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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 風薫る5月に part3

乙女峠まつり

  <主な訪問地>

 行きます、津和野!

旅行3日目の今日は津和野に行きます!乙女峠まつりのマリア像
一番の目的は津和野で行われる乙女峠まつり。

明治の始めに津和野に流された浦上キリシタンが
苦難を経て栄光を勝ち得たことを記念した祭典なのです☆

本を読んでいつか行ってみたいと思ったのは
ちょうど一年前のこと。
こんなに早く願いを聞いてくださるとは思いませんでした。
感謝して行って参ります♪

 ローカル線に乗って

津和野に向かう電車

えっ・・・三両編成!?


7時22分発の電車に乗るために駅にに7時過ぎに着いて待っていると、しばらくしてやってきた電車はなんと三両編成@@

GWの真ん中に有名観光地に向かうというのに、これじゃあ満員のすし詰めになっちゃう;;と、戦々恐々としてましたが、発車時刻になっても席はがらがら。

朝からすごい肩透かしにあいました。いい意味でですけど。休みに出かけたら人しか見られないなんていう東京とか関東の方が異常なのかもしれません^^;

つつじ満開

つつじ満開の湯田温泉駅


三両編成で驚いていたのに、山口駅からはなんと一両編成(編成というのか?)に! それでもまだ席には余裕があるなんて、ローカル線万歳です☆

湯田温泉駅はつつじ満開。最終日に訪れるのが楽しみになりました。線路はやがて単線となり、どんどん山の中へ。

大正とか昭和初期のドラマで見たような景色が広がっていきます。進むほどに時間をさかのぼっていくみたいで、ちょっとタイムトラベル気分☆

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車窓に迫る緑
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線路
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水田と村
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新緑

 津和野に到着♪

静かなたたずまいの津和野駅

津和野駅


約2時間で津和野に到着。乙女峠まつりの当日だというのに、人影はまばらです。カトリックのお祭だから信徒さんたちがホームにあふれてる様子を想像してたのですが・・・( ̄△ ̄;)?

