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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ゴーゴー三多摩!その⑥

 今日は一日じっくりと!


                       今日は調布と府中を
                        じっくりと回る予定です。
                         お墓がメインになりそうな感じですが
                          生きた歴史に触れられるのでしょうか?
                           「ゴーゴー三多摩!⑥」スタートです♪


カトリック多摩教会


最初にやって来たのはカトリック多摩教会。この教会は聖コルベ神父を保護の聖人として戴いており、その聖遺物(顎鬚)があるというので、来てみたかったのです♪

何かの集まりがあるのか、人の出入が見受けられます。日曜日だけでなく土曜日にも信徒さんが集まっているのは、生活の中に信仰が息づいているからかと☆

行き交う人に軽く会釈して、聖堂に向かいます。

聖堂内


シンプルで広い聖堂の中央には、「復活のイエス像」。

この木造の彫刻はイエス様が十字架から解き放たれた姿を表しています。

多くの教会で磔刑像を見てきた者の眼には、とても新鮮に映りました。栄光のイエス様であることがとてもうれしいというか ヽ(´▽`)/


横から見た「復活のキリスト像」


祭壇左手には「しるしのイコン」。このイコンとキリスト像はフランスで制作されたもの。

聖堂を囲むステンドグラスはカルペンティーヌ神父の作品だとか。カトリックの教会を巡っていると、時々神父さんやシスターが作ったステンドグラスに出会います。芸術の才能を持った方々がたくさんいるんだなと思ったりして。



カトリック多摩教会

聖堂

「しるしのイコン」

「復活のキリスト像」

コルベ神父の聖遺物


「しるしのイコン」の左手にあるのが、聖コルベ神父の聖遺物。ガラスケースに入っていますが、間近に見ることができます。

コルベ神父は長崎で活躍していた神父さん。大事な会議のために母国ポーランドへ戻っている時にナチスに逮捕され、アウシュビッツに送られました。

そこでとある囚人の身代わりとなって死んだため、「愛の殉教者」として世界に知られる聖人です。

日本の土になるつもりで墓地まで買っていたコルベ神父は、出版活動を通して日本に福音を宣べ伝えることをしていました。コルベ神父が愛した日本で、神父のことを心に刻み、こちらからも愛していることは、両想いのようでとても素敵なことかと♪ コルベ神父が発刊した雑誌「聖母の騎士」は今も発行を続けています☆



コルベ神父の聖遺物

聖堂内


ステンドグラス


 調布にあるカトリック修道院

聖堂


続いて向かったのは調布のカトリック修道院。ここには教会の他、神学校やチマッティ神父の記念館などがあります。

お目当てはチマッティ記念館前にあるという、ジュゼッペ・キアラの墓碑なのですが、まずはご挨拶を兼ねてチマッティ神父の眠る記念聖堂へ。

尊者チマッティ神父の棺


1991年にチマッティ神父は尊者となり、その遺体がチマッティ記念聖堂の地下に安置されています。

棺に入っているとはいえ、神父さんの遺体が目の前にどーんと置かれているという状況は、日本文化の中で育った私にとっては衝撃的。

復活を信じる信仰がなせる業であり、天で主に私たちを取り次いでくださるのだと思うからこそ、こうするわけですが、いつもどぎまぎしてしまいます。つまづきませんけどね (・・。)ゞ

チマッティ神父について


チマッティ神父はイタリア生まれの神父さん。ドン・ボスコ神父が設立した修道会、サレジオ会に入って神学生となり、神学だけでなく音楽や自然科学なども学びました。長じて宣教師になることを志すようになったチマッティ神父は「一番貧しく、配慮されていない地へ送ってください」と祈っていましたが、1925年、日本への宣教団長になることを告げられました。

その時総長から諭された言葉はこうでした。
「皆さん、これから遠く、物質的には豊かな国へ行っていただきます。その国であなた方に求められるものは、物質的なものではありません。あなた方が持っていくのは、イエス・キリストです」

それから日本で40年間、「骨の髄まで日本人になること」を決意して働き、1965年、86歳で亡くなりました。

生涯に950曲もの賛美歌を作曲し、50曲ものオペレッタを書くなど、芸術性にも瞠目させられますが、青少年の育成に力を注ぎ、出版による福音宣教を盛んに行ったことにも注目したいです。

