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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 涙で祈る、23区。vol.10




         今日は「涙で祈る。」の最終日。
         行かなければならない区には余裕があるので、
         前々から気になっていて、いつか行こうと思っていた所に参ります☆

         カタチではないけれど、
         やり遂げるべきことは達成したいと思います。
         最後まで主が共にして下さることを祈って
         いざ、しゅぱーつ ヽ( ´ ▽ ` )ノ



日本聖公会 神田キリスト教会


通勤ラッシュにもまれながら、銀座線末広町駅で降り、日本聖公会の神田キリスト教会へ。

聖公会の教会にしては珍しくビル形式の建物です。もっとナチュラルな感じを期待してましたが。

でも聖公会の教会らしく、扉は開いていて中で祈って行っていいようです。感謝♪


神田キリスト教会

神田キリスト教会

周辺案内

昔のマップ

聖堂内


聖堂内は人っ子一人いなくて、暖房の音だけがしている静かな空間。薄暗い照明でちょっと眠くなるような感覚に襲われつつも、しっかりお祈り。

写真を撮って、さあ行こうと立ち上がり始めると、前方に動きが! 誰もいないと思っていた聖堂に実は外国人のチャプレンがいて、朝の礼拝のために動き始めたのです。

聖書の朗読に詠唱などが、手順どおりに、ややたどたどしく進められていきます。

え、えええーっ!? 私一人しかいないのに、いや待てよ、私だって今日たまたま来ただけなんだから、普段は誰もいないかもしれないのに、営々とこの儀式を執り行っているんですかね。す、すごい・・・。

これも主が施してくださる教育だと思って、30分くらいの朝の礼拝に参加してきました(ただ座って聞いて「アーメン」って言ってただけだけど)。知らないところで、真心を込めてる人たちがいるんですね。偉いなぁと思う一方で、誰かこの教会の人が参加せにゃあかんやろという思いも湧き上がってきますが。。


聖堂内

聖堂内

聖堂内

秋葉原から田原町へ


再び通勤ラッシュの街に戻り、地下鉄に乗って、田原町駅へ。田原公園を目指します☆

秋葉原周辺はオタクの街というイメージでしたが、立派なビジネス街で、サラリーマンであふれんばかり。寒空の下を無言で急ぎ足で行き交う人々の群れに、世の中の厳しさを感じます。女性も多いですね。


周辺案内

昔のマップ

 浅草の殉教地を求めて

田原公園


さて、田原公園にやって来たのは、やはりキリシタン関係の場所だから。

昔ここには「胴切長屋」と呼ばれる所があり、処刑された罪人の体を様し(ためし)斬りしていました。

「様し斬り」とは刀剣の切れ味を証明するとして、死体を2体、3体と重ねて斬るもの。

伝馬町の牢屋敷で処刑されたキリシタンや宣教師もその中にいたと考えられます。殉教地は牢屋敷の土壇場(処刑場)、遺体が損壊されたのがここということができるでしょう。

様し斬りされたキリシタン


誰がどのようにされたのか、詳細はわかりませんが、ここで様し斬りされた可能性があるのは、ジョアン山修道士、セバスチャン・ビエイラ神父、ルイス・ゴメス・パロミノ神父、ペトロ岐部神父です。

切支丹屋敷ができる前、まだキリシタンと宣教師が伝馬町の牢屋敷に収容されていた時代に処刑されたことがわかっているからです。他にも名前の知られていない殉教者がいると考えられます。

胴切長屋の切り手は山田浅右衛門。この名前と仕事は代々襲名されて行われ、山田浅右衛門は「首斬り浅右衛門」とも呼ばれていました。キリシタンに関わったと考えられる「首斬り浅右衛門」は初代から三代目くらいまで。彼らがキリシタンや宣教師を直接殺したかどうかは定かではありません。

寛永年間からはキリシタンは穴吊りで処刑されていったので、処刑者は牢屋敷の役人で、2代目以降の浅右衛門は様し斬りだけしたかもしれません。命令したのは幕府のお偉方及び宗門改役でした。


