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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 旅行記 > 涙で祈る、23区。⑨

 涙で祈る、23区。vol.9



         今日も今日とて


       今日も今日とて歩きます☆
       キリシタン殉教地の可能性がある所からキリシタン灯籠があるお寺、
       東京タワーや明治のクリスチャンゆかりの地まで。

       私は私の観点でしか見ることができませんが
       できれば神様の目となって見に行きたいな♪
       今日も今日とて・・・イッテキマース "8-( *゜ー゜)カタカタ..



泉岳寺


まずは赤穂浪士で有名な泉岳寺へ。
大石内蔵助を始めとする浪士たちのお墓や、吉良上野介の首を洗ったとする井戸、血染めの石などもあります。

忠義に感じて慕うのでしょうか、朝早いのに参拝客が結構います。

私の目的は違うけれど・・・。

泉岳寺

大石内蔵助らの墓入口

血染めの石

首洗井戸

寛文年間の仏像


私が来たかったのは、ここがキリシタンの殉教地かもしれないから。

詳しいことはわからないのですが、高輪車町の小山でキリシタンの処刑が行われ、その跡地に1633年に泉岳寺が移転して、1636年に如来寺が創建されたのだとか。

後に如来寺は西大井に移って、養玉院と合併(涙で祈る、23区。⑦ ご参照を)しましたが、泉岳寺だけは今も当地に残っているのです。

何か昔の様子を物語ってくれるものはないかと思って来てみましたが、参道にある仏像は寛文9年のもの。1669年ですね。その頃はもうキリシタンは「隠れ」の時代に入ってます。もちろんまだキリシタンはいたでしょうけどね。ここからほど近い札の辻で最後のキリシタン処刑が執行されたのが、1640年のことなので。

ただ、隠れて信仰を持っているキリシタンが江戸市中にいたんだとしたら、仲間や自分に洗礼を授けた宣教師、信仰の助けをしてくれた修道士が殉教した場所に来て祈っていた可能性はあると思います。

お寺参りに来た人のように、仏像の前で手を合わせ、深々と頭を下げながら、心の中では殉教者たちのことを思っていたということが・・・。

伊皿子坂


続いてすぐ近くにある伊皿子坂(いさらござか)へ。

「イサラグ」という南蛮人の名前から付けられたという俗説がありますが、標柱の解説には「明国人伊皿子(いんべいす)」から来たという説が書かれていますね。

なーんだという感じですが、俗説の一つとして「南蛮人」が出てきたところが面白いですね。それくらい江戸の人は「南蛮人」に興味を持っていたということなんだろうから。ただの好奇心であったとしても☆


伊皿子坂

伊皿子坂

等覚寺


伊皿子坂を少し入った所にあるのが等覚寺。ここにはキリシタン灯籠なる石造物があり、西欧型の鐘が伝わっているのだとか。

お寺の入口は、「入っていっていいの?」って感じの細い道ですが、門扉が開いているのでウェルカム(?)なんでしょう。どうもこんちはー (o ̄∀ ̄)ノ

キリシタン灯籠?


「えっ、ここまで?」という感じの小さな境内を見回すと、ありました!

植え込みの下にキリシタン灯籠といわれてそうな石造物が。

灯籠の竿部分だけで、穴の部分に人の形はありません。

しかしよーく見ると、何か削り取ったのかなという風にも見えます。上部や側面も、何か文字などが刻んであったのを削り取ったために若干へこんでしまったような感じ。石の色合いも違います。

等覚寺とキリシタン遺物


等覚寺には西欧型の小さな鐘も伝わってるそうです。これは公開してないようで見られませんでしたが。「切支丹伝承」を書いた三田元鐘はこの鐘を江戸南蛮寺の遺鐘であろうと推定していますが、どうなんでしょう? 鐘が実際にあるなら科学的な方法で調べてほしいですね。含まれている鉱物の種類や使われた技術など、いろんなアプローチの仕方ができるんじゃないでしょうか。ど素人の私が思いつくようなことだから、専門家の人たちはもうとっくの昔に試みているかもしれませんけど。。

この寺の創建が1645年で、ちょうど細川忠興(ガラシャの夫)が亡くなった年にあたり、隣の寺に細川家の家臣の墓があったということで、この鐘はガラシャの遺品ではないかという人もいます。私みたいな素人は、いろんな説を言われると「うーん、そうなんか。そうなんかなぁー?」と混乱するので、とりあえず鐘を見てみたいです! 

