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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 旅行記 > 涙で祈る、23区。③

 涙で祈る、23区。vol.3


  涙を流して祈ろうと・・・


            年初に起きた地震に驚き
            日本のために祈ろうと思い立ちました。

             地震学者たちは大地震が起こる可能性を
             3年以内に35%だとか1年以内に75%だとか言っていますが、
             何を信じていいのかわからない時代だということだけがわかります。

                 都内23区の一つ一つの区で
                 涙の祈りを捧げて
                 日本の罪を悔い改め、未来のために祈りたいです。


                      涙で祈る、23区。スタートです☆

            

品川駅


まずは殉教地へ。日本人が犯してきた罪を考えると、キリシタンの殉教地へ行って祈ってくることは無駄ではないと思うから。

品川海岸刑罰場が現在のどこにあたるかは・・・、はっきりとはわかりません。海岸は埋め立てられ、海が近くにあることさえわからないような感じになっているから。

でもとりあえず品川駅で下車。当時は海岸であったろう所をカメラに収めます。


品川駅より

品川駅より

品川駅より

品川駅より

品川駅コンコース


当時の海岸線を古地図で調べると、現在品川駅になってる所が昔は海岸で、ここがキリシタンの殉教地であってもおかしくないようです。

ここでは「水責め」という刑が用いられました。海中の浅瀬に立てた柱にキリシタンを逆さ吊りにして縛りつけるというもので、潮が満ちると顔が水面下になり窒息死するのです。

処刑する役人たちも、斬首したりするよりその方が後始末が簡単だったそうで・・・。記録に残っているのは以下の通り。

品川海岸刑罰場でのキリシタン殉教


1630(寛永6)年、10人が海中吊りとなり殉教。
1639(寛永15)年、23人が海中吊りとなり殉教。
1640(寛永17)年、70余人が海中吊りとなり殉教。

100人以上もの人が処刑されていったというのに、記録はほとんど残っておらず、彼らの名前もどんな人だったのかも全くわかっていません。名前も知られない多くのキリシタンたちが、ただ信じるもののために死んでいったんですね。言葉が出ません。

品川グース


品川駅のコンコースを抜けてホテルなどの建ち並ぶ方へ。

品川グースとよばれる京急のホテルのある場所は薩摩藩下屋敷の跡。

ここでも数々の歴史が繰り広げられたんでしょうが、横目に見ながら坂道を登ります。祈りに行くことが目的ですので☆

カトリック高輪教会


訪れたのはカトリック高輪教会。

聖堂に一人座り主に話しかけると、どっと涙が溢れてきました。

神様を信じる人をこんなに殺してちゃ、そりゃだめだよと思いながら、悔い改めのお祈りをしました。

祭壇

十字架の道行き

十字架の道行き

十字架の道行き

日本基督教団高輪教会


続いて日本基督教団 高輪教会へ。

1882(明治15)年の創立というから、日本で最初のプロテスタント教会が建てられてから、たった10年しか経っていません。

歴史ある教会で、教会堂は「東京たてもの百選」に選ばれています (^-^)/


日本基督教団高輪教会

日本基督教団高輪教会

日本基督教団高輪教会

教会案内

東禅寺


次は東禅寺。徳川家康・秀忠の軍学師範であった嶺南が開いたお寺です。赤坂の霊南坂はこの人の名前からきたんじゃなかったですっけ?

日本が開国したばかりの頃イギリス公使館が置かれた所でもあります。それで何かの争いが会った時に襲撃されて、玄関に今でも弾痕が残っているらしいですが、見つけられませんでした (;´д`)


石碑

東禅寺

東禅寺

山門の像

東禅寺境内


都会の真ん中なのに境内は広くて静か。人もいないので、なんかちょっと怖いくらいです。

ここに来たのはキリシタン大名 毛利高政が葬られたお寺だから。でもお墓らしきものは全く見当たりません (;´д`)(;´д`)

