本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 旅行記 > 江戸きりしたんの光と影④

 江戸きりしたんの光と影 ④

  <本日の主な訪問地>

 サントリー美術館へ

東京ミッドタウン

東京ミッドタウン


今日はサントリー美術館へ参ります。
サントリー美術館自体は昔行ったことがあるけど、東京ミッドタウンに入ってからは初めて。

六本木駅で降りて、おしゃれな方に進んで行くと自然に着くような感じです。

今年は自粛ムードというけれど、私から見たら十分な華やかさ。
なんだか気後れしてしまうような街です。。

サントリー美術館

サントリー美術館


サントリー美術館を訪れたのは、「南蛮美術の光と影」展が催されているから。

メインは泰西王侯騎馬図屏風という物らしいですが、私のお目当てはキリシタン関係の物。

南蛮寺の鐘だったとされる銅鐘やキリシタン遺物、あの有名なザビエルの画像にも会えるというから、もうこれは行かないわけにはいきません。

神戸に行かなきゃ見られないと思っていたのに、あちらから来ていただける(?)とは何とも有難いことです。では入館 !!

「南蛮美術の光と影」
「南蛮美術の光と影」
美術展チラシ
美術展チラシ
美術展チラシ
美術展チラシ
美術展チラシ
美術展チラシ

 まずは南蛮屏風

「南蛮美術の光と影」展の目録

「南蛮美術の光と影」展の目録


さて館内は撮影禁止なので本日は「南蛮美術の光と影」展の作品を解説した図録でもって紹介していきたいと思います。

図録をど素人(私)がデジカメで撮っているものなので、光が反射して見づらかったりするかもしれませんがご勘弁を。

最初は言葉だけで「こういう物があった」とか書こうかと思ったのですが、私のボキャブラリーでは読んでくれる人のストレスになってしまいそうなので・・・。まずは南蛮屏風から。

大阪城天守閣が描かれた南蛮屏風
大阪城天守閣が
描かれた南蛮屏風
大阪城天守閣が描かれた南蛮屏風
大阪城天守閣が
描かれた南蛮屏風
唐船・南蛮船図屏風
唐船・南蛮船図屏風
唐船・南蛮船図屏風
唐船・南蛮船図屏風

宣教師が描かれた南蛮屏風

宣教師が描かれた南蛮屏風


実は私(わたくし)、南蛮屏風といえばこの絵(←)しかないと思ってました。ちょっと考えれば他にもあるだろうってことくらいわかりそうなものですが、考えなかったものですから。。

宣教師が描かれたこの屏風は有名ですよね。狩野内膳の筆によるとされ、この服装はイエズス会士だな、とか現代人が見てもそつがないくらい精密に描かれています。屏風というものが美術品であり記録物でもあったのだと知りました。

上下に並べた南蛮屏風には南蛮人などの外国人に加え、宣教師が描かれているものが多く、彼らが注目の的であったことが覗えます。

これほどたくさんの南蛮屏風を一同に目にすることはないと思うので、感謝してよく見ておきたいと思います。

狩野内膳筆の南蛮屏風
狩野内膳筆の
南蛮屏風
狩野内膳筆の南蛮屏風
狩野内膳筆の
南蛮屏風
伝狩野山楽筆の南蛮屏風
伝狩野山楽筆の
南蛮屏風
伝狩野山楽筆の南蛮屏風
伝狩野山楽筆の
南蛮屏風
サントリー美術館所蔵の南蛮屏風
サントリー美術館所蔵の
南蛮屏風
サントリー美術館所蔵の南蛮屏風
サントリー美術館所蔵の
南蛮屏風
南蛮文化館所蔵の南蛮屏風
南蛮文化館所蔵の
南蛮屏風
南蛮文化館所蔵の南蛮屏風
南蛮文化館所蔵の
南蛮屏風
宮内庁所蔵の南蛮屏風
宮内庁所蔵の
南蛮屏風
宮内庁所蔵の南蛮屏風
宮内庁所蔵の
南蛮屏風
文化庁保管の南蛮屏風
文化庁保管の
南蛮屏風
神奈川県立歴史博物館の南蛮屏風神奈川県立歴史
博物館の南蛮屏風
神奈川県立歴史博物館の南蛮屏風
神奈川県立歴史博物館
の南蛮屏風
九州国立博物館収蔵の南蛮屏風
九州国立博物館
収蔵の南蛮屏風
九州国立博物館収蔵の南蛮屏風
九州国立博物館
収蔵の南蛮屏風
出光美術館収蔵の南蛮屏風
出光美術館収蔵の
南蛮屏風
出光美術館収蔵の南蛮屏風
出光美術館収蔵の
南蛮屏風
松岡美術館の南蛮屏風
松岡美術館の
南蛮屏風

