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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 江戸きりしたんの光と影 ②

東京カテドラル 聖マリア大聖堂

  <本日の主な訪問地>

 今日もまた行きます

「隠れたる江戸の吉利支丹遺跡」

今日のお供は


電力不足で灯りの落とされた東京の街を、キリシタンの足跡を求めてめぐり歩く旅の第二弾。

今日のお供は原胤昭(はら たねあき)著の「隠れたる江戸の吉利支丹遺跡」です。この原胤昭もまた今日の主人公の一人なので、この本にあやかって御心の地に導いてもらおうという魂胆で。

電車はいずれも間引き運転で街の活気は様子見モード。「何が起こるかわからないから」という慎んだ雰囲気が見受けられます。もちろん私も・・・。

有楽町駅

有楽町駅


まずはJR有楽町駅へ。この有楽町の「有楽」は織田有楽斎からきてることは一般に知られているんでしょうか?

織田有楽斎は織田信秀の十一男で織田信長の弟。元々織田長益(おだ ながます)という名前でしたが 後に有楽斎如庵(うらくさいじょあん)と号し、後世では有楽、又は有楽斎と称されています。

「如庵」でピンとくる方もいるかと思いますが、この人はキリシタン。洗礼名ジョアンの名を持つキリシタン大名でした。歓楽街として知られるこの街がキリシタンゆかりの地だなんて、意外というか皮肉というか。。

南町奉行所跡

南町奉行所跡


駅前の広場の真ん中にあるのが待ち合わせ場所にもなっている石組み。この石組みが南町奉行所の遺構であり、その跡を示すものです。

ここに大岡越前がいたってことにもびっくり(「大岡越前守御屋敷」と書かれた荷札が発見されている)ですが、この南町奉行所で忘れちゃいけないのが先ほどの原胤昭。原胤昭は幕末、与力としてこの南町奉行所に詰めていたのです。

自分の先祖にキリシタン殉教者原主水がいることを知り、キリスト教に興味を持った彼は、奉行所の収蔵品であったキリシタン関連書物でキリスト教について学びました。そして受洗。今でいうクリスマス・パーティーを日本人主催で初めて行った人物とされています。

南町奉行所遺構
南町奉行所遺構
南町奉行所跡説明
南町奉行所跡説明
南町奉行所跡説明
南町奉行所跡説明
南町奉行所跡説明
南町奉行所跡説明

 数寄屋橋辺り

明治大学発祥の地

明治大学発祥の地


有楽町駅から数寄屋橋方向に向かうと、「明治大学発祥の地」と刻まれた碑が。

写真を撮ろうとカメラを構えたら、お掃除してた方が脇によけてくれました。ありがとうございます。

こういう思いやりのある社会でありたいですね。碑文を読むと、早く列強に追いつけ追い越せと勇んでいた日本の姿が浮かびます。

明治大学発祥の地碑
明治大学発祥の地碑
明治大学発祥の地碑
明治大学発祥の地碑
碑文
碑文
周辺マップ
周辺マップ

新数寄屋橋

新数寄屋橋


新数寄屋橋の高架下には数寄屋橋御門か何かの遺構であろう石が点々と置かれています。

車通りが多くて何の石なのか確認できませんでしたが、たぶんこの辺りから出土した石なのでしょう。

数寄屋橋公園には「数寄屋橋此処にありき」と菊田一夫の筆で書かれたプレートも。

江戸から現代まで都会であり続け、幾多の人間模様を生み出してきたんだろうなと思ったりして。

菊田一夫のプレート
菊田一夫のプレート
高架下の石
高架下の石
新数寄屋橋
新数寄屋橋
数寄屋橋公園
数寄屋橋公園

日本基督教団銀座教会堂

日本基督教団銀座教会堂

一本道を渡ったら日本基督教団銀座教会堂がありました。
「教会堂」とありますが、教会堂の入ったビルと考えるのがいいかもしれません。
献堂は1982年。バブル期でしょうか?
バブルに浮かれず教会堂を建てたことに拍手です。

銀座教会堂
銀座教会堂
献堂は1982年
献堂は1982年
今週の説教
今週の説教
教会案内
教会案内

 評定所跡を探して

日本工業倶楽部会館

日本工業倶楽部会館


東京駅までJRで行き、丸の内口を出て向ったのが日本工業倶楽部会館。

震災後ずっと古地図と現代図を見比べていて、現在日本工業倶楽部会館と三菱UFJ信託銀行のある辺りが昔の評定所だったのではないかと思ったのです。

江戸の殉教者ペトロ岐部の取調べの際、何度も将軍家光が同席していましたが、それは一体どこで行われてたんだろうというのが以前からの私の疑問で。

その頃はまだ小日向の切支丹山屋敷はなく、小伝馬町の牢屋敷は将軍が行くには物騒だし、酒井家の屋敷で行われたこともあっただろうけど神楽坂はそこそこ遠いから、もう少し近くでやったのではないかと。

