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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 駿府キリシタン秘抄 Ⅹ


          今日もあまり観光地化されていない
          穴場ともいうべき所に向おうと思います☆
          一応予定は立てているけれど、行くべき所に
          感動で導いてもらえますように ヽ(*^▽゜ *)ゞ


誓願寺


まずは静岡市駿河区にある誓願寺へ☆

ここにキリシタンと関わりのあった片桐且元の墓があるということで。

お寺の広い駐車場では子供たちが凧揚げをして、木に引っかかって大人に取ってもらっていました。今どきこんなのどかな光景、なかなか見られないかも (*゜∇゜)♪


周辺の史跡地図

誓願寺解説板

地蔵尊

本堂

片桐且元夫妻の墓


境内左手奥の墓地に行くと、頻繁に案内板が出ているので、迷わず到着しました。

こちらが片桐且元とその妻の墓です。

二人並んで墓があるなんて、時代的にみるとすごいことかも。向って左側が且元の墓で、右側が奥さんのです。形も大きさもほぼ同じ☆

片桐且元と方広寺鐘銘事件


近江で生まれた片桐且元の墓がなぜここにあるかというと、方広寺鐘銘事件が絡んできます。方広寺の鐘に刻まれた文字「国家安康」「君臣豊楽」が不穏当だとして、家康からいちゃもんをつけられたために、その弁明をしようと駿府にやって来た片桐且元が滞在したのが誓願寺だったのです(それが縁となって後に墓が建立された)。

ところが且元の弁明は不首尾に終わり、それで豊臣家からは徳川と内通しているのではないかと疑われて、改易までされてしまいました。

しかしそれが家康の狙いだったのでしょう。冷静で頭のきれる片桐且元を排除して、プライドが高く激しやすい淀殿を相手にしてこそ大坂城を落とせると、読んでいたと考えられます。

人は自分の足元が揺らいでいても気づかず、破滅へのカウントダウンが始まっていても、頭を冷やして軌道修正することのできぬ、愚かさをもっているように思います。これもまた「心」の問題ですね。

キリシタンとの関わり


片桐且元とキリシタンとの関わりですが、且元は豊臣家の時代キリシタンの保護者といえるほどの人でした。大坂にあったフランシスコ会の病院で自分の子供の病気を治してもらい、自らも持病の神経痛で通っていたからです。

またその頃豊臣秀頼は宣教師に好意を寄せていて、大坂にはイエズス会とフランシスコ会の教会がありました。例外的に1606年に淀君が、妹の葬儀の際に僧侶からキリシタンの悪口を吹き込まれて、大坂城の壁にキリシタン禁止の貼り紙をしたことはありました。

しかし翌年イエズス会のフランシスコ・パシオ神父一行が且元の斡旋で秀頼に会うようになり、大坂セミナリヨの生徒がハープやオルガンの演奏を披露した際に、且元は前年のキリシタン禁止の件を詫びています。

1612年に徳川幕府はキリスト教禁令を発しましたが、それでも大坂では宣教師が自由に活動できたのは秀頼の意向によってでした。しかしそれも長くは続かず、1613年にはついに幕府の圧力に抗しきれず、且元はキリシタン信徒の名簿を作成し、捕らえた300人のうちの58人を、大坂城の馬場で晒し者にしました。

そして翌年には牢内の転ばない信徒24人を津軽に流刑としました。世の流れが豊臣から徳川へと変わる過程で、且元のキリシタンに対する姿勢も好意的なものから迫害へと変わりました。

しかし火焙りなどの処刑を命じた為政者たちとは一線を画しているということができるのではないでしょうか。ちなみに且元の病気を癒したマグダレナ修道士は名医で、1607年から7年間大坂にあった教会付属の病院で活躍しました。