墓地は別の所にあるのかな? 五輪塔みたいな石造物はあるんですけどねぇ。

東禅寺

東禅寺

東禅寺

東禅寺

 北品川駅へ・・・☆

京急品川駅


駅周辺をぐるりと大回りして、再び品川駅へ。京急品川駅から電車に乗ります♪

駅前には「品川駅創業記念碑」なるものが建てられています。

鉄道マニアには常識なんでしょうが、日本で一番古い駅だとか何とか書かれています。ほー ( ̄o ̄)ホホー


品川駅創業記念碑

品川駅創業記念碑

品川駅創業記念碑

品川駅創業記念碑

京急


私はあまり京急に縁がなくて1、2回しか乗ったことがないので、乗るだけでテンション上がります♪

北品川で降りて跨線橋を渡ります。眼下には電車の車列が。一日見ていられるくらいヴァリエーション豊かです。


周辺マップ

史跡

学校

北品川

グロリア・チャペル キリスト品川教会


前々から気になっていたので来てみたのが、グロリア・チャペルキリスト品川教会。

北品川にある単立教会ですが、見るからに勢いがあるなーと。

外国風な感じがうけてるんでしょうか。もちろん信仰な雰囲気もたっぷりです。広い聖堂ではコンサートなども行われているようですね♪


グロリア・チャペル

キリスト品川教会

キリスト品川教会

キリスト品川教会

東海道品川宿入口


もう一度跨線橋を渡って、駅の反対側へ。旧東海道を歩いてみようかと思いまして☆

ここは品川宿のあった所。商店街の真ん中を通る道は、江戸期とほぼ同じ道幅で鈴が森までつながっているのだとか。

東海道って、そんなに広い道ではなかったんですね。往来する人も、当時としては多かったんでしょうけど、現代人が想像するほど多くはなかったんだろうと思いました。


踏切

旧東海道

旧東海道

問答河岸跡

相模屋跡


左手に見えてくるコンビニのある所が相模屋の跡。

高杉晋作らが横浜で外国人を襲撃しようと計画を練った所です。

いわゆる尊皇攘夷というやつですかね。当時の人が今の世にぽっと現れたらどう思うんでしょう。

北品川の水辺


実は北品川に来たのはこの水辺(←)が見たかったから。品川駅ではどうしても海が感じられなくて、海岸刑罰場という雰囲気がありません。

それに当時キリシタンの処刑は見せしめの意味でもって、人通りの多い所を選んで行われたのです。

だから品川宿の目と鼻の所にある海辺で「水責め」が行われた可能性は相当程度あると思うのです。

今は「海辺」というより「水辺」で、繋留されている船も漁船よりも屋形船が目立つくらいなんですが。当時もかなりの繁華街でお酒や遊びが目的で来ている人たちが・・・、もしかしたら目撃したかもしれませんね、キリシタンの殉教の姿を。聖と俗が、この世では隣り合うことがよくありますから。


品川宿の水辺

品川宿の水辺

品川宿の水辺

品川宿の水辺

クジラ!


鯨漁も行われていたのか、鯨が打ち上げられたことがあったのか、鯨のオブジェに鯨塚までこさえてありました (゜0゜)

解説板には「品川浦の生活」が紹介されています。江戸期の品川では海に密接した暮らしをしていたようですね。

「品川」と「海」というキーワードが結びついてよかったです。来た甲斐がありました。

やはり品川海岸刑罰場は、現在の品川駅よりもう少し南の、旧東海道品川宿の海岸にあったのではないでしょうか。


鯨塚

品川浦の生活


神社

台場小学校


小道をてくてくと台場小学校へ。今「台場」というと、フジテレビのある所が有名ですが、品川にもあるんです、「台場」。

元々外国船に向けて発砲するための砲台として建設されたのが「台場」。

こちらの小学校は御殿山下の「台場」跡に建てられています。校門の前に置かれたコチラ(←)は気象台。小学校の前は気象台が建てられていたそうです。


台場小学校

台場小学校

 東海道品川宿♪

品川宿跡


再び旧東海道に戻って元宿場町を歩きます。趣きある町並みに旧跡が点在。歴史好きの心をくすぐる町だと思います☆

小さな児童公園の入口に品川宿の碑と説明板も建てられています。

説明板が高札の形なのは、江戸を意識した演出なんでしょうけど、キリスト教禁令の高札を思い出させて、私的にはバッドですかね (w_-;


石碑

説明板

児童公園

東海道品川宿

旧東海道


昔ながらの商店街っぽいトコもありつつ、町の雰囲気を生かしたおしゃれなお店もありで、全体的に感じのいい町です。

品川駅のどひゃーとそびえるホテル、ビル群のすぐ近くにこんな庶民的で人に寄り添った町があるなんて♪

いろんな町を歩くと東京の懐の深さを知ることができるんですね。


東海道

お寺

お寺

解説板

聖蹟公園


「聖」という文字が目に入って曲がって行くと、小道の先に聖蹟公園がありました。

「聖」の由来は明治天皇が泊まられた所だからということでした。そういえば他にもそういう地名ありますね。

しかし解説板を読むとここは品川宿の本陣の跡でもあるらしいです。本陣とは参勤交代で江戸と所領を行き来する大名や旗本が使用した宿舎。

ということは、私がチェックしている大名たちが泊まったり、(江戸に近いから江戸に屋敷を構えてる大名は泊まらなかったかもしれないけど)休憩して行ったりしたかもしれませんっ。うーん、良い所に来させてもらいましたヾ(●´▽`●)ノ


