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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ゴーゴー三多摩!その④

 リベンジを兼ねて・・・

コメダにて


今日はリベンジの日。
前暗くなってしまっていい写真が撮れなかったところに行って、素晴らしいものを撮って帰って来ようと目論んでいます☆

ついでに足を伸ばして、八木重吉を世に送り出した加藤武雄という人の碑も見に行こうと企んでたりして♪
コメダのモーニングで英気を養い、いざ出発!


八木重吉一家のお墓


やって来たのは、町田市相原にある八木重吉一家のお墓。前回来たときは雨の夕暮れで、悲惨な写真しか撮れなかったので;;

今日は茶の花忌(重吉の命日)の翌日だからか、お花もきれいに供えられています。今日の写真が残せて感謝☆

史跡案内に載せるとき、怖い写真載せなくて済みます。。(T▽T)アハ


一家のお墓

八木重吉のお墓

子供たちのお墓

トミさんのお墓

八木重吉記念館


お墓と目と鼻の距離にある八木重吉記念館もパチリ。

重吉の生家は火災で無くなってしまいましたが、建てられてから100年以上も経つ土蔵だけが残りました。重吉の甥である藤雄氏がこの土蔵を改装、八木重吉記念館としました。

個人で運営なさっているので、訪問希望者は往復はがきで申し込みをする必要があります。藤雄氏がご高齢なので、記念館が今後どうなっていくのか、とても気になります。



八木重吉記念館

八木重吉記念館

八木重吉記念館

八木重吉記念館

八木重吉詩碑


前回カメラのフラッシュで浮き上がらせて撮った相原幼稚園の碑もこの通り(←)。

幼稚園の敷地は、大戸尋常小学校の跡。重吉はここに通っていました。

今車で来た道は重吉の通学路だったわけですが、ここまではともかく、この後訪れる予定の川尻小学校まで草履で毎日通うのは相当骨が折れたと思うんですが、昔はこれくらい歩くのは当然だったんでしょうかねぇ・・・( ̄◇ ̄;)?



相原幼稚園

重吉詩碑

建立

尋常小学校跡

「ねがい」の詩碑


大戸小学校の近くにある詩碑にも☆
草に覆われつつあったので、落ちていた枝でなぎ払ってカメラに収めました。

重吉は今でこそ各地に詩碑が建てられています(全国に7ヶ所あるらしいです)が、生前はほとんど注目されず、教員生活の傍ら詩作をし、貧しさの中で生涯を終えました。

しかしわかる人にはわかる、独特の良さがあったようで、彫刻家で詩人の高村光太郎は、「八木重吉の詩をおもひ出すのはたのしい。たのしいと言っただけでは済まないやうな、きれいなものが心に浮かんで来る。あんないい、せつない、星のやうな詩人が居たと思ふだけでも、がさつな気持ちがじっとりしてくる」と書いています。

また詩人の草野心平は「彼はキリストを本当の小さい身辺で正確に感じていた・・・泪のたまった真っ直ぐな彼のレンズに自然は深い原始の姿でうつった」と書き、遺稿の出版にも尽力しました。

高村光太郎も草野心平も超有名人で、ファンも多いでしょうが、彼らが高く評価した重吉については知られていません。今みたいにツイッターやフェイスブックがあったら、有名人が「いいね!」ボタンを押した途端、押された人もあっという間に有名人になるんですけど、、、ね。



詩碑

詩碑のある辺り

大戸小学校の近く

 津久井城跡へ

津久井城跡


重吉を世に出した加藤武雄の文学碑を目指して、神奈川県の城山湖方面へ。途中、津久井湖畔で休憩し、津久井城跡を見学。

夫「ここ来たことあるよね」
私「えーっ、いつ!?」
(いつどのような形で来たのか詳しく聞いてもピンと来ず、30分経ってようやく一場面が思い出せて)
私「ああ、そういえば・・・」
夫「おそっ!!」

自分でも記憶力の衰えにびびりました。記憶というシステムがインプット、キープとアウトプットに分かれているとしたら、インプットが淡く、キープしている間に劣化し、アウトプットに時間がかかるということでしょうか。せめて記憶の劣化を止めたいですが、すり替わったり、変質したりもしてそう・・・。

はああ... (;д;)=3=3=3=3 フカイタメイキ



津久井城跡

津久井城跡

津久井湖マップ

津久井湖

城山発電所


津久井湖から5分で城山湖に到着。水力発電のための人造湖。湖の周囲がハイキングコースとなっていて、家族連れに人気のようです。

何かのイベントで賑わう駐車エリアで地図をもらい、文学碑を目指しててくてく。碑は散策路の途中にあるようです。

加藤武雄文学碑への道


加藤武雄は、八木重吉にとって母方の再従兄弟にあたる人で、尋常小学校時代の先生でもありました。

この加藤武雄が後に新潮社に入って編集者となり、重吉の詩集が出版できるよう力を尽くしてくれたのです。

だから重吉にとっては親戚だけど恩師であり恩人。だから関心を払わずにはいられないのです☆


加藤武雄文学碑


木陰のビューポイントに建つ加藤武雄文学碑は想像していたよりずっと大きくてびっくり。しかもセンスがいいじゃありませんか。

石碑にセンスとかを問うのは変かもしれませんが、石の形がカッコイイから思わず「ほー」とか言ってしまいます。

前面には「わが日は暮し わが夢ははるか也 加藤武雄」と刻まれていて、側面を見るとなんと、丹下健三の名が!
あの高名な建築家がこの碑を設計したのだと知り、大いに納得。なるほど、品があるはずですわ。



