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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 近江戦国城物語 part2

  <主な訪問地>

 琵琶湖を渡って

おはようございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
今日は琵琶湖の西岸に渡って南に下り、近江八幡、彦根、長浜を回って
米原発18時の新幹線で帰る予定です。

無事目的地を発見し、スムーズに移動できるといいのですが。
行ってみないとわからないこともたくさんあるので、
意味ある場所を訪れることができるよう、お祈りして出発いたします♪

琵琶湖大橋


守山駅のバスターミナルから堅田駅行きのバスに乗ると、琵琶湖を横断するルートを通ります。本日は快晴☆ 路線バスの揺れが心地いいです。

車窓から見えるのは琵琶湖。滋賀県の4分の1の面積を占めるこの湖には、2つの大きな橋が架けられています。今日通るのは琵琶湖大橋。

今回は城巡りがメインになっているので、琵琶湖は眺めるだけですが、胸のすく光景に出会えてうれしいです。今日もいいことありそうな♪

堅田駅


小1時間で到着したJR堅田駅。用事がなければ立ち寄らなさそうな小さな駅ですが、なかなかいい出来の湖族の像がロータリーで迎えてくれます。

この堅田という地名、戦国時代の宣教師の文章の中にも出てきます。近江地方では堅田と守山、永原にキリシタンの集団がいたと記されています。

今回そのいずれの地にも足を踏み入れることができて感謝です☆ 狙ったわけではなく、県で一番安い宿を取り、最短ルートを通っただけなんですが^^


琵琶湖大橋のたもと

橋から琵琶湖を眺望

飛び出し注意の看板

日本基督教団 堅田教会


堅田駅から歩くこと10分。堅田教会に着きました。ヴォーリズという、明治時代に来日し、日本の発展に寄与した人物が設計した教会です。

正式な名前はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。メンタームで有名な近江兄弟社は、この人が建てた会社なのです。

英語教師として24歳で来日し、83歳でその生涯を終えるまで近江八幡に住まいを構え、キリスト教の伝道活動と設計、学問と医療の振興に携わりました。

堅田教会の素朴で温かい印象は、思わず門をたたきたくなるような感じです。多くの人に来てもらいたいという願いが込められているように思いました。


横から見た教会

花と教会

教会の扉

ハクモクレン

 坂本城址やーい

堅田教会から大通りに出て、路線バスに乗ってバス停「下坂本」へ。
坂本城は本能寺の変を起こした明智光秀の居城。娘の細川ガラシャも輿入れまでの間ここで暮らしていました。その城址の一部でも見られたらと思い、向かったのです。

しかし・・・「坂本城址コチラ⇒」みたいな案内板は皆無。
そりゃ、メジャーな観光地ではないかもしれないけど、一応案内の矢印くらいはあるだろうと思っていた私が甘かった;; (いつも甘いというウワサも・・・)

夫がガソリンスタンドの人に聞きに行ってくれましたが、よくわからないとのこと。
地元の人もわからないなんて、マイナーぶりが悲しいです。
歴史の中で重大な役割を果たした史跡なのになぁ;; 

明智塚


どうしようかと周りを見回していると、「明智塚」の文字発見! 光秀と関係ありそうだと思い行ってみると、塚があるのはとあるお店の敷地内@@

明智塚は明智一族の墓所とも脇差などの宝物を埋めた場所ともいわれている塚なのだとか。こういう場所があること自体、全く知りませんでした。

下調べしたときには出てこなかった史跡や情報にも、現地でウロウロすると出会えるのだと知りました。うまくウロウロしながら行きたいものです♪


明智塚

明智塚の説明板

坂本城址


「それにしても坂本城はどこだろうねえ?」
さっき道を聞いたガソリンスタンドに戻り、161号線を南下すること2分で、「坂本城本丸跡」の碑が!

「えっ すぐそばじゃん!!」
「近所の人は見落としがちなのかな?」

続いて碑より徒歩5分の所に、立派な「坂本城址」の碑、発見。これを見落とすとは地元の人の関心、薄すぎるような・・・?

