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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 涙で祈る、23区。vol.7


   今日は大田区と品川区を歩きます★
   関東に住んでいなければ、こんなにいろいろと行けないと思うので
   小さな歴史が刻まれた場所にも一つ一つ訪れることができることに感謝です!
   今日も一日守られますように (○゜ε^○)v♪

日本福音ルーテル教会


JR大森駅で下りてルーテル大森教会へ。
駅に向う通勤の人たちとぶつかりそうになりながらパチリ。

大森は人口の多い街ですが、地図で見ていたら結構教会もちらほらあります。

この中の何人かもクリスチャンだったりするのかなーと人の流れを眺めたりして☆

ルーテル大森教会

ルーテル大森教会

ルーテル大森教会

ルーテル大森教会

蘇峰公園


少し歩くと静かな街並みに変わりました。
こちらは徳富蘇峰の旧居跡で、今は公園となっている蘇峰公園。

中に蘇峰が使った物などが展示されている記念館があるみたいですが、オープンが9時からなので、今日は諦めます ('-'*)

徳富蘇峰は明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストで政治家。評論家でもあり、書をよく嗜んだので、全国各地の史跡に彼の揮毫による石碑が建てられています。また弟の徳富蘆花は小説家で、蘇峰と蘆花の兄弟は若い頃からクリスチャンでした。

徳富蘇峰とキリスト教


徳富蘇峰は出身地である熊本でキリスト教に触れ、花岡山で同志たちと「遂にこの教を皇国に布き、大に人民の蒙昧を開かんと欲す」とする、「奉教趣意書」を誓約しました。このグループを熊本バンドといい、明治期のプロテスタント派の1つ源流になりました。

同志社英学校に入学し、そこで同志社創設者の新島襄により受洗。洗礼名は掃留(ソウル)でした。その後同志社を退学し自由民権運動に身を投じ、私塾を開いて青年の啓蒙にあたり、論文を投稿して頭角を現しました。1890年「国民新聞」を創刊して、明治・大正・昭和の3代にわたってオピニオンリーダーとして活躍しました。

次第に政治との距離も縮め、内閣のブレーンとして政界、官界に影響を与え、マスコミを通して国論の統一と国際世論への働きかけに努めて、1911年には貴族院勅選議員に任じられるまでとなりました。蘇峰が現在の蘇峰公園にあった家で暮らしたのは1918年から約5年間。ライフワークともいえる、「近世日本国民史」(信長以降の歴史を俯瞰した著述作)を執筆しました。

戦後の蘇峰


1945年、戦前の日本における最大のオピニオンリーダーであった蘇峰は、終戦後にA級戦犯容疑をかけられましたが、老齢と三叉神経痛のためにGHQにより自宅拘禁とされ、後に不起訴処分が下されました。

公職追放処分を受けたため、1946年に公職を辞して熱海に蟄居。この頃にはキリスト教の信仰が後退していたのか、自らの戒名を考えたり、達磨画を描いて静かに過ごしたようです。

1957年熱海にて94歳で死去。霊南坂キリスト教会で行われ、墓所は多磨霊園に定められました。この時の霊南坂キリスト教会主任牧師は小崎道雄(こざき みちお)。熊本バンドの一員で、霊南坂キリスト教会の創設者である小崎弘道(こざき ひろみち)の息子です。

かつて日本に「神の国(キリスト教でいうところの)」を建てようと共に誓った盟友の教会で、その息子の司式によって天へと送られた蘇峰は、今何を思うのでしょう。

大正デモクラシーに自由民権運動、二度の世界大戦と日本の政治――。私には大き過ぎるテーマで、考えをまとめることもできませんが、その中に一人のキリスト教者がいたことを覚えておこうと思います。


蘇峰公園

蘇峰公園

蘇峰公園の碑

周辺の文学者マップ

養玉院(如来寺)


続いて、ホイホイ歩いて養玉院へ。このお寺に合併したのが如来寺で、如来寺はかつて高輪車町にありました。

芝口に近い高輪車町の小山では昔キリシタンの処刑が行われたともいわれ、その跡地に移ってきたのが泉岳寺、創建されたのが如来寺でした。

このうち泉岳寺は今も現地に残っていますが、如来寺は明治になって移転して、後に養玉院と合併。現在は養玉院如来寺となっているのです。

この寺のキリシタン関連物


キリシタンに少しでも関係あるなら来てみよーと思って訪れたのですが、3点ほどキリシタンと関係ありそうな物を見つけました。2つはこの寺に伝わる寺宝。対馬藩主宗家にあったという木像阿弥陀如来像と、寛永年間に作られた天海僧正の木像です。

