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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 大阪の隠れキリシタン Ⅱ


      今日は長年の夢だった場所を訪れます♪
     有名なザビエルの絵が見つかった所に。いざ、レッツゴー!

バス停「千提口」


阪急「茨木市駅」からバスに乗り40分。バス停「千提口」に着きました。キリシタン遺物史料館帰りとおぼしき母子連れがいて、休みの日には結構訪れる人が多いんだなと思いました☆

ここから史料館までは案内板がちょくちょく出てるので迷うことはほぼなし。歩きの近道を選びます♪

バス停の解説板

ギッソ道


昔からギッソ道と呼ばれてきた道は、女性が一人で歩くと心細くなるような小道。「散歩には最適の素晴らしい道だ」と表現している文を読んだことがあるけど、その人は男性だったからそう書いたんじゃないかと。

人の受ける印象は男女によって随分と違うものだなと思いました。でも今日は私一人ではなく大学時代からの親友Aがいるので、寂しい小道も安心。対話もできるので恵み深いですヾ(@⌒▽⌒@)ノ

茨木市立キリシタン遺物史料館


資料館には10分ほどで到着。

史料館向かいの東(ひがし)家が、ザビエルの絵が見つかった家。

史料館ができる前にはこの家に年間3~4000人もの人が見学に訪れていたんだとか。大変だったでしょうね。。(;^_^A


案内板

キリシタン遺物発見最初の家

キリシタン遺物発見最初の家

キリシタン遺物発見最初の家

キリシタン遺物史料館内


茨木市立の史料館として運営されていて、入館料は無料。国内外から一年に6~7000人の人がこの小さな史料館を訪れています。

私たちが着いたときには20人くらいのご高齢のグループがみえてましたが、しばらしくて帰られたので、私たちだけで見ることができました♪( *^-゜)/⌒☆゛

館内で見ることのできるビデオにはキリシタン遺物発見の経緯がまとめられていて、実際に見つけた人へのインタビューやオラショ(キリシタン時代から伝えられてきたお祈り)を唱えるおばあさんの姿など、貴重な映像を目にすることができます。その人たちが動いてしゃべっているから、本で見たり読んだりするのとは違う感動があります。

キリシタン墓碑


展示室は1室だけで、最初に目に入ってくるのは入口脇に置かれたキリシタン墓碑。私が見たくて見たくて見たかった現物です。

これらが発見された通称クルス山にあると、何かに書かれていましたが、現在はここにあるみたいです(その理由は後でわかる・・・)。

受付にいらした方(東家に嫁いでいらした奥様)に写真を撮ってもいいか訊くと、ザビエルの絵だけは著作権の関係でキレイに撮ってはダメだけれど、それ以外は大丈夫とのこと。こんなにすごいものだらけなのに太っ腹です! 感謝してパチリパチリ♪


キリシタン墓碑

キリシタン墓碑の拓墨

キリシタン墓碑

キリシタン墓碑の拓墨

キリシタン墓碑

キリシタン墓碑の拓墨

聖女立像

聖女立像解説

オラショを唱えた女性たち

高札

解説板

天目茶碗

あけずの櫃


感動、というより震えがきたのが、「あけずの櫃」を見たとき。

この長細い箱にしまわれて、ザビエルの絵は何百年もの時間を経てきたんですね。詳しい説明は下の解説文を読んでくださいまし☆

教科書にも載っているあの有名なザビエルの絵が、大阪の、隠れキリシタンの家から発見されてものだなんて、日本人でも知らない人多いんじゃないでしょうか?

これは声を大にして言うべきかと。大阪に!隠れキリシタンがいて!ザビエルの絵をずっと大切にしてたんだよー!
あー、ちょっとすっきり ε=( ̄。 ̄;Aフゥ


ザビエル画像

解説

あけずの櫃

あけずの櫃解説

マリア十五玄義図

マリア十五玄義図解説

マリア像

聖遺物容器

天使讃仰図

メダイ

キリスト磔刑像と筒

解説

 いざクルス山へ!


