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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 大阪の隠れキリシタン Ⅰ


     隠れキリシタンの面影を求めて、この秋は大阪に向うことに。
     素晴らしい出会いがありますように・・・(* ̄ー ̄)♪

     

カトリック高槻教会


新幹線で新大阪に下り立ち、今夜泊まる江坂でコインロッカーに荷物を入れて、早速高槻へ!

まずはカトリック高槻教会でお祈りです。
たった二日間しかないので、首尾よく回れて恵みを受けられますようにと祈ろうと思いましたが、ちょうどお掃除中で少ししかいられませんでした。

でも信徒さんたちの生き生きとした様子が見受けられてよかったです♪

カトリック高槻教会

高山右近顕彰碑

高山右近像

高槻セミナリヨ跡


少し歩いて高槻現代劇場へ。

高槻現代劇場には大ホールと文化ホールがあり、大ホールの方が昔のセミナリヨ跡、文化ホールのある所が司祭館跡といわれています。

二つのホールに接する形でたたずむ野見神社が、昔の教会跡。高山右近がいた頃には多くのキリシタンが集いミサが守られていました。

マップ

現代劇場

文化ホール

野見神社

キリシタン墓地跡


道の向かいにあるのが高槻商工会議所の建物。敷地内に「天主堂跡」の碑が建てられていますが、実際はキリシタンの墓地があった所。

ここで発掘されたキリシタンの遺骨やロザリオなどはしろあと歴史館で見ることができます♪

高槻城主時代に亡くなった高山右近の息子のお墓もここにあったんじゃないかなぁ。。

天主堂跡碑

天主堂跡の解説板

高槻城の遺構

解説板

しろあと歴史館


さてさて今回やってきたのは、ここでやっている「高山右近の生涯」展を見るため!

前回高槻に来たときクローズだったので、いつか来ようと思っていたのですが、右近展をやると知り、新幹線のチケットを取っちゃいました。では中に入ってみましょう☆

今回の右近展は高槻市の市制70周年を記念したものだということで、相当気合の入った内容。右近関係で私が見たかったものが勢ぞろいしています♪


しろあと歴史館パンプ

右近展の本

伝右近のチョッキ

伝右近の笠

田原レイマンの墓碑

キリシタン墓地の発掘品

キリシタン墓地の様子

キリシタンの遺骸とロザリオ
まず見たかったのが、高山右近のチョッキといわれる物。実際に目にしてみて、「着てなかったかも」と思いました。根拠はないんですが。でも見たかったんですから感謝。笠も見られてうれしいです♪
田原レイマンの墓碑も見ることができて感激! きれいです。キリシタン墓地で発掘されたキリシタンの遺体と手元のロザリオ、十字の入った木棺も、実物を見られる日が来るとは・・・☆

高山右近書状

高山右近手製の茶杓

高山右近書状

高山右近書状
高山右近が書いた手紙類もたくさんありました。真筆だと確認できているものが9通。花押や署名のバリエーションも豊か。右近の血の通った手が触れ、思い巡らしながら文字を書いたと思うと、「ほんとにそこに実在してたんだな」と感じます。右近が自ら作って、師である千利休に贈った茶杓とそのケースもあります。展示品のパンフの写真しか載せられませんが、伸びやかで混じりっけのない感じがしました☆

 高槻城跡から大道法師あし跡碑へ☆

高槻城大手門跡


右近展を満喫して館外へ。キリシタンと関係があるという石を目指します。

この辺り一帯が昔は城内だったのだから、高山右近やキリシタンたちが歩いていない所はないのかも。

右近が城主で、宣教師が行き来し、キリシタンが栄えていた時期はそう長くはなかったけれど・・・。

大手門跡解説

周辺地図

高槻城

高槻城マップ

小川の小道を


少し歩くと小川にぶつかりました。大きな幹線道路も通っていて、高槻は交通の要衝といえそうですが、その分歩いて回ると遠回りを強いられることも。

散歩やランニングで長い距離を歩きたいなら最適ですけどね。回り始めて間もないのにもう足疲れてきたかも。。 (T▽T)アシコシヨワリスギー


八幡大神宮

境内

八幡大神宮

おそばでブレイク

大道法師あし跡碑


沿道のうどん屋さんに入って足を休めて、よいしょよいしょと歩いて大道法師あし跡碑に到着。

民家の庭みたいな感じに整備されているので、最初通り過ぎてしまい、「もうなくなってるのかな」と思いました。

良かった、あって。石は思っていたより小さくて目立ちません。これは元々のものではなく、大正期に造られたレプリカなので、複製する際に小振りにしたのかも?