対馬藩主宗家には、キリシタン大名小西行長の娘マリアが輿入れし、夫で藩主の宗義智(そう よしとし)を伝道。2人の子である小西マンショはキリシタン時代最後の司祭となり殉教しました。その家にあった如来像なので、3人とも見た可能性が高いです。少なくとも宗義智は見ていたでしょうし、小さい頃は拝んでいたんじゃないかと。

天海僧正は家光の宗教顧問ともいうべき人物。キリシタン禁制も推進しました。どんな経緯でいまここにあるのか説明版には書いてありませんが、如来寺経由で来たなら、キリシタン殉教地に如来寺を建てる際にも天海が関与していたという傍証になります。如来寺自体の創建は木食但唱という僧らしいですが。

残る1つは、下の写真右端の石灯籠。アンドレア十字ともいわれる「×」が刻まれています。キリシタンと関係があるとはいえませんが、何でもキリシタンと結びつけちゃう人はこれを「キリシタン灯籠」と呼ぶんだろうなと思います。少し立ち寄っただけにしては収穫がありました☆


養玉院(如来寺)

如来寺について

寺宝の説明

石灯籠

日本基督教団 西大井教会


教会も近くにありました。日本基督教団の西大井教会です。

一軒家風ですが、伝統ある教会に見えます。お庭も手入れされていてきれいですね♪


日本基督教団 西大井教会

日本基督教団 西大井教会

日本基督教団 西大井教会

 伊藤博文のお墓!

伊藤博文墓所


地図で見つけて是非来てみようと思ったのが、初代内閣総理大臣 伊藤博文の墓所。有名な人物だからお墓も観光名所になっているのかと思いきや、そうではないみたい。

門は閉まっていて、特別な日以外は開放してませんって感じが漂っています。

門扉の間からちょっとだけ拝めるお墓の姿は・・・、石造りの立派なもの。しながわ百景に指定されているようですね。


伊藤博文墓所

伊藤博文墓所

伊藤博文墓所

伊藤博文墓所

日本同盟キリスト教団 大井教会


教会のマークがあったので、てくてく歩いてこちらにも来てみました。日本同盟キリスト教団 大井教会です。

JR西大井駅から近いので、信徒さんは通いやすいでしょうね。

創立から70年以上の歴史ある教会だそうです☆

日本同盟キリスト教団 大井教会

日本同盟キリスト教団 大井教会

日本同盟キリスト教団 大井教会

大井バプテスト教会


続いて大井バプテスト教会。

歩いてみてわかりましたが、この辺って教会多いですね!
それも歴史ある教会が。

こちらは1931年の創設で、最初は大井滝王子教会という名前だったそうです。


大井バプテスト教会

大井バプテスト教会

大井バプテスト教会

聖母訪問会 大井修道院


道なりに坂を下り、細い路地に入った所にあるのが聖母訪問会 大井修道院。瓦屋根のしっとりした雰囲気の建物です。

門扉の前に掲示板が置かれているので、「関係者以外立入禁止」とか書かれているのかと思ったら、素敵な言葉が書かれていました。

さすが修道院。キリストの香りがします♪


聖母訪問会 大井修道院

門前の言葉

 品川歴史館★

品川歴史館


せっかくなので(?)品川歴史館にも入ってみることに。入館料を払って見に来る人が少ないのか、常設展示が見たいと言ったら若干驚かれました。

ミニチュアで再現された江戸期の町の様子が興味深いです。吹き抜けになっていて、上階から下を見下ろす仕掛けになっているのも面白いですし。

町の様子

高札場

高札

高札解説

寛永期の御殿山


寛永期の御殿山のジオラマもありました!

奥が家光がよく訪れた品川御殿、手前が沢庵が開いた東海寺です。

2階にある書籍コーナーではその頃の宗教政策についての記述を発見!!