明智光秀像


しかしこちらの駐車場、結構混んでいます。
「戦国武将ブームだからかなぁ?」
よく見ると、皆プレジャーボートを引っ張って来ています。

どうやら湖での魚釣りが目的のよう。ちょうどいい場所に駐車場があるから停めてるみたいです。

戦国武将ブームもここまでは及んでないようで、ちょっと残念。歴史や史跡めぐりも釣りと同じくらい面白いと思うんですけど^^;

琵琶湖で釣りする人々


夫と2人で坂本城址と光秀像の写真を撮っていると、清掃作業のボランティアをしていたおじさんが話しかけてきました。

坂本に歴史ロマンを求めてやって来た珍しい観光客(私たち)に、もっとこの辺りの歴史や史跡について説明してあげようと思ったようです。

坂本城は水城で今は湖の底に沈んでいるのだとか。この石垣は安太積み(あのうづみ)といって今では一軒の家しか積めないそう。

安太積みの石垣


ちなみにおじさんのおすすめスポットは東南寺。作業も終わったから案内してあげるよ、と連れて行ってもらいました。ありがとうございます☆

会話の中で教えてもらえて良かったことは、昔京都の人が比叡山に向かう時に通った道は、現在の国道ではなく、一本中に入った旧道だということ。

都に来たザビエルが日本一の大学があると聞いて向かったのが比叡山。しかし入山を断られ坂本で引き返したのです。ザビエルが通った道を是非見たいっ!!


坂本城址の碑


東南寺から旧道に出た所に、またまた坂本城址の碑がありました。どうやらこの辺り一帯が城内だったもようです。随分と広かったんですね。

ザビエル以外にも坂本を訪れた宣教師は何人もいて、その中の一人ルイス・フロイスはこの城のことを「安土城の次に豪壮華麗な城」と言っています。

安土城を隅々までその目で見たフロイスが、それに次ぐほどだと言った坂本城。現在は地元の人にもあまり知られていないのがもったいないです;;

坂本の旧道


旧道沿いの町並みは、保存されているのか、所どころ昔の面影を残しています。当時はもっと細い道だったかもしれませんね。

日本宣教に燃えるザビエル、不屈の精神で都に教会を建てたヴィレラ、織田豊臣の時代に国の有力者と渡り合ったフロイス――。

彼らが熱い心で祈って通って行った道に、今自分が立っていることがとても不思議で、心が強く揺さぶられるような、そんな気持ちになりました。


坂本城址の碑

説明板

旧道

旧道の碑

光秀が茶の湯に用いた清水


旧道をしばらく進むと、今度は光秀が茶の湯に用いたと伝えられる清水に出くわしました。ほんとにウロウロ万歳(?)です!

