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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 関東激走☆ わが祈りよ 風になれ ③

  <本日の主な訪問地>

 今日は熊谷スタートで♪

天気はイマイチだけど・・・☆

今日はGW前半の最終日。天気は午後から荒れ模様との予報で、朝からすっきりしない感じですが、私はいつになくテンション高め♪

今日は途中で友人3人と合流する予定で、そのうちの2人が群馬出身者。地元の人と回ると発見が多く、深い御心を悟れたりもするので、楽しみなのです。

しかし殉教地に慣れてない友人(全員クリスチャンだけど)もいるので、待ち合わせまでの時間に先にハードな殉教地を回っておこうかと。

ふっ、キリシタンのことをド迫力で語ってしまう私だってこれくらいの配慮はできるのさ ヽ(● ´ ー ` ●)/

養性寺

熊谷から茨城県に向いつつ、県境をまたぐ前に寄ったのが養性寺。参道には丹精込めて育てられた見事な牡丹が咲き誇っています。

カメラ小僧になって半日くらい撮っていられるような所ですが、目的を忘れちゃいけません!(当然だ;;)

ここ養性寺は、この後訪れる古河の殉教地で殉教しなかった転びキリシタン(信仰を捨てた人たち)の旦那寺。

キリシタン禁令の布かれた日本では寺請制度というのがあり、全ての国民はお寺の信徒(お寺を支える信徒を旦那と呼ぶ)として登録せねばならなかったのです。

養性寺の鐘楼

己の信仰を守りたくても守れなかったキリシタンたちの屈折した思いが交錯した場所として、是非訪れてみたかったのですが・・・。

お寺の門前から本堂まで全体的に新しく小ざっぱりとした感じで、古めかしさや因習じみたドロドロ感はありません。ドロドロを期待していた訳ではないけれど、どうも明る過ぎるきらいがあります。

現在ある姿が、その歴史的背景と違った様子であることは仕方ないことで、文句を言うのはお門違いと承知しつつ、なんとなく肩透かしを食らったような。。。

それでも境内の一角に古い墓碑が集められていたので、この中に転びキリシタンの物もあるかもしれないと思いカメラに収めてきました。年代を感じる物はこれくらいかなぁ。


養性寺全景

本堂

古い墓碑群

町指定文化財

 古河の殉教地へ

古河第二高校

一般に北関東(群馬、栃木、茨城)に殉教地は一ヶ所しかないと言われていて、その殉教地がここ茨城県古河市の金掘谷刑罰場跡。

現在の古河第二高校の辺りだったとされています。
この高校は歴史小説で名高い永井路子の母校でもあり、たぶん名門校。

今も通っている生徒たちがいると思うと、殉教地だと大声で叫ぶのが憚られますが、歴史を学び歴史から学ぶには、負の面を無視してはいけないわけで・・・。

そんなことを思いながら写真に収めてまいりました。こういうことを私の中でちゃんと消化していかなければならないんでしょうけど、未だに未消化な感じです;;

古河第二高校の周辺

1630(寛永7)年、牢内で棄教しなかった95名のキリシタンがここ(正確にはこの周辺)で処刑されました。

棄教しなかった人がいた一方で、棄教した人はその数倍いたことがわかっており、その人たちは古河藩領となっていた下宮村に入植させられました。

現在、渡良瀬遊水地になっている所です。ここは昔から洪水が多く、村全体が流されたりする危険地帯でしたが、入植させないと年貢を取れないので危険を承知で転びキリシタンを行かせたのです。

運命を自分で選ぶって、過酷なことですよね。


古河第二高校

ブナの木解説

ブナの木

高校周辺

カトリック古河教会

殉教地からさほど離れぬ場所にあるのがカトリック古河教会。殉教者を偲び、その思いを現代に生かそうと建てられたのでしょうか。

小さいけれど存在感のある教会です。

信徒の方が描いた殉教絵もあるということなので、中に入ってみたいと思います。

カトリック古河教会



こじんまりとした聖堂(おみどう)は家庭的といっても良さそうな感じ。
手作り感も漂っています☆
静かな祈りのひと時を持つことができました。


カトリック古河教会

殉教絵

聖堂内

外観

 古河城跡は今・・・

古河城跡

歴代古河藩主が暮らした古河城跡は今、ほとんどが利根川の河川敷となってしまいましたが、古河城の諏訪曲輪の跡だけが古河歴史博物館を中心とした歴史公園となっています。

緑豊かな公園は散策するだけでも楽しめるような趣ある風情。古河歴史博物館も建築の賞を獲っているだけあって、カメラを向けたくなるような感じ☆

開館時間まで10分ほどあったので、思わずナイスなアングルを探してしまいましたが、キリシタンを処刑した藩主が住んでたんだということに思い至り、・・・(自分の軽薄さに絶句)。