日本工業倶楽部会館
日本工業倶楽部会館
倶楽部会館入口
倶楽部会館入口
三菱UFJ信託銀行
三菱UFJ信託銀行

周辺マップ

東京銀行協会ビル

東京銀行協会ビル


ペトロ岐部の取調べ場所もわからないのに、評定所の跡地もどこかわからないまま東京銀行協会ビル前に。ここまで来ると道の先には皇居しかありません。

「たぶんここまでの間にあったはずなんだけどなぁ;;」と一人ごちながら仕方なく皇居の緑を眺めておりましたが、家に帰って写真を確認したら、地図(↑の周辺マップ)の中に「評定所及伝奏屋敷跡」の文字が・・・。

一本道を入ったらその碑か解説板に出会えたようです。あほでちた;; また来て確認するようにします。。

銀行会館
銀行会館
皇居
皇居
日本歯科大発祥の地碑
日本歯科大発祥の地碑
日本歯科大発祥の地碑
日本歯科大発祥の地碑

将門塚

将門塚


せっかく近くまで来たので将門塚にも寄ってみることに。

小説で読んで以来、機会があったら見てみたいと思っていましたが、「将門塚行く?」っていうお誘いが、そうそうあるもんじゃなく(当然か?)、今まで来たことがありませんでした。

通称、首塚ともいいますよね。平将門の首が飛んできて落ちて埋められているとか。解説板によると碑の後ろにある石灯籠が将門の墓の位置を表すもので、重要なもののようです。

都史跡将門塚入口

都史跡将門塚入口


むむ !? 説明板の一つに「酒井家上屋敷跡」というのがあります。寛文年間ここには酒井雅楽頭(うたのかみ)の上屋敷があったのだとか。

寛文年間というのは1661~1662年のたった2年間しかないので、その前後もあったと考えられ、酒井雅楽頭は家光家綱時代の老中・大老。

つまりここでペトロ岐部の取調べが行われた可能性がなきにしもあらず、です。酒井家の屋敷は神楽坂かと思ってましたが、初期の上屋敷はここにあったんですね。

もうちょっと時期とかちゃんと調べなきゃダメですが、もしかしたら将門塚がビンゴ(?)かもしれません。もう少し調べてから「史跡案内」の方に書きたいと思います。

将門塚
将門塚
将門塚解説
将門塚解説
将門塚解説
将門塚解説
酒井上屋敷跡
酒井上屋敷跡

 常盤橋御門から八重洲へ

東京駅の北の方を

東京駅の北の方を


ここから東京駅の北の方をぐるっと大回りする形で常葉橋御門のあった所に向かいたいと思います。

あれほどの大地震のあった後なのに、新しい高層ビルを建てるようで建設機械が大きな鎌首を空にもたげています。

都市の恩恵を受けている身としては批判や非難はしにくいですが、どうも合わない感じがします。もう少し「喪に服する」じゃないですが、そういった期間があってもいいような。

納期とかの事情があってそうもいかないんでしょうけど・・・。

常盤橋御門跡

常盤橋御門跡

常盤橋御門は今でこそポピュラーではありませんが、江戸の初期には大手口とよばれた重要な場所。
江戸城大手外郭の正門に当たるものでした。後にキリシタン迫害の象徴ともなった井上政重はこの御門の近くに住んでいたことがあるといわれています。
門を守る役人か何かをしていたのでしょうか。

常盤橋公園
常盤橋公園
常盤橋御門遺構
常盤橋御門遺構
常盤橋御門について
常盤橋御門について
周辺史跡マップ
周辺史跡マップ

渋沢栄一像

渋沢栄一像


常盤橋公園内にはこの史跡整備に貢献した渋沢栄一の像が建てられています。

公園を一歩外に出ると辺りは優秀そうなビジネスマン、ビジネスウーマンが闊歩するオフィス街。ちっぽけなわが身を省みると、気が引けるような・・・。

東京駅までの道には松明を掲げる金色のプロメテウス像、呉服橋跡の解説板がありました。

江戸と現代、日本と世界がごちゃまぜになってるのが、今の東京の姿、かな。

渋沢栄一について
渋沢栄一について
プロメテウス像
プロメテウス像
呉服橋跡
呉服橋跡
呉服橋跡の解説板
呉服橋跡の解説板

 東京駅は史跡の宝庫

八重洲北口

八重洲北口


さてやって来ました八重洲北口。デパートの大丸が改装中なのでちょっと手狭な感じですが、行き交う人は引きもきらず、3.11後に見た一番の人出です。

この北口から更に北、丸の内トラストタワーの辺りが目的地です。

現在は高層ビル群となっている一帯に北町奉行所などがありました。昔から人の行き交う街だったんでしょうね。

北町奉行所跡

北町奉行所跡


「北町奉行所跡はこの辺りかなー」と何となくカメラを向けていると、案内板を発見。

何と親切な!!

