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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 涙で祈る、23区。vol.1

<本日の主な訪問地>


 勝海舟旧邸
 伝馬町牢屋敷跡
 教文館
 切支丹屋敷跡
 伝通院
 青山霊園



       始まりは・・・

               

    始まりは友人M代からの一通のメールでした。
    年始の挨拶に加え、「会いたいな」との言葉が。

               私も久しぶりに会いたいと思い、
               「2人で会って話すのと、殉教地めぐりとどっちがいい?」と訊くと
               「殉教地めぐりです!」との返事が。
               そっか私とサシで話すよりいいのね・・・。

                 という訳で、今年は正月3日から殉教地へ向かいます!

                 今日も歩くぞっ (* ̄0 ̄*)ノオゥ!!

赤坂


まずは赤坂へ☆
大きなビルばっかりで威圧されます。

ここに来たのは以前見つけようと思って見つけられなかった記念碑を見るため。

一人でウロウロすると切ないので、M代に付き合ってもらおうという魂胆です。ちゃんと見つかるといいけどな♪

マップ

地名の由来

転坂(ころびざか)

勝海舟旧居


前来た時はど何往復しても見つけられなかった記念碑は、あっけないほどカンタンに見つかりました。

なんで前回見つからなかったのか、その方が不思議というか。

しかしまあ、感謝です。幸先いいなぁ☆

勝海舟旧居の碑

勝海舟旧居の碑

勝海舟屋敷跡

勝海舟屋敷跡

日本基督教団赤坂教会


さて、なぜこんなに勝海舟の屋敷跡にこだわったかというと、その理由がこちら(←)、日本基督教団の赤坂教会です。

なんとこちらの敷地は元々勝海舟屋敷の敷地内で、勝海舟が自宅の敷地を教会用地として宣教師さんにあげたことから始まるのです。

勝海舟といえば、坂本龍馬の師匠で江戸城の無血開城の立役者として有名ですが、晩年に宣教師さんと親交を結び、自身も信仰にとっても惹かれていたようなのです。

残念ながらクリスチャンになったという記録はないので、洗礼は受けなかったと考えられていますが、その心の行き先は、この教会が示しているような気がして。
ちゃんとこの目で見て確認できて、感謝です ヾ(* ̄▽ ̄)ノ


赤坂教会

赤坂教会

赤坂教会

 小伝馬町牢屋敷へ

小伝馬町牢屋敷


今日はあらかじめ地下鉄の一日乗車券を買っておくよう伝えてあったので、早速それを使って小伝馬町へ。

駅の階段を上った所にあるのが、牢屋敷の碑と解説板。ここから自分の背後方面に進んで行くと、十思公園などがあります。

一般にそこが牢屋敷の跡と言われていますが、当時の牢屋敷はとても大きかったので、今私たちが立っている所も牢屋敷内だったと思われます。

小伝馬町駅

解説板

処刑所跡


ほんの30秒ほどで、大安楽寺に到着。
ここが牢屋敷内の処刑場だった所です。
なのでキリシタン殉教地でもあります。

1600年代初頭までは、まだ切支丹屋敷がなかったので、捕らえられたキリシタンは、一般罪人と同じようにこの牢屋敷に入れられました。

そして処刑される際はここが使われました。何十年も牢に入れられ、寿命が尽きた信徒もいました。それも一種の殉教だったと、私は思うのですが。

十思公園


小道をはさんだ向かい側にある公園が、伝馬町牢屋敷。

ここで吉田松陰も処刑されたので、彼の碑が建てられています。

時折、通りすがりの人が解説を読んでいきますが、キリシタンについては一言も書かれていないので、悪い人が入れられていたんだなと思うのかも。


十思公園

十思公園について

解説板

吉田松陰の碑

吉田松陰の碑

吉田松陰の碑

時の鐘

時の鐘解説

牢屋敷跡


十思公園だけでなく、この辺り一帯が全部牢屋敷でした。あの角からこの角まで、駅下りてここに来るまでの道もずっと牢屋敷の敷地を歩いて来た訳で。

人生をここで終えた人たち、特に信仰のゆえに苦難を耐え忍んだ人たちの心栄えの素晴らしさを思います。

どんな場所にいても、変わらぬ心で主を愛し、祈り続けたこと自体が、本当の勝利だったのではないかと。


 ダサい2人、銀座へ!

