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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 駿府キリシタン秘抄 Ⅶ



         今日は静岡県西部をぐるりとめぐります♪
         島田、袋井、磐田、天竜と回り、
         浜松周辺の史跡を訪れる予定です☆
         今日も安全運転でヽ(‘ ∇‘ )ノしゅぱーつ



種月院


朝イチで向ったのは「今井信郎之碑」がある島田市の種月院。隣のお茶畑がいい感じです (o^-^o)

お寺の入口右手に「牧之原開拓先駆者の記念碑」が建てられていて、この地域の発展に貢献した中條金之助と今井信郎の経歴が記されています☆

今井信郎顕彰碑


墓地の中、中條金之助の墓の背後に「今井信郎之碑」はあります。今井信郎のお墓は東京にあるので、ほんとに碑だけ。でも見られてうれしいです♪

今井信郎は「坂本龍馬を斬った男」といわれ、減刑されて釈放された後この地に来てお茶の栽培をしました。

そしてお茶を売りにいった横浜で海岸沿いの教会(今の横浜海岸教会)に入り、聖書の話を聞いて感動。静岡に戻って教会に通い洗礼を受けました。クリスチャンになってからは人格が一変し、自らも肥を担ぐなど農民と一緒に汗を流すようになり、地元の殖産産業を盛り上げました。その業績と献身が認められ、初代初倉村長に選ばれるまでになりました。

今でも慕われているからこその碑なんでしょう。見ているだけで気持ちがすっきりします。ちなみに今井信郎が受洗したのは、昨日訪れた日本基督教団 静岡教会において。平岩宣保牧師からです。建物は今と違うでしょうけど。

今井信郎は信仰の友として津田仙(元幕臣で農学者。津田梅子の父でもある)と交流があり、津田が静岡教会で講演したときに司会を務めています。明治のクリスチャン、やっぱ熱いです☆


今井信郎之碑

牧之原開拓先駆者の記念碑

今井信郎について

中條金之助について

今井信郎屋敷跡


種月院から近いのですが、道がわからなくてすごーく苦労して着いたのが、今井信郎屋敷跡。

でもここも来て良かった~という感じです♪

周りは一面のお茶畑。この時期でも大地が緑で覆われているので瑞々しく感じます。元幕臣が静岡の牧之原などに入植してお茶の栽培をするようになったのは、勝海舟が明治政府に嘆願したから。幕府に仕えていた者たちが、没落武士となって路頭に迷うことがないようにと(生活に困って世間を騒がすことがないようにと)、必要性を説いて政府に働きかけたのです。つまり一種の救済策だったわけですね。

しかし自分が食べていくだけでなく、地域にまで貢献したというのが初代村長に選ばれた理由なのでしょう。数千人規模の元幕臣が静岡の入植して開墾しましたが、誰もが成功したわけではありません。刀を鋤に持ち替え、農業を習い、農民たちと同様に一緒に働くというのは、プライドとの戦いでもあったでしょう。

またお茶には売り買いするという商業的な側面もあるので、「武士の商法」の悲しさで、騙されたり利用されたりして失敗することも多々あったと考えられます。

その意味では、今井信郎は真のクリスチャンになることで、武士としてのプライドではないものを持ち、心から人々と溶け合い、共に発展する道を進むことができたのではないかと思います。

今井信郎の屋敷跡に建つ、大きく立派な碑を見ながら、一人の人の改心が多くの実を結ぶことがあるのだと感じました。


今井信郎屋敷跡の碑

解説板

解説碑

歌碑

歌碑

歌碑

今井信郎屋敷跡

お茶畑

 袋田市と磐田市を経て♪

袋田市の八幡神社


旧磐田郡、現在の袋井市にあるというキリシタン灯籠を探し求めて、市内には来てはみたものの、入手していた住所が間違っていて暗礁に乗り上げることに...(>_<;)

