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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 関東激走☆ わが祈りよ 風になれ ②

  <本日の主な訪問地>

 花咲く旅路♪

成田山新勝寺付近

おはようございます☆
今日もとってもいい天気で感謝!

今日はまず千葉にある井上政重関係の史跡に向いたいと思います。

前夜の泊りが成田だったので成田山新勝寺付近を通過しましたが、お寺の城下町といった感じで、参詣客を相手にするお店や旅館が軒を並べています。

こういう所ではあまりキリスト教とか受け入れてくれなさそう;;

井上政重知行地

現在は成田市となっているこの辺りが、大目付にして初代宗門改役、井上政重の知行地だった場所です。

井上政重といえばキリシタン迫害の立役者として悪名高い人物で、小伝馬町の牢屋敷でのキリシタン拷問と処刑に加え、切支丹山屋敷で行われた宣教師への棄教工作でも辣腕を振るいました。

この人がいなければキリシタンの歴史ももうちょっと違ったものになっていたんじゃないかと思うほど、悪い方面に自分の力を使ってしまった人ではないかと思います。

知行地だった辺り

そんな歴史を残した人物の知行地だったことを知ってか知らずか(たぶん知られてないと思います)、一面の田んぼちゃんは極めて穏やかな表情。

川沿いの平地で、恵まれた環境といえると思います。キリシタン殺してこんないい知行地もらって、と思うと腹の立つ気もしますが、朝から血圧上げてもダメなので我慢我慢 ε=( ̄。 ̄;)フゥ

近くに古墳時代の集落の遺跡が見つかっていることからも、昔から人が住み天然資源を享受してきた土地なのだということがわかります。


井上政重知行地跡

井上政重知行地跡

大和田玉造遺跡群

大和田玉造遺跡群跡

屋敷跡は農機センター

さて知行地に来た井上政重がどこに滞在したかというと、現在JAかとり高岡農機センターとなっている辺り。ここが井上政重のいた高岡陣屋跡です。

陣屋跡の遺構があると何かの本に書かれていたので車を降りてウロウロしてみましたが、見つけられず、諦めて行こうと思い私が振り向くと、夫が不敵な笑みで手招きを・・・(*゜ロ゜)!!

この不敵な笑みは大抵いいものを発見した際に発せられるもの(本人は「不敵」と思ってない!?)なので、期待しながら近寄って行くと、夫の指さす先に「高岡陣屋之蹟」の文字が!

さ、さすがっ!地味な物見つけるのうまい!!

「高岡陣屋之蹟」碑

この「高岡陣屋之蹟」の碑、農機センターの入口脇に置かれているのですが、とっても存在感がないというか・・・見逃しました;;

「高岡陣屋之蹟」という文字が右から書かれている上に摩滅してほとんど読めず、地衣類に覆われている部分もあり、全体的に小さいし、あまり周囲から気を遣われてる感じではないです(主観的な感想ですが)。

こういうものがないと、「史跡として残してほしい」と思うのに、あればあったで腹が立つから私も矛盾してます (━_━)ゝウーム

しかしここに井上政重という人物がいて、屋敷も構え家来も揃えて、知行地を訪れたり見回ったりもして、政治的に成功していることを自慢に思っていただろうなと思うと、、、やっぱりムカつきません!?


農機センター入口脇

「高岡陣屋之蹟」

「高岡陣屋之蹟」

神社があります

 サクラ咲く佐倉へ☆

日本基督教団 佐倉教会

井上政重関係を回って血圧が高くなったところで佐倉へ。昨日は千葉の辺縁をめぐった感じですが、今日は都会方面を回ろうと思います☆

佐倉城跡に向うところで日本基督教団の佐倉教会を発見。結構大きな建物です。信徒さんが入っていくのを見かけました。教会生活してるんだろうな。

佐倉という街のイメージは学校とか住宅地とかそんなイメージだったのですが、ここも城下町なんですね。目抜き通りには歴代藩主の名前を書いた幟が立てられています。
藩主ラブが濃ゆい街のようです ヾ(´ー`)ノ