愛と光の家


貴重なキリシタン遺物と史料を堪能して、クルス山へと向かいます。

坂道の途中には愛と光の家という、キリスト教系の施設があり、門前に高山右近像が据えられています。

そうこの千提寺地域に福音が入ったのは、キリシタン大名高山右近の所領だったから。お城は高槻にあって、城主が変わってキリシタンは禁制となったけれど、この山間部では信仰が守られていたんですね。

坂道の反対側にはキリシタン遺物のロレートの聖母が見つかった家もあります。村ぐるみで隠れキリシタンとして生き、禁教の世をなんとかしのいだのでしょう。


愛と光の家

愛と光の家

キリシタン遺物が見つかった家

公民館に・・・


道を下りきった所にある公民館の庭を見ると、マリア像が。隣には「千提寺天主堂跡」の看板が、掲げられているのでなく、据えられているのでもなく、ただ置かれています。

よく見てみると、千提寺天主堂跡の解説板も置かれています。「ここが千提寺天主堂跡なのかな?」と地図を調べてみましたが違います。天主堂跡はもっとずっと先なのです。

どういうことなんだろう・・・?
不思議に思いつつ(その理由はこの後わかる・・・)も、まずはクルス山だということで、目指して参ります。
えっと、あの辺りだよなーと地図を頼りに見渡せどもそれらしき山がありません。ここまで丁寧に備え付けられていた案内板も、クルス山に限ってはないようで・・・。


天主堂跡・・・?

マリア像

解説板

クルス山が!!


下に向って段々畑になっている所に工事車両が停まっていて、畑をつぶして大規模なものを造ろうとしている模様。

親友A(大阪出身の彼女は誰にでも気楽に話しかける)が作業している人に尋ねると、「高速道路を作っている」との返事が。

え、えええー!?
地図ではクルス山の位置にあるけれど、これがクルス山だとは信じたくなかったハゲ山が、、、クルス山でした o(;△;)o

クルス山(もうそう呼んでいいのかもわからない;;)で作業中の人にも訊いてみましたが、インターチェンジか何かができるそうで・・・。反対運動はなかったんでしょうか、代替案とか代替策とか。他にも山はあるだろうに。地権者が売っちゃったのかな。カトリック大阪司教区で大きな十字架を建てて右近の道を整備する計画だと、数十年前に出された本には書いてあったのに・・・。

来るのが遅すぎた? いやこの現実を目の当たりにすることに意味があるのか? ああ、もう何を言っても、こんなに本格的に工事が進んでいたら、どうしようもないです。そっか、それでクルス山のキリシタン墓碑は史料館へと移されていたんですね;; 

高速できたら、クルス山だったことくらい示す小さな公園でも造ってくれないかな。いずれにせよ、、、過去を超え、歴史は進んでいくのだと痛感しました。


工事中

工事中

工事中

天主堂跡の辺り


千提寺天主堂の跡地にも来てみましたが、ここにも工事のにおいが立ち込めていて、それを示すものはありません。

たぶん工事の邪魔になるからと、ここにあったマリア像や解説板が公民館の敷地に(一時的に?)移されて、こうなっているのでしょう。

ただし「天主堂」とは言っても、大正昭和の頃に建てられたカトリックの教会であって、キリシタン時代の天主堂(教会)跡ではありませんので、諦めがつくといえばつくけどぉ。

クルス山を崩してる一方で「キリシタンで町おこし」的な試みは継続中であるようで、キリシタン自然歩道なるものを通って、もう一つのキリシタン遺物発見地である下音羽方面へ行けるようになっています。茨木市長出てこーい! はあ、もうどうでもいい(どうでもよくない;;)。伐採の進むクルス山を眺めながら、スピードを上げた車が通り過ぎる趣のない道を行きます。。。。(( T_T)トボトボ


案内図

天主堂跡近くの神社

クルス山;;

クルス山;;

 下音羽方面へ

忍頂寺


なだらかな坂道をぜーはー言いながら歩き、30分弱で忍頂寺に到着。キリシタン時代にはここにも聖堂がありました♪

ここから更に下音羽まで歩こうとするともう30分かかりそうなので、バスに乗ることにしました。

用事のある親友Aはここでお別れです。町中に着いたら3時くらいになってしまうだろうに、笑顔で手を振ってくれました。ありがとう!夜また新大阪駅で会おうね☆

下音羽周辺マップ


目指す下音羽も昔高山右近の所領だった所で、キリシタン墓碑やキリシタン遺物が見つかっています。

禁教令が解かれた1873(明治6)年以降も、隠れキリシタンの家では信心道具を見せるのを怖がって(外部に知られると「お縄にかかる」と恐れていた)、公開するのをしぶっていたのだとか。禁教下の凄まじい迫害を感じさせられます。

