロードなので、夫に「急いで」とは言えないけれど、どうか日が止まりますように・・・!!

殉教の地


なんとか日がもってくれ、到着。

ここがキリシタン殉教者、加賀山半左衛門が処刑された場所です。

半左衛門は日出藩の御成敗所(刑場)であったここで斬首されました。

日出殉教公園


刑場跡の隣には日出殉教公園が整備されていて、ミサや(お寺と教会との)合同慰霊祭が行われています。

殉教地には随分と訪れてきましたが、こんなにもちゃんとした形で整備され、しかも仏教徒キリスト教とが一つになって慰霊祭を行っている所は初めてです。

隣にはお参りに来た人をもてなしてくれる休憩所まで (゜0゜*)!!  説明板などもしっかりしてて、すっごく好印象です。なかなかここまではできないよなー、と思いましたが、これくらいが水準になればほんとにいいですよね。

日出藩家老殉教の地


さて殉教者である加賀山半左衛門は、案内標識にも書かれているように日出藩の家老。

小倉の殉教者加賀山隼人の従兄弟で、隼人と同じ日に処刑されました。

その頃日出には約300人のキリシタンがいたとされ、半左衛門一家はその中心的存在でした。

半左衛門と共に処刑されたのは息子のディエゴ。半左衛門は47歳、ディエゴはわずか5歳でした。


日出殉教公園

殉教公園

日出藩御成敗所跡入口

日出藩御成敗所跡

供養碑

半左衛門について

御成敗所について

休憩所もあり


夏の日は暮れて


西日はゆっくりと雲に隠れていき、瞬く間に夕靄に。
行きたい所には行け、見たかったものを見られて感謝です。

惜しむらくは、もうちょっと私の気が利けばもっと・・・だったのに、という点。
例えば日出の殉教公園まで行けたのだから、近くにある松屋寺にも行けば良かったのですが、瞬間の気の迷いで行くというチョイスを選択できませんでした;;


全体的に時間不足で、もっとうまく時間を使えたら良かったのに、というのも反省点です。
今日から始まる6日間が、この反省を生かしたものになるよう祈りつつ、気を引き締めます。

今夜の宿は大分市の中心部。明日は朝イチで遊歩公園を訪れます♪
「今九州にいるんだ!」と思ったら、今頃になって感謝と感激がしみじみと襲ってきました。

明日もいい日になりますように♪
お(^o^) や(^O^) す(^。^) みぃ(^-^)ノ゛なさい☆


インフォメーション
天草観光ガイド「島旅」
天草市立天草キリシタン館
Laudate(女子パウロ会HP)

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