佐倉城跡 本丸跡

街の中心にある広い公園・・・じゃなくて城跡は、緑豊かな公園となっていて市民の憩いの場そのもの♪

子供が中心のイベントがあるらしく、親子連れが何か運んだり準備したり楽しそうにしています。本丸跡はメイン会場であるらしく、鯉のぼりを設置中の大人の周りを子供が走り回ったり、笑ってるかと思いきや転んで泣いたり。。。

まだあどけない子供が親と対話してる内容が耳に入ってくるのですが、ホント癒されます。主よ私に癒しを与えてくれているのですね (ёё。)(。ёё)。ウフウフ♪

佐倉でサクラ



それにしても満開の八重桜が美しいっ!
八重桜は花弁が重たいからか下向きに咲いてくれるところが好きです♪
透き通ったブルーの空に淡いピンク。
こんな爽やかで優しい心を持ちたいなと思ったりして☆


佐倉城跡

空堀跡

本丸跡

八重桜

堀田正睦像

とっても癒される佐倉城跡ではありますが、キリスト教との関わりという点からすると、あまり喜んではいられません。この城を築いた土井利勝は、徳川秀忠の時の老中で、家光の時も幕政を握った人物。

つまり一緒になってキリスト教禁令と迫害を推し進めた人なのです。一緒になってというより、主体的に、だったかもしれません。

しかし一方でキリスト教といい関係を保った堀田正睦という藩主も、この城にはいました。この人は幕末に来日したタウンゼント・ハリスと交渉した人物で、ハリスとはいい信頼関係を持っていたのだとか。

城跡には2人の像が道をはさんで建てられています。


堀田正睦像

堀田正睦解説

タウンゼント・ハリス像

タウンゼント・ハリス解説

 佐倉の城下町

佐倉城大手門跡

ぼーっと一日過ごしたくなるような佐倉城址公園を後にして、城下町にある史跡に向かいます。

昔あった佐倉城というのは公園になっている部分より相当広かったみたいで、城下町だと思っていたら大手門跡がありました(←)。

ここの近くにある佐倉中学校の正門付近に昔あったのが、津田仙が生まれた家。

津田仙という人は、津田梅子のお父さんにして農学者。そしてクリスチャンでもあります。この辺りの出身だったんですね (*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!!


大手門跡

大手門跡の解説

佐倉中学校

正門の向い

甚大寺


城下町特有の細い道をくねくねと行き、曲がりにくい所で曲がって到着した(他に行きやすい道があるのかも;;)のが、甚大寺。

堀田正睦らの墓があるお寺・・・のはずですが、堀田家の累代のお墓は見られませんでした。関係者以外立入禁止なのかな?

佐倉市は歴史ロマンを売りにして観光に力を入れているようなので、史跡めぐりの人に公開しても良さそうな気もするんですけど d(゜ー゜*)ネッ


甚大寺本堂

甚大寺解説板

 佐倉高校?それともサクラ(桜)高校?

佐倉高校

次なる目的地は佐倉高校。県下でも有数のエリート校で、その伝統は藩校に始まるのだとか。

なので高校の敷地内に鹿山文庫という資料館があって、そこにはハルマ和解(わげ)など珍しい書籍が収められているそう。

「はるまわげ」という、口にすると忘れられない響きに惹かれて、とりあえず訪れてみることに☆

高校の中に資料館があるっていうのもすごいと思うし。何か発見があるといいんだけどな♪

鹿山文庫

正門入って右手にぐーっと伸びる道沿いにある茶色い建物が地域交流館。この中で鹿山文庫の収蔵物を見ることができます。

中に入ると受付にガイドの方がいて、鹿山文庫や佐倉高校についてはもちろん、佐倉市の観光についても教えてくれます。

有難いことにここの展示品は写真撮影可♪
見て感動しても、半日ほど過ぎると記憶が曖昧になってしまう私みたいな鳥頭には願ってもないサービスです (。>0<。)ビエーン

和英語林集成

ハルマ和解も見ることができましたが、望外の喜びだったのがヘボンさんが作った和英語林集成を見られたこと☆

再版で活字組なので、ヘボンさんの筆跡とかを目にすることはできませんが、これが発行された明治5年、この本を手に取り世界を思った人がいたんだろうなと思うと、ちょっとわくわくするというか♪

ただヘボンさんの名前が「平文」と書かれてるので、スルーしちゃう人がいるかもなと思いました(私は夫に言われるまで「平文」=ヘボンだと気づかなかくて一度通り過ぎてしまいました;;)


ハルマ和解解説

ハルマ和解

和英語林集成解説

和英語林集成

佐倉だから桜!?