品川宿本陣跡

説明板

聖蹟公園

聖蹟公園

 怒涛の神社仏閣巡り ( ̄0 ̄)/

清徳寺


ではここからは怒涛の神社仏閣巡りを。随分歩いてお腹空いたけど、もうちょっとだけ頑張ります!

こちらの割と小さなお寺が清徳寺。徳川家光に近侍した沢庵上人が江戸にいるとき宿泊していたお寺です。

家光は御殿山(グロリア・チャペルのある所)にいることもあったので、ここから通って会いに行ったりしてたんでしょうかね。江戸城までは遠すぎると思うから。

家光はキリシタン殉教の総責任者ともいえる人物。もちろん禁教令を出したのは家康で、家康をリスペクトした家光がキリスト教徒迫害を踏襲した訳ですけど、有無を言わせぬほどの冷酷非道な処刑は家光の時代に起こりました。

先ほどの品川海岸でのキリシタン処刑はすべて家光の時代のことなのです。沢庵はどんな考えで、近くでそれを見ていたんでしょう。


清徳寺

清徳寺

清徳寺

清徳寺

品川神社


続いて品川神社へ。長い石段をひーはー言いながら登って境内へと到着いたしました。

この神社は元々違う場所にありましたが、沢庵が東海寺を開いたとき現在の場所に移されました。

境内には能舞台もあって、由緒正しそう。

由緒書

石段

品川神社

能舞台

品川神社境外!?


ここに来たのは板垣退助のお墓を見るためなんですが、お墓っぽいものが見当たりません。

それに板垣はクリスチャンだったのに、何で神社にお墓があるのかがわかりません。

キリスト教禁令の時代でもないから、別に隠す必要なかったでしょうに・・・、と思っていたら、「板垣退助墓所」と書かれていました!

えっ、「品川神社境外」!? 境内は聞いたことあるけど、境外って・・・ (*゜ロ゜)ノ

板垣退助の墓


神社の裏手あたる「境外」に行ってみたらばありました、仏式の板垣退助のお墓が。

戒名までついてます。

クリスチャンだったのになぁ。。

解説板には「板垣死すとも自由は死せず」のことは書いてあっても、ここにお墓が建てられるようになった経緯などは書かれていません。もちろんクリスチャンだったことも・・・。


板垣退助墓所

解説板

石碑

板垣退助墓所

ちょっとブレイク ε=( ̄。 ̄;A


時計が15時を回ったところでようやくお昼ご飯。もう少し早く休めばよかったかな。足がパンパンです。

せっかくここまで来たから、品川方面はもう来なくてもいいくらい見回ってしまいところだけど。

今日行こうと思っているところまで体力が持ちますように (o゜◇゜)ノ

細川家墓所に向って


さて次に向うは細川家の墓所。細川家の宗家の墓なので、細川ガラシャ夫人の子孫のお墓です。

細川ガラシャは戦国時代に生きたキリシタン女性で、戦国一の美女ともいわれています。

明智光秀の三女として生まれ、数奇な運命をたどり、石田三成の人質にならぬよう家臣に胸を突かせて死にました。

一度来てみたいと思いつつ、今まで機会がなくて・・・おお、墓地が見えてきました!

見学中止!!


墓所への入口は川沿いの民家の脇。ちょっと行きにくいなーと思いながらも、わくわくして来てみたのですが・・・

Oh My God!!!