岬の教会が描かれた南蛮屏風

岬の教会が描かれた南蛮屏風


阪急文化財団の所有するこちら(←)の南蛮屏風には長崎にあった岬の教会が描かれています。

六曲一隻の屏風に十字架という取り合わせの妙が利いていますね。

デフォルメされているとはいえ、長崎が「長い崎(岬)」であったことがよくわかります。南蛮人(今でいう南欧の人々)は沖合いから岬の教会を目印に来航したというので、気持ち的にはこんな風に見えていたかも。

東西の出会いと交流を想像できる作品だなと思ったので、印象に残りました。

岬教会の南蛮屏風
岬教会の南蛮屏風
岬の教会
岬の教会
「岬教会の南蛮屏風」について
「岬教会の南蛮屏風」
について
「岬教会の南蛮屏風」解説
「岬教会の南蛮屏風」
解説

都の南蛮寺図

都の南蛮寺図

すごい掘り出し物!!と思ったのが、この都の南蛮寺図。
神戸市立博物館に行かないと見られないと思ってました。
あと、扇に描かれていると思ってました。
だって絵が扇型してるんだもん。。
京都にあった南蛮寺(教会)の跡地には行ったけど、こういう建物だったんですね。

都の南蛮寺図
都の南蛮寺図
都の南蛮寺
都の南蛮寺
都の南蛮寺図について
都の南蛮寺図について
都の南蛮寺図解説
都の南蛮寺図解説

 ザビエルに会いたくて・・・!

聖フランシスコ・ザヴィエル像

聖フランシスコ・ザヴィエル像

やっと会えました「聖フランシスコ・ザヴィエル像」!!
教科書に載ってたりするから、両手を交差するこのポーズはとってもポピュラー。
しかしこの絵が大阪の隠れキリシタンの家から発見されたことを知る人は少ないかと。

絵の発見と展示までの経緯だけでも鳥肌が立つようなドラマです。
いとしのザビエルに会えて感激。でもじっと見てたら急に切なくなって涙が出ました。
何でなんでしょうね。

聖フランシスコ・ザヴィエル像
聖フランシスコ・ザヴィエル像
聖フランシスコ・ザヴィエル像
聖フランシスコ・ザヴィエル像
について
聖フランシスコ・ザヴィエル像解説
聖フランシスコ・ザヴィエル像
解説
発見と展示までの経緯
発見と展示までの経緯

救世主像

救世主像


絵つながりでもう何点かご紹介を(実際の展示はこれとは全く違う構成です)。

こちらは救世主像。銅板に油彩で描かれており、製作年は右下の文字から1597年と推察されています。

祝福を与える指の形がザ・ヨーロッパという感じですが、これも大阪の隠れキリシタンの家から見つかった物。

大阪の茨木市はキリシタン大名高山右近の領地だった所で、明治になってからこういう遺物が続々と発見されて信仰が保持されていたことが明らかになったのです。

救世主像
救世主像
救世主像(部分)
救世主像(部分)
救世主像について
救世主像について
救世主像解説
救世主像解説

悲しみの聖母図

悲しみの聖母図


こちらは亜麻布に油彩で描かれた聖母。ヨーロッパで見たら「きれいだけど傷みが激しいなー」と思うでしょうけど、これが発見されたのは福井県。

福井県で代々医師をつとめた旧家の土蔵から出てきました。「出てきた」と表現したのは、土蔵の壁に竹筒に納められた形で塗り込められていたから。出土じゃなくて出壁。驚愕です。

