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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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長崎巡礼 ~五島列島

   <主な訪問地>
  久賀島
   ★浜脇教会
   ★旧五輪教会
   ★牢屋の窄
  福江島
   ★堂崎教会
   ★楠原教会
   ★水ノ浦教会
   ★三井楽教会
   ★貝津教会 

 早起きして福江港へ

ホテルのフロントにて


今日は朝6時40分に出発するシーガルという船に乗って、久賀島(ひさかじま)に行き、観光して9時35分の便で福江島に戻ってきて、今度はレンタカーで回る予定。
なかなかハードスケジュールです(毎日ハードだという説も・・・)

シーガルという船の乗り方がわからなくて、昨日港でチケットも買えなかったので、少し早めに福江港に行こうと6時過ぎにフロントに下りていくと、誰もいませんでした。

「さすがにまだ出勤してないんだよねー」といいながら、フロントに並べられているお土産などを見ていると、表紙が椿の花で、裏面に観光関係の電話番号載った、小さな地図がありました。観光案内所に行ったらもらえそうな感じのイラストマップでしたが、価格は210円。普段なら買いませんが、朝食の便宜も図ってもらったしということで自分へのお土産にしようと思い購入。

チェックアウトして港に急ぎます。

福江港


朝の福江港は閑散としてGWの混雑に慣れている身には新鮮でした。

大きな荷物をコインロッカーに入れましたが、さて・・・久賀島に行く船、シーガルにはどうやったら乗れるのでしょう?

フェリー乗り場


シーガルが入港してきたら、船長さんにチケットの買い方を聞こうかと思い桟橋にいくと、船はほどなくして現れました。

チケットは船に乗る際に直接シーガルのスタッフから買うようです。
初めての土地って要領がわからなくて焦ります。


五島の海


五島の海は真っ青で、地中海を思い出すような爽やかさ。この海を愛する人が多いのがわかります。

船に無事乗れた安心感で私は少しハイになりました。ずっと行きたかった牢屋の窄(さこ)に行けるなんて、なんと幸せなんだろう!!


久賀島の港


20分ほどで到着した久賀島は、福江港以上に閑散としていて、港というより桟橋という感じ。
人が乗り降りできる桟橋が港湾施設のすべてです。シーガルには私たちを含め3組のグループが乗船していて、降り口の関係で、私たちが一番遅く降り立つことになったのですが、それが運命の分かれ道でした。

最初に降りた私たちぐらいの年頃の夫婦が、島に一台しかない流しのタクシーに乗って行ってしまい、次に降り立った4人の家族連れ(おばあさんと息子、その嫁と子供)は予め呼んであった車(臨時のタクシー)に乗り込んで、私たちが乗り込める車はありませんでした・・・><;

「他のタクシー呼んでもらうことできませんか?」
夫がタクシーの運転手さんに聞きにいってくれましたが、他に車がないということで、希望が打ち砕かれました。

「牢屋の窄に行きたかったのに・・・どうしよう」シーガルの船長さんに言ってみると
「うーん、浜脇教会までは歩いていけるけど、牢屋の窄はどうだろう・・・。がんばれば行けなくもないかなぁ・・・」と歯切れ悪い返事。普通は歩いては行けない距離だということなのでしょう。

もう万事休すです。シーガルも出航してしまい、港には私たちだけが取り残されてしまいました。
仕方なく浜脇教会に向かって歩き始めます。

浜脇教会


15分くらいで浜脇教会に到着。ここも来たかったところの一つで、来られてうれしいのはうれしいのですが心中は複雑です。

行けるところまで行ってみようと牢屋の窄を目指します。日差しが照りつける長い坂道。距離は約3キロです。坂道を登り始めて5分で、目的地には行き着くことができないと悟りました。平地ならまだしも、この坂道を折り返し峠を越えていくには相当時間がかかります。久賀島にいられる時間は約2時間半。完全に無理です。無理だとわかっても諦めたくなくて、もう5分歩いて諦めました。

諦めて浜脇教会に向かっていると、涙がぽろぽろ出てきました。五島列島を旅程に組み入れたのは牢屋の窄に行きたかったからなのに・・・。船の中で浮かれてないで、さっさと降りてタクシーに乗ればよかった。

私たちをおいてタクシーで去っていったあの夫婦、なんで後の人のこと考えなかったんだろう? 相乗りさせてほしかったけど、気づいたときにはもういなかったし。ああ、再びここに来るなんて、なかなかできないことなのに・・・。神様、どうしてなんでしょう。