研究者が採ったデータがあるなら公開してほしいし。昔のことは明確にわかるというのが難しいと思いますが、もうちょっと何とかならんかいっ!とツッコミたくなる「伝キリシタン遺物」が、ほんとに多いんですよねぇ (;´д`)タハー


等覚寺

キリシタン灯籠?

キリシタン灯籠?

 慶応に向って★

細川家下屋敷跡


等覚寺のある道の角を曲がるとこんもり見えてくる林は、高松宮邸。ここは昔細川家の下屋敷だった所です。

「また細川だぜー」と思いますが、意味があるかもしれません。等覚寺との距離からして。細川家とガラシャ夫人とキリシタン・・・。

つながることはつながるけれど、しかしつなげ過ぎるのも問題です。

なぜなら細川忠興は、ガラシャ夫人が犠牲になって家を守ったことに感動し、夫人亡き後しばらくの間はキリシタンに好意を示しますが、徳川幕府が確固たる基盤を整え、キリスト教禁令を全国に徹底化してからは態度を急変。家臣のキリシタン武士を処刑したりしているのですから。

だから細川家としてはキリシタンと疑われることが断じてないようにしていたはず。キリシタンの一揆として有名な天草島原の乱にもいち早く兵を派遣しています。

この時かの剣豪宮本武蔵も参戦して、一揆軍からの投石で足を怪我して帰って来るのですが・・・、ま、それはそれとして。もっと歴史を勉強せねばなりませんな☆


細川家下屋敷跡

細川家下屋敷跡

歯科医学教育発祥之地


伊皿子交差点の角にあるのが、「歯科医学教育発祥之地」の碑。日本最古の歯科医大学があった場所なんですね。

ここにあった高山高等歯科医学院の講師 血脇守之助が資金援助をすることで野口英世は医学を学ぶことができました。

また英世が医師免許を取ってからは、講師務めていたこともあります。

この頃英世はもうキリスト教の洗礼を受けていたはずですが、クリスチャンっぽい言動は知られてません。お金と女性関係も・・・ですし。

昔から「偉人伝」によく取り上げられて有名で、お札にもなってますが、自分の功績と名誉を栄光を帰すという形にできなかったのかなあと... ( ̄ー ̄)ナンダカナー


伊皿子交差点

伊皿子交差点

歯科医学教育発祥之地

三田台公園


緩やかな坂道を登って三田台公園へ。天気がいいのですがすがしいです♪

ここで縄文・古墳時代の住居が発掘されたと書いてあります。「三田」の解説板には第一京浜の東側は海で、この辺りは丘陵地帯なので「月の岬」と呼ばれていたんだとか。

ここが「岬」とは・・・。びっくりですね。海の雰囲気はまったくないのに。しかし品川海岸で逆さに棒に縛り付けられ、海中吊りになって殉教していったキリシタンの様子は、ここからだったらよく見えたということですね。今では埋め立てられて海も見えないし、ビルが建ちふさがって、下の道路さえ視界に入らないけれど。


三田台公園

「三田」について

周辺マップ

周辺マップ

済海寺


少し進むと済海寺。最初のフランス公使宿館跡です。

解説板には書いてありませんが、鎖国が解かれて公使館が設置され、最初にカトリックの礼拝が守られたのはここでした。

キリシタン時代から2百数十年ぶりに、神父さんによるミサが立てられたわけです。公使館によばれてミサを執り行ったのは横浜に来ていたジラール神父。まだ長崎の隠れキリシタンの存在は明らかになっていませんでした。

しかし! 済海寺の左手後方に見える大きなビルは何かというと、三田ツインビル。つまりここは、江戸時代の大殉教地、札の辻のすぐ隣なんです!! 2百数十年ぶりに再びミサをするようになった所が、殉教地のすぐ隣だなんて、偶然と片付けるにはあまりにも・・・です。

しかも当時の人は誰も知らなかったんです、札の辻がキリシタンの殉教地だとは。昭和になるまでキリシタン殉教地は鈴が森だと考えられていて、クリスチャンはそこに巡礼に行っていたんですから。

