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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 涙で祈る。23区 ⑭



   今日は十年来の友達、Mちゃんと散策します☆
   私たちの出身校早稲田でやっている企画展を見て
   1人では行きにくくて行けてなかった所にも、初めて足を運ぶ腹づもり♪
   
   2人で行けばそりゃ楽しいけれど
   もう1人の同行者である主のことも忘れずに、いざ出発 (○゜ε^○)v



早稲田大学 旧図書館


まずは早稲田大学の旧図書館へ。現在は会津八一記念博物館と名前を変えています。

この建物は建築家の今井兼次のデビュー作。今井兼次はクリスチャンで、後に長崎の日本二十六聖人記念館や聖フィリポ教会なども手がけています。

一見シンプルな外観ですが、扉の星や館内の壁や階段に様々な意匠が凝らされていて、こだわりを感じます♪


会津八一記念博物館と収蔵品


会津八一記念博物館2階は常設展示で、その一角に特集展示があるという構成。今日来たのは、特集展示で「羅馬使節」と題された日本画が掲示されるため。「羅馬使節」とは天正遣欧使節として派遣された4人のキリシタン少年のことです。日本画で描かれているという点が珍しいと思いまして。見てみると、遣欧使節の伊藤マンショはぽっちゃりとした癒し系。一見の価値はあるかと☆

1階に下りて企画展示室と大隈記念室もついでに見学。せっかく来たんだからということで。思ったより見ごたえがあったのが、大隈記念室。大隈重信の一生が輝かしく紹介されていて、解説文は無論美化されていますが、身長こんなに高かったんだとか、実際の重信を感じられて面白いです。銃撃された時の服や弾痕の残る植木鉢など、実物を見ると、とても厳粛な気分になりますし。

大隈重信と浦上キリシタン!


そして・・・、神様は今日私にこれを見せようとして来させたんじゃないかと思ったのが、大隈重信の書いた浦上キリシタン関係の書類。長い禁教令下を耐え忍んで復活してきた浦上キリシタンを、政府がどう処遇するかについてイギリス公使パークスとやりあった際のものです。

これによるとパークスは、即刻信徒を解放せよと訴え、内務を担当していた重信は「それは内政干渉だ。キリシタンは厳罰に処する」と言っていたようです。

その時「外国相手に一歩も退かなかったことを評価され、中央へと躍進するようになった(大意)」と、褒め称えてますが、えらい罪を犯してたんだなと、私なんかは思ってしまいます。

長崎の浦上村の信徒たち(「隠れキリシタン」とも「潜伏キリシタン」ともいう)は誰にも迷惑をかけずに、いじましくキリストを信じてただけですよ。お祈りしたりして。いつか大きな声で讃美歌が歌える日が来ますようにと、小さな希望を抱きながら・・・。


本部キャンパス

会津八一記念博物館

会津八一記念博物館

今井兼次のデビュー作

早稲田大学 戸山キャンパス


こんなことがあったのかと衝撃を受けながら本部キャンパスを後にし、文学部のある戸山キャンパスへ!

こちらには長谷川路可のフレスコ画とモザイクが残されているということなのでございます♪


長谷川路可の初期の作品


長谷川路可は日本におけるフレスコ、モザイク壁画のパイオニアとして活躍した画家。日本初のフレスコ画は1928年に路可が描いた聖母子像です(それがあったカトリック喜多見教会は2013年7月に閉鎖され、フレスコ画は大和学園聖セシリアに寄贈された)。

路可の2作目のフレスコ画がこの「アフロディーテ」(1931年)。理工学部建築学科の研究室に描かれのですが、建物解体により一部が会津八一記念博物館に移設保存され、今は戸山キャンパスの33号館エレベーターホールにあります。

wikiには旧図書館にあると書かれていましたが、(旧図書館である)会津八一記念博物館の受付の人は「ない」と言い、存在も知らなかったので、その方にお願いして調べてもらって(学内のあちこちに電話をかけてくれたよう。感謝!)今はこちらにあるのだと判明しました。サイトとかにも載ってなくて、直接尋ねるしかありませんでしたが、無事アフロディーテさんに会えてうれしいです♪

床のモザイク


足元を見ると、これも路可の作品じゃないかなーと思うモザイク画が!