一番来たがっていた私たちが、取り残されたのはなぜなんですか。
神様に対して文句を言うのはよくないと思ったので、自分の気持ちを整理して落ち着くために、聖堂に入ってお祈りしました。

浜脇教会内部


天井の高い、きれいな教会。
聖なる雰囲気と温かさにあふれています。最初は泣いたけど、静かに祈っていると、心が次第に落ち着いてきました。

「みこころならば行かせてください」と祈ったのだから、みこころでなければ行けなくても、文句を言う必要はないのだと。みこころはその時その場では過酷に思えても、いつも一番良い道に続いているのだと。

私が行くべきところには、ちゃんと行かせて下さるのだから、何も問題はない。

私の考えが間違っているから、間違っている分苦しいんだとわかりました。

ピンクが基調の聖堂内


私が祈っていると、夫はそっと外に出て行きました。
「神様ごめんなさい。もう泣きません。ここまで来させて下さって感謝です!」
祭壇の上のキリスト像に笑顔で言いました。

ここでゆっくり過ごせることにも、きっと意味があるんだろうと思いながら、しばし写真撮影。
「みこころならばずっとここにいても幸せです」
そう考えたら、自分がいかに幸せかということがしみじみわかってきて、今度は感謝で涙が出ました。

お祈りは心の方向を変えてくれる、一番の助けですね。


浜脇教会の庭


夫はどうしているんだろうと思い、外に出てみると、教会の庭は鮮やかな花で彩られていました。

中に入るときは目に入らなかったのは、視野がそれだけ狭くなっていたのだと反省。夫にも愚痴ってしまって申し訳なかったです。

(夫)「タクシー会社の電話番号聞こうと思って116かけてもさー、オペレーターが久賀島にはタクシー会社ないって言うんだよ。タクシー走ってるのになぁ」
外に出て、116に電話してくれていた夫の優しさに感謝です。
こんなに幸せなのに、それがわかってなかった自分があほだったと思いながら、
「ありがとね、電話してくれて」 ・・・ん? 今何かひっかかるものが・・・。何が気になったのかわからなかったので、花の写真を撮ろうと花壇に寄っていきましたが、再び何かが頭の中によぎって、立ち止まりました。

「あーーー!!」
ショルダーバッグから椿の写真のついた観光マップを取り出して、地図の裏面を見るとありました、「ひさかタクシー」の名と電話番号が!

おお、これはみこころか!? 私たちに行かせてくださろうとしているのか?
いやいや、あのタクシーの運転手さんは他に車ないって言ってたんだから、タクシー会社の電話番号がわかっただけで喜んじゃいかん。

そんなことを考えながら、それでも電話をかけてみます。呼び出し音が続いて、もう切ろうかと思った時つながりました。

(タ)「もしもしー」
(私)「あのー ひさかタクシーさんですか?」
(タ)「あ、そうです」(背後でお客さんらしき人の声。やっぱり乗せてるのね・・・)
(私)「あの、今乗ってるお客さんの後でいいので、タクシーお願いできませんか?」
   しばし沈黙。ああ、ダメかぁ・・・。
(タ)「あ、さっき港にいた方ですよね? 今どこですか?」
(私)「はい。今浜脇教会です・・・って、大丈夫なんですか?」
(タ)「大丈夫だと思います。15分くらい待っててもらえます?」
(私)「あ、はいはい!(よくわからないけど来てくれるんだ!?)待ってます」

夫に会話の内容を話し、どういうことなんだろう?と思いながら待っていると、港で4人の家族連れを乗せていったタクシーの運転手さんが登場。
「今から旧五輪教会に行って、牢屋の窄に行って、9時半の船に間に合って帰ってくることできますか?」
「大丈夫だと思いますが、急いだ方がいいですね」

発車してから事情を聞いたところ、4人の家族連れの人たちは、おばあさんがこの島の元住民で、親族の眠っている墓と昔通った教会に来たくて50年ぶりに来たけれど、教会への道の足場が悪く、近くまで行ったがそれ以上行けそうになかったので、港に戻って一本早い便で福江島に戻ることにしたとのこと。

