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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 涙で祈る、23区。vol.11



     「涙で祈る、23区」は一応前回で終わったのですが
     タイトルをそのままにして東京めぐりをしてこうと思います☆

     仙台からM子ちゃんという、殉教地めぐり友だち(どんな友だち ^^;?)が
     遊びに来たので、一緒にキリシタンゆかりの地を回ります。
     では o(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪


茗荷谷キリスト教会

茗荷谷キリスト教会


地下鉄茗荷谷駅で降りて切支丹屋敷へと向うと、現れるのが茗荷谷キリスト教会。日本バプテスト連盟の教会です。

どこかの飲食店みたいな電光掲示板が斬新ですね☆

ちなみにM子ちゃんは午後に待ち合わせなので、午前中はこちらの友人Eと2人で回ります♪


茗荷谷駅

茗荷谷キリスト教会

茗荷谷キリスト教会

切支丹屋敷

周辺マップ


周辺マップをカメラに収め、ルートを確保です。切支丹屋敷への道は若干難しく、方向音痴な私には結構な難関なのです (;^_^A

友人Eはクリスチャンだけど、殉教地やキリシタンのことはあまり知らない(プロテスタントの人には多い)ので、こんな私が案内役にならなければならないのです☆

拓殖大学
途中にある拓大
拓殖大学
拓殖大学
拓殖大学
拓殖大学
旧町名案内
旧町名案内
切支丹屋敷跡

切支丹屋敷跡


ちょっと迷って遠回りしたけど、何とか着きました! 切支丹屋敷跡。

今はエイゾーという会社の前に史跡碑が建てられているだけですが、これがあるだけでも当時を思うことができるので感謝です。


初代宗門改役 井上政重と切支丹屋敷


キリシタンの農民一揆として知られる天草・島原の乱が鎮圧された後、幕府はキリシタンを徹底的に根絶やしにすることを決定しました。井上政重は島原の乱の際に功績を上げ、1万石の大名になった人物ですが、日本全国からキリシタンを消滅させることを進言したため、初代宗門改役に任命され、キリシタン取締りの総責任者となりました。

井上政重はキリシタンを処刑するのでは殉教者になってしまい、他の信徒に勇気を与え信仰心を煽ることとなると看破し、キリシタンを転ばせる(棄教させる)やり方へと方針転換しました。特に宣教師に対しては女蔵を造り一緒に住まわせて神父の資格を無くさせようとしました。

そのため宣教師や指導者クラスのキリシタンを収容するために、自分の屋敷地だったこの場所に牢屋敷を造ったのです。これが切支丹屋敷の始まりで、1641年頃のことでした。1646年、井上政重の下屋敷は正式にキリシタンを収容する「山屋敷」(これを後の人は「切支丹屋敷」と呼んだ)となり、政重は霊巌島に屋敷を移すこととなりました。

入牢した宣教師と殉教


切支丹屋敷に最初に収容されたのはジョアン・バプチスタ・ポルロ神父とマルチノ式見神父。その後武士階級のキリシタンらが幽閉され、フェレイラ救援隊としてやって来たイエズス会士4人と従者6人も入牢せられ、全国から江戸送りになったキリシタン信徒たちも入れられました。

キリシタン時代最後の宣教師、ジョアン・バプチスタ・シドッチ神父が送られて来たのは1709年。このシドッチの身の回りの世話をするうちにキリシタンとなった長助はるの夫妻が殉教したのが1714年で、その後シドッチも地下に設けられた穴倉のような牢で亡くなりました。

老中の建議により切支丹屋敷が廃止されたのは1792年。およそ150年の間、キリシタンを苦しませ、転ばせ、殺した牢がここにあったとは、今ではとても想像ができません。でもこの事実を自分にわからせるためにも何度でも訪れようと思います。

切支丹屋敷跡
切支丹屋敷跡
切支丹屋敷跡
切支丹屋敷跡
切支丹屋敷跡
切支丹屋敷跡
切支丹坂
切支丹坂
新渡戸稲造旧居跡

新渡戸稲造旧居跡へ・・・


近くまで来たのでついでに寄ろうと、新渡戸稲造旧居跡を目指してみたのですが、行けども行けどもなく、迷いに迷って諦めました。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。

ごめんよ、E。方向音痴なのに勢いだけあるから、道間違えたまま突っ走ってしまうのよね、私。いつか再チャレンジしようねぇ。。


 神保町へ参ります♪

友愛書房

友愛書房


気を取り直して神保町へ!
前回開いてなかったカトリック神田教会を目指します☆

神保町は古書店街で、キリスト教関係の本を専門に扱う店もあります。こちらがその友愛書房。価値ある初版本や明治のクリスチャンが書いた本など、ガラスケース越しに見るだけでもちょっと楽しくなるお店です♪

カトリック神田教会

カトリック神田教会


さてやって来ました、カトリック神田教会!
今日は時間内だから開いてるかなーと思って覗ってみると、開いてることは開いてるけど、何か雰囲気が・・・?