1961年に文学部キャンパスの床に描かれた「杜のモザイク」が、これなんじゃないかと思われます。

キャプションがついてないのでちょっと不安になりますが、作風が日本二十六聖人記念碑の裏側のモザイクと通じるものがあるので、たぶん。中庭の壁も作品みたいで、そういうものにちゃんと説明書きを添えてもらえるといいなと思うのですが☆ フレスコ画にはサインが残ってますけどね。何はともあれ、路可の作品が遺失したりせず、きれいに残されていて幸せです \(o ̄∇ ̄o)/

信仰者としての長谷川路可


壁に描かれるフレスコ画という性質上、建物の解体によって遺失する場合が多く、長谷川路可のフレスコ画は現存するものがあまり多くありません。それはモザイクに関しても同様で。だから一つ一つがとても貴重です(日本画は各地の教会に残っています)。

しかし初期の頃はあまりキリスト教関係のモチーフを描いてません。これも建物の所有者から依頼を受けて制作するというフレスコ画、モザイク画特有の事情によるものでしょう。

信仰者としての長谷川路可はカトリックのクリスチャンで、入信時の洗礼名がルカ(福音書に名前が冠された聖ルカは画家の守護聖人でもある)だったことから、この名前を選んだと考えられています(本名は龍三)。

暁星中学に学び、函館のトラピスト修道院で夏を過ごした際に詩人 三木露風との交友が始まりました。東京美術学校日本画科を卒業後、フランスに留学し、フレスコ画の技法を学んで帰国しました。遺作は日本二十六聖人記念館の「長崎への道」。イタリアのチヴィタヴェッキアにある日本聖殉教者教会のフレスコ壁画を制作した縁で、同地へ招聘されて訪問中に脳溢血を起こしてローマで亡くなりました。

特筆すべきは、一般の信徒でありながら4人もの教皇に拝謁していること。ざっと挙げると以下の通り。かなり稀なのではないでしょうか (・0・*)イイヨネー☆
  • ピウス11世 1930年に拝謁。
  • ピウス12世 1951年に拝謁、『切支丹絵巻』を献呈。
  • ヨハネ23世 1962年に拝謁。
  • パウロ6世 1967年に拝謁。


長谷川路可のサイン

モザイク

モザイク

中庭の作品

 地下鉄に乗って回向院へ

回向院


それでは地下鉄に乗って回向院へ。この回向院と隣の延命寺が江戸時代の処刑場、小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場の跡です。

浅草山刑場の後に使われた刑場で、キリシタンが処刑されたという記録はありません。だからどうしても来なきゃとは思わなくて、今まで来たことがなかったのです。

それに刑場跡ですしね。女性1人で来たいとはあまり思えないディスティネーションです。キリシタン殉教地を探すこと、そこに行くことには情熱を燃やす私ですが、別に刑場オタクではないのです・・・(;^_^A

観臓記念碑


このお寺には史蹟エリアとよばれる墓所とその手前にある記念碑があります。

日本史の教科書でも習った杉田玄白、前野良沢が見たという腑分け(解剖)は、ここで行われました。

それで「観臓記念碑」。名付け方にインパクトがありますね。他に言い方ないのかしらんと思ってしまいますけど。


観臓記念碑

観臓記念碑

解説

小塚原の刑場跡

史蹟エリア


お墓の並ぶ史蹟エリアには、有名どころの人がいっぱい。

吉田松陰や鼠小僧次郎吉、「明治の毒婦」と呼ばれた高橋お伝の墓もあります。

ご利益があるといって墓参に来る人がいるそうです。鼠小僧は受験、高橋お伝はお琴のご利益だとか...( ̄  ̄;)


吉田松陰の墓

橋本左内の墓

鼠小僧の墓

高橋お伝の墓

小塚原の首切地蔵


隣にある延命寺には首切地蔵という大きなお地蔵さんが。曇天の下で見ると少し恐ろしげ。

やっぱり2人で来て良かったです。自分1人じゃ近づく勇気なかったと思います。

キリシタン殉教地のためならどこにでも分け入って行きますけどね。その他の刑場にはそこまで力を発揮できませんデス。

でも立派な史跡だから一度は見ておきたかったんですよね。Mちゃん、付き合ってくれてどうもありがとー(久しぶりに会って、今日処刑場跡に行きたいと言われたら普通びっくりするだろうに。。)!


