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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 伊勢路を旅して ⑥


       今回もお墓参りと親戚回りを兼ねているので
       少ししか時間がありません (*゜ー゜)>
       それでも御心のあるところに導いてもらえるよう祈りつつ、行ってきます!


新幹線で


新幹線で名古屋に出、そこから近鉄で松阪へ。今日は松阪にある教会を踏破したいと目論んでいます☆

天気予報は雨とのことで、まだ降り出してはいないものの、曇り空は今にも泣き出しそう。ちょっとくらい降ってもいいから、ざーざー降りだけはご勘弁をと神様にお願いします ( ̄人 ̄)オネガイ♪

カトリック松阪教会


松阪駅でレンタカーを借りて、まずはカトリック松阪教会へ。

カトリック教会なら中に入ってお祈りできるかなと思っての選択でしたが、今日は(いつも?)閉まっているよう。

外観だけで残念ですが、木の鐘楼が珍しい優しい感じの教会です♪


カトリック松阪教会

カトリック松阪教会

カトリック松阪教会

カトリック松阪教会

日本基督教団 松阪教会


続いて日本基督教団の松阪教会へ。立派な新しい聖堂がまばゆいです。

栄えているんですね。敷地内の植栽にも聖句が書かれていて、通りがかりの人にも福音を伝えていこうとする姿勢が見えます。

伝道活動も活発なのかもと思いました☆

日本基督教団松阪教会

日本基督教団松阪教会

日本基督教団松阪教会

日本基督教団松阪教会

松阪ルーテル教会


ルーテルの教会にも来てみました。ルーテル教会は、宗教改革で知られるマルチン・ルターに始まる教派。

パッヘルベル、J.S.バッハ、メンデルスゾーンなど著名な音楽家が所属していました。

ルター自身が作詞作曲を手がけ、朗々としたバスで讃美歌を歌っていたので、その伝統が受け継がれているんでしょうね♪


松阪ルーテル教会

牧師館か旧聖堂?

ルーテルの文字

松阪ルーテル教会

 松阪商人の館へ☆

松阪商人の館


軽く有名どころも観光してみようということで、松阪商人の館。

中に入っていったら、私たちの後に来たグループに女性タレントの姿が。

そっか確か名古屋出身だもんね。家族か親戚と来たのかな。テレビに出てないときは普通に暮してるんだ(当たり前か)☆

小津家に伝わるクルス鏡


さて松阪商人の館という「いかにも」な観光施設に来てみて、それなりに当時の様子をうかがえて楽しめるのですが、すこーし物足りなさを感じているところで大きな発見をしてしまいました (-ω☆)キラリ
ここ、小津家の本家だったところなんです!

小津家は松阪の豪商の一つで、現在も小津グループとして営業しているのですが、始まりは松阪の地。松阪の城下町を整えた蒲生氏郷は、松阪の地を商業都市にするために、故郷である日野から商人を呼び寄せたり、「楽市」という自由市場経済の仕組みを実践。その一翼を担うものとして小津家も蒲生氏郷の御用を勤めていたのです。

そ・し・て、蒲生氏郷はキリシタンだったので、氏郷から小津家に下賜されたり、何らかの形で小津家に譲られた物の中に、キリシタン遺物(?)か、キリシタンと関係がありそうな物が含まれているのです。氏郷が使用していたとされる茶杓などは、たぶん小津家が拝領したんじゃないかと。

小津家に伝わるキリシタンと関係あるかもしれない品は以下の物。
1、クルス鏡(裏面に十字がついた鏡)
2、蒲生氏郷が使用していた茶杓
3、氏郷の子、蒲生秀行の歌が書かれた短冊
4、氏郷への安堵状(領地の加増を証明するもの)
5、青銅製の踏絵(近年になって贈られたもの)

「どうだろう?」と思っちゃう物もあるけれど、偶然訪れた観光施設がキリシタンに関係していたのだから、ちょっと興奮します。ここで売ってた「蒲生氏郷の生涯」という小冊子も買っちゃいました♪


松阪商人の館

内部

内部


内部

万両箱

内蔵

小津清左衛門の家跡

三井家発祥の地


同じ通り沿いにある三井家発祥の地にも立ち寄ってみました。徒歩1分なので。

江戸に進出してバリバリ発展していった商店の基礎がここにあったとは、松阪もなかなかです。

今では伊勢商人という言葉も知られてませんが(私が知らなかっただけか?)。


三井家発祥の地

三井家発祥の地

前のストリート

高札場跡


ついで、というか、ちょっと狙っていたのがこの場所(←)。高札場があった所です。

元々こちらに来てみたくて、松阪商人の館に近いからそこのパーキングに入れて見学して、ここに来ようと思っていたのです(普通逆でしょうね。それからパーキングはありませんのでお気をつけを☆)

1635(寛永12)年9月7日、幕府は諸大名に対して領内での宣教師やキリシタンの捕縛を命じ、津藩では9月20日にその旨を布令したという記録があります。

なのでここにキリシタン禁制の高札がでかでかと掲示されたと考えられます。豪商が軒を連ねたストリートだったからこそもっと、しっかりと建てておいたんではないかと。


高札場跡

高札場跡

ソウルフードは伊勢うどん♪


幼い頃から親しんできたので、三重に来たら伊勢うどんを食さずには帰れません。ソウルフードというんでしょうか♪

蒲生氏郷が松阪にいた期間は10年にも満たないけれど、その間にキリシタンになったし、城下町を整えて商業の基盤を作ったし、氏郷にとっては理想を追い求めて走り抜けた時代だったんじゃないかと思います。

この後会津に行って、戦場を転々として、最後は京都で亡くなるのだけど、生涯思い出し続けた町だったと思うんですよね、松阪は。ちょいと贔屓めな見方ではありますが (o ̄∀ ̄)ノ


 田丸城跡へと向かいますヽ(‘ ∇‘ )ノ

田丸城跡


待ち合わせの時間が気になったけれど、行っちゃえとということで、車を飛ばして田丸城跡に。遺構っぽい物が少し残ってるだけかと思っていましたが、予想をはるかに上回る見栄えです。最近になって整備されたのか真新しい解説板が目立ちます (・0・。)ホホー

本丸虎口


ちらちら空から舞い落ちてくる雨は冷たいけれど、夢中になって先を急いでしまう私。

こんないいお城を素敵に残してくれるなんて、度会郡(わたらいぐん)よ、ありがとう!