北町奉行所の範囲と現在の建物との位置関係がわかる地図付です(↓の構内史跡マップ参照)。

昨今は「江戸史跡めぐりツアー」みたいな催しが多いから、それで整備してくれてるんでしょうか。何であれ感謝です。

構内史跡マップ
構内史跡マップ
トラストタワー
トラストタワー
江戸城外堀石垣
江戸城外堀石垣
江戸城外堀石垣解説
江戸城外堀石垣解説

北町奉行所の石組

北町奉行所の石組


江戸城外堀石垣の向こうには北町奉行所の石組も再現されています。

ちょっと見ただけでは雑なロックガーデンみたいですが、解説板を読む人には宝の山に見えるはず。

もちろん北町奉行所というのはお上の警察組織で、キリシタン摘発なども担当していたのですから、遺構が見られてうれしいというより、歴史の確認って感じですが。

それでも何もなくて実感が湧かず、歴史から学べないよりもずっといいですよね。

北町奉行所跡解説
北町奉行所跡解説
北町奉行所跡解説
北町奉行所跡解説
北町奉行所の遺構
北町奉行所の遺構
北町奉行所の遺構
北町奉行所の遺構

八重洲北口遺跡

八重洲北口遺跡


東京駅八重洲北口の再開発に伴って行われた発掘調査では、キリシタン遺物も見つかっています。

キリシタン遺物である小さな十字架などが出土したのは江戸時代の墓地の跡で、この遺跡は八重洲北口遺跡と名づけられました。

八重洲北口遺跡は先ほどの構内史跡マップには書いてなかったのですが、ここかなーと思う所をパチリ(←)。

東京のど真ん中にキリシタンが住んでいたということが証明されたことだけでもすごいと思います。

 以前リサーチ不足だった所を再訪

浅草

浅草


今日は地下鉄の一日乗車券を買ったので、以前リサーチ不足で行くことができなかった所にもササッと再チャレンジ。まずは浅草に向かいます。

1620(元和6)年以降、わかっているだけでも30人ほどのキリシタンが処刑された浅草山刑罰場なのですが、高木一雄氏の「東京周辺キリシタン遺跡巡り」によるとこの辺りになります(←)。

江戸通りと言問通りが交差する浅草7丁目周辺がその跡地だろうということで。交差点から交番を望む地点から見ると、そのちょっと奥辺りじゃないかという気がします。もっと詳しい位置がわかるといいんですが。

言問橋西交差点
言問橋西交差点
周辺地図
周辺地図
交差点
交差点
2つの道が交差
2つの道が交差

墨田公園

墨田公園


墨田川に架かる言問橋の手前には墨田公園。ここもキリスト教ゆかりの地。

「蟻の町のマリア」として知られる北原怜子(きたはら さとこ)がバタ屋の人たちと一緒になって暮らした蟻の町はこの辺りにありました。

その後この地区に生まれた「蟻の町教会」は東京都中央区月島8号埋立地の「カトリック枝川教会」を経て、東京都江東区潮見のカトリック潮見教会となっています。カトリック潮見教会にも一度行ってみたいな。

言問橋
言問橋
言問橋から見た隅田川
言問橋から見た隅田川
隅田公園
隅田公園
隅田公園
隅田公園

 続いて八丁堀へ

八丁堀

八丁堀


前回消化不良な感じで終わった八丁堀にも再び来てみました。京華スクエアという建物の所に「八丁堀の与力・同心組屋敷跡」の解説板があるということで。

江戸に最初の修道院を建てたのはフランシスコ会で、1602年頃とされています。信徒の増加で増築されましたが、1612年に駿府でキリスト教禁止令が出されると、道路拡張の名目で壊されてしまいました。

その約10年間修道院が運営されていたのが八丁堀だったわけです。日本キリスト教史にとって輝かしい歴史の1ページといえると思うのですが、何の顕彰活動も行われてないようですね。

京華スクエア
京華スクエア
八丁堀の与力・同心組屋敷跡
八丁堀の与力・同心組屋敷跡
京華スクエア周辺
京華スクエア周辺
京華スクエア周辺
京華スクエア周辺

ランチタイム?