この水をキリシタン女性細川ガラシャもきっと飲んだんでしょうね。光秀の娘ガラシャは本能寺の変の後も細川家の尽力で生き延びました。

秀吉の世になって許されて大坂に戻りましたが、魂の救いを求めて受洗。37歳で壮絶な最期を遂げるまで、信仰を貫き通しました。


志津が池

説明板

 世界の中心 (!?) 近江八幡へ

旧道から国道に出て、バスに乗って大津へ。
そこから近江八幡へ向かいます☆
空は水に溶かしたインクのようなすっきりと澄んだブルー。移動するだけでも心躍ります♪

近江八幡駅


一時間ほどで近江八幡の駅に到着。駅前には近江商人発祥の地の碑が。

近江八幡は豊臣秀次が、叔父である秀吉の命を受けて八幡山に城を築いた際、城下町として開かれた町。

現在はヴォーリズ建築と八幡堀の風景を目当てに多くの人が訪れる観光地となっています。

ヴォーリズ記念病院へ


駅前から長命寺行きのバスに乗ると、観光マップ片手に談笑しているグループが何組もいました。町歩きを楽しみにしているようです。

乗客のほとんどが白雲館前で降りた後も、乗り続けること15分。私たちは「ヴォーリズ記念病院前」のバス停に降り立ちました。

バス停から病院までは歩いて5分ほど。なぜか道沿いの家々も、洋風でセンスがいいです♪

ヴォーリズと医療


市民に優良な医療を受けさせたいと願ったヴォーリズは、1918年近江療養院を開設しました。

現在は総合病院となり、ヴォーリズ記念病院と名前を変え、その理念を受け継いでいます。

バスの便も少ないこの病院に来たかった理由は、病院内にヴォーリズの設計した礼拝堂があるから。ひと目見てみたくてやって来たのでした♪

ヴォーリズ記念病院礼拝堂


敷地を歩くナースらに会釈しながら礼拝堂へ。緑の多い地域にあるので、とても静かな環境です。

礼拝堂の扉は閉まっていたので、外から本当に「ひと目」しか見られませんでしたが、満足です☆

自然と共生する、素朴で清々しい精神が感じられ、日本にもこんな場所があったんだと思いました。
こういう凛とした美しさ、好きだな (o^-^o)


記念病院入口

礼拝堂

礼拝堂の入口

バス停周辺

白雲館


田園風景の広がる中、のんびりとバスを待ちながら、温かいお茶とお菓子でしばし休憩。優しい日差しと風のおかげで、気持ちのいいティータイムになりました♪ 

こうして眺めていると、ヴォーリズが「世界の中心は近江八幡」という意味のサインをした気持ちがわかるような気がします。

このように愛しく思う心こそ、出発点だということではないでしょうか。

再びバスに乗り、白雲館前で下車。八幡堀にはたくさんの観光客の姿が。桜の頃はきれいなんだろうな☆


白雲館

八幡堀

八幡堀

近江八幡の町並み

近江兄弟社本社


5分ほどで近江兄弟社本社へ。道をはさんだ向い側には小さな公園があり、ヴォーリズと子供の像が建てられています。

本当に申し訳ないことなのですが、私テレビで見るまでメンタームってメンソレータムのバッタモンだと思ってました;; こんなに偉大な人なのに;;

ヴォーリズは38歳で日本人女性と結婚。のちに帰化し一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改名しました。米国から来て留まると書いて「めれる」とは、うまくつけたものですね☆


像が建つ公園

ヴォーリズ

子供の手には生花

近江八幡の名誉市民

朝鮮通信使ゆかりのお寺


細い路地に入っていくと、保存された町並みの中に昔朝鮮から来た外交使節団朝鮮通信使の随行員が食事をしたというお寺に着きました。

秀吉の行った朝鮮出兵の際、捕虜として連れられて来た朝鮮人の帰還と新たなる外交関係を築くための友好を目的として来日した通信使たち。

彼らの多くは書や音楽、舞踊などに秀でた芸術家だったため、彼らのパフォーマンスは各地でフィーバーを起こしたのだとか。これぞ元祖韓流スターかも?


勤皇家西川吉輔宅跡

西川吉輔について

正福寺

正福寺の説明板

日本基督教団 近江八幡教会


正福寺からほど近い場所に、日本基督教団の近江八幡教会があります。こちらの建物も、元々はヴォーリズが建てたもの。

元の建物は1981年失火により焼失しましたが、1年半後、一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計で再建されました。