この度の東日本大震災により灯籠が倒壊しているので見学中止だと書いてあります。えええええーっ、うそでしょ。もっと早く来れば良かった (ノ◇≦。)


入口

見学中止

解説板

この道の向こう

細川家墓所


諦めきれないので、広い車道側に回って塀越しに写真だけでもとカメラを突き出してみました。

確かに倒れて壊れたりしてます、石灯籠が。墓石も無事とはいえなさそう。

しかし大きなお墓ですね。明治まで続いた藩主の家柄のお墓なんだから当然なのかもしれないですけど、ずっと繁栄してきたんだなと感じます☆


細川家墓所

細川家墓所

細川家墓所

細川家墓所

東海禅寺


お次は東海寺。入口には「東海禅寺」と刻まれてますが、中にある解説板には「東海寺」と書かれています。

この寺を開いた沢庵は臨済宗だから「禅」を入れたんでしょうね。

お寺の参道の左隣には、江戸名所図会などを立体的に配した小さな散歩道みたいなものがあります。

思わず鋭い目で品川の海岸線を探してしまいました。泉岳寺や高輪車町・・・、これらの場所も殉教地なんですよね。まだ行ってないけど。


東海寺

東海寺

解説板

隣の江戸名所図会

東海寺大山墓地へ


東海寺から少し離れた所にある東海寺大山墓地へ。

「品川硝子製造所跡」の碑がある所の角を曲がり、線路脇の細い道を登って行った所にあるようです。

墓地への案内板が出ているので、まあ道はあっているでしょうけど、案内板がなかったら不安になっちゃうような小道ですね。


線路脇の道

案内板

品川硝子製造所跡

解説板

大山墓地入口


人気(ひとけ)のない小道を進むと、その先にあるのはうら寂しい感じの小山。

ここから木々の生い茂る墓地に一人で入って行くのは、ちょっと勇気が要ります。

だからといって、こんなところで人に遭ったらかえって怖いような・・・(>_<;)コワイッス

沢庵和尚の墓


だだだっと見てしまおうと意を決し、一気に沢庵和尚の墓へ。

鬱蒼とした林の下にたたずむ、自然石でできたお墓です。

一種異様な気が漂っているように感じたのは、私の錯覚でしょうか。


沢庵和尚の墓

門は開いてない

解説

千利休の追遠塔?

清光院


普通に人の歩いているところに出てきて、ほっとひと息。清光院にやって参りました。

ここにあるのが摂津高槻城主、永井家の墓地。永井家は高山右近が去った後に高槻を治めたお家です。

永井家の時代になっても相当たくさんのキリシタンが住んでいたはずですけど・・・。

墓域で一番大きいのは奥平家の墓域で、品川区指定の史跡となっています。


しながわ百景

本堂

奥平家の墓域

奥平家の墓域解説

天龍寺


近くにある天龍寺は、徳川家康の深い帰依を受けた僧侶、嶺育のお寺。

家康は嶺育をしばしば江戸城に呼び寄せて謁見したのだとか。しかし嶺育は老体のため往来が大変であろうということで、江戸城に近い下谷にも一寺を建てて、そこに嶺育を住まわせたということです。

すごいご執心ぶりだったんですね。権力者ってそういうものなんでしょうか。


天龍寺

天龍寺

天龍寺

天龍寺

海蔵寺


もう少し歩いて海蔵寺へ。こちらはまた全く違う雰囲気のお寺です。

家康や家光、藩主などとは無縁の庶民のためのお寺という感じ。

江戸時代ここは引き取り手のない死者を引き受けた投込寺(なげこみでら)でした。

その中に、もしかしたらキリシタンもいたかもしれません。


解説板

本堂

供養塔

慰霊碑

 イエズス会の隠れ家はいずこ?

天妙国寺


ものすごーく疲れてきて、足が棒とはこのこと!という感じですが、あともう少し☆

近くまで来たんだから、やっぱイエズス会の隠れ家が大体どの辺にあったかだけでも見てみたいと思うものですから。

まずは天妙国寺へ。この「天妙国寺」が昔は「妙国寺」だったんじゃないかと当たりをつけたんですけど・・・。それにしてもこの辺りお寺が多いですね (゜0゜)


天妙国寺周辺

他のお寺

真了寺

エキゾチック・・・

ジュネーブ平和通りへ


青物横丁駅前を通るジュネーブ平和通りを進んで、旧東海道へと戻ります。

街道沿いを南下して品川寺(ほんせんじ)まで歩こうと思います。

なぜならなぜならなぜならば!
「東海道に近い、妙国寺と品川寺の間にイエズス会の江戸における隠れ家があった」と何かの本に書いてあったから(出典が思い出せない;;)!

とりあえず歩いてみようと思います。曖昧なことばっかりですけど、もしかしたら霊感がばしっと来るかもしれないし♪(* ̄  ̄)bネッ


路地

ジュネーブ平和通り

ジュネーブ平和通り

ジュネーブ平和通り

竹内医院


「あー、そこの病院、撮るといいですよ」
信号で話しかけて振り返ると、自転車に乗ったおじさんが。知らない人ですが、私を見てるので、私に話しかけた模様です。

「あの病院、何か有名なんですか?」
「古い建物でね、レトロでいいんだよ。玄関までは誰でも入れるから」

お礼を言うとおじさんは満足げに去っていきました。カメラを持っているから、町で被写体を探しているように見えたのかな?

