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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 駿府キリシタン秘抄 Ⅴ


           年末年始の休みを利用して
           以前から行きたかった静岡の各地へと向かいます☆
           三島、沼津、清水、島田、掛川、磐田、浜松・・・。
           どこも歴史の宝庫で、いろんな物語と経緯があります。
           お天気と安全が守られますようにヽ(^◇^*)/


梅縄城跡

梅縄城跡


まず向ったのが三島市にある梅縄城跡。

梅縄城は、キリシタンの石川成尭(なりたか)が領主をつとめていたお城なのです♪

住所がわかっていたので、車のナビで楽勝かと思っていましたが、近辺を回っても回っても見つからず、人に訊いて、その人が別の人に訊いてくれてやっとのことで到達しました。

自治会館に車を停めさせてもらい、地元の人に歩いて案内してもらいました。のっけから苦戦してしまい、へこみそうでしたが、やっぱり日本人って親切だなぁと思ってしまいました。外国人みたいな感想ですけど。。(*゜ェ゜*)

御殿川

蔵が建ち並んでいたという川岸


地元の方によると、この川は昔「御殿川」とよばれ、荷物を載せた船が行き交い、岸辺には備蓄用の蔵が並んでいたのだとか。

今は水量が減ってしまって、その片鱗もうかがえませんが・・・。

解説板には「成尭」の名前も出ていて感激。キリシタンだったことは書かれてませんが、これくらいは許容範囲かと☆

石川成尭という人


石川成尭は、小田原城主大久保忠隣の子で、お兄さんは後に大垣城主になる石川忠総(ただふさ)。ちょうど400年前にあたる1614年に成尭はここ梅縄城に蟄居中でした。実父である大久保忠隣の事件に連座してのことです。しかし翌年起こった大坂夏の陣の際に兄と共に許されて参戦。功を立てようと焦ったのかわかりませんが、武運つたなく戦死してしまいました。

石川成尭がキリシタンだったとするのは、レオン・パジェスの「日本切支丹宗門記」に「フランシスコ会の修道したちはフランシスコという名を得た美濃の大名の養子を改宗させた」「この若い大名は不幸にして翌年死んだ」と書かれていて、この人物を成尭だと考えるからです。「美濃の大名の養子」だけならお兄さんの忠総も当てはまりますが、死去した時期からすると成尭が妥当です。

フランシスコ石川康通


ちなみにこの「美濃の大名」とは石川康通(やすみち)という人。晩年キリスト教を奉じ、霊名「フランシスコ」を持つ美濃国大垣城主でしたが、1607年に54歳で亡くなりました。嫡男石川忠義がわずか11歳で家督を継ぎますが、徳川秀忠の怒りを買って閉居に。

そこでその祖父である石川家成が大垣城に入ることとなったのです。しかし家成も1609年に亡くなったので、大久保忠隣の次男忠総が跡を継ぎました。大久保忠隣の正室が石川家成の娘だったからです (~o~;)フクザツダノー

家成が大垣へ移る際に、大久保忠隣の5男成尭は梅縄5千石の城主になりましたが、戦死して、この城も廃城となってしまいました。

成尭がここでキリシタンとして暮らしていたのは8年ほどですが、いろんなことを考え、悩み、祈っていただろうなと思います。年が明けると成尭が亡くなってちょうど400年。それでも歴史は続いていくのだと感慨深くなります。

梅縄城址解説板
梅縄城址解説板
梅縄城址碑
梅縄城址碑
梅縄城跡
梅縄城跡
川のほとり
川のほとり

 三島の中心部へ☆

三島の中心部

三島の中心部へ


車で三島の中心部へ。ホテルにチェックインして徒歩で三嶋大社へと向かいます。宿場町の趣ある建物が残されていて散歩にはうってつけですね♪

三島宿は初代安藤広重の代表作「東海道五十三次」では、三嶋明神鳥居前を出立したばかりの旅人の様子で描かれています。また1826(文政9)年にはシーボルトが、1857(安政9)年にはタウンゼント・ハリスが訪れています。

登録有形文化財
登録有形文化財
今も盛業中
今も盛業中
三島宿
三島宿

高札場跡

高札場跡


三島宿では三嶋大社入口鳥居の左側と二日町に高札場があったとのことなので、今露店が出されてる辺りが高札場跡。キリシタン禁制の高札が掲げられていたわけです。

しかし高札が撤去されて間もない1875年(明治8)、宣教師ジェームズ・バラは三嶋大社前で路傍説教して、おびただしい群衆が集まって大混乱となったのだとか。

迫害の場所が宣教の場所へと変化したのだから驚きです。今はその痕跡も見受けられませんが、そのことを思うと時間を飛び越えられそうな気がしたりして。。(*´▽`*)ノ

三嶋大社の鳥居
三嶋大社の鳥居
左横付近
左横付近
高札場跡
高札場跡
地理的な解説板
地理的な解説板

三嶋大社

三嶋大社


そして三嶋大社へ。三島に泊まったハリスはこの神社に32分(現在の価値で26万円ほど)を奉納したという記録があります。

ハリスは一生女性に触れずに神様のために生きようと考えていたくらい熱心なキリスト教徒だったので、「奉納した」意識はなかったと思いますけど。

神社を日本文化の一つとして認めて、修復の足しにでもしてほしいと思って寄進していったんじゃないでしょうか。私的にはハリスが神社に来ていたこと自体にびっくりです (*゜。゜)