英語教師として来日したヴォーリズでしたが、学生を伝道することに反対する人々との摩擦を避けるため、わずか2年で教師の職を辞しました。

近江八幡教会の内部


生活の基盤を立て、伝道活動を続けるために、ヴォーリズは建築設計事務所を開きました。

建築家になる夢を諦めて外国宣教に赴いた彼にとって、自分が学んだことが主のために使われることは、深いみこころとして感じられたことでしょう。

教会の中に入ることはできませんでしたが、外から内部が見らるようになっていました。彼を慕って訪れる人への配慮でしょうか。感謝です♪

アンドリュース記念館


教会のすぐ隣にあるのが、アンドリュース記念館。
実は教会よりも先に建てられました。この記念館は、ヴォーリズの建築第一号なのです。

名前の由来となったハーバート・アンドリュースは、ヴォーリズの親友で、ヴォーリズの伝道によってクリスチャンになったものの、若くして亡くなった人。

彼の遺族から贈られた資金を基に、ヴォーリズは自分の全財産を捧げてこの建物を建てました。


町並みと教会

近江八幡教会のあゆみ

教会のステンドグラス

アンドリュース記念館

旧ヴォーリズ住宅


教会からてくてく歩いて5分ほどで、近江八幡最後の目的地である旧ヴォーリズ住宅に到着。

宣教から医療、教育、産業の発展にまで生涯をかけて取り組んだヴォーリズが後半生を過ごした住宅で、現在はヴォーリズ記念館となっています。

人を驚かせるような奇抜さや自己主張よりも、人が人らしく生きられることが大切なのだと、この建物が語りかけてくるのを感じました☆


ヴォーリズが暮らした家

説明板

門柱と門扉

まわりの風景

 ひこにゃんの国 彦根♪

予定では近江八幡で昼食と思っていましたが、ちょうどいいバスがあったので近江八幡駅へ。
ほどなく電車も来たので彦根に向かいました。

彦根といえば、国宝に指定された彦根城天守!と思っていましたが、
駅に下り立つとそれとは違った名物がお出迎えしてくれました。その名は「ひこにゃん」
そういう名のゆるキャラが人気だとは聞いていましたが、これほどとは(ノ゜⊿゜)ノびっくり!!

井伊直政像


駅前のロータリーに聳える姿は、井伊直政公。徳川四天王の一人で、彦根藩初代藩主となった人です。

武勇で聞こえた武者らしく、荒々しい様子で睥睨していますが、周りのお店のショーウィンドウには、ひこにゃんが満載。不思議な取り合わせです^^;

そして目を引くのはひこにゃん関連品。石田三成をイメージした「いしだみつにゃん」に、キティちゃんがひこにゃんの格好をしているコラボ商品まで@@ 

ひこにゃんの石像


彦根駅から彦根城へ、街のメインストリートを進んで行くと、石像のひこにゃん発見。お地蔵さんと並んでますが、どういう人が買うのでしょう?

ふつう駅前の大通りといえば商業施設をイメージしますが、彦根では石材店が軒を連ねています。

彦根三十五万石という、歴史ある街ならではのことなんでしょうね。

カトリック彦根教会


彦根城の前の道を左折して、カトリック彦根教会へ。お城を見る前に、一番行きたい教会へ行き、街歩きをしたいと思いまして。

1935年に創設されたカトリック彦根教会は、戦時中神父が身柄を拘束されるなどの困難を乗り越えて、1954年現在の場所に聖堂が建てられました。

安土セミナリヨ史蹟公園で見た石柱と案内銘板をはめた石は、この教会から運ばれたものです。


聖堂

聖堂内

木目が美しい天井

ルルドと聖母

そろそろブレイク

教会でお祈りできてすっきりしたので、隣にある喫茶店でお昼ご飯♪
そろそろ休憩を取らないと体もキツイしε= (++ ) !!

教会の隣にあるお店サンチョ

ハンバーグ定食
                           

メニュを見ると・・・

何気なく手に取ったメニューが、キリスト生誕の絵本だったのでびっくり。
私「教会の隣だから、ここってクリスチャンの人が経営しててるのかも!?」
夫「そういえば、なんか癒されるよね、このハンバーグ。お祈りのパワーかな」

2人して感激してご飯を食べて、出る時にちらりと見たら隣のメニューは赤頭巾ちゃん・・・。
どこから癒しパワーをもらったのかわかりませんが、とりあえず元気になって出発しました (゜∇^*)♪

キリスト生誕の絵本がメニューに!

考えてみるとクリスチャンはこんな使い方しないか?
            

スミス記念堂



彦根城のお堀の外側を、石垣を眺めながら進んで行くと、お寺発見・・・と思いきや、ここ、教会です!
正確には教会だった建物です。それにしてもすごいです。この純和風建築で教会堂とは。
インパクト大とはこのことです☆