教育面ではサレジオ学園の設立という実を結び、発足を指示したカリタス修道会は女子教育の花を咲かせました。また来日3年目から刊行されている月刊誌「ドン・ボスコ」は「カトリック生活」と名称を変えて継続、師が作った出版社は現在も「ドン・ボスコ社」として、多くの有益な本を出版しています。




チマッティ記念聖堂

チマッティ神父胸像

チマッティ神父の棺

チマッティ神父の棺

礼拝堂


神父の棺の奥には小さな礼拝堂。シスターが1人祈っておられます。

絶え間なく祈りが捧げられる場所があることは素晴らしいことだなと思いました。

日本各地で世界各国で、日々お祈りで主を呼び求めていることが、日本や世界にとって、とても大きなことなのではないかと。

信じない人には無意味にしか思えず、愚かしく見えるかもしれませんが・・・。



礼拝堂の像

壁の聖遺物

壁の聖遺物

壁の聖遺物

チマッティ記念館


外に出て、向かいにあるチマッティ記念館へ。ここにジュゼッペ・キアラの墓碑があるはずですが・・・、おおっ発見!!

植栽の中に馴染んでいて見落としそうになりましたが、この特徴的な帽子の形が目印です☆

横には解説板も建てられていて、大切にされていることがわかります。


キアラの墓碑


ジュゼッペ・キアラはイタリア生まれの神父。

棄教したフェレイラ神父を救うため、1643(寛永20)年、日本に潜入しますが、すぐに捕まって江戸切支丹屋敷に送られました。

自らも転んで、死んだ岡本三右衛門の名をもらい、その人の後家も妻にもらって宗門改御用人として切支丹屋敷で働いたとされていますが、宗門改同心の記録には、本人は棄教を否定していたと書かれています。

82歳で死去し、小石川無量院に葬られましたが、その時建てられたのがこの墓碑です。無量院が焼失したため雑司ケ谷霊園に移され、そこで無縁仏の墓石と共に埋もれていたのをイタリア出身の神父さんが見つけて、管理人の許可を得て、練馬にあったサレジオ会の修道院に持ってきて、神父のしるしである帽子型の石を乗せました。その後神学校が調布に移転した際に、ここに移し置かれたのです。



チマッティ記念館

キアラ神父墓碑

キアラ神父墓碑

キアラ神父墓碑解説板


コンプリ神父との出会い


キアラ神父の墓碑をカメラに収め、大満足で顔を上げると、チマッティ記念館の中から、親しみ深い笑顔をこちらに向ける神父さんが。手招きに誘われて入って行くと、この記念館の管理をしている神父さんなのだとか。お名前はガエタノ・コンプリ神父。

神父「チマッティ神父のことを知りたくてここに来ましたか?」
私「(恐縮しつつ)いえ、キアラ神父の墓碑が見たくて・・・」
神父「ああ、そうですか。こちらに墓石を移して来たタシナリ神父、知ってますか?」
私「いいえ、イタリアから来た神父さんだということしか知りません」
そう話すと、コンプリ神父は少し間をおいてから話されました。
神父「その方、この3月で100歳になるはずでしたが・・・昨日亡くなりました」
私・夫「えっ!?」

私たちがびっくりするかと思って、言うか言うまいか逡巡されたようです。しかし意味があるかもしれないと思ってか、話してくださいました。
神父「私、神父と親しかったから、連絡をもらってお通夜に行きたいと思いましたが、神父のいる別府は遠いから無理です。それで神父のこと考えていたら、神父が持って来た墓石を見に、あなたがたが来たから不思議ですね」

切支丹屋敷とタシナリ神父


タシナリ神父は同じイタリア人ということもあって、キリシタン時代最後の宣教師シドッティに強い関心を寄せ、切支丹屋敷について研究した人物。切支丹屋敷の実態がどのようであったかも、神父による聞き取り調査や実地調査で明らかになった部分が多いです。

神父は芸術分野にも優れていたので、切支丹屋敷を題材にした音楽劇も書いて、公演を行い、歴史の闇に埋もれて忘れ去られていた切支丹屋敷に、再び光を当てるという役割も果たしました。