みなさん前日から泊まってるんですかね、津和野に。それとも貸切バスとかで来るのかな? 信徒さんじゃなくても津和野といえば観光地だからもっと人が多いと思ってました。

騒々しくないので、とっても落ち着きます☆

乙女峠に向けて

乙女峠へ


駅の改札を出たところに、地元のボランティアガイドさんたちのブースが設けられていたので案内を乞うと、地図と手作りの記念品をくれました。

なんとも温かいおもてなしです♪ 人が多いとこうはいかないだろうから、やはり静かなところが◎ですね。山間の町を走る一両編成の電車。癒されますです☆

線路を渡って駅の反対側へ行くと、乙女峠まで「信仰の光」と書かれたのぼりが案内してくれます。

法心庵跡

法心庵跡


乙女峠の上り口左手にある土地は、法心庵の跡地。津和野に流配された浦上キリシタンのうち、改心(棄教)した者たちが住んでいた場所です。

現在はお寺の墓地と町営住宅となっています。

各地に流された浦上キリシタンについてはさまざまなエピソードが伝えられていますが、津和野に送られた信徒たちの特徴は改心者と不改心者とが助け合い、かばい合ったこと。

最後まで信仰を捨てなかった信徒たちは、法心庵の者たちに助けられたと語っています。

 乙女峠マリア聖堂

乙女峠のマリア聖堂

乙女峠マリア聖堂


乙女峠のマリア聖堂までの坂道はちょっぴり急。なんせ山の中ですから^^; でも頑張って登った先に聖堂の尖塔が見えてきた時にはそれだけの感動が。

思わず「わあー」とか言ってしまいます。
新緑と小鳥のさえずり、横を流れる川のせせらぎ。どれをとってもまぶしいほどの清らかさです。

ここで悪辣で厳しい拷問が行われ、36名もの尊い命が奪われていっただなんて、悪い冗談のように思えるほどです。

マリア聖堂

マリア聖堂


ここが峠でもないのに乙女峠と呼ばれるのは、永井隆が津和野での殉教について書いた本を「乙女峠」と題したことによります。

殉教者となった安太郎が、三尺牢に入れられている時にマリア様が現れて慰めてくれたと話したことも「乙女」という言葉につながっていています。

浦上キリシタンの帰還後、水田となっていたこの地を再発見し、記念碑を建てたのはビリヨン神父。聖堂を建てたのは、ここで祈ることを日課としていたネーベル神父です。

マリア聖堂の内部

聖堂の内部


聖堂の内部にはステンドグラスで、浦上の信徒たちの物語が描かれています。まだあまり人がいない時間帯だったので、静かに祈ることができました。

カトリックの信徒さんたちは、津和野の町にある津和野カトリック教会からマリア像とともに登ってくるので、それまでの間は準備の方々と報道関係者がいるという感じ。

静かにお祈りしたい人や聖堂のまわりを見て回りたい人は、先に登って待っているのがいいみたいです◎

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流配と入牢
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転び者のつぐない
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子供の殉教者たち
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拷問とマリア出現

三尺牢に入れられた安太郎に現れたマリア様

三尺牢とマリア様


聖堂の左手には三尺牢に入れられた安太郎とマリア様が再現されています。三尺牢とは一辺が三尺(約90cm)の狭い牢で、空気穴だけが開けられていました。

これに入れられたら最後、足を伸ばすことも立つこともできず、寒さと飢えに震えながら、自らの糞尿の中にうずくまって衰弱していくしかありません。

食べ物も一切与えられず、棄教しない限り、死ぬまで出ることはできません。

安太郎の前にこの牢に入れられた和三郎は、妻と幼い子を残して26才でこの世を去りました。

その後に三尺牢に入れられた安太郎が、自分が死んでから話してくれと言って仲間に語ったのがマリア様の話でした。

「サンタマリア様に似た御婦人が現れて話をしてくれるので、何も寂しくない」
安太郎は骨と皮だけになって亡くなりました。

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三尺牢とマリア様
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安太郎の話
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場所を示した地図
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場所の案内

信仰の光の碑

信仰の光


信仰が特に堅固な者たちが送られた津和野では、全流配地で最も過酷な拷問が行われました。彼らが入れられたのは当時廃寺となっていた山寺光琳寺。

池の後ろある「信仰の光」と刻まれた石は、この殉教地で一番最初に建てられた碑です。

浦上キリシタンの信仰を忘れないようにしようと、明治24(1891)年ビリヨン神父は、広島の伝道婦となっていたヨハンナ岩永とこの地を訪れました。

建物がなくな荒れ果てていた上、流配された時7才だった彼女は、最初はどこが光琳寺だったのか全くわからず呆然とするばかりでした。

仙右衛門らが入れられた池

光琳寺の池


しかし石垣の樋から流れ落ちる水を見た彼女は、ここに寺の倉があったと叫びました。6畳くらい倉の中に自分と家族を含め35名が押し込められ、父親も兄弟もここで亡くなったのだと思い出し、さめざめと泣きました。

こみ上げる悲しさをどうすることもできず、2人は長い時間そこにたたずみ祈りました。そしてその後ビリヨン神父はこの場所に「信仰の光」と刻んだ碑を建てたのです。

碑の前にある池は、ここにあった池を浅くしたものですが、今日は舞台の下になってしまっています。高木仙衛門と守山甚三郎はここで氷責めにされました。

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信仰の光の碑
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舞台の下の池
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寺の本堂があった所
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まつり前の会場

 千人塚へ

白いつつじ

白いつつじ


しばらくマリア聖堂の周りを見て回りましたが、正午のミサまではまだ時間があったので、殉教した36名が葬られた蕪坂の千人塚に向かうことにしました。

千人塚はもともとは飢饉で亡くなった人の供養のためのものですが、そのそばに乙女峠で亡くなった浦上キリシタンの骨を埋めたので、その記念碑が建てられています。

以前は千人塚に行くのに一旦下山して再び坂道を上る必要がありましたが、カトリックの人たちが道を整備してくれて、マリア聖堂から直接行けるようになりました。体力のない私にはかなりありがたいです<(_ _)>

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殉教者のレリーフ
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殉教者たち
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蕪坂への地図
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十字架の道

