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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 ゴーゴー三多摩!その⑧

 八王子へ♪

   

            
            今日は八王子散歩です♪
            ルイス・フォンテス神父のイコン展を
            見るためなのですが
            同時に八王子の気になっている場所に
            是非行ってみようということで☆
            佳い一日になりますように!!



カトリック八王子教会の墓地、丸山墓地

カトリック丸山墓地


最初に向かったのはカトリック八王子教会の墓地、丸山墓地です。決してメジャーではないこの墓地にやって来るのは、お墓参りの人々。

普段着なのは私たち(私と夫)だけなので、若干浮き気味ですが、とりあえずお墓を探さねば。見たいのはメイラン神父と山上卓樹(やまかみ・たくじゅ)のお墓。八王子のキリスト教史に大きく貢献した人たちです。

カトリック丸山墓地
カトリック丸山墓地
カトリック丸山墓地
マリア像
カトリック丸山墓地
十字架

メイラン神父のお墓

メイラン神父のお墓


墓地を一巡して探してみましたが、お目当てのお墓が見つからず、そこにいた女性の方に「メイラン神父のお墓はどこですか?」と聞いたみたところ、すぐに指差して教えてくれました。

たぶんカトリック八王子教会の信徒さんなんでしょうね。神父さんのお墓の位置をちゃんと把握していてさすがです。

メイラン神父は1892(明治25)年にカトリック八王子教会へ赴任してきたフランス人の神父さん。三多摩地域でのカトリック宣教は、プロテスタント諸派よりも若干遅れて始まりましたが、教派によって分かれることがなかったので、明治から連綿と続いて教勢を保ち現在に至っています。


山上卓樹のお墓

山上卓樹のお墓


近くには山上卓樹のお墓も。初期からの神父さんや信徒一家のお墓は、墓地入口左手の他とは区切られた所に集まっているようです。

山上卓樹はその妹カクとともに、八王子の伝道に尽くした人物。いわゆる被差別部落に生まれ、キリスト教の平等思想に打たれて入信しました。

自らの郷里である元八王子村福岡壱分方に教会を建て、その完成のときには肩を震わせて号泣し、神様の恵みに感謝したと伝えられていますが、この後その教会にも訪れる予定です☆

山上卓樹と妹カク


せっかくなので山上卓樹とカクについて、ちょっぴりご紹介いたしましょう♪

山上卓樹(1855-1931)は1868(明治元)年、横浜でキリスト教に触れ、カトリック神父テストヴィト師から受洗。故郷に聖マリア会堂を建て伝道活動に従事する傍ら、自由民権運動にも傾倒し、28歳で自由党に入党。同郷の山口重兵衛らと文武道場を設立した他、村の助役なども務め、地域の生活向上に尽くしました。

山上カク(1863-1939)は、兄の影響もあって郷里で洗礼を受け、18歳のときに横浜のサン・モール修道会の修道女となりました。布教活動と共に、孤児・貧困者の救済、病人への施薬にあたり、「山の名医」と称されるほどに。そうした活動が認められ、晩年には社会事業功績者として横浜市から表彰され、国からも褒賞を受けました。

この兄妹の活躍を見ると、武相(三多摩と神奈川)における初期のキリスト教宣教は、福祉などの社会活動と結びつき、単に心の問題を解決するだけに留まらず、地上の問題を解決しようとする実践の部分が大きかったことがわかります。これは今日(こんにち)的にも捉え直して、考えていくべきことなのではないでしょうか。


メイラン神父のお墓
メイラン神父のお墓
山上卓樹のお墓
山上家のお墓
山上卓樹のお墓
山上家の墓碑
山上卓樹のお墓
山上家の墓誌

 大久保長安の陣屋跡

大久保長安陣屋跡

大久保長安陣屋跡


さて続いてやって来たのは大久保長安(おおくぼ・ながやす)陣屋跡。現在の産千代稲荷神社です。

大久保長安はキリシタンだとの噂が絶えない人で、おそらくキリシタンの関係者だということで処分を受けたと思うのですが、信仰者だったかというと、そうではなかったように思います。

簡単に言うと、キリシタンもどき。あ、私見ですけど。八王子では随分とリスペクトされているようなので、「もどき」なんて言い方すると叱られそうですが・・・。


大久保長安陣屋跡
産千代稲荷神社
大久保長安陣屋跡
今年は没後400年
大久保長安陣屋跡
新聞記事
産千代稲荷神社
産千代稲荷神社パンフ

大久保長安陣屋跡の碑

大久保長安陣屋跡の碑


「大久保家記別集」には大久保長安をキリシタンだと書いてありますが、その信憑性はクエスチョンマーク。

しかし奉行となって支配した石見・佐渡・伊豆の金銀山で、メキシコで開発されたアマルガム精錬法と南蛮フイゴを用いたことから、南蛮人と関わりがあったことは確か。それで俄然キリシタンだった説が有力となってくるわけです。