だから、ねっ、ねっ、ね、神様の導く歴史は不思議ですよ、ね? 深くて深いというべきか ('ロ')ホワー


済海寺

済海寺

済海寺

済海寺

普連土学園


坂道を今度は下って行くと、左手に見えるは普連土学園。

内村鑑三と新渡戸稲造の助言で、アメリカのキリスト友会(クエーカー)の婦人伝道会が女子教育を目的として創設した学校です。

このインパクト大なネーミングは津田仙(津田梅子の父でクリスチャン)によるものだとか。

クリスチャンで作家の北村透谷が英語教師をしていた時期もありました。


普連土学園

普連土学園

慶応大学


坂道を下り終わってしばらくすると慶応大学の三田キャンパス。お祈りしようと思ってきた所です。

歩いていると、今度入学が決まったとおぼしき親子連れから、シャッターを押してほしいと頼まれました。

晴れがましい気持ちなんでしょうね♪

福沢諭吉終焉之地


さて慶応大学でのメインと定めたのは福沢公園。正門からは一番遠い区画にあり、人気(ひとけ)もありませんが、ここが福沢諭吉邸跡で、諭吉終焉の地です。

純和風の福沢邸の横には洋風の建物があり、この2つは行き来できるよう橋が渡されていました。諭吉が洋館に住まわせたのは英国国教会の宣教師ショー。

自分の子供たちに英語を教える家庭教師としてショーを雇い入れた諭吉は、やがて慶応大学でも教えるように要請し、ショーが塾生に聖書を教えることを容認しました。その結果1875年のクリスマスに、ショーから8人の日本人が洗礼を受けるようになりました。この中に後に「憲政の神様」とよばれる尾崎行雄がいます。

福沢諭吉とキリスト教


諭吉は生涯クリスチャンの洗礼は受けませんでしたが、宣教師を教師として数多く受け入れ、援助し、関わり続けました。また自らの子供たちに向けて書いた「ひびのをしへ」という私家版道徳教本には、「てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこゝろにしたがふべし。たゞしこゝにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず、西洋のことばにてごつどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしやといふものなり」と書いています。

ここには明らかにキリスト教の影響が見られます。神様を「ごつど(GOD)」と言い、日本語では「ざうぶつしや(造物者)」と言っているのですから。また「ひびのをしへ」が書かれた1871年という年にも注目です(じゅくせいちゅーもーく!)。日本でのキリスト教解禁は1873年。つまりこの時はまだキリスト教禁令下だったのです。

禁教令の下であっても、自らの子息たちには個人的な形でキリスト教の神様のことを信じ敬うようにと教え、宣教師を保護して聖書を教えることを容認していた諭吉さん。一万円札のあの人は、やっぱり偉大だったんですね (゜∇^d)グッド♪


福沢諭吉終焉之地

福沢公園

福沢公園

学内

小山内薫の像


もう一ヶ所立ち寄りたかったのが、小山内薫の像の建つこの場所。ここも学内で一番の奥地です。

小山内薫は日本の演劇界を大きく発展させた劇作家で演出家。クリスチャンだったこともあります(若い頃内村鑑三に入門したけれど、後ではキリスト教を離れた)。

慶応大学で英語を教えた時期もあったので、像が建てられているんでしょうか。慕って訪れる演劇関係者もいるでしょうね☆


小山内薫記念碑

小山内薫像

旧図書館前の諭吉像

旧図書館

三田演説館


諭吉像のある旧図書館もそうですが、正門から左手に登って行った所にある三田演説館も国の重要文化財。ここで演説した人の中に先ほどの尾崎行雄もいます。

尾崎がなんで「憲政の神様」かというと、日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから、そう呼ばれているのだとか。

ゆかりの地である三重県では、神社の祭神としても祀られているそうな。クリスチャンならどちらも辞退しますがね。青年期以降はキリスト教から遠ざかっていたのかもしれません。

東京市長だったときにテオドラさんという日英のハーフの女性と結婚(前夫人が死去したので再婚)しているので、英国国教会とは離れてなかったのかなと思いきや、お墓は鎌倉の円覚寺だし・・・。わからんなぁ (>_<)マアイノルゼー