タシナリ神父は今度の今年3月9日で100歳になるので、その記念という意味もあって、神父がシドッティに関して調べたことが本として3月に出される予定だそうです。なので昨日(2012年1月27日)に神父が亡くなったことは、関係者にとって青天の霹靂で、ご高齢とはいえ体調は安定していると聞いていたのでショックだとコンプリ神父は話しておられました。

今朝その連絡を受けたコンプリ神父が、タシナリ神父のことを思い、大分までは行きたくても行けないからお祈りしていたところに、ちょうど私たちが、神父が移設した墓石を訪ねてやって来たというわけです。コンプリ神父は目を見張って、「不思議だ」とおっしゃったけれど、私たちとしても不思議な縁を感じずにはいられません。どんな御心があるのか、はっきりとはわからないけれど。



コンプリ神父の本


さて、少年のようなくりくりした瞳のコンプリ神父は、来日して57年の82歳。年齢を全く感じさせないはつらつとした印象で、「うん、いいよー♪」が口癖(?)。

チマッティ記念館の館長を12年間も務め、その傍ら、チマッティ神父の伝記やカトリック教理の本、聖骸布に関する本を日本語で書かれています。

私は今まで、キリシタン時代の宣教師のことを、カタカナの名前と観念的なイメージだけで覚えていましたが、コンプリ神父に会って話すうちに、「宣教師さんたちもこんな感じだったんだろうな」と、やっと人間としての像を結ぶようになりました。

それと同時に、「でも、こんな人たちを惨(むご)い方法で殺したんだ」と思ったら、衝撃が走りました。私は日本人の罪というものも、どこか観念的にしか捉えていなかったのだと気づきました。心の奥底、理屈でないところで、自分自身が泣いて叫んでいます。こんな人たちを殺していいはずないじゃん・・・。



聖骸布のパンプレット

チマッティ神父

チマッティ神父のCD

チマッティ神父の賛美歌

サレジオ神学院


お昼の鐘が鳴ったので、コンプリ神父にお礼を言って別れました。神父は神学校の校舎に向って歩きながら、ずっと手を振ってくれました。

サレジオ会の神学生は、神学だけでなく幅広い分野の知識と力を身につけるのだと、昔の本に書いてありましたが、現在もそうなのでしょうか。

神学生の姿は見えなかったけれど、清々しい風が吹き抜けていきました。


カトリック調布教会


構内の一番手前、外部の人が一番入って来やすい場所に、調布教会はあります。

華美な飾りはないけれど、格調高い感じがする教会です。

祈りのひと時が持てることに感謝。



カトリック調布教会

十字架

教会内

教会内

祭壇の十字架




 今度は府中へ♪

カトリック府中教会


調布教会の余韻を引きずりながら府中へ。今度はカトリック府中教会です。

今日はお祈り会だそうで、聖堂内で信徒さんたちが静かに祈ってらっしゃいました。

見知らぬ私たちにも「良かったらお祈りしていってください」と声をかけてくれたので、少し祈って出てきました。



カトリック府中教会

教会案内

十字架

入口

聖家族像

庭の像

聖堂の窓辺


カトリック府中墓地


続いてカトリック府中墓地へ。ここは東京大司教区の墓地。遠藤周作やゼノ修道士のお墓があるというので、以前から来てみたかったのです。

一般の霊園と違って、クリスチャンのお墓ばかりなので、全体的に統一された雰囲気。

でも画一的ではなくて、墓碑も様々なので、面白いといったら不謹慎かもしれませんが、見ていて飽きません☆



東京大司教区司祭の墓

昔の司祭のお墓

神父さんのお墓

土井枢機卿のお墓

ゼノ修道士のお墓


司祭のお墓の中に名前が見つからず、夫と手分けしてゼノ修道士のお墓を探します。

15分くらいしてようやく、49号という区画に見つけました。

私たちが知らない人たちの中にも、神と人に仕えた素晴らしい人たちがたくさんいるんでしょうね。


ゼノ修道士のお墓

ゼノ修道士のお墓

聖パウロ修道会の墓碑

喜多見教会の墓碑

遠藤周作のお墓


遠藤周作のお墓も見つかりました。区画は46号。とてもシンプルで、ミニマムな感じです。

墓譜を見ると、遠藤周作のお母さんも一緒に眠っていらっしゃるようです。

このお母さんがクリスチャンだったことから、周作は洗礼を受け、母を喜ばせるために無理やりに着たダブダブの服(キリスト教の信仰)のせいで、いつしか周作は悩み、もがきの末に、彼にしか書けない文学を生み出すのですが・・・。