田原公園

田原公園

田原公園

田原公園

朝ごはん&ブレイク


朝から頑張りすぎて、まだ10時にもならないのに疲れてきました;; 体力なさ過ぎですが、保持する知恵も必要!ということで、早めのブレイク。

朝ごはんか何ごはんかわかりませんが、とりあえず食べます。浅草の殉教地も再トライせねば・・・( ̄‥ ̄)=3 フンヌッ

日本基督教団 浅草教会


雷門通りをてくてく歩き、日本基督教団の浅草教会へ。

典型的な神社仏閣街でそれを売りにした観光地なので、教会は肩身狭く暮してるのかと思ってましたが、堂々たる教会堂です☆

1886年の創建で、現在地に移ってきたのは1903年というので、ゆうに百年を超える歴史を有しています。素晴らしいですね♪


日本基督教団 浅草教会

日本基督教団 浅草教会

日本基督教団 浅草教会

日本基督教団 浅草教会

旧・浅草猿若町


教会も頑張ってるなーと思いながら、再びてくてく。電車が思うとおりに通ってくれてないので、結構歩きます。。

ここから浅草の言問橋方面へと抜けたいんですが、わかりやすいけど遠い道がまっすぐに伸びています。ああ、一日持つかしらん…ε-(;ーωーA フゥ


雷5656会館

旧町名

解説板

平成中村座が興行中

言問橋西交差点


言問橋の手前まで来ると、スカイツリーが目の前に☆

もうすぐ完成です。

こんな新しい景色に出会うと、新しい時代が来るんだなという気持ちになります。

これからはこれが東京のランドマークになっていくんでしょうね。


言問橋西交差点

言問橋西交差点

言問橋西交差点

言問橋西交差点

滝廉太郎が作曲した「花」


この場所を訪れるのは何度目かわかりませんが、浅草の殉教地を特定したくて毎回来ています。

前回は言問橋の向って左側にある隅田公園だけ歩きましたが、今回は右側を歩きます。左側は「蟻の町」があった所、右側は殉教地の候補と考えているので。

隅田公園のこちら側は大人の散歩コースといった趣きで、滝廉太郎が作曲した「花」の碑が建てられています。

滝廉太郎はあまり知られてないですが、聖公会のクリスチャン。碑には「花」の歌詞だけが刻まれていて、ちょっぴり残念。「花」を作曲したときの廉太郎は21歳で、その3年後に病気で亡くなりました。

作品を通して長生きしたと考えることもできますけど、もっと作ってほしかったですよね。


「花」碑

解説

「花」碑

待乳山聖天


続いて待乳山聖天へ。こちらも殉教地の候補と考えています。

1600年ごろから鳥越山にあった江戸の刑場は、1620年に浅草聖天町の浅草山周辺へと移されました。

隅田川畔で小高くなった山のような所といえば、待乳山聖天がぴったりなロケーションなんですが、うーん、どうでしょう?


待乳山聖天

待乳山聖天

待乳山聖天

待乳山聖天

待乳山聖天と隅田川


待乳山聖天の隣の公園へ行くと、池波正太郎生誕地やトーキーの碑と共に、江戸期のこの界隈の絵が置かれていました。

まあ、絵ですから刑場とかは描かれてませんわな、当然。しかし待乳山聖天と隅田川、街道の道筋などはわかります。

山は削られ、川原は埋め立てられてるのかなと思いきや、隅田川につながる水路(山谷堀)以外は、あまり現在と変わってないようです (□。□-)フムフム...


トーキーの碑

待乳山聖天について

池波正太郎生誕地

昔の絵

完成間際のスカイツリー


埋め立てられた山谷堀は公園となり、淡いピンク色の花弁で覆われています。この山谷堀にかかっていた今戸橋の近くに浅草山の刑場はあったはずなんですが・・・。ここから見るスカイツリーは新しい絶景。東京の新名所となるでしょう。

でも泣けてきます。こんなに美しい風景なのに、ここが殉教地で、それが忘れ去られているなんて。罪深い美しさじゃないでしょうか。そんな美しさで飾っていってはいけないと思います。

傍目にはひどい花粉症に悩みながら花見をしているおばちゃんみたいですが、ぼろぼろ泣いて祈っときました。この美しさが本当の美しさに昇華されるまで、日本人の罪を許してくださいと。