通りがかりのお婆さんに尋ねると、お寺ならあそこだよと教えてくれましたが、違うお寺でした・・・。


万松院


しかし!そこまで行ったおかげで視界が開け、まっすぐ行ったら見つけられました。方向だけは合っていたようで♪ お婆さんありがとー。

こちらが万松院の「キリシタン灯籠」。万松院は無住のお寺のようですが、「キリシタン灯籠」と刻まれた碑(たぶん灯籠よりも大きい?)が門前にあり、案内板の役割を果たしています。

灯籠の横にも、袋井市教育委員会による信頼性の高そうな解説板が据えられていて、「キリシタン灯籠なんていうものはない」と言ったら叱られそうです。だけど・・・、古田織部が考案した織部型の灯籠というのが正確な認識なんですけどねぇ( ̄へ ̄|||)ウーム


キリシタン灯籠

「キリシタン灯籠」碑

キリシタン灯籠解説板

万松院

磐田カトリック教会


「キリシタン灯籠」であると、間違って認識をされてしまった石造物について、もどかしい思いを反芻しながら、磐田市内へ。

磐田カトリック教会を訪れてみました。年末に他県からやって来た私たちを、「なんだろう」と思ったらしく、信者さんが対応してくれました。

「教会めぐり」ということ自体、あまりする人がいないからですかね。


磐田カトリック教会

マリア像

磐田カトリック教会

祈りの家

日本基督教団 中遠教会


続いて日本基督教団 中遠教会へ。旧街道と思しき、2車線だけど車通りの多い道沿いにあります。

住所は「見附」。そっか、磐田も宿場町だったんですね。

実際に訪れると、いろんな情報が目から頭へと入ってきます ∬´ー`∬


 信康自刃の地、二俣城へ

天竜めぐみキリスト教会


それでは西へ針路を取り、浜松市の天竜区へ。徳川家康の嫡男、信康自刃の地である二俣城を目指します。

途中、天竜めぐみキリスト教会を発見。県内の教会を調べたとき、この辺りには教会がないなーと思っていたので、ちょっとした朗報です☆


天竜めぐみキリスト教会

天竜めぐみキリスト教会

二俣城跡


城マニアではない私でも名前を知っているくらいなので、二俣城はそんなにマイナーな城ではないと思っていたのですが、数台しか停まれない駐車場に車の影はなく、観光客も一人もいません。

城跡の遺構や解説板などは十分整備されていますが、どこか荒涼とした感じがして・・・。もちろん廃城になっていたのだから、打ち捨てられた雰囲気がしても仕方ありませんが、それ以上に吹き荒んだ空気が流れているように思います。ここであったことを知っているからでしょうか。

信康自刃事件


松平元康(後の徳川家康)の嫡男として駿府で生まれた信康は、織田信長の娘 徳姫と結婚して岡崎城で暮していました。しかしこの徳姫が姑の築山殿との折り合いが悪く、信康とも不和になったので、信長に築山殿が武田氏と内通していると讒言しました。

怒った信長は家康に、信康と築山殿の処刑を命じ、家康はこれに従ったというのが、信康自刃事件の通説です。

信康は一旦二俣城に移され、家康に切腹を命じられ自刃して果てました。享年21(満なら20歳)。このとき介錯を命じられていた服部半蔵は、若い信康に刃を向けることができず、代わり他の者が行いました。


二俣城跡

二俣城跡

二俣城跡

二俣城跡

神社

周辺地図

事件について

歴代城主


後に江戸に住んだ半蔵は、建てた寺に信康の供養塔を建てていて、それを何年か前に見に行きました。そのときは、そう書いてある解説を読んでも、「ふーんそうか」くらいにしか思いませんでしたが、今は少しだけ理解できます。