ただ、キリシタンだったらこうはしないだろうという点が何点も出てくるので、私としては、信仰者ではなかったろうなと思うのです。たとえば妾をたくさん抱えていたこと。死に際して24人の妾に1万両ずつ配ったとか配らなかったとか。とかく話は大きくなりがちなので、金額に関しては大げさかなとも思いますが、たくさんの御妾さんを引き連れていたことは事実のようです。

また金山奉行の在職中に私腹を肥やしたともいわれています。これまた「私腹を肥やした」というのは濡れ衣かもしれませんが、それにしても相当な財産を蓄えていたことは本当らしいので、この蓄財と妾という2点だけでも、信仰深い人だったということはないだろうと考えるしかないのです。しかし大久保長安がキリシタンであるという噂は、人々の間に広がっていたようです。

大久保長安の死


大久保長安は1612(慶長17)に中風で倒れ、翌年駿府で亡くなります。遺体は甲斐に葬られる予定でしたが、政敵の本多正純が長安の不正を訴えたため、徳川家康は激怒して、八王子陣屋(それがたぶんココ)を捜索させ、金銀70万両と多くの文書を押収。それによって(死んでいるのに)死罪が言い渡され、死体は安倍川の畔で火焙りにされました。

この死後の扱いについては、キリシタン禁教令と関係しているのではないかといわれています。なぜならこの翌年から幕府は禁教令を全国に拡大。江戸市中では信徒たちがどんどん捕まり、処刑されていったのですから。

大久保長安自身はキリシタンでなかったか、キリシタンであっても信仰がほとんどなかったか、どちらかだと思いますが、そんなキリシタンもどきの彼をも許しておかないくらい、家康の不信は根深かかったのだということがわかります。


大久保長安陣屋跡
神社の鳥居
大久保長安陣屋跡
解説板
大久保長安陣屋跡
400年祭
境内の巨樹
境内の巨樹


 八王子同心にも関心が

甲州街道

甲州街道


陣屋跡から甲州街道へ出て、追分町方面へ。追分とは道の分岐点(逆から見ると合流点?)。その近辺に八王子同心の碑があるというので一目見ましょうということで☆

「碑碑碑・・・」と車窓から探したものの見つからず、やっぱ歩いてみなきゃわからんわいと下車。ちょっとは動けよだし。

この甲州街道も確か大久保長安が整備したんじゃなかったかなぁ。なかなかやります。実力があって目立つ人だったのかも。それで周りからは疎まれたり妬まれたりしたのかな? わからないけど。段々大久保長安のことが気になってきました。いつか佐渡の金山跡にも行ってみようかな (-_☆)キラーン


甲州街道
甲州街道の道標

八王子同心屋敷跡記念碑

八王子同心屋敷跡記念碑


追分から甲州街道と違う道に進んだ所にありました、八王子同心屋敷跡記念碑!

道と道の間の中洲のような場所に碑がどっしりと据えられています。

ここに八王子同心とよばれる千人のサムライがいたわけですが、この組織を最初に作ったのも大久保長安。

時代は下り1800年代にこの人たちが北海道開拓に行くのですが、その時のリーダーが原胤敦(はら・たねあつ)という人物。原姓で「胤」がつくことから考えて、あの千葉県にいた千葉氏の分家、原氏の一族じゃないかと思われますが、如何でしょう?(誰に訊いてるんだろ・・・) 

原一族ならキリシタン殉教者原主水とか明治のクリスチャン原胤昭と関係があるんじゃないかと思うんだけど、如何ざんしょ!? ・・・。どこからも答えはありませんなぁ(当然か)。やっぱり自分が知りたいことは自分で調べなきゃです。ああ、来てみたけど、感動していいかどうかがわからない。。ヽ(TдT)ノアウー


八王子同心屋敷跡記念碑
上から見た碑
八王子同心屋敷跡記念碑
屋敷跡記念碑
解説板
解説板
解説板
解説
解説板
解説
解説板
年表
古地図
古地図
八王子同心屋敷跡記念碑
八王子同心の碑


 八王子の奥地へ

カトリック泉町教会

カトリック泉町教会へ


ここまでで相当時間を食ってしまったので、とりあえず絶対に外したくないカトリック泉町教会へ☆

八王子郊外のこの地域は、昔は貧しい農村だったそうですが、今はそんな感じではありません。のどかとも言えない半農村半町?