おばあさんは久賀島に来られたことだけでもとても喜んでいたと聞き、良かったなと思いました。残念無念で帰られたら、タクシー乗るのも気が引けますから。


 旧五輪教会へ

旧五輪教会への道


「ここからは車は入れないんで、歩いていってください」

旧五輪教会に一番近い駐車スペースで降りた私たちは、教会目指して山を下ります。

時間が惜しくてダッシュしていたら、目の前にヘビ発見!!
山はあなどれません;;


旧五輪教会


海辺にたたずむ教会、旧五輪教会。

早速中に入ります。

旧五輪教会の内部


1881年に「浜脇教会」として建てられましたが、今の教会が建てられたときにここに移築されました。

現存する木造教会としては五島列島で最も古く、長崎県下でも大浦天主堂についで古い建物です。
国の重要文化財に指定されています。

飾り気のない木の壁や柱に人々の祈りがしみこんでいるのを感じます。

素朴で清らかで、美しい教会です。

ヨーロッパの聖堂とかも見たことがありますが、ここにはそれとはまったく違う美しさがあると思います。

「こんなに美しい教会、初めて」
私が言うと、夫が頷きました。


旧五輪教会の前の海


隣には新しい五輪教会。

2つの教会の前には、海岸が迫っていて、船で教会にやって来る人もいます。

景色も水も、とても澄んでいます。


 牢屋の窄(ろうやのさこ)

牢屋の窄


つづいてやってきたのは牢屋の窄(ろうやのさこ)。狭い牢屋があった所です。

明治の世になったものの、まだ切支丹禁令の高札が下ろされてなかったため、信仰を告白した信徒たちがここに押し込められました。

牢屋の窄


キリシタン禁教策を引き継いだ明治政府下、キリシタン迫害「五島崩れ」は1868(明治元)年、牢屋の窄から始まりました。6坪の牢に約200人が押し込められ、8カ月もの残酷な責め苦を受け、42名が殉教したのです。

揉みくちゃになり身動きもできず、体が競りあがって足が床につかないほどの牢屋。

誰かが死んでも、役人は死体を外に出すことをしなかったので、死体にウジがわき、そのウジに食い殺された子供もいました。

それでも信者たちは棄教しませんでした。

牢屋跡に置かれた石


十字架のついた塔「信仰之礎」には、殉教者の名前が刻まれています。
今は何もない手前の広場となっている空間が殉教地。もう言葉が出ません。


牢屋の窄殉教者記念教会


殉教地と同じ敷地(向かって左手)にあるのが牢屋の窄殉教者記念教会。

ここの信者席に敷かれたグレーの敷物の大きさが、牢屋の大きさと同じになっています。敷物を踏んだ足先が、じりじりと痛くなるような気がしました。


 思い残すことなく福江島へ

我らがシーガル


一時間半しか時間がなかったにも関わらず、見たいと思っていたところのすべてに行くことができて、そればかりか存外の悟りを得、反省もできて、本当に充実した訪問になりました。これで思い残すことなく福江島に戻ることができます。

タクシーの運転手さんにお礼を言い(料金は6000円でした)、再びシーガルに乗ります。

家に帰ってから他の本を読んでいて知ったのですが、シーガルを運営している会社の社長さんはクリスチャンだそう。牢屋の窄に行きたいと言っていた私たちのこと、お祈りしてくれたかもしれません。乗船する時「無事行けた」と話したら、「よかったですね」と言ってくれてたから。

久賀島の港


こうやって見ると、久賀島の港、とてもステキですね。桟橋しかないなんて言ってしまってゴメンナサイです<(_ _)>

私たちより先にタクシーで去っていった夫婦は、先に港に着いていました。女の人が男の人に熱心に説明をしていましたが、男の人は興味がなさそうでした。

奥さんにねだられて来たのかもしれませんが、それでもみこころがあって来たのだと、いつか気づくといいですね。

快晴なり


9時半発のシーガルは予定通り出航し、福江島に10時前に着きました。

朝方は少し曇っていたけれど、どんどん快晴になってきて、今日は絶好の旅行日和です。

港に迎えに来てもらったレンタカー会社の車で町の中心部に向かいます。


 五島の教会巡りに出発!