この石は宣教師の墓碑ではないかと言われていますが(「大道法師」が宣教師を意味し、「あし跡」というのが墓碑を表していると・・・)、はっきりとしたことはわかっていません。


大道法師あし跡碑

大道法師あし跡碑

大道法師あし跡碑

 天下茶屋へと向います!

沿道のバラ


「はっきりとしたことがわからない」というのは歴史にはつきもので、キリシタンについては、キリスト教禁制の時代が長く続いたので史料も失われて、「もっとわからない」状態になっていることもしばしば。

「はっきりわからない感」に苛まれて、史跡を訪れても感動していいのかどうかわからず、「すっきりしない感」で終わることもあります。

しかしそれでも何かの足しになるかもしれないし、後でわかってくることもあるかもしれないし、こうやって史跡めぐりをすることで悟ることもあるだろうから、「キリシタン」の名が出てくる所にはできるだけ行って、見てみようと思います。何かを感じるなら、それは徒労ではないのだと信じて☆


街道

街はクリスマス仕様

天下茶屋駅


電車を乗り継いで天下茶屋駅へ。ここは殉教地です。詳しい場所はわからないけれど。

高野山みちの天下茶屋でフランシスコ会の神父2人が火刑にされた記録が残っています。

今もここから南海電鉄で高野山に向うことができるようで、「高野山に行きましょう」的なポスターが貼ってあります。

天下茶屋駅

駅周辺

駅周辺

 堺の千利休屋敷跡など♪

フェニックス通り


南海電鉄に乗って堺方面へ。ほんとは路面電車の方が近かったのに、勘違いして結構な距離を歩く羽目に。知恵が足りないのか、お祈りが足りないのか・・・ (×_×)ハゥ...

それでも行けないことはないのだからと感謝して、とりあえずてくてく。この周辺の史跡めぐりには「てくてくろーど」と名づけられたマップが用意されています。歩けということですね、きっと♪


案内板

マップ

フェニックス

常夜燈

千利休屋敷跡


20分ほど歩いて千利休屋敷跡へ。ビルに囲まれた一角にあります。

お茶の雰囲気を辛うじて出しているものの、どこか底の浅さを露呈している感じ。私みたいな無粋者に言われたくないでしょうけど・・・(^^;;

現在の様子がどうであれ、ここには小西行長らが来たでしょうから、やっぱり来られて良かったです。


千利休屋敷跡

千利休屋敷跡

解説板

千利休屋敷跡

昔の解説板

解説板の解説

千利休屋敷跡

千利休屋敷跡

開口(あぐち)神社


「ああ、これに乗れば楽だったんだろうな」と路面電車の線路を横目にてくてくして、次なる目的地の開口(あぐち)神社へ。

アーケードのある商店街の並びから入っていくことができます。ここにあるのがクルス(十字架)紋の入った手水鉢。


開口神社の手水鉢


キリシタンと関係があるといわれていますが、本当にそうかどうかは神社にも記録がなくて不明だそう。

これもまた謎の伝キリシタン遺物ですね (o^-^o)


開口神社

井戸の解説

開口神社の手水鉢

手水鉢のクルス

手水鉢のクルス

手水鉢のクルス

開口神社の境内

周辺マップ

 ザビエル公園へO(≧▽≦)O

ザビエル公園


クルス紋を見て元気になり、ザビエル公園へ向かっててくてく。10分ほどで到着です。

あまり特徴のない公園ですが、キリスト教の史跡地としてはトップクラスの重要度。

都に行き天皇に会おうとして果たせず、大学があると思って行った近江でも門前払いされ、疲れきって病気になってしまったザビエルが介抱されながら滞在したのが、ここにあった日比屋了慶の屋敷だったのです。

長逗留の間にザビエルと交流し対話するようになった日比屋了慶は、キリスト教の洗礼を受け、家族と共にキリシタンに。日比屋家と近い関係になった小西家にも福音が入るようになり、小西行長というキリシタン大名まで輩出することとなったのですから、ここから歴史が始まったと言っても過言ではありません。顕彰碑はあるものの、人影もまばらな広い公園ですけど、ね。ロマンを感じます (*´▽`*)ノ


ザビエル公園解説板

人々の解説

ザビエル公園

ザビエル公園マップ

ザビエル公園

ザビエル公園の歌碑

ザビエル公園の顕彰碑

ザビエル公園の顕彰碑

広すぎる道


ついでに言うなら日比屋了慶の屋敷には堺の教会が建てられることとなり、その後も多くの宣教師が訪れています。京都で頑張ったヴィレラ神父や「日本史」を書き残したルイス・フロイス神父も滞在しました。

そしてフロイスが1566年のクリスマスを祝ったのもここ、堺の教会でした。世はまだ戦国時代で、この時は実際に近くで戦をしていたのですが、その敵味方に分かれて戦っているキリシタン武士たちをフロイスは教会に招き、キリストの絵を掛けて共にクリスマスを祝うようにしたのだとか。

今でいうクリスマス休戦です。集まったのは両陣営のキリシタンたちおよそ70人。各自が食事を持ち寄って共に食べ、キリストの下での友愛を分かち合いました。こんないい話、誰かドラマか映画にしてくれませんか?って感じですが、あまり知られてないからなぁ。。

次の目的地までは広すぎるまっすぐな道を歩かねばなりませんが、当時に思いを馳せ、想像してるだけでもわくわくしてくるので、ちっとも飽きません ⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ワタシダケカモシレナイケド...