島原の乱の報告が、品川御殿での茶会中にもたらされたことなどが書いてあります。家光が有馬(島原半島にある)から帰参した井上政重(大目付。後に初代宗門改役となりキリシタンを弾圧)から話を聞き、江戸城に戻ってからも再度井上を呼んで情報収集にあたったと書かれている酒井家文書も添付されています。うう、こういう細かいことが記された史料に出会いたかったんですぅq(T▽Tq)ウレシナキ。。。 


寛永期の御殿山

品川御殿のジオラマ

島原の乱

酒井家文書

茶室と庭


1階の庭も眺めながら一服していると、むむ、石灯籠の竿部分になにやら人影が・・・!

丸い頭になで肩、丸く曲げられた腕の先はよく見えないけれど、たぶん合掌している人の姿ではないかと。

これも「隠れキリシタン研究家」みたいな人々からは「キリシタン灯籠」と名付けられてしまいそうな石造物です。茶庭にあるからより一層そう言われそうですね (^^;


茶室

茶室解説

石灯籠

石灯籠

来迎院


品川歴史館のそばにある来迎院にも来てみました。家光が来たことがあると本に書いてあったので。

しかしここ、単に「来た」というのでなく、大井御殿という、将軍が鷹狩りの際に寄る屋敷があったのだとか。

鷹狩りで出かけ、そこで休憩しながら人と会い、情報収集したりしてたんですね。家康が四谷や新宿方面に鷹狩りに行ってそうしてたのと同じです。

結局家光は家康を踏襲する形で政治を動かし、キリシタン弾圧もしてたんですね。四谷を散歩したときもこんなのあったな・・・と、既視感に襲われます。


来迎院

来迎院

来迎院

来迎院

 大森貝塚も見ておこう!

大森貝塚遺跡公園


大森から北へ西大井方面をぐるりと回り、再び大森へ戻って参りました。大森といえば大森貝塚ということで、有名なその貝塚も見てみましょう☆

まずは大森貝塚遺跡公園へ。ファミリー向けの公園っぽいですが、縄文時代の地層が保存されていて、見るだけでなく、触ることもできちゃいます!


園内

触れる地層!

モース

公園敷地について

大森貝墟の碑


大森貝塚の碑は、もう少し駅よりの線路脇にあります。会社の敷地内なのか、その開始時間からしか入れないみたい...('_'?)

モースが横浜から新橋へ向う電車から貝塚を発見したから、ここに碑を建てたようです。

モースは明治期に来たいわゆるお抱え外国人(政府が進んだ技術を日本人に学ばせるために招聘した外国人)ですが、キリスト教嫌いだったことで知られています。

お抱え外国人の中にはキリスト教精神で日本に貢献しようとした人もいたし、キリスト教が容認されるように働きかけた人たちもいたんですが・・・。キリスト教社会で育っても、キリスト教嫌いな人もいるということですね。


入口

線路と碑


解説

うどんっ☆


今日はスタートが早かったので、まだお昼前。でもオフィス街なのでランチタイムが始まる前にご飯にしましょう♪

最近こういうセルフのうどん屋さんが増えてうれしいです。ちょこっと休んで、もそっと食べて、よーし午後も歩くぞっ ヾ(´▽`*)ゝ


 教会めぐりをば♪

カトリック大森教会


大森駅から今度は南方へ。しばらく歩いてカトリック大森教会に到着。

でも中には入れないようです。幼稚園併設だからでしょうね。

大きなカトリック教会だから、聖堂でお祈りできるのかなと期待してたんですが。仕方ないですね☆


カトリック大森教会

カトリック大森教会

カトリック大森教会

救世軍 大森小隊


少し歩いて救世軍の教会へ。救世「軍」だから、「大森小隊」というようです。

このネーミング、英語だと違和感ないのかもしれませんが、日本語で書くとインパクトが強くて、初めて目にする人はちょっとびっくりするかもしれませんね。

なんだか勇ましい感じがしますけど☆

救世軍 大森小隊

救世軍 大森小隊

救世軍 大森小隊

救世軍 大森小隊

日本基督教団 大森教会


ここまで来たので日本基督教団にも立ち寄ってみました。日本基督教団の大森教会です。

この教会に用事がなければ、一生来なかったかもしれませんね。それでも主を愛する人がいる所なのだから、こうして来てみて良かったです☆

それにしても大森って、西大井も含めてですけど、多かったんですね、教会。知りませんでした (*゜。゜)


日本基督教団 大森教会

日本基督教団 大森教会

日本基督教団 大森教会

大森から大崎へ


都会でもなく田舎でもなく、住宅街だけど道幅に余裕があって、人もお店も多種多様な大森。不思議な街です。たくさん歩くとその分街の空気の中に身を置くから、何かを感じられるということもあるのかな☆

次は電車に乗って大崎へ移動。そこからまた教会とキリシタンに関連する場所へと向かいたいと思います。


 大崎を歩く!