福江島に戻って


福江島のトヨタレンタカーは意外にも少し混んでいて、島に渡って来てから初めて「やっぱりGWなんだなー」と思いました。この先の教会巡りも多くの観光客と鉢合わせするのかもと思ったら、少々残念な気持ちにもなったりして。

大浦天主堂みたいにマナーの悪い観光客が多いと聖なる雰囲気が壊されちゃっていやだなぁと思いながらも、教会巡りスタート。あこがれの五島列島教会巡りです♪

浦頭教会


最初に訪れたのは、平蔵町の浦頭教会。
この後で訪れる堂崎天主堂が老朽化したために、代わりに建てられた教会です。

白い大きな船のような外観になっています。 内部の装飾は、簡素だけれど清楚な感じ。今も多くの信者さんが集まっているんだろうなと思いました。


栄林寺


浦頭教会から近そうだったので探して行ってみたのが、このお寺。

ルイス・デ・アルメイダ修道士が、ここを布教所として使っていたはずなのですが、寺内には説明板などがありません。

アルメイダ修道士は医師でもあったので、五島のお殿様、宇久純忠の病気を癒し、ここを布教所として受けるようになりました。

この近くの土地も提供され、五島で最初の教会ができました。アルメイダ修道士が福江に来たのは1566年、1月。同年の11月に福江を去るまでに120人もの人が洗礼を受けました。
当時の人口を考えると、この辺り一帯のほとんどの人が信徒となったのではないでしょうか。


 海辺に建つ堂崎天主堂

堂崎天主堂は、五島の教会巡りのいわばメインディッシュ。大型バスが停まり観光客がたくさん来ていますが、関東の観光スポットの混雑と比べれば、これくらいは「ちょうどいい賑わい」に思えます。


 

堂崎天主堂


海辺の穏やかな風と清々しい空気がそうさせるのか、観光客らもゆったりと天主堂と周りの景色を愛でています。

堂崎天主堂は、今は教会として使われておらず、堂内は五島のキリシタンの受難の歴史を語る資料館になっています。
海に向かって教会が建てられたのは、信徒たちが船で礼拝にやってくるから。
浦頭教会が建てられるまでの60年余りの間は、ミサを知らせる鐘の代わりに、ここではホラ貝が使われていたとか。そのホラ貝が入口に展示されています。





アルメイダを描いたレリーフ


アルメイダ修道士と日本人イルマン・ロレンソが五島第18代の藩主宇久純忠に宣教している場面です。

この宇久純忠はアルメイダ修道士に病を治してもらったのですがキリシタンにはならず、次男の純尭(すみたか・レリーフでは向かって正面左側に座っている男性)が、モンチ神父から洗礼を受けました。

しかし純尭は35歳の若さで亡くなり、跡目を継いだ純玄(すみはる)の時から迫害が始まりました。


聖ヨハネ五島


この島は殉教者を生んだ島でもあり、その像が建てられています。日本二十六聖人の一人、聖ヨハネ五島の像です。

ヨハネ五島はこの島の出身ですが、この島のどこで生まれたのかははっきりわかっていません。両親ともキリシタンの家庭で育ち、長崎と天草のセミナリヨで学びました。

その後大坂に出てモレホン神父の同宿(どうしゅく)になり、一緒に暮らして手伝いをしていたのですが、神父を逮捕しようとして役人がやってきた時に、素早く神父を隠れさせ、代わりに自分が捕まりました。

モレホン神父は二十六聖人の殉教の様子を詳しい報告書を作成して記録しました。神父はその後追放令にあってマカオに行きますが、そこで遺骨となってマカオの修道院に送られてきたヨハネ五島と再会します。

現在その聖遺骨は堂崎天主堂にあり、見ることができます。


マルマン神父、ペルー神父の像


明治政府によってキリシタン禁教令が解かれた次の年、1874年から早速フランス人神父らが巡回宣教師として長崎の島々を回り始めました。

マルマン神父(向かって左の像)は約10年間滞在してキリシタンの教会復帰と子供のための福祉事業に取り組みました。

跡を継いだペルー神父(右の像)は母親の遺産で堂崎天主堂を建て、30年を堂崎で過ごしました。
堂崎天主堂の設計はペルー神父、施工は福江の大工の棟梁・野原与吉がしましたが、このとき野原の下で、後に教会建築の第一人者となる鉄川与助が修行をしていました。


ドミニコ中村神父ゆかりの木


堂崎天主堂資料館には、聖遺物や隠れキリシタンが使っていた暦、マリア観音や殉教の様子を伝える報告書など数々の貴重な資料が展示されていますが、その一角にブラジルで宣教をした中村長八神父の展示があります。

不勉強な私は、この神父さんのことを知らなかったのですが、とてもすごい方なんだと知り、関心を持つようになりました。庭に中村神父ゆかりの木が植えられています。
ドミニコ中村神父ゆかりの木