三田演説館

三田演説館

学内

学内

 東京タワーを目指して♪

小さく見える東京タワー


次なる目的地は東京タワーは慶応から徒歩圏。結構歩くけれど、目的地がずっと見えているというのは有り難いもので、歩こうという気になります♪

福沢公園にあった洋館から宣教師ショーがたどったのもこの道だったのかな。東京タワーのお膝元には1879年に創設された英国国教会の教会があるのです☆

・・・と、その前に腹ごしらえ


・・・と、一気に東京タワーに行っちゃいそうですが、その前に腹ごしらえを。観光スポット近くに行くと、気軽に入れるお店がなくなりそうだから。

あっても一人では入りにくかったりするんですよね。観光地って一人客を想定してないところがあって。随分最近は変わってきているというけれど。。('-')ドナンデショ

聖公会の教会


てくてくてくてく、てくてくてくてく、随分歩いて着きました、聖公会の教会に。よくわからないけど、敷地内に2つ教会があるみたいですね。

緑と花が英国って感じ。早速入ってみましょう♪

聖アンデレ教会


左手にあるのが聖アンデレ教会。人が集まってて、司祭の叙階みたいな儀式があるのかな(?)。

「すみません、関係者じゃないんですが、お祈りして行っていいですか?」と、受付の女性にダメモトで訊いてみたら、「13時半までは大丈夫ですよ」とのこと。

聖堂内はイスが円形に並べられていて、人も結構いましたが、部外者の1人や2人は気にしないでいてくれる感じ(たぶん)。

お祈りして、ほほーと見学してきました☆
慶応で教える一方、この教会でショーさんは働いていました。ちなみに軽井沢にある教会で、観光地ともなっている軽井沢ショー記念礼拝堂の「ショー」はこのショーさんです。

聖オルバン教会


横にある(若干)和風な教会堂が聖オルバン教会。

こちらには人がいなかったので、静かにお祈りできました。

東京タワーのお膝元にこんな教会があるなんて。枝垂桜がキレイです♪

教会内


解説板によると、さっきの聖アンデレ教会は英国国教会の教会で、こちらは日本聖公会の教会のようですね。

なるほどなのです☆

聖オルバンは、イギリスで最初の殉教者なんだとか。その名前を冠したのは何か理由があるんでしょうか。


聖オルバン教会

聖オルバン教会

聖オルバン教会

聖オルバン教会

金地院


ちょっと進むと金地院。金地院崇伝(こんちいん・すうでん)の金地院ですよ、金地院!

1613年、金地院崇伝の助言でキリシタン追放が幕閣会議で決定され、家康は崇伝に追放文の作成を命令。崇伝はそれを一晩で書き上げて家康に渡しました。

これが世に言うキリスト教禁令で、翌年全国に執行されたがために、関西方面にいたキリシタンは津軽に配流となり、高山右近や内藤ジョアンらはマニラへと流されたわけです。

「黒衣の宰相」、金地院崇伝


崇伝がここに金地院を開いたのは1618年。芝公園一帯は昔全部金地院の寺域だったと記憶してますが、(記憶に間違いがなければ)相当な広さです。今ある増上寺も一部に過ぎないのですから。

崇伝は1608年家康に招かれ駿府に赴き、次第に幕政にも関与するようになり、キリシタン追放文の他、武家諸法度の起草も手がけたとされ、大坂の役の発端となった方広寺鐘銘事件にも関与しました。正に家康のブレーン。京都南禅寺の金地院と江戸金地院とを行き来しながら政務に関わり続けました。

崇伝のことを「黒衣の宰相」と呼ぶ人もいれば、家康没後は権力を失っていき、天海に宗教顧問の地位を奪われたと評する人もいます。世人の評は様々ですが、崇伝は一般にはあまり慕われてはいないようです。このお寺の境内にもそれらしき解説板もなければ、顕彰碑もないところを見ると・・・。


金地院

金地院

金地院

金地院

東京タワー!


金地院から更に進むと、緑が途切れて目の前に東京タワーが!