銀座ミキモト


次は銀座へ。一日乗車券は乗れば乗るだけ得する気がして、いい気分♪

私たちは、独特のどん臭さとダサさが漂う、あまり銀座に縁のなさそうな二人組なのですが、M代はしれっとした顔で「私、銀座は詳しいんです」と言う。

「ほんとですか~?」と疑いつつも、ここは主導権を譲ることに。銀座はショーウィンドーも高級感がありますな。

十字屋ビル


「十字屋ビルに連れて行け」と言ってもわからなかったので、松屋の向かいでシャネルの隣くらいにあると言ったら、なんとか連れて行ってくれました。

ほんとに銀座に詳しいらしい。似合うか似合わないかは別として・・・。

ここ十字屋ビルは、原胤昭が日本初のキリスト教書店を開いた場所。どんなテナントが入っているのか見てみましたが、キリスト教関係はないようでした c(゜^ ゜ ;)


十字屋ビル

十字屋ビル

松屋銀座

シャネル

教文館


銀座でキリスト教書店といえば教文館なので、寄ってみることに♪

M代が言うには聖書図書館がおススメなんだとか。私も存在くらいは知っていましたが、一人では入って行けない雰囲気だったので、扉を押せずにいたのです。

ラッキー!主の導きに感謝です。

日本聖書協会


書店側でなく、エレベーターのある入口に行くと、日本聖書協会のショーウィンドーが☆

もう年も明けましたが、クリスマスっぽい感じでステキです。

聖書はおしゃれなプレゼントにもなり得るんですね。

教文館の出版物

かわいい聖書

聖書図書館

聖書図書館パンフ

タンネちゃん


エレベーターで上に昇って、聖書図書館に行ってみたら、休館日でした (;´д`)トホッ

喜びいさんで行ってみたらお休みって、ダサい私たちにぴったりのオチです。

涙を飲んで諦めて、カフェへ。左の焼き菓子がタンネちゃんです。随所に天使とかのキリスト教グッズが置かれていて、癒されます♪

窓辺

キリスト教のグッズ店

エレベーターホール

天井の照明

 次は切支丹屋敷☆

バプテストの教会


カフェで熱く語って、茗荷谷へ。切支丹屋敷跡へ向かいます。

殉教地に行きたいと言っていたので、ここは外すことができないと思い選んだのですが、M代が「私、この隣の駅に住んでいます」と言うではありませんかっ。

「え、知らなかったの?クリスチャンなのに」「はい」「・・・」「・・・」。
ま、先を急ぎましょうか。途中のバプテスト教会では、熱い口調で若者を呼んでいます。

茗荷谷キリスト教会

教会の電光掲示板

茗荷谷キリスト教会

茗荷谷キリスト教会

拓殖大学


少し行くと拓殖大学が。ここからの道が少々わかりにくいので、十字路の地図で確認して参ります。

新渡戸稲造が拓殖大学の先生をやっていたときって、ここに教えに来てたんじゃないかと思うんですが、不確かなので、M代に「たぶんなんだけど・・・」と教えました。

こんなガイドに案内されて、M代もかわいそうです <( ̄∇ ̄)ゞゴメンヨーン♪

切支丹屋敷跡


切支丹屋敷跡に近づくにつれ、大手ディベロッパーに対する抗議の幟が多くなり、遺跡の周りにも林立しています。

どうやらこの近辺にでっかいマンションを建設する話が持ち上がっていて、それに反対するために住民が立てたようです。

史跡をちゃんと保護しつつ、できれば再度専門家による発掘調査なども行われるなら、いろんなことがわかっていいだろうになーと、住民でもない私は期待しますが、住民の方はまた違うんでしょうね。

石碑

解説板

古い記念碑
八兵衛石?
八兵衛石?


