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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ゴーゴー三多摩!その②


 本日は町田市の郊外へ

町田市郊外の風景


小春日和となった今日は、町田市の外れにある史跡に向かいます。

前回の主人公が八木重吉なら、今日のそれは北村透谷。北村透谷は明治時代に活躍したロマン主義の詩人で、クリスチャンでもありました。

しかし透谷は26歳の若さで自殺。その理由についてはおいおい考えていきたいと思います。まずは町田ぼたん園へ ゴー☆


町田ぼたん園


やって来ました町田ぼたん園。
市立民権の森公園の中にあります。

ぼたんの季節ではないので閑散としていて、沿道のお店も閉まっています。一人で散歩とかに来たら、ちょっとメランコリックになりそうな・・・。

でも秋の日差しは柔らかく、紅葉を透かして落ちる光が地面に模様を描いて、とっても風情があります。いい写真が撮れちゃうかも♪



入口

園内マップ

ぼたん園

東屋

 石阪昌孝のお墓

石阪昌孝のお墓へ


ここがなぜ「民権の森公園」となったかというと、明治時代に自由民権運動を繰り広げた石阪昌孝の屋敷跡だから。

石阪昌孝は町田と三多摩地域における民権運動のリーダーで、北村透谷の義理の父でもあります。

自由民権運動に興味を持ってこの石阪の家を訪れた透谷が、石阪の長女ミナを見初め、大恋愛の後結婚。それで石阪昌孝は透谷にとって養父となったのです。


石阪昌孝のお墓


公園の小高い場所には石阪昌孝のお墓が。崇め祀られてるかのような雰囲気で、近寄りがたさを感じるのは、林の中にあるからでしょうか。

町田や三多摩で自由民権運動が盛んだったとは、どこかで聞いたことがあるような無いような・・・。

今まであまり興味を持たなかった分野なので、知識が曖昧で、この人がどんなふうに尊敬されてるのかわからないのですが、このお墓を見ると、人によっては尊敬から始まって崇敬にまで至っちゃってる人もいるのかな、、、と。



お墓入り口

お墓

民権の森

墓碑

小高い場所から


お墓のある丘からは公園が見渡せるようになっています。この見渡せる辺りにあったのが石阪家の屋敷。

ここにやって来た透谷はミナと恋に落ち、ミナがクリスチャンであったので、恋愛をする中でキリスト教にも惹かれ洗礼を受けたといわれています。

頭のいい文学青年だったので、元々キリスト教に関心があって、ミナとの出会いは入信の一助に過ぎなかったという説もありますが。「自殺」という結末を知っていると、どんな経緯も関係ないような、いや関係なくはないけれど自死によって全てが無に帰してしまうような虚しさを感じます。



公園

園内

木々

椿

 北村透谷・美那子出会いの地碑

北村透谷・美那子出会いの地碑


公園の真ん中には「自由民権の碑」。
その横に小さく「透谷・美那子出会いの地」と書かれています。

2人が出会ったのが石阪家の屋敷だから、出会いの地というのは納得。透谷の文学を顕彰するためにこの碑は建てられたのだと書かれています。

文学史では北村透谷の文学をロマン主義とし、彼の作品のテーマは近代的自我の確立だったとされています。ただ現代人の私がこの人の作品を読むと、漢詩の読み下し文のような堅い感じで、小難しい理屈が展開されているという印象。

透谷がキリスト教や聖書について書いた評論も読んでみたのですが、キリスト教を論じることでかえって難しくしてしまっているように思えました。「救い」よりもむしろ「真理を追求する学問」のようで、だから「信仰」が「苦行」になっているような。簡単に言うと、難しく考え過ぎって感じでしょうか。

明治のキリスト教


北村透谷の小学校の同級生である島崎藤村も、一旦クリスチャンになって後で棄教。信仰から離れたり捨てたり、自殺を選んだりと、明治時代にクリスチャンになった知識人(特に文学者)には、「えーっ!?」という結末の人が多いです。