建物や場所に罪があるんじゃないから、雰囲気を楽しんじゃダメってことないと思いますけど、私の場合は巡礼ですんで・・・あほですよねぇ。。


古河城跡

鷹見泉石記念館

周辺地図

蔵っぽい建物

古河歴史博物館

古河歴史博物館は大抵の人が1時間ほどで見終わってしまうくらいの規模ですが、職員がストリート・オルガンの実演をするなど頑張ってるなと唸らせられる趣向も◎

驚いたのは、「古河地方の隠れキリシタン」というタイトルの展示があったこと!

ここまで目が配れるとは、「古河はイケてる!!」と思いました(私的な観点で、ですが ^^;)

かつては迫害者の住まいだった所でキリシタンの歴史が紹介されるとは、いい意味で皮肉(いい意味では皮肉と言わないか?)ですね。


博物館周辺

博物館脇の水辺

ストリート・オルガン

ストリート・オルガン解説

ハナミズキの道

博物館で古河の史跡マップを入手して館外へ。

折りしも新緑の美しいこの季節は曇天ながらもしっとりとした緑が瑞々しく、ハナミズキやツツジも花盛り。優雅な気分になってしまいます♪

しかし時間を考えるとのんびりもしていられないので、早速次の目的地へGo!

正定寺はどこですか~ (  ̄ー ̄)^ ドコドコ?

正定寺

カーナビのおかげで5分で到着☆

正定寺は古河藩主を務めた土井家の菩提寺で、家康、秀忠、家光の三代に仕えた土井利勝の墓があります。

自分の主君が死ぬとその重臣も殉死して、それが名誉だと考えられていた時代に、三代もの将軍に仕え大老職のまま没したなんて、ふてぶてしいと捉えるべきか、それだけ必要な人材だったと考えるべきか・・・。

とりあえずお墓を見学してみましょう。

土井利勝夫妻の墓

境内からはぱっと見ではわからない(私みたいな注意力のない人間はスルーしてしまったが、目ざとい夫は難なく見つけた;;)ような入り組んだ場所に土井家の墓所はあります。

土井利勝夫妻の墓を見ながら頭に浮かんできたのは、「結局死んだらこんな石しか残らないのに・・・」という考え。

虚しいもんだよ、この世の栄華ってのは、という感じです。仏教的に言うなら色即是空空即是色ってところでしょうか。古今東西の偉人たちも言っているのに、なかなか悟れないもんなんですね。


黒門

黒門解説

正定寺本堂

土井利勝像

土井利勝夫妻の墓は
まずこれを見つけて

次にこの角を曲がって
進んだ所にあります

・・・って、
わかりにくっ;;

解説板

 古河のエトセトラ

古河宿

さてここからは当初予定してなかった所へ参ります☆

博物館でゲットした史跡マップに藩の高札場の在り処が書いてあったので、訪れてみたくなったのです。

メインストリート沿いの小旗を見て知りましたが、古河もまた宿場町だったんですね。現代に暮らす者にとって宿場は馴染みがないのでほほーっという感じ。

日光街道といえば家光の造営する家康の廟所、東照宮への道だから、かなり厳しくキリシタンが取り締まられたはず。

それでもフランシスコ会系のキリシタンが暮らしていたと記録されているので、堅固な信仰の持ち主がいたのかもしれません。

古河の高札場跡

と考えているうちに到着。古河藩の高札場跡。

この写真(←)の左横に延びる道が、古地図によると昔はなかったようで、横断歩道の真ん中辺りに高札場が右手に向って建てられていたようです。

「高札」と聞くと掲示板みたいなイメージですが、土を盛ったりして土台を作り、その上に高く掲げられた(だから高札)幕府の命令書なので、かなり権威的でいかつい外観をしていたようです。