高雲寺の石段


2基のキリシタン墓碑があるのは、下音羽の高雲寺。バス停から近いので有り難いですが、境内に至るには長い石段が。

ま、これくらいは頑張らねばなりませんね。禁教下で信仰を守ってきた人たちに会いたければ。

よいしょ、よいしょ、ぜーはー・・・。

高雲寺のキリシタン墓碑


本堂右手奥にあるキリシタン墓碑は、「鎮座している」感じ。

今やっと静かに時を過ごせるようになったと一服しているような佇まいです。

かまぼこ型がキュートですね♪

キリシタン墓碑

解説

高雲寺

境内の石造物

下音羽地域


この村にいたキリシタンは一体どんな人たちだったんだろう? お墓の残る2人の人たちよりもっとたくさんの、名前の残らない数多くの人たちがいたはずだけど・・・。

「名もなき」と言ったら失礼かもしれないけど、私のように実際に名前はあっても、後世の人が覚えて呼んでくれるほどの名や功績はない、「名もなき人」が、当時も私のようにいたんだと思う。

農業して、生活して、あれこれ思って・・・。あれこれ思うけれど変えようのない現実の中で祈りながら、主の名を呼んでいたんだと思う。家族の健康や、安寧、いつか行く天国という世界のことも祈ったかな。それで行けたのかな、その世界には。

名もなき人が主の名を呼んだ場所、下音羽――。
今も田舎だから昔も田舎だったんだろうけど、天を思って生きていたのだから、天と通じる地だったのだと思う。名もなき多くの人が、主を思って生きて死んで、葬られて・・・。それを天が見ていなかったとは思わないから。

キリシタン墓碑があった家


郵便局の角を上って、キリシタン墓碑が発見されたもう一軒の家にも来てみました。

本にはこの家の軒先にキリシタン墓碑があって、解説板も添えられている写真が載っていたけど・・・。墓碑はどこかに移されたようです。

数十年前に出された本(参考にする本が古すぎる;;)だから、仕方ないか (* ̄0 ̄*)


井上家

井上家

井上家

キリシタン遺物が見つかった家を求めて


主祷文図絵というキリシタン遺物が見つかった大神家も近くにあるということで、数十年前に書かれた本の記載を元に探してみましたが・・・見つからず;;

大神家は隠れキリシタン時代に代々神父さんの代理みたいな形で働いていたようで、誰かが亡くなりそうになると、臨終の祈りを唱えに行ったりしていたんだとか。

地蔵橋


地蔵橋の近くにある原田家でも、竹筒に入ったマリア十五玄図が発見され、現在は重要文化財の指定を受けて京都大学博物館に収蔵されています。

その原田家も探してみましたが、よくわかりませんでした;; 地蔵橋は見つかったんですが。まあ、この辺りでそんな貴重で美しいものが見つかったということだけでも、日本の「伝えようとする」心の強さを感じます。

キリシタンがいた村


バスが一時間に1本程度しかないので、大神家や原田家を探して歩いたりして過ごしました。

いい農村です♪

そこら辺をを歩き回って、土手の雑草にタイツ破られました (T▽T)



バスの待合所

目印の郵便局

バス停周辺

 余野城跡へ参ります♪

バスで余野へ


ようやく来たバスに、乗りたいアピールのために両手を振って(乗れなかったら又1時間待たねばならぬので)、無事乗り込み、ほっとひと息♪

ここから出るバスは余野や高山を経て千里中央へと行くのです。この途中にある「余野や高山」がポイント!

余野は高山右近の奥さんの実家があった所で、高山は高山右近の父祖の地なのです。とりあえず余野に行き、奥さんが生まれた余野城跡を探りたいと思います☆

切畑口


「右近~ うこん~ ウコン~♪」と頭の中で歌うこと半時間(あほですか?)、余野の町に着きました。

数十年前に出された本によると、「切畑口」バス停で降りたらすぐだということですが・・・。その本に載っている手書きの地図と現代の地図とを見比べながら、歩き始めてみましょうかね。

城跡どこだい?