たぶんそのお家(うち)は昔キリシタンだったんでしょうね。福井は高山右近の父、高山図書がいた所。高山図書も洗礼名ダリオ持つ熱いキリシタンでした。

禁教下でこれを持ってたら命に関わることを知りつつも、捨てるに捨てられなかった気持ちがわかります。傷んでいても尚、いえそれさえもテーマに通じる要素となって素晴らしいじゃないですか。

悲しみの聖母図
悲しみの聖母図
悲しみの聖母図について
悲しみの聖母図
について
悲しみの聖母図解説
悲しみの聖母図解説
悲しみの聖母図解説
悲しみの聖母図解説

聖母子図

聖母子図


こちらも福井県で発見された聖画。とあるお寺の天井裏からキリシタン制札とともに発見されたのだとか。

悲しみの聖母図と同じ南蛮文化館の収蔵品です。この福井から大阪へというキリシタン遺物の収集ルートが、関西にあるキリシタン関連物の豊かさにつながっています。

この絵は西洋画を学んだ日本人が描いたと考えられています。日本宣教の早いうちから画学生を教え聖画を描けるように育てていたことは実に先見の明があったなと。

誰が描いたかはわかっていませんが、この絵は保存され今もキリシタンの存在を証しているんですから。

聖母子図
聖母子図
聖母子図について
聖母子図について
聖母子図解説
聖母子図解説

聖人像

聖人像


こちらの聖人像に描かれているのはロンギヌス(十字架上のキリストを槍で刺したがその後クリスチャンになったとされる)か(イスカリオテじゃない方の)ユダ。

東京国立博物館の収蔵品で、収集ルートは長崎奉行所経由。つまり長崎奉行所で押収された物の一つということです。

持っていた信徒はどんな人だったんでしょうね。随分と傷んでいるのは禁教下の苛烈な弾圧をくぐりぬけてきたから? この絵の聖人は何を見てきたのでしょう。

信仰を持って守られてきた物には、人の思いというストーリーがあるから、はがれたり傷ついたりなどのマイナス面が決してマイナスではないのだと思いました。

聖人像
聖人像
聖人像について
聖人像について
聖人像解説
聖人像解説

 南蛮美術の数々

春光院の鐘

春光院の鐘

これも絶対見たかった!というのが春光院の鐘。
京都の南蛮寺(教会)で鳴らされていたとされる銅鐘です。
形は優美、作りは繊細。感嘆せずにはいられません。
唯一の不満は図録に載っているこの写真(↑)。

春光院で撮られたらしいこの写真はいろんな本でも使われてて、今回は実物が来てるのに同じ写真。
この角度からだとIHSのマークは見えるけど、制作年を表す1577の方は77しか見えません。
実際にこの目で確認できたから感謝ですけど。。

春光院の鐘
春光院の鐘
春光院の鐘について
春光院の鐘について
春光院の鐘解説
春光院の鐘解説

キリシタン鍔じゃないの・・・?

キリシタン鍔じゃないの・・・?


さて今回の展覧会では今まで私が「キリシタン鍔」だと思っていた物に「南蛮模様鍔」とキャプション(作品に添える小さな説明書き)がついていました。

南蛮趣味の工芸品だということで。反論はできません。当時の絵を見ると出雲の阿国も十字架のネックレスかけてるし、現代でもクロスがクリスチャンであることを表すとは言えないから。

これからはそういう括りで捉えられていくんですかね。何でも「キリシタンの物だ!」と妄信するよりも、冷静な見方をする方がいいとは思いますが。

でも中にはキリシタンの武士が身に付けていた物もあると思うんですがね。作った人は一般の職人さんかもしれませんが、これを欲しがる人にはキリシタンもいたのかと。これも冷静な考え方だと思いますけども。