上から見下ろしてくる威圧的な高札板に、自分の信じるものが天下の邪教だと書かれていたらどうだろうと、信徒の気持ちになって考えてみたら、お腹がぐっと重苦しくなるような感じを受けました。


高札場跡

高札場跡

道路元標の碑

道路元標の碑

利根川の河川敷

古河の去り際に車窓に見えた利根川の河川敷。この辺りに古河城の本丸や二の丸がありました。跡形もないとは正にこのことだと言いたくなるほど、痕跡がありません。

藩主が暮らしたお城だって何もなくなってしまうんだから、殉教地とかが跡形もなく、説明板さえもないのは当然だなと思いました。

キリシタン95名の大量殉教があったのは、藩主が永井尚政の時代ですが、江戸送りになったキリシタンがいたという記録があるので、土井利勝の時代にも迫害は続いていました。

永井家も土井家も徳川譜代の大名で、幕府の政策に深くかかわっていました。古河はそれくらい重要な交通の要だったということですね。

 渡良瀬遊水地

渡瀬遊水地へ

ぽつりぽつりと降り始めた雨の中、渡良瀬遊水地へ。
ここは転びキリシタンが入植させられた地です。

古河藩で摘発されたキリシタンは城下の牢屋に入れられましたが、そこで棄教を拒んだ者は金掘谷で殉教し、転んだ(棄教した)者は移住させられました。

渡良瀬川の氾濫により昔から洪水に悩まされてきたこの村では、ちょうどその年に起こった大水害で村人600人のうち400人が流されて死亡したため、早急に入植させなければ年貢米に差し支えるという事情があったのです。

渡良瀬遊水地



茫漠たる景色が広がる渡良瀬遊水地。
東京からさほど離れてもいない所に、こんなに広大な湿地帯があるとは。
親水広場の他、ウィンドサーフィン利用エリア、史跡保全ゾーンなどがあります。


渡良瀬遊水地説明

渡良瀬遊水地説明板

渡良瀬遊水地

渡良瀬遊水地

廃村となった谷中村

史跡保全ゾーンにあるのが旧谷中村です。足尾銅山の鉱毒で汚染され廃村となった村で、散歩コースのように整備されているので、大型犬を連れた人もちらほら。

そもそもこの渡良瀬遊水地自体、銅山開発で出た有害物質を浄化する貯水地として設けられたものなのです。

足尾銅山鉱毒事件といえば田中正造。田中正造はクリスチャンではありませんでしたが、キリスト教に深く関わっていた人物でした。

内村鑑三らとも交流があり、内村に「聖書を棄てよ」と言った人物としても知られています。


谷中村について

谷中村地図

屋敷跡

スゲ萱

背丈より高い萱

スゲ萱について

谷中村

動植物も

オオイヌノフグリ

ビニールボールで野球を楽しむ三世代の親子が歓声を上げ、小さな女の子が補助輪付きの自転車で通り過ぎ、毛並みのいいレトリバーが主人と同時にあくびをしています。

―― 目に入ってくるのはこんなに平和な光景なのに、陰鬱な気分に取り込まれて、そこから出てくることができません。

言葉もないまま車に乗り込み、泣きつくして涙も枯れたような気持ちで立ち去りました。ここに暮らした人たちもそうだったかもしれません。

 群馬県邑楽町

邑楽町役場

いつまでも暗い気分をひきずっていてもいけないので、瞬間祈って、気分を払拭!

東京から来た友人3人と駅で落ち合って邑楽町(おうらまち)役場のあるおうら中央公園へれっつごー☆

ハナミズキが色づき、緑も萌えるステキな公園で、連休だというのにほとんど人がいないところがワンダフル♪(ほめてるつもりです。。。)

中央公園にそびえるシンボルタワー、おうらツリー(私が命名)もいい感じです (*゜v゜*)

巡礼話には握り飯

友人が作ってきてくれたお弁当を東屋で開きながら、キリシタンや殉教地巡りの話を夫が熱く語り、更に私が握り飯片手に熱く熱く語りまくったので、あっという間に小一時間が経ちました。。。

これじゃ行きたい所に行けずに終わるぞとの霊感がぴぴっときたので(霊感じゃなくても普通わかる)、とりあえずバテレン遺跡に向うことにしました☆

バテレン遺跡とは、中学校の体育館を建てる際に見つかった江戸期の史跡。キリシタンのものと見られる墓碑や外国製のガラス器などが発掘され、それらは町の有形文化財に指定されているのです♪


おうら中央公園

おうらツリー?