解説板

延命寺

首切地蔵

 歩いて吉原方面へ

泪橋交差点


ここからはてくてく歩いて吉原方面へ。昔刑場に向う犯罪人と家族とが涙で水盃を交わしたという、泪(なみだ)橋。

たぶん川があって橋が架かってたんだろうけど、今は埋められて、交差点に名前が残るのみです。

思わずランチ☆


・・・と、ここで思わずランチ☆ 少しお腹が空いてきたのと、美味しそうな食堂を見つけたということで。餃子定食を食べながら、なぜこのように史跡めぐりをするようになったのか、何を思っているのか、熱く語ってしまいました。

ここ数年、寝ても覚めてもキリシタンと日本のキリスト教史ですからね、私の考えていることは。自分でも不思議に思うくらいの熱意が湧き上がってきて、絶えず刺激を受けているような感じなのです ( ̄∇ ̄;)アハ

見返り柳


餃子でエネルギーをチャージして、吉原へ。昔花街の入口にあったという見返り柳が、何代目かになって今もあります。

ガソリンスタンド前の、殺風景な場所ですけど。花魁とか芸者とか、華やかで儚いイメージがあって、マンガや映画になってますが、きっとものすごく悲惨だったと思います。

そういう使い捨ての性産業のことを、美しいイメージで飾り立てるのをやめてほしいんですけどね。はぁー(ため息)。


見返り柳

見返り柳

見返り柳

見返り柳

千束原の殉教地はいずこ


さて吉原も1人では怖くて足を踏み入れられなかった所なのですが、小塚原とは違い、こちらは来なければいけない所です。

なぜなら江戸時代に、キリシタンが餓死刑にさせられた所だから。立派な殉教地です。

ただずっと場所がわからなかったのです。今でもはっきりわかっているとは言えませんが、それでも一度「この辺り」という所だけでも見ておきたいと思ってやって来ました。

吉原、千束原とキリシタン殉教


古くから浅草寺周辺は低地であり、池や沼が多かったのですが、幕府は姫ヶ池や千束池を埋め立てて「葦ノ原(あしのはら)」としました。葦(あし)は音が「悪し(あし)」に通じることから、「よし」と呼ぶこととし、それが地名の「吉原(よしわら)」の由来となりました。

吉原は幕府公認の売春宿が営業する花街で、その周囲を取り囲む浅草は無宿人のたむろする「浅草溜まり」だったので、その猥雑な雰囲気に紛れて、幕府には御禁制とされたキリスト教の宣教師が隠れ家を有し、キリシタンが潜伏する場所ともなっていました。

そこで、捕らえられたキリシタンを処刑する際に、敢えて信徒の住むこの町を選んでみせしめとしたのです。記録に残っているキリシタン殉教は、以下の2件。

1624(寛永元)年、127人のキリシタンを処刑。
1636(寛永10)年、83人のキリシタンを餓死刑で処刑。

餓死刑とは竹矢来を作ってその中に信徒を閉じ込め、食べ物を与えずに徐々に殺していくというもの。柵の中には草一本も残らないといわれています。その殉教地を、高木一雄氏は「聖母の騎士」誌の連載で、「葦ノ原」ではなかったか、としています。専門家でも場所を特定できてないものを、私などがわかるはずもないですが、大体この辺りだったことは確かです。今も吉原は風俗街みたいですね。


吉原京町

吉原神社

神社の石像

吉原

樋口一葉旧居跡


吉原を抜けて駅へと向う道に、樋口一葉旧居跡がありました。

写真を撮ろうとして、目が釘付けになりました!

記念碑の横に建てられた石灯籠は、正(まさ)しく、各地で「切支丹灯籠」と呼ばれてしまっている織部灯籠ではありませんかっ!!