南蛮模様鍔
南蛮模様鍔
南蛮模様鍔解説
南蛮模様鍔解説
織部南蛮人燭台
織部南蛮人燭台
織部南蛮人燭台解説
織部南蛮人燭台解説
南蛮胴具足
南蛮胴具足
南蛮胴具足について
南蛮胴具足について
象嵌十時紋俵形鉢
象嵌十時紋俵形鉢
象嵌十時紋俵形鉢解説
象嵌十時紋俵形鉢
解説

 泰西王侯騎馬図屏風

泰西王侯騎馬図屏風

泰西王侯騎馬図屏風


今回の展覧会の主人公は「泰西王侯騎馬図屏風」らしいので、この作品にも少し触れておこうかと思います。

もともと四曲一双(屏風の数え方については下掲のブログを参照ください)のこの屏風は、サントリー美術館と神戸市立博物館に半分ずつで分蔵されていて、それが今回一緒に展示されることとなったわけです。

注目したいのはこの作者! イエズス会のセミナリヨ(神学校)で西洋絵画を学んだ日本人だとされています。日本人にこんな絵が、それも17世紀初期に描けたとは、そのことに驚きを隠せないというか。称賛に値すると思います。

泰西王侯騎馬図屏風(一部)
泰西王侯騎馬図屏風
(一部)
泰西王侯騎馬図屏風(部分)
泰西王侯騎馬図屏風
(部分)
泰西王侯騎馬図屏風(一部)
泰西王侯騎馬図屏風
(一部)
泰西王侯騎馬図屏風(部分)
泰西王侯騎馬図屏風
(部分)
泰西王侯騎馬図屏風について
泰西王侯騎馬図屏風
について
泰西王侯騎馬図屏風解説
泰西王侯騎馬図屏風
解説
泰西王侯騎馬図屏風解説つづき
泰西王侯騎馬図屏風
解説つづき

これらは輸出品


蒔絵と螺鈿に覆われたきらびやかな物たちは、ヨーロッパへの輸出用として制作された物だとか。主にヨーロッパで描かれた宗教画に華麗な装飾を施して、再びヨーロッパへ送り出したのだと考えられています。

西洋のお金持ちのために、向こうの人の好みに合わせて日本の職人が作ったんだと聞くと、ちょっと興醒めな気もしないではないですが、描かれた内容が内容なので心動かされるものがあります。

IHS(イエズス会の紋章)と大きく入っていることからしてイエズス会士が関わっているであろうことは間違いなく、もしかしたら日本での宣教費に充てるための輸出品だったのかなとも考えてみたりして。

もしくはイエズス会の海外宣教を応援してくれる人への贈り物。だって宣教会の紋章入りの聖餅箱(ミサのためのパン入れ)なんて、そういう人じゃなきゃ欲しがらないような気が・・・しません?

花鳥蒔絵螺鈿聖龕
花鳥蒔絵螺鈿聖龕
花鳥蒔絵螺鈿聖龕解説
花鳥蒔絵螺鈿
聖龕解説
花樹鳥獣蒔絵螺鈿聖龕
花樹鳥獣蒔絵螺鈿
聖龕
花樹鳥獣蒔絵螺鈿聖龕について
花樹鳥獣蒔絵螺鈿
聖龕について
花樹鳥獣蒔絵螺鈿聖龕
花樹鳥獣蒔絵螺鈿
聖龕
花樹鳥獣蒔絵螺鈿聖龕について
花樹鳥獣蒔絵螺鈿
聖龕について
花鳥蒔絵螺鈿聖龕
花鳥蒔絵螺鈿聖龕
花鳥蒔絵螺鈿聖龕について
花鳥蒔絵螺鈿聖龕
について
IHS紋入り聖餅箱
IHS紋入り聖餅箱
IHS紋入り書見台
IHS紋入り書見台
IHS紋入り書見台解説
IHS紋入り書見台解説