邑楽のハナミズキ

邑楽のタンポポ

 邑楽中学とその体育館

邑楽中学前にて

今回一緒に回ることとなった友人の一人が邑楽町の出身で、この中学の卒業生。山形に続きまたまた「私の目的地が友人の出身地」のパターンです。

自分で神様を信じたいと思って教会に通い、クリスチャンになるんだと、今まで考えていましたが、信仰を持つに至る人の半生には、何らかの主との経緯があるんじゃないかと思う今日この頃。

校門にたたずみ、不思議な気持ちで眺める私たち。一番左のぶちゃいくな後姿が私です;;

この中学の体育館下にあるのがバテレン遺跡。昔この辺り全体がバテレン山とよばれていました。


邑楽中学

邑楽中学外観

奥の建物が体育館

邑楽中学の校庭

猿楽

バテレン山とは邑楽町にあったかなり広い松林地帯の呼び名で、その中にバテレン塚(=バテレン遺跡)、猿楽、引廻、焼場、ばてれん橋とよばれる場所がありました。

この地域には昔一晩で100人ほどの村人がいなくなったという話も伝わっており、「バテレン」というキリシタン用語と関連付けて、宣教師やキリシタンの大量殉教があったのではないかと言う人もいます(川島恂二著「関東平野の隠れキリシタン」)。

私はここにキリシタンが暮らしていた可能性は高いけれど、大量殉教はなかったと考えています。キリシタンの処刑があったとしても見せしめのための数名で、転宗させて他の所に移住させたのではないかと思うのです(その論拠はおいおい話しますね)。


猿楽の辺りには

教会があったと

言う人もいるけれど・・・

神のみぞ知る、です

 嗚呼、ばてれん橋!!

ばてれん橋!!



さてさて、これが邑楽町にある「ばてれん橋」!!
邑楽にはこの小さなコンクリートの橋が見たくて来たと言っても過言ではありません。
あぁ、ほんとに書いてある、「ばてれん」って。。。

「ばてれん」とはキリシタンの用語で神父さんのこと。
ポルトガル語で神父をpadre(パードレ)とよんでいたのが訛って「ばてれん」となったのです☆

小さな小さなばてれん橋

そもそもここを訪れるきっかけとなったのが、友人との以下のような会話から・・・♪

私「へー群馬県の出身なんだ。群馬県のどこ?」
友「知らないと思うけど、邑楽です」
私「知ってるよ、ばてれん橋がある所でしょ?」
友「ばてれん橋?あるような気がするけど・・・」

私としては「ある」でも「知らない」でもなく、「あるような気がする」という答えにツッコミたくなりましたが、本日その理由が判明。

校外マラソンの途中、ヘロヘロになっている時に見た気がするけど確信が持てなかったので「あるような・・・」になったのだとか。

ともあれ、小さな小さなばてれん橋が大きな大きな御心を感じさせてくれたのでした... (o=゜▽゜)人(゜▽゜=o)


ばてれん橋よ

導いておくれ

主のまなざしが

注がれた地に・・・☆

引廻

ばてれん橋で記念撮影をして、今度は引廻(ひきまわし)へ。

前出の川島恂二著「関東平野の隠れキリシタン」では、バテレン山を宣教師の潜伏場所、猿楽を教会堂跡、引廻を受難地、焼場を殉教地と推測しています。

川島恂二さんという方は茨城県のお医者さんで、熱心な隠れキリシタン研究者。墓地で墓碑を調べたり、地域の伝承を地元の人に尋ねたりしたフィールドワークには脱帽です。

しかし何でもキリシタンと結びつける傾向があり、自分の思いで主張を展開しているのではないかと思うのです。

引廻推定地

特に石造物に関してその傾向が顕著で、例えば台座に蛙が刻まれた石造物があると、「カエルはミカエルに通じるからキリシタン遺物だ」となる訳です。

墓碑に丸があれば「マリヤを意味する」、点があれば「昇天だから隠れキリシタンの墓碑だ」となるんですが、ど素人の私でさえ疑問を持つしかないというか・・・。

ただしお医者さんという職業が幸いして、地元民からの聞き取り調査には、かなり信憑性があります。普通その地域のネガティブな伝承はよそ者に話さないものですが、患者さんの紹介でその地域を訪れるので、様々な情報に有利にアクセスできているのです。