せっかく教えてもらったのだからと撮ってみました(さすがに玄関までは入っていけませんでしたケド)。庶民的な町だから、人と人との距離が近かいのかも。ならば江戸時代も・・・。イエズス会の「隠れ家」ったって、今ほど便利な時代じゃないんだから、完璧に隠れられたか疑問です。

近所の人が多少見て見ぬふりくらいしてくれなくては潜伏できなかったと思うんですが、、どうだったんでしょうね?




旧東海道

レトロな病院

土方歳三が泊まった釜屋跡


少し進むと左手に釜屋というお茶屋さんの跡が。土方歳三が泊まったということで、建物前に説明プレートが設置されています。

歴史上の人物ゆかりの地ともなると、泊まっただけで説明板が建つんですね。人気があって、見に来る人がいなければ造らないんでしょうから、こういうものを見ると、一般での人気度が察せられます。

やっぱ新撰組と竜馬はどこに行っても人気でんな☆


土方歳三が泊まった

釜屋跡

品川寺


てくてく歩いて品川寺。あー着いちゃった。

ここまでの間のどこか(道から一本入ったような目立たない所だったと思うけど)に、イエズス会の隠れ家があったはずですが、それらしい雰囲気の所はなかったです。

400年も前のことなんだから当然といえば当然ですけどね (T▽T)アハ

品川寺

品川寺

品川寺

品川寺

周辺マップ


しかしこの辺にいたんだろうからと思い、もう少し路地などを歩き回ってみました。

現代の私は過去を想像するのだけど、過去にいたキリシタンたちはどうだったんだろう――?

未来にどんな世界を思い描いていたんだろう。キリスト教が栄えて、みんな幸せに暮してると思ってたかな。迫害が何百年も続くと考えたかな。何百年も耐え忍んで信仰を隠れて守った者たちが、出て来て世界を驚かすとは想像したかな・・・?

最後の項目だけは、想像したかもしれませんね。彼らもまた耐え忍び、隠れながら信仰を伝えていったのだから。そう考えると江戸、明治、現在はやはり一本の糸でつながているのかも。目に見えない糸で。それで今日も私は、その糸に引っ張られてここに来たんじゃないのかな (・ェ・。)チガウ?


周辺マップ

周辺

周辺

周辺

海晏寺


ラストは岩倉具視の墓がある海晏寺。墓地は背後の小山にあるのですが、一般には公開されていないので見られません。

立派な本堂がある境内にも、時間が遅いからか、いつも開いてないのか、残念ながら入れないみたいです。

この寺にキリシタン灯籠が伝わっているというので、できれば見てみたかったのですが。


岩倉使節団と高札撤去


岩倉具視は明治時代に不平等条約の改正のため使節団を率いて欧米を回った人物。行く先々でキリシタンへの迫害が取り沙汰され、交渉のテーブルにもつけなかったので、日本政府に電報を打って、キリスト教禁令を解いてほしいと頼みました。これがキリスト教黙許の時代へのきっかけになり、全国に建てられていた高札は撤去されました。

岩倉具視が、昔キリシタンがいた地にある寺に葬られていて、その寺にキリシタン灯籠まであるなんて不思議な巡り合わせですね。もちろん岩倉具視はクリスチャンではないし、キリシタン灯籠はキリシタンと直接関係するものではないけれど。私にとっては不思議な偶然です☆


海晏寺

海晏寺

海晏寺

海晏寺墓地




      代わりに十字架を負うとは


      日本のために悔い改めて祈ろうと思い立ち
      今日は品川区でお祈りを捧げてきたけれど
      誰かのために代わりに悔い改めるということは、果たして可能なのか?

      イエス様が代わりに十字架にかかってくださったことで
      私たちの罪が許されたことは信じるけれど
      それが私にできるかはまた別問題。
      たぶん真っ当な神学者には否定されようかと。「おめーには無理」って。

      しかし、祈りたいのだから仕方ない。悔い改めの祈りを。
      有効でなくても、認められなくても、自己満足に過ぎなくても・・・。
      せっかく始めたから、最後まで頑張れますように (* ̄0 ̄*)ノエイエイオー



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