十字架の道行き

十字架の道


千人塚への道は、十字架の道となっていて、イエス様の十字架への道を一つ一つたどっていくことができるようになっています。

正に御跡(みあと)をたどる道。殉教者の流した血とイエス様とが重なって、自分の考えが祈りに変わっていくのを感じます。

こういう道を造ってくださって感謝です。最初は楽でいいなと思いましたが、歩きながらこの道にみこころがあることを悟りました。

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第一留
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千人塚への道
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十字架の道行きを黙想
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山を覆う木々

千人塚の浦上キリシタン記念碑

浦上キリシタンの記念碑


十字架の道行きの最後、第14留があるのが、千人塚のキリシタン墓所。記念碑に刻まれた文字は、「義のために迫害されてきた者は幸いである」という意味です。

時間を忘れて祈ることができました。
同じ道を、こんなにも楽に歩めているのに、至らない自分が情けなく、申し訳ないです。

それでもできることをしますと祈ると、どこかでイエス様が微笑んでくださっているような気がしました。

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記念碑
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天からの光
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キリスト像
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浦上キリシタンの墓所

乙女峠への道

乙女峠へ


今日は余裕あるスケジュールにして良かったです。たくさん祈ったので気持ちもすっきり。気づかないうちに心に垢がたまっていたんですね☆

今度は十字架の道を逆方向に、乙女峠に向けて歩きます。途中で2組ほど信者さんらしき人たちに会いました。お互いクリスチャンだと思うとうれしいです♪

このGWはお天気にも恵まれて初夏という感じ。雨だったりしたら足元が滑って大変だったでしょうね。感謝なのでございますヾ(´▽`*)ゝ

 乙女峠まつり

まつりの先導の子供たち

マリア様を先導する子供たち


祈りながら待っていると、徐々に人が増えてきて、マリア様を先導するようにかわいらしい子供たちが登場。後ろの女の子たちは花をまいています。

会場に集まっている人たちをざっと見ると、半分以上が高齢の方ですが、それでも小さい子のパパママといった感じの人たちも意外と多いです。

でも10代20代はやはり少ないような。さびしいことですし、なんとかせねばです (*・ε・*)ムゥ

乙女らに担がれたマリア様

乙女たちに担がれるマリア様


少しすると乙女たちに担がれてマリア様がお姿を現しました。後ろに従う神父さんとシスター、各地からの巡礼団であっという間にマリア聖堂の前は人で一杯に。

人は多いけれど騒がしくなく、秩序立っているのが素晴らしいです。皆さんこの日を楽しみにしてたんでしょうね。

ローカル局のテレビカメラや新聞社のカメラマンもたくさん来ています。確かに他ではなかなか見られないお祭かもしれません。特にこの日本では。

ミサ

ミサ


全ての人が到着し、ミサが始まりました。神父様のお話や式次第を交代で手話で通訳する人たちがいて、バリアフリーが進んでいることを感じました。

私たちがプログラムを持っていないのを見て、近くにいた人が下さいました。やっぱり神様を信じる人っていいですね。感動でちょっと涙が出そう。

賛美歌を声を合わせて歌いながら、宗教ももっとバリアフリーになって、互いに愛していくべきだなと思いました。主のような心で生きたら一瞬でできるはずだと。

最後の殉教者


賛美が終わり、席についたところで神父さまのお話が始まりました。
遠藤周作の「最後の殉教者」という小説の話だったのですが、説明が前後したりして、小説を読んだことがある私でも、頭の中でちょっと迷子になりそうな感じ。

聞いてる人はどうなんだろうと見回すと、前にいたシスターがうつらうつらと船をこいでいました。
舞台の上にいた神父様の一人も一瞬寝てしまったようで、手に持っていたプログラムをパサッと足元に落として、慌てて拾ってました。きっと疲れていたんでしょう。準備とか大変だったと思いますし。

いや、私の見間違いかも。寝てたという証拠があるわけでもないので、私の勘違いかもしれません。そうだったら本当にすみません。でもひと言言わせてください。強く感じたのです。キリスト教を信じる者がもっとリバイバルしなければ!と。

自慢じゃないですが、私も居眠りしたことがあります。御言葉中うつらうつらすることも、たまにですがあります(ほんと自慢じゃない;;)。だから自戒をこめて言うことです。私たちの信仰が復活(リバイバル)しなくては、未来に希望を描くことができないと思うのです。