隣の建物から出てきた人から、今日は結婚式だからそれが終わってからなら中に入れると教えてもらいました。ついでにザビエルの聖遺骨の写真入のパンフも♪

そういうことなんですね。どうりで着飾った人がわんさかいると思った。あと1時間くらい待てばいいということなので、それまでご飯でも食べてまた来まーす ( v ̄▽ ̄) ララン

カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
錦華小学校

錦華小学校跡


教会堂前の道を行くと、交差点の辺りに何か碑が建っているので見に行くと、夏目漱石が学んだ錦華小学校の跡でした。

大学時代に夏目漱石だけは読もうと決心して、新潮文庫で出てるものだけは読破した覚えがあります。

私の知性と感性が足りなくて、わかるようなわからないような、未だに理解できてないんだろうなと思ってしまう作家ですが、それでもファンではあるので、来られてちょっとうれしいかな♪ 今でも学校はあるんですね。在校生がうらやましぃ、・・・ってこともないか?(どっちだw)。

錦華小学校
錦華小学校跡
錦華小学校跡
錦華小学校跡
錦華小学校跡
錦華小学校跡
錦華小学校跡
錦華小学校跡
コンビニ

食べて時間調整☆


世の中のトレンドにいつも乗り遅れて暮している私には、コンビニの進化というものが驚きで、これほどの「カイゼン」をやらかす日本人の国民性に、自国民ながら感嘆の念を禁じえないのですが・・・。

あ、硬く書きすぎですね。コンビニのグラムで計って買えるお惣菜にびっくりです。中で食べられる便利さにも。すごいなー。時間調整終えて、教会へゴー♪

カトリック神田教会

カトリック神田教会


カトリック神田教会に戻ってみると、さっきまであんなにいた人々はどこかに行き、私たち2人と結婚式のカメラテストに来ている人だけでした。

祭壇の右手にそろーと近づいて行くと、柵の向こうにザビエルの聖遺骨の入った銀製の箱が置かれていました。

聖遺骨自体は見られなくて、それが入った箱だけですが、横に写真も置かれているので、この中にあるんだなーとじわーんとします☆

聖堂から出て来て2人で話したのは、何かほっとしながら抱きしめてくれるような感じだったねということ。聖遺骨箱の前のスペースが狭いので1人1人見に行ったのに、2人とも同じことを感じたのが不思議でした。

カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会
カトリック神田教会

 伝馬町の牢屋敷にも

明治大学のイメージキャラクター

神保町の駅に


神保町の駅に下りていく階段には明治大学のイメージキャラクターめいじろう。「ア明治ング(アメージング)!」とか言ってます。ゆるキャラってやつですね♪

地下鉄に乗って新宿駅でM子ちゃんと合流、今度は3人で小伝馬町に向かいます。積もる話もあるけど、とりあえず殉教地へということで d(^-^)

十思公園

十思公園


小伝馬町の駅で降りて駅出口と反対方向へ3分。江戸の牢屋敷跡である十思公園へと着きました。

解説板も設置されてますが、吉田松陰が死んだ場所だということしか書かれてませんね。公園内にある碑も松蔭を先生と呼ぶ人たちが建てた顕彰碑。

碑を建てて顕彰してほしいとは言いませんが、ここで信仰のゆえに牢に入れられ、殉教までしていったキリシタンがいたことを一文でいいから入れてほしいです。

小伝馬町牢屋敷とキリシタン


小伝馬町の牢屋敷ができたのは1606年。それまでは江戸城に近い常盤橋外にありましたが、城下拡張のためこの地に移されてきました。江戸でキリシタン寺が破壊され迫害が始まるのは1612年からで、翌年からキリシタンや宣教師が捕らえられ牢に入れられるようになりました。