堂崎天主堂前の浜辺


堂崎天主堂の前に広がる浜辺は、今も穏やかに時を刻んでいます。

引き潮で水が引いた浜辺に、面白い形の岩がごろごろ。
時間があったらここで波と戯れ、遊んでいたいです♪

 教会だけでなく・・・

五島崩れの際の牢屋跡


五島列島の教会巡りというと、ロマンティックな響きがあるので、私もきれいな教会を見たくて回りたいと思ったのですが、教会の周りには牢屋の跡も点在しています。教会だけでなく牢屋跡も訪れながら、島を巡ってみたいと思います。

堂崎天主堂からの道


レンタカー会社のスタッフには、「道が狭いので通れません」と言われた道。地図にはちゃんと載っているし、次に向かう教会への最短ルートだったので、行っちゃいました。

確かに道は狭くて対向車が来たら困るけど、幸運にも対向車にあわなかったので、山と海を楽しめ最高のドライブでした☆

楠原教会



楠原は大村藩の領地、外海から移住したキリシタンの子孫が住んだ所。
赤煉瓦造りなので、一見堂崎天主堂と似ていますが、こちらは煉瓦の積み方がイギリス積。堂崎天主堂はアメリカ積です。力強い感じのする教会堂です。


楠原教会の内部


聖堂は少し薄暗く、高い天井に木製のリヴ・ヴォールトが大きく弧を描いています。

正面祭壇の上にステンドグラスで造られた赤い十字架が印象的で、目を奪われます。
これは信徒たちの流した血をあらわしているのでしょうか。

五島に移住してきたキリシタンたちは、信仰を公にせず平和に暮らしてきたのですが、「信徒発見」の後、キリシタンであることが発覚し「五島崩れ」と呼ばれる受難に襲われることになりました。

困難な中で信仰を守った芯の強さが、
教会の建築にも反映されているように感じました。


楠原教会のファチマの聖母


教会の庭には、ファチマの聖母の像があります。

1917年ポルトガルのファチマという村で聖母マリアが数回にわたって羊飼いたちに現れて、人々が改心して真剣に祈らなければ、大きな災難がくると預言しました。

昨今の世界状況を見ても、悔い改めて祈ることは本当に必要なことだと感じます。


楠原の牢屋跡


楠原教会のすぐ近くに、楠原牢屋跡があります。

明治初頭、キリシタン禁制が解かれないうちに信者であることが発覚したため、楠原地域に住むキリシタンがここに裸同然で閉じ込められ、様々な責め苦を受けました。

牢屋は老朽化して取り壊されましたが、その精神を伝えるために当時の柱等を利用し、復元されました。


楠原牢屋に建つ信徒像



牢屋跡の左手には、信徒像が建てられています。誰が作ったのか知らないのですが、何か立ち止まらずにはいられないものがあります。

信仰ほど美しいものはないのではないか――。この像を見て思いました。


水ノ浦教会


楠原教会から車で5分の距離の所にあるのが、水の浦教会。楠原教会が男性的な感じなのに対し、こちらは女性的な感じがします。

鉄川与助の設計・施工で、リヴ・ヴォールトをもつ教会の最後のもので、現存する木造教会としては日本で最大規模のものです。

最初見た時は、白くてキレイと思っただけでしたが、よくよく考えると、木造でこの大きさすごいことです。

石造りやコンクリートの教会なら、大きな教会を見たことがありますが・・・。

日本の棟梁、あっぱれ!です。
でも鉄川棟梁はクリスチャにはならなかったんですよね。ぬうー。


水ノ浦教会の内部


天井に架かるリヴ・ヴォールトが、目線を高く上げてくれ、同時に心まで天に向かっていくような気持ちにさせてくれます。

ステンドグラスの色が淡いので、射し込む光がとてもやわらかです。
「近所にこの教会があったら、誰でも来るようになるだろうな」と思いました。


水ノ浦の牢屋跡


水ノ浦にも牢がありました。
1869年のクリスマスに、信徒たちが帳方である水浦久三郎の家で集まってオラショを唱えていると、役人たちが踏み込んできました。

久三郎の家を牢屋にして、棄教を拒んだ者60人以上を捕らえおき、激しい拷問を加えました。
それでも信徒たちは信仰を捨てませんでした。

牢屋跡には小さく「牢屋跡」と書かれた碑とヨハネ五島の像が建てられています。

教会からは十字架の道行きを登っていくことができ、そこから教会と湾を一望できます。


 遣唐使が渡った海を眺めながら

遣唐使が寄港した


ここに来るまで知りませんでしたが、福江島は遣唐使が国内で最後に寄港した島だということです。
どんな思いで日本の地を後にしたんでしょうね。
彼らが渡った海を右手に見ながら、次の目的地まで快適ドライブです☆