あまりに理不尽な前途ある若者の死に、耐え切れぬ思いを持ち、その後味の悪い気持ちが生涯消えなかったのだろうということが。この荒涼とした雰囲気は、それかな。


清瀧寺


続いて、信康が二俣城で自害した後に葬られたと伝わる清瀧寺へ。ここまで来ると人は大勢いて、新年を迎える準備もたけなわというという感じ。

信康の廟は本堂左手奥から石段を登って行くと途中にあるということなので、案内板にしたがってゴー。

信康廟


しばらく行くと右手にそれらしき建造物が。関所のような門によって、中には入れなくなっていて、その先には赤い門があるので、廟そのものは見られないようです。

解説板に大久保忠世らの墓もあると書かれているのですが、周囲にないので、もしかして・・・と思い門の内側を覗いてみたら、とても小さなお墓が脇に並んでいました。

あまりに小さく、磨耗して無くなりそうなくらいの石が墓石となっていて、哀れさを誘います。二俣城主だった大久保忠世や信康に殉死した武士、三方ヶ原で戦った忠臣が、こんな有様で眠っているとは思いもしませんでした。

大久保忠世のお墓は他にもあるので理解できますが、他の人はどうなんでしょう。どうであれこの扱いはかわいそうかと。私が口を出すようなことではありませんけども。。信康廟も、今でこそ清瀧寺内にありますが、元々は庵しかなかった所に設けられたと書かれています。

失礼かもしれませんが、ここは今も大寺院ではなくて、近所にあるごく普通のお寺という感じで、家康の嫡男の廟があるお寺として徳川家によって篤く保護されてきた、みたいな様子が窺えません。

家康って、身内であっても冷たいですよね。自分の命令で死んだ人たちに対しても。――そう感じました。


清瀧寺本堂

清瀧寺解説板

本田宗一郎ゆかりの地

信康廟への道

信康廟の門

信康廟解説

信康廟はこの奥

殉死者らの墓

 キリシタン旗本ゆかりの地へ\(o ̄∇ ̄o)/

龍洞院


浜松市の天竜区から北区へ。次はキリシタンゆかりの地をめぐりたいと思います☆

到着したのは都田にある龍洞院。ここにキリシタン旗本 近藤季用(すえもち)の墓があるのです。山間の村というんでしょうか、自然の多いいい所ですね ヾ(@⌒▽⌒@)

近藤氏の宝匡印塔


この地域を治めた家のお墓なのだからと、墓地の中で一番高くなった所を目指して登って行くと、そこだけに人影が。

住職さんとそのお子さんたちが掃除をしているところでした。

「こんにちは。近藤さんのお墓を探して来たんですけど・・・」と言うと、「ああ、こちらですよ」と、たった今掃除が終わった一角を指差しました。おお、これこそ本で見た近藤季用の墓です! 実際は近藤氏が合葬された宝匡印塔ですが。

私たちが来ることを予期したかのように、しかも時刻とタイミングまで合わせて掃除し終えたかのような住職ご家族。これは・・・やはり全てを治められる主のお導きではないかと、感謝しつつ思いました♪

近藤季用ってどんな人?


では近藤季用とはどんな人かというと、近藤秀用(ひでもち)の長男で、秀用は近藤康用(やすもち)の子。季用にとってはお祖父さんに当たるこの近藤康用が、家康の腹心の家臣で、浜名湖北岸を治める井伊谷(いいのや)三人衆の一人となった人物です。

秀用の娘がディエゴ小笠原(駿府の代表的なキリシタン。家康の落胤だともいわれる)の妻になったことから、近藤家に福音が入り、ディエゴ小笠原のすすめで近藤家の兄弟たちが洗礼を受けました。

季用は井伊谷3050石の旗本でしたが、1611年38歳の時に受洗。同じ頃秀用の次男 近藤用可と四男 用義もキリシタンとなりました。だから浜名湖北岸はキリシタン旗本が領主を務めていた地域なのです☆


龍洞院本堂

龍洞院山門

都田山

近藤氏の宝匡印塔

金指近藤陣屋跡


では山を下って、近藤季用が暮していた屋敷の跡へ。近藤家の陣屋は、現在の金指駅の西方にありました。

引佐高校から線路を南側に渡ったすぐ西側に、周囲より一段高くなったグラウンドがあるのですが、ここが屋敷跡地。

昔はこの地を「元屋敷」と呼んでいたそうです。遺構らしいものは見当たりませんが、来られただけで感謝です♪

季用の息子 近藤貞用(さだもち)の代になると、東山の方に屋敷を移して、宗教も禅宗に帰依するようになるので、たった一代だけですけどね、キリシタン旗本がいた時代は。


金指近藤陣屋跡

金指近藤陣屋跡

金指近藤陣屋跡

市神の祠!