佐倉高校に来たら見ておかなきゃいけないのが、佐倉高校記念。
明治の建物で、国の登録有形文化財です。修復中で中を見ることはできませんでしたが、NHKのロケに使われているのだと、ガイドさんがうれしそうに話してくれました♪


佐倉にサクラをかけたのね・・・

説明板

登録有形文化財

NHKのロケも

 佐倉に来たらコレは見ておけ!?

旧堀田邸

佐倉でもう一ヶ所くらいどこか行きたいと思ったので、おススメを聞いてみたところ、鹿山文庫のガイドさん一押しは旧堀田邸だというので、向ってみることに☆

有名な観光スポットなのか、意外と混んでたりします。さびれた城跡とか誰もいないお寺で墓碑を探していることの私たちには、ちょっとまぶしく(?)映ります。

中に入ってみると理由がわかりました。有名なドラマのロケ地なんですね、ここ。「坂の上の雲」とか「仁」とか・・・どれも見たことないけど (〃∇〃)アハッ


旧堀田邸解説

窓から庭を望む

障子

灯籠

中庭

さくら庭園

建物

二階から

ゆるキャラ登場!

「すみません、あと3分ほどでカムロちゃん出ますんで」

帰ろうとすると建物の玄関口でそう言われました。「出ますんで」って、、、何が??

しばらくすると玄関脇の出入口からでっかい頭のゆるキャラ登場! これがカムロちゃん・・・

スタッフの人が声高に「かわいー、カムロちゃん!」と連呼してますが、カムロちゃんが近寄っていくたびにその一帯の子供、大泣き。。。

カムロちゃんは最近できた佐倉のご当地キャラ。佐倉城の杉戸の絵から出てきたアヤカシ(妖怪)で、こう見えて400歳 ――って、キャラの設定コワすぎませんかヽ(;´Д`)ノ


わちはカムロぢゃ

おぬち泣くな

語尾は「ぢゃ」なのぢゃ

ツイッターもやってるのぢゃ

 千葉に来たのはこのためだと言っても過言ではない

宗徳寺

予想外のインパクトだったカムロちゃんに別れを告げ、同じ佐倉市でも西の方に向かいます。

行きたいのは臼井城(の跡)!
千葉に来たのはここを訪れたかったからだと言っても過言ではありません。

しかし臼井城の入り口は見つけにくく、ちょっとうろうろ。そうしているうちに次に行こうと思っていた所があったので、先に寄っちゃいました。

ここ宗徳寺は臼井城主だった原氏の菩提寺。格式高いお寺という感じです。整然としていてきれいですし。原氏が滅亡した後も裕福な檀家さんが支えてきたんでしょうか。


宗徳寺本堂

宗徳寺由来碑

山門と碑

宗徳寺の碑

臼井城址公園駐車場

臼井城跡は誰でも訪れることのできる公園になっているにも関わらず、そこに至る道は「これで合ってるのかな?」と不安になるような細い道で案内表示もありません;;

昼食を買うために寄ったコンビニが、偶然その上り道のすぐ近くだったので、店の人に教えてもらって行き着くことができましたが、幸運に恵まれないと周囲をぐるぐるして時間ばかりロスすることにもなりそうな;;

訪問者が多くなって声を上げてくれるといいんですけどねヾ(゜、゜*)ネエネエ、ヒョウシキツケテ♪

臼井城址公園



普段なら普通に眺めてる緑なのに、憧れの地で見ると、とても青々としていて、なんかすごくいいです☆☆☆
臼井城、来たかった。。。
やっと来られたのね♪
ここがヨハネ原主水(はら・もんど)の生まれた所かぁ。