三嶋大社本殿
三嶋大社本殿
参道
参道
矢田部盛治像
矢田部盛治像
境内
境内

東海道三島宿

東海道三島宿


三嶋大社の参道から市役所方面へと歩くと、宿場の雰囲気を出して町興ししていこうという感じのロードが。安藤広重の絵も沿道にあります。

東海道の分かれ道でもあったので、相当な賑わいだったんでしょうね。ハリスも下田にいたから三島まで北上して、ここから東海道を東に向ったんでしょうから☆

東海道三島宿
東海道三嶋宿
動く人形
動く人形
現在の様子
現在の様子
広重の絵
広重の絵

三島代官所跡

三島代官所跡


3分ほどで三島市役所に到着。ここに昔三島代官所がありました。ちゃんと代官所についての解説板があり、歴代代官の名前まで記されています。

三島からは禁制時代、キリシタンが3人江戸送りになっているので、この辺りで(密告されたかで)捕らえられた信徒たちは、ここにあった代官所の牢に入れられて取調べを受け、江戸に送られて行ったんでしょうね。

誰の代に行われたのか調べて、その代官の墓まで行ってみようかな。何というか、、我ながら歴史のストーカーみたいですけど (;´д`)

三島代官所跡解説板
三島代官所跡解説板
農兵調練場址
農兵調練場址でもある
市役所と消防署
市役所と消防署

小出正吾の生誕記念碑

小出正吾の生誕記念碑


スマホに住所を入れて徒歩ナビで向かったのが、小出正吾の生誕記念碑。着いてみたら市役所のすぐ近くでした。

薄暗くなってしまって写真はお化けみたいになってしまいましたが、自然石に「子どもには、子どもの世界がある」と書かれているのが読み取れます♪

小出正吾は三島出身のクリスチャン児童文学者で、この人がキリスト教徒になったのは、祖父 小出市兵衛の影響。前出のジェームズ・バラが花島兵右衛門という人に洗礼を施し、この花島が三島でミッション系の女学校を開くのですが、その幹事となったのが、花島の義弟である小出市兵衛だったのです。つながりを思うと、何だか面白くって訪れてみたかったのです (○゜ε^○)v

小出正吾の生誕記念碑
生誕地
小出正吾の生誕記念碑
記念碑
小出正吾の生誕記念碑解説
解説
小出正吾文学碑
小出正吾文学碑

泊まったホテル

泊まったホテル


もう日も暮れたのでホテルに戻ろうとナビに住所を入れながら、あることに気づきました。

今日のホテル、中央町にあるけど、花島兵右衛門が建てたバラ女学校も久保町(現中央町)にあったんだから、もしかして跡地だったりして・・・?

跡地かどうかは定かではありませんが、少なくとも近辺にあったことは確かです。バラ女学校が。「バラ女学校」というのは通称で、正式には「薔花(しょうか)女学校」といいました。花島兵右衛門が自宅にある酒蔵(それまで酒造業を営んでいた)を改造して一階を教会堂に、二階を教室として設立した学校なので、ごく小規模なもので、資金不足のためほんの数年しか運営されなかったんですけど。

しかし!花島がキリスト教に入信したのは、明治19年のことだと言われ、バラ女学校が開校するのは明治21年のこと。受洗してわずか2年で学校設立って、かなり熱いですよね。校長は彼に洗礼を施したジェームズ・バラの従妹であるリゼー・バラ。 「バラ」が「薔薇」だから「薔花女学校」って、ダジャレですね、完璧に。

聖書的なモチーフだしいいんじゃないかな~?って、盛り上がって決まったのか、それとも幾晩もお祈りして霊感が下ってこの名前にしたのか、そこらへんの事情はわからないけれど、この熱さと意識の高さがいいんですよね、明治期のクリスチャンって。私も見習わなくっちゃ☆




  私事になるけれど・・・


    私事(わたくしごと)になりますが、
    今一番心を占めているのは「人格」という言葉。

    私の人格のなさで、悪い根性むき出しの性格のせいで
    傷つけた人がどのくらいいるんだろうと思うと息が苦しくなります。
    私を恨む人も、疎ましく思う人も一人二人じゃないだろうし。

    一人一人に土下座して謝って、許してもらいたいところですが
    もう会えなくなった人もいて、機会もないまま過ごしています。

    こういう瑕(きず)と矛盾、罪まで清算しなくては
    天国に行けないのだとしたら、天国は本当に遠いなと・・・。
    そんなことを思いながら眠りにつきました。
    今回の旅は、自分自身とも向き合う時間になりそうです。




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