山谷堀

山谷堀説明

山谷堀

山谷堀マップ

 築地の聖路加国際病院へ♪

すし処 福音


浅草の次は築地です。前来た時に見逃したものがあるので、こちらも再トライ☆

聖路加国際病院への道を辿ると、途中にあるのが、「すし処福音」。素晴らしすぎるネーミングです。

すごーく気になりますが、一人で入店するのも気が引けるので今回も外観だけでスルー。いつか入ってみたいなぁ ('-'*)

聖路加国際病院メディカルセンター


花を愛でながら聖路加国際病院のメディカルセンターへ到着。

病院の屋上に高らかに掲げられた十字架。

ここが日本だということを忘れそうな、いえ、ここが日本だということを誇らしく思う光景です♪


聖路加国際病院

聖路加国際病院

聖路加国際病院

聖路加国際病院

トイスラー記念館


敷地にはトイスラー記念館があります。聖路加国際病院の宣教師館として建てられた建物です。

玄関前には創設者トイスラー博士の言葉が記されています。

またアメリカ公使館の石標も3つ置かれています。石標は中央区の区民文化財に登録されているようですね。


トイスラー記念館

解説板

トイスラー博士の言葉

アメリカ公使館石標

聖路加国際病院


メディカルセンターの方に入ると階上に礼拝堂があるので、そこで祈ってから渡り廊下で新しい聖路加国際病院へと移動します。

渡り廊下には病院長である日野原重明医師の字でタイトルが書かれた聖路加第二画廊が。

聖路加国際病院にも素晴らしい礼拝堂がありますが、どちらも写真撮影は不可。患者さんが祈りにいらっしゃいますからね。

日野原医師と聖路加国際病院


聖路加国際病院はできた当初廊下が広く、礼拝堂などがゆったり設けられていることが「贅沢だ」と非難されたことがありましたが、オウムの地下鉄サリン事件でその評価が一転しました。

一刻を争う事態に救急搬送できる病院をあたりましたが、大人数の被害者を収容できる病院はここ以外になかったのです。

病院を設計するにあたり、日野原院長は都内の不測の事態に備える必要性を感じ、救急搬送された患者を断ることなく多数受け入れられるよう、廊下を広くし、広い礼拝堂を作っていたのです。

廊下はベッドを置いて診察室兼病室に、礼拝堂も開放され患者を収容しました。日本史上最悪のテロである地下鉄サリン事件では多くの犠牲者が出ましたが、これにより被害者の重篤化を防いだことは間違いありません。

御年100歳になんなんとする日野原医師は聖公会のクリスチャン。よど号ハイジャック事件の人質となったこともある方です(これも不思議で意味あることだと思いますが、この話はまたいつか)。人にかすかな霊感で確かな導きを与える天の御働きを、私は感じずにはいられません。


肖像

ギャラリー

聖路加国際病院

聖路加国際病院

指紋発祥の地碑というけど


築地で見逃した所にも行かねばなりません。明治の頃、築地には外国人居留地が設けられたので、ここには宣教師やクリスチャンがたくさんいたのです。

その一つが「指紋発祥の地」とガイドブックに載っているこの場所(←)ですが・・・、碑文を読んでみると、宣教師さんだったと書いてあります!

宣教師として来日して布教の傍ら、築地病院を開いて診療に当たっていて、その中で指紋に興味を持ち研究したんだとか。

うーん、そりゃ指紋は今や犯罪捜査には欠かすことのできないものですが、私的には「指紋発祥の地」より「布教と医療に従事した宣教師の住居跡」の方が有り難く感じますです。

ま、それでも指紋の史跡として訪れて、そういう宣教師さんがいたことを知ってもらえるなら、顕彰の仕方はどちらでもいいですけどね☆


指紋発祥の地

指紋発祥の地

明治学院発祥の地


「発祥の地」が多い築地居留地ですが、省くことができないのが、学校の発祥の地。

これらの学校を宣教師たちが頑張って建ててくれたからこそ、日本の発展があったと考えられるからです。

こちらは明治学院発祥の地。道の傍らにちょこんと碑があるだけですが、ヘボン塾を基に神学校と合併してできたミッション系の学校です。この大学から巣立っていった人は軽く万を超えています。

日本の文明開化、そして高度成長、経済発展どれをとってみても教育が土台となっていることは一目瞭然。この資源のない日本がここまで発展できたのは国民の勤勉さだけが理由ではないと思います。