石碑周辺

切支丹坂


切支丹屋敷の前を通り過ぎた所から、JR下のトンネルに引き込まれていく道が切支丹坂。

明治の文学作品では「気味が悪い坂」として描かれています。

明治6年まではキリシタン禁制の高札が、まだ全国各地に建てられていたのですから、「切支丹」という言葉自体が得体の知れない気味悪さを感じさせたのかもしれません。

切支丹坂

切支丹坂

旧町名について

トンネル


切支丹坂はこのトンネル手前で終わり、トンネルを抜けたところから始まる上り坂は庚申坂と呼ばれています。

昔、このトンネルのある場所には獄門橋という小さな橋がありました。切支丹屋敷に入れられる人が、最後に家族と別れをしたのだと伝えられています。

切支丹屋敷は、「殺すよりも転ばせる」ことが基本方針だったので、すぐに獄門とはならなかったはずですが、キリシタンになったら殺されるんだよという意味で、人々がそう呼んだのでしょうか。

獄門橋の跡

庚申坂解説板

庚申坂

庚申坂

茗台中学


庚申坂を登りきると、寂しい雰囲気は一変し、大きなビルどーん、車道を車がずびーんという感じ。

この高いビルディングも、中学校なのだとか。都会の土地利用状況に驚かされます。

そこにあった解説板を何気なく読んでいて、びっくり。ここには昔、館林宰相(後の徳川綱吉)に仕える同心たちの屋敷があったのだとか。確かその中にキリシタンになって処刑された人物がいたはず!

キリシタン殉教者の屋敷跡?


その人は盗難事件がきっかけでキリシタンであることが発覚して、切支丹屋敷で殺されたんだと、本で読んだことがあります。そっか、ここからまあまあ近い小石川植物園が綱吉の屋敷の敷地だったし、終焉の地もすぐそこだから、出仕する同心たちがここに住んでいたことは納得です。その中にキリシタンがいたことは、そう史料が示しているから疑わなくていいかと。

でもどうやってキリシタンになったかが、わかりません。ご禁制の時代、徳川家に仕える人物が、しかも治安や警固などを受け持つ部署の人間が、なぜキリスト教の信仰を持つようになったか、そのモチベーションがわかりません。

それプラス、信じるようになった経路も。だってキリスト教を宣べ伝える人はなく、宣教師らは外部から遮断されて切支丹屋敷に閉じ込められたまま、死んでいったのですから。

キリシタンゆかりの地に、すでに来ていた


そんなことを思っていたら、M代が「ここ来たことありますよね」と言う。「え、そうだっけ?」と言いながら、つらつら考えてみたら、ほんのりと記憶がよみがえってきたような、ないような(よく思い出せない;;)。でも来たみたいです。M代と一緒に来たらしいので。うん、たぶん来てる。

ということは、キリシタンゆかりの地を、私も以前から行き来して踏んでいたということか。知らぬ間に。いや、いつか知るようにと導かれて・・・。「クリスチャンなのに切支丹屋敷知らないの?」と言った自分の暴言が、自分に向って突き刺さってきました。

ああ、反省。悔い改めます。人はほんと、何も知らないでいきているんですね。


公民館なども入る

小石川高等学校跡

旧同心町

建物入口

 伝通院へ☆

山門落成


思い出話をしながら春日通を後楽園方面へ。次は伝通院へ参りやす☆

青空の下、ゆらゆらと気持ち良さそうに揺れている布は、伝通院の山門落成(お寺だから落慶という?)をお祝いするもの。

千姫を始め、徳川家の有名な女性たちが眠る伝通院は、昨今の歴史ブームを背景に栄えているようです。参道には中高年の姿が多く見られます。

竹早小中学校

小さく見える山門

周辺マップ

史跡めぐりマップ

山門


空をバックにそびえる姿は、壮観。

こういうもの建てるっていくらぐらいかかるんでしょう?

山門左横にはいろんな史跡地でもあることを記す碑や解説板が、まとめて建てられています。

石碑と解説

幕末の上人の解説

周辺マップ

伝通院と植物園

本堂


山門をくぐると目の前には本堂が。しかしそれには用がないと言ったら悪いですが、私が見たいものは別にあるのです☆

それはジュゼッペ・キアラ神父の墓碑をかたどった供養塔。山門を入った左手にあると聞いてきたんですが・・・。

指圧師さんたちが建てた碑や鐘楼の周りを裏まで調べてみたけれど、ありません。山門の工事中に訪れた人も、工事の覆いの中にあるのを目撃してるんだけどなぁ。工事が終わってからどっか他に持って行っちゃうってこと、あるんでしょうか?