日本聖公会東京聖マリア教会


大崎は駅周辺がものすごく高度に再開発されていて、未来都市みたい。有能なビジネスマンが闊歩してそうな。

しかし駅から10分ほど歩くと、庶民的な町並みへと変わります。そんな中にあるのが日本聖公会の東京聖マリア教会。

名前からすっごい大聖堂をイメージしてましたが、そうでないことが逆にほっとさせてくれるような教会です。その町に合っているのが一番ですよね☆

聖公会はカトリックではないけれど、この「聖マリア」というあたりが、カトリックに近い感じですね(プロテスタントにはマリア信仰がないから)。


東京聖マリア教会

東京聖マリア教会

東京聖マリア教会

トット文化館


続いてトット文化館へ。徹子の部屋の黒柳徹子さんが「窓ぎわのトットちゃん」の著作権を寄附して設立したトット基金の施設です。

黒柳徹子さんはテレビで、何かの時に「私クリスチャンだから・・・」と話していたことがありましたが、どこの教会に行っているのか、どんな信仰を持っているのか等は不明です。

いろんな人と対談するし、クリスチャンとして芸能活動をしているわけでないから、明らかにしてないんですかね。でもなさっている行為自体が信仰を物語っているように感じます ∬´ー`∬


トット文化館

トット文化館

近くの碑

解説

品川バプテスト教会


住宅街を縦横に走る小道をちょこちょこ歩いて、品川バプテスト教会へ。

大きな十字架がなかったら、アパートかマンションだと思って通り過ぎてしまうような外観です。

周囲に溶け込んでて威圧感はありませんが、よく見ると結構大きな教会です。何人くらい入れるんだろう?


品川バプテスト教会

品川バプテスト教会

品川バプテスト教会

戸越公園


もう少し歩いて戸越公園へ。

ここは寛文時代の細川家の下屋敷跡。

様々な名家の所有となり、1932年に三井家が旧荏原町に寄付して公園となりました。

数寄屋造りの屋敷と回遊式庭園を築いた細川利重(解説板には「重利」と書かれてるけど・・・)は細川ガラシャ夫人のひ孫。戦国一の美女だといわれたキリシタン女性の血を自分が引いていることを、利重は知っていたんでしょうか。

ガラシャのひ孫たち


さて解説板には「重利」を「熊本藩主」と書いてありますが、これも間違い。お兄さんの綱利が第三代熊本藩主で、利重は1662年にお兄さんから5千石をもらってここに屋敷を造り始めるのです。その後1666年に再び兄から3万5千石を与えられて肥後新田藩を立藩。幕府の江戸勅使接待役などを務めて42歳で死去。家督は長男が継ぎました。

一方お兄さん綱利は、嫡男が自分より先に亡くなり他に男子がなかったので、利重の次男を養子に迎えて家督を譲り、自らは隠居して、72歳で亡くなりました。なので利重の息子は第四代熊本藩主となるんですが、利重自身は熊本藩主になったことはないのです。

しかも肥後新田藩は熊本藩の支藩の一つ。肥後新田藩の藩主は江戸鉄砲洲に住み参勤交代を行わない定府(じょうふ)大名でした。

「肥後熊本藩の藩主細川家の下屋敷」というのは・・・、ちょっと違うかなと思うので書き添えてしまいました。でも素敵な庭園で、雰囲気もすごくいいですけどね。お庭には全くケチをつけるつもりはありません♪


戸越公園

戸越公園

戸越公園

戸越公園

石造物


庭を眺めていて気づいたのが、またもや石造物に彫られている人影。

石灯籠ではないし、片面だけでなく側面にも人影が彫られていて、一つは手を合わせた姿に見えますが、もう一つはいびつな穴に丸みたいな造形。

でも一番良く見える木陰から覗くと、いわゆる「キリシタン灯籠」の合掌像に酷似してるんですよねぇ。

キリシタンのことばっか考えてるから、何でもそう見えちゃうのかな?
ガラシャのひ孫が築き、子孫たちが過ごした場所だからバイアスがかかって、それっぽく見えてしまうんでしょうか o(*^▽^*)oアハッ


謎の(?)石造物

謎の(?)石造物

謎の(?)石造物

聖イエス会 栄光教会


戸越公園駅へと向う途中にも教会がありました。聖イエス会の栄光教会。

アンネ・フランク関係のイベントで新聞に載っていたのを覚えています。日本人が作った教派みたいですね。


聖イエス会の教会

聖イエス会の教会

 石川台へ参ります☆

駅の広告


東急の駅に着いたので、ここからもう少し東急沿線を回ります。まずは石川台駅へ。駅のホームに教会の広告を発見!