これを読んで不快になる方もいるかと思いますし、私も悩んだのですが、未来のためにちゃんと書こうと思いました。どうかご寛恕ください<(_ _)>

まつりが終わって

ミサが終わって


ミサが終わると、巡礼団の人々はお弁当を配ったり、知り合いと挨拶をしたりと楽しそうな雰囲気。また来年会おうねとか話しているのでしょうか。

巡礼団の掲げる旗を見ると、広島司教区だけでなく、長崎の信者さん、鹿児島の信者さんと各地から集まっていて、乙女峠まつりの大切さを感じます。

いろいろ感じたことはあるけれど、このような行事に来させてもらえて本当に感謝だなと思いました。

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マリア様
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神父様たち
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各地からの巡礼団
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巡礼の人々

 十字架の道×3 で永明寺へ

もう一度十字架の道を

十字架の道と花


次の目的地は永明寺。森鴎外の墓があることで有名なお寺です。

一旦山を下りて寺院までの道を上るのが普通の行き方でしょうが、お寺に参るために山道を登るなんて、申し訳ないけどいまいちモチベーションが上がりません;;

というわけで、もう一度十字架の道を通って千人塚に行き、そこから下りて永明寺に行くことにしました。

気に入ったとはいえ3回も十字架の道を行くことになろうとは、何か意味があるのでしょうか? 恵みと考えていくのがいいですね、きっと。感謝なのです (^-^)/

永明寺

永明寺


緑陰の道を気持ちよく歩いて永明寺(ようめいじ)に。津和野きっての古刹だけあって、山の中にあるのに洗練された雰囲気。

森鴎外のお墓は門を入って左手の墓所にあります。とりあえずは鴎外のお墓にお参りして、ここに来た目的である坂崎出羽守成正のお墓を探します。

坂崎成正は慶長6(1601)年から16年間、この地の領主だったお殿様。

森鴎外の墓

森鴎外のお墓


説明板にも観光ガイドにも書いてなくて不安になりますが、この人、キリシタン大名小西行長の影響で洗礼を受けたキリシタンなのです。

洗礼名はパウロ。受洗当時はパウロ宇喜多左京亮(さきょうのすけ)と呼ばれていました。

津和野の領主となってからは、津和野城を修築し、市街地と用水を整備して、紙すき産業を育成するなど現在の町の形の原型を造ったといっても過言ではありません。

永明寺の門

境内の門


英明な領主であるだけでなく、関ヶ原の合戦や大坂夏の陣でも活躍した勇猛な武将でもあった坂崎成正。しかしわずか16年で所領没収、切腹させられた上、御家断絶となりました。

大阪城落城を目前に、豊臣秀頼に嫁いでいた孫娘千姫が心配になった徳川家康は、千姫を無事城から助け出した者に姫を嫁がせると約束しました。

それを聞いた成正は奮起し、無事千姫を救出しましたが、家康は約束を反故にして他の者に姫を与えました。

坂崎出羽守の墓

坂崎出羽守の墓


そのことを怒った坂崎成正は、千姫の輿入れの行列に暴れ込んで、姫を奪おうとしますが失敗。家康に切腹を命じられて江戸の牛込で憤死しました。

所領没収、御家も断絶となり、この地に残るのはその墓だけです。
自死を禁じるキリシタンの教えに反して切腹したので、晩年は信仰を捨てていたのかもしれません。

千姫に対する執着を「悲恋」という人もいますが、どうなんでしょう・・・。直情型でウソが許せない性格だったのかもしれませんね。

このお墓、森鴎外のお墓のある墓地とは違い、庭園から山の斜面に上った小高い場所にあります。津和野城主として民の敬慕を集めたゆえんでしょうか。

彼が何を思い、あのように行動したのか、今となってはその口から説明を聞くことはできませんが、津和野の町には今も用水路が涼しげに水をたたえ、紙すきの伝統が守られています。

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庭園の奥に標識が
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小高い場所にある
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坂崎成正の墓
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説明板

禅庭

庭園


坂崎成正の墓を見るために、入場料を払って門の内側のエリアに入りましたが、庭園といい建物といい、風格があって素晴らしいと感じました。

ミュージアムのようになっている庫裏では、森鴎外の遺言書、永井荷風が鴎外に宛てて書いた書なども見ることができます。

知らなかったけど、津和野って随分と栄えていたんだなと思いました。藩校もあったし、鴎外も輩出するくらいだからそれだけ文化レベルが高かったということなんですね。

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堂内
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襖絵
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森鴎外遺言書
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永井荷風の書

 おお、教会発見!