血糖値が下がって頭がぼーっとしてきたので
パスタ屋さんに入店。

江戸の殉教地とかが史跡として整備されて
すごいなーとか良かったなとか思ってましたが
詳しく回ってみると
まだまだだなと思うしかありません。

一人で回っているだけで何もしてない私に
何かを言う権利はありませんが
もうちょっと頑張らないと忘れ去られてしまうかと。

カトリック教会だけでなくプロテスタント系の人たちも協力して
キリスト教史跡の保存、顕彰にあたってみてはどうでしょうね。
教理の差とかがあるのは承知してますが
一つになれないでいるうちに弱体化してしまっては元も子もないのだから。

今「歴史」が注目されているので
これを突破口にしてキリスト教を熱く証(あかし)してみてはどうかと思います。



 六本木に行くんだもん

六本木駅

六本木駅


再びメトロに乗って六本木駅へ。

六本木は不思議な街で、出口によって表情が違います。歓楽街って感じの所に出たり、オフィス街に出たり、高級ホテルと大使館の多い方面に出たり・・・。

今日上って出てきたのはそのどれとも違う地上出口。目の前には俳優座があり、坂道の方に進むと隠れ家のようなお店が現れます。

穴場的な感じで、私みたいな無粋な人間は用事がなければ来なさそうな。。

フランチェスカン・チャペル

フランチェスカン・チャペル

しかし用事があるのです。それは在日外国人のためのフランチェスコ会の教会、フランチェスコ・チャペル・センターを一目見ること。
坂道の途中で外国人の修道士さんらしき人とすれ違いました。
周りのおしゃれさとも相まって、この近辺は異国のようです。

フランチェスコ・チャペル・センター
フランチェスコ・チャペル・センター
チャペル・センター入口
チャペル・センター入口
チャペル・センター外観
チャペル・センター外観
教会案内
教会案内

Heaven行けますか!?

Heaven 行けますか !?


1602(慶長7)年から江戸に修道院を建てて活動してきたフランチェスコ会(このことをイエズス会では日本での宣教を難しくすると非難していたけれど)の現在の様子を見ることができて良かったです。

日本宣教は当時からいろいろと意見の対立があったことがわかっていますが、それでもそれぞれが生きた信仰でもって信じるままに行ったのだから、誰かを責めることはできないのかと。

ふと顔を上げると、何のイベントか知りませんが、「Heaven」の文字が。どうやらまっすぐ進んで行くと天国に着くようです。行きたいですね、ほんとに。

 最後はカテドラル

カテドラル目指して

カテドラル目指して


一日乗車券の元を取るため・・・、いえ、祈るために関口にあるカテドラルにも行ってみることに。

今日一日で感じたことを告げ、江戸の時代から今まで主がどんな御心でこの街を見てらしたかをお尋ねしてみたいです。

この東京カテドラル聖マリア大聖堂は、どの駅からも近くなくて相当歩かなければならないのが唯一の不満。今日は護国寺からてくてく。

まあ、巡礼する人が歩く距離で文句言っちゃいけませんね。

東京カテドラル聖マリア大聖堂

東京カテドラル聖マリア大聖堂

夕陽に映える大聖堂はとても近代的で新しく見えますが、それはたぶん設計士の力量。
今は亡き丹下健三氏の設計で起工したのは1963年です。
私には空に浮かぶ箱舟のように見えますが、上からみると十字架の形になっているそうです。

構内マップ
構内マップ
大聖堂の扉
大聖堂の扉
大聖堂
大聖堂
ルルド
ルルド

祈りを・・・



閉館まで30分くらいしかなかったからか
中で祈る人は私ともう一人くらい。
おかげで深く祈りに入れました。

人を意識せずに
神さまだけに向って
心を空けられる所が
そんなにたくさんあるとは思えません。

家族の中で信仰を持っているのが自分だけだったりしたら
変に思われないように
声を静めて祈るしかなかったりするんじゃないでしょうか。

「祈りの場」

多くの遊び場に比べ
仕事やビジネス、お店に比べて
東京には「祈りの場」が少ないと思います。


この多くの人が暮らす東京で
人々はどこに自分の心を
持っていっているんでしょう。

恋人か、家族か・・・
そういう人がいたら幸せだけど
人に言えないような
やり切れなさ、空しさ、切なるうめきが
人間にはあるような気がします。


日本の過去について悔い改めて泣き
これからの未来のことを切実に求めて祈っていたら
こんな言葉が浮かびました。

「歴史の分岐点(ターニングポイント)は現在に左右される」

この震災で受けた痛みが未来への祈りとなり
一人一人が変わっていけることを願います。


拙い文を読んでくださって ありがとうございました!!



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