その原因の一つは、この「小難しさ」じゃないかと思うんですが、どうでしょう? 頭のいい人が考え過ぎて、覗き込んだ穴に落ちてしまったような、そんな感じ。何より「信仰」は「学問」ではないので、どんなに優秀な頭脳で挑戦しても解き明かしたりできるものではないと思います。

明治時代に外国から入って来たたくさんの知識や技術が日本に文明開化をもたらして、それはとっても結構なことでしたが、同時に入って来たキリスト教もまた、それらと同列に扱われる傾向があったのではないでしょうか。

つまり明治時代の知識人でキリスト教に触れた人の中には、信仰を一種の哲学思想として受け止めてしまった人が少なからずいたのではないかと。

・・・なんて、私みたいな非知識人に言われちゃったら、知識人さんたちに叱られるかもしれないですけど (; ̄ー ̄)
どうしてこんなことを考えるかというと、救われてほしかったからです。「学問」としてでなく「経験」として学ぶ道は見えてこなかったんだろうかと、とても悔しく思うからです。



自由民権の碑

解説文



秋の一日


あんなこと、そんなこと考えながら、色づく秋を満喫。

この季節に秋らしい色を目にたくさん焼き付けておかないと、冬に色に飢えてしまいそう。

灰色の冬が来たら、外の景色は一変してしまうから。

でも四季のある国に生まれて感謝です。季節ごとの万物の色を、思い出と共に記憶にしまっていくことができるし、季節ごとの楽しみがあるし。でもこんな秋を風情を味わいながら、今日も生きてるけれど、「こんな自分がいつまでここ(地上)にいるんだろう?」とふと思ったら、風が冷たく感じられました。

季節がめぐっていくように、それを眺めている私の人生もどんどん過ぎ去って行って、いつかはここからいなくなるんだということも、楓の赤と一緒に胸に刻んでおこうかな。



織部灯籠


碑と庭


抹茶オレで休憩


無料休憩所で抹茶オレをげっと♪
夫はアイスココア。

男女は筋肉量が違うから、寒暖の感じ方も異なるようで、私としては「そのチョイス、信じらんない」と思うことがしばしば。

それでもね、いいですよ。生きていることも、人といることも (* ̄(エ) ̄*)ニガウマー


 自由民権の勉強も

人生の秋


さてと、そろそろ重い腰を上げて、次なる目的地へと向かいましょうか。

今日のように行く所が近場の場合は、「また来ればいいや」的な余裕があるからか、なんだかちょっとのんびり。

最近時々寒い日があるからか、心臓の調子がイマイチで、歩くのが妙に遅くなってしまうことも、のんびり行く理由の一つですが。

こんな風に体の不調が始まってくるのは、年のせいでしょうな。病気や疾患を取り上げるテレビ番組を見ると、身に覚えがある症状があってドキッとすることも。それでもっと心臓に悪いんじゃないかと思ったりもしますが・・・(*・ε・*)ムムム

私も人生の秋に差し掛かってるのかなー。ねえ、神さま。


自由民権資料館


夫の運転で自由民権資料館に到着。公共交通機関が少ない所はやっぱ車がラクです☆

こういう資料館って、来るの久しぶりです。子供の頃社会見学などでしょうがなく行ったの以来じゃないでしょうか。

「自由民権」だなんて、学校の勉強っぽくて、近くにあっても行く気がしなかったのですが、この人権運動がキリスト教とも結びついて発展していったことを本を読んで知り、それで訪れるようになりました。

一つのことに関心があると、他のことにも興味が広がって、様々なことを学ぶようになり、いろんな所に行く機会が増えますね。私の場合は最初「キリシタン」で、続いてキリスト教の歴史。そして今は・・・、閉館時間も迫っているのでとりあえず入ってみましょう ( ̄▽ ̄)