お坊さんに訊いてみよう!


伝通院の小冊子などを売っているお店に行ってお坊さんに訊いてみると、「ありませんか?」とのこと。なかったと伝えると一人のお坊さんが見に行ってくれました。しばらくして帰って来ると「ありませんね。工事でどこかに移動してそのままになってるんでしょう」とのこと。

「えーっ!?」という私たちのリアクションを見て、事の重大さに思い至ったのか、「どこにあるのか探してきます」ともう一度見に行ってくれました。そして戻ってきて話していたことは、「倉庫に保管してあって今はお見せできませんが、いつかちゃんと安置します」ということでした。

なんか上の人にそう言えと言われてきたような口ぶりでしたが、お寺のご好意で置いてくれているのだろうから、食い下がるわけにもいきません。お礼を言って出てきました。これを読んで、キアラ神父の供養塔が見てみたいと思った方は、是非伝通院へ! 「ありますか~?」と訊く人が増えれば、いつか置いてくれるんじゃないかと・・・(*゜。゜)m。★.::ネガイヨ、トドケ☆


境内の歌碑

指塚

指塚解説

鐘楼

本堂

本堂内

本堂内

本堂内

千姫の墓


おばさま方が大勢見学している墓地に行き、一般の人が歴史上のどんな人物に関心が高いのかをリサーチ。

一番人気はやはり千姫でした。徳川家康の孫であるこの女性は、豊臣秀頼の元へ嫁がされ、大坂夏の陣で大坂城が落ちたときに、坂崎成正によって助け出されました。

この坂崎成正はキリシタン大名で、家康は千姫を救出した者に妻として与えると言っていたので、成正はキレイなお嫁さんがくることを心待ちにしていたのです・・・が!、千姫は江戸に向う途中に警固してくれた本多家の坊ちゃんにひと目惚れ。約束を反故にしてしまいます。

ここで成正も潔く引き下がって、他の褒美を受ければ良かったものの、カッとなってしまったのか、千姫が輿入れする時に略奪しようと試みて失敗。切腹を申し付けられて湯島の海禅寺で果てました。千姫は願い叶って本多家に嫁ぎますが、夫は若くして死去。江戸に戻って70歳で亡くなりました。

未来がどうなるか、一瞬先も見通せないのが人間の限界ですが、それにしてもあの人もこの人も、どうしてこうなっちゃったんだろうなぁと思ってしまいます。千姫はドラマなどで有名女優が演じているので知名度が高くて人気もあるんでしょうが、一人のキリシタン武将を死に追いやったことでは、どうでしょう、私はあまりステキだと思えません。


千姫の墓解説

家康の生母の墓

生母の墓解説

孝子の墓

沢宣嘉の墓


墓域をそぞろ歩きしていると、すごいものを発見!! 沢宣嘉(さわ・よしのぶ)の墓です。

沢宣嘉は幕末から明治にかけての公卿で、政治家。九州鎮撫総督だったときに浦上キリシタンの事件が持ち上がり、彼らに棄教の意思が無い事から「中心人物の処刑と一般信徒の流罪」とすることを新政府に提案しました。

これにより浦上キリシタン3394名は西日本各地に流配となり、拷問と虐待を受けて613名が殉教しました。ここで沢宣嘉の墓に対面するとは思いませんでした。自分で計画して出かけているつもりでも、神様の見えない手が働いてくださっているのを感じます。

沢宣嘉と明治6年


・・・と思いながら、墓碑の裏側を読むと、亡くなったのが明治6年9月と書かれているではありませんか。明治6年はキリシタン史を学ぶ者には忘れられない年。高札撤去の年です。そう、この年からキリスト教は黙許の時代に入り、処罰の対象ではなくなったのです。