下から見上げるのも良いものです☆

しかしここに来たのは東京タワーが建っている、この敷地を見るため。

ここは北村透谷が自殺した家があった所なのです。

北村透谷と石阪ミナ


北村透谷は東京専門学校(現在の早稲田大学)在学中に自由民権運動に傾き、その中で町田と三多摩地域における民権運動のリーダーであった石阪昌孝と交流するようになり、その娘石阪ミナと出会いました。ミナの方が年上でしたが、透谷がひと目惚れして交際が始まり、大恋愛の末2人は結婚。芝公園(同名の公園がありますが、この場合は町名)に居を定めました。

透谷は明治女学校や普連土学園で教える傍ら、創作活動にも邁進し高い評価も受けますが、次第に精神に変調を来たし、25歳の若さで首吊り自殺をしました。結婚してから何度か近くで転居をしましたが、最後は芝公園の、現在東京タワーが建っている辺りの場所でした。

透谷もミナもクリスチャンで、インテリで、当時としては珍しい進んだ形のカップルだったと思います。天寿を全うできなかったのが残念です。このミナさんは、その後も英語教師として活躍して力強く生きていくのですが、後年小石川にあったミナの家に同郷の八木重吉が訪ねて行ったりしています。

重吉はミナよりずっと年下だけれど、クリスチャンの英語教師だということが共通していて、出身地が同じなのでつながりがあったのでしょう。重吉は詩人だったから、透谷がどんな人でどんなことをしていたのかを知りたかったのかもしれません。何に悩みどうして自死を選んだのか、同じクリスチャン詩人だから訊きたかっただろうし。それをミナに訊けたかはわからないけれど・・・。


東京タワーの足元

東京タワーの足元

東京タワーの足元

東京タワーの足元

芝公園


続いて芝公園へ。芝公園は東京タワーと増上寺をぐるっと囲む形の広大な敷地を誇っています。

八木重吉はこの芝公園で後の伴侶となるトミさんとデートをしています。たった一回だけ。え、なぜ一回かって? ビコーズそれでプロポーズして結婚しちゃうから。

それにしても、尊敬していたであろう北村透谷自死地のすぐそばで、何年も経っているとはいえデートするって・・・、他に公園なかったんかい?って感じですが。まあ、きっと何か理由はあるんでしょうなぁ。。


芝公園

芝公園

芝公園

 芝増上寺を歩く

増上寺 大殿


そして増上寺へ。徳川家の墓所が特別公開されているようです!

なんとラッキーな。感謝です☆

平日だというのに相当な混み具合なのはそのせいか? あ、法然上人の御遠忌みたいですね。いろんな儀式をしています。

増上寺

増上寺

増上寺

増上寺

徳川秀忠夫妻霊廟


増上寺は徳川家の菩提寺で、徳川将軍15代のうち、6人が葬られています。

私が用があるのは2代将軍徳川秀忠。将軍になるのは1605年、隠居するのは1623年で、徳川幕府によるキリスト教禁令は、この人の時代に出されてるんですから。

もちろん父ちゃん家康は1616年まで存命で駿府との二元政治が行われていたわけですが、キリシタン弾圧に賛成していなかったはずはありません。

将軍秀忠とキリシタン


将軍職を家光に譲って引退した際に、家光はキリシタンの大量処刑(江戸の大殉教)を行うのですが、反対していたとは考えられません。そういう家光に将軍職を家光に譲って、同じ江戸城(西の丸)にいたんですから、ちょっとでも秀忠が反対してたらそう簡単に事は進まなかったはずなのです。

この人はどんな人だったんだろうと、霊廟を前にして考えました。よく歴史上の人物のことを「運命に翻弄された」という言い方をしますが、自分で何かをする、変えることができる立場にいた人もいたと思います。

少なくともこの人は将軍だったのだから、翻弄されるだけではなく、ある程度の決定権を持っていたのではないでしょうか。いろんな縛りがあって、好きなように政治は動かせなかったかもしれないけど、それでも何らかの意向を持ち、それを実現したいと願えば相当程度はできたかと。

あなたはどんなことに自分の力を使い、自分の置かれた立場を使ったんですか――。そう訊いてみたくなりました。


霊廟

解説

解説

和宮霊廟

ペルリ提督の像


増上寺の山門から出ると今度は左右に長大な芝公園が。その一角にペルリ提督の像、それから万延元年の遣米使節の記念碑が建てられています。

「ペルリ提督」とは黒船に乗ってきたペリーのこと。敬虔なクリスチャンでもあり、船上でも礼拝を欠かさなかったのだとか。

なのでこの人が1853年浦賀沖に浮かぶ艦上で行った礼拝が、日本で初めてのプロテスタントの礼拝となりました☆


芝公園

芝公園案内図

万延元年遣米使節記念碑

万延元年遣米使節記念碑

 電車で新江古田へ!