大型スーパーで昼食をとって、車を置いてテクテクと♪

1597年近藤季用が初めて市を開いたことに由来する「市神」が金指駅の北側の国道沿いに残っているということなので向ってみました。

あ、あれかな~《《《《(*´▽`*)ノ゛

近藤季用の名が!


祠の横に設置された解説板には、なんと近藤季用の名が!

見ずらいかもしれませんが、一行目です☆

季用がここに市場を開いたことで、町並みができ商店街が発展し、繁栄が築かれたということです。「すえもち」って、ちゃんと振り仮名まで振ってあるしー♪

ああ、来て良かった~O(≧▽≦)O


市神解説板

市があった辺り

市があった辺り

市神の祠

 三方ヶ原古戦場跡などへ

三方原墓園


市神の祠で大興奮し(あれ見てこんなに喜べるのは私くらい!?)、お次は墓地へ。三方原墓園という広大な墓苑です。

ここに三方ヶ原古戦場跡の碑があるということで。しかし行けども探せども、墓墓墓。碑はありません。広いので迷子にならないようにと園内のマップはそこかしこに設置されているのですが、それには碑は載っておらず;;


三方原古戦場碑


諦めて帰ろうとしているときになって、ようやく夫が発見。スマホで検索して見つけることができました。強力なツールができましたの☆

でもこちらに古戦場の碑こそありますが、主戦場が特定されているわけではありません。 三方ヶ原の戦い自体が広範囲で行われた合戦で、「どこで」とは言いにくいからです。


三方ヶ原の戦いと徳川家康


三方ヶ原の戦いは1573年、徳川家康・織田信長の連合軍と武田信玄の間で行われた戦い。家康が大敗したことで有名な戦です。清瀧寺にお墓があった中根正照と青木貞治はこのとき戦死しました。

家康は夏目吉信を身代わりにして浜松城に逃げ込み命拾いをしました。そして向後は危うきに近づかず自重するよう、自らの教訓にしようと「顰(しかみ)像」を絵師に描かせました。

家康が天下人になるまでの人生で、一番死に近づいた瞬間だったのではないでしょうか。そのとき自分のために死んでくれる人のお蔭で助かったんですから・・・、自重することよりも教訓にすべきことがあったように思いますが。


三方原古戦場碑

解説碑

三方原古戦場跡

隣の学校

三方原カトリック教会


せっかく三方原まで来たので、近辺の教会にも立ち寄ってみました。三方原カトリック教会です。

この辺りにはミッション系の学校はあるものの、たぶん教会はここだけ(?)かと。

教会全体をツリーに見立てた電飾が施されています。夜見たらきれいなんだろうな♪


日本基督教団 遠州栄光教会


浜松市の中心部に向う幹線道路を走っていたら、とても赴きある教会を見つけ、夫に車を停めてもらいました。

日本基督教団の遠州栄光教会だということです。

教会の壁面をつたう蔦が、歴史を感じさせ素敵ですよね☆


遠州栄光教会

遠州栄光教会

遠州栄光教会

日本福音ルーテル 浜松教会


まっすぐ行ったらまたもや教会が。この道沿いには教会がたくさんあるんですね。それも大きな教会が。

日本福音ルーテル浜松教会です。

中がどんな構造になっているかわかりませんが、結構広そうに見えます。

犀ヶ崖古戦場跡


教会のすぐ近くに犀ヶ崖古戦場跡もありました。この道は歴史街道なんですね。

現在は犀ヶ崖資料館の改築・解体工事で、犀ヶ崖公園と「犀ヶ崖」の見学ができないようです。

家康の身代わりになった夏目吉信も犀ヶ崖で討ち死にしたといわれています。ちなみに夏目漱石はこの人の子孫。誰かの代わりに自分の命を差し出せる人って、どんな人格を備えた人だったんだろう。。