臼井城の跡

この城の城主の嫡男として生まれた原主水。しかし原氏は秀吉の小田原攻めで北条氏についたため家は滅亡。原主水は許されて家康の家臣になりました。

家康の世になり、原主水の運勢は逆転。上げ潮に乗ります。着々と功績を上げ、鉄砲隊長にまで抜擢され、家康の近くに仕えるようになりました。

その一方で、信仰は大坂にいた頃に持つようになり、家康に従って駿府に移り住むようになってからも、駿府キリシタンの中心として活動していました。

そんな時に出されたキリスト教禁令。出世街道まっしぐらのエリート侍であった原主水が、たやすく「信仰を守る」という結論が出せたとは思えません。

戦に負け切腹させられた父を思えば、出世し成功して家名を高く掲げたいと考えるのが当然。そのことを日々神に祈っていたのかもしれないのです。

城跡から



それなのに、結局原主水は信仰を捨てませんでした。
捨てなかったのか、捨てられなかったのか・・・。
駿府で手の指と足の腱を切られ、改易追放。やっとのことで命を取りとめて浅草へ。

人々に奉仕する生活をしていたのに、元家臣に密告され投獄。
最期は札の辻で火焙りでした。

原主水のいた城跡
原主水がもし世のものを願うなら、この臼井城をもう一度手に入れたいと思ったかもしれません。城を奪われ、家族を失った悔しさが、時に己を奮い立たせる力になったでしょうから。

でも、彼は城どころか何もかも、命さえも失う方に舵をきったのです。惨めになることがわかっているのに、自ら進んで、目にも見えないもののために。

それほどまでに信仰とは、捨てられなく、捨てられなくて、どうしても捨てられないものなのか・・・。

「世の中のもの一つあげる」と言われたら、原主水はここを選んだんじゃないかと思う城跡に立って、自分の心の底をのぞいてみずにはいられませんでした。


土塁と空堀が

わずかに残る城跡は

野の花と緑が

悲しみを包んでいるよう

 臼井城址のすぐそばのお寺

長源寺

後ろ髪を引かれる思いで臼井城を発ち、長源寺に寄りました。

ここは原主水の祖父に当たる原胤栄(たねよし)が開いたお寺。この原胤栄の代から原家は臼井城に住まうようになったのでした。

この原主水のおじいちゃん、原胤栄も秀吉による小田原征伐の途中に死去。この時原主水の父、原胤義(たねのり)は北条氏の人質として小田原城に送られていて臼井城にいなかったので、当主もいないまま臼井城は陥落したのでした。

人質とか責任を取らされて切腹とか、戦国の世の話は非人間的なことばかりで眩暈がします。


あんまりだと感じる

ばかりだとかえって

無感覚になってくるのが

恐ろしいです

 手賀に向って

手賀に向って

午後の日差しが照らす道を、今度は柏に向って出発。柏といえば都会のイメージですが、目指すは手賀。以前は東葛飾郡沼南町にあった村です。

そこにある手賀城跡が原氏ゆかりの城の跡だということで、目指すことになったのでした。

原氏ゆかりの城といっても、原主水が住んだということはありません(たぶん)。おじいさん(原胤栄)の弟(原胤貞)の城なので訪れたことくらいはあったかもしれませんが。

青空に浮かぶ白いストライプが旅路を応援してくれているような・・・♪

て、手賀城址・・・!!



ナビを頼りにどんどん山里に進み、不安になり始めたところで発見!
ちゃんと「手賀城址」と書いてあるしー、何もないけど敷地は広いかもー、と思ってよく見ると・・・。
敷地と思った所はふんわり耕された畑で、「城址」のスペースと思っちゃいけないみたい;;
「城址」として私有地を見せてるって感じでしょうか!?