日本基督教団津和野教会

日本基督教団 津和野教会


永明寺の坂道を下ってきたところに、教会を発見!
日本基督教団の津和野教会だそうです。黒い壁がシックな民家風。十字架を高く掲げています。

津和野は歴史からいってカトリックの教会が有名ですが、プロテスタントの教会も信徒を集めているんですね。

信じてる方は同じなので、どちらも頑張ってほしいなと思いながらパチリ♪

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十字架
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入口
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側面
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周辺の地図

津和野の町並み

津和野の町


坂を下りて線路を渡ると、城下町の趣を残した通りにでます。ここまで来ると観光客は一気に増えて、ああやっぱりGWなんだなーと実感。

今までの時間が静かに守られていたのだと悟ります。そぞろ歩く家族連れとカップル。誰でも一度は来てみたいなと思う町ですよね、津和野って。

おしゃれな飲食店やお土産屋が目立ちますが、それでも昔ながらの生業をそのまま引き継いでいるようなお店もあって、歴史を感じます。

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高岡兄弟の碑
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高岡兄弟の説明板
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評定所があった辺り
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今はバスセンター

お蕎麦屋さん

お昼食べなきゃ!


評定所があった辺りに何も痕跡が残っていないことに落胆しつつ、時計を見るともう2時。血糖値が下がってふらふらしてきたので、弥栄神社の近くのお蕎麦屋さんへ。

のどの痛みは咳に変わってきたので、今日はマスクをして歩いているのですが、あまり効果はないようで、声がしゃがれてまるでオカマちゃん・・・ヽ(TдT)ノ

しかし背後のテーブルから聞こえてきた「神父様の…」という言葉に、「およー?」と私の耳が起き上がりました。聞くともなしに聞いていると、何でもその人の通っている教会で奇跡が起こったのだとか。

お稲荷さん

お稲荷さんに癒されて(o^-^o)


お祈りを受けて癒された人がいて、ちょうど聖書の中のイエス様の奇跡の話のようで、「恵み深かったわー」ということでした(お話聞いちゃってすみません;;)。

その話を聞いてこっちも「恵み深く」なっちゃいました。食堂に入って後ろからイエス様の話が聞こえてくるなんて、日本広しといえど他ではなかなかないと思います。クリスチャンが集まる機会ってやっぱりいいですね。何か元気になりました☆

お蕎麦屋さんのサイドメニューらしきお稲荷さん(写真を撮る前に一個食べちゃったのは内緒)に癒されて、心身ともにリフレッシュ♪ もうちょっと歩くぞー。

 津和野川沿いの道を

津和野川沿いの道

津和野川沿いの道


爽やかな風を感じながら、津和野川の道を藩邸跡に向かいます。弥栄神社の周りは人で一杯でしたが、この辺りまで来ると地元の人にしか会いません。

本当の津和野はこういう感じなのかも。
気持ちがほどけて穏やかになっていきます (*^▽^*)

川の中洲で白鷺が羽を休めていました。

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津和野大橋
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神社への道
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弥栄神社
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津和野川

藩庁跡

藩庁跡


ひと気のないグランド。ここにかつて津和野藩の藩庁と藩邸がありました。浦上キリシタンが取調べと説諭という名目で拷問を受けた場所です。

現在は津和野高校のグランドになっています。藩の政庁と藩主の邸宅の一部を足した土地ですが、私が想像していたよりずっと広くて、驚かされます。

この広大さ。自分の生まれた村しか知らない者たちの目には、どんなふうに映ったのでしょう。

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藩庁跡
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説明板
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藩庁の門跡
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説明の碑

津和野城跡の馬場先櫓

馬場先櫓


グランドと次に訪れる嘉楽園の間に道が通っており、この道は山の頂上にある津和野城へと続いています。

今回は時間の都合で城には行けませんでしたが、道の上り口にあった馬場先櫓だけ見ることができました。

嘉楽園の向こう側にも大手登山口という細い道があり、この道は坂崎成正が使用したものだと説明板に書かれていました。一応、津和野城跡といえますかね。

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馬場先櫓
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大手登山口
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津和野城跡
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紙すき工房