日本の開化期に、心血を注いで日本人の教育分野を開拓した宣教師たちの姿があったことを、忘れないでいたいです。


明治学院発祥の地

明治学院発祥の地

明治学院発祥の地

アメリカ公使館跡石標


聖路加タワーの裏手に出て、隅田川沿いの公園へ。ここにもアメリカ公使館の石標があるので、これも見ておこうかと思い来てみました☆

アメリカ公使館の石標は合計8個あり、アメリカ大使館に3個、先ほどのトイスラー記念館前に3個、ここに2個が設置されています。日米友好の証ということでしょうね。


アメリカ公使館石標

アメリカ公使館石標

アメリカ公使館石標

隅田川

おやつの時間☆


お昼は過ぎておやつの時間になってますが、何ご飯かわからないけど食べます。

フツーのコンビニで買っても、こんなに美味しいパンやスィーツが食べられるのは日本だけじゃないかと思います。少なくともこんなにカンタン便利に手に入るのは。
感謝すべきことに囲まれてるなーと (* ̄ー ̄)♪

築地居留地跡


「築地居留地跡」の解説板は聖路加タワーとメディカルセンターの間に建てられています。

この辺り全体が居留地の跡ですが、ちゃんと解説板を建ててもらってこそはっきりするので必要ですよね。

教会、病院、学校と洋風な建物にあふれていたのも事実ですが、それと同時に信仰、希望、愛にもあふれていたんではないかと想像するのは、ちょっと美化しすぎですかね?


築地居留地跡

築地居留地跡

築地居留地跡

築地居留地跡

女子学院発祥の地


メディカルセンターの敷地には「女子学院発祥の地」の碑もあります。

女子学院は、日本で初めて設立されたミッション系女学校。その前身の一つ、A六番女学校をジュリア・カロゾルスが開いた場所がここでした。

A六番女学は原胤昭に引き継がれて原女学校となり、他の2つの女学校と合併して1890年に「女子学院」となりました。初代院長は矢嶋楫子(やじま・かじこ)。

矢嶋楫子と原胤昭


矢嶋楫子はクリスチャンの女子教育者で、同じくクリスチャンの徳富蘇峰・蘆花兄弟の伯母さんにあたります。楫子は婦人矯風運動(禁酒運動)の先駆けとなり、女子教育と婦人福祉のために一生を捧げたといえる人物ですが、若い頃に書生と過ちを犯し一女をもうけたことを生涯明かしませんでした。その辺りのことは三浦綾子の「われ弱ければ・矢島楫子伝」に書かれていますが、私は釈然としない気持ちになってしまいます。

原女学校を作った原胤昭(はら・たねあき)は明治期のクリスチャン。江戸時代のキリシタン殉教者原主水の子孫(正確には原主水の大叔父さんの子孫)です。

自分の先祖にキリシタンで殉教者がいたことを知り、キリスト教に興味を持ち、江戸南町奉行所に勤めていたので押収品として収められていたキリスト教関係の本を読み、日本でやっと出版されるようになった聖書を買い求めてクリスチャンになりました。

矢嶋楫子も原胤昭も周りに(先祖に)キリスト教徒がいて自分もそうだったという人たち。信仰には目に見えない糸――金脈みたいなものがあるのかもしれませんね (*゜.゜)☆


女子学院発祥の地

女子学院発祥の地

 東高円寺へ レッツゴー!

東高円寺駅


さて残るは杉並区ということで、東高円寺駅に来ました!
カトリック高円寺教会で祈れればいいのですが、ダメなら蚕糸の森公園でしようと目論んでいます。

青梅街道をひたすら歩きますo(゜ー゜o)。。。。3
ちなみにこの青梅街道は大久保長安によって開かれた道で、大久保長安はキリシタンだった、キリシタンでなくても宣教師と親しかった、と言われています。


蚕糸の森公園

青梅街道

青梅街道

カトリック高円寺教会


テケテケやって来たカトリック高円寺教会ですが、果たして開いてるのか・・・?

開いてりゅ!