スミス記念堂


見ようと思って来たにも関わらず、実際に見たらあまりにすごいのでしばし呆然。昔のキリシタンの聖堂ってこういう感じだったのかもしれないと思ったりして。

近づいて行くと、建物の中からおじさんが出てきて、手招きしてくれました。おじさんはボランティアで管理と案内をしている仏教徒の方だとか。

おじさん曰く「キリスト教のことはよくわからないんだけど、ここって一応プロテスタントみたいだねー」
えっ そうですけど。あのう・・・@@

スミス記念堂祭壇


「写真撮ってもいいですか?」と聞くと、
「いいよ。そこ祭壇だけど上っていいから。ピースとかして皆写真撮っていくよ」

とても親切でユニークなそのおじさんは、ざっくばらんでカジュアルな感じですが、手作業で作られた部分とかを丁寧に説明してくれます。

日本の文化遺産って、本当にボランティアガイドさんに支えられている面が大きいと思います。いつもお世話になっています <(_ _)>


スミス記念堂の碑

説明文のアップ

記念堂の瓦

手彫りの扉

彦根城が借景に☆


堂内から外を眺めると、ちょうど彦根城が借景になっていました。風雅です☆

私たちが来た街を言うと、おじさんの戦友が住んでる街だということで話が盛り上がり、珍しくちょっと長居してしまいました。

お礼を言ってと立ち去ろうとすると、
「あ、近くに教会あるよー」とおじさんが思い出したように付け加えました。その言葉を聞けるように神様が計らってくださったのかも ∬´ー`∬ウン キットソウ♪

日本聖公会 彦根聖愛教会


まっすぐ歩いて徒歩5分。日本聖公会の彦根聖愛教会に到着。スミス記念堂はもともとこの場所に建っていたのです。

現在の聖堂が建てられる時に、移築して文化財として保存するようになったそう。 

近くにあるので、スミス記念堂を見た後にこちらまで寄る人もいるといるかもしれませんね☆

聖堂の内部


「すみませーん。こんにちは」と声をかけながら扉を押すと、誰もいないのに鍵はかけられていませんでした。

カトリックの教会は信徒がいつ来てもいいようにと、大抵開いていますが、プロテスタントの教会は普通開いていないことが多いのに、ここは開けてあるようです。

治安や防犯上の問題があるから、オープンにしておくのはなかなかできないことなのに、開けておいていただけるのはうれしいです。感謝してお祈り♪

ここを訪れる人、この地域の人々にたくさんの祝福がありますように m(゜▽゜* )

 風情ある町並み

教会に三つも行けて、とっても満足な私。
彦根城はすぐそこに見えますが、もう少し街歩きをしてから向かいたいと思います。
夢京橋キャッスルロードという、昔風の町並みの商店街もあるみたいだし。たのしみです☆

牢屋跡


キャッスルロードに行く前に、一ヶ所行きたい場所が。それがこの牢屋跡。難なく見つかり感謝です。こういう場所って、観光地になってないから、見つけにくいのです。

ここは彦根城下の牢屋跡。処刑も行われていました。古地図には「牢屋町」の名も残っています。

井伊直弼が桜田門外の変で殺害された後、藩の方向性が変わり、そのあおりを受けて斬首された長野主膳(義言)。その遺体が埋められた場所だということで、ここには義言地蔵が安置されています。


牢屋跡

義言地蔵の説明

近くにある腹痛石

腹痛石の由来

夢京橋キャッスルロード


牢屋跡から昔の巡礼路にあったという腹痛石を過ぎ、人通りの多い大通りに出ると、それが夢京橋キャッスルロード。観光客がいっぱいです@@

ここに来てやっと、「そっか、連休だもんな」と思いました。今まであまり観光客がいない所ばかり行ってたので、都会に来たなという感じです^^;

町並みを揃えて、歩くだけでも楽しめるようになっているのが、なんとも風情があっていい感じです☆

側溝には鯉が♪


歩道沿いの側溝には、きれいな鯉が♪
こういうの初めてです。ここではないけど、鯉が泳ぐ古い町並みをテレビで見て、ちょっと憧れてました。

キャッスルロードの人混みにもまれながら、目指しているのは宗安寺。朝鮮通信使が彦根を訪れた際に泊まったお寺です。

野洲で中山道から分岐して、近江八幡、安土、彦根を経由して、再び中山道に合流する道は、朝鮮通信使が通ったことから朝鮮人街道と呼ばれています。

宗安寺


赤い門が印象的な宗安寺は、初代藩主井伊直政の正室が両親の菩提を弔うために再興して建てたお寺。

この立派な赤門は、元は佐和山城にあったもの。佐和山城は石田三成の居城で、「三成には過ぎたもの」と言われるほど素晴らしい城だったとか。

今回の旅行で佐和山城にも行きたかったけれど、スケジュール的に無理で諦めたのですが、ここで門だけでも会えて感激です☆

この門、急ぎの時に馬で駆け入ることができるよう、敷居がないのが特徴なのだそう。さすがお城から来ただけあって、軍事的なことがよく考えてありますね@@

鬼瓦


本堂に向かって右手に置かれているこの鬼瓦は、長浜城の御殿からもらったものなのだとか。昔は建築材をどこかからもらって再利用するのが慣わしだったのでしょうか?