遣唐使ふるさと館


にわかに遣唐使に興味を惹かれ、道の途中にある遣唐使ふるさと館に立ち寄りました。真新しい観光施設で、建物全体が船の形を模しています。
「さすがにお腹すいたなー」と駐車場でランチタイム(もうおやつの時間ですが・・・)

中心部を離れたら、レストランやコンビニなんてないだろうと思って、あらかじめ買っておいたのでした。こんなにいい所があるんだったら用意しておかなければよかったかも;;

遣唐使船のミニチュア


館内で目を引くのは遣唐使の歴史を辿ることができる展示。空海、最澄、吉備真備、鑑真など歴史上の人物がこの地域を訪れたのだ思うと、時を超えて自分がここにいるのがとても不思議なことに思えます。

すごいなぁ、この人たちここから中国に渡って行ったんだ(来たんだ)。そんなに丈夫な船ではなかったろうに、歴史上の偉人は本当に勇敢で偉大です。

余談ですが、この施設内の観光案内所のスタッフはとても親切でした。
「この辺りの地図ありませんか?」と聞くと、地図を持ってきて、行き方や所要時間など、旅行プランの相談に乗ってくれました。若くてやる気のある人が、全国津々浦々でこんなふうに活躍してるんだと、たのもしく思いました(おばちゃん目線の感想ですが☆)


三井楽教会


海沿いのドライブを続け、三井楽教会へ。岳(たけ)地区にあるため、以前は岳教会と呼ばれていました。

禁教令が解かれて間もない1880年に建てたゴシック式の木造教会が、この教会の始まりです。現在の聖堂は、1971年に建てられました。


三井楽教会の内部


内部はモダンで独特の雰囲気です。とてもセンスのいい方が設計したのでしょう。教会の正面や内部にあるモザイクは、島内各所から集められた貝殻で描かれた聖画。

祭壇上部に掲げられた真っ赤な十字架の
鮮やかなこと!

ここが下五島列島の一番端っこであることを忘れさせるようなデザインです。都会の真ん中でも、これくらい鮮烈な装飾を施した教会堂は、あまりないと思います。

私たちが訪れた時、堂内でシスターが一人お祈りしてらっしゃいましたが、私たちが祈っているうちに出て行かれました。沈黙の行でもなさっていたのかもしれませんね(そういう行があるのか知りませんが・・・)

資料館を見せていただきたいとお願いしようと考えていたので、少し残念です。


 静かな農村地帯を

平地が少ない土地柄


山と海に囲まれて、島には平地が少ないようで、農村の田畑も手狭に見えます。 
家々が肩を寄せ合うように建てられている地域もあって、風光明媚なところだけど、昔は貧しい農民が多かったのかもしれないと思いました。

辺鄙で開拓が難しいところだったけれど、その分お上の目が届きにくく、信仰の自由を求めたキリシタンたちにとっては希望の地と映ったということでしょうか。

姫島・信仰の礎碑


三井楽教会にほど近い墓地の中に、「信仰の礎」と刻まれた碑を見つけました。
姫島は三井楽の沖に浮かぶ島。かつてはキリシタンの島でした。

役人による厳しい弾圧と拷問に打ち勝ち、信仰を守り通したのですが、度重なる台風などの災害と疫病などの災難で多くの命が奪われて、島から移住していかざるをえなくなり、1965年ついに無人島と化し、絶海の孤島になりました。