いや神様よ、感謝します (^▽^(^▽^*)

田丸城跡

石組み

本丸虎口

本丸虎口解説板

本丸跡


本丸に天守はないけれど、石組みが残されています。

ここは織田信長の息子でキリシタン大名の織田信雄が建てた城。伊勢の領主北畠氏の本城として使われましたが、その後蒲生氏郷の持城になり、氏郷の妹婿の田丸直昌が城代に。

蒲生氏郷が会津に転封となったときに田丸氏は三春城に移ったので、この城は牧村利貞の預かりとなり、その父稲葉重通が城代となりました。

織田信雄、蒲生氏郷、牧村利貞という3人のキリシタンにゆかりがある田丸城だから・・・、神様が素敵に残してくださったのだと私が考えても、無理はないと思ってもらえないでしょうか (*^.^*)?


本丸跡

石段

遺構

本丸跡から

 ずっと気になっていた本居宣長奥墓

がっつり食べなければ!


親戚回りとお墓参りをして、ちょっと疲れました。気分的に。
こうゆう時はがっつり食べなければということで、カツ丼!
食べて力出てきたよ、カツ丼 (○゜ε^○)vィェィ

そもそも三重県には・・・


そもそも三重県には4人のキリシタン大名がいました。だけれど当地に留まった時間は短く、キリスト教の布教といういう面では力を発揮したとは言えません。

牧村利貞は1584(天正12)年、グレゴリオ・セスペデス神父から洗礼を受けて、信仰の模範を見せたので、それが蒲生氏郷にとっては証となって、氏郷が受洗に至るきっかけの一つともなったとされる人。1590(天正18)年、多気で2万石の岩出城主になりましたが、1593(文禄2)年、朝鮮出兵中に病死してしまいました。

1584(天正12)年に松ヶ島12万石の城主となった蒲生氏郷は、翌年に洗礼を受けましたが、1590(天正18)年に会津42万石城主となり去って行きました。

1585(天正13)年、上野20万石城主となった筒井定次は、1592(文禄元)年にアレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父から受洗しましたが、1608(慶長13)年、今治藩に預けられ、その後切腹。

1583(天正11)年から神戸城にいた織田信雄は、1587(天正15)年にアントニオ・プレネスティーノ神父から洗礼を施されましたが、1590(天正18)年に下野(栃木県)の烏山に流されてしまいました。

戦国の世で、人は時の波に翻弄されるしかなくて、腰を落ち着けることなどできなかったのでしょうね。

妙楽寺


がっつり食べてしんみり考えた後には、ちゃっかり観光です。

親戚の入っている老人ホームの近くに、以前から気になる案内板があったんですよね。「本居宣長奥墓」という。

今日はついでに寄ってみたいと思います。本居宣長奥墓には妙楽寺にあるということで、まずはお寺へ。

図らずも、すっごい神秘的な風景になっています。霧雨と気温低下でここは冥界ですか、みたいな。とにかく怖いです。夫の姿が木々に隠れると不安で泣き出しそうになります(゜ロ゜;)コワイドー



妙楽寺

妙楽寺

妙楽寺

妙楽寺

本居宣長奥墓


本居宣長のお墓は、妙楽寺から少し登った山の中腹に。

「奥墓」は「おくつき」と読むようです。

近くには没後の弟子平田篤胤の建てた碑などがあります。

本居宣長は松阪の生んだ偉人だし、本居宣長記念館を見て業績を知り、尊敬していたけれど、何か、なんだろうなぁ、ちょっと思ってたのと違って・・・。奥さんと別にここに墓所を定めたのが理解しにくいし、元々のお墓は古墳風で何だかなぁだし、一言で言うと好印象を持てません;;

この雰囲気、天候のせいもあるけど、この人の行った(至った)世界がこういう所なのかなと思いました。



奥墓への道

本居宣長奥墓解説

本居宣長奥墓

平田篤胤の碑

新生ルーテル教会


松阪市内の中心部に戻って、もう1ヶ所教会へ。中に入れなくてもせめて教会を見て、栄養みたいなものを吸収しておこうかと思いまして ( ̄¬ ̄*)ジュルルゥ

新生ルーテル教会です。三重県で唯一、パイプオルガンの伴奏でミサを行える教会なんだとか。


教会案内

アーメン!です

新生ルーテル教会


        キリシタンの面影を求めているので


        キリシタンの面影を求めているので、
        それに関する物事が目に入ってくるけれど
        関心興味の目が閉じたてたら、何も知覚できない。
        実際の目は開けていても、全然見えてないこともあるんだと思う。

         また人間は思いついたときは、それを一生忘れないようでも、
         ある瞬間、跡形もなく脳から消えてしまう。

          知りたいことへの目を開けて、繰り返しインプットして
          薄れていかない情熱と感動を持ち続けたい――。
          そんなことを感じた春なのでした o(*'▽'*)/☆









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