1614年禁教令が出されたためマニラに流されましたが日本に対する思いを断ち切らず、禁教下の日本に潜入。密かに15年間宣教医として奉仕し、1630年に捕縛されました。1632年長崎で殉教し、1867年列福されました。一人の人の選んだ道、歩んだ道ですが、その中に尊いものを感じます。命を何かのために使った人の生き方に胸打たれるのは、私だけでしょうか。


片桐且元夫妻の墓

片桐且元の墓

妻の墓

駿州横山城主の墓

 丸子宿 ヽ(‘ ∇‘ )ノ

丸子宿にあるとろろ汁の丁子屋


誓願寺を後にして丸子(まりこ)宿へ。昔は「鞠子」と書いたようですね。

丸子宿は日本橋から20番目の宿場で、人口795人の東海道の中で最も小さな宿場でした。

こちらはとろろ汁の丁子屋。歌川広重の浮世絵にも描かれています☆

丸子宿

丸子宿概要

旧東海道

歌川広重の浮世絵

高札緑地


宿場に来たら探すのが高札場!(このセオリーが通じるのは我が家だけかもしれないが)

どこどこどこ?とスマホで調べてみたら、丸子宿の高札場は高札緑地内に再現されているというではありませんかっ♪

期待して行ってみたら、ネットの写真とはちょっと違った風になっていました。一応木で再現してはあるんですけど、ネットにはちゃんと高札型のものになっていたんです。。上の部分壊れちゃったんですかね?

実際に発見されたものの複製が置かれているんですが、キリシタン禁制のものはありませんでした。見つかってないということでしょうね。キリシタン禁制の高札がなかったはずはないので。

まあ、ここで旅人はキリシタンは御法度だよとの高札を眺めていたということを感じるだけでも来た甲斐あります。江戸時代全体を通してずーっとだから、長いですよね。

不必要なほどの長期間キリスト教を目の仇にして、一体日本は何をしてきたんだろうと思ったりして...(*゜。゜)


高札緑地

高札型の解説板

発見された高札

発見された高札

 キリシタン伝説が残る用宗城跡へ♪

用宗城跡はコチラ


ではもっと海側に車を走らせ用宗(もちむね)城跡へ。JR用宗駅裏の小山を登った所にあります。

手作り感あふれる案内板に誘われて、登ろうとすると、上から家族連れが (@゜Д゜@)

若者たちの声もします。マイナーな史跡かと思いきや、正月から人が来ていてちょっとびっくり。

用宗城跡


こちらが小山の頂上にある用宗城跡。思いっきり・・・何もありません!

あ、小さめの碑があった。灯籠も。碑には「持舟」と書いてあるから、「もちふね」がなまって「もちむね」になったんでしょうね。海も近いから納得です☆

「キリシタン伝説百話」という本に、ここにあると書かれていたマリア観音は、今は麓のお寺に安置されていて7年に一度開帳されると解説板に書いてあります。「キリシタン伝説百話」の初版発行が1987年だから状況が変わっていても「さもありなん」という感じです。像が置かれているというお寺をさっき見かけた(目に入るようにしてもらったんですな♪)から、帰りに寄ってみなくっちゃ。

持舟城のマリア観音


持舟城のマリア観音の話は、静岡県に残る唯一のキリシタン伝説として取り上げられています。この城が武田氏の出城の一つだった頃、城主の向井正重に正興という弟がいて、その人がキリシタンの母娘に出会って面倒を見るようになり、自らも信仰の道に入るようになったというお話です。

娘は南蛮人との間に生まれた子で、碧眼だったそうです。正興は娘をかわいく思い、娘をモデルにして石にマリア像を刻んだのだとか。しかしこの城はやがて家康に攻め込まれ、正興は兄と一緒に城を枕に討ち死にしました。

それと同じくして母娘もこの地方から姿を消し、マリア像だけが残って、人々はそれをマリア観音として崇めました――ということです。伝説なので信憑性の高い話ではないのですが、静岡にそんな伝説があること自体が珍しいので来てみたわけです。

解説板には、廃城になった後、向井氏の子孫が城跡にマリア観音を建てて、正重の霊を祀ったと書いてあります。微妙に食い違っていますね。でもマリア観音なるものがあることだけが一致しています。

麓の大雲寺にあるということも知ることができて感謝です。7年に一度では見られない可能性が高いですが、その寺にあることだけでもわかったら、またの機会を狙えますので ヽ(^◇^*)

ナイスビュー!