城跡にある神社

ここを訪れたのは、幕末から昭和にかけてクリスチャンとして活躍した原胤昭(たねあき)が「我が祖先は・・・(中略)手賀の出。手賀殿の城址北山の塚は我が家の墳墓の地」と本に書いていたから。

この原胤昭は江戸南町奉行所の与力でキリシタンを取り締まる立場だったのですが、自分の祖先にキリシタン殉教者原主水がいることを知ってキリスト教に興味を持ち、開国間もない頃に聖書を読んで受洗。

銀座に日本初のキリスト教書店を開くなど華々しい活躍をしたのでした。

手賀城跡の裏手は崖

「北山の塚」にある原氏のお墓を見てみたいと思ってましたが、北側に山って・・・どれ?塚ってどこ?という感じで、全く痕跡すら見つけられません。

車を停める際に話しかけた当地の奥さんに、「原氏のお墓知りませんか?」とダメもとで聞いてみたら、近所の家三軒も回って尋ねてくれました (゜O゜;.

手賀城址に来ることができた上に、こんなに温かい対応まで受けさせてもらえて、感謝なのです☆


手賀城址の碑

手賀城址の畑

石造物

手賀沼と田んぼ

八幡様のところのあれ

近所の人に聞きまわってくれた奥さんが、「八幡様のところにあるあれ、あれがそうだって聞いたような・・・」とおっしゃっていたので、その親切がありがたくて行ってみました(←)が、違いました;;

原胤昭の本にお墓の写真が載っているので、違うとわかりました。しかし気持ち的に充分なので失望したりしません。人って気持ちの生き物なんですねぇ。

大体私が読んだ原胤昭の本、出版されたのが昭和4年。そんな昔からそのままのはずはなく・・・。こんな古い本見て史跡めぐりに来られちゃ、手賀の人も困りますわな (;´д`)スミマセヌ...

でもなんだかいい思い出になっちゃいました。ほんと感謝です、行けても行けなくても、神様と人に♪

 手賀でもう一ヶ所☆

ハリストス手賀正教会



せっかく手賀まで来たので記念にもう一ヶ所寄ってみたのが、ハリストス手賀正教会。
こじんまりとした教会堂ですが、内部には山下りんのイコンが3点もあるというから立派な史跡です。
今は巡回教会なのかな?人影は見えませんでした。


教会の建物

解説板

正教会の十字架

周りの様子

 八木重吉ゆかりの地

柏の中心地へ

一口に柏と言っても、手賀のような山里(里山というのか?)から地下鉄直通の電車が通る中心地まで、結構広くて地域性にも幅があります。

今度向かうのは柏の中心部にある東葛飾高校。ここもかなりの名門校で、芸能人とか頭のいい人とか輩出してたはず。

でもそこに行きたいのは芸能人が目当てではなく、八木重吉ゆかりの地だから。

クリスチャンで詩人の八木重吉は、生まれたのは現在の東京都町田市ですが、教員になってここで英語を教えていたのです。

東葛飾高校

柏市内の渋滞を抜けるのに相当時間を食われてしまいましたが、なんとか東葛飾高校に到着。学生が妙に賢そうに見えます(先入観かもしれないけど ^^;)

ここで教師をしていたんですね。結婚して落ち着いてきた頃で、詩作も一番順調だった時期じゃないでしょうか。

しかしたった一年で結核にかかって職を辞することに。最後の授業で「我はキリストの再来を信ず」と言って静かに教壇を去ったのだとか。寄せ書きの色紙にもその言葉をど真ん中に書いています。

きっとまっすぐな人で、キリストを直に感じようとしながら生きた人だったのではないかと思います。

この学校の賢そうな学生たちは、こんな人がいたことを知っているのかな・・・?