遠藤周作については、クリスチャンの中でも好き嫌いが分かれ、賛否両論があります。私は基本的には「好き」派ですが、たまに嫌いになります。何かムカつく感じがして。

でも嫌いになりきれず、又ページを開くのです。「好き」「嫌い」で割り切れない、微妙な気持ち。これを「愛」というべきか否か? とにかく気になる作家です。

《付記》

遠藤周作が入る遠藤家の墓所は、2015年12月にカトリック麹町教会の聖イグナチオ教会地下墓所クリプタに移され、今はこちらにはありません。




遠藤家の墓譜

円谷英二のお墓

円谷英二のお墓

田中千禾夫・澄江夫妻

カトリック府中墓地

鰐淵賢舟のお墓

鰐淵賢舟について

墓地内マップ


カトリック府中墓地に眠る人々


墓地というのは観光名所ではなく、お墓は決して見世物ではないので、物見遊山で出かけるものではありません。だから血縁も面識もない者がやって来て、お墓を探そうとすると、ひと苦労もふた苦労もします。そういう来訪者を想定していないので、案内板などが全く無いのです。

しかし故人にとっては知り合いでなくても、その人を思い、あるいはその作品や業績に心を動かされて、よすがを求めてやってくる者がいても、おかしくないのではないでしょうか。大々的に看板を出してくれなくていいので、せめて訪れたい人は見つけられるように、工夫してもらえないかと思います。

今回ゼノ修道士と遠藤周作、円谷英二、田中千禾夫・澄江夫妻のお墓は見つかりましたが、カンドウ神父や吉満義彦、長谷川路可のお墓は見つけられませんでした。もしかしたらここじゃないのかな?

お墓めぐりの本とかも出てますが、芸能人や有名人ばかりで、それも参考にはしますが、私みたいな者には情報量が足りないんですよね。なんとかなりませんかねぇ。私の関心がディープすぎるのかもしれませんが ・・・(;´д`)




聖堂内


墓地の一角には聖堂があります。

上からの光に照らされて、天に上がって行くように見えるキリスト像。

死者を葬る人たちは、それを仰ぎ見ながら、復活の望みを新たにするのでしょうか。



聖堂

聖堂内

キリスト像

十字架の道行き


 府中にある高札場跡

府中高札場跡


再び車に乗って府中の中心へ。お祭かイベントでもあるのか、沿道は人で一杯。車を下りて、十字路の角を目指します。

ここにどどんと聳え立つ高札場は、なんと江戸時代からの本物! 実際の高札場がそのまま残っているところなんて、そうそうないと思います。

超レアな光景に、一瞬興奮しましたが、高札場の機能を考えると、喜んではいられません。私の背丈の2~3倍もあろうかというビックサイズのこの木造建造物は、単にお触書を張り出す掲示板ではありません。お上の威光を示すために巨大に作られたものであり、人々に畏敬の念を抱かせる舞台装置でもあります。

ここにキリスト教禁令のお触書が、1873(明治6年)まで掲げられていたのだから、口惜しいじゃありませんか。何も悪いことをしていないのに天下の極悪人のように讒言され、キリシタンを匿っただけでも重罪だからと密告するよう通達するなんて。

クリスチャンの私からすると、高札場は負の遺産。負の史跡です。でもそれだからこそ、ちゃんと保存してくれていることには感謝します。人は過去から過ちを学ぶときに、一つ賢くなれるのだと思うから。

今は高札場を見てぷりぷりしている私だって、過去を振り返らなくなるときに、痛い教訓を忘れて、どんなに残酷なことを言うかわかりません。キリシタン迫害から得る歴史の教訓は、クリスチャンである私にとっても、やはり教訓なのです。




府中高札場跡

現存する高札場

高札

解説板


 多磨霊園がんばる!