 キリシタン弾圧と殉教図

元和五年、長崎大殉教図

元和五年、長崎大殉教図


今回の展覧会に来たことが本当に意味があったと強く思ったのが、この絵を見た時。キリシタン殉教図です。

ローマのジェズ教会に保管されている3枚のキリシタン殉教図が来日しているとは展覧会の新聞広告にも載っていなかったので、目にすることができるとは思ってもいませんでした。

マカオで制作されたと考えられる元和5(1619)年と元和8(1622)年の殉教図、そして日本で殉教したイエズス会士を象徴的に描いた殉教図、3点どれも本などでよく紹介される有名なもので、おそらく簡単には貸し出してもらえないかと。

元和五年、長崎大殉教図
元和五年、長崎
大殉教図
元和五年、長崎大殉教図について
元和五年、長崎
大殉教図について
元和五年、長崎大殉教図(部分)
元和五年、長崎
大殉教図(部分)
元和五年、長崎大殉教図解説
元和五年、長崎
大殉教図解説

元和八年、長崎大殉教図

元和八年、長崎大殉教図


「元和五年、長崎大殉教図」は長崎の西坂で行われた最初の殉教の様子を描いたもので、レオナルド木村、村山徳庵、ドミンゴス・ジョルジら5名が竹矢来の組まれた囲みの中で火焙りとなっています。

この頃日本はすでに禁教下でしたがキリシタンの処刑はまだ頻繁には行われておらず、人数も比較的小規模なものでした。

しかし3年後の「元和八年、長崎大殉教図」の時にはその11倍の55名(56名とも)が処刑されていて、キリシタン政策が一気に苛烈となったことがわかります。

火焙りとなっている者たちの手前には次々と斬首されていく信徒たちの姿が。着物を着て祈っているのが見て取れます。

絵を前にして感じる圧迫感と凄まじさは異様ともいえるほどで、引きずり込まれて絵の中に飲み込まれそうです。まるでその場にいるかのように・・・。

たぶんこの絵を描いた人は、実際にこの様子を目撃したのではないでしょうか。

元和八年、長崎大殉教図
元和八年、長崎
大殉教図
元和八年、長崎大殉教図(部分)
元和八年、長崎
大殉教図(部分)
元和八年、長崎大殉教図解説
元和八年、長崎
大殉教図解説
元和八年、長崎大殉教図解説つづき
元和八年、長崎
大殉教図解説つづき

日本イエズス会士殉教図

日本イエズス会士殉教図


「日本イエズス会士殉教図」は実際の様子を描いたものではなく、慶長から寛永に至る時期に日本で殉教したイエズス会士たちを象徴的に表現したものです。

一番上から保護するように見守るのはザビエル。そのすぐ下の3人は日本26聖人になっているディエゴ喜斉、パウロ三木、ジョアン五島です。

殉教の血を象徴する赤い画面の中に、それぞれの死の様子を表す姿形で一人一人が描かれています。遠目にはデザインのように見える形が、近寄って見た時に穴吊りや火刑など、恐ろしい道具での処刑を表すのだとわかり、戦慄が走ります。

稠密な画面構成と圧倒的な迫力。息もできない緊張感。この絵の作者は一体何を描こうとしたのか・・・。

もしかしたら殉教図は、殉教者を称える聖なる絵というだけでなく、人類の罪を糾弾する意味を持っているのではないか。「この血の責任を誰が取るのか」と――。

作者がそういう意図を持っていたかどうかはわからないけれど、心中穏やかではいられない、後引く感じが残りました。

日本イエズス会士殉教図
日本イエズス会士
殉教図
日本イエズス会士殉教図について
日本イエズス会士
殉教図について
日本イエズス会士殉教図(部分)
日本イエズス会士
殉教図(部分)
日本イエズス会士殉教図解説
日本イエズス会士
殉教図解説