はっ、しかしその前に!

すんごい絶景を発見♪

富士山がものすごくきれいに見えます!!

それで家族連れや若者が来ていたんですね。

地元の人だけが知る穴場なんだろうなー。キリシタン伝説のおかげで富士山見物までできて、なんてラッキーなんでしょう O(≧▽≦)Oハレルヤー


持舟城跡解説板

持舟城跡

持舟城跡

持舟城跡からの眺め

麓にある大雲寺


それでは麓にある大雲寺へ。よく手入れの行き届いたお寺です。

繁盛している(という言い方はおかしいけど)のか、お墓参りの人たちが入れ代わり立ち代り駐車場に車を停めていきます。

信心を集めているんでしょうね。


参道

横手にあるお堂

鬼瓦

ダライラマの写真

もしかして・・・!?


本堂は閉まっていましたが、横手にあるお堂が開いていたので中に入ってみました。

仏像が何体も飾ってありますが、真ん中の厨子だけ扉が閉じられています。

ここにマリア観音が納められていて、7年に一度ご開帳になるのかなーと思って見ていたら、隣にある石像が妙に気になります。どこかで見たことあるような・・・。よくよく記憶を探ってみたら、「切支丹風土記」(1967年初版発行)に持舟城のマリア観音として載っている写真にそっくりです!

マリア観音発見!?


また前出の「キリシタン伝説百話」の初版発行後に、地元の郷土史家から寄せられた情報(新版に注で載っている)には、「表に観音の像を彫り立て、裏に向井氏の事績を記せり」という記述があるのですが、それと思しきものが向って左手の壁に拓本で掲げられています。

私はマリア観音は石像だと思っていたのですが、事績を刻むような四角ばった平面が裏にあるような石の形をしているということなのですね。ふむふむそうすると・・・、これですべてがつながりました。

正にこれ(↑)こそが、持舟城のマリア観音ではないかと!

7年に一度というのが幸運にも今年なのか、今日なのか、何なのかよくわかりませんが、形状などからして、これがそうであることはほぼ間違いないかと。お寺の方がいなくて尋ねられなかったので、確めたわけではないですが。いやはや大収穫です(たぶん)。ほんとにハレルヤー ヾ(@⌒▽⌒@)ノ


向井氏事績の拓本

お堂の内部

左手の仏像

右手のものがマリア観音!?

日本基督教団 沼津教会


大興奮で沼津へ。今日は沼津に泊まるのです☆

こちらは日本基督教団 沼津教会。絵本の中から出てきたような外観ですね。似た雰囲気の日本基督教団の教会を大分で見たことがあります。同じ人の設計なんでしょうか?

明日は最終日。渋滞に引っかからないよう、早く寝て早く起きなくちゃ d(゜ー゜*)


             羨ましくなるような人がいる


          時々、羨ましくなるような人がいます。
          性格が温厚で、いつも笑顔で優しくて、人格的で謙虚で
          それでいてユーモアがあって、力を出し惜しみしなくて・・・。

          お金で性格が買えるなら、「買わせて!」と言ってしまいそう。
          うむぅ、その根性がすでに醜いか・・・(;´д`)

          しかしそういう人に限って、それほど賞賛を受けていないというか
          あまり報いを受けていないような気がして、損だなあと思うことも。

          そっか、良い性格の報いは、その良い性格自体なのかも。
          何か得をしたり、認められたりするより
          そういう心を持って生きていけることの幸せが大きいのかもしれません。
          ああ、サウイフモノニ ワタシハナリタイ ――。




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