幾分新しく見えるので、江戸期のものではないと思われます。樋口一葉の家にあったのだとするなら明治期の物なんでしょうか? 多くの「切支丹灯籠」では刻まれてなかったりもする、膨らみ部分の文字(「切支丹灯籠」だとする人は、これをラテン語だという)も鮮やかに陰刻されています。

むむむぅ、織部灯籠をキリシタンが拝んでいたとは、私は考えていなくて、キリシタン史学の専門家も現在は「切支丹灯籠」などというものはないという人がほとんどなのですが、どういう訳か、キリシタンがいた所にこの種の灯籠があるということが、よくあるんですよね。それくらいありふれた物なんだとも解釈できますが・・・(ーΩー )ウーン


樋口一葉旧居跡

樋口一葉旧居跡

樋口一葉旧居跡

樋口一葉旧居跡

 千駄木へ向かいます☆

天龍院


学問的なことは、私が考えたところで埒が明かないので、とりあえず先に進みます。

次は千駄木へ。三崎坂を上って行くと、あちこちにお寺が現れます。この辺りは寺町みたいですね。どこも由緒あるお寺のようで、門前にいろんな解説板が建てられています。


天龍院

医学者の墓がある

三崎坂

三崎坂

瑞輪寺


さて千駄木に来たのは、まずはこのお寺を見るため。堂々たる風格の漂う瑞輪寺です。

江戸に水道を引いた功績者とされる大久保主水のお墓が墓域にあり、都の旧跡だそうです。

まあ、それも見ておきますが、私の目的とするお墓はもっと別にあるのでした。


瑞輪寺

大久保主水の墓解説

大久保主水の墓

大久保主水の墓

忠庵浄光先生


それがこちらの、お墓。転びバテレン(棄教した神父)クリストヴァン・フェレイラのお墓です。案内板も出てないので、随分と探しました。

フェレイラの娘婿に門下の医師・杉本忠恵がいて、この人を初代とする杉本家のお墓に、フェレイラも入っているということらしいです。

「忠庵浄光先生」というのがフェレイラの戒名。どんな霊界に行っているのかな。

転びバテレン・フェレイラ


クリストヴァン・フェレイラはポルトガル生まれの司祭(神父)で、1609年に来日しました。日本語が堪能で、日本菅区長代理として活躍していましたが、1633年に長崎で捕縛され、他の信徒らと共に穴吊りの刑にかけられました。苦しみに耐えかねたフェレイラは、5時間後に棄教。転ぶ合図として言った言葉は「南無三(なむさん)」だったそうです。

日本宣教24年の苦労を水泡に帰してしまった虚脱感からか、その後フェレイラは幕府の指示のままに、「沢野忠庵」を名乗り、日本人妻を娶って、キリシタン取締りに当たるようになりました。

キリスト教が間違っているという趣旨の本「顕疑録」も著しましたが、その一方で医学書や科学書も書いたのは、それでも人の役に立ちたいと願う心が、司祭であったフェレイラに残っていたからではないかと、カトリック作家の遠藤周作は推察しています。

日本菅区長代理のイエズス会士が棄教したというニュースはヨーロッパに衝撃を与え、表面的な棄教に違いない、信仰に立ち返らせよう、との思いで多くの宣教師がフェレイラを救おうと日本を目指しました。

フェレイラ救援隊とよばれる第一次、第二次の人々が相次いで日本に上陸しましたが、彼の末路は悲愴です。切支丹屋敷での牢生活、拷問に加え、救出対象であるフェレイラ本人が棄教の説得に出て来るのですから。

フェレイラと遠藤周作の「沈黙」


殉教、牢死、棄教・・・。転んで日本名をもらい、フェレイラ同様の道を歩んだ者もいました。その1人ジュゼッペ・キアラをモデルにして書かれた遠藤周作の「沈黙」は、発表された当初大きな反響をよび、長崎では禁書扱いされるほどでした。

なぜなら、こんなにひどい目に遭って信徒が死んでいっているのに、神はどうして「沈黙」しているのか、ということが宣教師に信仰への疑念を抱かせ、結局踏み絵に足をかけるという内容なのです。

踏み絵を踏んだその足の下でキリストが赦し、共に痛みを受けてくださっていたというところに、作品の肝(きも)があるのですが、そのラストに至るまでに描かれているキリシタンの姿があまりに醜く、汚らしい根性丸出しであることも問題視されました。

また殉教も美しくもなく、栄光に満ちたものではないとしているので、キリスト教界から非難されるのは当然かと。それでもそこを描いたことが、今では評価され、周作は教皇から勲章までもらってますが。