日本基督教団 江古田教会


さあさあ、東京タワー周辺はこのくらいにして、都営線に乗って新江古田へと向かいます。

駅から少しして見えてくるのが日本基督教団の江古田教会。

住宅街の中にあって落ち着いた雰囲気です☆

日本基督教団 江古田教会

日本基督教団 江古田教会

日本基督教団 江古田教会

江古田の森へ


中野区でもお祈りしなきゃなので公園に向かいます♪

あらかじめ調べてきたのは江古田の森公園。広くて季節の花が咲いてて素敵。こんな公園が近所にあったらいいですねぇ ∬´ー`∬ホンワカー


江古田の森公園

公園内

公園内

公園内

教会施設がいっぱい!


江古田の森公園を抜けると練馬区に突入するのですが、そこにあるのが教会とかキリスト教関係の病院や施設の数々。修道院とかもあって、教会施設がいっぱいです!

知りませんでした、練馬区にこんなキリスト教関係の町があるとは。めぐり合わせに感謝してちょっと回ってみましょうか♪


修道院前

修道院

修道院

カトリック徳田教会


キリスト教関係の施設の中心となっていると思われるのが、カトリック徳田(とくでん)教会。初めて名前を聞く教会ですが、由緒がありそうで、とても立派です。信仰の香りがするし。修復工事中のところがあるみたいだけれど、中に入るのは問題ないみたいなので聖堂に行ってみますヾ(´▽`*)ゝ♪


カトリック徳田教会

カトリック徳田教会

カトリック徳田教会

カトリック徳田教会

聖堂内


聖堂に入って思いっきり後悔したのは、イースター前の週であったこと。ご復活の前だから、イエス様が隠されています・・・。

このくらい常識的にわかって行動すべきでした ( p_q)ナミダドー

イースターまでに悔い改めて祈ろうと思ったから、ギリギリになってこうなっちゃったんですけど。再訪決定ですな。しかししっかり祈れました☆


聖堂内

聖堂内

聖堂内

聖堂内

日本基督教団 浄風教会


カトリック徳田教会を出て、「道の反対側も教会があるー。教会付属の幼稚園かな」と思って見てみたら、なんとプロテスタントの教会!

日本基督教団の浄風教会です。


こんな直近に、しかも駅から結構離れているのに、道をはさんで隣接する場所にカトリックとプロテスタントが教会を構える必要って何かあるんでしょうか?? ちょっと不思議な感じですが、教会同士の色合いとか雰囲気とかが近いので、一緒にあっても違和感はありません。仲良くしてるんですかね (・o・)?


日本基督教団 浄風教会

日本基督教団 浄風教会

日本基督教団 浄風教会

日本基督教団 浄風教会

豊玉修道院


少し進むとこちらにも修道会の建物があって、豊玉修道院と書かれています。

朝な夕なに讃美歌が聞こえ、祈りの声が絶えない町なんでしょうね。素晴らしいです。

練馬の奥地(練馬にも豊玉にも失礼かっ?)にこんなサンクチュアリがあるとは、知りませんでした♪

唐澤博物館


新江古田駅へ向っていると、気になる建物が。唐澤博物館と書かれていて、壁に時計が埋め込まれているから時計の博物館かなと思うのですが、入口には二宮金次郎像・・・。意味不明です;;

すごい博物館なのかもしれませんが、入るには勇気がいります。今日は一人なので・・・パス!

聖書キリスト教会


新江古田駅から、来た道とは反対方向に進みますってーと、聖書キリスト教会という大きなビルが聳え立っているのが見えます。

新しくてモダンで、でかいです。公園の前になって環境もいいし。

少し歩くと武蔵高校。有名な進学校ですね、男子校の。


聖書キリスト教会

聖書キリスト教会

聖書キリスト教会

 蓮根に行っちゃう!

新江古田駅


今日は都営線の一日乗車券を買ったので、この際だから都営線で行ける所まで行きます! 次は蓮根へ。

板橋区ではまだ涙を流して祈ってまではいなかったので。板橋駅周辺を回ったときは、考えが過去に引きずられて、妙に気分が落ち込んでしまい、かえってうまく祈れなかったんですよね。人って不思議だな。。

カトリック志村教会


蓮根駅からちょこっと歩いて、カトリック志村教会へ。

カトリック教会だからいいかなと思って中に入って行ったのですが、お取り込み中みたいだったので、引き返してきました。

積極的になれる日もあれば、そうなれない日もあるようで、普段なら「こんにちはー」なんですけど (・・。)ゞ


カトリック志村教会

カトリック志村教会

カトリック志村教会

板橋区立 城北公園


仕方がないので、目星をつけていた公園で祈ります。板橋区立城北公園です。

学校帰りの児童たちがちょうど外で遊ぶ時間帯なので、歓声がものすごいです。何かのイベント?みたいな☆

よろしいですなぁ。ここは若い町のようです。


城北公園

城北公園

城北公園

城北公園

食べます!