フラれなくて良かった。中に入れます。結構な距離歩いたので外観だけじゃなーと思っていたのです。

ありがたやー♪


カトリック高円寺教会

カトリック高円寺教会

ステンドグラス

聖堂内


自然光の差し込む静かな聖堂。ステンドグラスの色彩が目に、心に染みてきます。
イエス様が布で覆われてるのが超残念(時を選ばなかった私が悪い;;)ですが、また来たらいいかな♪
深く、真心から祈る時間となりました (*^▽^*)


カトリック高円寺教会

カトリック高円寺教会

カトリック高円寺教会

ステンドグラス

新渡戸文化学院


駅に向って歩いて行くと、非常に気になるネーミングが。「新渡戸文化学院」だそうです。「新渡戸」ってことは、新渡戸稲造の「新渡戸」ですよね、きっと。

ミッション系の学校なんだろうなということで、ちょいと見に行くことに。近くにキリスト教もあるようですし☆

日本基督教団 杉並教会


新渡戸文化学院に向う道筋にあるのが日本基督教団の杉並教会。

住宅街の中にあります。環境が良さそうですね♪ 幼稚園も併設されています。

新渡戸文化学院は普通に学校という感じで、外見からは特に新渡戸稲造リスペクトな様子は覗えませんでした。

日本基督教団 杉並教会

幼稚園

新渡戸文化学院

新渡戸文化学院

新中野キリスト教会


近くには日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の新中野キリスト教会もありました。

最近時々見かけますね、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの教会。ゴスペルとか読書会などを頑張っているようです。


新中野キリスト教会

新中野キリスト教会

新中野キリスト教会

 ラストは神保町へ☆

神保町


それではそろそろラストへと向かいましょう。「涙で祈る、23区。」シリーズのラストは、ちゃんと決まっているのです。

そ・れ・は、カトリック神田教会!

ここにはザビエルの聖遺骨があるそうな!! それで前々から行こうと思っていたのですです♪♪


神保町について

昔の神保町

今の昔の神保町

カトリック神田教会


駅から続く高いビル群を抜け、角を曲がると、おお、ネットで見た古めかしい外観が!
「わーい♪」と声こそ上げませんでしたが(この年で叫ぶと完全におかしな人なので;;)、思わず走り出してしまいました。教会は逃げていかないのにねー。でも早く行きたいのよねー(あほですな)☆

し、しかし・・・
17時を過ぎてしまったので、今日はクローズしてしまったようです。内部に入れるのは16時までみたい。ああショック。でもいいです。外から見られただけでも。

カトリック神田教会とザビエルの聖遺骨


カトリック神田教会の創建は1874年。高札撤去の翌年です。今ではステキなミッション・スクールとして知られる白百合学園や暁星学園もこの教会を揺籃の地としています。現在の聖堂が建てられたのは1928年。献堂式に先立ってS.カンドウ、岩下壮一両師の記念講演会が行われたそうです。すごい肝煎りですね。

この教会に聖フランシスコ・ザビエルの聖遺骨がもたらされたのは大聖年の2000年。故白柳誠一枢機卿の尽力が大きかったのだとか。明治時代に禁教令が解かれてすぐに建てられ、ザビエルに捧げられた教会だから、ザビエル自身も「来て良かった」「来るべくして来た」と思ってるかも!? 天しか知らないことですが☆


カトリック神田教会

カトリック神田教会

カトリック神田教会

カトリック神田教会

明治大学


神保町の駅に向うと、聳え立つ高層ビルに「明治大学」の文字が。今や都心ではキャンパスもビルの時代になったんですねぇ。

こちらからあちらが見えるということは、向こうからも教会などが見えるんじゃないでしょうか。

せっかく歴史のある地、東京にいるのだから、街に埋もれたストーリ-を掘り起こして自分のものにしてほしいです☆



  祈って歩いて得たもの


  8回にわけて23区を回り、足りないながらも祈ってきました。
  つたない祈りで、御心にかなうような私でもないけど。

  それで何が変わったかというと、
  それで地震が起こらなくなったということもなく
  自然災害に対する画期的な方策が見つかったわけでもなく
  東京の街が素晴らしく変化したということもありません。
  つまり何も変わっていません。目に見える範囲では。
  

  だけど・・・
  私自身が変わりました。祈り求めることで。
  日本にはびこる罪のために悔悛の思いで鼻をすすり、
  自分が暮らしてきた街のために滂沱の涙を流すことで。

  私が得たのは、私自身です。
  この私を思いっきり使いながら、これからもっと・・・歩いていきたいと思いますo(*'▽'*)o






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