余談ではありますが、遠藤周作の本を読んでいて不思議なこともあるものだなと思ったので書きますが、フェレイラの子孫だという女子学生と話したというエピソードが周作の本の中に書かれています。

周作は素人の劇団を立ち上げて自分も舞台に立ったりしていたのですが、とある大学の学生たちと一緒に公演をすることになり、練習を見に行っていたら、学生たちの中にその女性がいて、「実は私、フェレイラの子孫なんです」と話しかけられたのだとか。

女性の苗字は「杉本」。フェレイラの子孫の苗字です。周作はもう亡くなったけれど、もしかしたら、ご高齢になったであろうその女性が、今もこのお寺にお墓参りに来ているかもしれませんね☆


杉本家のお墓

墓碑

忠庵浄光先生

アジサイ

谷中霊園へ


アジサイの美しい境内を後にして、すぐそばにある谷中霊園へと参ります☆

私は大きな霊園にはほとほと手を焼いておりまして、探し回る大変さと人気のない墓地で迷子になる心細さを思うと、到底1人では来られなかったのです (ノ◇≦。)

さあ、Mちゃん、次は霊園だよ~♪(付き合ってくれるアナタは偉いっ)


アジサイ

周辺の解説

周辺の解説

周辺の解説

ニコライ大主教のお墓


来たかったのは、ニコライ大主教のお墓。乙2号新1側にあります(大霊園はこの番号がわからないと絶対に見つけられない;;)。

ニコライさんは日本に正教(「ロシア正教」はロシアにある正教会の組織のことで、正教会はそれぞれの国名をつけて「○○正教」という)を伝えた人で、日本正教の創始者。正教会で列聖されているので、聖人です。

神田にあるニコライ堂で、名前は有名ですね。最初函館にいて、その頃に新島襄と知り合い、襄から日本語を習ったりしていました。あ、襄はクリスチャンではあっても正教会の信徒ではありませんけどね。

坂本龍馬の従兄弟 沢辺琢磨


日本人で正教会の最初の司祭となったのは沢辺琢磨(さわべ・たくま)という人物。この人、坂本龍馬の従兄弟です。石巻にある石巻ハリストス正教会(現存する日本最古の木造教会建築)に行った時に教えてもらいました。

沢辺琢磨は函館で宮司をしているときに伝道され、まだ日本ではキリスト教禁令が解かれていませんでしたが、秘密裏にニコライから洗礼を受けてクリスチャンになりました。

その後信仰を明らかにして宮司の座を去り、主に東北地方を巡回して宣教しました。函館時代には新島襄と交流し、襄のアメリカ行き(当時は勝手に海外に渡航することが禁じられていたので、「密航」だった)を手助けしたというエピソードも伝わっています。

人っていろんなところでつながっていて、ほんとに不思議ですよね☆


ニコライ大主教の墓

聖人号

隣のお墓

徳川慶喜のお墓


ついでに徳川慶喜のお墓にも寄り道。壁に仕切られた一角にあります。

慶喜は江戸幕府最後の将軍で、大政奉還した人――。どんな人だったんだろう。。


徳川慶喜のお墓

徳川慶喜のお墓

徳川慶喜のお墓

葵の御紋

ミスドでお茶して♪


夕方になってきたのでミスドでお茶して帰ることに♪

今度はMちゃんから現在活躍しているクリスチャンの話をどどっと聞きました。Mちゃんが注目しているのは姜尚中さん。私は「悩む力」書いた人だということ以外知らなかったので、視野を広げてもらったような感じです☆

私たちは法学部出身なので死刑廃止や冤罪についても語りました。人と話すと刺激を受けますね d(゜ー゜*)



  愛の高度を上げようか


  私が生活の中で問題だと思っていることは
  主を思う愛の高度さえ上げれば
  問題が問題じゃないと気づきました。

  高度が低いから、人とぶつかり、自分に嫌悪し
  小さなことに悩み、いろんなことを無駄に考えているのだと。
  だから愛の高度を上げて、心を高く上げてみようかと★

  IQよりも愛級(愛のレベル)が高い人になりたいな (* ̄▽ ̄*)v









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