小西行長屋敷跡


私の足で7分ほどで到着したのは、小西行長屋敷跡。

やっぱ近いです。日比屋了慶さん家と。

しかも姻戚関係だったのだから両家の絆は相当強かったんでしょうね。

その絆が福音の縁を結ぶことで永遠なものになったなんて、不思議というか、すごいというべきか。私の語彙力ではうまく言い表せませんけど。日比屋家からはキリシタン城主、小西家からはキリシタン大名が出て、両家からそれぞれ聖職者も出ています。そして殉教者も・・・。日本で一番最後まで生き残って活動していた神父はこの小西家から出たマンショ小西で、小西行長の孫だと考えられています。

そしてこのマンショ小西が殉教した時から、日本には一人も神父がいなくなり、潜伏キリシタンの時代が始まるようになったのです。今は信仰を持っても火焙りにはならない時代になって、私もクリスチャンなのだけど、命に代えても伝えようとしたものがあったことを知るために、ここに立ってみることは、私にとって必要なことだったのかもしれません。


小西行長屋敷跡解説

周辺マップ

小西行長屋敷跡

小西行長屋敷跡碑

西るいす宅跡


小西行長屋敷跡から小道へと2回ほど曲がって西るいす宅跡へ。私道っぽい道の片隅に小さな碑が建てられています。

西るいすは商家に生まれた人で、家督を継いで長崎で貿易に携わるようになり、洗礼を受けてからは「るいす」と名乗りました。

しかしキリスト教禁令が発布されると棄教。徳川幕府の御用商人として引き続き海外貿易事業を展開しました。

私的には、、「なんでこの人の家の跡を碑まで建てて記念してるの?」って感じですが、すっごいお金持ちになって大邸宅でも建ててたんですかね? 地元の出世頭として尊敬を集めたとか? 例えそうであったとしても、人は必ず行くべきところがあるんだから、それは売らない方が良かったんじゃないかと思っちゃいますけど。


周辺マップ

西るいす宅跡

西るいす宅跡

西るいす宅跡

本願寺堺別院


近かったので本願寺堺別院にも立ち寄って、パチリ。

明治天皇が来訪したことがあるということで、そのことを刻んだでっかい碑が建てられていますが、側面を見ると、「堺県庁跡」と書いてあります。

昔はお寺の境内に県庁を置いちゃうこともあったんですねぇ。知らないこと多いなぁ。。

解説板

県庁だった

 本受寺と妙国寺

妙国寺前の石碑 ( ̄Д ̄;;


2車線の道路に戻り本受寺と妙国寺のある方向に歩みを運んでいると、石の道標のようなものが見えてきました。江戸時代には、この道が妙国寺の参道だったのかなーと趣き深い気分で見てみると・・・。

一つは普通の道標なのですが、もう一つの大きな石柱に書かれているのは「とさのさむらいはらきりのはか」の文字。えっと、これって道標じゃないだろうし、顕彰碑でもないだろうし、観光案内でもないですよね。。妙国寺できっとそういうことがあって、お墓があるんでしょうけど、こんなに大々的に刻んで広告する必要はあるんでしょうか・・・?

大変気になるところですが、手前にある本受寺からまず訪れてみましょうかね。あは。


道案内の道標

とさのさむらいはらきりのはか・・・

本受寺


本受寺の門前には柵がしてあって、境内への出入りは禁止されているよう。でも解説板が掲げられていて、訪れる人の用に役立っています。

このお寺には先ほどの西るいすが葬られていて、西るいすと関係があるかどうかは不明だけれど、キリシタン灯籠なるものも伝わっているのだとか。

「キリシタン灯籠」という言葉がよく使われていますが、本当は古田織部という人が考案した「織部灯籠」というのが適切で、この種の灯籠がキリシタン遺物だとする説は、現在はアカデミックな世界では否定的に考えられています。

私は「キリシタン」と名がつくだけで見てみたい人なので、見に行ける範囲にあるときには見に行こうというスタンスなんですが。柵越しに境内を眺めると、十字にも見えなくもない模様のある灯籠が見えましたが、これをキリシタン灯籠と言っている訳ではないですよね(?)。ま、いっか☆