先祖たちの尊い信仰の偉業を顕彰し、子孫たちに語り継ぐためにこの碑は建てられたと碑文に書かれています。

キリシタンの島には様々な運命があったのだと、言葉を失いました。


淵ノ元キリシタン墓碑群


福江港からはちょうど島の反対側に当たるところまで行き、岸辺に立つ墓碑群に出会いました。

淵ノ元のキリシタン墓碑群です。
島原半島のキリシタン墓碑とは違い、年代は新しいものが大半です。

ここは現在も墓地として利用されていて、仏教式のお墓も多いです。


貝津教会


レンタカー返却の時間が迫ってきたので、ここが本日の教会巡り最後の教会です。

貝津教会は民家に囲まれた地域にあり、こじんまりとしていて素朴な印象です。

歩いてやってきた家族連れがいて、お母さんとおぼしき若い女の人が、小さな子供に「ここはあなたのおばあちゃんの通っていた教会なのよ」と話していました。

代々信仰を受け継ぐという伝統が、この地域に根付いている証拠なんだろうなと思いました。

日本の他の地域、特に農村で、こういう会話が聞かれるところは少ないと思うので、やはり五島は信仰の島だと感じました。

貝津教会内部


中に入ると、クリーム色に塗られた堂内にステンドグラスの光がやさしく反射していて、明るく朗らかな雰囲気です。

天井は平面で比較的低いのですが、花の装飾がされていて見上げるのが楽しくなります。

なんとも落ち着ける教会です。


 福江港から長崎港へ

半周で終了


本当は福江島を一周したかったけれど、半周で時間切れになってしまいましたが、たくさんの教会を見て回ることができて大満足。福江島を横断できる新しく広い道を疾走して、福江港方面に向かいます。

堂崎天主堂以外では、観光バスを見かけることもなく静かに巡礼できました。
しかし・・・訪れる人が少なくては教会の持つ美しさに触れる人も少なくなるわけで、その意味ではさびしくもあります。少しくらい混雑してもいいから、教会に多くの人に来てもらって、神様のことを知ってほしいな。

船からの眺め


福江港を出航したのは黄昏時。
すっかりこの島が好きになってしまって、離れていくのが辛いくらいです。

たった一泊しかできなかったけれど、たくさんの感動で心揺さぶられました。

ありがとう、福江島。
いつか又くるね。

長崎港


長崎港に着いて、
「下界に戻ってきたなー」と思いました。
人が多いです。

今日のお宿は港から歩いて5分の「ホテルベルビュー」
新しくてキレイなホテルです。
フロントのスタッフも好印象。

ホテルの部屋からの景色


このホテルを選んだのは、無料で稲佐山のロープウェーまで往復送迎してくれるというサービスがあったから。
フロントで送迎バスの予約をして、部屋でひと休み。

お腹はすいてきたけれど、稲佐山で夜景を見ながらレストランで食事しようという目論んで我慢(この我慢はやがて裏目に・・・)

時間になってバス乗り場に降りていくと、路線バスっぽいバスがやって来ました。降車ボタンとかあって、つり革ついてます。「なにこれ・・・@@?」

送迎はここのホテル独自のサービスかと思っていたら、バスは次々に他のホテルに停車し、やがて満員に。すし詰め状態で、通勤ラッシュの電車のようです。

やっとロープウェー乗り場に着いたと思ったら、今度は驚くほどの長蛇の列。ここは長崎じゃなかったのぉ><; 東京並みの人混みです。

稲佐山の夜景



稲佐山は長崎では有名なデートスポットなんですね。知りませんでした。こんなに人気があるなんて。
しかし人気あるだけあってキレイです、稲佐山からの夜景☆ 

夜景が見られる展望台に着いたら、もう結構な時間になっていて、帰りもバスに乗るつもりなら15分で撤退しなければならないという状況。レストランで食事という夢ははかなく散りました。

空腹で手が震え始めたので、非常食に持ち歩いていた飴を噛み砕いて食べながら、再びロープウェーの列に並び(無論下りも長蛇の列)、バスの停留所でもバスを待ちに待ち、ホテルまで送迎してもらって帰ってきました(;´д`)トホホ

食堂はいずこに・・・?


バスを降り、食堂っぽい明かりの見える方向にフラフラ歩いていき、中華料理店に入りました。店内ではおばさんが中国語のテレビを見ながら寛ぎ中。片言の日本語で注文を取ると、奥から息子を呼んで一緒に調理し始めました。

ここが日本なのか外国なのか、一瞬わからなくなりそうなシチュエーションでしたが、出された食事はおいしかったです。花椒などの香辛料がきいていて、本格的。手の震えも止まりました(いつまで震えとるんじゃ)

なんとかの一つ覚えみたいに、ちゃんぽんと皿うどんで過ごしてきたので、明日こそもうちょっといい物を食べて、余裕ある旅をしたいと思います。明日の夕方には長崎を立つので、あと半日ですが。
それではオヤスミナサイ。明日もいい日になりますように ( u _ u ) 。o◯☆GOODNIGHT☆


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