だから流配地にいた浦上キリシタンたちも、この年に解放され、翌年にかけて長崎に戻って来るのです。感謝の心で讃美歌を歌いながら・・・。

では沢宣嘉は、キリスト教徒たちが歌いながら帰郷していくのと同じ時期に、病に倒れ亡くなっていったんですね。年齢は38歳。昔とはいえ早すぎる死です。出世街道の途中で、とっても無念だったことでしょう。自分の無念さを通して、誰かに無念な思いをさせたことを思い出したでしょうか。


沢宣嘉の墓

解説板

解説

明治6年

家康の鎧


無料休憩所でお茶をもらい、ひと休み。

M代にさらっとキリシタン史をレクチャーするつもりが、二人そろって天からのレクチャーを受けるようになったような感じです♪

巡礼ということ自体、人間だけでするものではないのだと気づかされました (゜ー゜*)

家康の産着解説

家康の生母の像

解説

家康の生母の木像

文京シビックセンター


伝通院を後にして後楽園方面へ。

これが市役所だと言ったら、田舎の人はびっくりするだろうなと考えながら、文京シビックセンターの中へ。

ここから地下鉄に乗って、最後の目的地である青山霊園を目指します☆


中央大学

戦没者霊苑

富坂

春日局

 ラストは青山!

青山霊園


長く東京とその周辺に住んでいるけれど、あまり縁がない街というのがあるもので、その一つが青山。

おしゃれで高級なイメージですが、そこに霊園があるというのが不思議。でもやって来ました青山霊園。

歴史好きなおばさま方も、さすがにここまでは来ないらしく、園内は閑散としています。おっと、公園事務所もお休み。どうしよう、公園マップなしに広大な園内で目当ての墓を探すのは無理だと思われます o(;△;)o  

そこで取り出したるは携帯電話。夫に電話いたします。昨日の晩、お墓の住所にあたる記号があることを知り、それをメモって机の上に置いてきたのです(持って来いよっ;;)。


青山の街

乃木大将の墓参道

お墓への参道

青山霊園

外国人墓地


夫に机を見てきてもらう間に、比較的見つけられそうな墓域に向かいます。

青山霊園内には外国人墓地があって、ここにたくさんの宣教師さんが眠っているのです。

知っている宣教師さんの名前でも、アルファベットでどう書くのかしらない場合が多いので、その点が心配ですが、2人で力を合わせれば何とかなるでしょう!(ナントカナッテクレ)

楠木正隆を知っていますか!?


外国人墓地の解説板を読んでいたら、またまたすごいこと(?)を発見! 墓地設置の許可を求めたときの東京府知事が楠木正隆だと書いてあります。楠木正隆は浦上キリシタンがどんな生活を強いられているのか、実際に各地に赴いて調査した人。キリシタン弾圧を各国から非難された明治政府が、巡察師として送った人物なのです。

浦上キリシタンを預かっていた各藩では、巡察師が来るというので急遽牢屋をキレイにし、待遇も改善して、信徒たちに優しく接するようになりました。これによって牢内での死亡率は激減。厳しい取り調べもなくなりしました。中には今までのことを告げてくれるなと、信徒に頼み込む役人も。

楠木正隆という人が、キリシタンのために思って自発的にやったことではありませんが、結果として信徒たちにとっては大きな助けになったことで、そのままでは死んだかもしれない人が生き残れたこともあったでしょう。

楠木正隆について調べても何もわからなかったのですが(wikiにも載ってない)、その後東京府知事なっていたんですね。我知らず行うことでも、人を助ける側に使われたいものだと思います。


青山霊園について

東京府知事が楠木正隆!

お墓の場所

ジョゼフ彦

墓地配置図

現在は石原慎太郎

ジョセフ彦の墓


お墓の記号と墓地の配置図があるので、ここにあるお墓は見つけられそうです。

まずはジョゼフ彦のお墓へ。

この人は船が難破してアメリカ船に救出され、アメリカに渡ったことから、日米の架け橋となったことで知られていますが、クリスチャンであったことはあまり知られていません。墓石には「浄世夫彦之墓」と刻まれています。