犀ヶ崖古戦場跡

犀ヶ崖古戦場跡

浜松海の星高等学校

浜松海の星高等学校

 築山御前ゆかりの地へも・・・

太刀洗の池跡


家康続きではありますが、浜松はそういう地域なんですね。次は築山御前を殺害した刀を洗ったとされる太刀洗の池跡に向かいます。

築山御前は家康の正室で、武田方と通じているとして殺された女性。信康は二俣城で自刃しましたが、築山御前は家康の家臣に斬られて死んだのです。

池の跡を示す碑と解説板は浜松医療センターの駐車場内に設けられています。浜松には家康の忸怩たる思いと苦しみが刻まれているような気がします。


太刀洗の池跡

太刀洗の池跡

太刀洗の池跡解説板

西来院


築山御前の墓にも行こうということで、太刀洗の池跡からほど近い場所にある西来院(せいらいいん)へも。

鉄筋コンクリート製の現代風なお堂で、住職さんの奥様は金髪の白人女性でした。最近はこういうこともあるんですね。

築山御前の墓


その住職さんの奥様に訊いて、築山御前の墓が見つかりました。墓石は小さく弱々しい印象で、小さなお堂で覆われています。

解説板も建てられているのですが、どこかひっそりと、世を忍ぶような佇まい。

やはり、信康廟や殉死者・戦死者たちの墓同様、体裁は整っているものの打ち捨てられたような、わびしさが漂っています。

信康の正室の讒言も讒言ですが、この人たちを切り捨てた家康の冷たさを感じずにはいられません。


築山御前の墓

築山御前解説板

築山御前の墓

お寺の解説板

浜松ハリストス正教会


それでは浜松市中区にある教会をめぐって、本日の旅程を締めくくろうと思います☆

まず、こちらは浜松ハリストス正教会。民家の間の車幅ギリギリの狭い路地を、「ほんとにここ~?」と思いながら進んで行くとありました。

屋根には見まがうことなき八端十字架。正教会の教会で使われる十字架です。


浜松ハリストス正教会

浜松ハリストス正教会

日本聖公会 浜松聖アンデレ教会


続いて日本聖公会の浜松聖アンデレ教会へ。

住宅地にあって、一般の住宅と間違えてしまいそうな感じですが、壁の十字架が際立っています。

日本家屋をイメージしたような感じですが、道の反対側には鐘もついていました♪



浜松聖アンデレ教会

浜松聖アンデレ教会


教会案内

救世軍 浜松小隊


ラストは救世軍の浜松小隊。

あまりわかりやすい場所ではありませんが、信徒さんたちはわかって通うので問題ないんでしょうね。

もう随分長くこの地にあるような建物です。救世軍は浜松で随分前から活動を続けているんですね。


救世軍浜松小隊

救世軍浜松小隊

浜松餃子


充実していたけれど、いろんな思いに駆られて、長い一日でした。何だかんだ言って、ずっと家康のことを考えていたような気も...( ̄  ̄;)

明日は家康の故郷、岡崎とその周辺の町へと向かいます。餃子を頬張りながら、明日も長くなりそうだと思ったりして。。


   自分の力では


    自分の性格を直すということは
    自分の力だけではできないなと、思うようになりました。
    もちろん自分でも努力しなければいけないけれど
    それだけでは無理だろうと。

    だから主にすがって祈ろうと思います。
    「すがる」というのは、人によっては抵抗がある言葉かもしれないけれど
    すがりながら努力しようと思うのです。

    私の力だけでできないからこそ
    私にはキリストが必要だと悟ることは、大きな悟りだと
    昔牧師さんが言っていたから。

    うまく「すがる」人になれたら、、いいな(^-^)/




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