今年で100周年ですか!? すごいですね。品川区と大田区はやはり長い歴史を持つ教会が多いようです。1912は大正元年。その頃積極的に宣教にあたるプロテスタント会派がたくさんあったということですよね (・0・。)ホホー


周辺マップ

近くの神社

神社

日本基督教団 雪ケ谷教会


穏やかでいい街並みだなと思いながら歩いて行くと、日本基督教団の雪ケ谷教会がありました。

100周年だけど、それで威張っていこうとしてるんでなくて、自然体でこれからまた100年頑張っていきましょう、みたいな感じ(私の主観による受け取り方ですが^^;)


日本基督教団 雪ケ谷教会

日本基督教団 雪ケ谷教会

日本基督教団 雪ケ谷教会

春を待つ小鳥


たぶん地価は高くて高級住宅街なんだろうけど、商店街とかあって気取らない雰囲気で、暮らしやすそうです。

鳴き声に目を上げると、目黒川に桜の枝を伸ばす枝に小鳥が。癒されますね♪

でもこの平穏さがずっと続くのが当然だと思ったりしないで、祈っていかねばなりませんね。罪がない人は一人もないのだし、この街が主の栄光を表す街になっているわけではないのだから。

日本福音ルーテル雪ケ谷教会


駅への曲がり角にも教会がありました。日本福音ルーテル雪ケ谷教会です。ルーテル派はこういう教派です等、ちゃんと大きく書いてあるので、周囲の人は安心でしょうね。

私が思うに・・・、高級住宅街には教会が多いんじゃないでしょうかね?

外国の文化を受け入れる傾向があるのか、西洋の思想に共感する素地があるのか、はたまた外国かぶれな人が多いのか・・・、いろんな分析をする人がいるかもしれませんが、事実として。

どうなんだろうなぁ? ミッション系の学校に行く人が多くて、それでキリスト教に触れて好印象を持つ人が多いとか? よくわかりませんが、事実として。


ルーテル雪ケ谷教会

ルーテル雪ケ谷教会

 リベンジ、洗足池!!

抹茶ラテらぶ♪


さてお次は洗足池です。東急に乗ったので、ついでにゴー!です。前回は工事中だったけど、遠回りしたお陰で、もう一つ史跡地が見つかったんですよね。

だからリベンジでもあるけど、これがミココロだった!と思えたら最高なんだけど☆ ホームで抹茶ラテでほっこりしてレッツ乗車♪

洗足軒


ここが新発見した史跡地、洗足軒跡です。勝海舟夫妻が晩年に位した家があった所で、現在は学校となっています。

でも学校の敷地内に解説板などを設置しないで、コの字型にへこませる形で解説板を建ててくれてありがとうって感じ☆

学校敷地に部外者が入ってきたら困るという防犯上の理由があるでしょうけど、ここを通る人も読んで行くだろうから、地域の関心も高まって良いかと d(-_^)good!!


洗足軒跡

洗足軒跡

洗足軒跡

勝海舟の墓入口


そしてリベンジ、勝海舟の墓。入れます。工事終わって道キレイだし♪

おー、勝海舟のお墓って、奥さんと同じ大きさで2つ並んで建てられてるんだ。昔の人には珍しいんじゃないですかね? 特に身分のたかーい女性ならいざ知らず。

勝海舟夫妻の墓


勝海舟の生きた時代は、女性の人権を男性と平等なものとして考えてくれる人は少なかったと思います。

海外に渡航して見識が広かった人たちでも、「自分の家のことは別」として、妻を顧みなかった人も多かったし。

お墓は故人ではなく子孫らが建てるものだけれど、勝海舟の考え方が男女同権でなければ、子孫だってこういうお墓の建て方はしなかっただろうなと。もしかしたら、勝自身がお墓のことを言い残して指示していったのかもしれませんね☆


