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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ゴーゴー三多摩!その③

 ホームタウンを旅人目線で♪


          いつも買い物で訪れる町田を
          今日は旅人目線で歩いてみたいと思います♪
          ホームタウンの歴史を紐解いたら
          何が見えてくるんでしょう・・・?


          

町田駅前


まずは駅前を中央図書館の方向へ☆
図書館はこの街の自慢でもあります。
ホテルと一体化したきれいなビルにあり、収蔵数も多いし、司書さんたちも親切。

あ、紹介のつもりが早速自慢大会になってますけど・・・( ̄m ̄ オット

だけど治安とかの面ではダメかもしれないですね。窃盗件数も多いし、コンビニ強盗や立て籠もり事件とかもありました。

町田市立図書館


5分で到着、町田市立図書館(←)。今まで目に入ってなかったけれど、入口前に彫刻作品が置かれていますね (・0・*)アラ

ここは樋口一葉と出会って婚約した渋谷三郎の生家跡。三郎は原町田の脇本陣にあった「武蔵屋」の倅だったのです。

この婚約は後に破談となり、一葉の生涯を語る上で欠かせない出来事となりました。
普段何の気なしに行き来してるところにもエピソードがあったりするんですね☆



図書館

隣はホテル

入口

ホテル側

舟越保武作


せっかくなので図書館にも足を踏み入れてみると、彫刻が。

誰の作品だろうとキャプションを見ると、なんと!

舟越保武ではないですかっ!!

長崎の26聖人像をつくった彫刻家です。もちろんクリスチャンで、2002年に亡くなりましたが、亡くなった日が26聖人の殉教日と同じだったという、偶然とは思えない逸話が残る人物。

こんな所で彼の作品に出会えるとは思ってもみなかったので、びっくりです☆
出会ったのも意味があると思うので、舟越保武(ふなこし やすたけ)さんのご紹介を♪

舟越保武について


舟越保武は1912(大正元)年、岩手県生まれの彫刻家。東京芸大で教鞭を取る傍ら、生涯自らも作品を創り続け、戦後日本を代表する彫刻家として知られています。

保武の父親は敬虔なカトリック信徒でしたが、保武は10代の頃は反抗して洗礼を受けませんでした。その父は保武が16歳の時死去。母は2歳の時に亡くなっていました。東京芸大を卒業し、徐々に作品に注目が集まるようになりましたが、30代の時、長男がわずか8ヶ月で急死。それを機に家族でカトリックの洗礼を受け、クリスチャンとなりました。

代表作となる「長崎26殉教者記念像」を製作したのは45歳から49歳までの4年半。寝食を忘れて製作に没頭し、この像で高村光太郎賞を受賞。彫刻界の第一人者となりました。この像の製作にあたっては、当初十字架上で槍に突かれる姿を依頼されましたが、資料を読み専門家に聞いて、昇天する前の姿をつくりました。聖人たちは正装をしています。この時保武は、26聖人の一人フランシスコ・キチが亡くなった父の面影に近づいていったと話しています。

1967(昭和42)年からは東京芸大の彫刻科の教師になり、生活も安定。しかし1987(昭和62)年に退官後、脳梗塞になり右手と目が不自由になりました。まもなく視力は回復しましたが、右手は回復せず、リハビリをしながら創作活動を続けました。

左手だけになってからは、もう固い石は削れなくなり、ブロンズならばと粘土で像を作り始め、年に3作品くらい作って展覧会に出品しました。左手で毎日デッサンを書く姿を見ていた家族は、保武のことを「本当に勤勉だった」と話し、また「聖なるものと美しいものは分かちがたいと思っていたのではないか」と言います。

舟越保武は2002年、89歳で逝去。奇しくも26聖人が天に昇ったのと同じ、2月5日のことでした。




笛吹き少年

舟越保武作

外の彫刻作品

近辺の様子

 シュリーマンが宿泊した

吉田屋跡


舟越保武作品を見つけて興奮してしまいましたが、次を目指しましょう。

一本裏手の道に入って少し進むと、右手に見えてくる町田商工会議所。ここがシュリーマンが泊った宿「吉田屋」の跡です。

トロイア遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンは1865(慶応元)年、世界漫遊中の途中日本にも1ヶ月ほど滞在し、日本を見て回りました。

とても好奇心旺盛な人だったらしく、八王子へ見学に行き、その行き帰りにここにあった宿に宿泊しました。その時書かれた文章には清潔感あふれる宿屋の様子が描かれていて、日本人としては誇らしいです☆

横浜から上陸した外国人が八王子方面に行き、脇本陣でもあった町田に滞在したのは、それくらい利便性が高く、栄えていたからでしょう。今ほどではないにしても、江戸や明治なんて昔の時代にも、人々が商売をして、たまには外国人が訪れるほど町に活気があったんだと初めて知りました。

「町田」というと、利光鶴松(としみつ つるまつ)が新宿から小田原まで一気にレールを敷いた、小田急線の一つの通過点のようにしか認識してしていませんでしたが、途中駅にも気を遣ってたんですね。ある程度の人口ががあり、かつ港方面から人と物が来ることを期待できる商業圏に駅を建てたということです。

吉田屋や武蔵屋があったのは、その傍証といえるかと。史跡めぐりは奥が深いです・・・∬´ー`∬ウフ♪




町田商工会議所

町田商工会議所

マップ

周辺案内

オブジェ


最後に路地を覗きながら駅に向って、本日の旅程は終了。

小道のそこかしこにもオブジェが置かれていることに気づきました。普段通いなれた道でも、旅人目線になってみると目に入ってくるものが違うんですね。

目を開けていれば発見があるのに、好奇心もなく暮らしていると目に入らなくて認識できないなんて、人間ってほんと不思議な動物です。



小道

古いお店

路地

路地


旅人目線で歩いてみたら・・・


こんな感じで今日は終了。家に帰ってご飯を作らねば☆
遠くに出かけなくても、身近なところで新しい発見を探すのも楽しいものです。ただし生活感があるので、いつの間にか買い物波長になってたりするから要注意;;

昔の人は人生を旅に例えたけれど、それはどこかに向う道の途上にあることを忘れないためだったのかもしれません。
「どこか」とは人生の行く末のことで、全ての人の行く末とは結局「死」ではないでしょうか。

毎日の生活があって、これがずっと続いていきそうな気がしてても、終わりが来るのだということを忘れてはいけないですよね。だから「旅人目線」っていうのは結局、「人生全体を見通す目線」で、自分が歴史のどの時点にいるのかを考えることが必須なのではないかと思います。

私は神様の御心がどう流れてきたかを知りたくて、それで各地をめぐっているのだけど、世の中は今、クリスマスムード一色です。キリストなしのクリスマスムードに。これは一体何を意味しているんでしょう? 過去に対して、未来に対して・・・。

ここで性急に答えを出すのはやめて、旅を続けていこうかな。
今日も一日、よっ! (ノ゜▽゜)ノ ⌒~【おつかれさまでした♪】




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