焼場

あのばてれん橋ですら、「こんなヘンテコな名前がついてるせいで土地が売れん!」とペンキで名前が消されたことがあるというくらいですから、まがまがしい伝承があったりしたら、それを公言しようとする人には相当な勇気が必要です。

話したことで誰かの恨みを買ったりしたらその地域での暮らしに差し支えもあるのに、単にぽいっとやって来た研究者や学者に軽々しく話すでしょうか。

その点、医者という恩義ある立場で人々の中に入っていって話が聞ける氏のような方には、(立場的な優位性を利用する気が本人になかったとしても)ディープな情報を開示してもらえる条件が備わっているということができるのです。

焼場推定地

今回邑楽を訪れたのも、川島氏の本によるところが大きく、氏のフィールドワークに信憑性を感じたからです。

もちろん私はただの素人で、ただ「行って、見てみよう」と思って来てみただけですが、それでも来てみると何か感じるものがあったりします。

少なくとも焼場では、何かを感じました。何をどう感じたか、口で言うのは難しいのですが・・・、「何かがあった」感じとでも言うんでしょうか。

「カエルだからミカエル」よりもずっと根拠なく(揶揄しているように聞こえたらスミマセン;;)、判断材料も持たない(だから主張もしません)一個人の感想に過ぎませんが... (;´д`)


抹殺された歴史を
掘り起こすのは

本当に難しいね
文献もないから

でもいつか明らかに
なるといいな

ほんの少し、ひとかけらでもいいから・・・

 バック・トゥー・ザ・熊谷 ☆

荻野吟子を探しに・・・

バテレン遺跡からの発掘品が未だに専門家の調査を経られず、公開もされていないことを惜しみつつ(予算をつけてください;;)、邑楽から熊谷へ。

熊谷は埼玉県だけど邑楽からは川一つ挟んだ向かい側みたいなもので、意外と近くてびっくり☆

まずは熊谷の郊外にある、荻野吟子(日本の女医第一号でクリスチャン)の生誕地を目指します。

群馬県出身で文学に関心がある友人(邑楽の友人をAとし、この友人をBとしましょう)が喜ぶかと思ってチョイスしたのですが、向っている道で夫ともう一人の友人(友人C。3人の友人のうち彼女だけが東京出身)が、「あっ」と声を上げました。

河川敷から生誕地へ下りる道

夫「ここ来たよねー」
C「あー、そういえば・・・」

約一年前にここの河川敷でサッカー大会が催され、夫と友人Cはここに来たことがあるのだとか。前夜の雨のせいでその大会は中止となり、貸し切りバスで来たのに「なんなんだろう」って感じだったそうな。しかしその時偶然「荻野吟子」の名も看板か何かで見た覚えがあるのだと、夫は言うのです。

つまり・・・、一年前から関心を持つように導いてくれてた場所に、今日やって来た、ということ!? ならば見てみなければなりませぬっ☆

(来ている人みんなに御心があり、それを悟るようにしてくださっている神様に、密かに感謝しました・・・♪)

荻野吟子さん



生誕地にある荻野吟子の銅像。
銅像の周りにも隣接した記念館にも中高年のマダムたちが押し寄せていますw(*゜o゜*)w
私が知らなかっただけで有名人だったんですね。

そりゃそうか、日本の女医第一号なんだから。。。
牧師さんと結婚して北海道に渡り開拓民を助けたりしたすごい女性だそうです。
知らなかった自分が恥ずかしい・・・。

荻野吟子記念館

隣にある熊谷市立荻野吟子記念館は、展示室が1室だけのシンプルな造りですが、展示部分は専門業者によるものと見えて、わかりやすくてインパクト大。

三田佳子が出てくる資料ビデオも上映されています。それでわかったのですが、おばさま人気なのは荻野吟子は小説(渡辺淳一郎「花埋み」)になり、演劇にもなっている(その主演女優が三田佳子)から☆

「へー」と思って見てましたが、家に帰ったら「花埋み」がありました。数年前にもらってそのまま放置してたようで(あの、私ってやっぱりあほでしょうか・・・;;)。

書割まであったりして

NHK並みに仕上がった資料ビデオ(専門業者が作ったんでしょうな)ですが、一つ問題がっ!