ここに入牢したことがわかっているのは、慶長から元和にかけては、ルイス・カブレラ・イ・ソテロ神父(釈放されたが後に処刑)、ディエゴ・デ・サン・フランシスコ神父(釈放されメキシコに追放されたが、日本に戻り消息不明に)、ジェロニモ・デ・アンデリス神父(処刑)、フランシスコ・ガルベス神父(処刑)、シモン遠甫修道士(処刑)、ジュアン山修道士(処刑)。

寛永年間に入牢したのが、セバスチャン・ビエイラ神父(処刑)、ルイス・ゴメス・パロミノ神父(処刑)、ジョアン・バプチスタ・ポルロ神父(転んだとされる)、マルチノ式見神父(転んだとされる)、ペトロ岐部神父(処刑)、ベルナルド・デ・サン・オゾリオ神父(処刑)、フランシスコ・バラハス神父(処刑)です。


小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
小伝馬町牢屋敷跡
大安楽寺

処刑場跡


牢だったのは十思公園だけでなく、この辺り一帯全部です。小伝馬町牢屋敷内の処刑場跡地にあるのが大安楽寺。

「大安楽」とはよく付けたものです。

寛永年間からはキリシタンの処刑は専ら「吊るし殺し」(「穴吊り」ともいう)によるものでした。

その「吊るし殺し」がどこで行われたのかについては、浅草山に急ごしらえで造った野屋敷だったのか、ここだったのか、よくわかっていません。処刑された後の遺体は「様(ため)し斬り」といって、刀剣の切れ味を試すために使われたのですが、それが行われたのも、ここだとも、現在の田原公園だったともいわれ、詳細は不明です。

私は、どちらでも行われたと考えています。殉教地はここと浅草山。遺体損壊地はここと田原公園(首斬り浅右衛門という処刑人の居宅跡)。だからここはやはり殉教地。主を愛した人たちが血を流した場所です。

大安楽寺
大安楽寺
大安楽寺
大安楽寺
大安楽寺
大安楽寺

 殉教路を共に歩めば

江戸の大殉教

江戸通りを曲がって銀座方面へ


キリシタンに関心を寄せる3人なので、牢屋敷からは殉教者たちが辿った道を通って行こうということになりました。

元和の殉教の一つ、江戸の大殉教があった札の辻は、ここから8キロくらいの距離です。私が前1人で歩いたときは2時間くらいかかったかな。

とりあえず向ってみましょう。江戸通りを地下鉄新日本橋駅前で左折して、日本橋・銀座方面へと参ります! あ、言い忘れましたが、新日本橋駅のある所は長崎屋の跡。江戸を訪れたシーボルトが宿泊した宿の跡です☆

新日本橋駅
新日本橋駅
長崎屋跡
長崎屋跡
日本橋へ
日本橋へ
三浦按針屋敷跡

三浦按針屋敷跡


日本橋周辺は再開発が進んで、だしバーに並ぶ人、有名ラーメン店の行列、デパートの紙袋をいくつも持って歩く人など、俗俗俗です。ま、いいですけど。

日本橋が見えてきたところで、一本手前の道へ折れると左手にあるのが、三浦按針(元の名はウィリアム・アダムス。

オランダ船の船長だったイギリス人で、豊後に漂着して以後家康のブレーンとなった)の屋敷跡。

お店屋さんの軒先にあります。今でも一等地であるこの場所に屋敷を与えられたのは、それだけ家康に重用されていたからでしょうね。

この人がプロテスタントの国出身で、カトリック教国を非難したことから、家康のキリシタン嫌いが決定的になりキリスト教禁令へと発展していきます。殉教路を辿りながらここに立ち寄ると、ため息が出ちゃいます。プロテスタントもカトリックも同じキリスト教徒なのにな ε-(ーдー)

三浦按針屋敷跡
三浦按針屋敷跡
三浦按針屋敷跡
三浦按針屋敷跡
日本橋の高札場跡

日本橋の高札場跡


日本橋を渡って(頭上を高速が走っているので「渡って」というより、「くぐって」という感じですが)、高札場跡へ。

ここは日本を代表する高札場でした。だからキリスト教黙許を意味する高札撤去が行われたとき、「本当だろうか?」と思った人たちはここに来て確認して喜んだのだとか。

浮かれ立った街を背景にして見ると、「今は昔・・・」の感が拭えなくて、「そんな昔のことどーでもいいじゃん、今は禁教されてないんだし」という考えに陥りそうですが、歴史です。忘れちゃいけません。昔のものではないけれど、高札場が史跡として残されていて有り難いです。