自由民権資料館

資料館

入口

資料館全体

自由民権資料館内部


中に入って行くと、ぼたん園以上の閑散さで、私たち以外の訪問者はゼロ。入場無料ですが名前を書くようになっていて、そのノートを見てみましたが、今日のお客さんは私たちだけのよう。

土曜日でこんな感じなんですから、平日はもっとでしょうね。まあ、気持ちはわかります。

写真撮影は、「風景みたいに撮るのはOK」とのこと。つまりこんな感じです(←)。

展示の中で目を引いたのは山上卓樹(やまかみ たくじゅ)らに関するもの。自由民権運動とキリスト教は「すべての人が平等」であると考える点で一致してたので、結びつきやすかったんですね。

それでもって、民権運動が横浜→町田→八王子と発展していったので、その過程で地域のキリスト教者も運動に参加することとなっていったよう。石阪家にも福音が入っていたのも、新しい思想の通り道にあったからだといえそうです。

いずれは八王子方面の山上卓樹関係の史跡にも足を運んでみたいです。バスはあっても行きにくい場所にあるみたいだから、やっぱ夫に頼んでドライブが一番ラクそう。

いつの間にか「ラクさ」の優先順位が上がってきてるような・・・あきまへんなぁ <( ̄∇ ̄)ゞ


武相の民権

パンフレット

繭乾燥倉


資料館敷地内の前庭には繭乾燥倉。横浜→町田→八王子のルートは絹の道ともよばれ、シルク産業が盛んでした。

だからこの3つの地域はシルクのご縁で結ばれることで道が発達し、その道を通って新しい知識思想が入ってくることで、歴史的に大きな役割を果たしていくこととなったのです。

産業の発展をそれだけに留まらせない神様の御旨を感じるような、感じないような?
私は感じますけど、自分の考えを人に押し付けちゃいけないから、文章はニュートラルにしてみますか。
信じるか信じないかは、アナタ次第!...どっかで聞いたようなセリフですが;;



繭乾燥倉

解説

 寒竹学苑はいずこ?

寒竹学苑跡は?


最後にもう1ヶ所、寒竹学苑の跡へと向かいます。日が西の空に傾いて、暗くなり始めてますが・・・。

寒竹学苑とはクリスチャンの女性が頑張って建てた学校で、今はないらしいけど跡にだけでも行ってみたくて☆

跡地に近い辺りに行って「すみませーん」と何人かの人に尋ねてみましたが、知っている人はおらず...llllll(-_-;)llllllナンカンダッタカ

安全寺


尋ねた人の何人が「安全寺ならあそこですけど・・・」と言ったので、来てみました、安全寺にも。

しかし…llllll(-_-;)llllllヤッパチガウヨネ
せっかくここまで来たんだから、地元のお寺さんでも見学して行かれたらどでしょ?って感じで教えてくれたみたいです。

あははー、善意に感謝ですが時間切れです。どこかでお寺の鐘も鳴ってるぜぇ。


 タイムアウト (ノ_・、)

秋の風情に心誘われて
のんびりしちゃってタイムアウト。
ま、こんな日もあるさと
自らを慰めつつ、励まして・・・☆

前回は早世した詩人、
今回は若くして自死を選んだ詩人と
死について考えるしかない展開です。

しかしまた彼らは作品という形で
今も生きている人たちでもあります。
影響という意味では、人の心に存在している限り生き続けるのだといえます。
でも逆に全ての人の記憶と心から、その人が消えてしまったら
その人はもう一度死を迎えるのだともいえるのでしょう。

何が正しいのか結論が出なくても、考えてみなければならないことが、人にはあるような気がします。
せめて自分限定の答えでも出せたら成功、・・・っていえるのかな?
これから心と体を駆使して、人の生と死について思いっきり考えてみようと思います。

前途に幸あらんことを! p(^(エ)^q=p^(エ)^)q ガンバ♪




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