現代人の感覚からすると、新しい物の方が丈夫でいいような気がするのだけど。御殿から拝領するってことに意味があったのかな?

でもそうすると、佐和山城は?ってことになるわけで・・・。自分の国の風習とかも、時代が違うと理解しくかったりするものですねえ^^;(単に私が無知なのか?w)

長浜城も今はなく、復元された天守が博物館として公開されていますが、そこを訪れる時間がないので、長浜城の一部もここで見ることができて感謝なのです♪ 


宗安寺の説明板

説明の文章

本堂

鬼瓦について

 やっと訪れた彦根城は・・・

人の波に飲まれながらキャッスルロードを引き返し、ようやく彦根城の入口に到着。
人が多いとスイスイ前に進めないのが痛いです。
しかしもっと大変そうなのが車。お堀の周りは渋滞がすごいです。今日は車じゃなくて良かったぁ☆

彦根城の道


時刻は午後4時を回り、彦根城の閉門は5時。受付の人に「梅林が見たかったら走ってください」と言われてしまいました。梅林は見られなくても大丈夫です☆

国宝の天守が見られて、彦根城ってこういう所なんだなーと感じられたらいいのです。だってせっかく彦根に来たのに、行ったのは教会と牢屋跡だけでは・・・ねぇ;;

行きたい所が先だけど、名所といわれる所にはそれだけの理由があると思うので、できるだけ行きたいと考えているのでした。実際知らないことが多いし^^;

天秤櫓


彦根城はただ城内を歩いて眺めるだけでなく、天守をはじめ、いくつかの建物が公開されていて、入ることができるようになっています。

今回城跡ばかり巡ってきたので、「建物の中に入れるなんて、すごいサービスだね!」とテンションが上がってしまいます。

天守は待ち時間が長くて無理そうなので、天秤櫓に入場(○゜ε^○)v

柱に残るチョンナの跡


さらっと見るだけと思って入りましたが、結構見ごたえがあります。柱に残る跡は、チョンナという、昔朝鮮から渡って来た建築技術者が使っていた道具の跡。

江戸時代になってものこぎりではなく、この鎌みたいな道具を使っていたんですね。はぁぁ、すごい。道具跡なのに、きれいです☆

天秤櫓の石垣も、左右で積み方が違っていて、様々な工夫と技が込められています。城って家じゃなくて、軍事施設だったんだなと改めて認識したりして。


天秤櫓の説明板

右側の石垣

左側の石垣

天秤櫓のみどころ

国宝 天守



上の開けた所に建っているのが、国宝彦根城天守!
桜の頃も華やかなんでしょうが、梅との競演も趣深くて素敵です☆
意外と小さいんだなと思いましたが、国宝になっている4つの城の一つを制覇できた喜びが◎


彦根城天守

彦根城天守

彦根城櫓

井伊直弼生誕地

 ちょっとだけ長浜♪

ひこにゃんの歌を聞きながら彦根城を後にし、彦根駅へ。
時刻はすでに5時を回っていますが、今から長浜へ向かえば50分ほど滞在できるはず。
という訳で、長浜にGO! 長浜には秀吉が初めて建てた城があります☆