本受寺

本受寺

本受寺解説

本受寺境内

妙国寺


それではちょっと進んで妙国寺へ。ここに来たのは土佐の侍の腹切りの墓が見たかったのではありません。

国の最高権力者の命令による、日本で最初の殉教者、26聖人の宿泊地と考えられるからです。

京都で捕らえられ、耳たぶを切られて引かれて来た26聖人の一行は、長崎の西坂で処刑されるのですが、そこまでの道のりは長くて苦しい「ゴルゴダの道(イエス・キリストが十字架に架かるために歩んだ道)」。各地にいるキリシタン信徒や民衆への見せしめの意味もあったので、日本を横断する「市中引き回し」だったということもできるかと思います。

夜泊まる宿などもなく、各藩の牢屋やその地域の有力寺院の境内などで過ごしました。各地を引かれて行く彼らは沿道でも牢屋でも、神様の話をして信仰を勧めたり、子供たちは賛美をしたといいますが・・・ここでもそうしていたのでしょうか。境内に人影はなく、「いい墓地ありますよ!」みたいな販促ポスターだけが風に揺れています。


妙国寺

妙国寺前の石碑

妙国寺境内

土佐の侍のお墓

 あとは教会をめぐって・・・

木津川


「あれに乗れば良かったなー」と思い続けた路面電車(愛称は「ちんでん」)に乗り、地元民と触れ合いながら終点へ。スイカは使えませんが、乗るだけで思い出になるような電車です♪

徐々に暗くなってきたので、後は古い教会を2ヶ所だけ回ろうかと。木津川橋を渡ります (^_^)

川口へ

ざこ場

木津川橋の碑

木津川橋

日本聖公会川口基督教会


やって来たのは川口基督教会。聖公会の教会なので、もしかしたら中に入れるかなーと期待して扉を押すと、おお、開いています!

聖堂内でしばし瞑目してお祈り。ステンドグラスもパイプオルガンも、木製の信徒席も素晴らしいですが、何より祈りの場所があることに感謝 (○⌒∇⌒○)

川口基督教会

川口基督教会

聖堂内

聖堂内

やなせたかしの詩


教会案内の横にやなせたかしさんの詩が掲示されていました。今年亡くなったやなせたかしさんはアンパンマンの作者として有名ですが、実は聖公会のクリスチャン。

亡くなったときにテレビでいろんな特集が組まれていましたが、飢えた戦争体験からアンパンマンを構想したと放送されていました。

ご本人がそう言ったのだろうから、それもそうなんでしょうけど、私が思うにアンパンマンには主の姿が投影されているのではないでしょうか。自分を与えて、誰かを助けるー。しかも正義の味方のヒーローがパンだなんて、「私がいのちのパンである」とおっしゃったイエス様そのものじゃないかと思うんですが。

他界されたやなせさんに真意を尋ねることは無理ですが、平和と愛のメッセージ、そして自己犠牲の精神はこれからも伝えられていくことでしょう。


植栽

聖堂

教会案内

日本基督教団 大阪教会


ラストに訪れたのは日本基督教団の大阪教会。こちらも古い教会で、建物はヴォーリズの設計。国の登録有形文化財に指定されています。

1874(明治7)年の献堂ということは、高札撤去の翌年に建てられたんですね。だからプロテスタントの教会堂では最古か、それと同等クラスの歴史を誇っているのだと思います。

しかし、、、教会に文句があるわけではないのですが、道をはさんだ反対側にある建物(下の写真の一番右)が、あまりにも教会チックで惑わされるというか、困ります。ウェディングとかしちゃえるおしゃれなレストランのようで、素敵と言えば素敵ですが、もうちょっと立地を考慮してもらえませんかね?という感じ。教会のすぐそばに教会風の建物を建てちゃイカンという法律はないですが・・・。

それで外国から来た観光客が、教会っぽい結婚式場とかに入ってきちゃうんですよね (;´д`)
レストランやホテルも然り。これは教会には行かないくせに、教会の建物や雰囲気に憧れるという、日本人特有の考え方が根底にあるためだと思います。そう考えると、建物うんぬんより、そこにもっと問題意識を持たねばなりませんね。また活路を見出すことも可能かもしれませんし。


大阪教会

大阪教会

教会案内

向かいのレストラン






            いてもたってもいられず・・・


             いてもたってもいられずやって来た大阪。
             2日前に決心して行動に移したので
             下調べが不十分で、無駄な労力使ってます;;

             しかし今夜は大阪にいる私の親友が家に泊めてくれ
             明日は半日付き合ってくれるそうです♪
             恵み深いものにあるよう祈りつつ、感謝でおやすみなさい!









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