里程標
里程標
日本橋外灯
日本橋外灯
道路元標
道路元標
道路元標
道路元標
ヤン・ヨーステンの記念碑

八重洲口のヤン・ヨーステン


しばらく進むと、横断歩道の中休みみたいな場所にあるのが、ヤン・ヨーステンの記念碑。

オランダの航海士で、先ほどの三浦按針とともに1600年豊後(今の大分県)に漂着。

家康からこの辺りに屋敷をもらい、日本人の妻と結婚して住んでいたのだとか。東京駅八重洲口の「やえす」は、この人の名前から来たのだという説もあります。

ヤン・ヨーステンの記念碑
ヤン・ヨーステン記念碑
ヤン・ヨーステンの記念碑
ヤン・ヨーステン記念碑
ヤン・ヨーステンの記念碑
ヤン・ヨーステン記念碑

 京橋、銀座と進みます

江戸歌舞伎発祥之地

江戸歌舞伎発祥之地


人通りがどこまでも続く大通りを京橋を抜け、銀座へと歩いていると、いろんな碑が建てられています。江戸歌舞伎発祥之地やら市場の跡だとか。

江戸の庶民から身分ある人たちまでが集う、いわゆる繁華街で、流行の発信地、ショッピングの中心地だったんでしょうね。それは今も昔も変わっていません。

江戸歌舞伎発祥之地
江戸歌舞伎発祥之地
市場の跡碑
市場の跡碑
京橋の親柱
京橋の親柱
京橋の親柱
京橋の親柱
銀座の歩行者天国

銀座の歩行者天国


銀座に着くと、また一気に人が増えるのですが、名物の歩行者天国のおかげで狭苦しくはなくなります。

この真ん中を殉教者たちは寒空の下粗衣に裸足で、人々に白い目、嘲る声を受けながら歩んでいったんですね。

華麗な街がなんだかゾッとするものに感じられてきます。

途中には原胤昭がキリスト教書店を開いた十字屋。今はキリスト教関係ではなくなっているけど。殉教者が通っていって2百数十年、日本初のキリスト教書店がここに開かれたのは偶然でしょうか。

銀座の歩行者天国
銀座
十字屋ビル
十字屋
十字屋ビル
十字屋
十字屋ビル
十字屋
教文館

キリスト教書店の教文館


十字屋ビルからほんの少し進むと、キリスト教書店として有名な教文館。前来た時、M代が勧めていた聖書図書館は、今日は開いてるのかしらん?

ちょうど疲れてきたところなので、カフェでお茶でもしましょうかね♪
教文館
バイブル・ハウス
教文館
聖書がいっぱい
タンネちゃん

やっぱタンネちゃん♪


キリスト教グッズで素敵に飾られたカフェで、焼き菓子のタンネちゃんを頼み、あつーいトークを繰り広げました。

キリシタン、殉教者、迫害、牢屋敷・・・。若い(私以外は;;)女性が集って話してる内容としては不穏当ですが、3人の共通の関心がそこにあるので、あはっ。

周りもきっとクリスチャンなので、信仰の話が気にせずできます。うれしいことに ヽ(*^▽゜ *)ゞネー
聖書図書館

聖書図書館!


聖書図書館も開いてました!

中に入って行くと案内してくれ、簡単なガイドを受けられます。

こちらはトーラー。実物を見るのは初めてです。

聖なるものだから、聖句の箇所を示すときも直接触らず、手の形をした棒(↓)を使うのだとか (゜0゜*)ホホー

ゴーブル訳のマタイ伝は復刻版だけど、ギュツラフ訳のヨハネ伝は本物です! この訳文が言い方悪いけど、ちょっとウケるんですよね。頑張ってくれたんだろうけど、ほんっと意味がわからなくて。。 それくらい苦労して訳して、日本人に聖書を読ませたいと思ってくれたことに感謝ですけど♪

聖書図書館
トーラー
指し示す棒
指し示す棒
ゴーブル訳マタイ伝
ゴーブル訳マタイ伝
ゴーブル訳マタイ伝
ゴーブル訳マタイ伝
翻訳委員社中訳聖書
翻訳委員社中訳聖書
翻訳委員社中訳聖書
翻訳委員社中訳聖書
ギュツラフ訳ヨハネ伝
ギュツラフ訳ヨハネ伝
ギュツラフ訳ヨハネ伝
ギュツラフ訳ヨハネ伝
日本最初の和訳聖書