 踏んだ者と踏まれた踏絵

板踏絵

板踏絵

見つめていると涙が出てくるのが踏絵の数々。板踏絵は信徒から取り上げたメダイ(キリストなどを刻んだ金属製のメダル)を板にはめ込んで、人々に踏ませた物です。
キリシタンでないという証明のために・・・。
踏まれた踏絵よりも、踏んだ者の心がもっと痛んだだろうなと思います。

板踏絵
板踏絵
板踏絵
板踏絵
板踏絵について
板踏絵について
板踏絵解説
板踏絵解説

真鍮の踏絵

真鍮の踏絵


板踏み絵とは違い、真鍮などで作られた板枠のない踏絵は江戸時代の職人が踏絵用に作成した物。

踏絵を踏ませる「絵踏み」は、当初は紙に書かれたキリストを踏むというやり方でしたが、絵の劣化が早かったので金属製がいいということになり、信徒から押収したメダイをはめ込んだ板踏絵が用いられることとなりました。

信徒摘発のため各地で「絵踏み」が行われるようになると、板踏絵が不足。それで奉行所が職人に作らせたのが真鍮の踏絵です。摩滅しているように見えますが、これは人々に踏まれたことによるものではなく、最初からこういう物だったようです。

「人に捨てられ・・・」というキリストに対する聖句が、日本でも成就していたんだなと思いました。

真鍮踏絵
真鍮踏絵
真鍮踏絵(部分)
真鍮踏絵(部分)
真鍮踏絵
真鍮踏絵
真鍮踏絵(部分)
真鍮踏絵(部分)
踏絵解説
踏絵解説
キリシタン弾圧
キリシタン弾圧
キリシタン弾圧つづき
キリシタン弾圧つづき

キリスト荊冠像銅牌

キリスト荊冠像銅牌


銅牌、聖牌というのはキリストや聖人の姿を描いて信徒が身に付けた物。信仰を持つ誰かがこれを所有していたんだと思うと、心の中に波紋が広がります。

左の銅牌は長崎のとあるお寺の埋もれた柱の中に隠されていた物で、下に挙げた聖牌は福井県の旧家に伝来した物で、とても珍しい物です。

福井など北国のキリシタンの始まりはたぶんダリヨ高山図書(高山右近の父)。それで50人のキリシタン信徒が誕生しました。その後1600年代初頭に積極的な伝道が行われ、1604年のイエズス会年報には北国に1500人の信徒がいると記録されています。

聖牌が出てきた旧家のご先祖様も、その中の一人だったのでしょう。同家の史料は神戸市立博物館などに所蔵されるようになり、今回の展示に至りました。

聖牌や十字架などを見ていると、これを持っていた人の体温が感じられてくるような、そんな気がします。

キリスト荊冠像銅牌
キリスト荊冠像
銅牌
十字架を背負うキリスト聖牌
十字架を背負う
キリスト聖牌
鞭打ちのキリスト聖牌
鞭打ちのキリスト聖牌
磔刑のキリスト聖牌
磔刑のキリスト
聖牌
聖牌(表)
聖牌(表)
聖牌(裏)
聖牌(裏)
聖フランチェスコ聖牌
聖フランチェスコ
聖牌
聖牌(表)
聖牌(表)
聖牌(裏)
聖牌(裏)
刺繍マリア聖牌
刺繍マリア聖牌
十字架
十字架
メダル
メダル
メダル
メダル
メダル
メダル
メダル
メダル
メダルについて
メダルについて
メダル付き十字架
メダル付き十字架
聖牌と聖遺物入れ
聖牌と聖遺物入れ
聖牌と聖遺物入れ
聖牌と聖遺物
入れについて
ヨーロッパ製指輪
ヨーロッパ製指輪

 クリスマスムード一色

震災の年のクリスマス



展覧会を出てミッドタウンのカフェへ。
目の前を行き交う人々を見ていて
ふと、寂しいなと感じました。

商業的な笑顔と
表面的な言葉。
自分の欲と利益のために
急ぎ暮らしていく毎日。

人はみんな寂しいから
何かで忙しくして
それを忘れようとしてるのかな?