多磨霊園


少しずつ日が傾いてきましたが、最後に大物が控えています。それは多磨霊園

有名な芸術家や政治家などのお墓がひしめき合う、広大な墓地です。キリスト教関係の人々のお墓もあるので、いつかまとめて見てみようと思っていましたが、それが今日と相成りました。

さあ時間も押しているので、早速駆け足で回ってみましょう ((((=・o・)ノゴーゴー


植村正久

明治・大正期のキリスト教の代表的指導者 。

グレシット

明治~昭和の宣教師で、 キリスト教保育指導者。

相馬黒光

押川方義に受洗。相馬愛蔵と結婚し新宿中村屋を創業 。

西園寺公望

政治家。











アレキサンダー

宣教師。

高橋是清

2・26事件で斃れた政治家。ヘボン塾の生徒でもあった。

吉田亀太郎

明治期の牧師。

吉野作造

大正デモクラシー。クリスチャン だった。











石井筆子

教育者、社会事業家。

山本五十六

軍人。

東郷平八郎

軍人。

内村鑑三

キリスト教指導者。お墓は日本で最初の洋型墓石だという。












多磨霊園のモニュメント


見たいものの十分の一も見ていませんが、リベンジ決定。到底回りきれません;;

東京ドームいくつくらいになるかは知りませんが、車で一周するだけでも相当時間がかかります。バス停、いくつもあるし。

日暮れと同時に終了だなと思いつつ、怒涛の墓めぐり続行。数日前に降った雪が残る墓碑あり、ぬかるみありで、前途多難、大いに不安ですが・・・。


湯浅治郎

明治・大正期のキリスト教社会運動家。

新渡戸稲造

国際連盟の事務次長を務めた教育者。 「武士道」の著者。

新渡戸稲造像

クリスチャンで国際平和に貢献。お札にもなった。

三谷民子

明治・大正・昭和期の教育者、クリスチャン。












中田重治

明治~昭和期の牧師。再臨が1936年にあるとまで言った。

岸田国士

脚本家。 女優岸田今日子の父。

押川 清

牧師の押川方義の次男。日本プロ野球創設者。

ゾルゲ

有名なスパイ。同志の墓も隣に。











木下杢太郎

(太田正雄之墓)詩人、文学者、医学者。

酒井勝軍

明治・大正・昭和期の独立伝道者。

五十嵐健治

日本初のクリーニング事業家、伝道者。

伊東静江

キリスト教教育者、大和学園創立者。











山室軍平

日本救世軍を創立したキリスト者。

金森通倫

明治・大正・昭和期の牧師。自民党・石破茂の曽祖父。

有島武郎

明治・大正期の小説家。 クリスチャンだったが自殺した。

長谷川町子

「サザエさん」の作者。聖公会のクリスチャン。











三島由紀夫

(平岡家之墓)。 作家。市谷駐屯所で割腹自殺した。

大平正芳

総理大臣を務めた政治家。聖公会のクリスチャン。

北原白秋

日本を代表する詩人、文学者。

山室軍平の碑

救世軍司令官。歌が刻まれている。













人生とは何ぞや


寒さにかじかむ手を温めながら、シャッターを押して回りましたが、フラッシュなしには撮れなくなって、本日は終了ということに。まあ、よく頑張りましたよ。計画性があればもっと良かったとは思うけれど。

これだけ多くの人のお墓を一気に見ると、生きている時間は一瞬なんだなと感じます。肉体は一瞬だけ生きて死んで、あとはずーっとお墓があるだけ。

それぞれの人が自分の良かれと思う道を歩み・・・そして皆お墓に入るのです。逆に言えば人生とは、自分に与えられた時間のことをいうのだなと、寒風の中で悟りました。

命の時間が終わったら、私はクリスチャンだから主の元に行きたいと思うのだけど、そこで問題となるのが天国という世界。天国は愛の国だから、言うなれば愛がその国へのパスポート。でも私に、肝心の愛が欠けてたらどうする?

肉体がなくなっても残るくらいの、強くて深い愛を持ちたいし、自分の中にそれを育んでいけるような生き方をしたいです。人生という、ほんの一瞬の時間を使って・・・。
大切なことを悟らせてくださる方に感謝して――
((((* ̄ー ̄*)†アーメン~~~





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