下音羽ほどではないけれど、田舎に町が進出してきた感じの余野は、若い人も行き来していて活気ある雰囲気。

余野城跡の碑が園芸高校の校庭にあるということなので、学校を探してみますが、見える範囲にはないようです。

むむむぅ、「右近夫人出生記念碑」も近くに建てられているようですが・・・。ウロウロしていて民家の敷地みたいな所に入り掛けて、飼い犬や鶏に吠えられるばかり (;´д`)

蒸しパンぶれいく


コンビニがあったので、地元民に訊くべと思って入店。すると高校生っぽい店員さんが2人いて、先輩格の女の子だけが余野城跡のことを知っていました。いえ、余野城跡ではなく、園芸高校のことだけ知っていて、「廃校になりましたよー」と。

2人とも地元民であろうに、余野城跡を知らないとは。右近夫人の碑についても全然知りませんでした。日本の歴史教育、特に地域史の教育はどうなっているんだと、ちょっぴり憤慨しつつ、蒸しパン食べて元気を取り戻しました。廃校になっても園芸高校の建物は残っているそうなので、れっつごーなのです☆

余野城跡


店員さんの言うとおり行ってみるとありました、廃校になった学校が!

私の目に入らなかっただけのようです。

地図の見方が悪かったのか、地図自体が方角を間違っているのかわかりませんが、明後日の方向を探し歩いてしまったので見つからなかったみたいです。

何はともあれ感謝だーと思い、校庭への登り口を探しましたがわからず、林の中に入り込んでいくだけ・・・。結局怖くなって引き返してきてしまいました。2人以上なら冒険もできるんでしょうが、女性1人だと、こんなおばちゃんでも腰が引けるもので。。(;゜(エ)゜)


余野城跡

余野城跡

余野城跡

余野城跡

余野城下


「右近夫人出生記念碑」も見つからず、当時を物語るものには、物にも人にも出会えませんでした。忘れ去られてる、、と感じました。

NHKの大河ドラマの主人公になったりすると、その年からその人関係の史跡にどばーっと観光客が押し寄せて、史跡も一気に整備されたりするもんですが、取り上げてくれませんかね、高山右近 (-""-;)ムム

右近の夫人にも有名な美人女優さんを配してもらえれば、余野めぐりツアーなども企画されて、スタンプラリーとかできるようになっちゃったりして。歴史好きな中高年がカメラ片手に大型バスから降りて来て・・・、そんなのはただのブームだから、神様は必要ないと思ってらっしゃるのかもしれないですね。

バス貸切


降りたのと同じ「切畑口」バス停から乗車して、千里中央駅へ。もう夕方だから途中で降りる時間はないけど、「高山」という標識が見えたら写真撮ろうと目論む私。

バスは私一人の貸切状態。もったいないくらいの余裕です。これが天国行きの救いのバスだったら、私一人乗ってちゃダメですね。できるだけたくさん乗ってもらわなくっちゃ。いやその前に、私は乗れてるのか・・・Σ(=д=ノ)ハッ

摂津の山々


薄れゆく陽と攝津の山々。
このバス随分山に登って行きますけど、運転手さん道間違えてませんかっ (*゜ロ゜)ノ

千提寺、忍頂寺、下音羽、余野、高山・・・阪急バスで通っていくこれらの地域はみな、昔キリシタンがいた所。

宣教師も訪ねて行ったりしています。いわば大阪のキリシタン・ロード。夕陽が心にしみます♪

高山発見!!!!


寝そうになるのを我慢していると、ついに発見「高山」バス停!

右近の御先祖様はこの地域の城主で、城の跡もわずかに残っているそう(これは今年出された本からの情報☆)。

車窓から周りを撮ってみましたが、それらしい特徴があるものは撮れませんね。フツーに見えます。フツーに見える所に歴史が眠っているのだから、やっぱり掘り起こしてみたいなと思うのでした (* ̄ー ̄)


バス停「高山」

高山地域

高山地域

高山地域

日暮れて終了。。


無事に千里中央に着いて、親友Aとも再会して帰りました、と書きたいところですが、この後急激に体調不良に陥り大変でした。

バス料金も払わずに降りて(後で払ったよ)、霊園事務所に飛び込んでトイレを借り休ませてもらって、周回してきたバスに奇跡的に乗れて(終バスだから乗れなかったらどうなってたか・・・)、戻って参りました。

神様、最後までミラクルをありがとうございました!







             ちょっと大阪に行っただけなのに


              ちょっと新幹線に乗って大阪に行っただけなのに
              こんなにディープなキリシタン史跡めぐりができるなんて
              日本に生まれて良かったなと思いました☆

              いいえ――、
             「生まれて・・・」ではなく、「歴史を知れて」良かった。
              歴史に目を開くようにさせてくださった主に感謝!
              大阪にもまた来させてくださいね ((((* ̄ー ̄*)†~~~








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