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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 駿府キリシタン秘抄 Ⅳ


        今日は三重県から静岡にある夫の実家へと向かいます。
        三重と静岡は帰省などの用事で行って、ついでに回るので
        行く所が若干地味というか、小粒というか・・・(;´д`)
        それでも埋もれた歴史を掘り起こすべく、いざ出発!

カトリック四日市教会


昨晩は四日市に泊まったので、まずは四日市市内の教会へ。

あわよくばお祈りを・・・と思って訪れたカトリック四日市教会。朝のお祈り会があったのか、扉は開いてて中は暖房がきいています☆

感謝で祈ります \(o ̄∇ ̄o)/ウハー


カトリック四日市教会 聖堂内


祈り終えて目を開けると、祭壇にはイコンのような木製のキリスト像。

大きな聖堂ですが、全体的に穏やかな印象です♪


祭壇


入口

ベツレヘム

日本基督教団 四日市教会


続いて日本基督教団の四日市教会へ。壁面にツリーの形に電飾が施されています。最近人気なのか、各地で見かけます、このような教会装飾☆

写真を撮り損ねましたが、この教会、屋根が瓦屋根で、非常に趣があります。横から見るとわかるんですが♪

たぶん歴史ある教会なんじゃないかと。そんな感じがします。

四日市聖アンデレ教会


四日市聖アンデレ教会にも寄ってみました。外観だけですけど。

真新しくて丈夫そうな建物ですね。車で来る人が多いのか、駐車場も広く設けられています。

ちょっぴり運転が苦手な女性ドライバーには有り難いでしょうね☆

温まりつつ・・・


四日市から高速に乗って、一気に静岡へ。今日は元日だからか、道が混んでなくて感謝です。

紅茶花伝で温まりつつ、甥っ子姪っ子の顔を思い出したりして♪

年末は「末」って感じでしたが、今日からは新しい年。年始の「始」という字にふさわしい時間になるといいな☆


 藤枝へ参ります (/*⌒-⌒)o

富士山


富士山が見えてくると静岡!という感じ。途中の地名は昔の東海道に沿っているところが多くあります。

今通過して来た新城や豊橋などにもキリシタンゆかりの地があるので、いつか行ってみたいです。

どちらも殉教地でもあるんですよね。場所ははっきりわかってないけど。愛知県の名古屋以外の所はまだ十分回れてないし、岐阜にも是非行かねば!、なのですが。

明治天皇行在所跡


東海道の宿場の一つ、藤枝に着きました。ここに夫の実家があります。

帰省の前にちょっとだけ教会めぐり。道中にありますので☆

こちら(←)は偶然見つけた「明治天皇行在所跡」の碑。大きなお寺か宿泊できるような誰かの家、はたまた旅館でもあったのでしょうか?

天皇がお泊りになったであろう所は今教会の敷地になっています。

カトリック藤枝教会


碑の建っているすぐ横にあるのが、カトリック藤枝教会。古い建物ではないのに、瓦屋根に障子という和風な感じが素敵です。町の歴史と雰囲気に合わせたんでしょうか。

周りは住宅地ですが、何かの街道に面していたのか商家が多いです。昔からこの商売をやってました、みたいな感じの。


カトリック藤枝教会

カトリック藤枝教会

カトリック藤枝教会

カトリック藤枝教会

月見里神社


小道をはさんだ向かい側には月見里神社。「月見里」と書いて、「やまなし」と読むそうです。

当て字パワー全開ですね。外国人には到底理解できない、いや理解されようとも思ってないような・・・。

狭い境内ですが、ケヤキの巨木が2本。社殿の裏側の方は樹齢500年なんだとか。すごいですね。


解説板

巨木

月見里神社

日本基督教団 藤枝教会


すぐ近くにある日本基督教団の藤枝教会にも寄ってみました。

立派な聖堂です。しかも新しい。地震に備えて丈夫な造りにしたのかな。


藤枝公民館


藤枝公民館の向いには、親子連れが凧揚げをする運動場。お正月独特の長閑(のどか)さです♪

ここでの夫の思い出話を聞きました。地元に戻るとあらゆるものに思い出が絡みついていて、語っても語っても尽かないものですよね☆

さて、藤枝宿のある東海道を行き来したキリスト教関係者は多くいました。イエズス会やフランシスコ会の宣教師たちが、駿府に家康に会いに来ていたからです。

東海道とキリシタン禁令


1604(慶長9)年、幕府は東海道など全国の街道を整備しました。そして翌年徳川家康は将軍職を秀忠に譲り、1607(慶長12)年、家康は駿府城に入りました。「隠退」とはいうものの歴然たる権力持つ家康の元には人々が訪れて、江戸と駿府の二元政治が行われることになりました。それで宣教師らは、ある時は秀忠に会いに江戸へ、ある時は家康に働きかけるために駿府へと東海道を往来するようになったのです。

その中での勝ち組がオランダとイギリスで、負け組がポルトガルとスペインでした。イギリス人ウィリアム・アダムスを重用した家康は、新教(プロテスタント)国との貿易のみを許可し、宣教師を伴って来日するカトリック教国を排斥するようになりました。

1612(慶長17)年、徳川家康は「日本人伴天連宗ニ成事堅ク被禁」として、日本人がキリシタンになることを禁じ、駿府のキリシタン岡本大八(本多正純の与力で賄賂事件を起こした)を処刑し、キリシタン寺の破却を命じました。1613(慶長18)年に来日したイギリス国王使節ジョン・セーリスは、駿府郊外の安倍川でむごたらしく殺されたキリシタンの死体の山を目撃し、その様子をこう記しています。

「予らが、ある都市に近づくと、磔殺(たくさつ)された者の死体と十字架とがあるのを見た。なぜならば、磔殺は、ここでは大多数の罪人に対する普通の刑罰であるからである。皇帝の宮廷のある駿府近くに来たとき、予らは処刑されたたくさんの首をのせた断頭台を見た。その傍らには、たくさんの十字架と、なおその上に縛りつけたままの罪人の死体とがあり、また仕置きの後、刀の切れ味を試すために幾度も切られた他の死骸の片々もあった。駿府に入るには、是非その脇をとおらねばならないので、これはみな予らにもっとも不快な通路となった」(「セーリス日本渡航記」村上堅固訳)。

駿府で考案されたというキリシタン拷問方法「駿河責め」も有名です。東海道を行き来した宣教師、キリシタン共に、禁教下を苦しみ抜いたことは想像に難くありません。だからこそ藤枝という宿場町が今、教会がいくつもある街になったことは、意味があり素晴らしいことであろうと、強く強く思うのでした。




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