ジョゼフ彦の墓

浄世夫彦之墓

墓誌

ワグネル師の墓

アンナ・ホイットニーの墓


外国人墓地の片隅にひっそりと建てられているのがアンナ・ホイットニーさんのお墓。今日青山霊園に来たのは、このお墓を見たかったからです☆

アンナ・ホイットニーさんはアメリカから来た女性宣教師で、勝海舟と親交を結び、勝とその家族からとても信頼された人物。

現在日本基督教団赤坂教会となっている土地も、ホイットニーさんが活動できるようにと勝海舟が自邸の敷地内に教会を建てさせたことに始まります。勝海舟は洗礼は受けませんでしたが、キリスト教を学び、惹かれてはいたようです。

墓碑には漢訳聖書の言葉とそれを揮毫した人の名が。
「ホイットニー氏親友 勝安房拝誌」の勝安房とは勝海舟のことです。親友とはステキな表現ですね。
写真を撮り損ねてしまいましたが、墓碑の裏にはこう書かれています。
「義人必由信而得生」――。
口語訳聖書ではこれを「義人は信仰によって生きる」と訳しています。


アンナ・ホイットニー

墓碑

勝安房

墓誌

グイド・フルベッキの墓


続いてフルベッキさんのお墓へ。オランダ生まれの宣教師で、日本の近代化にも貢献した人です。

門下生には大隈重信や伊藤博文も。政府の顧問をした時期もありましたが、明治政府が軌道に乗ると自ら退いて、聖書や賛美歌の翻訳を行いました。

明治学院の設立に際して理事に就任し、神学部で教授もしました。板垣退助と高知に渡り伝道活動したこともあります。

1859年に初来日してから40年目の1898年、68歳で亡くなりました。日本が世界の荒波に乗り出していく時代に、学問的にも精神的にも日本人を引っ張り上げた人物だったといえるでしょう。


奥さんの墓碑

奥さんの墓碑

国際結婚した人の墓

墓の解説

宣教師一家の墓

普連土学園関係者の墓

M.C.ハリス夫妻の墓

宣教師の墓

福羽美静の墓


外国人墓地を見終えたところで、夫からのメールが届きました。私のメモにないものもネットで調べてくれていて、至れり尽くせりです♪

では福羽美静の墓へ。明治政府御用達の国学者で、浦上キリシタンを津和野で説諭(棄教を勧める説得)した人物です。

今日は浦上キリシタン関係の人に多く出会いますね。

福羽家の墓

福羽美静の墓

福羽家の人々

小村寿太郎の墓

津田仙夫妻の墓


津田仙夫妻のお墓だけは、参拝者がいらっしゃいました。お墓を掃除して写真を撮っていたから、遺族や子孫ではなくそういう業者さんかもしれません。

津田仙は津田梅子のお父さんで、クリスチャン。農学者でもありました。

津田仙は青山学院の創立に関わっており、津田梅子は津田塾大学を創設したのだから、親子揃ってすごいです。

国木田独歩の墓


最後に国木田独歩のお墓を見たいと思い探したら、これが結構難関で、沈み行く夕陽の中でようやく見つけられました☆

しかし今日見たいと思っていてたものは全部見ることができ感謝! 見られなかったのはそこになかったものだけです。

見つけようとも思ってなかったものを発見できたことにも感謝。M代、付き合ってくれてありがとー。

月が見てる


「もう夜だね」
頭上には月がかかっています。

人と一緒に行くとしゃべったりして、緊張が解かれ気持ちがほぐれるから、一人のときより疲れないように感じます。

人も同行してくれたけど、主も同行してくれたから楽しかったんでしょうね。昼間の月は見えないように、生活の中でも主の働きは、目には見えないんだろうなと思いました。



      一月のボタン


      一月は決心の月といえるのではいでしょうか。
      今年はこうしよう、ああしよう、そうはしたくないな・・・と
      誰もが決心し、新たに始めようとするのですから。

      だから一月は最初のボタンを留める月ともいえるかと。
      最初のボタンを掛け違えると、最後までずれて
      結局全部はずしてやり直さなければなりません。

      私の今年のボタンはどうだろう?
      ちゃんと掛けられたかな?

      本年も (・o・)ヨ(・д・)ロ(・ェ・)シ(・ε・)クお願いします♪


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