嘉楽園は藩邸の跡

藩邸の跡


藩主の亀井家が住んでいた藩邸は、現在嘉楽園という名前の庭園になっています。

藩邸の広さは南北300mの東西140m。北側は津和野高校のグランドになっています。

この庭園には浦上キリシタンが来た時の藩主亀井茲監(これみ)の顕彰碑と、信仰を捨てるようにと説諭にあたった福羽美静(ふくばよししず)らを称えた碑が建てられています。

地元ではそういう評価なんですね。その評価、個人的には不満ですが、史跡として残されていることはありがたいです。この人たちだよ言えますから。

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嘉楽園の説明板
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庭園内の倉
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亀井茲監の顕彰碑
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庭園の桜

 西周と森鴎外

西周旧居


嘉楽園を過ぎて更に津和野川沿いを行き、小道に入ると見えてくるのが西周の旧居。

黒船を見て海外の知識を吸収する必要性を感じた西周は、藩主に暇を告げて脱藩。オランダに留学し、近代日本の発展に大きな功績を残しました。

私たちが使っている「主観」「理性」といった言葉は、この人が考えた訳語だそう。そういった概念を輸入してきた人とも言うことができるかもしれません。

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西周旧居
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西周の説明
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旧居の説明
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家の内部

森鴎外旧宅

森鴎外旧宅


西周の暮らした家から、津和野川を渡った辺りにあるのが津和野人森鴎外の旧宅。同じ時代で同じ地域だからなのか、二つの家はよく似ています。

森鴎外も又明治期に留学して海外の知識を見につけて帰ってきた人。一説には、自分の故郷に長崎のキリシタンが閉じ込められ拷問を受けていると聞き、鴎外は非常に恥じていたということです。

真相はよくわかりませんが、そうであってもおかしくないと思います。国際的な視野で見たら、本当に野蛮で、恥ずかしいという外ない行為でしたから。

 大鳥居とSLと中尾彬と

大鳥居

大鳥居


森鴎外旧宅から津和野の中心地に向かいながら、山に目をやると右手に赤い大鳥居が。離れているのにこんなにはっきり見えるとは、近づいたら巨大なんでしょう。

ここの名物のようなので、津和野に来た浦上キリシタンたちも目にしたかもしれません。

いつかこの鳥居より大きな十字架が建てられますようにと祈ったかもしれませんね。今では津和野の町の真ん中に大きな教会が建てられています。

今度はそこを目指して歩きます☆

走り去るSL

走り去るSL


徐々に人通りが多くなって来たなーと思っていると、町角にクリスチャンの団体さんがいました。手にお花を持っているのですぐわかります。

そろそろ自由時間が終わって、集合して帰る準備をしているようです。みなさんバスで来たんですね。

しばらく行くと、もっとたくさんの人が集まっている場所がありました。なんだろーと人々の視線を追うと、ポウオオゥ!と頭上響く大音量。SLです!

慌ててカメラを取り出すも、時すでに遅し。横顔しか捕らえられませんでした。それでも望外の幸運です。SLが走ってるとは知ってましたが、見られるとは思いませんでした♪ 神様ありがとうございます。

ネクタイねじねじ

中尾彬の美術館


少し賑やかな町並みに入ったところで見つけたのが、中尾彬の美術館。芸術家だったんですね。どうりでネクタイねじねじしてるはずです。

救いに関係ないところを歩いていても、そこそこ楽しめるような気もする津和野。でもやはり関心のあるものを見に行くのとは、おのずと気合が変わります。

観光客用のスポットとかばかりだと、なんとなく気が抜けてきます。。。いかんいかん、モチベーションを高くもって楽しむべし (* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