コンビニに停車して買い物&お昼。教会はすぐそこなので、車を置いて向かいます♪

カトリック泉町教会

カトリック泉町教会


山上卓樹が中心となって建てたカトリック泉町教会は現在は巡回教会。常駐の神父さんがいないので、いつもは閉門しています。

しかし、こんな中途半端な田舎に・・・と言ったら失礼ですが(スミマセン)、ほんとにこの教会、珠玉の美しさですよ。こんな愛らしくてステキな教会、めったにお目にかかれません!

建物正面には「1877-1927」の文字が。1877は教会が建てられた年で、1927はその教会が無くなった後、再建された年だそうです。

この教会が建てられたとき、感謝で男泣きした山上卓樹の気持ちがわかるような (@⌒ο⌒@)


カトリック泉町教会
カトリック泉町教会
カトリック泉町教会
1877-1927
カトリック泉町教会
聖マリア教会堂
カトリック泉町教会
マリア像


山上卓樹も来た泉町会館


教会の近くにあるということなので、山上卓樹の同志の家があった所にも立ち寄りたいと思います。

14時からルイス・フォンテス神父による解説があるので急がなければなりませんが、せっかくここまで来たので一目、いえ一足踏んでおきたくて♪

現在は泉町会館という、地域の集会所みたいな施設(公民館?)となっています。


「先覚之碑」

「先覚之碑」


敷地の一角に「先覚之碑」が☆

自由民権運動の拠点となったことを記念したものです。

ここには板垣退助も来たことがあったのだとか。ザ・自由民権ですねー。

カトリックとプロテスタントの差こそあれ、2人は同じクリスチャン(板垣退助はプロテスタントのクリスチャンで、宣教師さんと一緒に伝道旅行に行くくらい熱心だった)だから、話が合ったのではないでしょうか♪



泉町会館
「先覚之碑」
「先覚之碑」


 ではイコン展へ!

東京純心女子大学

東京純心女子大学へ


さて本日のメイン・イベント「イコン展」に参ります☆

会場である東京純心女子大学は山上卓樹の故郷よりも更にもっと北。昔は相当、山(農村でもなく)だったんじゃないかと思われる地域にあります。

今回来てみて、八王子というのは学園都市なんだなと思いました。大学も専門学校もたくさんあって、いずれも広い敷地でのびのびとした感じ。同じ都内でも、大都会で学生生活をする人とはものすごい差があるのではないかと思いました。良し悪しは別として (*゜.゜)


東京純心女子大学

東京純心女子大学


到着しました、東京純心女子大学!
中高一貫の女子校が併設されていて、今日は中高等部のスポーツ大会のようです。

「イコン展」はそこにみえる保護者たちに寄ってもらえるように企画されたもののようです。

東京純心女子大学は長崎の純心女学院の東京版で、創立したのはカトリックの女子修道会。現在の学長は浦田カズ代さんで、名古屋のカトリック教会のステンドグラスを制作された方です。

東京純心女子大学
校内の聖像
東京純心女子大学
東京純心女子大学
東京純心女子大学
校内の噴水
東京純心女子大学
校内の噴水

ルイス・フォンテス神父「イコン展」

イコン展


イコン展のやっている建物に入りましたが、意外にも人影はまばら。同じ時間帯にやっているコンサートがあるからでしょうか。

学生の手作りであろう看板の横に受付があり、学長さんが座っておられます。教室一つ分くらいの会場に入ると、おお、フォンテス神父が!!

神父はたった一人の来場者にイコンの説明をしていて、私たちが微笑んで会釈すると、手招きしてくれました (*゜∇゜)キャー♪

ルイス・フォンテス神父について


ルイス・フォンテス神父は、日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルの長兄ミゲルの15代目子孫に当たる方で、今年で神父になってから半世紀。ザビエル師の遺志を継いで来日し、以後数十年にわたって日本各地で活動し、現在は福岡にいらっしゃいます。

四谷の上智大学で教えていたこともあり、とても人気があったといいます。私がこの方のことを知ったのはTBSの「世界ふしぎ発見」で、そこでザビエルの肖像画のポーズをして、「私は誰の子孫でしょう?」という問題を出してました♪

その時番組で、日本で初めて教会での結婚式を行うようにした人だとも紹介されていて、その頃は山口のカトリック教会にいらっしゃいました。それが非常に印象に残っていて、後に山口のその教会にも行ってみましたがお会いできず、どこかに移動になったのかなーと思っていたのですが。