日本最初の和訳聖書は・・・


上記の「翻訳委員社中」というのは、明治に横浜に来た宣教師たちが超教派で協力し合って和訳聖書を作ろうとして集まった組織。

中心人物は宣教医ヘボン。ヘボンと親しかったS.R.ブラウン(サミュエル・ロビンス・ブラウン。アメリカ・オランダ改革派教会から派遣された宣教師で、後にブラウン塾を開く)がN.ブラウン(ネイサン・ブラウン。米国バプテスト宣教師同盟の宣教師で、日本で二番目のプロテスタント教会である日本バプテスト横浜教会を創設。名前が似ているがS.R.ブラウンとは親戚関係はない)も社中に誘って参加しましたが、N.ブラウンは訳語をめぐって対立して抜けました。

そしてN.ブラウンが独自に新約聖書を訳して世に出したので、これが和訳された新約聖書としては日本で最初のもの(部分訳はあるけど、新約全体を訳したものとしては初)となりました。キリスト教の歴史は翻訳と切っても切れないものだから、いろんなことがあったのも、うべなるかな (□。□-)フムフム

N.ブラウン訳聖書
N.ブラウン訳聖書
N.ブラウン訳聖書
N.ブラウン訳聖書
ヘボンとS.R.ブラウン訳聖書
ヘボンとS.R.ブラウン訳聖書
ヘボンとS.R.ブラウン訳聖書
ヘボンとS.R.ブラウン訳聖書
紀元一世紀の香油壷

紀元一世紀の香油壷


展示物の中には紀元一世紀の香油入れなどもあって、「マリアが割って注いだのはこういう物だったのかー」と興奮してしまいます。

水がめや族長の壷、乳香と没薬、レンズ豆ってこんな色してるんだーと、ちょっと楽しくもあり☆

展示室は広くないですが、考古学的にも瞠目すべき物があり、見ごたえがあると思います。

水がめ
水がめ
族長の壷
族長の壷
乳香、没薬、レンズ豆
乳香、没薬、レンズ豆
16世紀の聖書
16世紀の聖書

 札の辻へ!

札の辻交差点

札の辻交差点


銀座で時間を使ったので、電車に乗って札の辻へ。主が導いてくださる流れに乗っていきましょうということで☆

札の辻の交差点は幹線道路が通る道筋なので、トラックが轟音を立てて通る殺伐とした光景。どんな気持ちを持っていても、それが一気に冷めるような感じです。

元和キリシタン遺跡

元和キリシタン遺跡


住友不動産の三田ツインビル西館(ラ・トゥール三田)の脇道を登ると、頂上にあるのが元和キリシタン遺跡碑。

こんなに素晴らしくちゃんと碑を建ててくれてることを感謝すべきですよね。


「殉教地」という響きを禍々しく捉えて、不吉に感じて嫌がる人も多いですから。キリシタンがいて、信仰のために命を捨てたのだということを、正しく認識してくれていることが有り難いです。

元和キリシタン遺跡

祈って賛美


というわけで、祈って賛美。誰からともなく。

近所迷惑になってはいけないからあまり大きな声では歌えないけど(十分な広さがあるので人に聞こえることはないでしょうけどね)。

ここで大殉教があった1623年からもうすぐ(もうすぐとは言わないか ^^;)400年。その頃日本はどうなってるんでしょうね。

ローマでは迫害されてから400年経ったときキリスト教が国教になったんだけど・・・。

カトリック高輪教会の高札

カトリック高輪教会の高札


地下鉄に乗り、少し迷ってうろうろ歩いてカトリック高輪教会へ(今日はよく迷う;;)。

暗くなってしまったので外観を撮れませんでしたが、聖堂でお祈り。殉教地を回って辿り着いたので、思いがこみ上げてきます。

地下のクリプト前にあるキリシタン資料室を見て帰って来ました。頼りない私と共に回ってくれた友よ、ありがとー!!

カトリック高輪教会の高札
高札解説
展示物
展示物
殉教画
殉教画
碑の写真
碑の写真


   旅の同行者


   いつもは1人で回っているけど
   2人や3人で歩くとまた違ったことを感じられます。
   1人だと自分の考えだけに埋もれているけど
   隣の人が何か言ってくれると他の着想も得られたり。

   人と一緒にいるということは
   ものすごく贅沢なことだと思いました。
   私のディープな興味関心に
   付き合ってくれる人というのも有り難く、貴重ですし。

   でも、誰もいない時であっても
   主と共に回る感覚を持っていければいいですよね。
   一日も一生もそうやって歩んでいけたらと・・・ヾ(●⌒∇⌒●)ノ




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