 多胡家老屋敷と養老館

浦上キリシタンが働いた家老の家

津和野藩 多胡家老屋敷跡


津和野で最も人通りの多い場所に建っているのが、津和野藩の家老であった多胡家の屋敷跡。現在はその表門が残るのみです。

浦上キリシタンらは明治5(1872)年に帰村が許されましたが、実際に帰るまでには一年ほどの間がありました。その間働いてお金を稼いだ場所の一つが藩家老の屋敷。

加古川さんというご家老の家で働いたらしいですが、加古川さん家は見つけられず、こちらは多胡家老屋敷跡の門。

長崎弁で掛け声をかけながら作業をしているのを見た人たちが、キリシタンの魔法で楽に資材を運んでいると勘違いしたというエピソードが残っています。

森鴎外が学んだ藩校 養老館

藩校 養老館


多胡家老屋敷の斜向いにあるのが、藩校の養老館。ここから西周も森鴎外も出たんですね。

やはり学校を作って人材を育成するのは大きなことです。そのときだけでなく後世にまで、津和野だけでなく日本全体に影響を残すのですから。

道を挟んだ西側に、多胡、大岡、牧の三家老の屋敷、東側に養老館が建てられて、この辺りは城下の中心地となっていました。

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多胡家老屋敷の表門
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水路と鯉
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養老館
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殿町の説明板

 ついに来ました!津和野カトリック教会☆

津和野カトリック教会

津和野カトリック教会 津和野カトリック教会は、養老館を過ぎてすぐの所にあります。観光客は津和野の見所と近いからここに寄るというより、この教会を目当てに来ているようにみえます。

たとえロマンチックでステキだからといったミーハーな気分で訪れても、ここなら心に清らかな思いがよぎり、祈りたくなるかもしれません。

古い町並みに教会。これがなんともいい感じにマッチしているのは、教会が木と土でできているからでしょうか。

尖塔や十字架は西洋のモチーフなのに、木の温かみが加わると途端に和風にチェンジ。長崎の古い教会にも似ています。

こんな教会が日本の各地にあったら、もっとクリスチャンが増えるような気がします。建物が問題じゃないですけどね (〃⌒ー⌒〃)ゞ

津和野にキリシタンが流されたのは、政治的な駆け引きなどがあったからですが、結果的に残っているのはこの美しさです。

浦上キリシタンを介して、ここには信仰の美しさが伝えられるようになったのではないでしょうか。

聖堂の中

和洋折衷が美しく結実した聖堂内

聖堂に入ってさらに感動。ステンドグラスが畳に光を投げかけています。
自然に祈りたくなりました。畳に上がるのに靴を脱ぐのもいいですね。
自分の心からも靴を脱ぐみたいで☆

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ファサード
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祭壇
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祭壇脇
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畳に光

浦上キリシタンの証を見ることができる乙女峠展示室

乙女峠展示室


教会の右手には、浦上キリシタンの信仰と愛を記録した乙女峠展示室があります。教会を訪れた人には是非見てほしい資料館です。

展示の仕方については、もう少しわかりやすく、また訴えるところはもっと強く訴えてほしいと思いましたが、他では味わえない感覚を受けられます。

ここにこの展示室が建てられ、彼らのことが紹介されていること自体が証であり、天が与えた勝利だと思うから。

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パウロ・ネーベル師
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裕次郎への拷問
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守山甚三郎のデスマスク
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ステンドグラス

 ちょっと早いけど・・・

津和野駅

津和野駅


津和野カトリック教会でゆっくりお祈りし、泣けるほど感激したら、お腹いっぱいになりました。いえ実際のお腹ではなく、気持ちというか・・・♪

見るべきものは見ることができたと思ったので、予定より早い電車に乗って新山口へ。疲れたのかドクンドクン脈打つような偏頭痛も始まっちゃいましたし。

鼻水がたれる感触で2,3回起きたものの、それ以外は爆睡。GWに口開けたまま上向いて、鼻水たらして寝てるおばちゃんを見た人!それは私ですっ (;´д`)

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津和野駅ホーム
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静かな駅舎
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まっすぐな線路
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新山口駅の種田山頭火

しめ鯖定食いただきます☆

ホテルのレストランで


なりふり構わず寝たおかげで、少し体力を回復して新山口駅に到着。まだ明るかったので種田山頭火の像も写真に収めました。

夕飯はホテルのレストランさくらでしめ鯖定食を。この酸っぱさがいいですわ☆

満足して満腹して寝たはずですが、咳が出て夜中に何度も起きるはめに。加湿器に覆いかぶさって喉の痛みをやわらげました。明日が少し心配です。

主よ、力を下さい (m。_。)m オネガイシマス

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