イコンと殉教者


フォンテス神父(帰化して「泉類治」の日本名があります)の解説は、東欧のイコンの話から聖骸布、更に殉教者の話へと。もう私たちの関心事そのものです。ありがたやー(はれるやーと言うべきかっ?)。

個人的にも対話することができ、とても楽しかったです♪♪
実際にお会いしてみて感じたのは、清廉さとお茶目さ。表情豊かなくりくりした目元はまるで少年のようでした。ザビエルもそんな人だったのかなぁ、、、と想像がふくらみ、心が晴れてくるような。

フォンテス神父が日本にいらっしゃることによって、私たち日本人はザビエルのことを単に偉大な人物としてでなく、実在した人間としてリアルに感じられるのだと思います。そして神父の真心と優しさに出会うとき、ザビエルもまた日本人を愛していたのだとはっきりと実感できるのではないでしょうか。

人の存在価値や意味を勝手に規定してはいけませんが、みこころを感じ、感謝すべきこととして、自然に自然に神父が果たしていらっしゃる使命があることを感じました。神父御自身は、神と人を愛し、自然体で生きてらっしゃるんだと思いますが。。(゜ー゜*)


ルイス・フォンテス神父「イコン展」
イコン展チラシ
ルイス・フォンテス神父「イコン展」
ルイス・フォンテス神父
ルイス・フォンテス神父「イコン展」
会場の建物

純心女子大聖堂

聖堂


ミッション系の学校に来させてもらったので、聖堂(ミッション系出身者は大抵「聖堂」と書いて「おみどう」と読む)へ。

装飾を最低限に抑えたシックな感じで、家の中の礼拝室のよう。

この自然体もまた、修道会の清さと美しさに通じているかと。しばし瞑目してお祈り。外からはスポーツ大会の結果発表と表彰式の音声が聞こえてきてますが。。( ̄ー ̄ )マ、ソレモヨシトシテ


純心女子大聖堂
学内の聖堂
純心女子大聖堂
祭壇のキリスト像
純心女子大聖堂
司式台
純心女子大聖堂
窓辺の聖母子像

ロードサイドの大久保長安

帰路


本日の主な目的は果たせたので、さてと帰りますかな。
八王子市から出ようとすると、ロードサイドの大久保長安(でっかい看板)が、「さらば。また来いよ」。

振り返ると市内に入って来た者に「よく来たな」と言ってました。八王子は大久保長安の町として認識されているようです。少なくとも観光協会的な方面では。

幕府から罪人とされ、遺体を火焙りにしてさらされたにも関わらず・・・。日本では死んで時間が経ったらチャラなんでしょうか? 時代が変わり「やっぱあの人いいよね」ってことになったら、リスペクト開始しても構わないという慣習があるのか、ないのか、日本人なのにわからない私。

しかし時を経て本当のことがわかることもあるわけで、その際には潔く功績を認めて素晴らしいと認めるべきだと思います。私は殉教者に興味を持っているけれど、彼らはみんな誤解された人々。悪者にされ殺された人たちです。

だから歴史が進んでからでもいいから、彼らのことを正当に評価してあげたいです。大久保長安がどんな人だったのかは、まだもうちょっと勉強してみないと何とも言えませんけども、ね☆



三多摩をめぐって


ゴーゴー三多摩!ということで
各地を回りながらずっと頭にあったギモン。
人は必ず死ぬのに どうして生まれてくるんだろう――。

安易に答えを出すことではないだろうけど
思い切って答えを出しちゃおうと思います。

それは天国に行くためだ、と。
この世があるのは、こんな矛盾と混沌の中にあってなお
目に見えないものの価値を信じ、真実なるものを見つけるため。
そのためにもがくため、戦うため。

そのもがきが魂に刻まれ
人を真に輝くものに変化させるのだと思います。

類は友を呼ぶといいますが
自分を練り、天国にふさわしく作ったら
それが道となって天国に導かれるのではないかと。
今回のショート・トリップを通して、そう感じました。

一般にキリスト教では
「イエス・キリストを信じて死んだら天国」と言うから、
こんな考え方、何もわかってないと笑われるかもしれませんが
個人の勝手な見解なのでお許しを<(_ _)>

個人の勝手な見解ではありますが・・・
そう信じて、自分を作っていきたいです。
矛盾と混沌、あれこれどっさりあるこの世でもって。
天国コースの人生って、そう簡単じゃなさそうですが。。

愛と希望で、そして感謝で!(*゜▽゜ノノ゛ソレユケ、ワタシ☆
ここまでお読みいだだき、ありがとうございました♪





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