春は万物が蘇り、花開く季節なのに
なぜか気分がブルーになることがあります。
花粉のせいかと思ったりもしてましたが・・・。

こんなときは「食べよう!」ということで
ファミレスでランチ。がっつりいきます。
気分もコントロールしていかねば ъ( ゜ー^)

 都営地下鉄駅をもう少し・・・♪

牛込箪笥区民センター


せっかくの一日乗車券なので、帰路にも少し寄り道します。まずは牛込神楽坂駅にある牛込箪笥区民センターへ。

ここが小浜藩主酒井家の下屋敷跡だと思って写真をぱちくり撮ってましたが、よく地図を見たら違ってました;;

もう一本道を入った所のようです。ま、ここも何かの跡地ではあるんでしょうけど (T▽T)アハッ


周辺地図

箪笥区民センター

有島武郎旧居跡


しかしこの駅にはもう一つ訪れたい所があるので大丈夫です。

新宿歴史博物館で買った史跡マップを広げ、確かめ確かめ行くと・・・ありました! 有島武郎旧居跡。

有島武郎はリアリズム文学を確立した小説家で、クリスチャン。「或る女」や「カインの末裔」が代表作です。魯迅が紹介したことから中国での知名度が高く、教科書にも掲載され広く読まれているそうですが・・・。

有島武郎とキリスト教


1923年、有島武郎は雑誌編集者の女性と不倫して軽井沢で心中。遺書の一つには、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と書かれていたそうですが、何なんでしょうねぇ・・・。信仰も今までの生も無ですか?男性更年期と違いますか?カッコつけて言わんといてくださいって感じです。

憤懣やるかたない気持ちになってしまいました。人ん家(ひとんち)のマンションの前で。有島武郎はこの家に住んでいるとき人妻と知り合い、恋に落ち、軽井沢に行って死にました。だからここは単に旧居というより、最後の旧居です。

憤懣やるかたなかったのは、私だけでないようで、武郎を信仰に導いた内村鑑三は、「この度の有島氏の行為を称えるものが余の知人に居るならば、その者との交流を絶つ(大意)」と言明しています。憤懣やるかたなくなるのは、その人を惜しむからです。自らも自身を惜しむべきではなかったでしょうか。


有島武郎旧居跡

有島武郎旧居跡

近くの天祖神社

天祖神社

月桂寺


牛込柳町駅まで歩いて再び都営線に乗り、若松河田駅へ。キリシタン灯籠があるという月桂寺を目指します☆

まだ明るいから大丈夫かなーと思ったのですが、やはり5時半も回っているので閉門しちゃったみたいです。残念。

場所がわかったということだけでも良しとして、再訪を期したいと思います。


月桂寺

日本基督教団 東京信愛教会


駅へ戻る途中に見つけたのが、日本基督教団の東京信愛教会。韓国系の教会なんですかね。

この辺りは韓国系の学校もあって、歩いていると普通に韓国語が聞こえてきます。韓流ブームはブームの域を越え、いまや定着してますからね。

随分と日本に住む韓国人の人たちも暮らしやすくなったんだろうと思います。それでもまだ両国に緊張が走るときには、独特の雰囲気が漂うんだろうなと、想像してしまいますが。


日本基督教団 東京信愛教会

日本基督教団 東京信愛教会

  仕事があることはいいことだ!


  すべきこと、成すべき仕事があるということは、祝福だと思う。
  忙しくて大変だとしても、何かできることがあるのだから。

  私は仕事で回っているわけじゃないけれど
  自分のすべきこと、やりたいことがあるから
  やはり祝福だと思う。

  ならば仕事がなくなる日は、死ぬ日なのかもしれない。
  最後まで祈る仕事だけでもして
  神様の懐の中で生きたいと思う
  春なのでした――。












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