秀吉と三成出会いの像


長浜駅ロータリーに建っているのは、秀吉と三成の出会った場面の像。像といい道といい、最近整備されたのかとてもきれいです。

出世街道を歩き始めた秀吉と、秀吉の目に留まった三成。この出会いがあってその後の歴史が巻き起こっていったんだなと、不思議な感慨にとらわれました。


出会いの像

三献の茶

竹中半兵衛詩碑

長浜の名の由来

豊国神社


駅のすぐ前の細い道を北に向かうと、詩碑があり、その脇にはこの辺りに長浜城の家臣団の屋敷があったとの碑が建てられています。

その先に見えるのが豊国神社。秀吉亡き後、長浜の町衆が秀吉をしのんで建てた神社です。

偉大な人を没後に神様に仕立ててしまうのは、日本人の国民性なんでしょうか。クリスチャンとしては深く憂慮してしまいます 「(´へ`;うぅむ。。。


家臣団屋敷跡

豊国神社

加藤清正像

大手門の跡

長浜黒壁スクエア


長浜の町は黒壁スクエアという、なんだか素敵な町になっていて、女性が喜びそうな観光地って感じです(表現力がなくてスミマセン)。

私も女性なので、こういうストリートとかは好きなのですが、ここが昔高札場だったことを考え合わせると、無邪気な気分にはなれないというか・・・。

北国街道と美濃からの谷汲道とが交わるこの場所は、札の辻と呼ばれ、高札場となっていました。

北国街道


高札場はその町の一番人通りの多い街道沿いの要衝に設けられることが多く、ここに為政者からのお触書が掲示されました。

また、ここがそうだったかはわかりませんが、高札場は罪人の晒し場となる場合もありました。

キリシタン禁制の高札もここに立てられていたことでしょう。やはり無邪気に町歩きを楽しむ気持ちにはなりにくいです。


素敵な町並み

北国街道について

灯りがともる

札の辻本舗前の金草履

長浜キリスト教会跡


札の辻から大手門通りを、何の気なしに歩いて行くと、左手に「キリスト」の文字が@@!

よく見ると、「長浜キリスト教会跡」と刻まれた石碑です。なんとすごいんでしょう! こういう所があると全然知らなかったのに。これこそ導きですよね、きっと。

碑の上の肖像画の西田天香という人、コルベ神父との関わりで名前だけ知っていましたが、クリスチャンではなかったような・・・。若い頃に教会に来ていたのかな?


西田天香

教会跡

駅から見える長浜城


お店に入って食事をする時間はなさそうなので、駅前のスーパーに寄ってお土産とお弁当を買って長浜駅に到着。もう6時。日が暮れかかっています。

駅から眺める長浜城。ま、どうせ復元したものだし、中の博物館はもう閉まってるし、遠くから見るだけでいいやと思っていましたが・・・
やっぱり見たいかも、近くで!

「ごめん!これ持っててくれる? ちょっとだけ行って写真撮って来る!」
夫にそう言い残し猛ダッシュ・・・のつもりが、足がもつれるっ;; 

ライトアップされた長浜城


いつの間にこんなに肉がついたんだろう? 全身の贅肉が上下に揺れて重いリュックサックでも背負っているよう。ほんの少し走っただけで、噴出す汗。涙がにじむ・・・。

駅から徒歩5分の場所に、走ってはゼーハー休んだため7分かかって到着(走ったせいで余計に時間かかったかも;;)。それでもなんとか撮れました、長浜城!

完成した城を眺めた秀吉は、ものすごい達成感で胸を張ったことでしょうね。その快感は更なる野心に火をつけたのではないでしょうか。

長浜城は、秀吉が初めて建てた城というだけでなく、秀吉の野心と野望の原点となった城だということでも、歴史的に重要な意味を持つ城なのではないかと思いました。

長浜から米原に行き、米原から新幹線で東京へ。
最後は寒くて震えたけれど、
来ることができて良かったなあと感謝感激♪

いつか行きたいと思っていた所に行けたのも良かったけれど、
行ってみて、来た意味がわかった場所もありました。
そういう発見があるから、旅は面白いのでしょうね☆

またどこかに行ってみたいな。主と共に♪
最後まで読んでくださってありがとうございますo(*'▽'*)/☆゜'・:*☆

インフォメーション
江若交通HP
近江八幡観光協会HP
ヴォーリズ・ミュージアムHP
ヴォーリズ委員会HP
一粒社ヴォーリズ建築事務所HP
近江鉄道HP
彦根観光協会HP
長浜観光協会HP
財団法人 一燈園HP


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