解説

勝海舟夫妻の墓

石碑

碑文

留魂祠


勝海舟夫妻の墓の向って左手にあるのが、西郷隆盛の留魂祠(供養の祠。祭神は西郷隆盛)。これは勝が建てたものです。

ここからほど近い池上本門寺で、そこに陣を張っていた西郷と会見して江戸城の無血開城を達成したことは、勝にとっては生涯忘れえぬ思い出だったのでしょう。

その後に起こった西南戦争で西郷は非業の死を遂げるのですが、西郷の人となりを知る勝には、あまりにも惜しく、弔わずにはいわれなかったのだと思います。

留魂祠の横には西郷の詠んだ漢詩を刻んだ碑と、徳富蘇峰揮毫の碑。蘇峰の言っている「両英雄」は勝と西郷でしょうね。江戸城を無血開城することで、江戸を火の海にせずに維新を成し遂げたというのは、日本人が誇りにすべき歴史。

そのように新しい時代を切り拓いた2人こそが、真の英雄だと言っているのでしょうね。私もそう思います☆


留魂祠解説

蘇峰の揮毫

西郷隆盛の漢詩

西郷隆盛の漢詩

 ラストはやっぱり教会ヽ( ´ ▽ ` )ノ

カトリック上野毛教会


さてと、時刻は夕方に差し掛かり、日も傾いてきたので、ラストを教会で〆ますかね♪

初めて下りる上野毛駅から地図を片手に徒歩数分・・・、あ、見えてきました!

なんかすごくいいデザインです。建築家の今井兼次が手がけたと聞いて期待してましたが、想像以上に、イイ!です。


カトリック上野毛教会

塔もイイ!

扉!!

ドアノブ!!

聖堂


素晴らしい聖堂に来させてもらって、感謝でお祈り。デザインが素敵からいいんじゃないんです。聖堂が地上にあるけれども天への窓であることと、地上でどのようにして生きてこそ、あの天の門をくぐる者になれるかを、無言のうちに教え感じさせてくれることが素晴らしく、素敵で、イイ!んだと思います♪

この教会に通った元皇族


ここに来たかったのにはもう一つ理由があります。それは第二次世界大戦後に皇籍離脱し、日本航空に就職して、皇族として初めて操縦桿を握った朝香孚彦(あさか たかひこ。皇籍離脱前は朝香宮孚彦王)が通った教会だから。

クリスチャンになるきっかけになったのは妻 千賀子の存在でした。千賀子が結核にかかり、治ることを願いカトリックの洗礼を受けたのを機に、家族全員で受洗することを決意しました。千賀子は2年後に病没するのですが、それでも孚彦を失わずカトリック上野毛教会の早朝礼拝に通い続けました。

この千賀子は代々津藩主を務めた藤堂家の出で、津市内の正覚寺にキリシタンだった藤堂家の娘が葬られているということを告げたことから、キリスト教禁制が布かれた江戸時代に、藩主の家にキリシタンの女性がいたことが明らかになったのです(詳しくは「伊勢路を旅して③」をご参照ください)。

今ここにいる私も感じていますが、朝香夫妻もまた時の不思議さと、神のなせるわざの美しさを感じていたのではないでしょうか。


祭壇

中央


聖堂内



   日本のクリスチャン人口は


   日本のクリスチャン人口は1%にも満たないというけれど
   外国文化の入ってきている都市部では
   もっと高いのではないでしょうか。
   もちろんお寺や神社の数には到底及ばないと思いますが。

   しかし神社の参詣者が「神道の信者」とは言いにくいですし
   先祖の墓がお寺にあってお墓参りや法事を行うからといって、
   「仏教徒」ととまでは言えないということが、ままあるのに比べて、
   教会に行く信徒が「クリスチャン」とまでは言えないなんてことはまずないのだから、
   ちゃんとした信徒数を数えるなら、そこまで少数派ではないのではないかと。

   ただしキリスト教が社会に浸透すれば浸透するほど
   形骸化の危険性がでてくることも確か。
   欧米では日曜だけ教会に行くするサンデークリスチャンどころか
   教会に年何度かしか行かなくても、「私はクリスチャン」と言い切る人までいます。

   普遍性と社会性を備えながらも、形式主義に陥らず
   初代教会のようなフレッシュさを持ち続けられてこそ
   主に喜ばれる教会、またクリスチャンになれるのでしょうね ヽ(*^∇^*)ノ*:・'゜☆






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