寂しさの形が違うだけで
人はみんな寂しいのかもしれない――。

クリスマスムード一色の街角で
この華やかさの裏側にある
人の孤独を思いました。








 教会へ

上智大学

上智大学


教会で祈って帰ろうと思い四谷へ。上智大学が見えてきました。今回はイエズス会の遺物を見ることが多かったので、この大学を見るのも意味があるのかも。

上智大学はイエズス会開設した大学で、カトリックの名門校。遠藤周作も籍を置いていたことがありました(生前は明らかにしなかったけれど)。

面白いことに、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの一族の子孫である神父さんが教鞭を取っていたこともあります。その名はルイス・フォンテス神父。帰化して日本名泉類治さんとなられました。

ザビエルは神父で子供はなかったので、ザビエルのお兄さんの子孫ということになりますが、一族の血を引く方が来日して頑張っているなんて・・・。脈々と受け継がれる神の愛に、感動を覚えずにはいられません。

イエズス会聖三木図書館

イエズス会聖三木図書館


上智大学の校舎を仰ぎ見ながら聖イグナチオ教会の敷地に入り、右手に進みます。教会併設の建物の中にある聖三木図書館に見たい物がありまして。。

このHPを見てくださっている方から教えてもらったのですが、聖三木図書館の入口に掲げられた額の中には、作家の司馬遼太郎が河野純徳(こうの・よしのり)氏に宛てた手紙が収められているそうです。

入口右手の壁を見ると・・・あ、ありました!
手紙はお礼状で、聖ザビエルの全書簡を翻訳してくれてありがとうという内容。ザビエルのことが好きだと書いてあるのが、かなりうれしかったりして。

個人宛の手紙なので写真は載せませんが、一見の価値(それ以上!)があると思うので、興味のある方(そうでなくても)は是非見に行ってくださいまし。

聖三木図書館入口
聖三木図書館入口
聖三木図書館
聖三木図書館
聖三木図書館
聖三木図書館

聖イグナチオ教会のプレゼビオ

聖イグナチオ教会のプレゼピオ


イエズス会、ザビエルときたので、ずずいと遡ってイエス・キリストへ!・・・というわけではないけれど、教会の前に来たらプレゼピオがありました。

教会のクリスマスですねぇ。しみじみします。

プレゼピオとはクリスマスの様子を人形で表したもので、ベツレヘムとかクレッシュと呼ばれることも。最初に飾ったのはアッシジのフランチェスコだといわれています。

アドベント(待降節)から設置されて、最初は飼い葉桶に何も入っていないのだけど、クリスマスの朝になるとそこに赤ちゃんが置かれているんですよね。

子供を楽しませるもののようですが、大人も結構楽しいというか、毎年恒例なのにわくわくします。

プレゼビオ
プレゼピオ
プレゼビオ
プレゼピオ
プレゼビオ
プレゼピオ
クリスマス・オブジェ
クリスマス・オブジェ

こんな年でも年末が来るわけで



日本の東半分が大きなダメージを受け、
正視できないほどの悲惨さを体験した大震災。

こんな年でも年末が来るわけで
今年のクリスマスは「絆」がテーマだと
ニュース番組で言っていました。

家族の絆、友人との絆を
もう一度確認し、深めることを目的にして
クリスマスを祝う人が多いようです。

飲めや歌えの大騒ぎよりは
本来のクリスマスに近づいていると思うけれど
やはり救い主との絆が、本筋じゃないでしょうか。


良くなってる面は良かったなと思い、
まだまだかなと思う面は憂慮しつつ、
人類と救いとの距離が近づくことを願います。

生身の体で生きていく大変さも
一人一人が抱える寂しさも
今も銃声が消えない世界の平和の問題も

解いていくための糸口が
クリスマスに隠されていると
私は、思うから。。

それでも、この一年よ、ありがとう。

みなさまどうか幸せなクリスマスと良い年をお迎えください☆



インフォメーション


                                     旅行記一覧へ >>