「我はキリストの再来を信ず」と

私も言ってみようかな

大胆に、確信に満ちて・・・

 お醤油の野田

千葉最後の目的地は

さてと、そろそろ千葉を後にせねばなりません。今日の宿は熊谷。熊谷に向かいつつ千葉最後の目的地に向います☆

目指すはお醤油で有名なの野田市にある関宿(せきやど)という所。埼玉と接する辺りに位置する、昔関所があった町です。

ここにはキリシタンがいたという記録があるので、是非訪れるだけでも訪れてみたいなと♪

関宿城博物館



時刻が夕方に差し掛かってきたので、閉門してしまった関宿城博物館。
外観だけでも雰囲気が味わえるからか、まだ周りには家族連れやカップルの姿が見られます。
関所だけでなく、お城もあるような大きな町だったんですね。

隣にある水辺公園

寛永年間、関宿には小さなキリシタン組講(コンフラテルニタスとよばれる信徒の互助グループ)があったことがわかっています。

街道を使ってか利根川水系の水運を使ってかはわかりませんが、宣教師の巡回も行われていたようです。

しかし関所があるゆえに、禁教下での締め付けはきつくならざるを得なかったのではないでしょうか。

宣教師の記録に名前が出てくるにも関わらず、ここからキリシタン遺物が出たと聞かないのはそれでなのかもしれません。


関宿城博物館

野田市の史跡地図

関宿城下町の地図

地図拡大

 本日最後の訪問地は岩槻♪

岩槻の目抜き通り

さてさて千葉を出て埼玉に入り、本日最後の訪問地、岩槻へ。ここは人形の街なんですね☆

岩槻にも昔キリシタンが暮らしていました。信徒の指導者の名前はイネスとイサベル。洗礼名しかわかっていませんが、名前を知ると現実味が増して感じられます♪

もうお日様も傾いて辺りは暗くなりかけていますが、岩槻城跡と浄国寺だけには行きたいな (* ̄0 ̄*)ノ

岩槻城跡

人口の多い街特有の慢性的なノロノロ渋滞を抜け、やってきました、岩槻城跡!

お城はなく、城跡が岩槻公園となっています。平地の広い公園で、住宅地の真ん中の緑地帯といった感じ。昔は周りの住宅地も二の丸とかで城内だったのかも。

岩槻城には宣教師に「教会用地を寄進しても良い」と言った高力清長という城主が住んでいました。高力清長は家康のブレーンで三河三奉行の一人ですが、キリシタンに好意的だったんですね。

ただし用地をくれる前に死んでしまったので、その話は反古になったようで、随分昔のことだけど今聞いても残念だったりします・・・ (≡д≡)


フランシスコ会の神父に

教会用地をくれると

言った彼は

ここにいたんだね

浄国寺

日も暮れなむとするギリギリの時間になって浄国寺に到着☆

江戸の殉教者ヨハネ原主水は、最初改易の知らせを聞いた時、そのまま逃げ、親戚である粟井原(あいはら)氏を頼って岩槻に来たのですが、その粟井原氏の菩提寺が浄国寺なのです。

原胤昭の本によると、墓地内の西北方にある「枝雪寂道信士」「峯山秋道信士」の墓碑が刻まれたものが粟井原氏のお墓だそうですが、墓地を調べる時間はなく・・・まあ、ここまで来ただけで良しとしましょう。

参道の石造物

原胤昭は粟井原氏もまたキリシタンだったのではないかと書いてますが、どうだったんでしょう?

イネスとイザベルも原主水と同じフランシスコ会々員なので、岩槻に来れば何とかなると考えたのかもしれませんね。

しかし岩槻で捕らえられた原主水は駿府に送られ、安倍川の畔で両手の指を切り落とされ、両足の腱を断たれた上、額に十字架の紋を火ごてで押されて追放。

それでも信仰を捨てずに浅草に来てハンセン病者の世話をして・・・。

やっぱり岩槻に来て良かったです。目に見える物は何もなかったのに、何かを見たような、確かな感覚が心の中に芽生えました。


本当は

もっとじっくり

回りたかった

岩槻の街・・・☆

本日の宿泊は熊谷

エビさえ食べれば元気になる私。。。
  浄国寺を後にしてすぐに
  すぅーっと空が群青になり
  あっという間に夜空に。

  いつも一日の旅程を
  空が待ってくれているように感じます♪

  バーミヤンのエビチリで元気になり(単純;;)
  宿泊地の熊谷に着いたのは夜8時半。
  早く休んで明日に備えましょう☆

  本当に今日も
  (o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)うございました!!



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