吟子が女医になるまでのストーリーは丹念に追っているのに、クリスチャンになる前のところで終わってます;;

クリスチャンになり牧師と結婚して北海道に行って・・・のくだりはどこに行っちゃったの?いづこへ?Where?という感じです。

「絶対に後編がいる!私が作って送ってやろうかしらん」と息巻いて出てきましたが、あのクオリティーにふさわしくは作れません(技術もあることながら大体今日初めてこの人のことを知りましたので・・・)。

すみませーん、熊谷市で作ってもらえないでしょうか?予算つけてほしいなぁ(今日はこればっかりの気が...)


荻野吟子生誕の地

荻野吟子像

荻野吟子説明板

荻野吟子記念館

 熊谷の駅チカ史跡

グライダー

空に舞い上がってくグライダーを眺めながら、河川敷をとろとろ歩いてマイカーへ☆

ここから熊谷の市街地へ向かいます。

今日は連休の最終日。午後3時半には出発しないとものすごい渋滞に巻き込まれそうだということで、残り時間はあと1時間ほど。

ゆっくり回ることはできないけれど、教会だけには行って祈りろうと、全員一致で決めました ъ( ゜ー^)♪

熊谷聖パウロ教会



歴史を感じる外観がとってもステキな熊谷聖パウロ教会。
日本聖公会の教会です。説明板によると1882(明治15)年頃から聖公会は熊谷で伝道活動を始めていたんだとか。全国的にみて非常に早い時期に福音が入った街だったことを知りました。

教会内でお祈り

聖公会の教会は中で祈らせてくれるから有難いです。

普段は自分の教会で祈るけど、旅行先ではその地方の教会で祈りたいもの。史跡としても興味がありますが、地元の人たちが祈ってきた場所で共に祈ってみたいのです。

でもオープンになっていて入れる場所はカトリックと聖公会だけかも(私の知る限り)。もちろん例外はあるだろうけど、ほんとに感謝です。

祈れたことが一番の思い出になることの多い私たちだから・・・♪


熊谷聖パウロ教会

熊谷聖パウロ教会説明

熊谷聖パウロ教会内

ステンドグラス


扉の上方

聖パウロ教会の塔

隣接した建物

熊谷寺

教会だけみて帰ろうとしてましたが、徒歩でちょっと行った所に熊谷寺があると知って向かってみることに。

「熊谷寺」と書いて「ゆうこくじ」と読ませるこの古刹には、萩のキリシタン殉教者熊谷元直のご先祖様が眠っています。

この熊谷が現在の熊谷市の名の由来になっているのですから、熊谷市(くまがやし)と熊谷氏(くまがいし)は切っても切れない関係といえるでしょう。

クローズ中?

「まだ3時過ぎなのに閉まっちゃったのかな?」

そう思ってよく見てみると、「団信徒及び関係者以外立入禁止」の立て札が。なかなかガードの固い(?)お寺のようです。

外から見て満足するしかありませんが、この寺院は熊谷元直のご先祖で、平家物語に出てくる熊谷直実(なおざね)の屋敷跡に建てられた寺院。直実はここで生まれ、没して、葬られているのです。

熊谷のハートとも言えるお寺だから、部外者は入れなくても仕方ないですね☆


熊谷寺

熊谷寺外観

熊谷寺本堂

関係者以外立入禁止

家路を急ぎつ



渋滞にひっかからないように祈って
関越道に乗ってみたところ
すいすい進んでびっくりするほど早く我が家に到着。

翌朝から仕事の夫を
天が愛して気遣ってくれたのかと (o^o^o)ノ

千葉→埼玉→茨城→栃木→群馬→埼玉と
めまぐるしく県境を越えながら巡った今回
ずっと心に浮かんでいたのは
「私にとって神とは?」という命題でした。


これは一生をかけて解いていくことかもしれないから
今回だけで究極の答えを出すことは難しいけれど
今日思う、その答えは
「私にとって神とは、喜びであり楽しみだ」です。

神様を思う時に喜びを感じることができるし
そのみ働きを考えながら生きていくのが
私にとっては最大の楽しみなのです☆


ちょっと真面目に答えすぎて恥ずかしいですが・・・。
共にしてくれた夫と友人
いつも共にしてくれている方に感謝して・・・

〃 ̄∇)ゞアリガトォーーーーーーーーーーーーーーー♪



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