加藤武雄文学碑

裏面

丹下健三

城山湖


加藤武雄の文学碑をなんで丹下健三が設計したのかは謎ですが、八木重吉を世に出してくれたことにとりあえず感謝。

重吉の第一詩集の「秋の瞳」、生前の自選詩集「貧しき信徒」は、新潮社の編集主幹まで登りつめた加藤の後押しがなければ埋もれたままだったかもしれません。

また重吉の死後刊行された詩集は、歌人の吉野秀雄と吉野家の人々の温かい支援で実現しました。吉野秀雄の後妻の名はトミ。重吉の妻だった、あのトミさんです。

重吉の死後、トミは2人の子供を必死に育てますが、2人とも十代半ばで死去。一人になったトミは人の紹介で、妻に先立たれた吉野秀雄の家で家政婦として働くようになりました。吉野の子供たちを立派に養育したトミは、家族の一員として認められ、重吉の死から20年経ったとき、吉野と再婚。

吉野が重吉の詩は本物だと鎌倉のペンクラブの人たちに紹介したことから、徐々に八木重吉という詩人が認められるようになっていき、秀雄と吉野家の人々が協力によって「定本八木重吉詩集」「花と空と祈り」が出版されて、重吉の名が世の人に知られるようになったのです。

吉野登美子(トミ)さんは1999年に94歳で天に召され、遺骨は八木家にも分骨されました。重吉と子供たちの墓に寄り添うようにして、登美子の墓は建てられています。


 川尻小学校へ行きたいの

川尻小学校


重吉と縁があった人々のことを思いながら川尻小学校へ。

ここは川尻尋常小学校跡で、重吉が加藤から教えを受けた地なのです。

校庭には加藤武雄と重吉の碑が建てられています。加藤が作詞した校歌の碑と、重吉の「飯」を刻んだ碑。数ある重吉の詩の中から、どうしてこの詩を選んだのか、いささか?ですが、二つ並んでいるところが微笑ましいです♪



   

   この飯が無ければ
   この飯を欲しいとだけ
   思いつめるだろう






川尻小学校

校歌

重吉の詩碑

裏面


スムーズに行けて感謝☆


今日は全体的にスムーズに行けたので、そのことに感謝☆
リベンジしたものが半分あったので当然といえば当然ですが ヾ(●´▽`●)

家に帰って調べてみたら、加藤武雄と丹下健三の関係がわかりました。加藤武雄の娘が丹下健三と結婚したので
その関係で文学碑を設計することになったようです。

丹下健三は日本を代表する建築家でカトリックのクリスチャン。東京大司教区のカテドラルも彼の設計です。なので妻となった加藤武雄の娘さんもカトリック信者だと思いますが、加藤武雄はクリスチャンではありませんでした。プロテスタントのクリスチャンである八木重吉の詩集を出すことにも尽力したのに、影響はなかったのか・・・。

加藤武雄は新潮社を辞めた後、小説家に転身し、ベストセラーを書く夢を持っていたようですが、それは果たせずに終わりました。大きな文学賞を獲ったこともなく、ウィキペディアには「今では忘れられた作家である」とまで書かれています。それなのに、高名な建築家の手によって立派な文学碑が建てられるなんていうことは、破格の待遇と言っても過言ではありません。

このことは、人の目から見たら「不思議」。でも天の目から見たら違うのかもしれません。ひたすら主だけを信じ続けた重吉に、日のあたる場所を与えた義のゆえに、今度は天が加藤に、後世に残る栄誉をくれたのかもしれません。晩年加藤は「長い間書いてきた私の大衆小説は、消える。もう一つだけでも、後世に残るような作品を書いてから死にたい」と語っていたそうですから。

本当のことは神様しか知らないし、天に昇った人たちだけがわかるのかもしれませんが、もしそうだとすれば、もう一つ興味深いことが浮かび上がります。プロテスタントの重吉にしてくれたことを、カトリックの丹下健三で報いたとしたら、神様はどちらの神様でもあるということです。

もちろん本当にそうですけどね、同じキリスト教なんだから。でも歴史的には、自分の属する方だけが正当であると主張して、他方を排斥するということが長く続きました。現在は宗派や教派を超えたエキュメニュカルな取り組みが評価されるようになったので、排他的な主張は少なくなりましたが、それでもあるにはあります。

だから将来のためにも、こういう「気づき」が増えてきたらいいのになーと思うのです。神様はすべての人を愛して導いているんだ、という個人的な「気づき」が。一人一人がちょっとずつ気づくことで、世界が少しずつ変えられていくんじゃないかと思って。夢のような話ですが・・・☆

何はともあれ、今日も感謝で・・・
v(≧∇≦)v はれるやー♪




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